――そして、クリュウ達が東方大陸へと渡る日が来た。
イージス村の沖合に、突如として砲声が轟いた。
次々に鳴り響く砲音は、静かなイージスの海を打ち壊すように鳴り続ける。鳥達はその爆音に驚き飛び立ち、獣達は恐れ森の奥へと去って行く。
無数の砲声を轟かすのは、イージス村の沖合に展開している大艦隊の主砲の数々だ。
数にして一〇〇隻以上。超大型戦艦から駆逐艦クラスまで、大小様々な艦艇が見事な隊列を組んでイージス村沖合に並んで停泊している。
世界広しと言えど、これほどの規模の大艦隊を擁する国はそう存在しない。だが、この中央大陸においては、たった一国だけがこれを成し得る。
各艦のメインマストには、平時には艦尾に翻すはずの国旗が厳かに翻っている。
横長の薄灰地に白の十字、その上から黒の十字が重ねられた、通称《鉄十字(アイアンクロス)》と呼ばれるその旗は、中央大陸の軍事大国――エルバーフェルド帝国の国旗である。
そう、この大規模艦隊の正体、それは中央大陸最強と謳われる軍事大国、エルバーフェルド帝国の海の国防を担う組織。エルバーフェルド国防海軍の艦隊。それも帝都防衛の要たる本国艦隊と、侵攻作戦時の主力となる外洋艦隊、それぞれの精鋭部隊が連合艦隊を組んだエルバーフェルド海軍伝統の主力部隊、大洋艦隊(ホーホゼーフロッテ)だ。
そんな無数の艦船が停泊する中には、戦艦も数隻含まれる。だが、その中でも一際巨大な戦艦が二隻、それも艦隊の最も中心に停泊している。大洋艦隊旗艦、フリードリッヒ・デア・グローセ級戦艦1番艦、戦艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』だ。そしてその隣に停泊しているのは先日竣工したばかりの新型戦艦、フリードリッヒ・デア・グローセ級戦艦2番艦、戦艦『アドミラーリン・デーニッツ』。古代エルバーフェルド語で《大提督デーニッツ》を意味する、新戦艦だ。
そんな大艦隊が、見事な隊列を組みながら今まさに次々にその自慢の砲からイージス村に向けて火を噴かす。その様は、まるでイージスに向かって艦砲射撃をしているように見えるが、実際はそんな恐ろしい光景ではない。
クリュウ達の旅路を、大洋艦隊を挙げて祝福しているのだ。
沖合の大艦隊から次々に撃ち上がる祝砲に、クリュウ達は苦笑いを浮かべる。もっと静かに旅立ちたかったが、どうやらそうもいかないらしい。
一方、そんなクリュウ達の気持ちを知らず、自らが用意した旅立ちの儀を堂々と披露するのはこの大艦隊を率いてきた、少女提督ことエルバーフェルド帝国国防海軍総司令官であるカレン・デーニッツだ。
「どうかしら? 大陸最強の艦隊である我が海軍からの新たなる旅路の祝い。こんなに栄誉な事はないと思わない?」
「……僕はエルバーフェルド人じゃないから、こういうのが嬉しいとは正直思えないなぁ」
「大丈夫よ。私もエルバーフェルド人だけど、こればっかりは理解不能よ」
そう言って胸を張るカレンの隣から現れたのはルーデル。遠くに浮かぶ艦隊を一瞥し、自らの祝福をバカにされて怒るカレンに向かって小さくため息を吐く。
「こんな事にみんなの大切な税金を使わないでください提督。我が国の国家予算を、どれだけあの大規模艦隊の維持費に割いているかわかってるんですか?」
「言うじゃないレヴェリの狂犬。一応あの艦隊は蒼海海上演習艦隊として総統陛下の許可は受けているのよ。ちゃんとした定期的な演習だから、無駄じゃないわ」
不敵に微笑むカレンに対し、ルーデルは呆れたように小さくため息を吐く。そんな二人のやりとりに、クリュウは苦笑を浮かべていた。
クリュウの東方大陸行きを知ったカレンは、東方大陸まで彼を送り届ける事を約束してくれた。本当はドンドルマ経由で貿易船に乗って行く予定だったが、ちょうどエルバーフェルド帝国の東方大陸唯一の同盟国である津洲帝国に対する技術供与の為の艦隊、遣東艦隊の派遣の時期と重なっていた事から、それに乗せていく形となったのだ。
津洲帝国とは東方大陸にある帝(みかど)と呼ばれる神聖化された王を中心とした立憲君主国。その歴史は古く、世界最古の国とされている。あの温泉地として有名なユクモ村がある国で、東方大陸最大の国家だそうだ。
中央大陸において味方がいないエルバーフェルド帝国は、アルトリアや津洲などの大陸外の国との親交を強化している。津洲帝国は豊富な資源国家な為にエルバーフェルドにとっては資源輸入を頼る形となっている。一方の津洲も東方大陸内での民族、宗教対立から周辺国との対立があり、近年軍事力を強化。その最中で中央大陸最強と謳われるエルバーフェルド帝国の技術力に興味を持ち、二国は急接近。現在ではエルバーフェルド・津洲防国協定が結ばれている。
後に津洲がアルトリアとも親交があった事から三国はより強力に互いを相互に守り、支える、経済においても密接に繋がる事を目的にエルバーフェルド・アルトリア・津洲三国連合同盟を締結。互いの国の位置を線で結ぶと巨大な三角形となる事から、通称《トライアングル同盟》と呼ばれる事となる。
現在村の沖合に停泊しているのは、そんなクリュウ達を乗せて津洲帝国へと向かう遣東艦隊の他に、先程カレンが言っていたように蒼海海上演習艦隊が存在する。というか、停泊中の艦船のほとんどが後者に所属する。
例のウェスドックに抵抗する為に行われる予定だった西竜洋北部海域での海上演習は、フリードリッヒの厳命を受けたカレンの決断で中止が決定された。しかしやはり海軍内での反発は根強く、カレンとフリードリッヒは話し合いの末に西竜洋ではなく蒼海において海上演習を行うという妥協案を提示。海軍側もこれに渋々ながらも同意した。
大義上は同盟国津洲帝国との海上部隊の連携となり、津洲帝国側も艦隊を派遣する事が決定されている。蒼海において二国艦隊は合流し、大規模な海上演習を行う予定となっている。
実際の遣東艦隊は先日のアルフレア沖海戦で奮闘した軽巡洋艦『シュヴァルツァー』『シュトゥルム』と同じシュヴァルツァー級軽巡洋艦3番艦『シュメルツェン』を旗艦とし、護衛の駆逐艦4隻と物資を積載した輸送船2隻の小規模艦隊の予定だ。
世界屈指の大艦隊をバックにして睨み合う二人の少女に対し、周りの者達は苦笑を浮かべながらそんな二人の争いを見守る。そんな二人に「あの、国の恥を晒すのはそれくらいにしていただけないでしょうか……」とフィーリアが間に入り、ひとまず二人の争いは終結する。
「しかし、ずいぶんと豪華な門出だな」
そう言ってシルフィードが見回す限り、村の崖下にある港には大勢の人が集まっていた。現在村に残っている村人や、復興に協力してくれている海軍陸戦隊や設営隊の軍人、大陸通商連合所属の物資運搬に訪れていた商人達等が数百人規模で集まっている。もちろん、クリュウと関わりの深い者達も多い。
「先輩。ボクのお守り、ちゃんと持っていますか?」
そう言ってこちらに近づいて尋ねて来たのは、現在正式にイージス村に籍を移して村の防人となったルフィール・ケーニッヒ。二色に煌めくイビルアイを不安げに揺らしながら尋ねる彼女の問いに、クリュウは「持ってるよ」と言って懐を叩く。服の下には彼女から以前渡されたどんな厄災をも跳ね返す伝説のお守り、守りの護符がある。これがあると、どんな困難をも乗り越えられるような気がする、そんな不思議なお守りだ。
「とても大変な旅路になると思いますが、どうかお体を壊さず、元気でお過ごしください。ボクは、先輩が元気で居る事が一番の願いですから」
そう言って、ルフィールは小さく微笑む。その笑みがわずかに寂しさが感じられるのは、やはり彼との別れが辛いのだろう。これから、彼女は彼の代わりにこのイージス村に残って村の防人として活動する事になる。クリュウ達が再びこの村に戻って来るのは、今のところ未定だ。半年先か、一年先か、三年先か。どれにしても長い時間離れ離れになる。彼女からすれば、その期間は苦痛を伴う。
そんな淋しげに微笑むルフィールの頭を優しく撫で、クリュウは微笑む。
「ありがとうルフィール。君も、どうか元気でね。それと、僕が不在の間、村の事は任せたよ」
クリュウの言葉に、ルフィールは「任せて下さい。全力を以って村の防衛に努めます」と力強く断言した。表情を引き締め、威風堂々と宣言する彼女の言葉にクリュウは「ほんと、ルフィールが居てくれて頼もしいよ」と優しく声を掛ける。
「光栄です。先輩に頼っていただけるなんて」
「ちょっとッ! シャルも居るっすッ! シャルもがんばるっすよッ!」
そんなルフィールの横から顔を出して自らの存在をアピールするのは、ルフィールと同じくクリュウの不在の間村の防衛を任されたシャルル・ルクレール。ルフィールと違って籍は故郷のアルザス村に残し、二つの村を行き来しての防衛となる。やんちゃにツインテールを揺らし、頬を膨らませて怒るシャルルに「もちろん、シャルルにも期待してるってば」とクリュウは笑いかけ、そっと彼女の頭を撫でる。髪を優しく撫でられ、シャルルはアイルーのように目を細めて嬉しそうにそれを受ける。
「シャルが居るからには、兄者は安心して向こうで元気でやるっす。どんと任せておけっすッ!」
「ほんと、シャルルは頼りになるよ。頼むよ」
「ニヒヒヒ、任せるっすッ!」
「……まったく、シャルルさんのその根拠の無い自信は一体どこから湧いて来るんですか?」
シャルルはいつでも元気いっぱい自信満々。その源泉の所在はいつも不明であり、彼女の最大の謎でもある。根拠や理論付けを優先するルフィールからすればその発言や振る舞いは理解不能だろう。呆れ返る彼女の問いに対し、シャルルは気にもせず「自分にできる事を全力でする。当たり前の事を言ってるだけっすよ」と笑い飛ばす。
「シャルルさん。何が起きるかわからない以上、万全の態勢を整えた上で慎重に慎重を重ねて対策を整えた上で、ようやく自信を持ってそういう発言をしてください。今の現状は全くの準備不足だと、わからないのですか?」
「ったく、ルフィールは考え過ぎなんすよ」
「シャルルさんが考え無さ過ぎなのです」
少しはそのバカな考えを辞めろとばかりに追求するルフィールに対し、シャルルは気にした様子もなく飄々としている。今更ながら、なぜこの真逆な二人が親友として関係を築き、そして維持できているのか不思議だ。
「まったく、これでは先が思いやられます」
はぁ、と深いため息を零すルフィールに対しシャルルは「ため息すると幸せが逃げるっすよ」とニャハハハよ笑い飛ばす。そんな彼女の気楽さが癇に障ったのか、ルフィールはイビルアイを細めて「そのような科学的根拠のない妄言は信じませんし、仮にそうだとすれば原因は明らかにシャルルさんにあると思いますが?」と突っかかる。
不機嫌なルフィールに対し、シャルルはやれやれとばかりに肩を竦める。
「何をビビってるすっか?」
「私が何に対して恐れをなしているとお思いですか? そのような言いがかりはやめてください」
「大丈夫っすよ。どんなに大変だとしても問題ないっす――だって、お前が助けてくれるんすよね?」
ニヒヒヒ、と楽しげに笑うシャルルの言葉にルフィールは目をパチクリとさせる。だがその言葉の意味を理解するにつれて次第に頬を赤らめ、「ば、バカな事を言わないでくださいッ。な、何を最初から他力本願全開でいるんですか? い、意味がわかりませんッ」と慌てながらそっぽを向く。
「だって、ルフィールはシャルの親友なんすよね? なら、シャルのピンチは絶対に助けてくれるっすよ。お前は信頼できる奴だし、何より頼りになるっす。お前が居れば、シャルはどこまでだってバカでやれるし、どんな無茶でもやってみせるっすよ」
ニャハハハハと豪快に笑い飛ばすシャルルの発言に、ルフィールはもう顔を真っ赤にさせてそれを隠すように俯いている。だがその手はそっと笑うシャルルの服の裾を握っている事をクリュウは見逃さない。二人の仲の良さに安心したクリュウは、安心したように小さく微笑む。
何も気にせず突っ走るシャルルと、常にあらゆる事態を想定して身構えるルフィール。確かに真逆の二人だが、それは同時にお互いがお互いの持たないものを持っているという事。互いが互いを支え合う存在。いつの間にか、二人はそんな関係になっているのだろう。
「何女の子を見てニヤニヤしてんのよ。ロリコン?」
背後からの声に振り返ると、そこには不機嫌そうに佇むルーデルが居た。腕を組み、仁王立ちで構える彼女はフンッと鼻を鳴らす。
「何でそうなるのさ。別にいいでしょ? 微笑ましい光景なんだから」
「女の子を見て微笑むなんて、いい趣味してるじゃない。そこの提督さんに憲兵でも呼んでもらう?」
「……君は僕を犯罪者予備軍に陥れたいの?」
がっくりと項垂れるクリュウを前に、楽しげに「冗談よ冗談。何マジになってんのよ」とルーデルは楽しげにケラケラと笑う。
「それがこれから旅に出ようとしてる友達に接する態度?」
「友達? あはははは、バカ言わないでよ。何であんたが私の友達な訳? バッカじゃないの?」
面白い冗談だとばかりに大笑いするルーデル。一方、彼女の友達否定発言にクリュウはかなりのショックを受けたようで……
「……ち、違うの?」
声を震わせながら愕然とするクリュウ。そんな実にいじらしい彼を前に、ルーデルは「違うわよ。あんたは私の友達なんかじゃない」と改めて友達を否定する。そして、唇にそっと人差し指を当て、優しく、そして妖艶に微笑む。
「――あんたは私の好きな人。友達なんて身分じゃもったないわよ」
楽しげに、そしてイタズラっぽくも、可愛らしく。微笑む彼女の笑顔にクリュウは思わずドキッとしてしまうが、すぐに「だから、そういう事をこう堂々と言わないの」と彼女に自制を促す。
「ったく、ノリが悪いわねぇ。別にウソを言ってる訳じゃないんだから、いいじゃない」
「だから、だとしてもそういう事を堂々と言わないでよ」
「何よ。照れてる訳? こんな美少女に好きって言ってもらえて。そりゃ照れるわよね?」
「自分で言うか、普通」
「あら、私って可愛い部類だと思うけど、違うの?」
試すようにその場でくるりと回った後、クリュウを下から見上げるルーデル。首をわずかに傾げながら見上げるそのポーズは、彼女の可愛さを最大限に引き上げる。クリュウは頬を赤らめたまま「きゅ、及第点だよ」と一言返すのがやっとだ。
「えぇ~、それひどくない? まぁ、あんたの基準で及第点なら問題ないか」
「……ッ!」
「あははは、照れてる照れてる」
楽しそうに笑うルーデルに対し、完全に彼女に踊らされてしまっているクリュウ。以前の《好き》発言以来、ルーデルはこの手法に味をしめたらしく、時々こうして彼をからかっては彼を赤面させている。やられる側はたまったものではないのだが……
「まぁ、冗談はさておき。あんた、言っておくけどフィーちゃんに何かあったら、マジ殺すわよ?」
「本当に唐突な話題変更だね。まぁ、そうならないよう努力はするよ」
「これは冗談なんかじゃないからね。親友を任せるんだから、それ相応の覚悟はしてもらわないと」
これまでのふざけた様子から一転して、真顔で言うルーデル。彼女の変化について行けず若干困惑しているものの、ひとまずクリュウも真剣に返す。
「大丈夫だよ。僕だって男だからね、女の子はちゃんと守ってみせるよ」
「ふぅん、頼りないけど、まぁ仕方ないわね」
良しとばかりに頷いて途端にニパァッと明るい笑顔を浮かべるルーデル。その笑顔は心の底から安堵しているようで、クリュウも思わず笑みを浮かべた。
彼女からすれば親友と好きな人が一斉に遠くへ行ってしまうのだ。寂しくないはずがないのだが、彼女は健気にそれを隠し、笑顔で二人を見送る覚悟を決めていた。その心の強さを感じられる笑顔は、見る者全てに勇気をくれる。
「あのさ、ルーデル」
「何よ?」
「ごめんね。何か、色々任せる事になっちゃって」
「……あんたそれ何回目? 何度も気にするなって言ってるじゃない。いい加減しつこいわよ」
「だとしても、やっぱりごめんね」
村の守りから後輩達の面倒など、色々な事を任せる事になってしまった。その事について、クリュウはこれまで何度となく謝って来た。ルーデルからすればもうそれは聞き飽きた話なのだが、クリュウからすれば何度謝っても足りない程の恩義に感じるのは、彼の性格上仕方がない。
ルーデルはわざとらしく大きなため息を吐くと、腰に手を当てる。
「あのさ、これは私が好きでやってる事なの。あんたが気にする必要はないわ。何度も言わせないでよ」
「でもさ……」
「あぁもう焦れったいわねぇッ!」
頭を掻きむしるように乱暴に髪を乱し、ルーデルは腕を突き出す。その手は彼の胸倉を掴むと、グイッとその身を引き寄せる。吐息が掛かる程に接近した二人。慌てるクリュウに向かってルーデルは頬を赤らめながら、キッと彼を睨みつけて己が想いを叫ぶ。
「いいッ!? よぉく聞きなさいッ! 好きな奴の力になりたいって想いを、無駄にすんなバァカッ! あんたが私に謝る気があるなら、さっさと目的を果たしてこの村に戻って来て、私と結婚しなさいッ! それまでここで花嫁修業しててやるって言ってんのよッ!」
顔を真っ赤にしながら大声で爆弾発言するルーデル。周りの視線が集まっている事など気にもせず、ルーデルはしばらく彼を睨みつけると、その手を離す。解放されたクリュウもまた赤らんだ頬を指先で掻きながら「ま、まぁなるべく早くは戻って来るよ」と、小さな声で返すのがやっとだった。
「じゃあ、この話はこれで終いよ。いいわね?」
「よ、良くないわよッ! な、何勝手な事言ってるのよッ!」
話は終わったとばかりに切り上げたルーデルだったが、そんな二人の間に割って入って来たのは漆黒の礼装を纏ったカレン・デーニッツ。国防海軍総司令官としての凜とした表情を崩し、歳相応の可愛らしい少女の顔で、慌てふためいた様子で二人の間に入って来た。
「ちょっと狂犬ッ! あんた、何滅茶苦茶な事言ってる訳ッ!?」
軍帽の下の顔を真っ赤に、そして怒りに染めて怒るカレンの激昂に対し、ルーデルは「な、何よ。何を言おうと私の勝手でしょ? 外野は黙ってて」とイラ立ちながら返す。もはや同じ男を奪い合う者同士、敬語もクソもないという事か。
「み、認めないわッ! あんたは彼には相応しくないッ! あんたみたいな狂犬はダメなのよッ!」
「いい加減その狂犬って呼び方やめてくれないッ!?」
「……認めないわ。クリュウは私の旦那。誰にも渡さない」
そこへ今度はサクラまでが加わり、完全に乱戦と化してしまう。ルーデルをルフィールとシャルルが、サクラとカレンはそれぞれ商人と軍人が止めに入るが、大暴れする三人を前になかなか止めに入れずにいる。
「まったく騒々しい。少しは静かな旅立ちをできんのか」
そう言いながら、呆れつつもどこか楽しげに語るのはシルフィードだ。睨み合う三人の少女達を一瞥し、「まったく、モテモテだなクリュウ」と彼の頬を突いてからかう。からかわれたクリュウは頬を少し膨らませて「そういう言い方はやめてよね」とそっぽを向くが、シルフィードからすればそんな彼の反応も可愛らしく見えてしまう。
「まぁ、嫌われるよりはマシだが、好かれ過ぎるのも考えものだな。私としても心境は複雑だぞ」
「……そ、それはそうかもだけど」
そんな事を言われても、と困るクリュウ。そんな彼を見てシルフィードは楽しげに微笑むと「冗談だ。まぁ、正確には今は気にしないと言っておこう。こういう騒々しいのも、嫌いじゃない」と優しい口調で続ける。
彼を好きな想いはもちろんあるが、今のこの状況を楽しんでいるのだ。まるで妹達を見守るような目で争う三人を見詰めるシルフィードに、クリュウは小さくため息を零す。
「シルフィって、ほんと逞しいよね」
「……言わんとしている事は理解するが、その単語はあまり女性を誉める時に使うものではないぞ」
不服そうに語る彼女の反応を見て、クリュウは小さく微笑みながら「そっかな? シルフィって《かっこいい》とか《頼もしい》とかって褒め言葉が似合うと思うけど」と続ける。
「だから、それが女性を誉める言葉ではないと言っているんだ。私はそんなにも女らしくないだろうか……」
自らの女らしさに自信を失い、少しショックを受けるシルフィード。慌てたクリュウは「いや、そういう意味じゃなくて、シルフィはかっこいいけど可愛い所もあって、あのッ」とフォローをする。すると、
「クリュウ様。シルフィード様の顔をご覧になってください。とてもこの状況を楽しんでいらっしゃるように見えますが」
横から入って来たフィーリアの言葉に彼がシルフィードの顔を見ると、シルフィードはおかしそうにくくくと笑っていた。どうやら、先程の表情は演技だったらしい。当然、クリュウは怒る訳だが、シルフィードは笑いながら「すまんすまん」としか謝らない。
「もうッ、シルフィなんて知らないよッ!」
怒るクリュウに「まぁ、クリュウ様。これから旅立ちなのに、いきなりケンカしないでくださいよ」とフィーリアが優しく宥める。
そんなクリュウの姿を、少し離れた場所から見ていたエレナは腰に手を当てて小さくため息を零す。
「ったく、ほんと騒々しいわね」
「あら、いいじゃない。クリュウ君らしくて、私はいいと思うわ」
そう言って彼女の隣で微笑むのは、彼女に良く似た中年の女性。少し細過ぎる印象を受けるのは、彼女がずっと病気がちだった影響だ。長い茶色の髪を後頭部で束ねたポニーテールを風に揺らし、少しくすんだ翡翠色の瞳を優しく細めるのは、つい先日村に戻って来たエレナの母、レジーナ・フェルノだ。彼女の夫でエレナの父であるローディ・フェルノも群集の中からこの光景を見詰めている。振り返ると、ローディは小さく手を振ってくれる。それが何だか恥ずかしくて、エレナは頬を赤らめながらすぐに前に向き直る。
「……あのさ、お母さん。ごめんね? 帰って来たばかりで、酒場を任せる事になっちゃって」
申し訳なさそうに言うエレナの手には、大きな荷物が握られている。
クリュウは当初単独での旅を想定していたが、いざ出発の時になるとフィーリアとサクラにシルフィードの三人。更にはエレナもまた同行する事となり、その総人数は五人となった。
病弱な母と看病していた父が帰って来てまだ一ヶ月程なのに、そんな二人に酒場を任せて旅に出る事になった事に、エレナは負い目を感じていた。だが、そんな娘に対しレジーナは少しだけ膝を折って彼女の視線に合わせると、優しく自分譲りの美しい茶髪を撫でる。
「何言ってるのよ。これまでずっと私達が居ない間、酒場を守って来てくれたんでしょ? 今度は、私達の番になっただけ。あなたは、何も心配しないでクリュウ君について行きなさい」
「お母さん……」
「――クリュウ君の事、好きなんでしょ?」
「ッ!? な、何言ってるのよッ! そ、そんな訳ないじゃないッ!」
母の耳打ちに対し、エレナは顔を真っ赤にして大声を発しながら否定する。そんな彼の様子に周りから戸惑いの反応が起きるが、エレナが睨みつけると全員が視線を一斉に逸らした。そんな素直じゃない娘に対し、母レジーナは軽くその柔らかな頬を引っ張る。
「もう、あなたは昔から恥ずかしがって本音を言わない。悪いクセよ?」
「へふぇ、ふぇほぉ……」
「でもじゃないの。好きなんでしょ? クリュウ君の事。子供の頃からずっと」
二人をよぉく知るレジーナだからこそ、娘の幼い頃からの想いは良く知っていた。だからこそ、エレナは決して敵わない。諦めたように肩から力を抜くと、恥ずかしそうに頬を赤らめながら小さくうなずいた。それを見てレジーナは安心したように笑みを浮かべる。
「いつの間にか、クリュウ君すごくモテモテになっちゃってるけど。エレナは誰にも負けないくらい可愛いし、家事だってできるいいお嫁さんになれるわ。あとはその素直じゃない所さえ克服できれば、完璧よ」
「そ、そうかな……?」
クリュウの周りに居る女の子は、女の自分から見ても美少女ばかりだ。その中で、自分が勝てるかどうかは正直怪しい所だ。そんないつになく自信のない娘に対し、レジーナはふぅと小さくため息を吐くと、再び彼女の頬を引っ張る。
「エレナの良い所は、いつも真っ直ぐ明るい所。そんなに自信を失って暗くなっちゃ、あなたらしくないじゃない」
「おふぁあはん……」
そっと頬を離したレジーナは優しく微笑み、娘の頭を撫でる。そんな母の姿と言葉に少しだけ勇気をもらったエレナは、小さく「私、がんばってみる」と母に宣言する。それを聞いてレジーナは何も言わず、無言でうなずいた。
「エレナッ」
呼ばれて振り返ると、クリュウがこっちに手を振ってるのが見えた。その周りにはすでに大勢の彼に好意を寄せる美少女達が。少しムッとしたが、彼に呼ばれる事は決して嫌な訳ではない」
「はいはい、今行くわよ」
彼に呼ばれて、仕方ないとばかりに歩き出すエレナ。その足取りが少しだけスキップになっている事を、母であるレジーナは気づいていた。娘の可愛い反応に、レジーナは嬉しそうに微笑む。
エレナが合流すると、カレンが軽く咳払いをする。どうやらこれからの航路予定を説明するらしい。
「まず、村を出た後は遣東艦隊と演習艦隊は合同で蒼海まで向かうわ。そこで艦隊を別離。ここで私とはお別れね」
少し淋しげに言うカレンは、国防海軍総司令官だ。今度の海上演習の陣頭指揮を執る立場にある。当然旗艦である『フリードリッヒ・デア・グローセ』に乗って艦隊指揮を行う。彼女の隷下を離れ、遣東艦隊はここから津洲帝国を目指す。
「遣東艦隊の目的地は、ツシマ海軍の本拠地であるヨコスカ。そこであなた達は降りて、以後は自由に行動なさい。遣東艦隊の主要陣はそこから帝都であるマツシロへ向かうから」
津洲帝国蒼軍根拠地であり、東方大陸最大規模の軍港都市。それが夜虎渚だ。ちなみに蒼軍とは他国で言う海軍に相当する。同様に陸軍の事は翠軍と呼ぶ。
そして夜虎渚から程近い場所にあるのが、津洲帝国帝都である奉城だ。国家君主であり生き神と人々から崇められる帝が住まう、津洲帝国の首都である。
「情報収集を目的にするなら、帝都であるマツシロへ向かうのも良し。後は東方大陸最大規模の経済都市であるサカイへ行くのも手よ」
カレンの言うサカイとは、津洲帝国最大の経済都市であり東方大陸最大規模の経済都市である境の事だ。大規模な貿易港があり、東方大陸と中央大陸の貿易の多くがこの港を使っていると言われている程だ。また、津洲中の主要道路が交差する街でもあり、陸と海のターミナル都市となっている。
「あとはツシマを出てハンターズギルド東方本部の支部がある都市へ行くのも手よ。私は良く知らないけど、ロックラックっていう砂漠の都市。あとは常に移動してるから詳しい場所は不明だけどキャラバンが集まった移動都市とも称されるバルバレって所を目指すのもいいわね。まぁ、どれにしてもまずはヨコスカで最初の情報収集次第ね」
カレンの口から出て来る都市名の数々。当然だがクリュウはその全てを知らない。本当に、全く未知の世界なのだ。急に不安になる彼の心境を察してか、シルフィードが一歩前に出る。
「まずはロックラックだな。ツシマもエルバーフェルドやアルトリアと同じく国内でのモンスターの事案はほとんど国軍が担当していると聞く。ハンターズギルド支部は少ないだろうし、あっても制限が多いだろう。その点ロックラックはこちらから東方大陸へ向かうハンターの多くが向かう最初の街だ。何をするにしても、そちらの方が都合がいいな」
「じゃあ、ヨコスカって所についたらまずはロックラックへ行こうよ。行き方は向こうで調べなきゃだけど、まずはそこに拠点を置こう」
シルフィードの提案に、クリュウはもちろんフィーリアとサクラも同意する。もちろん、この四人について行く形となったエレナも同意見だ。
まずは大まかな旅の予定が決まり、手探り状態で不安だった五人はひとまず安心する。そんな五人を見てカレンは小さく微笑むと「そろそろ出発の準備を初めて。ツシマ海軍との合流時間もあるから、遅刻は許されないわよ」と言い残し、その場を去る。付き添いの軍人が大勢彼女に続く様を見て、改めてあの少女があの大艦隊を指揮する総司令官なのだと認識する。
カレンと別れた五人は、群衆の中で眠そうにあくびをするアシュアへと近づく。五人の接近に気づいたアシュアは「やぁ、ついに出発やねぇ」と眠そうな目を擦りながら話しかけて来た。
「すみません、また僕達の武具の調整を引き受けてくださって。また徹夜だったんですか?」
「まぁ、言い出しっぺはウチだしねぇ。新しい大陸に行くって言うなら、装備も万全にしておかんと」
まだ少し目は眠そうだが、腰に手を当てて微笑むアシュア。彼女は最後までクリュウ達の武具の整備をしてくれていたのだ。本当に、毎度毎度頭が上がらない。
クリュウからすればドンドルマハンター養成訓練学校を卒業して戻って来てからずっと、彼女に武具を整備してもらって来た。他のハンター達も、いつも彼女に整備してもらい、これまで幾多の戦いを潜り抜けて来た。決死の激戦も数多あったが、それらを全て勝って来れたのも、陰ながら彼女の功績は大きい。
「しばらく、アシュアさんの整備を受けられないのは、寂しいですね」
「嬉しい事言ってくれるなぁクリュウ君。まぁ、ハンターは旅してナンボみたいなもんやから。新天地でも、無理せず頑張るんやで。特にサクラは無茶苦茶な動きするから、いつも防具の負担が大きいんだから。少しはセーブしぃや」
アシュアの指摘に、サクラはプイッとそっぽを向いてしまう。どうやら無茶をやめる気はないらしい。苦笑を浮かべるクリュウに対し、アシュアは「それと、みんなに忠告するで」と言って眠い目を擦りながらその忠告を口にする。
「こっちと向こうじゃ、武具の概念が細かく違うんよ。そりゃ、採れる素材が違うってのもある。せやけど、向こうの武具は向こうの戦い方に合わせたものになってるんや。落ち着いたら、今の装備じゃなくて向こうの装備を整えぇや。こっちの武具の調整方法を、向こうの鍛冶職人は知らん事もある。まともな整備を受けられない状態で無理に使い続ければ、予想外な不幸が起きるもんや。えぇな?」
それは、鍛冶職人アシュア・ローラントからの忠告だった。武具とは当たり前だが戦う為に作るものだ。だからこそ、その戦い方に合わせた調整が必要なのだ。同じ防具でも、人によって体格が違う。その調整はもちろん、動き方や武器の扱い方等の戦い方にも個人差がある。そのひとつひとつを調整しなければ、決して100%の力は出せない。
中央大陸と東方大陸では、モンスターも違ければその対処方法も違う。気候も違えばハンターとしての基礎の動きも違うかもしれない。今までのやり方が通じない事も多いだろう。その都度検証し、解決策を取らなければ決して前に進む事はできない。そしてそれは彼らが纏う武具も同じ。愛着があるというのもあるが、決してそれを重視して無理はしてはならない。向こうには向こうのルールが、戦い方がある。それに合わせて、武具も整えろ。鍛冶職人として、アシュアはそう四人に忠告しているのだ。
「……わかりました。ちゃんと、無理はせず向こうのやり方に合わせます」
アシュアの忠告に対し、クリュウは素直にうなずく。シルフィードも「まぁ、戦いに合わせて装備を変えるのは当然だな」と同意した。しかし一方で、
「東方大陸にも、彼女はおられるんですよね?」
「……私は拒否する。生涯この凜と共に戦うと誓った」
リオレイア大好きッ娘のフィーリアは消極的だ。サクラに至っては断固拒否の構えを見せている。そんな二人の反応にアシュアは苦笑を浮かべ、「まぁ二人は君から追々説得してぇな」とそっとクリュウに耳打ちする。同じように苦笑を浮かべながら、クリュウは静かにうなずいた。
「うぅ~ッ! やっぱり私もついて行くぅッ!」
「リリア、無茶言っちゃダメだよぉ……」
アシュアの隣で地団駄を踏むのはリリアだ。その隣でそんなリリアを説得するエリエ。リリアはクリュウ達が東方大陸へ行くと決めてからずっとこの調子だ。当然、アシュアが許すはずもなく、今に至る。
「だって、お兄ちゃんをずっと会えなくなっちゃうんだよッ!? そんなの嫌だよぉッ!」
「リリア……」
泣きじゃくるリリアを前に、エリエも強く言えない。本当は彼女だってクリュウと離れるのは嫌だ。クリュウとは仲が悪い訳ではないし、むしろ良好な関係を築いていた。もちろんリリア程の強い執着や好意がある訳ではないが、近所のお兄さんが遠くへ行ってしまうというのは、それなりに抵抗はある。
アシュアが説得するも、泣きじゃくるリリアは聞き入れようとしない。そんな彼女に対し、クリュウは膝を折って彼女と同じ高さに視線を合わせると、そっと彼女の頭を撫でる。
「ごめんね、リリア。全部僕のせいなんだ。僕が勝手に決めて、みんなを巻き込んだ――嫌いになった?」
「ならないよッ。私はずっとお兄ちゃん大好きだもんッ」
「……そっか。でも、ごめん。今回の旅は今まで以上に大事なものだから、今更取りやめる事はできない。それに、全く知らない世界だから、リリアちゃんを連れて行く事もできない。だから、辛いだろうけど、この村で僕の帰りを待っててもらうしかないんだ。ほんと、ごめん」
申し訳なさそうに頭を下げるクリュウ。そんな彼の姿に対し、泣きじゃくっていたリリアはグッと涙を堪え、袖口でグシグシと涙を拭うと、頭を下げたままのクリュウを優しく抱きとめた。小さな小さな腕の中で、まだ顔を上げられないクリュウ。そんな彼に対し、リリアは涙を我慢しながらそっとささやく。
「やめてよ。私、お兄ちゃんにそんな姿してほしくないよぉ」
小さな小さな、震えた声で言う彼女の言葉に、クリュウは無言でしか答えられない。そんな彼に対し、リリアは更に強く抱きしめる。
「悪いのは、私だよ? お兄ちゃんと離れたくない。お兄ちゃんの心の中に、私が居なくなっちゃうんじゃないか。それが、怖くて。ただそれだけで、こうして泣いちゃって。みんなに、お兄ちゃんに迷惑掛けちゃってる」
「そんな事……」
「……うん、もう大丈夫」
一度うなずいたリリアは改めて最後の涙を拭うと、パンッと両頬を叩く。思いの外強気叩き過ぎたのだろう。頬は赤く腫れてしまい、痛みでせっかく拭い取ったはずの涙がじんわりと浮かぶ。そんな自分のアホさ加減に対し、リリアはおかしそうに笑った。
「私、やっぱり待ってる。この村で、お兄ちゃんの帰りを、何年でも待ってるから」
「リリア……」
上げられた彼の視線の先で、リリアは面白い事を思いついたように楽しげに微笑む。
「覚悟しておいてよね、お兄ちゃん。私、すっごい美人さんになっちゃってるよ? 私の家族も親戚もみんなおっぱい大きいから、私だってないすばでぃになっちゃうんだからッ」
無理して笑っているのは誰が見てもわかっている事だ。だから、ここはあえて彼女の空元気に乗ってやるのが、自分の務め。そう思い、クリュウもまた優しく微笑む。
「それは困っちゃうな。そんな美人さんが待ってるなら、早く帰って来ないと」
「むふふふ、お兄ちゃんのエッチ。でも私、お兄ちゃんならどんなエッチな事されても平気だよ?」
「あ、あははは……」
「クリュウ君。身内のウチから見ても、マジでリリアは美人さんになるで? それこそ、フィーリアやサクラ、シルフィードやエレナさえ超えるで?」
まるで挑戦するかのような物言いに、背後に立っていた四人がムッとなる。確かに、シルフィードを除いた三人からすればアシュアの巨乳さ、そして不摂生な生活をしているのにまるでそれを感じさせないスタイルの良さや肌質や髪質の美しさは驚異的だ。それがもしも本当にリリアにも受け継げれているなら、数年後には脅威となっているに違いない。
リリア・プリンストン。恐ろしい娘である……
「カレン。そろそろ時間だぞ」
エーリックの言葉にカレンは小さく頷くと、最後の一時を少しでも長く過ごそうと会話を弾ませているクリュウへと近づく。そんな彼に、自分は少し残酷な宣言をしなければならない。もっとも、彼の望みなのだから彼女が責任を感じる必要はない。それでも、心優しい少女提督は少し申し訳なさそうに声を掛ける。
「取り込み中悪いけど、そろそろ出発するわ。同盟国を待たせる訳にはいかないから」
「……わかった」
クリュウはそう答えると、改めてリリアとエリエを優しく抱き締め、最後の別れを済ませる。そして、用意していた荷物を持つ。その頃には一緒に旅立つフィーリア、サクラ、シルフィード、エレナの四人も準備を完了していた。
「それじゃ、行ってきます」
最後に、これまでずっとお世話になって来た村長へとの別れを済ませる。村長は頼もしい笑みを浮かべて「君達が戻って来る頃には、大陸中に知られるすごい村にしてみせるよ」と力強く宣言する。そんな彼の言葉に安堵したのか、クリュウは小さく頭を垂れた。
カレンに促されるまま埠頭へ向かうと、そこには小さな船が停泊していた。内火艇と呼ばれる沖合に停泊している艦船への移動に使われる小型船だ。クリュウ達が乗り込むと同時にエンジンが稼働し、燃石炭を燃やした時特有の黒い煙が煙突から噴き出す。
そして、ゆっくりと船は動き出す。
「先輩ッ! どうかお元気でッ!」
「シャル、ずっと待ってるっすよぉッ!」
「フィーちゃんに何かしたら、マジ許さないからねぇッ!」
ルフィールとシャルル、ルーデルの言葉に見送られ、クリュウは見送ってくれる家族達へ笑顔を浮かべて手を振り続ける。本当は寂しくて、悲しくて泣いてしまいそうだったが、彼らの最後の自分の表情が泣き顔では申し訳がない。そんな想いから、無理をしてでも笑っていたのだ。
そんな心優しい彼の姿を、フィーリア、サクラ、シルフィード、エレナ、そしてカレンが優しく微笑みながら見詰めていた。
内火艇はゆっくりと大洋艦隊旗艦である戦艦『フリードリッヒ・デア・グローセ』へと近づき、接舷。階段(ラッタル)を上って甲板へと至ると、さすが海軍総司令官様を出迎えるだけの事はある。大勢の黒服の軍人達が等間隔に立ち並び、敬礼をしながら彼女の道を作っていた。
カレンはそんな彼らに答礼で応えると、クリュウの手を引いて歩き出す。楽しげに彼と手を繋ぐカレンを前に反抗したい四人だったが、ここは完全にアウェー。下手に暴れれば今後の航海に支障が出ると我慢する。特にサクラは今にも暴れ出しそうだったが、そこは三人がかりで何とか押し黙らせた。
一方のクリュウも実に居心地が悪い。何せ居並ぶ軍人達はまだ海軍を再建して間もないせいか少年兵や青年兵が多いのだが、中には自分に敵意丸出しで睨みつけて来る者も少なくない。エーリックから内火艇の中で注意を受けたが、カレンはフリードリッヒの次に国民に人気がある。海軍の中、特に若年兵達からはそれこそ敬愛すべき長として、同時にアイドルとして慕われているらしい。そんな彼女が男を連れて笑っているのだから、ファンとしては実に虫の居所の悪い光景なのだろう。
クリュウは苦笑いを浮かべながら、カレンに連れられて歩き続ける。そんな彼の心境など知らず、カレンが調子に乗って抱きついたせいでついには恋姫四人、更には少年兵達が抗議を始めてしまい、結局エーリックの仲裁が入るまで実に十分間も甲板で足止めを食う事になってしまった。