宇宙戦艦ヤマト外伝 宇宙戦闘空母シナノ   作:榎月

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明けましておめでとうございます。寒い寒い元日となりました。
しかし、投稿している話の内容は真夏というwww


第七話

2206年 7月25日 10時30分 アジア洲日本国 神奈川県某所

 

 

小さい時分の記憶では、小学校なら20日頃から夏休みが始まっていたと思う。

かつての大学がどうだったかは知らないが、今では7月の第2週までに試験が終わって、今はもう夏休みなのだそうだ。

なんでも、まだ太陽の異常状態が完全に回復したわけではなく、完全に安定するまでは暑い年、寒い年が数年から数十年のサイクルで繰り返す可能性があるのだとか。

それに合わせて、大学の休暇も伸び縮みするらしい。

今年の夏はまだ小康状態だが、来年は猛暑に見舞われる可能性が高いという。

……大海が干上がるほどの異常気象を経験した身にとっては、その程度は誤差の範囲でしかないのだが。

 

兎にも角にも、8月も間近に近付き本格的な夏到来だが、当然ながら社会人、それも軍関係者である俺はまとまった休みなど望むべくもない。

平和な今となってはそんな現状に不満たらたらだが、ほんの3年前までは全く湧いてこなかった感情である。これもまた夏の風物詩……と思うことにしよう。

 

 

 

 

 

などと思ったのはつい数日前。

今、俺は休暇を取って東京に戻ってきていた。

 

 

 

最初は、横浜の防衛軍資料室に映像資料を取りに行くだけだったのだ。

藤堂前長官殿の正式なお墨付きをもらったので、今度は所長の手を煩わせずに借りることが出来るようになったのだが、所長が「一言礼を言ってこい。それと人脈を作っておけ。」と言うのでわざわざ出張することになったのである。

地下の旧防衛軍司令部ビルにある防衛軍資料室に挨拶(お土産は例の養殖場で獲れた牡蠣の干物である。かなり値段の張るものなのだが、関東の養殖場では牡蠣を扱ってないらしく、大変喜ばれた。)をしてデータチップを受け取り、ついでに〝英雄の丘〟を参拝。

さらについでに科学局を訪問し、飯沼所長の代理として様々な国の科学者と顔繋ぎをした後は、真田さんと夕飯がてら情報交換を行った。

そして宿泊先で局長に報告し明日には戻る事を告げたところで、

 

 

「そういやおみゃあ、東京に家族いるんだろう。出張を延長ってことにしといてやるから顔出して来い」

 

 

という似非名古屋弁丸出しな一言で、そのまま頼んでもいない3日間の有給休暇となってしまったのだ。

ちなみに、局長は福島県出身である。

 

 

……以上、回想終了。

現在、俺は横浜と東京を結ぶハイウェイ・チューブの中をひた走るバスに乗っている。

ハイウェイ・チューブとは、昔で言うところの高速道路である。ガミラス戦役からの復興に際して新しく造られた日本列島縦断道路で、20世紀以来の歴代政権の悲願が結実したものなのだそうだ。

北は旭川と釧路から始まり、札幌で一度合流して函館から津軽海峡を渡って青森へ伸びる。

そこから東と西の二手に分かれ、東は太平洋沿いを通って東京へ。そこからは東海道の海側をひたすら京都へ向かう。

西側ルートは北陸道を日本海沿いに新潟―富山―福井を通り、大阪で東側ルートと合流。

そこからチューブは山陰道、山陽道、南海道の三本に分かれて九州は鹿児島の合流点までひた走る。

山陰ルートは鳥取、島根県を通って関門海峡を渡り、福岡から長崎まで陸路を行った後は有明海を渡り熊本県を通過して鹿児島へ。

山陽ルートは瀬戸内をなでるようにかすめたら柳井から鉄橋を渡って大分県は国東半島へ。

南海道ルートは淡路島から四国の南側海上を囲むように、最終的には土佐清水から宮崎へと、大胆にも海峡を横断している。

鹿児島からは飛び石を伝うように沖縄本島まで伸びている。沖縄の人にとっては、本土と沖縄を繋ぐ、まさに交通の命綱となっているのだ。

ちなみに東山道にチューブが通っていないのは、山間部が国によって自然育成地区に指定されて開発できないからなのだが、「日本アルプスには地球防衛軍の秘密基地があるのではないか」という噂が絶えない。

 

あながち間違っていないから困る。

 

 

閑話休題。

十分な視界の確保を目的とした透明な超々強化プラスチック製のチューブは、横浜から一直線に伸び、大きな川―――かつての多摩川であるが、ガミラス戦役で一度干上がっており、川に水が戻る際に西に4キロほどずれてしまった―――を渡る。

バスの左側最後尾窓寄りの席に座る俺からは、やや後方に富士山が見える。

遊星爆弾が山頂部を掠め取っていった為にかつてより300メートルほど低くなっているが、成層火山独特の八の字型稜線が生み出す優美な風貌はそのままだ。

多摩川を過ぎれば住宅街を経てあっという間に渋谷。その先には日本の旧官庁街、そしてその先にはこのバスの終着点がある。

バスの行先は東京府有楽町の中長距離バス停留所。そう、俺の家族と永遠の別れをした場所である。

 

 

俺の家―――死んだ家族と住んでいた所―――は、有楽町まで電車で一本で行ける、北区の東十条だった。

家は両親が経営する喫茶店で、姉も俺も幼いながら細々とした雑務を手伝ったものだ。

親父はやや線が細く、ふちなし眼鏡をかけて無精ひげを生やしていた。

今考えてみれば、喫茶店のマスター像を地でいくような風貌。母の方も、夫を支える妻を体現したような立派な人物だった。

……いくらなんでも美化しすぎだろうか。

3歳年上の姉さんは俺を甘やかすわけでもなく突き放すわけでもなく、でも何かと気遣ってくれていた気がする。

たとえば、俺にはおやつの分け前をひとつ多くくれたり。

たとえば、一緒に出掛けるときは幼かった俺と手を繋いでくれたり。

たとえば、いたずらをしたときは真っ先に気付いて俺を叱りつけて、でも母さんには黙っていてくれたり。

……やはり、美化しすぎだろうか。

まぁ、家族を覚えているのはもう俺だけなんだ。誰に語り聞かせるわけでもなし、多少の装飾は構わないだろう。

思い出は、都合のいいものが残ってこそ、思い出だしな。

住んでいた喫茶店は跡形もなく吹き飛び、唯一残されていた土地も再開発の際に国に買い取られてしまった。もはや、思い出の場所も思い出の品も無い。だがそれを不幸と嘆くことは、もはやしない。

そんな人間は周りにごまんといたし、幼い記憶の残滓を道連れに10年以上を生きてきたのだ、寂寥の気持ちにも青錆が付きつつある。

 

 

 

第一、この10年間、俺は一人ぼっちじゃ無かったから。

 

 

 

さて、バスは住宅街を抜け、かつて若者の街と言われた渋谷をあっというまに通り過ぎる。

大通り沿いこそネオンや液晶ディスプレイが輝く栄華を取り戻したが、一本裏に入れば昔と違って市場が広がり、配給やスーパーで取り扱っている合成食品に満足できない人々が天然食材を求めて集まっているという。

よりにもよって、渋谷にそんなものができてしまった理由は分からない。あえて推測するなら、築地よりは東京周辺からの交通の便がいいからだろうか。

渋谷の谷を一足飛びに跨いだチューブは東北東から徐々に北へと針路を変え、六本木から恩賜江戸城跡自然公園へと近づいていく。

 

かつて皇居と呼ばれていたその場所は今では国有公園として一般公開しており、憩いの場となっている。

旧千代田区千代田一丁目一番地に住まわれていたやんごとなき御方は、ガミラス戦役からの復興を機に親戚や政治家・官僚を悉くひっさげて京都へお帰りあそばされた。

突然還幸された事情はいくつかあるらしいが、一番の理由は地球連邦の行政府と日本の行政府が至近距離にあるのは都合悪いとのこと。

とにかく、政治・経済の中心地であった東京「都」は、遷都によって経済のメッカ東京「府」へ変容を遂げたのである。

 

東御苑に復元された天守閣が後方に流れるのを視界の端に捉えつつ、バスは再度東へ針路を変え、徐々に高度と速度を落としていく。間もなくチューブは途切れ、一般道だ。

見上げれば300m級の超高層ビルが空に突き刺さらんとばかりに乱立し、まるで剣山を思わせる。

メガロポリスの空は記憶の頃よりも更に細かく切り刻まれ、「青空」などという言葉はもはや似合わない。減った空に反比例するように、重なり合うビル陰が有楽町の街を薄暗くする。

一般道に出たバスは、まもなく有楽町駅前のロータリーに着陸。ぞろぞろと降りていく乗客を待って、一番最後にバスを降りた。

 

 

「ある意味変わってないな、ここも……」

 

 

因縁の地に立って最初の一言は、案外に普通のものだった。薄情なようだが、俺はこの地そのものには大した感慨を抱いていないらしい。

360度見回しても、摩天楼の頂を仰ぎ見ても、運命を分けた地下道への階段を覗いても、心の古傷から血が滲みでる事は無い。

俺の中ではあの日の夕景のインパクトが強すぎて、昼間の高層ビル群ではあまりピンと来ないようだ。

都会の息苦しさにネクタイを緩めていると、

 

 

「恭介!」

「おかえりなさい、恭介君」

 

 

すぐ背後から、聞き慣れた懐かしい声。

振り向くとそこには、ポニーテールの活発そうな同世代の女の子と、柔和な微笑みを浮かべる壮年の女性が立っていた。

知らず、笑顔がこぼれた。

今の俺がこうして笑っていられるのも、家族を失ったあの時に2人が一緒にいてくれたからなのだ。

俺は失った家族と同じくらい、或いはそれ以上に大切な二人に、

 

 

「ただいま。あかね、由紀子さん」

「うん。おかえり、恭介。全然変わってないわね、アンタ」

「連絡くれないから心配したけど、元気そうね。安心したわ」

 

 

簗瀬家親子に、2年ぶりの再会のあいさつを交わした。

 

 

 

 

 

 

2206年 7月25日 16時17分 アジア洲日本国東京府 文京区内某マンション15階3号室

 

【推奨BGM:宇宙戦艦ヤマトpart2より《再会》】

 

簗瀬家親子と合流した俺は、自宅――家族が死んでから宇宙戦士訓練学校に入校するまで居候させてもらっていた、簗瀬さんの家――に帰ってきた。

帰りがてらスーパーに寄って、夕飯の材料も買ってきた。材料から察するに、定番のカレーだろう。

 

 

「あっちではどうなの、恭介君?」

 

 

買い物袋から中身を冷蔵庫に移していると、合成ジャガイモを真空パックから取り出していた由紀子さんがキッチンから尋ねてきた。

 

 

「そうですね。仕事も順調ですし、最近は毎日が楽しいですよ」

「あら、仕事が楽しいって言えるようになったのね。前に帰って来た時は血走った眼をして隈もできていて、とてもじゃないけど設計技師の仕事をしているとは思えない有様だったのよ?」

「さすがに慣れてきましたし、以前ほどは仕事が忙しくないんですよ。ようやく気持ちに余裕が出来て、楽しいと思えるようになったんです」

「そう?ならいいけど。でも、いつも心配してるのよ?ご飯はちゃんと食べてる?掃除洗濯はちゃんとしてる?なんなら掃除しに行ってあげましょうか?」

「大丈夫ですよ、ちゃんとできてます。そんなに心配しないでください」

 

 

苦笑いしつつ、由紀子さんの世話焼きをやんわりと辞退する。でも、俺の事を気にかけてくれるのは、純粋に嬉しかった。

こうして言葉のキャッチボールをするたびに痛感する。由紀子さんは2年前と――いや、あの日俺を助けてくれたあの時からちっとも変っていない。

病室で目が覚めた時、一番に気づいてナースコールを押してくれた人。

あの日、俺と同じように旦那さんを失ったのに、そんな気配を露ほども見せずに俺の見舞いと看病をしてくれた人。

退院した俺を引き取って、実の息子のように育ててくれた、もう一人の母さん。

彼女の優しさに、確かに俺は救われた。

以前そんなことを言ったら、「一人っきりの娘の遊び相手が欲しかっただけよ」なんてとんでもない誤魔化し方をしていたけど。

由紀子さんの照れ隠しだなんてことはうっすらと赤く染まっていた頬を見れば明らかだったし、仮に本当に遊び相手欲しさだったとしても構わないと思った。

それくらい、篠田恭介は簗瀬由紀子という女性に対して感謝の思いを抱いているのだ。

 

 

「え~、恭介のくせに炊事洗濯なんてできてるの?俄かには信じ難いなー」

「放っとけ。いいからお前も手伝え。あかねこそ、ちゃんと母さんを手伝ってるのか?」

 

 

そんなわずかなモノローグさえぶち破ってくれるのが、由紀子さんの一人娘のあかね(21歳)である。もうひとつの買い物袋を持って後ろからちょっかいを掛けてくる。

 

 

「当たり前でしょ?中学校卒業と同時に家を飛び出して軍隊に入っちゃったアンタと違って、私はずっと母さんと一緒に居たんだから。親孝行って意味ではアンタは私に大きく出遅れてるの。折角帰って来たんだから今日くらいは母さんの為に馬車馬のように働きなさい?」

「ああ言えばこう言う……。これだから理系の人間は屁理屈ばっかこねてイヤなんだ」

「アンタも理系でしょうが!?」

「由紀子さんの後ろにちっちゃくなって隠れていた、可愛かったあかねはどこ行っちゃったのかね~」

「~~~~~~~~!!」

 

 

スパコーン!

 

 

「痛てぇ!てんめぇ、後ろから卑怯な!」

 

 

こいつ、履いてたスリッパで叩きやがった!

 

 

「うっさい、昔のことを引っ張り出すから悪いんだ!」

 

 

顔を真っ赤にして怒りだすあかね。

前よりも沸点が大分低くなっているのは遅れた反抗期か。

見た目は健康的な美人に成長したってのに、根性だけはより一層ひねくれてやがる。

 

 

「だからってわざわざスリッパでひっぱたくこたぁねえだろ!おい待てこんにゃろ、お前みたいななお転婆娘は修正してやる!」

「変態!母さん、変態がここにいる!あっち行け恭介、寄るなスケベ!」

「俺がスケベならお前は暴力女だ!」

 

 

きゃーきゃー言いながら逃げるあかねに、早足で追いかける俺。いい大人が二人、ソファの周りをぐるぐる回る。

 

 

「あらあら、恭介君、あかね。家の中で騒ぐのは止めなさい

 

 

包丁の音とともに聴こえてくる由紀子さんの一言に「「はーい」」と揃って返事をし、手の平を返したように二人して大人しくキッチンへ戻る。

ここまでがひとくくり。

もう何年もやってきたお約束のやりとりに、懐かしさがこみ上げる。

片親家庭に居候が一人。

歪な家族「もどき」だからこそ、こんな少々子供っぽいじゃれあいが「家族らしさ」を演出する一番の方法だった。

勿論、今ではこんなことをしなくても由紀子さんやあかねとの絆は確信しているが、長年の癖は抜けるものではないし、このやりとりは今でも俺の心に心地いい気持ちを与えてくれる。やめる気など、これっぽっちもない。

ふと隣を見ると、あかねもこちらを見上げてフッと笑った。

よかった、あかねも同じ気持ちでいてくれているようだ。

 

 

その日の夜、簗瀬家に二年ぶりに家族「全員」揃っての団欒が戻った。




『シナノ』が登場するまではできるだけ間をおかずに投稿するようにします

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