それではどうぞ。
なんだ?一体オレに何が起こっている……?
「……――っ!」
名前も分からず、記憶もなくし、終いには血すら流れない。
「――っ!」
“人”であるのあるのならば……いや、生物であるのならそんなことはありえない。
「――君っ!」
なら、オレは?
オレハ――ナンナンダ?
「――神乃君っ!」
「――っ!?どうした、ゆり?」
「どうしたじゃないわよ。何度呼んでも返事しないでピクリとも動かないし。どうかした?」
不思議そうに尋ねてくる。悪いことした、全く聞こえてなかった。
「いや……別に」
「……?ならいいけど。で、神乃君。音無君、直井君と一緒に私についてきてくれない?」
ああ、そういや直井もいたんだったな。
直井はあの戦いのあと妙に音無に懐いたようで、成仏せずにこの世界に留まっていた。今では音無を崇めるまでになっている。そのことに音無は苦笑気味だったが、直井の境遇を聞いてしまい、ましてや説得したのが自分なのだからそのことについて強く言えないようだった。
おまけにいつの間にか戦線のメンバーみたいに溶け込んでいる。まあ、前みたいな非道な事をとらなくなっただけマシか。時折自分のことを神だ、とか言ってるけど。言うだけなら本人の自由だし。
ゆりに連れて来られたのは何の変哲もない空き教室だった。2つの長机が並べられ、その長い方の辺にそれぞれ1脚ずつ椅子が並べられている。まるで、面接を行うようなセッティングだった。
「こんな所に連れてきて何するんだゆり?」
「――直井君、音無君の記憶を取り戻させて」
「貴様、さっきから命令ばかり。何様のつもりだっ!?」
偉そうな物言いにいい加減頭にきたのか、直井がゆりを指差し怒鳴る。気持ちは分からんでもないが、そいつに逆らうとロクなことないぞ、とSSSの先輩として内心で呟いておく。聞こえることはないだろうけどな。やがて、その騒ぎは音無のパシンと頭を叩くことで終息した。
「痛っ!?」
「リーダーだよ。俺達の上司だ。――ん?って、ちょ、ちょっと待てゆり!記憶、戻るのか?」
「直井君の催眠術は本物よ。それを使えばおそらく可能なはず」
実際身に受けたからこそ言えるのだろう。可能とは言っているが、確信している言い方だった。
そこで、ふと思う。記憶を探ればオレも自分のことについて何か分かるんじゃないか?きっと、無くなっている記憶に体の異常の答えがあるはずだ。
「ゆり、だったらオレを先にさせてくれないか」
「いきなりどうしたのよ。ひどく落ちてるなと思ったら、急に」
「頼む!」
「私は順番はどうでもいいのだけど……。どちらにせよ2人ともやってもらうつもりだったし」
「僕が断る。音無さんをおいて貴様など見るものか」
「――だそうよ。何をそんなに慌ててるのかは知らないけど、とりあえず待ってなさい。早く取り戻したいあなたの気持ちは分かるけど、それは音無君も同じよ」
オレの提案は直井自身によって敢え無く却下された。そして、ゆりの言葉に我に返る。そうだ、記憶を失っているのは自分だけじゃない。音無だって取り戻したいはずなのに、身勝手な事を言ってしまった。
「……すまん、音無」
「い、いや、別に怒ってねえよ。だからそんな顔するなって」
独りよがりの発言を何ともないと言ってくれる音無。そんな顔とはどんな顔なのだろうか。きっと酷い顔してるんだろうな、オレ。
「貴様、慈悲に溢れたその素晴らしい器を持つ音無さんに感謝するんだな」
直井が偉そうに言うが、本当にこの前の戦いの時とはまるで別人だな。音無に対してだけだけど。
「じゃあ始めましょうか?」
「あ、ああ」
セッティングされていた椅子に直井と音無が向かい合うように腰掛けた。
「では、肩の力を抜いて僕の目を見てください」
「分かった」
「――始めます」
直井の瞳の色が赤く変わる。催眠術に入ったようだ。数秒もそうしていると段々と音無の目も徐々に虚ろになっていった。まるで物語の朗読をするように、音無はポツリポツリと話し始める。
――眠っていた記憶が、目を覚ます。
~音無side~
「お兄ちゃん学校楽しい?」
「楽しかねえよ。行ってねえんだから」
「行ったら楽しいかもしれないよ?」
「頭が良かったらな」
俺は生きている意味が分からない。生きがいを知らない。他人に興味が持てない。
誰とも関わらずに生きるのが楽だった。最低限食っていけるだけの資金をバイトで稼ぐ。それだけで良かった。
「勉強だってやったら面白いかもしれないよ?」
「面白いわけないだろ。勉強だぞ?それに俺、頭悪いし。……あ、そうだ。えっと……ほら、これ」
「わあっ!ありがとう、お兄ちゃん」
そんな俺でも妹だけには会いに行っていた。なけなしの金でマンガ雑誌を買って持って行ってやる。適当に選んでいるから、続いているのかも分からないような雑誌をもらっても、妹はいつも笑って「ありがとう」と言って読んだ。
妹はいつも生きる事に希望を抱いていた。俺なんかとは違って生きる意味もきっと見つけられる。だけど、妹は病室のベッドの上から離れることができなかった。
変わってあげられるものなら変わってあげたかった。明るい未来を夢見る妹の病気を全部自分にと何度思ったか分からない。生きる意志の無い奴が生きていたって、何の意味があると言うんだ。
でも、現実はそれを許してくれない。生きる希望を持っていても外の世界を知ることが叶わない妹と、生きる希望がなく、外の世界を知っていても何も見出せずに生きる俺。その事実が変わることはなかった。
季節は巡り冬になった。冬のバイトは一層辛い。それでも生きるためには仕方なかった。
――生きる?
――何のために?
やめよう。そんなことを考えてしまったらバイトまで辞めてしまう。何か別のことを考えよう。
そうだ。もうすぐクリスマスなんだ。せっかくだし、医者に相談して妹が少しでも外出できるようにしてもらおう。好きな物を買ってあげて、ケーキも食べさせて、最高に幸せな時間をあげよう。
雪が積もると車椅子は使えないのかな?なら俺がおぶってやればいいか。あいつ1人くらい大丈夫さ。だてにバイトばかりしちゃいない。
「クリスマス、出歩けるならどこ行きたい?」
「街の大通りがいいな。全部の木に電気がついてすっごく綺麗なんだって」
「へ~。じゃあそこ行くか?」
「……行けるの?」
「行けるように掛け合ってみる。もしダメでも、内緒で連れて行ってやるよ」
「本当!!やったー!ありがとうお兄ちゃん!」」
今までで1番大きな『ありがとう』を言う妹の顔に浮かんだのは、眩しすぎるぐらい輝く笑顔だった。この先も生きていくことを疑わない、真っ直ぐ過ぎる輝きだった。
バイトを増やした。家では寝るだけになったが、そんなのは些細なことだ。今は目的の為に働くことができていた。ただ1つ気になるのは、あいつの容態が……だんだん悪くなっていることだった。
医者からの外出の許可は下りなかった。だから、面会時間が過ぎた後、俺は病室に忍び込み妹を夜の街に連れ出した。
「すっげえ……!おい見えるか!?綺麗だぞ」
「うん……すごく綺麗」
「俺も見れて良かったよ。お前のおかげだな」
街ではライトアップされた木々の1本1本が神々しい輝きを放っていた。街も、すっかりクリスマスムードに染まり、楽しそうな笑い声はそこかしらから聞こえてくる。その風景はすごく幻想的で、綺麗で、まるで、ようやく外出できた妹を祝福しているように俺には思えた。
「さあ、これから楽しい時間が続くぞ。兄ちゃんこの日のためにすっげえ貯金貯めたんだぜ。何でも買ってやるよ」
「――――お兄ちゃん」
「ん?どうした?」
「……ありがとうね」
「……ああ」
おぶっているせいで顔は見ることはできなかったけど、妹は喜んでくれていた。俺にはそれが嬉しかった。
「で、買い物の後は夕飯だ!なんかよく分からないけどすっげえとこ予約したんだ」
「…………」
「あ、やっぱりケーキとか甘い物がいいか?全然構わないぜ。好きなだけ食べていいからな」
「…………」
「それに――」
――その後も俺は、妹を祝福してくれているはずの世界で喋り続け、歩き続けた。
答えてくれる人など、誰もいなかった。
「困ったことがあったりしたらいつでも来ていいからね。ご飯だっていつでも食べさせてあげるから」
「はい、ありがとうございます。この度はお世話になりました」
優しく声をかけてくれる祖母に礼を言い、心配そうに見てくるその視線に耐えきれなくなり、祖母の家を離れた。どこに行くのかも決めずに、ただ街中をフラフラと歩く。街はクリスマスの時の華々しさを失い、いつもの風景へと戻っていた。
灰色だった。あの日見たものが嘘のようだった。色などない、黒なのか白なのか分からない灰色の世界。俺はただひたすらに歩く。
――俺はちゃんと生きがいを持って生きていた。生きる意味はすぐそばにあったんだ。
――俺はあいつに「ありがとう」と言ってもらえるだけで良かったんだ。
――あいつに感謝されるだけで幸せだったんだ。
――馬鹿だ、俺。そんな大切な存在だったのに何もしてやれなかった……。
――ずっと、あいつは病室で俺の買ってきたマンガ雑誌読むだけで……それだけで、それだけの人生で、あいつは幸せだったのか?
――そして……あいつを失った俺の人生は終わってしまったのだろうか……?
気づかない幸せ。満たされていた人生。その時間は、とっくに過ぎ去ってしまった。
――もう俺には何も残されていない。
「退院おめでとう!元気でね」
「ありがとうございました!」
ふと聞こえたそんな会話に、俯いていた顔を上げる。目線の先にはあいつと同じくらいの年で、ちょうど今病院から退院しただろう少女が看護師にお礼を言っていた。
――ありがとう、お兄ちゃん
その少女の浮かべている笑顔があいつの笑顔と重なる。
――違う。俺の人生はまだ終わってなんかいない。俺はまだ生きてる。あいつが生きる意味を与えてくれたからだ。なら俺も、この命を誰かのために費やせるなら……っ!
再び目標を見つけられた気がした。バイトをしながら学校にも通って、必死になって嫌いだった勉強に励んだ。その傍らで医学も勉強した。あいつには何もしてやれなかったけど、俺だって誰かに生きる希望を与えてやりたい。ただその一心だった。
大学受験の会場に向かう為に、電車に乗る。周りには俺と同じように受験生がいた。
いよいよだ、心の中でそう呟き、手に持った受験票に視線を落とす。俺にはその受験票が自身の生きる希望にすら見えた。
やっと、やっとここまで来たんだ……っ!
喜びに頬が緩む。が、すぐにまだ受験もしてないじゃないかと思い直し我慢する。でも、ようやく俺の人生に一筋の光が見えてきた。
――ガタンと、それは唐突だった。
何か妙な物音が聞こえた気がした。キョロキョロと辺りが見渡すが、それらしいものは見つからない。気のせいだったか。
――ガタン!ガガガッ!!キキィィィィィ!!
――激しい揺れ
――かん高いブレーキ音
――パニックになる車内
――消える電灯
何が起こっているのか分からなかった。でも、とにかく大変なことが起こっていることは分かった。ブレーキの慣性によりもの凄い力で体が揺さぶられる。命を引き剥がそうするような力に必死に耐えるが、それも長続きしなかった。
次々に押されたり、引っ張られてるうちに持っていた受験票が宙に舞う。慌てて手を伸ばすが、その直後にさらなる衝撃が電車内を襲い、俺の意識も他の乗客に紛れながら徐々に薄らいでいった。
――最後に見たのは、離れていく希望と必死になってそれを掴もうともがく俺の手だった。
「……思い出した?」
「……ああ」
話し終えると、今まで黙って聞いていたゆりが声をかけてきた。俯きながらも答えるが、自分でも分かるぐらい消え入りそうな声だった。
「素晴らしい人生だったとは……言えそうにないわね」
「しばらく、1人にしてくれ……」
1人になりたい……。今、俺が望むのはただそれだけだった。
「あの、音な「直井君」……」
何かを言おうとした直井の肩をゆりが叩いた。そして、直井と一言も話そうとしない神乃も連れて教室から出て行く。
1人残され、言いようのない思いと対立する。惰性で生きて無気力だった俺は、自分の生きる意味をお前に教えてもらって、見つけて、夢半ばで死んだのか?何も成し遂げずに死んだのか……?
「――くっ……うぅ……っ!」
今流れている涙は何の涙だ?悔しさか?申し訳なさか?憎さか?それすらも分からない。
俺はまだ何もできてない。できてないじゃないか……!
そんなのってねえよ……ねえよ……っ!死にきれねえよ……っ!
「“初音”……っ!」
思わず口から零れた言葉は、こんな俺に生きる希望を与えてくれた妹の名だった。
~神乃side~
ゆりに連れられたオレと直井は別の空き教室に入る。ゆりに頼まれる直井だったが、音無のことが気になるのかその表情はムスリとしかめっ面だ。
「じゃ、直井君。今度は神乃君をお願い」
「貴様、さっきから言っているだろう。神に向かって命令などするな!」
直井は本当なら音無のそばにいたいのだろう。それでも今はあいつのことを気遣っているからこそ離れているだけであって、別にオレの為なんかじゃないのだと思う。だけど、オレには確かめないといけないことがある。
「直井」
「なんだ?」
「頼む……」
「――くっ!仕方がない……!今回だけだぞ」
直井にしては意外とすんなり了承してくれた。というより、オレの必死な様子が伝わったからだろうか?今回は机はなかったので、適当に置いてあった椅子に座ってすることにした。直井は向き合うように座り、ゆりは扉に体重を預けながら腕を組んで見ている。
「要領は音無さんの時と同じだ。僕の目を見る、それだけだ」
「分かった……。ありがとう直井」
「貴様に礼を言われる筋合いはない。――始めるぞ」
再び直井の瞳が赤くなる。それに釣られる様に、オレの意識も徐々に落ちていった。
――何も分からない。
ここは、どこだ……?
オレは、誰だ……?
ザザ……
何だ……?
ザザ……ザザ……
嫌な音だ……耳を塞ぎたい……
ザザ……ザザ……ザザ……!!
やめろ……!耳障りだ……!
ザザ……ザザ……ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザッ!!
ぐう……ああぁぁぁぁ!!頭が……っ!割れそうだっ……!
ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザッ!!
何、だ……!?何か…見える……!
――0101010101……
数字……?0と1?
010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101…………
これは……!
010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101……
「――うっ……!」
目を開くと真っ白な天井が見えた。何故そんなものが見えているのか分からなかったが、背中から伝わる柔らかい感触からして、どうやらオレは寝かされているらしい。
「――気がついたみたいね」
そしてその風景を遮るかのようにしてゆりが顔を覗かせる。
「オレ、なんで……?」
身体を起こし、頭を振る。少しだけフラッとしたがどこも悪くはなさそうだ。
「あなた倒れたのよ。直井君の催眠が始まって直ぐに。だから私と直井君とあと1人で保健室まで運んだの」
彼はそのすぐあとに音無君のところに行ったけどね、とゆり。――ん?あと1人?
「体の方は大丈夫ですか?」
「うおっ!?ゆ、遊佐……いたのか」
「感謝しなさいよ?遊佐さんはあなたを運んでいる時に偶々会って、わざわざ手伝ってくれたんだから」
そうだったのか……。女子2人に手間かけさせるなんて情けないな。あ、直井もいたんだっけな。
「すまん遊佐。あと、ありがとな」
「別に構いません。それで、体は大丈夫なのですか?」
「ああ。もう何ともない」
遊佐に返事をしながらベッドから降り、揃えて置いてあった上履きを履く。
「――それで、何か思い出した?」
「――いや、何も」
「なに1つ?」
「ああ……」
そう……。ゆりはそれだけ呟くと口を閉じた。そして、顎に手をやり何やら考え事を始める。遊佐も少し複雑そうな表情でそのに脇に控えていた。
思い出せない記憶。そして、あの数字の羅列。流れない血。それらの事がオレの中でグルグルと巡る。
やがて、オレはもう1度決心した。あの不可解な現状を確かめようと。
「ゆり。今、銃持ってるか?」
「一応持ってるけど……銃がどうかしたの?」
「頼みがある」
「……?」
正直ゆりや遊佐の前で確かめるのは怖い。これを確かめた時に彼女達がどんな反応するかそのことを知るのが怖い。けど、機会は今しかないと思ったんだ。これを逃したら、次いつ確かめたいと思えるようになるか分からない。それにいつかは話さなくちゃいけないことだからな。
「オレさ、この前の直井の時の騒動で気づいたことがあるんだ。それを確かめたい」
「……それで?」
「――オレを撃ってくれ」
「……っ!?」
「…………」
その言葉に遊佐は驚きの表情を、ゆりは無言で真っ直ぐにオレを見ている。
「なに?思い出せないショックで変な性癖にでも目覚めたの?」
「ねえよ。そういう意味じゃねえ」
「あら、そう。理由を聞かせてもらってもいいかしら?仲間を撃つなんて事させるのだから、それ相応の理由があるのでしょう?」
「やってくれば分かる」
「あのね、神乃君。それじゃ理由にならな「――頼む。大事な事なんだ」……分かったわよ」
本当は仲間を傷つけたくはないんだろうが、ゆりは静かに銃を取り出し、銃口をオレに向けた。頼んでおいてなんだが、できれば急所は外してもらいたい。
「待ってください。いきなりどういうことですか」
「悪い遊佐。ちょっと黙っててくれ」
「黙りません。何故そんなことをする必要があるんですか」
「オレにとって大事なことだから」
分かりづらいが、語気を強めて話す遊佐と、淡々と答えるオレはいつもと立場が逆転してしまっているようだった。心配してくれる奴に酷い言い方だと分かっている。だけど、これは避けられないことだと言うことを分かってほしい。説明も無しに何を言ってんだって話だけどな。
「――ゆり、やってくれ」
「本当にいいのね?」
「ああ」
「神乃さん……!」
ほんと、嫌な事させて悪いなゆり。遊佐、心配してくれてありがとう。
――ドォン!
ゆりの銃から飛び出た1発の弾丸。それがオレの体を貫いたのを感じた。
「ぐぅっ……!」
「神乃さん!」
その瞬間貫かれた部分が急速に熱くなる。どうやら右の手のひらだったようだ。激痛に反射的に左手で右手を掴む。恐る恐る見てみると、確かに銃弾の直径サイズの穴が空いている。そして――
「……なんで今まで気づかなかったんだろうな」
「「……………」」
自虐するようにポツリと呟くと、不思議と痛みが薄らいでいくような気がした。突きつけられた現実に感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。
「ほんっと、馬鹿だよな。自分のこと何も知らないくせに、岩沢の時も日向の時も偉そうな事ばかり言ってさ……」
滑稽。あまりにも滑稽だった。何を言ってきたんだ、オレは。
視界に映る自らの手。そしてその真ん中にポッカリと空いた銃弾の穴。そこから見える手の内部は血肉も骨も何一つない。ただ、黒い空洞が存在しているだけだった。
「――そういうことだったのね」
「――っ!!気づいてたのか?」
「ええ。あなた、ライブの時に天使に何をされたのか覚えてる?
「ああ。思いっきり腹を殴られたな。内臓が出てこないのが不思議なくらい」
あれは痛かった。吐血しないのが不思議だった。でも、今考えるとあれも1つの徴候だったのかも知れない。
「そのことを報告で聞いた時、私は疑問に思ったの」
「何を?」
「天使は今まで敵を無力化する際は、ハンドソニック――つまりはガードスキルを使っていたわ。でも、あなたの場合、素手で無力化された。何故そんなことをしたのか。手っ取り早く場を収めたいのなら、殴るのではなく刺して殺した方が手短にすむし、無力化できる時間も長いわ」
ほっといても数十分で生き返るんわけだしとゆりが話す。確かに、そう言われると不自然だ。オレだって最初に会った時はいきなり刺されて――
「そうか、あの時……!」
「あなた、SSSに来る前に天使と対峙して刺されたと言ってたわよね。ということは、天使があなたの異変にその時すでに気が付いていたのだとしたら?血が流れないと言うことをライブ会場のあの場で見せてしまったらパニックになって拘束どころではなくなる。だから、彼女はあなたを素手で無力化した」
「そういう、ことか」
ゆりの考えはほぼ間違いないだろう。でないと、天使のあの行動の意味が説明できない。ということは、だ。
「……オレを遊佐のパートナーにしたのは、そのためか」
「そのためって?」
「惚けんな。どうして天使がオレに対してそんな行動をとったのか、その疑問を解消するためにオレを遊佐の近くに置いて監視させたんだろ」
「――ほんっと、こういう時は頭切れるわね。ええ、今更隠して仕方がないことだし言うけど、あなたの言うとおりよ」
ゆりは仕方がないと言わんばかりに、ため息をつき白状する。言葉とその態度がオレの考えが正解だと物語っていた。
――そうか、オレは2人に監視されていたのか。
ゆりの考えは分かる。不自然なことがあり、策を弄しないのは愚者のすることだ。そんな奴に神へ反抗するリーダーなど務まるわけがない。ゆりの判断は間違っちゃいない。間違っちゃいないことは分かってる。
だけど――
「そうか……なら、もういいだろう?」
――やめろ
「何がよ」
「もう監視する必要もねえだろってことだ」
――やめろ。それ以上は言うな……。
「神乃さん……」
「遊佐も付き合わせちまって悪かったな。もういい」
――言うなっ……!その口を閉じろっ!
「……もういいとは、何がですか」
「もう、オレに無理に付き合わなくていい」
――言うなっ!言うんじゃねえっ!!
「そ、そんなことは……」
「こんな化け物みたいな奴、近くにいるだけで苦痛だっただろう?」
――やめろ!やめろっ!やめろっ!
「違います……。私は……」
「いい。無理に言わなくても。命令で一緒にいたのなら、お前も迷惑していた――」
パシンと乾いた音が響く。徐々に頬が熱を帯び始めた。目の前には今にも泣きそうな遊佐。そして、それを遊佐をかばうように、射殺さんとオレを睨み付けるゆりが右手を振り抜いた状態で立っていた。そこまで認識して、ようやく自分がゆりに叩かれたことに気が付く。
「神乃君。それ以上言うのなら、私は本気であなたを見限るわ」
「――っ!」
「遊佐さんっ!?」
耐えられなくなったのか遊佐が保健室から飛び出していく。ゆりが慌てて呼び止めようとするが、遊佐は止まることはなかった。オレは叩かれた頬に手をあて、その様子を呆けたように見ているだけだった。
止められなかったことにゆりは肩を落とすと、キッとオレを睨み付けツカツカと歩み寄ると、胸倉をつかんでくる。
「追いかけなさい」
「……何でだよ。オレは――」
バキリッと今度はグーで殴られた。手加減など一切ない本気の拳。オレは数歩後ろに後ずさり、ドサリと尻餅をついた。以前日向がゆりにボコボコ殴られたことがあると言っていた。死ぬかと思ったと笑いながら話していたが、なるほど。これはキツい。
「…………あなたらしくないわね。誰かに八つ当たりするなんて」
「別に八つ当たりなんかじゃ「なら、同じことを遊佐さんの前で言える?」――っ!」
何も反論できなかった。ぐうの音もない。ゆりの言うとおりだったんだから。
「少しは遊佐さんの気持ちも考えなさい。考えるのをやめたらそれはもう“人”ではないわ。ただの肉塊よ」
「遊佐の、気持ち……。そんなの、オレの事を疎ましく思っていたに決まって――」
「勝手に決めつけてんじゃないわよ。彼女、嫌いな奴をいつまでも相手するほど酔狂じゃないわ。あなただって本当は分かってるでしょう。それに私が前になんて話したかもう忘れたのかしら」
ゆりは遊佐がオレといると楽しそうと言った。だから彼女をよろしくと言っていた。そのことを言われて思い出す。
「でも――」
「ったく、いつまでもウジウジと情けない。あなた、ギルド降下作戦のとき私になんて言ってのか忘れたの?」
『お前がオレ達を守ってくれるってんなら、オレもお前を守る!音無も、他の皆も!』
「……守る」
あの時の事を思い出し、無意識に言葉が出てくる。それを聞いたゆりは座り込むオレの前に膝をつき、視線を合わせてきた。その目にさっきまでの怒りの炎は見えない。優しく言い聞かせるように問いかける。
「あなたが今していることは守ることなの?」
「……違う。オレは――」
オレは何をしているんだと気づく。守るなんて口だけもいいとこだ。逆に遊佐を傷つけているじゃないか。
監視されている?馬鹿言うな。監視しているだけの奴が、一々こちらの呼びかけに答えるもんか。一緒に飯食って、頑張れなんて声援を送ってくれるもんか。それを勝手に勘違いして、不貞腐れて、大馬鹿野郎だ。
「――ごめん」
「それは私よりも他に言うべき人がいるわね」
ああ。分かってる。
「なあ、ゆり……」
「何かしら?」
「オレは一体何だと思う?」
「さあ。私にも分からないわ」
だよな……。なら質問を変えてみようか。
「じゃあ、オレは何に見える?」
その問いに、ゆりの回答は早かった。
「――“人間”よ」
「――サンキュ」
オレは尻餅をついていた床から立ち上がり、汚れを叩き落とすと遊佐の出て行った扉に向かう。ゆりも立ち上がり、オレを見てるのだろう。意地悪そうな声が背後から聞こえた。
「遊佐さんを探しに行くのかしら?」
「ああ。あいつにも謝らないとな」
「気まずいのにわざわざ会いに行くの?インカムでも誰かに頼むでもして済ませばいいじゃない」
「意地が悪いぞ。これはオレがあいつに直接言わなきゃいけないことだろ」
「ふふ、冗談よ。ちゃんと分かってるじゃない。寧ろ頷いたりなんかしてたら今ここで額に風穴あけてやってたわ」
持っていた銃をクルクルと回しながら言うゆり。なに恐ろしいこと考えてんだか我らがリーダーは。いや、仲間思いのゆりらしいけど。
「そりゃ勘弁。ちゃんと謝らねえとな」
オレはそう言って保健室を後にした。謝るべき人のもとへ行くために。
「どこ行ったんだ、あいつ?」
保健室を出てから数刻。辺りを見渡しながら学園内を走り回るが全然見つからない。こういう時にこの学園の広さがめんどくさい。いや、オレのせいではあるんだけども。
「う~む、あいつの行きそうなところか……」
そういや、あいつのこと全然知らねえよな。好きな物も、好きな場所も。結構一緒にいるってのにダメだなオレ。
それから散々走り回り、とうとう残すのは屋上のみとなった。ここに居なかったらあとは女子寮に帰ったというこになる。そうなってしまっては今日中に謝るのは難しくなってしまうだろう。
祈るように屋上に扉を開ける。開けた瞬間、夕暮れの日がオレの目の前をオレンジ色に染め上げる。その先に、金色の髪を揺らし佇む人物がいた。
「やっと見つけたぜ」
「神乃さん……」
こちらを振り返った遊佐の声は今にも消えそうなくらいか細いものだった。それを聞いたオレはさっきの自分の態度を激しく後悔する。ここまで彼女を傷つけてしまったこと自分への怒りすら感じた。
「すみませんでした……」
歩み寄るオレに遊佐は小さな声で呟く。その顔は無表情では無く、悲しみを含んだ後悔だけが浮かんでいた。
謝らないでくれ。お前は何も悪くない。全部オレが悪かったんだ。そんなことを思いながら、一歩ずつ遊佐との距離を確実に縮めていく。近づいていくにつれて、遊佐の徐々に顔も伏せられていく。
そして、ようやく遊佐の目の前まで歩み寄る。とうとう完全に伏せられた遊佐の顔からポツ、ポツと涙まで落ちだした。嗚咽をこぼしながら話す遊佐の姿は、あまりにも弱々しかった。
「遊佐」
「……はい」
名前を呼ぶとわずかに肩を震わせ、弱々しく遊佐が答える。よかった。このままずっと泣かれて話ができなかったらどうしようとか思ってた。オレはその事に安心し、大きく息を吸う。そして。
「――ごめんっ!」
「――っ!?」
遊佐の目の前で全力で頭を下げた。突然の行動に遊佐が驚いたのが見なくても分かった。
「あんな八つ当たりみたいなまねして本当にごめん。お前の気持ちも考えないで」
「それは……!」
「本当は分かってたんだ。ゆりの判断が正しいことも、遊佐が嫌々一緒にいてくれてたわけじゃなかったことも」
「……そうです。私はそんなことは」
「でも、少しだけお前を疑っちまった。オレといたのはただ命令されたからなだけであって、本当は嫌だったんじゃないかって」
「違います。それは絶対に」
「ああ。ゆりにぶん殴られてようやく気付いた。馬鹿な事言って本当に悪かった」
「神乃さん……」
顔を上げると遊佐と目が合う。その瞳は赤くなっていたが、もう泣いてはいなかった。そのことにホッとしたオレは彼女に笑いかける。そして、もう1度口を開いた。
「すまなかった遊佐。嫌な思いさせて」
「……もういいです。あなたの気持ちは伝わりましたから」
ただ、と遊佐は言葉を紡ぐ。
「お願いがあります」
「なんだ?」
「もう、あんなことは言わないでください。私は、あなたの存在を疎ましくも、迷惑だとも思ったことはありません。ですから……私の事を、信じてくれませんか?」
予想もしていなかった言葉だった。まさか遊佐からそんなことを言ってくれるとは思わなかった。勝手に疑って、傷つけたのはオレの方だというのに。その言葉に思わず泣きそうになるのを堪えつつ答える。
「……ああ。お前の事を信じるよ」
「はい。私もあなたの事を信じてますから」
「それで、さ」
「……?」
「その、これからも通信班としてよろしくしてもらって、いいか……?」
意を決して、戦々恐々になりながら聞いたが、その問いかけは杞憂に終わった。
「もちろんです。私の方こそよろしくお願いします」
目尻に涙の雫を残しながらも、遊佐は優しく、そして綺麗に微笑んだ。その笑顔にオレの不安は一瞬で払拭されてしまった。
「ありがとう。ありがとうな、遊佐」
こんなに馬鹿で、どうしようもないオレを見てくれる人がいる。信じてくれる人がいる。笑いかけてくれる人がいる。
今はそれで十分だ。
この日、オレは自分自身の真相に近づいた。正直、自身が何なのかは検討もつかない。でも、何者だろうと関係ない。そのことでもう臆したり、誰かを悲しませたり、傷つけたりしない。
今は、前に進むことができる。何故なら――
「じゃあ行くか、遊佐。ゆりが待ってるだろうし」
「分かりました」
――こんな奴を思ってくれる大切な仲間がいるのだから。
はい、ということで第13話でした。
前書きでも述べているように、結構重要な回になっています。神乃君の正体とは何か。勘の良い人はすでに気が付いてるかもしれませんね(笑)
音無さん。すんません。結構さらっと終わってしまいました。でも、今作の主人公は神乃君だからいいよね!
蛇足:神乃君が屋上に行った時にふと考えたこと。
祈るように屋上に扉を開ける。開けた瞬間、夕暮れの日がオレの目の前をオレンジ色に染め上げる。その先に、金色の髪を揺らし佇む人物がいた。
「やっと見つけたぜ、ゆ――」
「遊佐さんと思った?残念、関根ちゃんでしたっ!」
「」
金髪かぶりとは言え、シリアスぶち壊しだなと思いました(笑)
感想、評価、アドバイス、お待ちしています。
また、誤字や脱字などの報告もしてくださると嬉しいです。
ではでは。