東方狸囃子   作:ほりごたつ

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EX その1  笑譜

 ミンミンとけたたましく鳴いていた蝉の声が、カナカナと鳴き始める者たちへと変わり始めた頃合い。お天道様が傾いて暮れ始め、入相の鐘代わりの蝉の声を聞きながら、人気のない神社の縁側で煙管を咥え微睡んでいる。

 スゥと吸ってはフゥと吐いて、眠たい眼の先を燻らせていく煙を見て、どうせならこんな風に宙の広がり遊び回れる便利な体で復活出来れば面白かったのにと、便利な体に成れる誰かに尻尾を取られつつ悩んでいる。

 

 きっちりと死んで一度サヨウナラした割には、くっきりはっきりとしているあたしの体。

 壁や扉をすり抜けることは出来るが、ここでよく見る鬼っ娘のように薄く広がりあちこちに散らばるなんて事は出来ないらしい。

 あの鬼っ娘は能力でそう出来るがあたしは唯の亡霊だ、いくら煙っぽい体だとしてもそこまで便利には成れなかったらしい…中途半端な成り方で口惜しいが生前を鑑みれば中途半端な方があたしらしいかもしれない。

 そんな鬼っ娘は涼を取ろうと少し前からくっついて離れてくれないでいる。

 あたしが死ぬ原因を作った伊吹の鬼っ娘のせいで霊としての平均体温よりも幾分微温くなってしまったが、これはこれで人肌の温度に近しくなっただけで、生前はこれくらい暖かかったかな?

 なんて数カ月前の事を思い出しては、卓袱台に群がるドクロ顔をした怨霊を眺めていた。 

 

 いつも静かだが、今日はいつも以上に静かな博麗神社。

 あたしと尻尾からの息遣いしか聞こえない、静かな神社の縁側で、カナカナと鳴く蝉の声を聞いて、もうすぐ涼しくなり始めるかな、なんて事を考えながら幻想郷の夏の終わりを耳で感じている。

 午前中は雲ひとつない青空で朝から暑いなと感じていたが、午後になってから急に雲が出始めて、山の端を照らしながら沈んでいくお天道様が隠れたり浮かび上がっていたりしている。 

 お天道様を隠すのはモクモクと背の高い入道雲。

 夕日に照らされてオレンジ色に見える入道雲を眺めて、終わりは近いがまだ夏なのだな、なんて耳と目で違う事を感じていると、ポツポツと神社の参道に雨の染みが出来始めた。

 

 少しずつ降り出した雨。

 ポツポツと縁側の辺りも濡らし始めたので、奥の卓袱台へと移動して、卓袱台上の何かに群がる怨霊を軽く払ってから肘をついて外を眺む。

 このまま雨に降られると帰りが面倒になりそうだ、が、多少濡れたところで好きに戻せるし、風邪を引いたり体調を崩すような事はなくなった。

 死んだお陰で夏の気温よりも随分と涼しい体温になったし、気温よりも冷たくなった。

 そんなあたしに触れていれば涼しいからか、少し前から尻尾が重い。

 重さの原因は残暑の通り雨で蒸し始める前から涼を取ろうとくっついて離れてくれない、あたしが死ぬ原因を作った伊吹の鬼っ娘。

 生前も今もくっついてくれて、あたしで涼を取っている萃香さんのせいで、霊としての平均体温よりも幾分微温くなった感じがしている今現在。

 少しばかり気持ち悪いが、それはそれで人肌に近しくなっただけだと、鬼以外は誰もいない神社の縁側で、重たい尻尾を揺らしつつ何もせずにいる。

 ちょっと前に妖怪寺の墓場で甦り、復活したというあいさつ回りを兼ねて寂れた神社に来てみたわけだが、生憎神社の主は今はおらずあたしの死因しかいなかった。

 

「死んだ後のほうが抱き心地がいいとか、相変わらずよくわからんやつだ」

「更に気に入ってもらえてなによりだけど、殺された相手に褒められるというのも中々複雑だわ」

 

 毛並みの整った愛らしい自慢の縞尻尾、それに抱きついて離れない、あたしの死亡原因に向かい素直に感想を述べてみる。

 丁度真後ろ側から尻尾を羽交い締めするように抱きついていて、嫌味混じりの返答を述べてみてもどういった表情なのか見ることは出来ないが、抱きつく四肢の締め具合は変わらず頬かどこかで擦るような感触だけが伝わってくる。

 

「自ら望んでそうなったんだ、私のせいにするなよ」

「人を自殺したみたいに言わないでよ、ついでに尻尾に顔埋めて話さないでくれる? 酒臭いよだれでもつけられたら困るわ」

 

 言った途端にピタリと止まる頬ずり、一瞬動きも止まり何か思うところでも?

 なんて考えたのだが、ただ単にあたしの言いっぷりに腹が立って動きが止まっただけらしい、一瞬の静止が過ぎてから随分と強く抱きしめられ始めるあたしの尻尾。

 愛玩するというよりもだいぶ強い締め具合で、ギリギリと痛いという程ではないが確実に萃香拓が残るであろう力加減で締め付けてくる。

 以前であれば強引に尻尾を振るい、力業で引っぺがすことしか出来なかったが今はそれ以外の方法もある。化け狸の象徴である尻尾の密度を薄めて煙のような、物理的に触れられないくらいまでやるとドスンと畳に落ちる音がする。

 振り返ると、両腕で自分の体を抱きしめている自己愛性が強く見える酔いどれ幼女が視界に入った。

 

「なんだい! 減るもんじゃなし! もうちょっといいじゃないか!」

「減るわよ? 心残りがなくなれば消えてなくなるわ」

 

「お? そういうところだけはきっちり亡霊なのか」

「こう見えてもきっちり死んでるわ。後々まで尻尾抱いていたいなら何か心残りを作らせて貰わないと、互いに困るわね」

 

 薄れさせた尻尾を再度顕現させると、先程までよりは少しだけ丁寧に尾の先やら毛並みやらを撫でる幼女の手。

 実際消えるのかなんて試すつもりもないしわからないが、亡霊としてあるのなら現世に残した心残りを消化すればいざ南無三となる…と考えていたのが、霊の先輩である水蜜や屠自古に聞く限りそうでもないようで。

 あくまでも幻想郷住まいの妖怪に限ってのようだが、単純に種族が妖獣から幽霊やら怨霊・亡霊という括りになるだけで、その状態が安定し他者にそうなのだと思われるようになった成仏する事もないらしい。

 あたしよりも長く幻想郷にいる萃香さんがそうなのだと知らないわけはないと思うが、知っていようがいまいがそんな事はどうでもいい。鬼っ娘から楽しい何かを得られそうないい機会なのだ、存分に利用させてもらおう。

 

「心残りなんてなくたってどうとでもなるだろうに」

「どうにでも出来るように、保険は色々用意しときたいのよ」

 

「死人が保険ねぇ」

 

 両の眉根を近づけつつも、ほんのり笑って頬を緩めて見せる酩酊幼女。

 死んだ後で保険を探し始めるなど滑稽すぎて笑い話にもならないと思ったが、少しの笑いは取れたようだしこれはこれでいいだろう。

 互いに軽口を言い合いながら、煙管と瓢箪という別の物を互いに口に運び吸ったり飲んだりしていると、何か考えといてやるよと言って体を霧散し始める幼女。

 霧へと変じて雨空の中へと消えていく幼女を見送り、あれでよく混ざらないなと消えていった空を見ていると、今日も霧深い川で仕事しているはずのサボリ魔が入れ替わりで視界に入ってきた。

 今時期は季節の変わり目で川渡しとして忙しくなりそうなものだが、ふらふら出歩いていていいのだろうか? 

 

「ありゃ、怨霊を潰しちまう困った仙人の様子でもと来てみれば、でっかい怨霊がいるわ」

「お迎えなら間に合ってるわ、またサボり?」

 

 でっかい怨霊などと失礼な事を言ってくる、今のあたしとは縁遠くなった楽しい友人。

 あたしの発したサボりという返答を受け、開口一番から手厳しいねと破顔して、大きな鎌をクルクルと器用に回して雨粒を切る濡れ女。

 赤い髪と青い着物、その着物の立派な胸元先から雫を垂らして片手を上げて挨拶してくる幻想郷のサボマイスター、小野塚小町。

 回していた死神の大鎌を両肩に掛けながらちんたらと歩き、博麗神社の縁側に腰掛けて少しずつ水を移し始めた。

 

「巫女もいなけりゃ仙人もいない、いたのは亡霊だけだった。こんな報告したら四季様に叱られそうだ」

「サボりもお叱りもいつもの事じゃない、何を言うのやら」

 

「そう言われちゃあ言葉もないねぇ、一人でなにやってんのさ?」

「見ればわかるでしょ? 雨やら孤独やらと現世を楽しんでるのよ」

 

 死人が現世を楽しむなんて死神に向って言うもんじゃない、と快活に笑いながら話す小町。

 怨霊だの死人だのと散々な言われようだが全部事実で、あたしの方こそ言葉もない。

 互いに輪廻の外にいて、どちらも言葉もないなんて、顔を合わせて会話しているというのに思うことはちぐはぐで少しばかり可笑しかった。

 クスクスと小さな笑い声を立てながら社務所に上がり勝手に、戸棚という名のタンスからタオルを引っ張り出す。

 今日来る時に持ち込んできたお茶請け代わりの大福の隣、テキトウに畳まれたタオルを一枚取り出してテキトウに小町に放って投げ渡した。

 

「お、気が利くねぇ。というかよく知ってるね」

「宴会で飯やら作ったりしていれば嫌でも場所を覚えるのよ、使わないなら返して」

 

「なにさ、霊夢の真似かい?」

「真似?」

 

「今の言い方、使わないなら返してってやつさ」

 

 頭やら体やらを雑に拭きつつ、雫を垂らして社務所に上がり込んでくる、川遊び出来ない川の船頭さん。

 いきなり真似なんて言われたから少し考えたが、思い返してみれば、確かにつれない言い草は霊夢っぽかったのかなと、小町の言葉に納得し大きく頷いてみせた。

 頷くあたしを見ながらタオルを首に掛けて笑みを見せる小町、タオル一枚で拭いきれるような濡れ具合ではないが、濡れて畳が痛むと文句を言われるのはあたしではないし、細かい事は気にせずに二人で卓袱台に向って座る。

 卓袱台の上で彷徨いている邪魔な怨霊をシッシと払って湯のみを置くと、ふむ、となにやら思う所がありそうな顔になる死神様。

 

「取り込んだりするかと思ったが、そうはしないか、さすがに」

「何処の誰かもわからない相手に体を許すほど安くないわ、邪魔だから払っただけよ」

 

「神社に(たむろ)する怨霊を払うのが亡霊巫女じゃあ、笑い話にもならないね」

 

 そう言いながらも笑ってくれて十分に笑い話になっていると思えるのだが、本当に何をしに来たのやら…とりあえず亡霊の巫女だと言われたのでそれらしくと、開襟シャツを脱いで脇を露わにしてみる事にした。

 それで袖があれば完璧だ、なんて再度笑みを見せる小町。

 鎖骨まで見えるホルターネックの黒インナーはここの巫女ではなく地底の橋姫譲りだと伝えると、あっちの奴らの真似もするのかと笑うことをやめずに言い放ってきた。

 何を言っても笑んでくれて、雨に濡れた体のせいで笑いの沸点も低くなっているのだろうか、このサボり魔は。

 少しばかりやり辛いので沸点を上げてもらおうと、神社の(くりや)に立ち、湯を沸かしてお茶を淹れる事にした。

 

「何から何まで悪いね、あんたん家でもないってのに」

「勝手知ったるなんとやらよ、戸棚に隠してある茶菓子でも出しておいて」

 

 あいさ、という明るい返事を背中に聞いて一人で竈の前に立つ。

 ついでに一服でもするかと、左手を煙管に手を伸ばそうとした時に、首元に小町の大鎌があてがわれる。

 何のつもりか知らないけれど、殺気やら悪意やらが全くない切っ先を向けられても、ついでに言えば物理的な脅しをされても今更効くことはないし、首が取れても多分問題ないはずだ。

 お好きにどうぞと言わんばかりに鎌を無視して煙管を燻らせると、ちょっとくらい怖がって見せておくれよと苦笑しながら言われてしまった…死人に死を恐れてくれなんて、無理を言わないで欲しい。

 

「こわいわー、死神こわいわー」

「そうやって誰かの口真似で済まされちゃ困っちまうね、それっぽく演じてくれたってバチは当たらないよ? これから四季様に報告しなきゃあならないあたいを助けると思ってさ」

 

「話が見えない上にお迎え役じゃない死神を怖がれと言われても、ねぇ?」

「ご尤もだが、それでもあたい…いや、私の事を少しは気にしてくれないと困るんだよねぇ。四季様にお前さんも見とけって言われててさ」

 

 ほんの少しだけ真面目な顔になるサボマイスター。

 映姫様からはお説教だけで済んだと思っていたが、無罪放免とはいかないわけか。それもそうか…過程をすっ飛ばして死んだくせにこうして現世でのらりくらりとしているのだから、少しくらい目を付けられたとしても致し方ないのだろう。

 監視役として小町を選んだのは、見知った相手なら油断して素を見せるかも?

 という感じだろうか、亡霊として未練タラタラなあたしだ、まかり間違えば幻想郷の今を生きる者達に対して何か悪い事をしでかす、なんて思われているのかもしれない。

 ついさっきも屯する怨霊を取り込まないのかと聞かれたし、生前の悪戯具合を知られているのだから、そう見られても仕方がないのかもしれない。

 けれど小町を怖がれというのも無理な話だ、あっちのなんといったか、なんとか言う鬼神長みたいなしつこいお人なら兎も角…仕事をサボっては一緒に飲み明かしたり甘い物に舌鼓を打ってみたりしている相手なのだ。

 もっと言わせてもらえば死神としての仕事姿なんぞ見た事がないし、映姫様のお説教から知る限り、とてもじゃないが怖がれるような相手ではない。

 しかし、多少は怖がったり気にしてあげないと映姫様に叱られるのだろうし…今更叱られたところで気にもならないのだろうが、わざわざ『私』と言い直して仕事なんだと教えてくれる親切な死神さんだ、無碍にするのもなんだかなと思うし…しかし、こわい、ねぇ。

 

「仕事熱心な小町の手助けか、今なら条件付きで怖がってあげてもいいわよ?」

「お? 何か思いついたかい?」

 

「小町と一緒に食べる大福が少し怖い、饅頭じゃないから少しだけ怖いって事にしてあげるわ」

 

 首にかけられた大鎌をすり抜けて、気にせずにお茶を淹れて卓袱台へと戻る。背中に視線を感じるが、何も言い返さずに卓袱台に置かれた紙包みを開いて、一人で大福に食らいついた。

 縁側を正面に見ながら卓袱台に腰掛けて、モチモチと咀嚼してまったりとお茶を啜る、回りで何があったとしても気にしない巫女さんのようにズズズっと啜っていると、諦めの表情で対面に座る脅してきた三途の渡し。

 

「真面目な話をしてるってのに…偶には真面目にとりあっておくれよ、怖がってもアヤメにゃ減るもんなんてないだろうに」

 

 暇を持て余すあたしが、暇を持て余す者達が登場する古典落語に乗っかって物を申してみたが、それでも諦めの悪い物言いをするこまったちゃん。

 それでも何も言わずに二つ目の大福に手を伸ばすと、それはあたいのだろうと、ペシンと手を叩かれた。

 叩かれた手をヒラヒラとしながら、無言のまま遠くを見るように目を細めて睨んであげると、怖いというより気に入らないって目つきだな、なんて大福を頬張りながら言われてしまった。

 それでも無言を押し通す、こちとりゃ死人で口がないのだ、ウマそうに大福を頬張る誰かさんに、あたしの視線の先に何がいるのか教えてあげる訳にはいかない。

 縁側を背に座る小町の背中側、茶請けの大福が危ないという勘でも働いたのか、濡れネズミとなった赤白の祝女(はふりめ)が怖い顔をして小町を見つめている事など、死人のあたしの口からは発することが出来なかった。


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