仏智霧学院の正門を塞いでいる天神館の本陣の内部で、乾いた破壊音が連発する。
音と共に飛び散る木片は、敵の侵攻を食い止めるためのバリケードの成れの果て。
破城槌のごとき勢いで突進する、大地次蔵の頭突きによって次々と大穴が開けられていく。
それでも、肝心のターゲットである毛利へとはかすりもしない。
「ええい、クルクルと上手く避けやがる」
新たに明けられた大穴から、這い出てきた大地は忌々しそうに呟く。
どれほどの威力を持っていようとも、当たらなければ意味がない。
そんな様子を見て、毛利は嫌味なまでに爽やかな笑みを浮かべる。
「フッ。私の華麗なステップが妬ましいか」
「んな訳あるかっ!」
大分勘違いした台詞を吐いている間にも、敵は迫ってきている。
守備部隊の隊長である毛利がこうして戦っているため、迎撃の指示は副将の島がだす。
「攻撃の手を休めるな! バリケードの修復急げ!」
矢継ぎ早に命令を飛ばしながら、毛利たちへと視線を向ける。
一見すると、毛利が相手を手玉に取っているように見える。しかし、実際に劣勢なのは毛利のほうだ。
バリケードを破壊するほどの頭突きは、お世辞にも屈強とはいえない彼の体ではひとたまりもないだろう。
対して、大地は人並み外れた石頭を武器だけでなく盾にしている。
そのため毛利の矢は通じず、一方的な攻撃を加えている。
「劣勢ですな。矢が通じないことには、毛利には荷が重いのでは」
「所詮は自惚れた凡俗か。おれの目も曇ったものよ」
「ゴホゴホいつまでも本陣で暴れられても困る。俺が手を貸そうか?」
大将として、病弱設定として、本陣の最奥に控えていた石田と大村も、この状況に腰を上げようとする。
しかし、その会話が聞こえていたのか毛利が振り返り様に矢を放つ。
足元に深々と突き刺さるその矢が示すことはただ一つ。手出し無用。
それを見た石田は不機嫌そうにしながらも、上げかけた腰を再び下ろす。
「ふん。このおれにココまでしたのだ。負けるようなことがあればただではおかん」
口ではそう言うが、毛利の実力を信じたのか顔には僅かながら笑みが浮かぶ。
そこには未だに、「例え負けても、自分が倒せばいい」という思考が混ざっている。だが、島以外の人間に何かを任せるというのは、それだけで大きな一歩と言えるだろう。
主の成長を感じ、思わず涙ぐむ島。ここは、石田の意思を尊重して彼も手出ししない。
それを横目で確認しつつ、毛利は満足そうに頷く。
「それでいい。数に頼るなど、無粋極まりない真似は美しくないからな」
目の前の劣勢を覆すよりも、自分の美学を貫くことを選ぶ。
愚行と言い切ることは簡単だが、それを良しとするのもまた強さの一つ。それが、大地を余計にイラつかせる。
低身長をコンプレックスに思う彼は、何よりも人からバカにされること、舐められることを嫌う。今の毛利の態度は、舐めきっているとしか見えない。
「俺をバカにするのもいい加減にしろよテメェ!」
すでに何度となく避けられた頭突きを繰り返す。今は毛利も余裕を持っているが、繰り返していればいずれは体力が尽きて決着がつく。
それに、例え毛利に当たらなくとも、彼の背後にあるバリケードを破壊すれば天神館に負担を掛けられる。
切り込み隊長として突貫してきた大地としては、それだけでも意味がある。
「壁を壊して私たちを苦しめるか。堅実だが美学が感じられんな。おい矮躯。貴様はそんな戦い方で満足なのか?」
駆け引きや策略ではない。美しさだけが全てという価値観から来る、純粋な質問。
見苦しく、無様に、醜くあるくらいならば潔い塵様を望むのが毛利の価値観だ。それからすれば、大地の行動はまったく理解できないものだった。
ただ一つ、石頭だけを武器にした特攻。そこまでして本陣に踏み込みながら、大将を狙わずに毛利を狙うついでにバリケードを壊すだけ。
そんな、華も何もない戦い方をとる。その理由を聞いただけだ。だが、それは逆に大地の理解の外から来る言葉。それこそ、彼には理解できない。
「美学もクソもあるかよ。数で押しつぶせってのが仏田さんの指示。それだけだ!」
「フム、上からの指示か。それで、お前は自分の意思もなく戦っていると?」
「当たり前だ。長いものに上手く巻かれなきゃ、俺見たいなのは生き残れないんだよ」
自分の行動を肯定しながらも、その目には忌々し気な暗い光が宿る。
生き残るためにソレを選んだのではない。選ばなければ生き残れないと言ったのだ。
体が小さいというのは、それだけで不利に働くことが多い。体重、腕力、リーチ、そういった格闘戦におけるアドバンテージの殆んどを奪われる。外見的な迫力、見栄えに劣る。ただ、小さいと言うだけで笑うような輩もいる。
そんな世界で生きるために、大地は自分の意思に関係なく仏田に従っている。
「分からんな。己を殺してまで他者に従う。それもその思想に共感したでもなく、ただ力に屈するとは」
「テメェみたいなのには分からねぇよ」
先ほどよりも、憎悪を込めて言葉を吐き捨てる。
その瞳に宿る。暗い劣等感こそ変わらないが、明確な意思を持っている。毛利への敵意と言う、大地自身の意思が。
「立ってるだけで見下ろされたことがあるか? 横を通っただけで笑われたことは? そこにいたから殴られたことは? ねぇだろうよ、テメェみたいなヤツは」
性格に難があるとは言え、容姿にはかなり恵まれた部類の毛利。加えて、頭の回転も速く、運動能力については天神館で通用するだけの物を持ってる。
その一つ一つが、大地のコンプレックスを刺激してしょうがない。
そんな相手に、面と向かって弱者の生き方を否定されたのだ。
怒りを覚えないほうが、無理があるというモノ。
「だから俺は。お前らが、天神館みたいなエリート面してる奴らが大ッ嫌いなんだよ!」
それは、正当性の欠片もない八つ当たりだ。
毛利も天神館も、一度として大地や仏智霧学院をバカにしたことなどない。
ただ近隣にあった、今目の前にいた。それだけに過ぎない。
それでも溢れる怒りを、劣等感を押さえ切れない大地は憎悪の言葉を叫びながら毛利目掛けて駆ける。
その言葉をどう受け取ったのか、毛利は避けるそぶりも見せずにクロスボウを天へと向ける。
「醜いな、あまりにも醜い」
哀れみが込められた呟き。それは普段の彼が零す、独自の美意識を基準とした評価とは違った。
美しくないモノを好まないとは言え嫌悪するまではしない。しかし、その目は確かに大地を見下していた。
明確な嫌悪を持って、醜いと言い捨てたのだ。
そのことを、自身への侮蔑に敏感な大地は明確に感じ取り勢いを増す。
「だから、どうした!」
「美しくない者は……滅べ」
そう言って、射出された矢は青く広がる空へと吸い込まれていく。
当然のように、そんな検討ハズレな方向への攻撃で大地の足が止まるはずも無い。
空に消える矢と入れ替わるように、大地の頭突きが腹部へと突き刺さる。
武術を嗜むとはいえ、それ以上に美しさにこだわる毛利。
破城槌のごときその一撃に、耐え切るだけの腹筋は彼にはなかった。内臓を痛めたのか、口から僅かながら赤いものを吐きながら吹き飛ばされる毛利。ゆうに三メートルは飛んだ体が、鈍い音を立てながら地に落ちる。
土に汚れ、力なく倒れこむその姿は、恐らくは彼が嫌うであろう無様なもの。
その姿に、初めて大地が笑みを浮かべる。
自分よりも身長の高いヤツが。自分よりも顔の良いヤツが。自分よりも学業の出来るヤツが。自分よりも良い学校に通っているヤツが。自分よりも――……。
そんな毛利を見下ろしている。その構図が、大地に至上の喜びをもたらす。
だが、その歪んだ喜びも毛利と視線が合った瞬間に吹き飛ぶ。
彼の目は、未だに大地を見下していた。
位置関係の上下など関係ない。心の底から、大地次蔵という人間を醜いと見下していた。
「見んなよ。そんな目で俺をみんなよ!」
今だ起き上がれない毛利へと、蹴りを入れる。それでも毛利は見下すのを止めない
むしろ、一層の哀れみを込めて見下す。
「だから……貴様は醜いのだ」
「なん、だと?」
見下しながら、侮蔑しながら、哀れみながら、それでも諭すような不思議な温かさのある言葉に、思わず大地の足が止まる。
「矮躯だからどうした。元より、私のような完璧な体に生まれることが奇跡なのだ。貧弱ならば鍛えろ、肉が付きすぎるならば落とせ、不細工ならばメイクの腕を磨け。矮躯が努力でどうにもならないと言うのなら、それを補う何かを身につけろ」
冒頭に、自己陶酔という余計なものがついているが、その言葉の一つ一つはもっともだ。そんな言葉ならば、大地だって過去に親や教師から嫌というほど聞かされた。
しかし、毛利の言葉はそこで止まらない。
「それをしないから貴様は醜いのだ。自らの欠点を自覚しながら、開き直って妬み、憎み、捻じ曲がって。その心根が何よりも醜い! 醜いならば、醜いなりに己を磨け! 矮躯を笑われたならば、笑った相手全てを魅了する術を身に着けろ! 路傍の石とて、磨けば多少は光るものだ!」
全力で大地の魅力を否定した上で、底辺から這い上がれと言う。
歯に衣着せぬ、だからこそ否定も出来ない言葉。ココで、教師たちのように妙なオブラートを使われれば、そんなことと聞き流すことも出来た。
だが、ココまで直球で言われては、それさえも出来ない。
「そんなこと、分かってるよ。でも! 今更そんなこと!」
遅すぎだ。すでに不良校と名高い仏智霧学院にまで落ちてきてしまった。
自分を磨くなど、手遅れ過ぎる。
だというのに、毛利は自信を持って笑う。
「フッ。遅いことなどあるものか。美とは永遠だ。今からでもいい、己を磨き美しくなれ。まあ、とりあえずは……美しく散れ」
「は? っがぁ!?」
言うだけ言い切ったところで、空へと向けて放った矢が帰ってくる。
重力落下の勢いをつけたその矢は、もはやクロスボウで射出した時のそれとは比べ物にならない領域へと達している。
その速度、その威力の前には、さすがの大地の石頭も一たまりもない。
「空を駆ける美しき一文字、これこそ毛利秘伝『流星一閃』」
矢が通じないほどの強度を持つ者を貫くための技。しかし、一度空に放って勢いをつけるために時間が掛かり、その上相手の位置を計算しなければいけない難しい技だ。
あの会話は、大地を諭すのはもちろん、その場に留めておくという戦略的目的もあった。
人道的にどうかとも思うが、一応は毛利の本心だから良しとしておこう。
「さあ、後は雑魚だけだろう。悪いが私は優美に休ませて貰うぞ」
最後の力を振り絞って、優雅な足取りを維持しながらバリケードまで歩む毛利。そこで、力尽きもたれ掛かるようにして、眠りに落ちる。
本陣内部で暴れる大地がいなくなったことで、バリケードの外の敵の勢いも弱まる。
防衛戦において、まずは一勝。天神館が白星を挙げた。
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