家に戻ったクリュウは私服に着替え直すとベッドに横になった。眠くはないがこうして横になっているだけで体を十分休める事ができる。
今日はランポス三匹程度だったが、連日の戦いにクリュウは結構疲れていた。いくら相手がランポスといえど、クリュウはまだ初心者。それを連戦しているのだ。疲れて当然だろう。
窓の外を見るとすでに日はかなり落ちて辺りは薄暗くなっている。今日もまた一日が終わろうとしているのだ。
クリュウは退屈そうにふわぁとあくびをして寝返りを打つ。とそんな時、玄関の木造のドアが軽くノックされた。
「はい、誰ですか?」
「私よ、入るわよ」
そう言ってクリュウの許可も聞かずにドアを開けて入って来たのは予想通りエレナだった。勝手知ったる幼なじみの家。エレナは遠慮もせずに堂々と入って来る。酒場から直接来たのか制服は着たままでその手には何か様々な食材の入ったかごが握られている。
「エレナ? どうしたの?」
「ちょっとね」
「ちょっとねって……酒場はこれから本番でしょ?」
酒場は基本的に夜が本業である。それはドンドルマのような大都市からイージス村のような小さな村のどこでも同じ事だ。それなのにその酒場のオーナー兼ウェイトレスのエレナがこんな所にいるのは不自然かつ損である。
すると、エレナは「いいのよ」と言ってベッドの上に腰掛けているクリュウに近寄る。
「いいって、どういう事?」
「今日はもうお休みにしたの」
「お休みって何で? 体調でも悪いの? だったらこんな所に来ないで早く家に帰った方がいいよ?」
「違うわよ。今日はちょっとあんたに用があって休んだのよ」
「僕に用って何?」
そう問うとエレナはなぜかプイッと背を向けてしまうと「別に、私の勝手でしょ」と不機嫌そうに答えた。
「いや、勝手でしょって……ここ一応僕の家なんだけど」
首を傾げるクリュウを無視して彼の横を通り過ぎると、エレナはそのまま奥にある台所へ行ってしまった。
「あの、そこ台所だけど」
「わかってるわよ……やっぱり、使われている気配が全然ないわね。ちゃんと料理作ってるの?」
エレナの呆れたような視線にクリュウは苦笑いしながら気まずそうに視線を逸らす。恥ずかしながら、その返答はノーである。
「う、うん……アプトノスの肉を焼いただけだけど」
「それは料理って言わないのよ。他に何か作れないの?」
「まあ、一応ハンターだから生きるのに必要最低限の料理くらいはできるけど、疲れて作る気にもなれなくて」
恥ずかしそうに言うクリュウにエレナはわざとらしくため息をする。
「まったく、思ったとおり体に悪そうな生活してるのね」
「ご、ごめん……」
別に彼女に謝る理由はないのだが、クリュウは雰囲気的に謝ってしまった。するとそんな彼にエレナは小さく笑みを浮かべると、手に持っていたかごをテーブルの上に置く。
「仕方ないわね。じゃあ私が何か作ってあげるわよ」
突然の驚愕発言に驚くクリュウの視線に背を向けると、エレナはその場で手さげのかごの中から早速食材を取り出し始めた。
エレナの突然の発言と行動にクリュウは戸惑ったものの、冷静さを取り戻すとすでに食材をまな板の上で切り始めたエレナの肩を掴む。
「ちょっと待ってよ。僕なんかの為に悪いよ。そんな事より酒場に行った方が……」
「そのあんたの為にわざわざ酒場を休んでまで来たのよ? こうして食材まで持ち込んだ上に制服のまま来てあんたに料理作ってるの。それとも何よ? 私の料理は食べられないって言うの?」
唇を尖らせてすねたように睨むエレナにクリュウは慌てて手をブンブン振って否定する。
「そ、そんな事ないよ。エレナの料理がおいしいのは身をもって知ってるし」
「ならいいじゃない。幼なじみとしてあんたの健康を守るのは私の役目なのよ。だから素直にあんたは料理ができるのを待ってなさい」
そう強く言われてしまうと、これ以上クリュウは何も言えずに小さく笑みを浮かべてうなずいた。
「う、うん……ありがとう」
「べ、別に礼なんていらないわよ。ほら、邪魔になるから出てって出てって」
なかば追い出されるようにして台所から出たクリュウ。その背後ではエレナが「まったく、本当に私がいないと何にもできないんだから」とクリュウには聞こえないような小さな声でつぶやいた。その表情は言葉に対してとても嬉しそうなものだった。
リビングに戻ったクリュウはエレナの言うとおりテーブルで待つ事になった。
慣れた手つきで料理を作る彼女の背中を開いたドアを通して見詰め、クリュウは静かに微笑んでいた。
料理を始めてから三〇分後、クリュウの目の前にはおいしそうな料理の数々が並べられていた。どれもこれも見た目も匂いも、そしておそらく味も最高のものだ。
「す、すごいな……」
さすがは酒場で働いているだけはある。彼女しか店員がいないという事はきっと酒場の料理も全て彼女が作っているのだろう。昔から料理や家事は得意だったが、この数年でそれはさらに極められたらしい。
唖然と料理を見詰める彼の前に座ったエレナは自慢げに胸を反らす。
「ふふふ、どう? 驚いたでしょ?」
「う、うん。やっぱりエレナはすごいよ」
「でしょ? 私が本気を出せばこれくらいチョイチョイってできちゃうのよ。さあ、冷めないうちに早く食べなさいよ」
「う、うん」
クリュウはうなずくと早速料理を食べ始めた。まず始めに一番手前にあるアプトノスの肉を使ったハンバーグを口にした。
噛んだ瞬間に広がる肉汁。口の中に広がる絶妙な味付け。最高の焼き加減でこんなおいしいハンバーグは初めてであった。しかも具の中にはミンチ状にされた野菜が入っている。
「これおいしいね」
「ふふふ、当たり前でしょ? この私が作ったのよ。おいしくない訳がないじゃない」
「そうだよね。でもこの野菜がまたおいしいね」
「でしょ? 苦労したんだからね。あんた全然野菜食べてないみたいだったから極力野菜を食べさせようと思ってミンチにして混ぜたのよ」
「すごいけど、それ大変じゃなかった?」
「大変よ。でも野菜不足で倒れたあんたを介護するよりはずっとマシよ」
そう言ってイタズラっぽく笑みを浮かべるエレナに、クリュウは小さく笑みを浮かべると、おいしそうにそのほかの料理も頬張る。もちろんどれも美味だった。
エレナが三〇分かけて作った料理は十分もかからずにクリュウの胃袋に収まった。それだけおいしい料理だったのだ。
「おいしかった?」
エレナの問いにクリュウはもちろんうなずく。
「うん。おいしかったよ」
「そう。良かった」
笑顔でうなずくエレナは腰を浮かせると空になった食器を手に持つ。
「あ、食器は僕が片付けるよ」
「あら、ありがとう」
「いいよ。僕はこれくらいしかできないし」
「そうかもね。でも食器洗いは私に任せて。あんたに任せたらお皿を割りそうだもの」
「そんな事ないと思うけど……」
改めてそう言われてしまうと自信がない。そんな彼の気持ちを悟ったのか、エレナは「まあ後片付けも私に任せて、あんたはゆっくりしてなさい。あんたに何かあったら村が大変だもの」と言ってクリュウを止めると食器を次々に手の上に重ねて台所に消えた。あのバランス力はきっと日頃の訓練の賜物(たまもの)なのだろう。
クリュウはエレナに言われたとおり隣の寝室で横になった。おいしい料理に快適な休憩。これで吹っ飛ばない疲れはない。
しばらくベッドの上でゴロゴロしているとエレナが寝室に入って来た。
「じゃあ私帰るね」
「え? もう?」
「もうって、まだ私に何をさせようって言うの?」
困ったような表情を浮かべるエレナにクリュウは慌てて否定する。
「違うよ。もう少しゆっくりしたらいいのにって思って」
そう言うと、エレナは「ありがとう」と小さく微笑んだが、小さく首を横に振る。
「でも明日もあるし、私も家に帰ってしなきゃいけない事があるから今日は帰るね」
「そう。じゃあ気を付けてね。おやすみ」
「えぇ、おやすみ」
エレナはそう微笑むとクリュウの家から出て行った。
エレナが去った後、クリュウは風呂を沸かして入ると、疲れた体をベッドに投げ出して横になる。そして今日の戦闘の反省やエレナの料理の味、そして明日返って来る武具の事を考えながら、ゆっくりと眠りに付いた。
久しぶりに、ぐっすりと眠れた。