洗い桶に浸かった三つ湯のみと食器を洗いながら、今年も水仕事が厳しい季節になって来たなと肌で感じる今朝の水温、ボロ屋と呼んでもそう間違いではない我が家の中で、唯一の文明の利器である水道の蛇口を捻り秋の終わりを感じる。
設置されるまでの以前は毎日水瓶を持って妖怪のお山へと汲みに行ったが、そのお山に大地を創造できる見知った神様が引っ越してきてくれて、敬虔なる信仰心と愛と共に我が家にも蛇口くれと強く願ってみたら付けてくれたこれ。どんな原理で水が出るのかわからないが、神の御業に原理など考えるだけ無意味だろう。細かいことは気にしない、おかげで風呂も料理も洗濯も随分と楽になったし文明の御力万々歳だ。
先日人里を訪れた時に追加で買った新しい湯のみ、今洗ったこれで七個目になるのかね、さすがに一人住まいの小さな食器棚では苦しくなってきた、一棚全てを湯のみで埋めそうになっている食器棚に目をやり、少し整理するかと悩む。
けれど悩んだだけで実行はしなかった、季節は秋の終わりでもうすぐ冬だ。それなら年末の大掃除にでも一緒にやればいいかと思い直して、湯のみを水切り用の網籠に逆さに並べた、火を入れて周囲だけを暖かくしてくれている、いつも通り少しの煙を上げている火鉢に冷えた手を当てながら出しっぱなしの新しい布団を見る。
起きたならしまえばいいのにと、朝餉を済ませて卓で頬杖付いている同居人を無言で小突いた、布団を見ながら小突かれて察したのだろう、食器棚に同じく手狭な押入れの下段に新しい布団をしまう赤い頭の名ドラマー。
この布団も人里で買い足したもの、いたりいなかったりする同居人だから布団まで気にしていなかったが寝床では丸くなるあたしの癖が邪魔をして、一緒に寝ていると外に放り出されて寒いらしく付喪神が自分で買い足していた。文句は言わず別の方法を考えて実践する行動力は見習うべきだが、それなら寒い時期ぐらい帰ればいいのに。
あたしに促されなければ万年床になるかもしれない布団、以前の自分と同じように万年床になってしまいそうな同居人の布団が渋々しまわれていく様を見て思う。
九十九神の隣に座り楊枝咥えて腹ごなし中の意地悪な、けれど少しだけ関心する素振りを見せる妖怪兎詐欺に意識させられた生活改善が、今の自分ならそれなりには出来ているんじゃないかと小さく自覚できてほんの少し心地よかった。
この年配兎と付喪神、今日が初顔合わせかと思ったらそうでもないらしい。
先日朝帰りしてきた時に我が家で顔を合わせたそうだ、家の主がいない中で二人顔を合わせてお茶を啜ったらしいが何を話していたのやら。
二人に聞いてみたが教えてくれる事はなかったけれど、こっちが臆病な方の兎なのねと綺麗に騙されている雷鼓を見て色々と察することは出来た。
兎詐欺にやられる名ドラマー、敏い割には案外チョロいのかもしれない。
そういえばあたしにも新しい布団が届いた、サイズはそれほど大きくないが包まればぬくぬくで、嗅げば妖怪のお山らしい自然の香りと少しのインクの混ざるとても心落ち着く匂いの布団。
約束通りに間に合わせてやったわと、ふんぞり反る誰かのシャツと似た柄の白地に茶や赤の紅葉柄が差し色になっている『瞬黒の包布』
『大』が抜け落ちているが、さすがに一人分では無理だったと正直に話してくれた為そこは折れた、同僚や他の烏天狗のモノを混ぜてでかく作るよりも混ざりっけなし100%だと言い切ってくれている気持ちの方が嬉しく、素直に受け取り折れる事が出来た。
とりあえず住まいの変化はこの位として、今日も今日とて人里へでも顔を出そう。
以前に訪れて気に入った楽譜があったらしくてその写しが今日あたり刷り上がるらしい、一人で受け取りに行けばいいと言ってみたがあそこの店主は五月蝿くて苦手らしい‥おまえのドラムのほうが煩いと思うのはあたしだけかね。
まぁいいか、家にいても暇だし久々に着物羽織って出かけましょう。
緋襦袢羽織って真っ白な着物に袖を通し、細帯で締めて少し肩口を広げる、懐かしいと言うほど時間は経っていないのだが、何故か手間取り着付けるのに一度帯紐を解けさせてしまった。
慣れない物を着るからだと笑われたがこっちの方が着慣れていると言い返すと、雅な姿もいいなと褒めてくれた。間ってのを覚えたらしい。理解したという言葉は嘘じゃなかったのかと笑むとドヤ顔で見返された、聡明なのかお調子者なのか、物上がりの気持ちはよくわからない。
着替えも済んだしそろそろ出るか、出来れば明るい内に里を歩きたい。
出かけついでに今晩のおかずになるような物も仕入れたかったから。
~少女移動中~
雷鼓が来てから移動は飛行、それでも自分で飛ぶことはなく雷鼓のバスドラムに腰掛けて優雅に煙を引いてまったり飛んでいることばかり。自分で飛べるのだからそうしてくれと最初のうちは文句を言われたが、千年以上も鼓に肩を貸してきたのだから、長く身内を載せてきた代わりにこっちには乗せろと言い切ると納得していない顔で納得して見せてくれた。
太鼓らしく奏者には弱くて助かる。
今日は真っ直ぐ鈴奈庵、注文したものを取りに来ただけだし代金は既に支払い済みだ、要らぬ袖の下など必要ない。店の前に降り立ち暖簾を潜ると先客と話す店主が見える、あの人もあの人で今日も暇しているようだ、雁首2つ並べて何かの本を見つめている一人と一匹。
眺めているのは空白のページに見えるが、ああするとなにかおもしろい読み物にでも見えるのかね、少し訪ねてみるとしよう。
「なんて書いてあるの? ウマイ騙しや儲け話?」
「また違う女連れか、そのうち誰かに刺されても儂は知らんぞ?」
「モテ期真っ最中なのよ、体が足りなくて困りもの」
「なんとでも言うとええわぃ、桃色頭に赤頭ときて次は何色じゃ?茶か?黒かのぅ?」
「いらっしゃいませ、楽譜の写しですよね? 今用意しますね」
「よろしく店主さん、赤頭って私の事か…アヤメさん、この『人間』は?」
「この『人間』はあたしの鼓の先生よ、後で正しく紹介するわ」
「中々気の利く太鼓じゃな、詳しくは後でな‥‥とりあえずこっちの本をどうにかせんとならん」
元和太鼓のカンなのか力ある妖怪としてのカンなのか、何かから気がついているようだが尻尾も耳もない状態の姐さんを見て『人間』と問いかけてきた雷鼓、こういう面では聡くて話が早い、おかげで変にかばわずに済んで助かる。姐さんもドラムセットは一式外で浮いていて見えないというのにすぐわかるものなのかね、あたしより長くお囃子叩いているからわかるのかもしれない、がその辺りは今はどうでもいい。
とりあえず姐さんの言った本の方が面白そうだ、そっちを膨らましてみたい。
後でという言葉を素直に聞き入れて楽譜を受け取ると先に帰ると言い出した付喪神、楽譜を姉妹にも渡すのだそうだ、そのうちに聞かせてくれと頼むと喜んでという返答を返してくれて、片手を上げて店を出て行った。後の演奏会は別の楽しみとして今はこっちに首を突っ込んでみるとしよう。
「丁度ええし、煙らしくなんか思いつかんか?」
「唐突過ぎて何が何やら、これって妖魔本の類?『今昔百鬼拾遺稗田写本』なんて聞かないわね」
「阿求の先祖が記した妖怪を封じてある妖魔本なんですが、字喰い虫退治に呼び出したら逃げられてしまって」
「字喰い虫? それに退治するのに何を、ってのが抜けててまだわからないんだけど?」
「字喰い虫を追い出すのに妖怪の煙で燻り出す必要があってな?」
「煙ね、大昔のあたしか煙々羅でも載ってた?」
「正解です、煙々羅を呼び出して字喰い虫を追い出したんですが‥‥再封印の方法がわからなくて逃げられちゃったんですよね……詳しいんですか? 煙々羅?」
「1/3くらいは身内かしら? 義理の身内くらいの微妙なところだけど」
雷鼓の異変でスペルとしてなぞらえた煙の妖怪煙々羅、場合によっては煙に宿る精霊なんて伝わり方もしているが細かい説明は面倒なので煙妖怪ってことでいいだろう。
それでも煙々羅くらいで慌てる必要などないと思うが‥あれを見られるのは心が空にあるような、ぼんやりと無心に煙でも眺めるような、そんな心に余裕を持つ人間でなければ見られないって話だったはずだが。
この幻想郷でそんな手合は‥‥妖精連中なら難なく見られそうだし白狼天狗も覗き見が得意だったか、紫なんかも境界弄って余裕で見つけそうだ、人里の人間達も異変に動じない心の余裕はあるし、なんだすぐ見つかりそうだな‥‥放っておいてもいいくらいだ。
「ここは妖怪の楽園だし、放っておいてもいいんじゃないの?」
「そうもいかんのじゃよ、ここの空気にアテられての、張り切りおって博麗神社や魔理沙殿の家でやらかしおってのぅ」
「一番やっちゃいけない場所で暴れるなんて、大したもんだわ」
「やらかした身内を褒めるでないわ、それでの、儂は煙々羅にしてはちぃとやり過ぎな気がしてのぅ‥何か知らんか?」
「そうね‥‥
「神社と魔法の森で上がった黒煙、火事の手前のボヤにもならんかったがそっちで決まりかのぅ」
「封印方法や退治方法もわかったりします?」
「身内の討ち方を教えろって? 随分と怖い事を聞くのね小鈴‥‥まぁいいわ、煙々羅よりも怖いのが家襲われて顔真っ赤だろうし……知らん振りをして煙の上がる家に入ったら、御札でも貼って浄化すればそれでおしまいよ」
聞かれた事には素直に答えたし後は話さずにいてもいいだろう、閻羅閻羅に成っているというなら人を依代にしてあっちこっちへと動きまわり捕まえるのは手間だろうが、顔真っ赤にした異変解決大好きコンビならそのうちに捕まえるだろうし。妖怪なら妖怪らしく退治されるべきだとは思うが、その為に同胞潰しのヒントを全部話すなんて面白くない。そのあたりは隣に立っている同胞もわかっているのだろう、これ以上の追求はなさそうだ。
後は退治されて小鈴が叱られれば終わりってところかね、身から出た錆だしそれくらい甘んじて受けなさい。
「アヤメさん、もう一つ知恵を借りてもいいですかね?」
「何? あんまりあたしを頼ると高くつくわよ?」
「いえ、このままだと私のせいで家が火事になりかけた…そうなりますよね?」
「自業自得、いや因果応報ってやつかしら。なんでもいいけど頑張ってね小鈴」
「それから逃げるには‥‥アヤメさんならどうします?」
「小娘のくせにいい顔で笑うわね、あたしなら退治方法と同じ手で逃げるわ」
「同じ?」
「知らん振り、退治方法だけ伝えて全部終わったら巫女さんありがとう! と何も知らないふりして逃げ切るかなって」
まだまだ幼さを見せる少女の割に黒い笑みを見せる小鈴、そういう相談事なら是非とも聞いてあげよう。あたしなら知らん振りをゴリ押す、怪しまれようが疑われようが気にせずにゴリ押して呆れさせて逃げ延びる方法を取るが、小鈴の場合はそうはならないだろう。
あのおめでたい巫女もおめでたくない魔法使いも小鈴ちゃんと呼んで可愛がっているようだし、自宅をやられて心に余裕もないはずだ、ついでにいえば小鈴に頼られてそう悪くない感情の中にいる。
煙に巻くには楽な状態、それならそこを突かない手はない。
もし後々でバレたならあたしのせいにでもすればいい、身内の尻拭いくらいならなんとも思わないしあのコンビをからかうのもそれなりに面白い。結果小鈴に恩を売ればこの店でも無理が通るようになるし、隣でほくそ笑む姐さんからの評価も上がるだろう、いい事尽くめで悪くない。
なんとも打算的な物の考え方だが、人間相手に騙してるんだからそうなって当たり前だろう、妖怪だもの。とりあえず小鈴はその手でいってみると似合わない意地悪な笑みを浮かべたし、どうなるか見届けようかね、人間同士の化かし合い、あまり見ないが楽しそうだ。
話は纏まったようだしこの辺で、そう言って踵を返して外に向かう、一人と一匹の視線を背に受けながら店を後にしその帰りに八百屋に寄った、今晩のおかずが決まったからだ。
店先で手に取ったのは蕪、旬を過ぎてもうすぐ出回らなくなる白い蕪。
鈴奈庵帰りに喰うなら鈴菜でいいかと安直な理由で今晩のおかずを決めた。
これと厚揚げの煮物辺りでいいかね、豆腐屋に生える九尾を見て献立を考えた。
腹黒小鈴ちゃん可愛い。