エレナに言ったとおり、クリュウがイージス村に戻ったのは辺りがオレンジ色に染まった夕方だった。
疲れた体を引きずりながら村に戻った彼を一番最初に出迎えてくれたのは、入り口で待っていてくれたエレナだった。
「く、クリュウ!?」
エレナは現れたクリュウの姿に驚いて駆け寄る。
「ど、どうしたのよその怪我」
彼女の視線はクリュウの包帯の巻かれた左肩に注がれていた。
ここに来る途中肩部分の装甲を一部外して痛み止めにすり潰した薬草を塗った包帯を巻いて応急処置をしていた。おかげでずいぶん痛みも引いている。
「これ? 大した事じゃないよ。ちょっとした打撲」
そう言ってクリュウは心配かけまいと微笑むが、エレナはじっとそんな彼を睨み――
「えい」
「ひぎぃッ!?」
突如怪我した部分を鷲掴みした。その容赦のない一撃にクリュウは悲鳴を上げる。
「くぅ……ッ! な、何するんだよ……ッ!」
涙目になって怒るクリュウだが、そんな彼をエレナは怒ったように睨む。
「それくらいで痛がるのに何が大した事じゃない、よ」
確かにそうかもしれないが、確認にしてはかなり強い力で握られた。きっと《確認》ではなく《確信》だったのだろう。それはそれで問題があるが……
まだ痛む肩を押さえて睨むクリュウに対し、エレナはフッと柔和な笑みを浮かべると無事な方の手をそっと掴む。
「ほら、私が手当てしてあげる。どうせ応急処置くらいしかしてないんでしょ?」
「え? そ、そうだけ……」
「早くしなさい。怪我が悪化してのた打ち回るのはあんたでしょ?」
そう言うが、エレナはとても嬉しそうだ。ちょっとケガはしていたが、無事にクリュウが帰って来た事を心の底から喜んでいるのだ。
「ちょっと待ってッ! 僕怪我人ッ!」
「ほら早くしなさいよ!」
エレナに手を引かれ、クリュウは走り出した。
苦笑いする彼の手を嬉しそうに引っ張るエレナの頬がほんのりと赤くなっていたのは、夕日がそっと隠してくれていた。
辺りがすっかり暗くなった頃、エレナに手当てしてもらったクリュウは半年間使っていなかった自分の家で休んでいた。
防具は全部外し、今は普通の私服を着ている。
椅子に深く腰掛け、クリュウは本日の戦利品を眺めていた。
村に来て初めての仕事はなんとか成功したが、まだまだ修行不足だなぁと実感した。
今日はランポスの牙と鱗が結構手に入った。皮も何枚か手に入り、最初にしてはずいぶんと集まっている方だ。
さっき砥石で磨いたばかりのハンターナイフはランプの光に照らされてキラキラと輝いている。
肩の痛みはエレナのおかげでもうほとんど感じなくなっていた。
久しぶりに幼なじみに会えた事は嬉しかったが、まさかその彼女にいきなり手当てしてもらうとは思ってもみなかった。
コンコン……
そんな事を考えていた時、ドアがノックされた。
「はい?」
ドアを開けると、そこには村長が立っていた。
「村長? どうしたんですかこんな時間に?」
こんな時間と言ってもまだ夜になってそんなに時間は経っていない。だが、大都市ドンドルマなんかと違ってイージス村のような小さな村では十分遅い時間だ。もうこの時間では道に村人の姿はない。エレナの酒場はこれからが本番だが、それ以外の理由で野外を歩く事はほとんどない。だからこそ、そんな時間にやって来た村長にクリュウは驚いたのだ。
村長は「こんばんわだねぇ」と軽くあいさつすると、包帯の巻かれた彼の肩を見て少し不安そうに問う。
「怪我をしたと聞いたけど、大丈夫かい?」
どうやら彼は自分の怪我の具合を確かめに来たらしい。
「あ、はい。大丈夫です。これくらいの怪我なんて大した事じゃないですし、それにもうエレナが手当てしてくれました」
「そうか。それは良かった。でもあんまり無理はしないでくれよ?」
「はい」
村長の言葉にクリュウは嬉しそうに微笑む。やっぱり彼は本当に優しい人だ。
クリュウの具合があまり悪くはないとわかり、村長は安堵したような表情を浮かべる。すると突然、何かを思い出したように口を開いた。
「あ、そうだ。今日君の歓迎会をやる事になったんだ」
「ぼ、僕のですか?」
驚くクリュウに村長は大きくうなずく。
「僕の家で開くんだけど、もうすぐ始まるんだ。もちろん出席してくれるよね?」
「え、でも悪いですよ。僕なんかの為に……」
あまり人に気を遣わせたくないクリュウは難色を示す。だが村長としては絶対に説得しなければならない。何せ主役がいないのではどうしようもないからだ。
「もしクリュウくんがうんと言わないなら、僕達はクリュウくん抜きでクリュウくんの歓迎会を決行するよ。身代わりの人形なんかを用意して、勝手に、そして盛大に祝う」
「う、それはなんか嫌ですねぇ……」
「それともクリュウくんは歓迎会なんて勝手に催(もよお)されるのは嫌かい?」
「そんな事ないですよ。嬉しいです。嬉しいですけど……」
やっぱりまだ心が決まらずに首を縦に振らないクリュウに、村長は小さくため息をつく。
「もうみんな集まっちゃってるしなぁ……。仕方ない、クリュウくんの身代わり人形の用意をするか」
その強烈な一押しに、さすがのクリュウもついに折れた。
「わ、わかりました! 出席します!」
その返答に村長はぱぁっと笑顔を満開にさせる。本当に笑顔が似合う人だ。
「本当かい? 良かったぁ。じゃあ僕は先に戻ってるから、クリュウくんもすぐに来てね」
そう言って村長は身を翻して走り去った。彼の背中が闇の中に消えるのを見届け、クリュウは部屋に戻ると苦笑いしながら外出の用意を整えた。
村長の家は村の中央部に位置しており、周りの他の家に比べれば二、三倍は大きな木造の家だ。
クリュウが用意を済まして到着する頃には、すでに歓迎会はクリュウ抜きで大騒ぎとなっていた。っていうか、もうただの宴会状態だ。
「あ、あれ?」
一人場のノリに乗り遅れてしまっているクリュウに、村人達としゃべっていた村長が彼を見つけて駆け寄ってきた。
「クリュウくんッ!」
「村長? これは一体?」
戸惑うクリュウに村長は「ごめんッ!」と頭を下げた。
「実は君が早く来ないからってみんな勝手に始めちゃって、もう飲んで食って騒いでの大騒ぎになっちゃって……」
その言葉に辺りを見回すと、辺りは酒と食べ物の匂いと楽しそうな声に満ち溢れていた。
一応これはクリュウの歓迎会なのだが、その主賓(しゅひん)であるはずのクリュウは完全にこの場では浮いていた。
――結論。
「帰ります」
「ちょっと待ってよクリュウくんッ!」
反転するクリュウを村長が慌てて止める。だが、呼び止められたクリュウは困ったように振り返る。
「だってなんか僕の事なんてみんな忘れちゃってるじゃないですか」
「そ、それはそうかもしれないけど……。ここで主賓である君に本当に帰られてしまったらこの宴会は一体何になってしまうんだい?」
村長の必死の説得に、クリュウはため息しながらこの場に残る事にした。
何やら打ち合わせがあるとかで村長は「楽しんでくれ!」と笑顔で言うと嵐のようにやって来て嵐のように去ってしまった。
再び一人残されたクリュウは適当に近くの椅子に腰掛けると、楽しそうに飲んだり騒いだりしている村人達をじーっと見詰めた。と、
「こんな所で何してるのよ」
その声に振り向くと、そこには昼間会った時に着ていた酒場での正装である緑色のロングスカートにエプロンドレスに白いヘッドドレスをしたエレナが立っていた。
「エレナ? 何でそんな格好してるの?」
「あんたの歓迎会で人手が足りないからって私まで借り出されたのよ。だからこうしてウェイトレスの仕事をしてるの」
「そっか、ごめんね。僕のせいで色々と迷惑を掛けて」
そう言うと、エレナはふんとそっぽを向く。
「べ、別にあんたの為じゃないわよ。村の行事だから参加しただけ。ただ、それだけなんだから」
「ははは、ありがとう」
素直じゃない言葉だが、その彼女なりの優しさに嬉しくなって笑みを浮かべるクリュウに、エレナもそっと微笑んだ。
「はいこれ」
そう言って差し出されたのはジョッキ。中身は飲み口いっぱいまで注がれたビールだった。
「これ私のおごりね」
「え? いいの?」
「いいのよ。あんたは一応主賓なんだから、もっと楽しくしてなさいよ」
そう言った直後、エレナは「じゃあね」と言って再び仕事に戻ってしまった。
一人残されたクリュウはせっかくのおごりであるビールをちょびっと飲んだ。
「……苦い」
そう言ってクイッとグラスを退ける。どうやら自分にはまだ大人の味は早かったらしい。養成所での仲間達は結構ビールなんか平気に飲んでいたが、どうやら自分は自分で思っていた以上にお子ちゃまらしい。
「お、なんだいクリュウくん。ビールが苦手かい? 子供だね」
「これ食べないか? なかなかうまいぞ」
「クリュウくん。私と一緒に酒でも飲まんか?」
まるでエレナにもらったビールが起爆剤になったかのように、クリュウのまわりには大勢の村人達が集まって来た。
次々に声を掛けられてクリュウは慌てるが、村人達はそんな彼を快く歓迎してくれる。
「クリュウ。一緒に飯で食うか? 修行なんかの話を聞かせてくれよ」
「え? あ、その――はいッ!」
クリュウはそう答えて皆の輪の中に入って行った。
月明かりが照らすのどかな夜。クリュウの歓迎会(仮)は夜遅くまで続いた。