東方狸囃子   作:ほりごたつ

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EX その30 不考者

 何処にいるのかお店の主、あの蟒蛇(うわばみ)に呼ばれたのだからといつもの酒場に行ってみたが、今日はまだ来ていないと酒場の女店主に言われてしまった。

 ここの女店主も少ない鬼の一人だ、尋ねた誰かさんと違って嘘をつくことなどはないだろうと考え、言葉通り素直に聞いてまたあとで寄ると伝え出た。次いで向かったのは姐さんの自宅、酒場にいないならここかなと顔を出してみたけれど、こちももぬけの殻だった。残るは旧都の町中、もしくは大衆浴場辺りしか行く先が思い浮かばない、町中を探すのは面倒だし先に風呂屋に顔を出す事とした。

 

 咥え煙管でたらたらと、両手を頭の裏で組んで歩く。

 別に下乳見せつけたいわけじゃない、あちこち顔を出すのに歩いたから身体が少しだけ熱っぽい気がして、その排熱のために空気を入れ替えようとしてみただけ‥‥なのだが、変な男も煩い女もテキトーに数人連れて面倒くさい。

 一晩いくらか?

 そう聞いてくる男には、諭吉二十人と外の紙幣で答えてあしらい、早くウチに来なよと誘ってくる女郎には、客を独占するのは気が引けると上から目線で断った。男は兎も角女の方は無理な話だろうな、それなりに声を掛けられ嬉しく思うが、あの地霊殿の姉妹みたいなのが好みな男や、あたしよりももっと大人の魅力がある、例えるなら竹林の医者のような奴に虐められるのを生き甲斐とする男もいる。趣味に合わせて化ければなんちゃないが、本職に慣れたその手の輩を満足させられる気はないし、今のあたしは一応一途だから誘いは全て断った。

 

 町中でまともに話したのは、ここでは珍しく好ましい雄妖怪の二人くらいか。

 片方は若い青鬼、人の身八つ口をチラチラと見ながら話すから、見たいのかと問うと素直に見たいと言ってくる可愛い鬼の若者。あんたの気概次第では見て触れられるわと、自分の手を身八つ口に突っ込んで話すと、後が酷いからやめておくと向こうから引いていった。

 怖いのは連れ合いらしいあの鬼店主か、それともあたしの太鼓か?

 あたしは太鼓のほうが怖いぞ。

 もう一人はその流れに乗って話し笑う蛇の男。こちらも視線は同じ場所だが、偶にチロチロっと出す二股の舌が印象的な男で、その舌を味わうのもいいかもと何度か話した事があった。その度に二枚舌の狸の姐さんには勝てないとほざく蛇。

 どちらの意味なのか、そう問い正した事があるが、それは苦笑されるだけで終わってしまった。

 両方だと言ってくれば面白かったのに、少し残念だ。

 

 そうして冗談を言い合ったその二人から聞けた事。

 どうやら姐さんは地霊殿にいるらしい、一人であそこに用事だなんてあんまり聞いたことがないが、さとりの会話の練習相手には嘘をつかない姐さん辺りがちょうどいいのかな、なんて勝手に思ってぶらぶら向かった。溜まり始めた自前のお酒、酒虫ちゃんが頑張ってくれているらしく、半分くらいに戻った白徳利を右肩から鳴らして歩き、着いたは地底の動物園。

 今日の第一動物は何かなと庭先を眺めると、二本尻尾の猫がいた。

 

「お燐、ちょっといい」

 

 ちょいちょいと手招きしつつ声を掛ける。

 声に気づくと、トットトと四足鳴らして寄ってくる、可愛らしいここのペット。

 

「お、狸のお姉さん、遊びに来たのかい?」

「遊びとは言い切れないけど似たようなもんね、勇儀姐さん見てない?」

 

 足元に擦り寄ってきたお燐を抱きかかえ、尻尾の付け根を撫でくりつつ話す。

 猫らしい水晶のような目を細め、腕の中で猫背を伸ばしていくお燐。猫の個体によってはここが性感帯だったり、嫌悪するポイントだったりするらしいがこの子は猫っぽいだけで火車だ、ちょっとしたマッサージくらいにしかならないのだろう。

 動かしていた手を止めると、目も口も開く二股。

 

「勇儀さんなら中にいるよ、遊びに似てるけど違うってのはなんなんだい?」

 

 自分で言っておきながらなんだろうな、これは。一言で言えば探し物、いや探し者か。

 ここにいるかもと聞いてきて、それを頼りにはあんまりしていないが、他に考えるよりもまずは仕入れたネタから消費しようと来てみた地底。地に埋まるものを探しているのだからこれはあれか、ちょっとした宝探しか?

 あの二枚舌がお宝だとあたしには思えないが、連れ歩く姫からすれば代わりなどいない、ある意味では掛け替えのないお宝のようなやつかもしれないし、それでいいか。

 

「宝探しってとこかしら、見つけたいのはお宝じゃないんだけどね」

「宝じゃない宝探し? う~ん? ……お姉さん、相変わらずよくわからない事を言うね」

 

「否定したいけれど自分でもよくわかってないし、いいわ、今は」

 

 手元で辛辣な事を言ってくる火の車。

 それでも否定はできないし、とりあえず肯定しながら鼻先に人差し指を伸ばすだけにしておいた。フンフンと鼻をひくつかせた後、狭い額にしわを寄せるお燐。

 煙草臭いのは苦手だったのか? 

 常に吸っていて臭いだろう人の腕には寄ってくるくせに。

 狐につままれたような顔で見上げてくるその表情を笑いつつ、三つ目屋敷の玄関を開いた。

 

 お燐を撫でつつ声を作る、少し甘えたような、体現通りの声色でただいまと玄関ホールに響かせた。永遠亭や命蓮寺でもなし、ここでまでただいまはないだろうと口にしてから思わなくもないが、ここの主には言った事があるしおかえりなさいという返事も聞けたはず、それならばいいのかなって思い込みつつホールを歩く。

 抱かれる事にやや飽き始めた二本尻尾が肩に顔を乗せ、その尻尾で頬やら首筋やらをスリスリとしてきてこそばゆいが、屋敷違いのペット仲間が触れ合うには肌を触れ合わせくすぐったいくらいがちょうどいいと、尾に指を絡ませて目的の書斎まで進んだ。

 ここにいなけりゃ風呂か食堂、そう思ってドアを開くと机とソファーに腰掛ける者達がいた。

 

「……おかえりなさい」

「あ? おかえりって地霊殿で飼われるようになったのかい? あぁ、お燐の方か」

「可愛げがないから飼ってくれないらしいわ、ただいま」

 

「そう言えと言うから言ってあげたのに、随分な言いようですね、アヤメさん」

「まだ言葉としていないもの、勝手に読んで言うのが悪いわ」

「読ませた上で小馬鹿にするか、あたしにゃ出来ない会話だなぁ」

 

 いつもの瞳で見てくるさとりに笑いかけ、カラカラと笑う姐さんの横に腰を下ろす。そうしてお燐を脇に下ろすとすぐにさとりの膝に移動した。やっぱり本来の飼い主の方がいいか、当然だろうな、妹に対してもそうだがあっちの方がきっと愛が深い。

 

「今日はなんだい? また温泉か?」

「それも一つの理由とするけれど、今日は別よ」

「するという物言いは‥‥いえ、無駄ですしいいです。仕立て屋さんでしたら別の部屋におりますよ、採寸を済ませたら店に戻るとの事です」

 

「そう、話が早くてありがたいわ」

「あいつに用事だったのか、八ツ口広げすぎて恥ずかしくなったか?」

 

「男も釣れたしこれで十分だわ、幾分涼しくなったし重畳よ?」

 

 そういや姐さんも少ない着物仲間だったか、横に座ってお燐を離した一瞬、その動きだけで少し広がった部分を目敏く見つけられてしまった。ぱっと見だけで気が付くなんて変化に敏感で妬ましい。そしてさとりの方もサードアイだけで見てくるが、その目はどんな意味合いだろか?

 大事にしている戴き物、勝手に手を入れて少し悪かったかなとは思うが、お陰で以前よりも長い季節着られるようになったわけだし、今のほうが愛着も強いぞ?

 

「差し上げた物ですのでどうされようと構いませんが、そう考えて貰えるのは素直に嬉しいと言っておきます」

「おいおい、二人だけで話すなよ。あっちで騒いでる奴と同じでつれない女共だねぇ」

「あっち? 採寸ってお空辺りかなと思ったけれど違うの? ハシビロコウさんでも人化してその用意?」

 

 問いかけても笑うだけの一本角、聞けば大概嘘偽りない答えが返ってくるのだけれど、こうやって笑い飛ばして誤魔化すだけの相手とは誰だろうか?

 そう思いながらさとりを見るが、こちらからの答えもない。

 ならいいか、鳴くまで待とうなんとやらだ。

 待ちついでに見てもらいたい包も出す、このまま仕立屋に見せてもいいが先にこの鬼に見てもらってもいいだろう。よく見もせず目についただけであたしの着物の変化に気が付く姐さんで、酒盛り大好きな着物仲間なのだから、酒に濡れた絹糸をどうすりゃいいかあたしよりも詳しいはずだ。ゴソゴソ取り出し包を開く、中身を広げて見せてみた。

 

「随分小さな着物だな、生地も仕立てもいいもんだ‥‥が酒臭いなぁ、人形相手に酒盛りでもやらかしたのか?」

「そこまで寂しい暮らしはしてないわ、これはおやゆび姫のやつよ」

「雷鼓さんが変化した原因を作った方ですか、今は‥‥見知らぬ地に置き去りとは、可哀想に」

 

「どっちが可哀想なのよ?」

「押し付けられた二人も、置いていかれたその方も、ですよ」

 

 それに振り回されるあたしは? と、考える前から首を横に振る読心妖怪。考え始める前から動きを見せるとは、心以外に未来まで読めるようになったのかこいつ?

 

「読んだのは空気です、その、姉違いというのは‥‥吸血鬼ですか、その方も今のように言われるのでしょうね」

「あっちの方がさとりより可愛げあるわ、親近感はさとりの方に感じるけどね」

 

「ありがとうございます、と言っておきますよ、本心のようですしね。勇儀さんも、悩まずともいつもの二人の事ですよ」 

 

 一から十まで語らずとも伝わる会話。こいつがいるとこういった面では楽だ。

 あたしだけではなく姐さんの方もまとめて話すってのは少々気に入らないが、会話の練習中って(てい)だ、そこには目を瞑っておくとしよう。あたしはさとりのように多くはないが、親近感はあると言った手前もあるわけだし。

 ふむ、こうやって言いたい事を言わずにいるのも甘やかしていると言えるのかもしれないな、実際は会話で手抜きをしてあたしが甘えているだけ、とも思えるが。 

 

「いつものって‥‥店にいた二人か。なんだ、置いてこないで連れてくりゃあ良かったのに」

「ここには用事を済ませてから来るつもりだったのよ。それよりその着物、どうすればいいかしらね?」

 

「うん? そうさなぁ……ビタビタの袖は仕立て直した方が早そうだ、縮んじまってこりゃあダメだろうな‥‥こんな色合いのやつも確かあった気がするし、それで良けりゃあくれてやるが?」

 

 物持ちも良ければ気前もいい鬼の大将、こっちから何かくれと言い出す前に欲しいものならあるからくれてやると言ってくれる勇儀姐さん。あたしの服といい、姫の着物といい世話になりっぱなしで頭が上がらない気がするが、くれるというのなら甘えよう。

 神様にもこの地の大家にも甘えるあたしだ、それなら鬼に甘えたところで今更だろう。それでも感謝はすべきだろうな、会ってもいない相手に気遣いを見せる姐さんに言うならなんだろうか?

 気立てが良くて妬ましい、いや、気前が良くて妬ましいか?

 悩みながら広げた着物を畳む、唯でさえ酒臭いというに、この蟒蛇に吸い付かれては大変だ、それで酒気が抜けるなら是非ともお願いするところだが、そこまで怪力乱神でもないだろう。

 包んだ着物をバッグにしまい、合う言葉を探していると余計な奴が口を開く。

 頼むから言うなよ?

 バレてゴキゲン損ねたらここが更地になるぞ?

 

「素直にありがとうございますで良いのでは?」

「そうね、ありがと姐さん。後でお酌でもするわ」

「おぅ、その時にゃ着物の主も一緒だと嬉しいねぇ」

 

 読んでいるだろうに、珍しく言わない姉妖怪。

 こういった読んでほしくない面が好物だと思っていたがそれを言わないとは、随分とお優しくなってくれたものだ、それともあれか、ここが吹き飛んだら引きこもり先がなくなるから困るって事だろうか?

 それはそれは大変だ、そうなってほしくはないしこの心も読まれたくない、ならば素直に伝えておこう。ありがとうさとり様、良ければ今夜床を共にしてあげる。

 

「結構です」

「お、また内緒話か? いるんだから話せよ、笑える話ならあたしも混ぜろ」

「笑えない話だからダメね」

 

「それはどういう意味だい、アヤメよぉ」

「直近の話だからダメって事よ、直近といえば当然酒盛りにも連れていくから安心して。というか、替え袖にするのなら採寸し直さないとならないし、本当に連れてきたほうが良かったわね」

「あちらも直に終わるでしょうし、預けて頂ければ渡しておきますが?」

 

 嘘偽り無く誤魔化す、聞かれたらあたしが笑えない事になる。勇儀姐さんは腹を抱えて笑うだろうが、さとりに振られるなんぞ聞かれたらまた浮気かと笑い飛ばされるに決まっている。

 今の身体ならば殴りとばされようと問題ないが、それを太鼓に聞かれでもすれば雷打ち鳴らされるに決まっている、鬼のせいで鬼太鼓になるとか洒落にならんし、ちょいと引っ掛けて誤魔化した。顎に手を当て悩む一本角は置いておいて、次に気になる部分でも突いておくか。藪から蛇が出はぐった後だ、中途半端は悪いのでしっかりと踏み込んでおく。

 

「そうそう、それよ、そのアチラには誰がいるのよ? 教えてくれないなら覗きに行くけど?」

「私達は構いませんし、覗くのであればお好きになさってください」

 

 なら好きにするわ、座って動かない二人にそう言い切り、いるらしい奥の部屋へと進んでいく。

 向かう途中で目当ての人物に会えた為後で仕事を持って行くと話すと、今日は満員御礼だと少し疲れた嬉しそうな顔で語る猫妖怪。この店主がお燐と同じサイズなら尾の付け根を刺激してやれるが、あたしよりも頭半分でかい猫をあやすのもどうかと思い、肩を叩いて労うに留めた。

 別れ際、サッサと店に帰らないと妬まれる、目を揺らしてそう伝えてみると、本当に今日は忙しいなんて早足で帰っていった。足早でも足音がしない辺り猫なんだなと、ほつれたボタンホールの絵を背負う猫背に感心して奥へ向かった。

 

 部屋に向かう最中くるりと回れ後ろをさせられて、何やら歩きにくいことこの上なかったが、部屋に一定距離近づくとひっくり返されるあたしの進行方向。これはもしやと当たりをつけて、何度か逸らしたその能力を逸らしつつドアに手を掛けた。

 けれどもノブが下がらない、引き戸だったかと横に動かすがやはり動かず、それならとノブを上げてみるとすんなりと開いた‥‥ここまでするなら鍵をかければいいのにと思うが、それをひっくり返して締めないのがアイツらしさなのかもしれない。

 少しだけ開いて注意を引く、誰か来たなと理解されてから勢い良くドアを開いた。 

 

「げ」

 

 真っ赤な前髪の束を揺らし、大袈裟に変な声を出す奴。

 薄汚れてボロッボロの白いワンピース、だった物を着こむピンクの肌着が目立つこやつ、あっちこっちと汚くて逆さまリボンも既にない姿。見た目から随分と頑張って逃げ続けているってのがわかる、わかるが‥‥まさかあの古道具屋の読み通りにいるとは思わなかった、てっきりそこをひっくり返して天界辺りで一騒動を展開していると思ったのに。

 

「黙ってんなよ! なんか言えよ!」

「相変わらず口が悪いわ、もう少し再会の感動とか‥‥ん? 喜んでくれているからその反応なの? わかりにくいわ」

 

「んなもんあるか! なんでいるんだよ!」

「そっくりひっくり返したいけど問答はいいわ、久しぶりね正邪、元気に舌出してた?」

 

 言うだけ言ってペロリと舌を出してみる、お前はコレを出してないのか?

 そう尋ねたが返答はない、それどころか小憎らしい舌も出してくれない、これではあたしが出し損であまり放っておかれたら乾いてしまいそうだ。変に意地を張るところでもないしすぐに戻して煙管を咥える、見慣れた姿になってみたらようやく何やら言い出してくれた。

 

「‥‥死んだんじゃなかったのか?」

「また随分と言い飽きた事を聞いてくるのね、死んだわよ? 今のあたしは化けて出た狸さん」

 

「それも嘘‥‥じゃあないんだろうな、鬼もそう言っていた」

「姐さんから聞いてるの? ならわざわざ聞き返さないでよ、話す事なら別に、色々とあるんだから」

 

 思わせぶりに微笑んで少しだけネタを振る、素直に針妙丸が来ていると聞けば一目散に逃げるだろう、それくらいは楽に読めるからそうは言わずに他の物で話を引き出したい‥‥が、別にコイツと話すことなど‥‥何かあった気がするがいいや、言いたければ口をついて出るだろう。

 取り敢えず五体満足で生きている事がわかり、死んで逃してやった甲斐があったというのがわかっただけでも十分だったりする。それでも自分から撒いた種だ、何かしら話しておくか、久々に顔を合わせるお気に入りに違いはないのだから。

 

「そうね、取り敢えずはあれね。墓参り、ありがとうと言っておくわ」

「フンッこうして生きてるなら意味がなかったけどな」

 

「真っ当に死んでるって言ったじゃない、聞いておいて聞かないなんて本当に馬鹿だった?」

「揚げ足とるんじゃねぇ! 久々に顔を見たと思ったら早速煽ってくれやがって!」

 

「冗談よ、冗談。これでもそれなりに感謝はしているのよ、そうやって突っかかって来てくれてありがたいわ」

「あ゛ぁ? 売り言葉を返されて何言ってんだよ?」

 

 ちょっとした罵り合いにちょっとした冗談、それに対して一々噛み付いてくれて、その辺りも変わらないようで何よりだ。稀代の反逆者となってみせた割に不可侵の地底に逃げ込んだりしているから、てっきり捻くれ者から小心者にでもなったかと考えていたけれど、こいつもこいつで死んでも変わりはなさそうな勢いを感じられて満足。

 確認ついでの触れ合いも終わったし、後は正しく感謝しておくか、忘れていたがこいつのお陰で今こうしていられる、という部分もきっとないわけでないはずだ。  

 

「これも冗談、感謝してるのは『久々に』ってところよ。忘れずにいてくれて嬉しいわ、お陰でこうして(はばか)る事が出来ているのだし」

 

 火も葉も入れず、宛てがっていただけの煙管を離し、帯に指して一払い。そうして袖を払ったところで両手を合わせてご挨拶、なんちゃない唯の礼だ、深いものでもないし仰々しいものでもありゃあしない。それでも頭を下げたのがよほど予想外だったのか、左右の眉根がくっついてしまいそうな程で睨みつけてくれる天邪鬼。久しぶりの顔合わせだし、偶に素直に言ってみたのになんでまたそんな目で見られにゃならんのか?

 

「‥‥何を考えている?」

「ありがとうと伝えて何故睨まれるのか、これもひっくり返すべきか、それともまた聞き取れなかったのか。まぁ、色々よ」

 

 考えているというか、考えようとしていたことをダラダラとのたまうと、くっつきそうな眉間に谷間が見え隠れするくらいになった‥‥のはいいが、どれを切っ掛けとしてそうなってくれたのか、それがわからず悩ましい。

 態度と言葉からすれば睨まれるってのをひっくり返しているだけ、そう思えなくもないがそれなら笑うなりしてくれたほうがわかりやすい。相変わらず面倒な思考回路の持ち主だ、読むのが非常に面倒で複雑なオツムが妬ましいわ。

 

「何故そう聞いてくるの?」

「ぁん?」

 

「そうツンケンしないでほしいわ、別に敵対しているわけでもないのだし、ちがう?」

「まぁ‥‥そうか。で、なんでここにいるんだよ」

 

「結局そこに戻るのね、まぁいいわ、罵り合いも楽しめた事だし教えてあげる。答えはコレよ」

 

 ポロンと取り出す小さな荷物、ちっちゃな風呂敷に畳まれたちっちゃな着物。正邪もよく見ていたもので、見たいけれど見たくない、そんな微妙な位置にありそうなモノを軽く摘んで視界に入れる。主張しすぎない特徴的な柄と濃淡の色合いを見てすぐに気がついたのか、あたしを見ていた時と同じ、ではないな、あれよりももっと複雑な色を赤目に込めて見つめる正邪。

 不意に揺らすと鼻を鳴らした。

 

「酒の匂い?」

「ちょっと浴びたのよ、そしてそれがここにいる二つ目の理由。貴女の採寸をしてたやつに用事があったの」

 

「それはいい、今はお前と一緒にいるのか?」

「誰の事? 雷鼓なら‥‥」

 

 人の顔見ず手元を見て動く二枚の舌、そこを見ながら誰の事を考えながら聞いてくるのか?

 今のあたしにはてんで検討がつかない為、一緒にいる事が多い雷鼓の名をわざと、ゆっくりとした口調で言ってみる、そうして完全な煽りをくれてやると部屋の壁をドンと殴った。

 あまりうるさくすると主が出てくるからやめておけ。

 ここの家主は口煩くて性格がひねていて、堪らないのだから。

 

「わかるだろ! 察しろよ!」

「言わずに伝わるのはここの主よ、あたしはジト目ではないわ、誰の事を聞いているのかしら?」

 

 握り拳をプルプルとさせ察してくれと素直に話す、ひっくり返した物言いしか言わないくせに、針妙丸の話題となるとこうも素直になるものか。そんなに気にしているのなら顔くらい見せてやればいいのに‥‥って今は無理か、顔を出せば即御縄が掛かりそうな場所にいた。

 

「……姫だよ、お前のところにいるのか」

 

 問いかけても返事がない為、それ以上何も言えず、いやもういいか。それ以上何も言わず自分から言い出してくるのを待っていた、すると言いたい相手の体格みたいな声で話してくれる反逆者。

 一言名前を言ったところでその言葉は伝わらない、だからもう少し声を張ってくれていいぞ?

 あたしがここの姉妹のような(さとり)妖怪で、拡散する程度の能力でも持っていれば別だが、聞いたところで言う気もないぞ?

 それを話したところで信用されないだろうから、言うつもりはないが。

 

「霊夢のところよ、今はあたしの我儘に付き合ってもらっているだけ」

「お前の我儘? 姫にまで厄介事押し付けてんのか! スキマにしろ姫にしろお前に甘くていい身分だなぁ!!」

 

「そうね、甘えさせてもらっているわ。今日もあたしの我儘を聞いて一緒に来てくれているし」

「な!!?‥‥いるのか、ここに」

 

「ここにはいないわ、残念ながらね」

 

 いないと聴くと握りしめていた左拳を開く、自身の在り方を示すというその左の(たなごころ)で何を握りこんでいたのか、詳しく聞いてみたいところだが、それは無粋か、やめておこう。

 自分の心を固く握り締め、それを壁に打ち付けるくらいだ、小槌の代償を知らずに謀って、その反動を一人で受けた針妙丸に対して、何か締め付けられるような思いでも持っているのだろう。

 そんな面倒な気持ちを聞いたところでなにも出来ないし、そんな事にお節介を焼いてやるほどあたしは人が良すぎるわけでもない。

 

 正邪を眺め黙々とした思いに耽っていると、無言のままで動き出す正邪。

 あたしが目の前にいるというのに、油断しすぎていてるのか、別の事で頭がいっぱいだから眼中に映らないのか、そのまま横を抜けようとする天邪鬼‥‥を、軽く小突いて壁に追いやり、正邪を真似て壁に右肘をついてそのまま腕を首に宛てがった。

 出入口は無理とでも考えたのか、窓を見る赤目の視界に横槍代わりを入れる、壁に煙管を突き刺してそっちもダメだと動きで伝える。キッと結んだ口が開きそうになったので、頬と唇の境目辺りをチロリと舐めて気を逸らす。

 そうすると何やら煩くなりそうなので、周囲に響いてしまいそうな正邪の声は全て逸らす。あたしに向かわないものを逸らせばあたしに向く、あたしの声も同じく逸すと、思った通りに作用して二人だけの壁際話となった。 

 

「逃げるの? また? 何処へ? いつまで?」

「そうだよ、逃げるんだよ! いつまでも、どこまだって行ってやるさ! 私はまだ諦めてはいない!」

 

「言い草だけは明日に向かっての逃走、って感じね」

「あぁそうさ! 私はまだ死んでない! なら今は逃げて‥‥二度目の狼煙を上げるだけだ!」

 

「ねぇ正邪、そもそも何から逃げるのよ? 貴女は遊びに勝ったじゃない、あの妖怪の賢者に一泡吹かせたでしょう?」

 

「あれはお前が‥‥」

「あたしを上手に利用した正邪は見事逃げ切っている、これが勝ちでなくてなんなの?」

 

 互いに吐息の掛かる距離、興奮した正邪の荒い息を浴びつつこちらも煙草臭いだろう息を浴びせる、そんな距離での煽り合い。

 何かを諭してやろうってわけじゃない、そういった事は寺の住職か、あの尸解仙あたりがやればいい。あたしは現状を知らせるだけ、既に勝者となっていて遊びは終わっている、あの遊びであたしに賭けた霊夢が儲けたというのだ、配当まで済んでいるならキチンと終わっているだろう。

 だというのに何故逃げるのか、何から逃げているのか、あたしが出来なかった投げずに勝つという事。それが出来た正邪にはソレは知っていてもらいたかった。

 再度口の端を舐めてから、煙管を抜いて拘束も解く。

 自由になると人の襟首ねじ込んできた。

 まだ付き合ってくれるなら、もう少し話しておこう。

 どれほど締め上げられても苦しくない、正邪のお陰でそんな身体になったのだから。

 

「もう一度問うわ、何から逃げるの?」

「お前‥‥黙れよ!! 黙ってくれよ、姫も諦めてくれていいんだよ」

 

「諦めが悪いのは針妙丸だけじゃないわね、正邪も随分諦めが悪い」

「さっきから何が言いたいんだよ! 何を言わせたいんだよ!!」

 

「わかってるなら聞かないで。それに、正邪が言う相手はあたしじゃないはずよ」

 

 握りこまれて乱れる襟元、帯も緩い前結びだからか、楽々と着乱れていくあたしの着物。着付けも出来るし撫でれば戻る、だからそれはどうでもいいが、どうした?

 返答を待っているのだから何かしら言ってこい、異変の最中針妙丸に『悪い』と言ったアレは騙して嗤う為の嘘だった、そんな風に言えば後では知らんが今だけはスッキリ出来るぞ?

 そう言いたいんじゃないのか?

 それとも、そうは言いたくないから返答出来ないのか?

 ギリリと握られる拳を眺む、合わせていた視線をこちらから逸らしてやると、着物を離して出口に向かう正邪。ボロボロの格好で何処に行くのか、わからなくもないからこっちでは世話を焼いておく。 

 

「姫はあの店にいるわ、今晩はここに泊まるから」

 

 行くなら行け、来るなら来い。

 後につけるべき飾り言葉は言わず、足早に出て行った背を見送る。

 これで行くなり来るなりすれば素直なのだが、確実に来ないと言い切れる。

 捻くれ仲間の反逆仲間だ、その辺りはわかる。

 ならとっ捕まえて会わせてやれば、とも思わなくもないが……それでは姫との約束を守りきれないのだろうな。『泣くような結果にはしない』ってのが姫との約束だ。

 今会わせれば一時は喜ぶだろうが、後々で泣くような思いをするかもしれない。そうなっては約束を守ったとあたしが思えない、それは非常に苛立たしい。口約束だが面倒な約束をしたもんだと、バッグに収まる着物を撫でてそのまま葉を取るとちょいと一服。

 窓を開けつつ煙を吐いて、胸が二度ほど膨らみ萎んだ頃、一つ思いつく。

 着物の替え袖が必要だと言われた後で、姫が袂別(べいべつ)した相手と会う。

 悪くない思いつきで、我ながら酷い皮肉だなと感じる。そうやって身から出た錆に対して、ちょっとだけ眉根を寄せながら、胸の内に湧いたモヤモヤも煙草の煙と共に外へ流した。


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