今までの作風とは一転して文章が軽く思われるかもしれませんが、私の力不足ゆえです。どうかお付き合いくださいませ。
2207年 10月5日 14時20分 『シナノ』第一艦橋
『《……そうか。我々が星を発つ前に、既にイスカンダルは無くなっていたのか。……なら、我々の旅は、何だったのだろうな》』
ブーケが自嘲する声が、スピーカーから聞こえてくる。
『《それに、よもや軍はおろか女王以外に皆死に絶えていたとは思わなかった。万が一崩壊前に辿りつけても、援軍など望むべくもなかったというわけだ。……ハハ、なんとも滑稽な話じゃないか》』
『「…………」』
事情をすべて話した艦長はかける言葉もなく、無言を貫く。
その一部始終を、第一艦橋の面々は黙って聞いている。
訪れた沈黙を破ったのは、この中で唯一サンディ王女を見てきた男の呟きだった。
「まさか、スターシャさんの遠い親戚だったとは……道理で似ているわけだ」
「しかし、あの猫さんがいう事が本当なら、神話の時代に分かれた分家ですよね? そこまで似ているものなんですか?」
そう疑問を呈するのは、スターシャを直接見たことがある北野と、同意する来栖。
「うーん、そうですよね。神話がいつからなのか分かりませんけど、何百世代も経っているはずですし」
「……真田さんがいれば、多少は推測ができるんだがな」
南部は、頼りになる天才の顔を思い出す。
ヤマト技師長、真田志郎。
星の海を旅する上で、常に冷静な判断と的確な分析を以てヤマトを窮地から救い続けてきた、艦のもうひとつの頭脳。ヤマト旧乗組員が信頼を寄せる仲間の一人。
彼が今、この場に居ない事が悔まれた。
「それにしても、さんかく座銀河からわざわざこんな所までやってくるなんて、おかしくありませんの? いくら実在するといっても彼らの神話の中に登場してくるような星を、わざわざ探しに来るなんて……」
「……もしかしたら、救援の要請っていうのは嘘なんじゃないか?」
「どういうことですか、藤本さん?」
葦津の疑問に、メインパネルから視線を外した技師長は腕を組んでため息を漏らす。
「あのブーケって猫の話の中で、イスカンダルの実在を疑っていたような発言があっただろう。つまりは、彼女たち自身でさえ、イスカンダルが実在するとは信じられていなかった訳だ。それなら、何故あるかどうかも分からない星に、わざわざ王族の人間を派遣する?」
「そうですわ。王族の一人を当てのない旅に出すなんて、確かに博打に過ぎる話ですわ。……でも、それなら尚更理由が分からなくなってしまいますわね」
葦津の言葉に、皆が頷いて同意する。
そもそも、王女が乗った艦で単艦敵中突破するなんて、無謀どころの話じゃない。
そういえば、ガミラス戦役のときもスターシャはわざわざ妹を地球に派遣してきていた。
テレサのように通信を用いるではなく、直接人を派遣する。そういうお国柄なのか?
「……避難、もしくは亡命じゃねぇかな?」
「わ、私も坂巻さんと同じ意見です。もしかしたら、あの艦は、サンディ王女を逃がすためのものなんじゃないでしょうか?」
坂巻が中空を睨んで考えをひねり出す。おずおずと同意する舘花。
ま、二人の推測が一番無難だろうな。
藤本さんもそれに首肯して、
「ブーケの物言いからすると、救援要請の大使なんていうのは建前で、単にサンディ王女を亡命させるためにやってきたと考えるのが一番矛盾がない」
「そ、そんな……星を、国民を見捨てて、保身の為にここまでやってきたというんですか、彼らは!?」
「落ち着け、舘花。すべてはただの推測でしかない。王女本人から話を聞かないと、本当のところは分からないだろう?」
「……これから彼女達、どうなるんでしょうか?」
「すぐに放り出すということはないだろう」
藤本さんは自分の席に戻りながら、来栖に答えた。促されるように自分たちも席へと戻る。
「相手は250万光年先なんていう、俺達の想像もつかないような遠方から来たんだ。俺達が知らない情報はいっぱい持っているだろう。今のところ敵対の意志も無いようだし、無碍に帰すこともできないさ。何より、ガトランティス帝国のこともある」
南部と藤本さんは、ズォーダー大帝が乗っている大戦艦がテレサと共に爆沈した現場をこの目でみている。
あれから7年、とうの昔に皆の頭から彼らの存在は消え失せていた。
しかし、いまだにガトランティス帝国は確かに存在していて、地球人の知らないところで暴虐な振る舞いを続けている。
しかも、どうやらズォーダーが戦死したことも、討ったのが俺達地球人やテレサであることも知らないようだ。
地球の周辺で、また何かが起こっている。
いや正確には戦乱がこちらに近づいてきている。
「真田さんがいればなぁ……」
おもわず出た独り言は、幸いにも誰にも聞かれることはなかった。
◇
同刻同場所 『シナノ』医務室
時刻は、戦場の喧騒も収まったお八つ時。
柳瀬あかねは今、艦内烹炊所、いわゆる『シナノ食堂』から医務室へと向かっている。
コスモクリーナーEのテストもひと段落し、休憩しに行ったところを坂井さんに頼まれたのだ。
押しているカーゴには、何やら豪勢なお食事と普通のお弁当、そして消化の良い病院食。お弁当は医療班の人たちのお昼ご飯だし、病院食を医務室に運ぶのは分かるけど、このフランス料理フルコースは何なのだろうか?
坂井さんは「まさか軍艦の中でフレンチシェフとしての腕をふるう事が出来るとは!」と柄にもなく感極まって泣いていたが、要領を得なかった。
殆ど人のいない廊下を、オートウォークに乗って移動する。
動く歩道のモーター音だけが、狭い廊下に響く。
先程まで命のやり取りをしていたのが嘘のような、不気味な静けさ。
つい2時間前までは、ひっきりなしに弾が当たる衝撃音が壁越しに工作室に轟いていた。
その音に耳が麻痺してしまった所為だろうか。今は何の音もしない方が、生きている実感が得られなくて不安に駆られてしまう。
歩きながら周囲を見渡すと、乳灰色の壁の所々に塗装が剥がれたり艦体の軋みによってひび割れた部分がちらほらと見受けられる。
よっぽど手ひどいダメージを受けたのだろう。
―――確かこの船って、恭介が設計に関わっているんだっけ。
なんか、あの時に私が聞いた言葉がヒントになったとか言っていたけど……ならば、この船はある意味私がいなければ出来なかったってことね。
ということは、この船は私と恭介の――――――やだ、なんか変な気分になってきちゃった。
脱線する思考を抱えつつ、あかねはオートウォークのメインストリートを外れて医務室へ。
「………………ん?」
自動ドアを開けた瞬間、何か違和感を感じた。
全身の毛がそば立つような、周囲の空気が自分と反発しているような疎外感。
不思議に思いつつも一歩踏み出して中に入ると、違和感は確信を持つ。
医務室の外と中で、明らかに空気―――雰囲気と言った方がいいかしら―――が違う。
今も怪我人の治療が続いているのだろうか?
重症患者の手術が続いているのならば、奥の術室のみならず医務室の空気がピリピリしていてもおかしくない。
「こんにちは……。お食事を持ってきましたけど?」
「ん? おお、ようやく昼飯が来たか」
「あー、ようやく飯が食える」
「そろそろ昼飯、ていうときに戦闘が始まったからな」
「私、お茶取りかえてきますね」
「んじゃ俺は、台拭きを濡らしてくるか」
恐る恐る顔を出すと、和室に上がってちゃぶ台を囲っていた白衣の人達が迎えてくれた。
どうみても手術中じゃない、むしろ完全に寛いでる。
ということは、もう怪我人の治療は済んだのだろうか。
でも、さっきから感じている変な感触はまだある。
一体、何なのだろうか。
「えーっと、こちらのお弁当が皆さんの分で、こちらの病院食が患者さんの分です。コース料理はどなたですか?」
「ああ、そいつはワシのじゃ。芹沢のヤツ、本当にうまいもんを持ってきてくれるとはありがたいのう」
『ハァッ!?』
医療班長と思わしき老人の一言に、場が固まる。
その場にいた若い医師が、口々に老人へ食ってかかった。
「待ってくださいよ! 何で俺たちが普通の戦闘食でじいさんがフランス料理なんですか!?」
「当たり前じゃ、お主らはまだ仕事が残っておるじゃろうに! ワシはもう終わったからいいんじゃい!」
「残りの仕事全部押し付ける気ですか!? ていうかそれにしても贅沢過ぎでしょ!」
「なんで来賓でもないのにこんな高級料理が出てくるんですか!」
「フフン、艦長の許可を得ているから問題などないわ!」
そういいながら、カーゴから次々とお皿を取り出していく老人。
コース料理だから給仕もさせられるのかと一瞬思ったけど、どうやらそれはやらなくて良いみたいだ。
「あ、赤ワインもついてる! 仁さんお酒飲まないでしょ! もらっていいですよね!」
「こちとら弁当なんだ、酒くらい飲まないとやってられっか!」
「コラ、仕事中に酒を飲むやつがあるか! それは後で酒保に行って他の食いモンと交換するんじゃ!」
『黙れクソジジイ!!!!』
「ていうか酒保って言い方も古いぞ!」
「……ええ、と」
目の前で繰り広げられる罵詈雑言の応酬に、ついていけないあかねは早々に退散することにした。
患者たちのご飯は医療班の看護師が配膳してくれるだろうし、もう帰っても構わないだろう。
工作室に帰る前に坂井さんに報告しておかなきゃ、と思いつつ出口へと振り返る。
そのとき、部屋の一番の奥にあるカーテンが視界に入った。
ドクン、と。
何かが響いた気が来た。
違和感が私の中に入り込んでいくような錯覚。
私の中の何かが違和感と接触し、混じり合う。
それはまるで、遠い記憶を思い出したかのように、自然と受け入れられていく。
視線の先に何かがいると、あかねは何の根拠もなく確信した。
出口を向いていた体を向き直し、誘われるように視線の奥へ進む。
―――――――――ドクン
磁石が引かれあうように、恋人が惹かれあうように。
それが当然とばかりに、数ある病床を無視して一番奥のカーテンへ。
普通ならば、わざわざ閉まっているカーテンを覗くなんて非常識なことは考えないだろう。
――――――ドクン
周囲の患者が看護師から昼食を受け取りつつ談笑している中、クリーム色の遮光カーテンの向こうは、不気味なほどに沈黙を保っている。
いや、違う。モーターの駆動音のような、なにか機械が稼働している音が僅かに聞き取れる。
タイルを踏む足音がやけに耳につく。吐息が、衣擦れの音が、心臓の鼓動さえもが医務室中に響いているんじゃないかと気になって仕方ない。
自分ではひどく大きな音に聞こえるが、誰に気付いていない。
―――――ドクン―――――ドクン
誰にも咎められることの無いまま、あっさりとカーテンの前に辿り着いた。無造作な手つきで、あかねはカーテンの内側へと滑りこむ。
――――ドクン――――ドクン
そこにあるのは、細長い鋼鉄製の卵。
壁際にはいくつもの機械が並び、それぞれコードやチューブが互いを結んでいる。
人工の子宮
そんな化柄にもない事を考えてしまうほど、それは異質な存在だった。
――――ドクン――――ドクン――――ドクン
稼働しているという事は、中には負傷者が収容されているという事。
しかし、今回の戦闘では重傷者はいるものの医療ポッドに入らなければいけないような負傷者はいなかったと聞いている。
―――ドクン―――ドクン―――ドクン
あかねはポッドの前に立った。
本来、ポッドの蓋は透明になっていて中が見えるはずだが、今は電圧をかけて焦げ茶色の遮光ガラスになっている。
さっきから感じている違和感は限界まで濃厚になっていて、甘ったるい空気と化していた。
違和感の発生源は、この中に間違いない。
この異様な雰囲気に、今まで誰も気づかなかったのだろうか。
――ドクン――ドクン――ドクン――ドクン
憑かれたように手が伸び、ポッドの制御装置を操作。
蓋の遮光モードをオフに。
駆動音が少し小さくなり、蓋が徐徐に色身を失い、中身が輪郭を現していく。
―ドクン―ドクン―ドクン―ドクン
ポッドの中が、私を惹きつける。
医療用ポッドだから、中に入っているのは人間のはず。
ならば、私は誰かに魅かれているってことなのか。
そんなことはない。
私が好きなのは恭介。
それだけは間違いない。
第一、会ったことも無い人に魅かれるなんてことがありえる?
それじゃ、この衝動はなに?
眼前の容器の中にいる人の姿を確かめたいというどうしようもないこの気持ちは、恋以外に説明がつくだろうか?
ドクンドクンドクンドクンドクン
やがて色が落ち、完全に透明になったポッド。
いきなり全てを観るのは怖くて、緊張に唾を飲み込みながら足元からゆっくりと興味の対象を観察する。
細身の体に、ボディラインにフィットしたドレス。
どう見ても女性だ。
私ったら、女性に惹かれていたってことなのかしら?
そっちのケは全く無いはずなんだけど。
手足に巻かれた白い包帯と真っ赤なロングドレスのコントラストが、何故か異様に煽情的に映る。
細い四肢はまるで痩せこけているようにも見えるが、肌が荒れていないところをみると、もともと身体に肉がつかないタイプ?
若い。二十代だろうか?
視線を上げていく。
胸は――――――私より少し小さいくらい。
心の中で小さくガッツポーズ。
アクセサリーの類を一切付けていない首元。
治療の際に外されたのかしら?
さらに視線をあげて顔を見て……
彼女と、目が合った。
「――――――!!!」
刹那、私は意識を失った。
◇
同場所 14時55分
あかねが倒れたと連絡を受けた恭介は、制止する冨士野先輩を振り切って医務室へと駆けつけた。
ドタドタドタ!
ガラガラ、バタン!
「なんじゃなんじゃ!? 敵襲か?」
「先生、あかねの容態は!?」
「なんじゃ、噂の簗瀬兄か。安心せい、ただの貧血じゃ。それと医務室内で騒ぐんじゃない、バカモンが」
「うっ……スミマセン」
「配膳から戻る途中に突然倒れての。頭は打っていないようじゃから大丈夫じゃろ。今はベッドで休んでいる。奥から二番目じゃ、顔を見てこい」
「ありがとうございます」
礼もそこそこに、恭介はあかねのベッドへ急ぐ。
薄いベージュ色の遮光カーテンを少しめくって、こっそりと中をのぞいた。
「あかね……なんだ、寝てるのか」
起きていないことに少しがっかりするが、落ち着いた寝顔をしていて一安心する。
改めてカーテンを開いて、中へ入った。
「よかった、戦闘で負傷したんじゃないかと思って心配したんだぞ?」
丸椅子に座って、大事な妹の顔を改めてマジマジと見る。
寝かせる際に看護師が髪ゴムを取ったのだろう、ポニーテールが下ろされて薄いピンク色の輪っかが脇のテーブルの上に置かれていた。
髪を下ろした姿を見て、一年半前のあの夜を思い出す。
「いつ以来だろうな、こうやってあかねの寝顔を見るのは」
思い出すのは、10年以上も前の記憶。
退院しても身寄りのない俺が、簗瀬家に引き取られた頃。
出会ったころのあかねは人見知りなところがあって、話しかけてもモジモジするだけであまり会話はなかった。
それは由紀子さんも承知していたらしく、あかねを嗜めることも促すようなこともしなかった。
おかげで、恭介はあかねに懐いてもらおうと必死になって、無理やり話を振っては玉砕する毎日だったのだ。
結局、その殆どが無駄に終わったのだが。
事態が変わり始めたのは、一緒に住み始めてから半年ほど経ったとき。
その日は、由紀子さんが仕事の都合で徹夜することが分かっていた。
気まずいながらもあかねと俺は一緒にご飯(無論、当時は配給品だった)を食べて、なんとか会話をひねり出して時間を稼いだ。
そして心労でヘトヘトになった俺はいつもよりも大分早く風呂に入り(当時はまだシャワーは出ていた)、二段ベッドの上の段にある自分の布団に潜り込んだ。
早く寝すぎた俺は、当然のように夜中に一度目が覚める。
すると、二段ベッドの下の段で寝ているはずのあかねが、落下防止用の柵越しに俺の顔をじっと見ていたんだ。
そうそう、あの時は黙って寝顔を観察されていた恐怖よりも、いつものあかねと全く様子が違っていることにものすごく動揺したのを覚えてる。
怖いのを押しこらえて何かを訴えようとして、でも委縮してしまって言えない表情。
なんとか促して話を聞き出せば、いつもは由紀子さんと一緒に寝ているとのこと。
で、その日は由紀子さんがいないから、代わりに俺が御指名を受けたって訳だ。
話を聞いて、もう10歳になるのに随分と甘えん坊なんだなと呆れながらも俺はベッドにあかねを迎え入れた。
大人になった今ならアレコレ妄想してしまうんだろうが、その頃の俺は残念ながら子供だった。
「仲良くなる切っ掛けになればいいや」くらいの軽い気持ちで、承諾していたのだ。
あかねの分のスペースを開けて、二人でベッドに並んで入る。
お互い背を向けてはいたし、触れている場所もなかったが、狭い布団の中、狭いパジャマ越しにあかねの体温が伝わってきていた。
……クソ、これだけの据え膳なチャンスで何故手を出さなかったんだ11歳の俺!
いや、出したら出したで問題あるし由紀子さんに〇されていたんだろう。
ていうか、それよりもあの時印象に残っているのは、そんなことじゃなかったしな。
………………お父さん…………
枕元から聞こえてきた、か細い寝言。
布団に入って早々に寝息を立てたあかねに、諦めて寝ようかと瞼を閉じた直後に聞こえた、あかねの声。
そっと首だけで振り返ると、閉じられた瞼の端から涙が流れたのが暗がりでもわかった。
そのとき、俺は理解したんだ。
あの日、俺と同じようにあかねも心に傷を負っていたことを。
家族を失った俺は由紀子さんとあかねに救われたけど、父を失ったあかねはいまだに苦しんでいる。
その傷を埋めるために、いつもは由紀子さんと一緒に寝ていたんだろう。
きっと、今も夢の中で父を見ては泣いているに違いない。
普段の人見知りなところも、それが原因かもしれない。
「思えば、あれが最初なのかもしれないな……」
守りたいと思った。
悲しい過去に震える、背中越しに泣いている小さい女の子を。
慰めてあげたい。
彼女の悲しみを一緒に背負ってあげたい。
こんな可愛い子が、こんなに打たれ弱い子が、いつまでも抜けない棘に苦しみ続けるなんて間違っている。
由紀子さんは、独りぼっちになった俺を救ってくれた。
ならばきっと、今度は俺がこの子を救う番なんだ。
「由紀子さんの娘」ではなく、「一人の女の子」としてあかねと向き合おうと思ったのは、このときが最初だったんだ。
それから10年の月日が経った。
あのとき俺のベッドで寝ていた気弱なあかねと、今目の前で寝ている快活なあかねは、まるで別人のようだ。
それでも、守りたい存在であることには変わらない。
俺の気持ちはあのときと少し変わってしまったけれど、やるべきことは10年前と何一つ変わらない。
俺は、あかねを守る。
可愛い妹として。
大好きな女の子として。
自分の気持ちを再確認すると、彼女への愛おしい気持ちが溢れてくる。
彼女の存在を味わいたくて、彼女を起こしてしまわないようにそっと左手を伸ばし、顔にかかっていた前髪を静かに払った。
そのまま指で髪を掬って、耳元へ指先を滑らせる。
墨を染み込ませたような美しい黒髪に人差し指と中指を沈めて、優しく梳く。
指を毛先へ進めると、髪が波打って光沢が綾波のように輝く。
指を抜いて、今度は頭を撫でてやる。
昔から、あかねが眠れないときにはこうやって宥めていたものだ。
これもまた、指先の感覚が気持ちいい。
「――――――あれ?」
そのときになって、恭介はようやく気づいた。
あかねの前髪、その生え際の一部が白っぽく変化していることを。
両人差し指で髪を掻き分け、顔を近づけて確認する。白というよりも、金髪っぽい。
「…………え? まさか? ウソ? マジ?」
思わず絶句する。
全身の血が凍るような思いがした。
――――――もしかして、染めてる?
金髪に脱色したのを、黒に染めて誤魔化している?
「Nooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!」
「キャッ!」
「きゃあああ! な、なに!?」
恭介は頭を抱えてのけぞって絶叫する。
あかねが!
あかねが不良になっちゃった!!
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
よりにもよって綺麗な黒髪がチャームポイントなあかねが、自分の長所を駄目にするような真似をするなんて!
何故だ!
何故金髪なんかにしてしまったんだ!
俺がいない間にあかねに一体どんな心境の変化があったんだ!?
―――――ハッ、そうか、分かったぞ!
男か!
悪い男に唆されて不良の道に走ってしまったのか!
誰だ!ゼミ生の誰かなのか!
金髪の彼氏の真似でもしたのか、ならば犯人はブロンド髪のゼミ生だな!!
「おのれ誰だか知らねぇが今すぐハラワタをブチまけ「何変なコト言ってるのよバカ恭介―――!!」おぶぽぁ!?」
罵声とともに俺の体が空中に吹っ飛ぶ。
ズシャアッ!
恭介の体は、スローモーションで医務室の床に仰向けに沈みこんだ。
「…………痛いぞあかね」
首だけを曲げてベッドをみると、右腕を振り抜いたまま真っ赤な顔をしているあかねがいた。
「アンタが不良だの彼氏の唆されただの、無いこと無いこと言うからでしょ!?」
「心の中を読んで怒るのは反則じゃなかろうか?」
どげし!
今度は両脛に踵落としを食らった。
「…………とっても痛いぞあかね」
「うっさい! 全部自分で呟いてたわよ!!」
名前の通りの色をした顔をして仁王立ちするあかね。
どうやら全部口にしていたようだ。
しかし、こうやってローアングルで見上げると宇宙戦士の制服を着ているからボディラインが強調されて控えめな胸にも影ができてそれなりに踵膝股関節が同時に極まって痛い――――――!!??
「だ・か・ら! 全部口にしてるって―――の!!」
ギリギリギリ!
「なんでお前が逆エビ固めなんて知ってるんだ、そうか彼氏に教わったんだろ! 兄ちゃんは許さんぞイデデデデデデデデデデデデデデデデデデデデデ!」
「だから、違うって言ってるでしょ―――――――――――!!!」
「ギャ―――――ッ! ギブ! ギブギブ!!」
グギギギギ!
バンバンバン!!
シャァッ!
「ちょっと、五月蠅いですわよ! 静かに眠れないじゃありませんの!!」
突然、目の前のカーテンが開かれる。
「へ?」
「誰?」
そこには、先程のあかねと同じポーズで立つドレス姿の金髪美人。
――――――これが、俺達兄妹とサンディ・アレクシアの邂逅であり、運命が変わった瞬間であった。
サンディ・アレクシアのキャライメージは某ツインテールのあかいあくま。