皆へそれぞれの決断を託した夜。こんな世界だろうと夜が過ぎれば日は昇るもので、遥か彼方に見える山の影からは朝の日差しが辺りを照らし始めていた。
そんな学園内で、オレは女子寮を訪れていた。というのも、今朝数少ない通信班の男子メンバーの通信機を介して遊佐から連絡があったのだ。オレのインカムは壊れて今は手元にはないしな。互いに連絡を取り合おうと思ったらこうするのしかない。
内容を要約すると、これから話がある。コハクと共に屋上で待っているから来てくれないか、といった内容だ。話を聞くのはもちろん構わない。だが、さすがにあの2人だけで影が蔓延る学園内を出歩かせるわけにはいかない。だから、迎えに行くから待っていてくれないかと伝える。すると、オレの言っていることが至極正論だと理解したのか渋々ながら了承してくれた。
受付にいる管理人に目的の人物の呼び出しをお願いする。こんな早朝から来た男子生徒を不審がる管理人(おばちゃん)だったが、日直の仕事ですと適当に法螺を吹くと納得して呼び出しに応じてくれた。
呼び出しから待つこと数分。すでに起床し、身支度を済ませていたのだろう人物達が寮の奥から現れる。1人は鮮やかに輝く金色の髪をいつものようにツインテールにし、朝の眠気を一切感じさせずシャキっとした女子生徒。もう1人は、仄かに輝く雪のような白い髪を膝元まで伸ばし、日傘を手に持った小学生ぐらいの少女。
言わずもが、遊佐とコハクである。
「おはよう、2人とも」
「おはようございます」
「……おはよう」
遊佐はいつものような態度で、コハクは元気なさそうに挨拶を返してきた。
「それじゃ、行くか」
「――はい」
「……うん」
2人を伴って目的の場所である屋上へと向かう。道中影に3回ほど遭遇したが、いずれも単体での出現だったのでオレ1人でも余裕で斬り伏せることができた。校舎内は影のいる影響なのか恐ろしいほどひっそりとしている。予想よりも敵と出会わなかったのは幸運だった。そして、彼女達だけで出歩かせないで本当に良かったと安堵の息を吐く。
屋上へと続く階段を上り、警戒しながら扉を開け放つ。途端にオレンジとも白とも表現できそうな陽光が射しこみ、オレ達を細長いスポットライトのように照らし出した。早朝特有の少しひんやりとした空気を肌で感じながら、彼女達を入り口付近に待機させてオレは影がいないかを確認するためにコンクリートの床を歩いた。落下防止の手すりの下まで歩いていくと、運動場にいくつもの影の姿が確認できる。しかしながら、屋上には影の気配はなかった。
ふと、コハクと出会った中庭にも視線を向けるとそこにも何体か影がうろついていた。思い出の場所、というには少々時間が短いかもしれないが、それでもオレ達の関係性が始まった場所なのだ。そこが敵に侵されているというのは歯痒い気分になる。
コハクや遊佐にはあまり見せない方がいいだろうと、オレは2人の下へと戻る。敵は大丈夫だと伝えると、運動場も見づらく中庭も見えない、ちょうど屋上の真ん中あたりまで2人を連れて行く。向かい合うようにして横に並んでいるその目の前に立ちしばらくの沈黙。先に口火を切ったのはオレだった。
「――決めたのか?」
「……はい」
「……うん」
絞り出すように2人は肯定の意思を示した。短く、だがハッキリと答える。彼女達の表情にはすでに明確な差が出ていた。遊佐は普段と変わらない、感情が希薄に見えるそれ。コハクは下唇を噛み、今にも溢れてしまいそうな雫を堪えるような目をしていた。
そんな、白い少女の細い肩に遊佐が手を添える。その温もりを感じ取ったコハクは年上の金色の少女と目を合わせた。優しく微笑むその姿に、コハクは決心したように小さく頷いた。満足げにそれに頷き返した遊佐はオレへと向き直る。
「私達は――――この世界を去ろうと思います」
コハクの分も代弁するように遊佐はそう言った、言い切った。
もちろん、その言葉はオレが期待していたものそのものだった。こんな危険になってしまった世界にいつまでも居ては2人の身に何が起こるか分からない。
そう、何もおかしくはない。何も間違っちゃいない。
彼女達の事を思うのであればこれは願ってもないことだ。
正当で、当然で、安全で、賢明で、正解だ。
「――そっ、か」
しかし、オレは2人にそれだけの言葉しか伝えることはできなかった。
何をしているんだ。2人はちゃんと考えて自分達の答えを出したんじゃないか。そこにオレが介入する権利なんてない。――そう、これでいいんだ。これで影に襲われるなんてことはなくなる。次の生を生きることができる。
「まあ、当然だよな。こんな危ない世界とっととおさらばした方がいいに決まってる」
「神乃さん……」
「神乃……」
「ああ、お前らは別に気にすることはねえぞ。オレなら大丈夫だから。他の奴らの事もまかせろ」
2人に何も言わせないように早口で言葉を並べる。心配させないように。自分の事だけを考えてもらえるように。振り返る必要なんかない。前だけを見据えて、ただ真っ直ぐにと。
いいんだ、これで。これが最後の別れになろうとも、もう2度と会えないのだとしても、悔いはない。それだけの時間を過ごしてきたんだ。仮初めの意思を持つオレには十分すぎるほど満ち足りたものだったはずだ。
――それなのに。
「神乃さん……!?」
「神乃……!」
「あっ……」
2人が目を見開き驚く。オレだって驚いた。気づかないうちに涙がこみ上げてきていて、ポロリと雫の軌跡を頬に描いていた。同時にぎゅうっと胸が締め付けられる痛みが走る。
「あ、あははは……。悪い、みっともないとこ見せた。ったく、だっせえ姿だな」
グシッと袖で涙を拭う。しかし、1度流れ出した涙は止まる様子を見せず、ポタポタと顎から下へと落ちていく。情けない姿に我ながら辟易する。もっと自然に見送ってやれると思ってた。こんなに胸が締めつけられるなんて思わなかった。こんなにも別れが痛いなんて思わなかった。――2人にもう会えない、そのことがこんなにも辛いなん思わなかった。
止まる様子の無い雫をこれ以上見られたくはないと反射的に空へと顔を向ける。
ああ、ダメだ泣くな……。これ以上2人の足を引っ張るな。彼女達はオレとは違うんだ。失った人生を取り戻しに行かなくちゃいけないんだ。人間じゃないオレが足枷になるようなことをしちゃいけないんだ。
頭では分かっていても、しかし視界の歪みは徐々に強くなっている。いっそのこと背を向けてしまおうかと考えた瞬間、トンッと軽い衝撃が身体に伝わる。顔を下げると、そこには真っ白な光景が広がっていた。
「コ、ハク……?」
衝撃の正体はコハクだった。広がるのは少女の雪のような白い髪。日傘を手放し細い腕をオレの腰あたりへと回していた。ポスリとブレザーの中に顔を埋めているのでその表情を読み取ることはできない。だが、思わずオレが驚いたのはそこではない。
「ば、馬鹿っ!傘を手放すなんて何考えてんだっ!?遊佐っ、その傘拾ってくれ!」
「は、はいっ」
コハクの姿が日陰になるように遊佐が慌てて日傘を差す。いくら早朝で日差しが多くないとはいえ、少しでも日があればそれはこの子にとって害になってしまう。一体何を考えてるんだと怒っていると、コハクはモゾモゾと顔を伏せたまま口を開いた。
「――泣かないで、神乃」
「――っ!」
見えない口から出たのはそんな言葉だった。決して大きな声ではなかったし、発せられた声も少しだけ震えていた。それでもはっきりと耳に届いた。
「私も、神乃とお別れするの辛いよ。できることならずっと一緒にいたい」
「コハク……」
「――でも、それじゃ駄目なんだって神乃が気づかせてくれたから私はここを去るの。だから、我儘かもしれないけど笑ってほしいな。最後まで笑って見送ってほしいな」
遊佐の差す日傘の下で紡がれた消えいりそうな儚い言葉に思わず口を閉ざしてしまう。そして、その意図を飲みこんだオレは乱暴に目元を拭い無理矢理涙を止める。油断したらまた涙腺が緩んでしまいそうだが、コハクの言葉もあってかひとまず止まってくれた。
ふふふ、とそれを見ずとも分かったのかコハクは小さく笑う。鈴の音がなるように凛とした音を響かせながら。
「――ありがとう神乃。私を救ってくれて。大好きって言ってくれて。すごく嬉しかった」
「…………」
「化け物なんて言われ続けてきた私だったけど、神乃と遊佐さん、それにSSSの皆と出会えてよかった。私みたいな奴でも愛してもらえるんだって分かってよかった」
そう言ってコハクは埋めていた顔を上げた。ルビーのように輝く大きな赤い瞳にオレの顔が映っている。その端には透明な雫が溜まっていた。
――それでも、コハクは笑っていた。震える口で、だけどそれを我慢して精一杯の笑みを浮かべていた。
いつも浮かべる太陽のような元気な笑みではない。むしろ、泣くのを我慢しているせいか少しばかりその笑みは歪だ。しかし、そこには見る者を魅了する儚さと美麗さ、そして前へと進もうとする強い意志が溢れていた。
思えば随分とコハク自身も成長したものだ。出会った時は過去の出来事に恐れ、自分に仮面を被り決して弱みを見せまいとしていたこの子が、今では自身の力で未来を切り開こうとしている。
その姿にオレは自身の弱さを恥じた。生前にあれだけの仕打ちを受けたこの子が、こんなにも未来を願って進もうとしているのにオレは笑いかけることすらできてはいない。できることは彼女を見送ってやることであって幼子のように縋りつくことではない。別れが悲しいのは当たり前だ。それでも、新しい未来の可能性と言うものはどこまでも尊い。
この子がこんなにも頑張っているのだ。せめて笑顔でお別れしようと必死に笑っているというのに、なんて醜態を曝してしまっているんだオレは。
涙を流してもいい。悲しみに胸が張り裂けそうになってもいい。だけど、今日この瞬間だけは笑っていよう、涙でグシャグシャになった歪な笑みだろうと最後まで笑っていよう。
「……ごめんな、コハク。オレ、ダメな奴だよな」
「ううん。そんなことないよ。神乃が意外と寂しがり屋だってこと、私知ってるもん。だから、気にしてないよ。それにそんなに思ってくれてるってことは、それだけ神乃にとって私達の過ごした時間が大切だったってことだよね?」
「ああ、もちろんだ。何物にも換え難い大切な思い出だ」
「えへへっ。そう言ってもらえて嬉しいな」
笑顔になるコハクの頬を静かに雫が伝い、ぽたりと地面へと落ちる。クシャリと白い髪を撫でてやると、少女はギュゥと腰に回す手により力を込めた。
「――ねえ、神乃」
「ん?どした?」
「私ね、神乃のこと大好き。とーーっても大好き」
「ああ。オレもコハクの事は大好きだ。妹がいたらきっとこんな感じなんだろうなって思ってた」
「むぅ……。ちょっと違うんだけどな」
「違う?」
「ううん、気にしないで」
膨れっ面になったコハクだったが、やがて首を振ると込めていた力を緩めてオレから離れる。違うって何が?コハクは気にしないでと言ったけど、そう言われると逆に気になるじゃねえか。
「じゃあ、次は遊佐さんだね」
そう言ってコハクはオレと遊佐の下から2、3歩下がる。あとは2人だけでと気を利かせたのだろう。後ろを向き、さも聞いていませんよと装う。それに後押しされる様に遊佐は1歩オレへと近づいてきた。
彼女はどんなことを話すのだろう。不安と期待が入り混じったオレについに彼女は口を開いた。
「……そう言えば、私達のことは話しましたがまだあなたのことを聞いていませんでしたね」
「オレのこと?」
「はい、あなたは――」
――これからどうするのですか、と遊佐は言葉を続ける。その答えを、すでにオレは決めていた。
「――全てを見届けるよ。お前達が築き上げたこの戦線の行方を。だから、最後の1人がこの世界を去るまで一緒に戦うさ」
「……そうですか」
これはオレの決意だ。人間でもただのNPCでもないオレ自身の意思で決めたことだ。それが、仲間として今まで戦ってきたオレの使命だと考える。
語られた決意に遊佐は黙り込む。今彼女は何を考えているのだろうか。もしかしたら、自分が先に旅立つことを申し訳なく思っているのかも知れない。無茶をしてほしくないと心配しているのかもしれない。逆に他のメンバーの足を引っ張るのではないかと杞憂しているのかもしれない。彼女ならどれでも言いそうだなと笑みをこぼしそうになった。
その遊佐はというと驚くべきことを告げてきた。
「……本当は、神乃さん達がしていることには薄々気づいていました」
「――えっ?」
What?今なんて?
「ですから、なんとなく察しはついていました。あなたは隠し事が苦手なようですから」
「マジですか……」
なんてこったい。よもや気づかれていようとは。確かにうまく隠せていた自信は無いが、それでも細心の注意は払っていたはずなんだが。
「その、悪かったな秘密にしてて。これはオレ達のエゴだって分かってはいたけど――」
「――いいんですよ。神乃さんの気持ち分かりますから」
「……ありがとな」
小さく彼女にお礼を言う。そのお礼に遊佐は優しく微笑んだ。
そう、この笑顔だ。オレが心の底から守りたいと思ったのは彼女のその笑みだ。どんなものにも穢させない、あらゆるものから守り通したいと願ったのはこの笑顔だ。
ジワリと胸に熱が広がる。さっきまではズキズキと痛んでいたものが、まるで彼女の笑みに浄化される様に薄らいでいた。温かい熱に満たされたオレもその笑みに応えるように微笑む。
「――では、私も隠していた話をしましょうか」
「隠していた話?」
「なんとなく話したくなったんですよ」
そう言って遊佐は語りだす。
「……最初、あなたを初めて見た時、正直なところ役には立たないと思っていました」
「いきなり辛辣だな……」
「不真面目で、いつもふざけてて、所々抜けていて、情けないところがあって……心の底から呆れていました」
えっ、なにその罵詈雑言の羅列。オレお前にそんな目で見られてたの?だからあんなに毒吐かれてたの、オレ。
「――ですが、今はそうは思いません。誰かのために戦って、怒って、喜んで、泣いて。その手に届く範囲の者を懸命に守り抜こうとするあなたの存在は、いつからか頼りになる存在へと変わっていました。同じ班で活動し、互いに支え合える大切な
そこで、遊佐は両手を胸元でぎゅうっと握る。オレよりも背が低いため自然と見上げる形になる彼女の瞳は照らされる朝日によってキラキラと水晶のように輝いていた。色白の肌に僅かに赤みがさす。それが陽によるものなのか、あるいは別のものなのか。オレには判断できなかった。
「――そして、何度も一緒にいるうち気づいたんです」
「…………」
「私は……」
しかし、遊佐はそこまで話してそれっきり黙ってしまった。赤みがさしていた肌はその色をより濃いものへと変えている。オレはそんな彼女の反応にどう返していいのか分からずアワアワと視線を色々なところへと向けていた。その際、コハクが背中で「何してんのっ!そこはアンタが行動するべきでしょっ!」と言っているように感じたが気のせいだったかもしれない。
「遊佐……?」
「そ、そうです……!忘れていました。これをお渡ししておきます」
オズオズと尋ねたオレにそう言って何かを差し出してくる遊佐。どうやらさっきの続きは言わないらしい。
「これ――オレのインカムじゃねえか!?確か影にやられたときに壊れたはずじゃ!」
彼女の差し出してきた物。それはオレがずっと愛用していたインカムだった。遊佐と同形のそれをオレは割れ物を扱うようにそっと受け取る。
「ギルドの方にお願いして急いで修理してもらいました。それはあなたが所有しておくべき物です」
「あれから1日も経ってないのに……。相変わらず無茶苦茶な技術力だな、うちのギルドは。ありがとな、遊佐」
「いえ、どういたしまして」
受け取ったインカムを首へとかける。僅か1日ほどしか感じていなかったその重みがひどく懐かしく感じるのは何故だろうか。それだけオレがこれを大切だと思っていたのか。――もしくは、これを使って彼女と対話した思い出を大事に思っているのか。
「…………」
「…………」
「……では、そろそろ私達はいきます」
再びの沈黙の後、遊佐はそう言って踵を返す。本当にもうこれでお別れ。本当に2度と会えない。そう考えた瞬間、すでに身体は動いていた。コハクの下へと行こうとした彼女の腕を掴み、少しばかり強引に顔を向けさせる。
「――ちょっと待て。まだ、続きを聞いてない。さっきはなんて言おうとしたんだ?」
何でもいいから呼び止めなくてはと思い出てきた言葉はそれだった。問いかけた瞬間、色白へと戻りつつあった彼女の頬に再び朱がさす。キュッと結ばれた桜色の口元から零れるように言葉が出てきた。
「……言わないということは?」
「却下」
「い、今すぐですか?」
「今しかねえじゃん」
「スルーというのは――」
「無理」
「そうですか……」
何故かショボンとツインテールを垂らし、諦めたように肩を落とす遊佐。ついには耳まで真っ赤になりつつあり、身体もソワソワと落ち着きがない。以前と比べたら格段に感情を現してくれるようになった彼女だが、ここまで顕著にそれが見られるのは初めてだ。
あれ?もしかしてオレ今かなり遊佐に競り勝ってる?初勝利しちゃってる?
それから、遊佐は自身を落ち着けるために大きく息を吸って吐いてを繰り返す。上下に動く胸元に片手を乗せ数度深呼吸を行った遊佐は、やがて決意したようにオレを見つめてきた。
「わ、わた……」
「…………」
「わた、しは……!」
詰まりそうになりながらも必死で話そうとする遊佐は珍しかった。ここまではっきりとものを言わない彼女は凄まじくレアだ。ハキハキといつもは自分の意見を述べるのに、今日はどこかぎこちない。今から言おうとしている内容のせいなのかもしれないが、真っ赤にして落ち着きのない遊佐はたまらなく可愛くて――たまらなく愛おしかった。
だからオレは――
「――――くっ」
「か、神乃さん……!?」
「くっくっくっ……!あっはっはっは!」
つい耐え切れずに吹き出してしまった。突然のオレの奇行にキョトンと目を丸くする遊佐。こちらに背を向けているコハクにチラリと視線だけを向けると、ジトーッと睨んできているのが分かった。しかし、1度笑い始めてしまったらそう簡単に止まらない。
「はあ、はあ、はあ……!ぷっ!だ、だめだ……!くくくっ……!」
「わ、笑わないでください。そもそもあなたが言えといったから私は言おうとしたんですよ……!?」
「ご、ごめん!でも、どうしてもおかしくって。いつものお前らしくなくてさ」
ちっくしょう。可愛過ぎんだろうがこいつめ。オレを殺すつもりか。萌え殺すつもりか。秒殺されるわ!
丸々1分ほど笑ったオレも徐々に笑いの虫が治まってきた。ジィーとこちらを睨んでくる視線を感じつつも、オレは整ってきた息で彼女へ口を開く。
「――本当、悪かったな遊佐」
「……もういいです。笑われるなんて思わなかったです」
そう言ってそっぽを向いてしまった遊佐。しかし、まだ頬の赤みがとれておらず、それがまた彼女のクールな一面とのギャップで可愛らしさを際立たせていた。
「――いや、笑ったことだけじゃなくて」
「…………?」
「今までたくさん迷惑かけた。傷つけたり、泣かせたり、本当にすまなかった」
「…………」
「そして――ありがとう。オレを心配してくれて。
感情が胸の内で募る。今にも溢れてしまいそうなそれを必死になって抑えこんだ。
「――さっきの言葉ですが」
「……?」
「やっぱり言いません」
「えっ!?言ってくれないの!?」
「笑ったことへの仕返しです。どうしても聞きたいのでしたら」
「聞きたいんだったら……?」
フンとそっぽを向いていた視線が正面へと戻り、顔を見つめる。彼女の大きくて綺麗に輝く瞳にオレの顔が映っていた。同様にオレの目にも彼女の姿が映っていることだろう。
2人の間を優しく風が吹き抜ける。それに合わせて舞うように遊佐のツインテールの金髪も優しく揺れた。まるで清流を流れる水のように、空中を穏やかに揺蕩うそれは彼女の象徴とも言える綺麗な髪だ。朝日に照らされた顔に浮かべるのは笑顔。少しだけ赤らめた頬も、吸い込まれそうな大きな瞳も、形の整った鼻も、桜色で艶っぽい唇も、その全てが遊佐と言う人物を作り上げていた。
「――また、お会いした時にお話します」
それって……
「ですから、必ずまた私とコハクさんに会いに来てくださいね」
「ど、どうやって」
「どうにかして、です。あなたならそれくらいできますよね?」
言葉こそ少しばかり乱暴に聞こえるかもしれない。でも、そこに込められているのは命令などと言う一方的な感情ではなく、信じているという互いを理解し合う感情だ。
根拠などない。元々はただのNPCであるオレには彼女達と再会するための方法がない。たとえ彼女達の魂が次の未来へと繋がったとしても、オレはそこまでいけない。所詮はプログラムであるオレの行方など誰にも分からない。
だけど――
「そう、だな……。何を言いたかったのか気になるしそうすっか」
――それでも、遊佐がオレを信じてそう言ってくれたように、オレも彼女の言葉を信じてみたくなった。限りなく不可能に近く、ありえない未来。もし、そんな未来で再び彼女達と出会えたら、その時こそ……。
「はい。では――」
そう言って、後ろを向いていたコハクの肩を抱いて少女を引き寄せる。「もういいの?」と尋ねる少女に、遊佐は「――はい」と短く答えた。
そして、2人はオレ向き合い微笑んだ。今までに何度も見たはずなのに、可憐なその姿にドキッと胸が高鳴る。沸き上がる衝動に身を任せるように、オレは再び溢れてしまいそうになる涙を必死にこらえて、精一杯笑みを見せた。すると、遊佐が思い出したように言う。
「――そういえば、ちゃんと約束守ってくれましたね」
「――ああ。ちゃんとお前の事を見送るって約束したからな。今じゃコハクも増えてるけど」
「その言い方。なんか私が邪魔者みたいな言い方なんだけど」
「そんなことねえよ。オレだってちゃんとお前の旅立ちには立ち会おうって決めてたから。だから拗ねんな」
ポンポンと口を尖がらせるコハクの頭を撫でる。ツーンとしていた少女だったが、やがて「えへへ……」と顔を綻ばせた。
「でも、また新しい約束をしたんですから、そちらも守ってくださいね」
「分かってるよ。必ず会いに行く」
「私の事も忘れないでね」
「当然だろ。2人をちゃんと見つけ出してみせる」
何年、何十年、何百年と時が過ぎようとも、その間にどれだけすれ違ったとしても、いつかは2人の下へたどり着いてみせる。どんな相手だろうと、それが例え神であったとしても、いつか来る再会を邪魔させない。
今日の旅立ちはこの世界でのオレ達の関係の終わりを意味する。だけど、同時に始まりでもある。未来へ向かう再会への。新しく繋がる物語への大切な一歩だ。
目の前で微笑む2人の女の子。その存在を胸に刻むようにオレはその姿を心に焼き付けた。
――手を伸ばせばすぐそこなのに
――引き寄せようと思えば一瞬なのに
――抱きしめてずっと離さなければ永遠なのに
――オレ達はそれを選ばなかった
――だって、それはきっと何も生み出さないから。終わらない永遠なんかに縋らなくても、きっと未来にはもっと大切なものがあるはずだから。
「じゃあ――」
「それでは――」
「それじゃあ――」
「「「――またいつか、再会の時まで」」」
朝日が昇り、いつの間にか空気が暖まってきている屋上にはもう1人しかいない。何よりも守りたいと願った彼女達は無限の可能性が広がる未来へと旅立っていった。
「じゃあな、コハク。今度はきっとお前を大切に思う人達がいるはずだ。――誰にも負けないくらい、幸せになるんだぞ」
まずはコハクへ。最初の出会いこそハチャメチャだったけど、あの子との時間は本当に楽しかった。妹なんていないけど、オレはあの子に誇れる存在でいられただろうか。もしそう思ってくれているのだとしたら、すごく嬉しい。
そして次はと考え、オレは首にかけたインカムを装着しマイク部分へ口を近づける。せめて、いなくなってしまった彼女に届けと言葉を紡ぐ。
「遊佐、お前には感謝してもしきれないよ。お前がいてくれたからオレはオレでいられた。守るために戦うことができた。今度はその恩返しだ。お前が支え続けた戦線の行く先はオレが見届けるから、安心して未来を掴んでこい」
そこで一旦言葉を切る。言うか言わないか悩んだが、誰も聞いていないので伝えることにした。
「遊佐。オレ、お前の事――――だ」
確かに言った。気恥ずかしくて、だけどとても満たされていて、彼女だけに届けたい言葉。あいつに、直接伝えたかった気持ち。
「次は……再会した時に、な」
零れた言葉は屋上に静かに木霊する。あの美しい金色の輝きと、雪のように光る純白を思い返す。吹き抜ける微風が、彼女達の存在の欠片を運んでいくように通り抜けた。
「――くぅ……うぅぅ……」
それを肌で感じていると冷たい雫が頬を伝った。今更間違えるはずもない。これはオレの涙だ。コハクに泣かないでと言われたが、その存在もいなくなってしまった。
オレは溢れる感情に耐えきれず、崩れるように膝をついた。
「うぅぅ、ああぁぁ……!」
――もう、ここに2人はいないのだ。どれだけ探そうとも、どこにも。
「ううぅ……ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
――ただ泣きじゃくる。響く慟哭は学園中に響き渡っただろう。かまうもんか。この一時の寂しさを少しでも吐きだせるのなら気になどしない。
「あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
――大丈夫。次に前を見れた時、オレはいつもの神乃に戻ってるから。ちゃんと2人に誇れる自分に戻ってるから。だから、せめて今だけは、抑えようのないこの悲しみを全て出しきれるまでは、再会までの別れに浸らせてくれ。
――全てが終わったら、必ず会いに行くから。
第28話でした。今回は話の雰囲気に合わせて前書きは書きませんでした。話の内容はいかがだったでしょうか?
ということで、遊佐さんとコハクちゃんは一足先に旅立っていきました。自分にとって確かな支えとなる存在がいなくなる。どれだけ辛い事でしょう。ですが、彼にはこれを乗り越えてほしかった。そうすることで『人間』として成長してほしかった、というのが僕の気持ちです。
本編でも語っているように、次に登場してくる時はいつもの神乃君に戻っています。彼が泣くのは『今』だけですから。
本当は遊佐の過去にも触れようかと思いましたが、とても収めきれる気がしませんでしたし、まだ色々と謎の部分もあるのでやめておきました。
これで、残すは影達の決戦のみです。語りたいことはたくさんあるのですが、それは本編が完結した後に語りたいなと思います。おそらくすごく長くなっちゃうと思いますからね。
感想、評価、アドバイス、誤字脱字報告などお待ちしています。
ではでは。