東方狸囃子   作:ほりごたつ

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第百三十六話 裏切る

 青白い顔をして、いつもは飛ばない結構な高度まで舞い上がり、流れる雲を足元に見る。

 雲間から覗く闇夜の大地を少し眺めて、広いのか狭いのかよくわからない世界だと再確認出来た。海こそないが失われた日の本の原風景に近い世界、理屈なしで良い土地だと足元に広がる幻想の大地を見て感じる。これをひっくり返すのは勿体無い、紫さんが怒るのも無理ないかもしれない、そんな事を包帯巻かれた腹を撫でつつ考えていた。

 

 朝餉に用意したお揚げさんを食べられず、切ない顔をしていたお狐さまに巻いてもらったきれいな包帯、それを強めに撫でても押してみても血の滲まなくなった腹。押しても痛くもないし触れても感覚もなくて結構困っているのだが、我を通したい放題をして我儘で強欲な自分が滅ぶにはいい機会なのかと開き直っていた。痛みがなくなったと感じた時は治ったのかと思ったがどうやらそうでもないらしい、痛いって事は生きていると思い込んでいるのに痛くないって事は…多分そういうことなのだろう。

 細かいところはわからないし考えていてもキリがないから、とりあえず動ける今をどうにか乗り切って、雷鼓の見舞いついでに永琳に任せればいいやと気楽に考えていると今晩の目的地が遠くに見えてくる。

 

 注連縄こそ巻かれていないが、我儘な名居の神の子孫が腰掛けているあれにそっくりな大地。

 とっぷりと日暮れた幻想郷の夜の中でも輝いているように見える清浄な土地、雲りも高い空に浮く幻想郷の武陵桃源『天界』が見えてきた。

 もう紫さんはついているだろうか?

 多分先に到着していて天子にお説教垂れているのだろう、以前の異変での事があって犬猿の仲のように見える二人だが既に和解は済んでいて、思っていた以上に仲はいいらしい。以前の異変で地震起こして、あの時に紫さんにボコボコにされて言葉通りに動いて許してもらえたんだったか。

 

 投我以桃、報之以李『我ニ投ズルニ桃ヲ以ッテスレバ、コレニ報ユルニ李ヲ以ッテス』

 

 それっぽいものを持ってそれらしくしてくれればそれらしく対応してあげる、そんな意味合いの言葉だった気がするが細かいところはまぁいいな。ボコボコにされた後に我儘放題にやらかしてごめんなさいと謝った天子、言葉の通り天界名物の桃を持っていって仕方がないと折れてもらったんだったか。紫さんが土下座したという事を何処かから聞きつけて、それを真似るように素直に謝り許された天子。きちんと謝れば許す寛容さを見せる妖怪の賢者、昼間も天邪鬼に対して同じように言っていたし、本当に謝れば許してくれそうだが…そうであれば楽なのだが。

 

 どうやって謝らせようかと悩んでる間に、幻想郷でも一番高い所へとたどり着いた。

 見上げても頂きの見えない妖怪のお山の更に上、雲はないのに霞んで見える幻想郷の有頂天。

 伝承で聞く霞を食べる仙人の里らしい雰囲気だけれど、外の伝承とは違って幻想郷の仙人はここにおらず下界にいて、ここに居るのは別の天上人だけのはず。いるのは死神を追っ払う我儘天人連中、連中とはいってもあたしは一人しか知らないが、その他に興味はないし聞くつもりもないからどうでもいいか、割愛しよう。

 非想非非想天の娘が住む場所らしく何処よりも高いその土地に、能力使って視線を逸らして、並び立つ桃畑の中へと消えていった。

 

 桃の木が立ち並ぶ畑を抜けると日本家屋に道教のような雰囲気が感じられる建物が増えてくる。清の国なのか、日ノ本なのか、よくわからないオリエンタルな造りを眺みながらちんたら歩いて端の方、注連縄巻かれた要石の刺さる崖の辺りで空を望む天人様が一人。

 要石に腰掛けて足組みしている似合う姿で空を見上げているようだ、こうやって静かにしていれば絵になる天上の総領娘様。そんなやんごとない我儘天人に気が付かれぬよう、視線と一緒に意識も逸らして背後から声を掛けた。

 

「絵になる姿の御嬢様、夜伽相手でも待っているの?」

「んぁ!? 誰!? ってアヤメ?」

 

 崖下の空を見ているような少し丸めた背に向かい声をかけると、大袈裟に跳ねる総領娘様。

 言葉を受けて立ち上がりかけるのを抑えるように肩に両手を乗せて、そのまま背から抱きついて暇人天人の肩から顔を生やす。

 そのまま視線の先を辿ってみると雲間の間に見える幻想の地図。人里や妖怪のお山辺りが明るく灯るのが見えて、こうやって景色を見るのもいいものだと感嘆の息を吐いていると、頭を置いた肩が動いた。

 

「こっちに来るなんて珍しい事もあんのね、何しに来たの? ていうかいつからいたのよ?」

「今さっきよ、天子に言われた通り煙らしく高い所に上ってみただけ。そう言えば紫さんなんて来てない?」

 

 姿勢は変えずに煙管咥えて言った通りに煙を立ち上らせた、桃の飾りの付いた帽子が斜め上に傾いてそういやそんな事言ったかもと、視線を上げたままに呟く天子。

 言われたこっちからすれば珍しくいい事を言ってくれたと、少しだけ感銘を受けて感心もしたのに覚えていないのか、少し苛つき肩にのせた顎を強めに揺らすがこの程度の嫌がらせでは感じないらしい。頑丈だけど柔らかい、確かに天子の言う通りの体だと少し沈んだ顎先で感じていると、沈む顎を気にもとめない頑丈娘が紫ならもう来て帰ったと教えてくれた。

  

「昼間のうちに来たわ、私に説教なんてしてくれてあの覗き魔」

「昼間? 夜に遊びまわるって聞いて来たんだけど、謀られたのかしら?」

 

「また来るんじゃないの? 天邪鬼も近くにいるみたいだし」

「近くにいるのが分かってるのに構いに行かないのね、紫さんにお説教されたんじゃないの?」

 

 もう行ってやられた後よ、と言いながら帽子を脱いで腿に置き、飾りについた桃を眺める天子。

 退屈大嫌いな御嬢様だからこの遊びにも乗り気かと思っていたが、そういうわけでもないらしい。

 

「やられたという割に怪我も汚れてもいないのね」

「ちょろっと構って帰ってきただけだしね。そもそも乗り気じゃないのよ、これって紫の気紛れが始まりでしょ? 気紛れに振り回されてやるほど私は安くないの、寧ろ暇潰しが長く続いた方がいいわ」

 

 なるほど、腰が重い連中は腰が重いままだって事もある、そんなところか、それならば都合がいい。

 我儘さだけが目立つ放蕩娘に思えるが、荒事のない退屈な天界生活に不満タラタラで、暇潰しに神社を倒壊させて巫女を釣り出すくらいの聡明さも持ち合わせている天人様。

 

「ご褒美出るのにそれはいいの?」

「言ったでしょ、退屈しのぎが続けばいいって『褒美として天邪鬼を逃がせ』なんてのは駄目みたいだし。捕まえるより見てた方が暇潰しにはいいわ」

 

「そう、他の連中に捕まったら終わりになりそうだけど…天子が動かないならそれはそれで都合がいいし、いいか」

「他のも多分捕まえる気なんてないんじゃない? ご褒美欲しければ初日から追いかけ回してるでしょ」

 

 それもそうかとクスリと笑むと、あんたもやる気ないじゃないなんて言って淑やかに笑う比那名居の娘。

 こう見えてもご褒美狙いなのだがそれは内緒のままでいいだろう、変に話して勘ぐられると面倒臭いし、捕まえて暇潰しを終わらせる腹積もりがあると教えるとあたしが天子に捕まりそうだ。

 

「暇ならちょっと目覚ましになってくれない? 紫さんが来るようなら起こして」

「わざわざ来たのに寝るの? ていうか顔、青白いけど調子悪いの?」

 

「ちょっと貧血ってだけよ、気圧も低いから余計に具合が悪いだけ」

「貧血なら家で寝てたらいいのに」

 

「人肌恋しいから嫌、目覚ましついでに添い寝してくれてもいいのよ?」

 

 青々とした芝のような草原が広がる地面に横になり、涅槃に入るような姿勢でこっちへ来いと地を叩く。抱きまくらになれと仕草で促すが、惚気と嫌味を同時に言ってないで早く寝ろと、要石に腰掛けたままでつれない返事を放ってくる目覚まし天人。

 添い寝は断られたが起こして欲しいって方は断られていないし、とりあえず寝るかね、紫さんの捕物中に全力で横槍投げ入れられるよう体力を残しておきたい。

 

~少女仮眠中~

 

 結構強めに肩を押し動かされて目覚める。

 目覚めてみると視界いっぱいに広がる金色のもふもふが広がっている、いつの間にか尻尾を九本も生やしたらしい…んなわけあるかと寝起きの自分にツッコミを入れて空を眺めると、視界の先には酷い景色が広がっていた。

 青い花と赤い花に見立てた弾幕が、周囲一帯をそっくり囲んでまるで逃げ場のない結界として広がっている、空として見える部分よりも胡散臭い妖気を帯びた弾のほうが面積あるんじゃないかという地獄絵図。

 

「起こせと言うから起こしたのに、礼もなしか? 甘えん坊」

 

 ぽかんと口を開けて空を見上げていると、枕代わりのもふもふが生えている根本の方から聞き慣れた誰かさんの声がした。願わなくとも甘やかしてくる側から甘えん坊と言われても困るが、実際甘えっぱなしで立つ瀬がないし、そこは聞き流して嫌味を交えて礼を述べる。

 

「はいはい、藍お姉ちゃんありがと。それで、早速だけどあいつはまだ生きてる?」

 

 少しだけ甘えたような高めに作った声で礼を述べてみたが反応はない、甘えろというから甘えたのに何だというのか。述べた礼は無視してくれて、あっちこっちで花弁を開いては散らしていく弾幕結界を静かに眺め始めた藍。

 こちらの問いかけに対して態度で答えてくれて、頭の回転が早いお守役で助かる。主大好きなこいつが空を眺め続けているって事はまだ正邪は顕在なのだろうし、このままもう少し見上げているか。

 

「余計な事をするな」

「何の話?」

 

 幻想郷の夜空を埋めていく、誰かさんの突破不可能に見える弾幕結界を見上げなら、二人とも互いの顔を見ずに世間話。余計な事とは何に対してだろうか、主が見ていて知っているならこいつも殆どを知っているのだろうが、どれをするなと言うのだろうか?

 紫さんの邪魔をするな?

 正邪に肩入れするな?

それとも何もするな? 

 

「何かするようなら足止めせよとの仰せだ、紫様が捕らえるか…万一天邪鬼が逃げるかするまで何もするな」

「足止めね。外の時でも白玉楼でも、藍に本気で止められた覚えがないわ」

 

 見上げる先の結界の形が変わっていく、二色の花を思わせる弾幕結界から紫さんを中心にして開花する一輪の、大輪の花のように広がりどこもかしこも埋め尽くしていく弾幕の結界。

 スキマ大好きな可愛い妖怪さんのくせに放つ弾幕には隙間が全くない、ボロッボロになった自前の布を纏ってどうにか掻い潜っていく正邪だが、紫さんが軽く指を動かすと布が端からほつれて糸へと戻って消えていく。

 縫製の堺目?

 物としての境目? 

 そんな辺りを弄ったようで天邪鬼の体からハラハラと散って落ちていく糸、はたて柄の大きな布からヤマメの紡ぐ糸のような物に成り果てていくのを見上げていると、スキマ妖怪の折り畳み傘を取り出して力尽くで逃げ出す正邪。

 ボロボロな身形で対峙する相手の愛用品を使うなど悪手だが、その傘も骨が折れていて二度ほど開いて逃げた後にいきなり錆びて鉄くずと化していった。

 自前の物も失って頼れる盗品も破壊された天邪鬼、表情こそ小生意気なままだが焦りは隠せないようだ、あの顔から察すると手札はもうないのだろう。

 それならそろそろ横槍の入れ時か?

 手遅れになっても嫌だし、まだ元気に逃げ回っている内に顔を出しに…そう考えながら少し浮くと、スルッと左足と左腕に二本ずつ尾が巻かれる。

 二の腕と膝辺りで強く締まる金色の尾に引かれて強引に引き戻された、浮いて何かをする動きを見せたあたしを物理的に足止めする事にしたらしい、本気で止められたことがないなんて軽口吐くんじゃなかったかね?

 

「ちょっと飛んだだけで捕まえる事はないでしょ、離してくれない?」

「主の邪魔をしに行く、そう顔に書いてある者を逃すと思うか? 顔色に出るくらい血が足らんのだろう? それなら大人しくしておけ」

 

「幼女の拳くらいで終わるほど…」

「塞がらない傷と流れない血、天邪鬼と遊ぶなどと言ったらしいが動けるようには見えんな。紫様は止めてもきかないだろうと仰っていたが…こうして近くで見ている事は許されたのだ、甘えん坊らしく紫様の気遣いに甘えておけ」

 

「甘えっぱなしではつまらない、笑えないから断るわ」

 

 指摘された腹を撫でて、着替えた白の着物を綺麗な状態に戻す。

 自分でも何故かわからないが治りの悪い拳の跡、大昔にこの拳で死にかけたと体が記憶しているから少しも良くならないのだろうか?

 定命の者であれば多少の傷は放っておけば治るらしいが、精神面に強く引っ張られる歪な妖怪さんになってから、思い込みってやつに強く依存している自分。

 大概は迷わない為に思い込んだり、嘲笑う為に思い込んだりしているが、死ぬってのは強い記憶で二度と味わいたくないと頭の中に強く刷り込まれている‥だから治らないのかもしれない。萃香さんじゃなくて勇儀姐さんにしておけばよかったのか?

 どっちでも大差ないか、あっちもあっちでよくわからない怪力乱神だった。どちらもあたしの思惑以上の事をしてくれて、これだからお山で嫌われて厄介者扱いされるのだ。

 藍の指摘通り遊べるほど元気ではないが、鬼に対して自分を騙した、なら元気に動いて見せないと嘘を付く事になるしだますなら騙し切るのが化け狸としての矜持だ。

 死んでも曲げない矜持を示し続ける偉大な反逆者に顔を合わせるのだから、何を使っても笑い続けるというあたしの矜持も曲げる訳にはいかない。

 針妙丸との約束もあるが今はそっちがついでだ、自分の願いをモドキにして誤魔化すのはやめろというご神託も頂戴した、このまま引けば甘い顔してくれた神様に合わせる顔もない…

 のだけれど、足も腕はもふもふに巻かれて止められているし、どうするか?

 一緒に行けば、なんて詭弁が通じる空気でもなし…

 いいか、足はそのまま止めておいてもらおう。

 これから空を飛ぶのだし、あろうがなかろうが大差ない。

 

 煙管咥えていつもの様に煙を纏う、何のつもりかと問われたが唯の一服だと言い切って吐いた煙を腹に溜める。ポカリと空いた拳サイズの穴に貯めこんで、昨晩の、殴り抜かれる前を思い出すように穴を埋め腹を括って自分を誤魔化す。

 ついでに白い着物に飛ばないように左の腿の付け根辺りまで煙を広げて準備は完了、金色の尾に巻かれたまま少し浮いて強く捕らえられていることを確認して、腿に手を当て妖気を流す。

 宛てがった手の平にほんの少し力を込めて腿を破裂させ、そのまま自身の飛ぶ力と尾の引いてくる力を利用し引きちぎった。

 破裂させて断ち切れなかった部分も残っていたがブチブチと音がするだけでさして血も流れない、引きちぎった割にはスルッと剥がれてくれて気持ち悪いが今はいい、少しの痛みと同時にそこを気にする意識も逸らして無視をする。

 思っていた以上に血が飛ばず、これでは煙を纏わせた意味がない、なんて思ったが腹から出血しすぎたから既に残りはないのかと納得した。

 冷静に考えれば藍が言うように危ない状態なのだとは思うが、霧やら煙に血はないし問題はないだろう…なくなっても動けるのはこっちのお陰かね?

 まぁいいか、もうすぐ終わるだろうしどうでもいい。

 

「遊んでくるから、大事に抱えて足止めしておいてよ」

 

 藍の顔も見ずに言い切って左腕も肩から煙管で切り飛ばす、引かれていた尾から解かれて勢い付いてそのまますぐにその場を離れようと飛ぶが、体に巻かれていなかった残りの尾で移動先が塞がれる、無意味だとわかっていながらこうして邪魔してくれるのはありがたいが…気が付かないふりをして尾を逸らす。

 勢い良く向かっては豪快にあちこちへと逸れて奔っていく金色の尾を横目に見ながら、足と九尾に手を振り別れを告げ、身を入れる隙間のない弾幕結界を逸らして歪めて結界の中へと体を滑らせた。

 

 全周囲を埋め尽くす弾幕の結界の中を真っ直ぐに進む途中、慣れない右手で煙管支えて多めの煙を吐き出して、本気で妖気を込めて煙を左腕に化かす。

 ばれない程度に動くか確認してから弾幕を逸らし結界を歪ませ進む道を広げていくと、結界の中心地に二人の姿を見つけられた。

 360度何処を見ても殺気しかない結界の中、で対峙する二人。逃げ場こそないが諦めは見せずに抗い続けるという気迫を顔に表した天邪鬼と、いつもの様に扇子で顔を隠して表情を悟らせない妖怪の賢者。

 自身の展開する結界が歪んでいる事に気がついたのか、こちらを見てあたしと視線を重ねながら正邪に向かい右手を伸ばす紫さん。正邪の胸元で結ってある逆さまリボンに右手が届くくらいになってから方向が逸れて空を握った。

 目の前で空を握った紫さんの右手を見て扇子を睨む正邪だが、正面にいる大妖怪の瞳が自分を見ていない事に気がついて、紫さんと同じようにこちらを見上げてきた。

 散々罵ってやったあたしを見るには力のない瞳に思える、音は逸らしていないのにいつもの罵ってくれる声も聞こえない。

 何かしらはあるのだろうが逃げ場はないし放っておいてもいいだろう、静かな正邪はとりあえず放っておいてまずはご挨拶から始めよう。

 

「派手な結界敷いちゃって楽しそうね、紫さん。下で見ていろって言うけれど、可愛いお姿が見えないから来ちゃったわ」

「藍ったらまた取り逃がして、足止めをお願いしていたのだけれど」

 

「叱っては駄目よ? 今も足止めしてくれてるわ、いつも忠実で妬ましいわ」

 

 着物の裾を摘んでチラリと見せる、本来生えているはずのものはありません、下で待つ従者に預けてきたと扇子の奥の顔に知らせた。

 それでも扇子は下げられないので昼間のように開く方向を強く逸らして、縦に開かせ強引に割ってやった。ほんの一瞬だけ目の光が揺れたのが確認できた、結構な無理をしたからまた窘められるかと思ったが何も言われない。

  

「貴女…また無茶をして」

「あたしも遊ぶと言ったでしょ? それなのに眼前でお預けしようとするから駄々をこねたのよ、紫さんが悪いんだわ。これから正邪と遊ぶから邪魔しないで」

 

 名を呼ぶと赤い前髪揺らして俯く天邪鬼、頭から生やした一枚舌だけではなくもう一枚はどうしたのか?

 近寄る度に張られる弾幕結界やら隙間やらを全て逸らして横に並ぶと、歯を噛み締めて強く睨みつけてくる。態度だけで言葉はどうしたのか、訪ねても答えがない。

 いつもなら‥と思った頃にスキマの小さな笑い声が聞こえた、悪戯をした時に聞ける声で、聞き慣れている好ましいその声、お陰で何がどうなっているのか理解することが出来た。

 強く噛んでいる正邪の顎をとっ捕まえて、強引に両手でこじ開けると根本辺りでスキマに断たれている短いもう一枚が見えた。

 これはまたやり口が素敵だ、あたしの好みで堪らないが気に入らない。

 謝ってくれれば終わり、ではなかったのか?

 

「これではごめんなさいって言えないわね、狡いわ、紫さん」

「あってもなくても言わないのならいらないでしょう? それで何をお願いするの、以前の条件の内ならなんでもよくってよ」

 

「願う?」

 

 捕まえたのでしょう? そう言いながらあたしの両手に向かい指をさす狡い妖怪さん。

 なるほど確かに捕まえていた…遊んでいるうちに煙に巻いてどうにか逃すつもりが自分で捕まえるハメになるとは、考えなしに動くもんじゃないなと愚痴る。

 どうしたものかと少し悩む、両手の指突っ込まれたまま抵抗なく口を開いた正邪と目が合うと視線を逸らされた、こうしている間に逃げればいいのに何故逃げないのか…逃げられる状況ではないか、それならばソレを願おう。

 

「確認だけど、正邪をどうにかするってのはナシなのよね?」

 

「ええ、それはダメね。それ以外なら‥」

「ならこれまで通り甘やかしてもらって好きにするわ、このお願いは叶えてもらえる?」

 

 胡散臭いスキマ妖怪と同じ笑み、心から意地悪く笑んでご褒美をねだると手間がなくて助かるなんて言ってくれてありがたい。

 それなら早速一つ甘やかしてもらおうか。

 

 

「じゃあまずはこいつの舌、戻させてもらうわ。ちょっとお話したい事もあるし」

 

 何かを言いながら逸らした口内のスキマを閉じていく妖怪の賢者、口をパクパクとさせながら目を細めてお小言を言っているらしいが、向けられる音は逸らしていて何も聞こえない。昼間弄ってくれた意地悪な意趣返し、気に入ってくれたならありがたい。

 紫さんに対して舌を出しているあたしの姿を見て何かを言いかけて咳き込む天邪鬼。

 自分の口に指を突っ込んで確認しては大袈裟にむせたが、むせて声が出た事で二枚舌が復活したと確認できたらしい。

 気分はどうかと問掛けてみても返答がなくてつまらないが、それどころではないようだ、どうやらあたしが紫さんに反逆したのが信じられないらしい。

 

「ありがとう、くらい聞きたいわね。それとも礼儀を反逆させているから今のような態度なの?」

 

 嫌味を言っても反応なし、誰の為に土壇場で抗ってやったのか教えてやりたくて言ってやったのに、反応してくれないのでは言い損で困る。

 スキマ逸らして戻してやったのに礼どころか何の言葉も発さない口達者なはずの小者。何か言う事はないのか?

 正邪の襟首掴んで持ち上げ問いかけるが、それでも顔を背け続けて反逆してくる正邪。

 得意の舌を封じられてもスキマ相手に抗っていた先ほどの気概は何処にいったのだろうか?

 あたしに対しては反逆する姿勢を見せない稀代の反逆者、抗うのか諦めるのか、あたしみたいで中途半端で気に入らない。

 

「今になって抗うなど何を考…今度は何が狙いだ、目の前で八雲に逆らってどうな…」

「心配してくれるなんてどうしたの? あぁ、これが『つんでれ』ってやつなのかしら? その舌先みたいにツンツンしてるけど態度悪く気遣いを見せてくれて、やっぱり可愛いわ」

 

 掴んだ体を思い切り寄せて頬を舐める、ブルっと震えて袖で拭くと唾液に混ざって薄くなった血に気がつかれた。眉間を潜められたがこんな状態だとわかるように下瞼を指で下げて真っ白な瞼の裏を見せると更に眉間の彫りが深くなった。

 少々強引だがとりあえずこれでいい、あたしを見てくる時のいつもの表情に戻してやる事には成功したのだから。

 

「なんだよ、お前も死にかけじゃないか。そんな状態で八雲に抗って私と一緒でここで終わりだな!」

「残念ながら正邪とは憎まれ続ける年季が違うの、約束もあるし終われないのよね」

 

「あ゛? 反逆して後がないのは一緒だろう?」

「馬鹿ね、これは遊びだと聞いているでしょう? 遊びで一回負けたくらいで何を大袈裟に言うのよ、その為に…」 

 

 途中で言葉に詰まると本当に何なんだと問掛けられる、中々どうして憎まれ役が素直になるというのも難しい。

 けれど時間もない、逸らし続けているはずのスキマの囲い込みが狭まってきている気がする。腹に溜めた煙のお陰でもうしばらくは持つだろうが、煙が抜ければ萎んで落ちそうだ。

 風船ならまた膨らませればいいのだろうが、そこまで都合良くはないだろうし…余裕もないし頭が回っている今のうちに正邪に策を授けるとしよう、全てわかりきって偉そうにふんぞり反る幻想郷の天辺をコケにする屁理屈を一緒にこねないかと誘う。

 

「一人にしないであげてという針妙丸の願い、それを叶えるついでにこの遊びに勝ってみない? 更についでで紫さんを小馬鹿にさせてあげるわ」

「姫は…いや、それより勝ちだ? 謝れば終わりってやつか? 頭を下げて負けを認めろってのか!」

 

「正邪はなんなの? 天邪鬼なのでしょう? いつも通りに言い切ればそれで済むでしょうに、やっぱり馬鹿なのね」

 

「そんな詭弁が通じるわけが‥」

「通してあげるわ、あたしが通して甘やかしてあげる、最後に貴女以上の我の強さを見せてあげるわ」

 

 言い切ってから意地悪く口角を上げてやると、あたし以上に口角を歪める正邪。

 それでこそ反逆者だ、良い気概を見せてくれたしあたしも最後に格好良い所を見せておこう、忘れられないくらいの物を見せておけば多分消えずに済むだろう…分の悪い賭けだがいつもの事だ、気にしない。

 嗤うあたし達から何かを察したのか、あたしと正邪に向かって盛大に口を開け始める気色悪いスキマ。あちこちでパクリと空が裂けて、止まれやら一時停止と書かれた槍? のような何か、よくわからない何かが生えてくるが全て逸らしてそのまま笑む。

 金属製の槍に似た何かを逸らしている中で、正邪の大嫌いな笑みを浮かべて襟首掴んで持ち上げたまま頬を張る、逸れる何かに目を奪われる位ならこっちを見ておけと笑んだまま伝えると反抗的な瞳で見つめられて心地よい。

 強者として見てくれたのだからそれらしく態度で示す、声を上げて笑っていると一段と大きなスキマが眼前で開いた。

 プァーンという鳴き声のような何かを響かせながら、デカイスキマから這い出てくる十数匹の巨大な鉄の蛇。

 軋む音と空を奔る轟音を立てながら迫ってくるそれらに対して、正邪と並んで正面を切る、全力全開で鉄の蛇が奔る金属製のレールを逸らし歪めてボロボロと落とした。

 蛇が消えて静かになった後に横の正邪をちら見すると片眉上げて見上げてきた、紫さんには悪いがこの程度なんちゃない。

 

「お前、口だけじゃなかったのか」

「やっぱり見る目がないのね、口で済むなら口だけで済ますのがあたしよ? やる時にだけやればいいのよ」

 

「出し惜しみしやがって。最初からそうだ、嫌がらせしてやっても意に介さず…誘いには乗らないくせにいらん時に来やがって! 甘やかすなどと押し付けてきやがって! 本当に目障りだ!」

「目障りってのはありがたいわ…お陰でなんとかなりそうね」

 

「あぁ゛ん? 何を言って…」

「こっちの話よ、とりあえずそれは忘れなさいな。甘えるのが嫌なら利用しなさい、あたしに言った言葉を忘れたとは言わせないわ」

 

「どんな手を使っても、生き残ったもんが勝ち…いいさ、使ってやるよ。うまく使われてみせろ、囃子方アヤメ」

「それでいい、うまく利用しなさい鬼人正邪。うまく使ってくれたならご褒美もあげるわ」

 

 よく見る下卑た笑みで見つめて名を呼んでくる反逆者、名で呼ばれるくらいに記憶してくれたのなら都合がいい。

 こっちはこっちでその思いを利用しよう、後はこの場を乗り切れば…と考えた辺りで一瞬意識が薄れて能力を解いてしまう、全力全開で格好つけたのがまずかったか?

 まぁいい、今更残して意味もないし手遅れだろう。

 

 ほんの一瞬だけ隙だらけになったところを狙われて正邪と纏めて囚われ、足首から下を隙間に挟まれて空中で足を取られた。

 が、これもこれで問題はない、いいたい事は言ったつもりだ、後は口でやり込む。

 掴みあげていた正邪の襟首から手を離してさっさと始めろと手で払い促す、離してやると紫さんに向かって今まで見てきた中で一番の笑みを見せた正邪。

 片方の口角だけを上げ切って舌を出したのを見てから、あたしも心からの嫌がらせを開始した。

 

「おい、スキマババァ。可愛がっている狸に裏切られた気分はどうだ!? お前より私を取ったこいつをどうするんだ? 私と一緒にココで首でも撥ねて終わらせるか? 散々甘やかしてやったのにそれが出来るか!? 出来るならやってみせろよ!」 

 

「なんのつもりかしら? アヤメ?」

「何って『好きにした』だけよ? 気に入った正邪を甘やかすだけ、可愛い妖怪さんがあたしにしてくれているようにね」

 

 隣に習い舌を出す。

 甘やかしてもらっておいて恩を仇で返すようだが、これが遊びならあたしのこれもただの反逆ごっこだ。それがわかっているから、さっさと首を撥ねずに会話に興じているんだろう。

 逃げ役について歯向かったというのにそれでも甘やかしてくれて、ありがたすぎて迷惑だ。敵役になったのだからそれらしく接して欲しい、穏やかに笑んでくれて、そんな顔は後ろに控えた愛しい式にだけ向けていればいい…今は。

 とりあえず話を先に進めてくれないと何も出来ないので煙管咥えて一服する、穴開きの腹と切り飛ばした足に煙を補充しつつ待っていると、胡散臭い笑みの方が口を動かし始めた。

 

「アヤメは後で話があります、それでお話し合いでどうなったのかしら? ごめんなさいをする気になった? 鬼人正邪」

「お前に下げる頭なんかないな! 我が名は正邪! 生まれ持ってのアマノジャクだ! お前なんかに謝る舌は持たない!」

 

 表情も変えずに紫さんに向かって言い切った天邪鬼、よくぞ言ったと拍手で賞賛するとチラリとこっちを見てくる反逆の瞳。

 後は任せろと伝えるように、ウインクすると片眉だけ上げて困惑してくれる、いいから何も言わずに見ていればいい。

 煙草を吸い切って煙管を正邪のリボンに挿す、うまくやったご褒美を渡して正邪の足を捉えている隙間を逸らし歪ませた、足が出るくらい歪んだところでさっさと逃げろと尻をはたく。

 押された方向にゆっくり飛んで振り返るが手で払って消えろと促した、小さく舌打ちしてから親指を下に向けて首を掻っ切ってから全力で飛んでいく正邪の背を見送る。

 飛び去る途中正邪の周囲に浮かぶ全てのスキマからの干渉を逸らして続けてやると、今日の追撃は諦めたらしくほんの少しだけ肩を落とした紫さん。妖怪の賢者がガッカリする仕草などそう見れない、良い物が見られたと心から笑えた。

 さて、今だけは逃がしてやれたが今後はどうだろうか、その辺りの事をこじつけつつ話しておくか。話せる内に話しておかないと酷く後悔しそうだ、後のために遺しておきたい心ではあるが、正邪を逃せないのではちと困る。

 

「正邪は謝ったのに手を出すなんてどういう事かしら? 捻くれ者の紫さんならあれで謝っているとわかるでしょう?」

「天邪鬼らしい謝罪だと言いたいの?」

 

 下げる頭はないと言い切り、謝る舌は持っていないとも言い切った逆さま大好き天邪鬼、ひっくり返して言葉を聞けば頭を下げて謝った、とは聞こえないだろうか?

 聞こえないな、ちょっと苦しすぎる。屁理屈にもならないが後はどうにかしてやると見栄を切ってしまったし、どうにかしよう。

 策もないし素直にお願いしよう、何かを考えられるほど頭の方も回らない。

 

「その通り、話が早くて助かるわ、お陰で無駄口叩かなくて済むもの」

「それで納得しろというのは無理があるわね」

 

「そうよね、あたしもそう思うわ。でもあたしはそうしたいのよ、それでも駄目で追いかけるというのなら明日以降にして頂戴、一日くらい格好つけたいわ」 

 

 足と腹に纏わせた煙を掻き消す、後は運に任すだけ。

 死にはするだろうが多分消えはしないはず、正邪の脳裏にあたしの姿を焼きつかせる事が出来たし他にも心残りを残している。針妙丸との約束は果たせたが雷鼓や輝夜との約束もあるし、さとりの背中を流すという約束も勇儀姐さんに雷鼓を自慢するという約束もある。

 文の妹烏が人型になった姿も見たいし永琳に借りっぱなしで踏み倒すのも癪だ、阿求が忘れるはずがないだろうし、姐さんに甘やかしてもらいたい…他にもぬえちゃんやらフランやら、霊夢にも気に入られたしこのまま消えるには惜しい事ばかりだ。

 思い返せばキリがないというくらいに未練しかなくて安心出来る、未練一つでどうにかなるとは思っていないが…多分大丈夫だろう、死んでも腹ペコな先人がいるし肉体なくともどうにかなるだろう。

 それに、今更騒いだところで六日の菖蒲十日の菊ってやつだ。

 

「お願いついでにもう一つ、藍に預けた足は霧深い日にでも燃やして頂戴。多分これが最後のお願いよ?」

「多分最後というのは…アヤメ? 貴女薄れて?」

 

 思いに耽っている間に少しずつ薄まり末端から霧散していく手やら服やら、外で消えかけた時と同じように少しずつ散っていく体を眺めていると、取り囲むように隙間が開く。

 初めて見る焦ったような顔が面白くて、もう少し見ていたいと思い開かれた隙間を逸らす。

 何か言っているが耳は既に掻き消えて聞こえないからわからない、この感じならもうすぐ瞳も消えるだろう‥最後に拝むのが焦り顔だというのが少し癪だが姫を泣かした罰だ、大いに焦ってくれ…その方が嬉しい。

 頭の半分が消えた頃一つ思い付く、あたしの代名詞である口が消える前に得意の軽口でも言っておこうという思いつき。

 頭なくしてから思い付くというのも結構な皮肉だが、自分らしくていいなと何も考えずに言葉を吐いた。

 

「多分よ多分。また会いましょ、紫」




次回で一旦の最終回となります。

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