昼を過ぎた真夏の日差しというのは、ある種殺人的である。帽子を被らなければそれだけ日射病は確実。水分補給が遅れれば命にも関わるだろう。
そんな炎天下だというのに、小学生たちは元気に空き地でボールを追いかける。地面に線を引いただけの簡素なゴール目掛けて走る男の子がシュートの体勢に入る。
「行くぞ先制点!」
「そうはさせない!」
ボールを蹴るまさにその瞬間、真横からスライディングで突っ込む虎之助。二人の足に挟まれたボールは大きく歪み、それが限界に達して天高くへと弾き出される。
そのままボールは太陽の中に隠れ、見上げた全員が思わず目を覆う。しかし、ただ一人空を見上げない少女が。
しばらくしてようやく姿を現したボールは、真っ直ぐに空を見上げていなかった少女、大友の下へ落ちてくる。大友はそれを始めから分かっていたというように、すぐさま蹴って走り始める。
「くそ、また持ってかれた! 戻れ戻れ!」
「そんなんで大友に追いつけるものか!」
追いすがる男の子たちに影も踏ませずに駆け抜ける大友。そのままシュートかと思われたが、キーパーが飛び出してきて阻害する。
それでも慌てない大友は急ブレーキをかけ、くるりと向きを変えると後方を走しっていた虎之助へとパスを回す。
「任せたぞトラ!」
「そのくらい俺たちだって分かってる!」
「のわっと! 取られてたまるか!」
虎之助と焔がパスを回してボールを運ぶのはいつものこと。なので簡単に予想のついた友人たちが彼を囲む。
前後左右へと小刻みに動いてはフェイントを仕掛けるが、大友へのパスは完全に防がれている。そこで虎之助は視線を一度そらすと、運動が苦手なためマークされずにフリーの有馬を見つける。
「いくぞ有馬! しっかり受け取れ!」
「ええ!? わ、私なの!?」
「そっちは予想外過ぎる!」
意表をついた人選に虎之助を囲む友人たちのガードが崩れる。その僅かな隙間を見逃さずに駆け寄る大友。
視線を向けずとも彼女なら来ると信じた虎之助は、有馬を見たまま僅かに足を動かす。
「ちょいや」
「ナイスパスだ!」
キーパーも含め全員が有馬に行くものと思っていたボールがヨロヨロと転がり、本命の大友の足元に納まる。
もはやそれを止める者もいない状態で、大きく足を振りかぶる大友。
「でりゃああぁぁぁ!」
バシンといい音を立てて放たれたボールは、真っ直ぐにキーパーの顔面へと走る。とても女の子の蹴ったボールとは思えない勢いに、たまらず頭を庇いながらしゃがみこむ。
その頭上をボールが駆け抜け、見事に得点がはいる。
「先制点いただきだ!」
「焔ナイスシュート!」
二人だけでボールを運んだ虎之助と焔が元気にハイタッチをするが、回りの友人はやや疲れた表情だ。
確かに動き回るには辛い気候だが、とてもそれだけが原因だとは思えない。
「どうしたお前達。元気が無いぞ」
「だってよ、お前ら二人がそろうと勝てないんだもんよ」
「大体どうして目も見ないでパスが通るんだ」
日ごろから見せられる二人のコンビネーションに今更ながら疑問が上がる。今だって事前の打ち合わせも、アイコンタクトすらなしに有馬を使ったフェイントが通った。
普通はそんなことしようと思えば事前に綿密な打ち合わせが必要になるだろう。
なのに本人たちはキョトンと顔を見合わせて、
「どうしてって、分かるだろなんとなく」
「うむ。あそこで明奈を呼んだのなら、ああ来ると思うぞ」
やはり阿吽の呼吸で答える二人。
半ば予想していたのだろうが、それでも溜め息が出てしまう友人たち。
つまるところ、この二人の仲の良さが異常なのだ。
「そんなこと出来るのほむちゃんたちだけだよ」
有馬が遠慮がちな笑みで言うが、今一納得出来ない虎之助たちは揃って口を尖らせる。
「明奈まで大友たちがおかしいと言うのか」
「違うって。二人が凄いって言ってるの」
「普通のことだけどなぁ?」
まだ納得できないと首をかしげる二人だが、その動きもピタリと合ってしまう。それを見て、有馬の頭に一つの光景が浮かぶ。
「そうだ。二人なら“アレ”できるかも」
邪気の無い朗らかな笑顔の有馬に、虎之助と大友の顔が引きつる。
この有馬明奈という少女は、優しく穏やかな文学少女そのものである。その気立ての良さは友人たちにも好評で、運動神経が壊滅的ながらこうやってサッカーにも混ぜてもらえている。
しかし、しかしだ。そんな彼女の唯一の欠点というモノがある。
それが今二人に襲い掛かっている。
「い、いったいなんだ?」
「うん。この前サッカーの漫画で見たんだけどね」
コレである。有馬は自分の運動能力が低いということを自覚しているのだが、相対的に周りの人間の運動能力を過大評価する癖があるのだ。そのために小説や漫画に出てくる超人的な動きを要求(フレンドリーファイア)してくることが間々ある。
「あっと、こうやって一人が下になって、もう一人を蹴り上げるの! 二人なら出来るよね?」
本人に悪意は無い。本当に虎之助たちを信じているその瞳に見つめられては、とても断れない。結果、虎之助は地面に仰向けになることに。
「いいかトラ。3、2、1で行くからな」
「おうこいや。もう腹くくったよ……」
さすがに今回頼まれたモノは危険なため二人も念入りに打ち合わせをする。
仰向けに寝転がった虎之助が足を折りたたみ、発射台のようにして大友を待つ。その大友は、虎之助の前で何度もタイミングを確かめては飛び上がる練習をする。
二人がコレほどまでに慎重になる技というのが、某サッカー漫画に出てくる架空の技『スカイラブタイフーン』。一人が仰向けになり、その足の上にもう一人を乗せて蹴り出すことで通常よりも高い位置からのヘディングを行なうというモノ。
普通に考えれば、選手の足が壊れるだけであるが、有馬のお願い(フレンドリーファイア)を断れなかった二人はもはや引くに引けない。
「おい、本当に大丈夫か?」
「ほむちゃんとトラちゃんなら大丈夫だよ」
他のみんなが心配するも、有馬のまっさら笑顔に逆らえない。最後まで抵抗して見せたボールを投げる役割の者もついに折れてしまい、いよいよ架空の技の実戦が始まる。
「いくぞー。……死ぬなよ」
不吉な言葉と共に投げ放たれたボールを視線で追いながら大友が飛ぶ。その両足をしっかりと捕らえた虎之助もボールを目で追いながら発射角度を微調整。そして狙いが定まったところで叫ぶ。
「「スカイラブタイフーン!」」
二人揃って力強く足を伸ばすことで、大友の跳躍力は何倍にも跳ね上がり、空高くに滞空するボールへと届く。しかし、さすがにそこまでが限界。ヘディングというよりも頭突きの勢いでぶつかったボールは狙っていた場所を大きく反れ、空き地に隣接する草むらへと飛び込んでいく。
「ゲ! あっちって廃車場じゃん!」
「あのボール俺のだぞ! どうすんだよ!」
「諦めろ。それかブラックキングに食われろ」
ボールばかりを気にして、虎之助たちに見向きもしない友人たちに二人は押し黙ったまま怒りに震える。
跳んだはいいが角度が急すぎて、ほぼ真上に跳んだものだからヘディングの後、落ちてきた大友は虎之助に直撃。今も二人はこんがらがったままだ。
だというのに、心配するのが有馬一人というのだから怒りもするだろう。
まあ、普段から無茶、無理、無鉄砲が過ぎる二人にも問題はあるのだが、それとコレとは話が別だ。
「テメェら少しはこっちを見ろ!」
「大友たちが心配ではないのか!」
力の限り怒鳴り声を上げるが、振り返った友人たちは冷静。むしろ、そう言えばこいつ等もいたな程度の反応。
もう一度、今度は蹴りでも加えながら怒ってやろうかと思う二人だが、ソレよりも先にボールの持ち主が口を開く。
「お前らが飛ばしたんだから、取って来いよ」
「ふざけんなよ?」
かなり危険を冒して無茶振りに答えたというのに、その上野良犬の住みかに行けと言われて従うはずが無い。
それでもこの友人たちも伊達に虎之助たちと友だちをやっていない。こういう時にどう言えばいいかをしっかりと心得ている。
「あーはいはい。怖いんならしかたないな」
「「怖いわけあるか!」」
「じゃ、頼んだ」
「もー、二人ともいつもそれに引っかかってるのに」
そうと分かっていながら止めない有馬もまた、しっかりとこの二人の友人をやっている。
渋々ながら背の高い草を分け入っていく虎之助たち。今回は二人で行けと言われた為、どちらが先頭か争うことも無く肩を並べて、恐怖に震える手を繋いで慎重に進む。
そしてようやく草むらが終わると、風雨に晒され塗装のはげた廃車や家電が城壁のように聳え立つ。粗大ゴミの隙間から覗けば先ほどかっ飛ばしたボールが転がっている。
「あったぞトラ! 早くとって戻ろう」
「よっしゃ! 音たてるなよ」
口の前で人差し指を立ててしーっと沈黙を約束してから歩みを再開する。
抜き足、差し足、忍び足。虎之助が前方を注意しながら進む。
抜き足、差し足、忍び足。大友が後方を警戒しながら進む。
抜き足、差し足、忍び足。二人しかいないと言うのに何故だか足音が余分に聞こえてくる。
余分な足音に同時に気がついた二人がキョロキョロと回りを見回すが誰もいない。
だというのに未だに足音は聞こえてくる。その足音は二人の周囲をグルグルと回るようにトタトタトタトタと歩く。
姿の見えない相手に二人の恐怖がピークに達したところで、足音は止む。しばらくは警戒を解かない二人だが、なおも続く静寂に安心して力を抜いた瞬間、
「ワン!」
「「のぉぉわあぁぁぁぁああああ!?」」
真後ろから聞こえた犬の鳴き声に、ブラックキングの巨体を思い出しこしを抜かす二人。這いながら逃げようとするが、鳴き声の主はすぐに追いつき虎之助の顔に舌をのばす。
「ワンワン」
「ぎゃあああ食われるぅぅぅ!」
「しっかりしろトラ! 傷は浅いぞ! て」
黒犬に食らいつかれた虎之助を想像した大友だが、その目に映った光景は想像を大きく裏切るもの。
なおも叫ぶ虎之助に冷めた目を向けながら大友が言い放つ。
「黙れ軟弱者。しっかりと見ぬか」
「食いちぎられる! て、え? あれ?」
冷たい言葉に冷静さを取り戻した虎之助は、まず始めにどこも噛まれていないことに気がつく。つづいて自分の頬をなでる舌の小ささに気がつき、最後に相手が黒犬は黒犬でも小さな小さな仔犬だと気がつく。
「小さいな」
「うむ。まだ子供だな」
愛らしい仔犬に取り乱していた恥じを忘れるために勤めて冷静を装う二人。改めて見ればブラックキングと同じラブラドール。もしかしたら親子かもしれない。
それでも人懐っこさは天地の差があり、この仔犬はやたらとじゃれ付いてくる。動物の子供は外敵に襲われないようにと、目や頭が大きく可愛らしくなることで母性に訴えるというが、それは当たっているのかもしれない。
現に二人は仔犬の愛くるしさに心奪われている。親犬の存在も忘れて。
「ブワアァウ!!」
仔犬のそれとは比べ物にならないほどのドスの聞いた鳴き声。
振り返った先には怒りに毛を逆立てるブラックキング。今度は腰を抜かす暇も無い。顔を見合わせ一度頷くと、二人は同時に駆け出した。
「ブァウ! ブワオォーン!」
なおも続く咆哮に追い立てられるようにして草むらを転げ出る二人。帰りを待っていた友人たちも黒犬の鳴き声が聞こえていたのだろう、空き地の向こう側にまで逃げている。
「ど、どうだった?」
念のためというように尋ねられる質問。息を切らせながらジト目で睨みながら虎之助が答える。
「ブラックキングだよ」
「だよな」
諦めた様にうな垂れるボールの持ち主。それを見ていると、二人にも少しばかりの罪悪感が湧いてくる。
「むぅ、なにやら妙案はないものか……」
「何とかブラックキングの気をそらせればなぁ……」
「そうだ!」
ややはり有馬がいいこと考えたと声を上げる。
かなり危険な予感がするが、他に誰も思いつかないのだから聞くしかない。
「手を差し出してわざと噛ませるんだよ! そうやって怖くないって教えてあげれば」
「それは無理だ!」
「え、でもギブリの主人公はそうやって」
「明奈。さすがにソレは出来ない」
努力でどうこう出来るものと、出来ないものが世の中にはある。この提案は間違いなく後者だ。
それでも、これがヒントになり虎之助が一つ思いつく。
「そうだ! 確かおやつにサラミ持ってきてたよな!」
「持ってきているが、そうか餌で気をそらすのだな!」
夏の日差しの下で遊ぶ虎之助たちを心配した両親に持たされた、塩分補給ようのサラミソーセージ。これを使えばあの黒犬の気をそらすには十分だろう。
「じゃ、もう一回行ってくる!」
「吉報を待っていろ!」
思いつきに自信があるのだろう、今度は頼まれてもいないのに廃車場へと特攻する。
草を掻き分け再び粗大ゴミの城へ。そこには未だに黒い親子犬の姿があった。
刺激しないようにとそーっと近づく二人だが、ブラックキングは目ざとく気がつくと唸り声を上げて威嚇する。
その場で足を止めた二人は下投げで転がすようにして、サラミソーセージを犬たちの元へ送る。
ブラックキングは警戒しているのか、鼻をならして匂いを嗅ぐだけだが、仔犬のほうは危険を知らないのかいきなり被りつく。
その味が気に入ったのか、小さな口で何度もカプカプと美味しそうに食らいつく仔犬。その様子に安全と判断したのだろう、ブラックキングは廃車場の奥へと吼える。
すると、奥に隠れていたのかさらに二匹の仔犬と、ブラックキングよりも一回り小さいラブラドール。あちらは仔犬たちのお母さんだろう。
三匹そろった仔犬は両親に見守られながら仲良くサラミソーセージを食べる。
その様子にほっこりと和む虎之助たちだが、いつまでもそうはしていられない。本来の目的はそこに転がっているボールだ。
今のうちにボールを回収し、仔犬たちの姿に後ろ髪を引かれながらも廃車場をあとにしようとする。
「バウ!」
二人の背中へと、先ほどの咆哮とは様子の違う優しげな声で吼えるブラックキング。
振り返るとまるで感謝を表すように頭を一度さげ、仔犬たちをつれ廃車場の奥へと引き篭もってしまう。
「所詮は噂か」
「だな」
恐怖の黒犬のイメージを改めた二人は、いいもの見れたと笑顔を浮かべ友人たちの下へと帰っていった。
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