モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第125話 宣戦布告 フィーリアを想う二人の戦い

 その夜、クリュウは一人で酒場で食事をしていた。

 本当はフィーリアと一緒にディナーの予定だったのだが、彼女は体調不良を理由にキャンセル。心配すると、「今は一人にしておいてください」とどこか虚ろな瞳で言い、部屋へと消えて行った。

 体調が悪いというか、何かとても辛い事があった。彼女の瞳からはそんな事を感じられた。

「……フィーリア、一体どうしたんだろ」

 とりあえず、一人になりたいという彼女の意向に従いクリュウはこうして一人でディナーを食べる事になったのだ。今日はライザも非番なので本当に一人きりだ。

 いつものように安価でボリュームもありうまいの三拍子、アプトノスのサーロインステーキのライス&スープセットを注文し、料理が運ばれて来るまでの間、退屈を紛らわす為に依頼掲示板に近寄って適当に見る。

 掲示板には様々な依頼が貼られている。ランポスの掃討作戦や草食竜の卵採取のような初心者向けのものからテロス密林に出現した雌火竜リオレイアの討伐依頼など。さすがハンターの都にして大陸屈指の大都市ドンドルマ。依頼のレパートリーもまた大陸一の幅広さを誇る。

 ふと隣の掲示板に目を向ければこちらはすでに誰かが受注した依頼に飛び込み参加を求める書類が何枚か貼られている。ドンドルマのような大都市のハンターはクリュウのようにチームをすでに形成している者の他にこうして即席でチームメイトを募集する場合もある。基本的にハンターの人数や規模が桁違いなドンドルマなどの都市型の手法だ。

 もちろん、クリュウは単独で依頼を受ける気もどこかのチームに即席で入り込むつもりもない。そもそも今回は武具こそ一式揃えて持って来てはいるが、それはあくまでハンターとしての当然の行動であり、今回はあくまでフィーリアと一緒に彼女の親友、ルーデルに会いに来ただけに過ぎないからだ。

「ルーデル・シュトゥーカ……そういえば、フィーリアが元気がなくなったのは彼女と出かけて帰って来てからだよね。何かあったのかな……」

 何となくそんな気がしてはいたが、でもまさかとも思っていた。フィーリアはルーデルと会えた事をあんなにも喜んでいたし、親友と豪語していた。そんな人と会って半日も経たずしてケンカなんてするものだろうか。しかも、温厚で相手に対する協調能力に秀でたフィーリアが、だ。

 考えていても仕方ない。励まそうにも理由はわからないし、そもそもフィーリアは現在誰とも会いたくないと言って部屋にこもってしまっている。ならば、自分としてはこのまま彼女が少しでも回復する事を願うくらいしかできない。

「こういう時、役に立たないよね僕って……」

 苦笑しながら自虐的にそうつぶやくと、クリュウは自分の席に戻った。程なくして頼んでいたステーキセットが来て、結構空腹だったクリュウはさっきまでの暗い雰囲気を吹き飛ばすように食事を開始する。

 ナイフで一口サイズに切ってフォークで口の中に運ぶとソースと肉の味、そして肉汁がブワッと口いっぱいに広がる。何度食べてもおいしい、クリュウが好きな一品だ。

「うーん、やっぱりシルフィとかが時々食べさせてくれるナイトクラスとかの高い料理より僕はこっちの方がいいなぁ」

 どうにも値段が高くて高級な食材を使っている分ボリュームが欠け、上品な味わいの料理よりもこういうタイプの料理の方がおいしく感じてしまう。自分はとことん庶民型な人間だなぁと苦笑が浮かんでしまう。

 そんな感じで一人で食事を進めていると、突然横に人の気配がして振り返る。するとそこには知っている人物が立っていた。

「シュトゥーカ?」

 隣に立っていたのは先程フィーリアに紹介された彼女の親友、ルーデル・シュトゥーカであった。集会所という事もあって先程と同じくフルフル亜種の素材で統一された武具を身に纏っている。

 きょとんとするクリュウに対し、ルーデルはじっと彼を見詰める。その瞳は、先程の警告の時のように幾分か鋭い。

「えっと……」

「前、いい?」

 彼女が指差したのはクリュウの正面の空席。フィーリアが座る予定だったその席は彼女が欠席したので当然空席だ。

「い、いいけど」

「そう」

 ルーデルは困惑しているクリュウを気にした様子もなく無言で背負っていたブラットフルートを横に置いてから彼の正面の空席に腰を下ろす。改めて見ても片手剣と違い大きくて重量のありそうな武器だ。

「えっと、何か用かな?」

 一通り食べ終えたクリュウは一旦フォークとナイフを置いて、無言で正面に座るルーデルに話し掛ける。自分と彼女はさっき会ったばかりなので接点らしい接点はフィーリア繋がりという事しかない。だからこそ、なぜいきなりフィーリアがいないこの場所で自分の前に現れたのか。何か用がなければそんな事はしないだろう。

 クリュウの問い掛けに対しルーデルは瞳をより鋭く光らせる。そして、静かに口を開いた。

「回りくどい事は嫌いだから単刀直入に言うけど――あんた、フィーちゃんの前から消えなさい」

 有無を言わせない迫力を放ちながら、ルーデルは開口一番にそう言った。反論を許さない決定事項と言いたげな、それはまさに突然の最後通牒であった。

「そ、それってどういう事?」

 あまりにも突然過ぎてクリュウは話について行けずに困惑する。当然だ。さっき会ったばかりの人物に自分のチームメイトから離れろと言われているのだから、困惑しない方がおかしい。

 一方、そんなクリュウの問い掛けに対しルーデルは眉一つ動かさない。

「言葉通りの意味よ。あんたはフィーちゃんにとって悪影響を与える存在に他ならない。だから即刻消え失せろって言ってるの」

「な、何だよそれ。そんな事できる訳ないでしょ」

「できるできないの問題じゃなくて、《しろ》と言ってるの。頼んでるんじゃなくてこれ命令。反論は許さない」

「勝手な事言わないでよッ! 一体何様のつもりさッ!」

 クリュウは思わず大声を上げてテーブルを叩いて立ち上がった。しかしすぐに周りの視線が自分に集中している事に気づいて湧き上がる怒りをグッと堪える。

「……表に出て。話はそれからだ」

「えぇ」

 自分でも驚く程低い声でそう言い、クリュウは自分の怒りをそよ風程度にも感じていないルーデルと共に酒場を出た。

 

「それで、どういう事なのさ」

 酒場から少し離れた街路。夜という事もあって人気もないので、ここなら思う存分言いたい事が言える。そう思い、クリュウは足を止めると背後から続くルーデルに振り返り、開口一番に再び問う。

「さっき言ったでしょ? あんたはフィーちゃんにとって邪魔な存在なの。だから、手を引いてって言ってるの」

「邪魔な存在ってどういう意味さ」

「言葉通りの意味。あんたはフィーちゃんに悪影響を与える存在でしかない」

「何を根拠にそんな事を言うのさッ!?」

 我慢できなくなってクリュウは大声を上げて怒鳴る。基本的に温厚で誰に対してもあまり怒らないクリュウ。だが今は珍しく本気で怒っている。それだけ、ルーデルの言動が理不尽で許せないのだ。

 だが、怒り慣れていないという事を差し引いてもクリュウの怒気に満ちた瞳に対して全く同時た様子を見せないルーデル。クリュウの怒号に対し淡々と答える。

「まず第一に、あんた私やフィーちゃんよりも下位ランクのハンター。それだけでフィーちゃんに悪影響なのよ。知ってる? フィーちゃん、あんたと組むようになってから大型モンスターの討伐数が減ってる事。あんたと一緒という足掛(あしかせ)があの子の自由を制限してるの」

 あれだけ啖呵を切るような言い出しをしておきながら、ルーデルの言葉にクリュウは返す言葉もない。何せ自分がフィーリアやルーデルよりも下位クラスのハンターという事は変えようのない事実だ。それに彼女の大型モンスターの討伐数が以前より減っている事も薄々気づいていた。元々一人で自由気ままに旅をしながら狩猟をしていた流浪ハンターであったフィーリア。それが一ヶ所に定住すれば、それも自分という下位ハンターと一緒なら当然危険な依頼は受けなくなってしまう。

 ルーデルの言っている事は全てが事実であった。変えようのない事実である。でもだからと言って自分の存在が彼女に悪影響しか与えないという事は許せなかった。フィーリアの親友だか何だか知らないが、自分とフィーリアの関係の何を知っているというのか。自分達の絆を否定するのは、絶対に許せない。

「例えそうだとしても、それが必ずしも悪影響になるとは限らないじゃないか。フィーリアは、村にいる事が幸せだって言ってるんだ」

「それは気を遣っているからじゃないの? あの子昔から他人に気を遣いすぎる所があるのから」

「まぁ、それはそうだけど」

 一瞬、フィーリアの知り合い同士という事で話しが合ったクリュウとルーデルであった。

 しかしすぐにルーデルは攻撃態勢に移行する。

「あの子はね、天才なの。生まれ持ったガンナーとして優れた天性と日々決して怠らない努力。この二つで今の実力まで上り詰めた本物の天才。これから先もあの子はどんどん強くなっていく。そしていずれ大陸中に、いえ、世界に名を馳せるような伝説級のハンターになるって私は信じてる――あんたは、そんな彼女の未来を潰す存在でしかない」

「ど、どうしてさ。それは、僕が弱いからって言いたいの?」

「もちろんそれもあるわ。でもそれ以上に問題なのは、あんたという存在自体なの」

「僕自体……?」

 ルーデルの言っている言葉の意味がわからず、クリュウは困惑げに首を傾げる。するとそんなクリュウの反応を予想していたかのようにルーデルはわざとらしく大きなため息を零す。

「あんた、思ってた通り頭が鈍いわね」

「な、何だよそれ」

「いい? フィーリアが何であんたみたいな下位中の下位クラスのハンターと組んでるのか。何をどう勘違いしたか、あの子、あんたを気に入ってるみたいなの」

「そりゃ仲間だし、気が合わなきゃ一緒にいられないでしょ」

「……そういう意味じゃないんだけど、まぁいいわ。とにかく、何を勘違いしたのかあの子あんたに妙に肩入れしてるの。何を勘違いしてか」

「その、勘違いを連発するのはやめてくれないかな。腹立つ」

「だって勘違いだから仕方ないじゃない」

 全く悪びれた様子もないルーデルに、クリュウの怒りは着実に蓄積していく。しかしそんなクリュウの怒気など気にもせずルーデルは自分の意見を続ける。

「あの子はね、子供の頃から男の人に慣れてないの。何しろ名門貴族の娘だもの、同世代の男の子と遊ぶ機会なんてないから、慣れてないから苦手意識を持っちゃって……だからあんたみたいなダメ男でもあの子にとっては新鮮に感じられる。それが間違いに間違いを重ねてこんな結果に……」

 嘆かわしいとばかりに盛大にため息を零すルーデルに軽くブチギレかけるが、とりあえずそこは我慢しておく。というか、それよりももっと重要な単語を初めて知った。

「フィーリアって、貴族の家出身なの?」

「はぁ? あんた、あの子から何も聞いてないの?」

「フィーリアって、あまり自分の過去の事を話さないから……」

「あっそ。言っておくけど冗談とかじゃないから。あの子、私達の故郷のエルバーフェルド帝国の一等貴族、レヴェリ家の三女。レヴェリ家って言ったらエルバーフェルドでは王族に継ぐ高貴な血を持つ一等貴族の中でも最も歴史が長い名門中の名門家。言ってみればあの子、超がつくお嬢様なの」

 エルバーフェルド帝国は大陸北東の地域に一大帝国を築いている列強国の一つ。東シュレイド共和国と国境を接しており、時折国境問題などでいざこざを起こしている。大陸国家の中でも古参に入る国で、平地が基本な国土から騎士団を中心とした陸軍が優れており、現在でも厳しい徴兵制度があり国民の三割が軍人、軍関係の職種についている者も含めれば実に国民の六割に達する軍事国家として有名だ。名目上国家君主に皇帝が存在するが、実際は一党独裁でその党首が全権限を掌握する総統として国家を統治しており、二十年前の大災害によって弱体化していた国力を目覚しい勢いで復興させている。

「っていうか、そんなお嬢様なフィーリアがそもそも何でハンターなんかしてるの?」

 話を聞く限りフィーリアがハンターになるきっかけがない。貴族の令嬢ならば、ハンターなんて対極な職種を選ぶとは思えない。なのに、なぜフィーリアはハンターをしているのか。そんな彼の問いに対し、ルーデルは迷わず答える。その顔にはフィーリアの事なら何を訊かれても答えられるという自信に満ち溢れていた。

「シュトゥルミナさんの影響ね」

「シュトゥルミナさん……?」

「レヴェリ三姉妹の次女にして今は上位ハンターとして活躍しているあの子のお姉さんの一人、上位って言ってもその実力は限りなくG級に近い実力の持ち主よ。フィーちゃんはお姉さんに憧れて同じハンターの道を歩んだの」

 フィーリアの意外なハンターを目指した理由を聞いて驚きつつ、《フィーリアの姉》という部分にちょっとした予備知識が頭に蘇った。

「それって、確かものすごいお姉さんだって聞いた事があるんだけど」

「えぇ、ものすごいわよ。男女って言うべきかな? 乱暴で粗暴で口の悪い、貴族の令嬢とはかけ離れた人だけど、それがかえってハンターという世界では適所だったんでしょうね。他人にも自分にも厳しい人だけど、どうも姉妹には甘い感じの人ね。そんな性格だからハンターになってもご両親は激しい反対はしなかったけど、フィーリアの時は猛烈に反対されたわね」

「まぁ、彼女を見ていると本当に両親に愛されて育てられたってわかるし」

「でもその時もシュトゥルミナさんがフィーリア側に立って大暴れしてね。ご両親は二人の強い決意に根負けしてフィーちゃんのハンターへの道を認めたの。まぁ、セレスティーナさんがレベェリ家を継承する事が決まってたってのも大きな理由だけどね」

 また知らない名前が出てきて、クリュウは首を傾げながら「セレスティーナさんって?」とルーデルに問う。

「レヴェリ家の長女、つまりフィーちゃんやシュトゥルミナさんのお姉さん。病弱であまり家から出られない人だけど、とても優しくて笑顔が素敵な人なの。妹二人がハンターになる中、彼女は多くの書物を読破して知識をつけ、今ではエルバーフェルドの古龍研究機関、《シュトゥットガルト》の非常勤研究員にまでなったすごい人なの」

 何だか、聞いているとものすごい姉妹だなぁという気持ちでいっぱいになってくる。ある意味完璧と言ってもいい。文に長けた長女と武に長けた次女。そしてその二人の優秀な所を厳選したかのような文武両道な三女。

 今まで知らなかったフィーリアの事がわずか数分の間にものすごい勢いで紐解けていく。ただ、あまり本人の許可なく彼女の過去を知り過ぎる訳にもいかない。ルーデルの話す事はどれも興味深い事だが、これ以上はフィーリア本人の口から聞くべきだろう。そう結論付け、クリュウは話を戻した。

「話を戻すけど、つまり君はビショップクラス程度の実力であり平民の僕とナイトクラスで名門貴族の娘のフィーリアがつり合わないって言ってるの?」

「……まぁ、そういう事。他にも理由はあるけど、どうやらあんた鈍感過ぎてわからないみたいだし。それが余計に腹立つんだけど」

 本当はもっと核心に触れる事を洗いざらい言ってしまいたいルーデル。しかしフィーリアの親友としてはこれ以上ハッキリとした事は言えない。反対しているとはいえ、そういう肝心な事は本人が責任を持って言うのが筋だと思っているからだ。だからこそうまく伝えられずにイライラが募る。

 一方のクリュウのイライラも募るばかりだ。理由がそもそも理不尽過ぎるし、何よりフィーリアと別れるつもりなど毛頭なかった。フィーリアの親友だか知らないが、横暴にも程がある。

「君の言いたい事よぉくわかった。でも、僕はフィーリアと別れるつもりなんてない。一度してしまった間違いを、二度と犯す訳にはいかないしね。僕とフィーリアは仲間だし、大切な友達だ。その絆を断ち切るなんて、できる訳ないでしょ」

 それがクリュウの結論であった。

 フィーリアは自分にとって大切な狩猟仲間だし、村の一員で、友達で、かけがえのない存在だ。その彼女と決定的な仲違いの理由なく別れるなど、できるはずもない。彼女とは一度それで関係が断ち切れた事があった。だからこそ、同じ過ちを二度と繰り返す訳にはいかない。

 ――フィーリアは、大切な存在だから。

 クリュウの迷いのない真っ直ぐな返答に対し、ルーデルは小さく「そう……」とつぶやく。

「だいたい、そもそもどうして僕をフィーリアと別れさせようとするのさ」

「さっきも言った。あんたはあの子にとって有害なの」

「それはフィーリア本人が決める事でしょ。少なくとも僕はフィーリアに嫌われてはいないし、彼女が僕の事を有害だなんて思っている様子もない」

「だから、それはあの子が気づいてないだけで……」

「だったら尚更僕じゃなくてフィーリア本人の方に言うべきでしょ。僕よりも先に、あっちを説得する方が筋ってもんでしょ」

「――したわよッ!」

 クリュウの言葉に噛み付くようにしてルーデルは突然叫んだ。突然の事に驚き固まるクリュウをキッと睨みつけるその鋭い眼光には月明かりの光を反射して煌く宝石が浮かんでいる。

「あんたがフィーちゃんには相応しくないって、間違ってるって、何度も言ったッ! でも、でも……ッ! あの子はあんたと一緒にいたいって……、あんたが好きだってッ! 私の声なんて全然聞いてくれなかった……ッ! 昔は私が言う事は何でも従ってくれたのに……私の声に耳を傾けてくれたのに……ッ! 子供の頃からずっといた私より、たった数ヶ月の関係でしかないあんたの方を優先したッ! 全部、全部……ッ! あんたのせいよッ! 私達の絆を無茶苦茶にしたのはッ!」

 夜の静かな街並みに、その悲痛な声は痛いくらい良く響いた。震える声には彼女の困惑と悲しみ、そして怒りの感情が入り乱れ、混沌。月明かりを浴びてキラキラと輝く瞳は怒りに染まり、鋭く光る。

 クリュウはその瞳に息を呑む。今までこれほどまでに真っ直ぐで力強い怒り、妬み、恨みの感情が混在した明確な敵意を向けられた事がなかった。何が彼女をここまで怒り狂わせ、そして自分に対して敵対心を抱かせるのか。

 ……でも、自然とそんな彼女を嫌いにはなれなかった。それはきっと――その怒りの本質にはフィーリアの為を想う、彼女の事が本当に好きという気持ちがあるからかもしれない。

「あんたのせいで……ッ! 私はフィーちゃんに……ッ!」

 猛烈な怒気一色に染まった鋭い眼光で睨んでくるルーデルを見て、クリュウは全てを悟った。先程のフィーリアの様子と、今の彼女の怒りの矛先から全てを理解した。

「……フィーリアと、ケンカしちゃったんだ」

「そうよッ! 全部全部あんたのせいよッ! あんたのせいで、私はフィーちゃんと……ッ!」

「でもそれは君が無茶な事を言うからでしょ。少しはフィーリアの意見とか聞いてあげたの?」

「知った風な口を利くんじゃないわよッ! あんたに何がわかるってのッ!? あの子の何がわかるって言うのッ!?」

「少なくとも、最新の彼女の事は二年間会っていない君よりは知ってると思うよ。二年もあれば、人の人生なんて百八十度変わっても不思議じゃないさ」

 それは人とは違う人生を歩んで来た当人であり、そういった人とは違う人生を歩んできた友を持つクリュウだからこそ言える言葉であった。

 人の人生なんて、一瞬で、たった一度だけ歯車が狂っただけでそれまでのレールとは明らかに違う道へと転がってしまう。昨日まで普通だった事は、たった一度の出来事で変貌してしまう。

 そういった急変化はなくても、長い年月が経てば人なんて変わってしまうものだ。特に、思春期の数年間はそれが最も顕著に現れると言っても過言ではない。

 人の一生なんて、誰にもわからないから……

 ある意味で踏んで来た場数の違うクリュウの冷静な言葉。しかしそれは頭に血が上ったルーデルにとってはまるで自分の事など眼中に無い、余裕ぶった態度にしか見えなかった。当然、彼女の怒りは限界点に達する。

「……いいわ。そこまで言うなら、私だって考えない訳じゃない」

 うつむきながら静かにつぶやくようにしてルーデルは言う。先程までとは打って変わった、不気味なくらいに冷静な声――人の怒りとはある一線を越えると別の段階へと移行する。彼女の不気味な冷静さは、その一つであった。

「考えるって、一体何をさ」

 突然静かになったルーデルの不気味さに一歩身を引くクリュウ。そんな彼の視線の先で、ルーデルはうつむかせていた顔をゆっくりともたげた。その瞳は、鋭く煌く。

「――明日、私と付き合いなさい。あんたの力、試させてもらうんだから」

 

 翌朝、クリュウはフィーリアと共に酒場で朝食を取っていた。

「昨日はせっかくのお誘いを断ってしまい、申し訳ありませんでした」

 朝食のホットサンドを食べながらフィーリアは改めて昨晩の非礼を詫びる。それに対しクリュウは自身が頼んだサンドイッチを食べながら「いいよ。別に強制って訳じゃないんだからさ」と明るく振舞う。昨晩のルーデルとのやり取りでなぜ彼女が落ち込んでいるかわかってしまったクリュウだったが、今はそれを顔に出さないように努めている。

「あら、ケンカでもしちゃったの?」

「……一応訊きますけど、何でライザ様がクリュウ様の隣で普通に食事をしているのでしょう?」

 ジト目でフィーリアが睨む先には、なぜか私服姿でクリュウの横の席に陣取りコーヒーを飲んでいるライザがいる。その手にはトーストが掴まれており、完全に朝の優雅な一時を満喫している。

「別にいいじゃない。私今日は午後出勤だから午前中はフリーなのよ」

「だからと言ってどうしてここに、クリュウ様の横に座っているんですか?」

「気にしない気にしない。たまには私だってクリュウ君を独り占めしたいのよ。何たってこの子かわいいから、ギルド嬢の間でも大人気なのよ」

「……かわいいって言われても全然嬉しくないんですけど」

 相変わらず脳天気なライザに対し、クリュウの横というベストポジションを奪われたフィーリアは恨めしげにそんな彼女を見詰め不機嫌そう。そしてクリュウはというとライザの言葉に何とも言えない表情を浮かべている。

 いつもとあまり変わらないドンドルマでの日常。唯一違う事と言えばいつもより二名ほど人が足りない事だろう。特にトラブルメーカーなサクラがいないだけでずいぶんと静かになる。

 静かにサンドイッチを食べるクリュウに背後から抱きつくライザにフィーリアが激怒するなど、いつもと変わらない平和な光景がそこにはあった。

 だがしばらくして、その状況は一変する。

 突如テーブルに叩き付けられたのは一枚の依頼書。叩き付けられた書類の上には手が置かれ、その腕の先は見知った人物が無言で立っていた。

「ルー……」

 ルーデルの顔を見た途端、フィーリアは視線を逸らした。昨日の今日だから仕方がないと言えば仕方がないが、その瞬間ルーデルの表情が泣きそうになり、二人の間に気まずい沈黙が舞い降りる。しかしすぐにルーデルを気を取り直すようにクリュウの方を睨みつける。

「昨日の約束通り、クエストであんたの力を試させてもらうわ」

「……わかったよ」

 挑発的で不敵な笑みを浮かべるルーデルに対するクリュウもまたいつになく真剣な表情。互いに負けられない戦いだからこそ、真剣で、本気で、ぶつかれる。互いに本当に想っている相手を奪い合うのだから、真剣だ。

 二人の瞳と瞳が睨み合い、火花を散らせる。想いの強さが、爆ぜる戦い。互いに一歩も引かない、引けない戦いはすでに始まっている。

「え? 一体どういう事ですかッ!?」

一方、そんな二人の奪い合う対象にして完全に外野扱いのフィーリアは状況が呑み込めず右往左往。そしてなぜかすでに一瞬にして状況を見抜いてイタズラっぽく笑っているライザ。

「うふふ、フィーリアったらモテモテね」

「ま、待ってくださいッ! なぜお二人が全面対決みたいな感じになってるんですかッ!?」

「黙ってなさいフィーちゃん。これは私とこのバカの問題」

 有無を言わせぬルーデルの迫力にフィーリアは言葉を返す事もできずたじたじになってしまう。しかし一方のクリュウはそんな迫力の直撃を受けているというのに一歩も退く気配なく、むしろ向き合っている。本気だからこそ、耐えられるのだ。

「それで、クエストって何さ」

 淡々と話を進めようとするクリュウの誘い言葉に、ルーデルはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。その笑顔に、自然とクリュウも警戒して緊張する。何しろ相手は自分よりもランクが上、フィーリアと同程度の実力を持つ格上の相手だ。どんな無茶を提示してくるかわからない。

 ――いや、むしろ逆か。いくら憎い相手だとはいえハンターである以上《無茶》という狩人が最もしてはいけない危険を提示してくる訳がない。自分が受注できるクエと彼女が受注できるクエは違う。この場合協力者になるのである程度格上の相手との戦いに身を投じる事はできるが、そこは自分に合わせたクエストにしているかもしれない。

 頭に血が上りまくってまともな思考回路が寸断されていない限り、そんな無茶苦茶な事は――

「フィーちゃんの領有権を争うんだから、フィーちゃんのテリトリーで戦わないと。当然、相手は陸の女王、雌火竜リオレイアよッ!」

 ――残念ながら、ルーデルの思考回路はすでに末期の状態だったらしい。

「意味が全くわからない上に何を無茶苦茶な事を口走ってるんですかルーッ!」

 ここに来て今までフリーズしていたフィーリアが慌てて介入して来た。まだ状況の全体図を把握している訳ではないが、とりあえずルーデルがクリュウをリオレイア狩りに連行しようとしている事だけは理解したらしい。

 フィーリアの予想通りな介入に対しルーデルは真剣な表情で彼女に向き直る。

「私はまたもう一度フィーちゃんと一緒に狩りがしたい。昔のように、でも昔とは違う今の私達の狩猟を。フィーちゃんは、私と組むのは嫌?」

「そ、そんな事ないッ。で、でも私はクリュウ様が……」

「──僕の事はどうでもいいんだ」

 渋る最大の理由を提示した途端、その当人であるクリュウが口を挟む。驚き、フィーリアとルーデルは彼に向き直る。静かに椅子に腰掛けるクリュウもまた真剣な表情を崩さない。

 静かに一つ息を零し、困惑しているフィーリアに向き直る。

「まさかとは思うけどフィーリア、君は初めて僕と会った頃に村長が言っていた《僕の教育》で今までずっとチームを組んでいた訳じゃないよね?」

 クリュウの言っている言葉の意味がわからず、一瞬困惑するフィーリア。しかしその単語一つ一つの意味を理解すると、それは猛烈な怒りとなって吐き出される。

「そんな訳ないじゃないですかッ! 私は純粋にクリュウ様とッ! 頼れるけどどこか頼りないシルフィード様と、天上天下唯我独尊だけど頼れる時は頼れるサクラ様と、皆さんと一緒に狩りがしたくてずっと一緒にいたんですッ! そんな、責任とかでずっと一緒に居る訳ないじゃないですかッ!」

 フィーリアがクリュウに対して怒鳴るのは、決して特筆して珍しい訳じゃない。でもそれは彼がサクラや他の女子とムカムカする事をしている時のみ。こうした、意見や思考の相違で怒鳴る事はなかった。それだけフィーリアのクリュウに対する許容能力が大きい事と、彼女の彼に対する信頼が強い事が理由だった。

 でも、こればかりは許せない。だって──今までの自分達の関係を、絆を、全て偽りのものだったと言われてるのに等しいからだ。そんな侮辱、例えクリュウであっても許せる訳がない。

 ……いや、クリュウだからこそ侮辱されたくはなかったのだ。この気持ちは、昨日ルーデルに抱いた感情とどこか似ている。

「――僕だって同じだよ」

 ギュッと小さな拳を握り締めていると、そんな彼の声を聞いた。ゆっくりと顔を上げると、そこにはいつもの、大好きな彼の笑顔があった。優しくて、温かくて、愛惜しい、心の底から癒される笑顔。

「僕だって、フィーリアやサクラ、シルフィと一緒に狩りがしたいと思ってるし、これからもそうでありたいと願ってる。狩りだけじゃない。日常だって一緒にいたいと思ってる。だって、みんな僕にとってはかけがえのない大切な人だから」

 屈託ない笑顔を浮かべながら断言するクリュウの言葉に、フィーリアはカァッと顔が熱くなるのを感じて慌てて視線を逸らした。自分ではわからないが、きっと今の自分の顔は隠し切れないくらいに真っ赤に染まっているだろう。

 ――かけがえのない大切な人。その部分だけが何度も頭の中で繰り返される。本当の意味はサクラやシルフィードも含めているのだが、今の彼女はその部分が欠落している。つまり――自分が彼にとって大切な存在だという事実。それだけで幸せだった。

 顔が真っ赤になっているのを隠そうを顔を逸らしたフィーリア。しかしクリュウからは何とか隠せてもルーデルからは丸見えであり、それを見たルーデルは明らかに不機嫌そうな表情になる。

「――でも」

 クリュウの続けての言葉に、再び二人は彼に視線を注ぐ。

「その気持ちはきっとシュトゥーカも一緒だと思う」

 その言葉に、ルーデルは息を呑んだ。じっと、クリュウを静かに見詰める。

「シュトゥーカだってフィーリアの事を大切に想ってる。僕に対しては無茶苦茶で容赦無いけど」

「当たり前じゃない。何であんたに手加減しなきゃいけないのよ」

「でも、フィーリアを大切に考えてる。それは感じたから、だからかな、悪口言われて罵倒されても、悪い気はしないんだ」

 はにかみながら言うクリュウの言葉にルーデルは若干頬を赤らめて黙ってしまう。彼の本心をそのまま口にしてしまう厄介な所を知らないから一瞬ドキッとしたが、すぐに嫌そうな表情を浮かべて仕切り直す。

「……あんたって、ドMなの?」

「そういう意味じゃないよッ!」

 うわぁと口を手で隠しながら一歩下がってあからさまに引いているルーデル。クリュウは慌てて《そういう意味じゃない》と叫び、それを見てライザがおかしそうに笑う。

「と、とにかくッ。お互いに本気でフィーリアの事を想ってるって事ッ!」

 恥ずかしさに頬を赤らめながら仕切り直すクリュウ。そう力強く言うと、今度は再びフィーリアの方へ向き直る。視線を向けられたフィーリアは散々《大切》とか《想ってる》という単語を連発されてクリュウと同じように恥ずかしさに顔を赤らめている。そんな彼女に、ルーデルも静かに向き直る。

「私達は本気でフィーちゃんの事を想ってる。それは紛れもない事実よ。悔しいけど、こいつも私と同じ」

「本気だからこそ、負けられないんだ」

 本気だから、真剣なのだ。

 親友と想い人の真っ直ぐな気持ちを受け、フィーリアは顔を真っ赤にしてコクリとうなずく。そんな彼女を見て二人は小さく微笑むと、同時に言った。

 

「「それに約束したでしょ――いつか、一緒にリオレイアを狩ろうって」」

 

 ずっと昔に約束した事。二人はちゃんと覚えてくれていた。

 フィーリアはブワッと瞳から涙を溢れさせながら、静かにコクリとうなずいた。

 

 いつの間にか席を外したライザは、後輩の子に一枚の依頼書の受理手続きを頼んだ。

 

 ――テロス密林に出現した雌火竜リオレイアの討伐指令。クリュウのまた新たな戦いが始まろうとしていた。


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