緑煌めき、小鳥囀るここは福岡市の偃月山。
本日の天神館は鍋島を筆頭に、主要教師陣の引率の元で一年生の林間学校に来ていた。
活動的な生徒はもちろん、大自然は文系の大人しい生徒さえも活発にする。だが、はしゃぐ生徒の中で一際笑顔の女子生徒に、周囲は怪訝そうな顔を向ける。
「うきたはりんかんがっこう、イヤがってなかったか?」
「それがな、今日の出掛けに学ランに絡まれたんよ。なんやよう分からんけど、天神館の話してくれ言うんや。そいで林間学校のこと教えてやったら情報料や言うて三万もくれたんよ」
ぼろ儲けだと喜んでいるが、怪しすぎる。
しかもこの近辺で学ランといえば、有名不良校の仏智霧学院と見て間違いないだろう。
宇喜多自身は、金が全てと言い切れるかもしれないが、商売相手くらいは選んで欲しいものである。
「ほらガキども話を聞け。今日は待ちに待った林間学校だ。一泊二日で自然と戯れるぞ」
厳つい鍋島だが、木漏れ日の元で見る笑顔は好々爺とした雰囲気がある。
それに騙されそうだが、この林間学校は彼の言うような自然との戯れなどではない。噂が事実ならば、軍人顔負けの厳しさらしい。
「とりあえず今日泊まるのは山頂にある、お前らの先輩が建てたログハウスだ。今から向かうが、その前にチーム分けだ」
早速噂の一つが裏づけされた。ログハウスの建築など、専門学校の卒業制作でもなかなか作らないものだ。
そしてチーム分けというのも、きな臭い危険な雰囲気がする。
「チーム分け? ログハウスまでの道のりにも妖艶な試練が?」
「その通りだ。午前の鍛錬もかねて、アスレチックでもして貰おうと思ってな。山中に色々と仕掛けたからお前らは、四人一組になって山頂を目指せ」
アスレチックと言えば聞こえがいいが、彼が言うのだから単なる遊びではないだろう。
恐らくは下手なトレーニング以上に過酷な道のりになるだろう。そうすると、心配になるのは運動の不得手な生徒たち。
「それは、全員参加せねばならんのか?」
もしもそうならば、有馬をチームに入れてやらなければならない。心配から質問した大友だが、鍋島もそこら辺は配慮していた。
「女子に限り、自己申告で俺たちとショートカットだ。その場合は、ログハウスで雑用を手伝って貰うがな」
その言葉に安心した有馬を始めとした文系女子数名がおずおずと挙手する。
島津の先導で彼女たちは舗装された山道を登り始める。彼女たちがその道を行くと言うことは、残った生徒が登るのは、道なき林と言うことになる。
「あ、そうだトラちゃん。熊の弱点は鼻だよ」
振り返りながら叫ぶ有馬。彼女を見送っていた虎之助の耳にはしっかりと届いたが、彼としてはソレを聞いてどうしろと言う気持ちで一杯だ。
いや、どうすればいいのか分かりたくない気持ちで一杯だった。
「さて、大友たちも早くあと二人組もうぞ」
「後は誰が残ってる?」
有馬を見送っていたため、チーム分けに出遅れた虎之助たち。
周りはその間にあらかた組んでしまったらしく、見た感じでは全員が四人組になっている。
「あまたちは例の野郎共と組んだか。安全を祈ろう」
「長宗我部たちも組んでしまっているな」
尼子たちは、姉と弟の両方に熱い視線を送る男たちと。長宗我部、毛利、大村、鉢屋は四人でそれぞれチームを組んでいる。
龍造寺はファンの女子に囲まれているし、宇喜多も特殊な趣味の男子と組んだ模様。
クラスの中で親しい面子は、ことごとくすでに組んでしまっているようだ。まだ残りがいるか不安になる二人だが、それは取り越し苦労に終わる。
「お前らが残ったか。おれが組んでやらんこともないぞ」
「この調子で残ってしまったのだ。この通り拙者が頭を下げるゆえ、どうか頼む」
尊大な態度の石田と、登場と同時に頭を下げる島。
この主従コンビならば、主に石田の問題で残るのは必然か。
「他にいないしな。焔もいいよな」
「しかたあるまい。出遅れた大友たちが悪いのだ」
「おれの出世街道に同行できるのだ。感謝しろよ」
「二人とも、本当に助かる」
そうやって、全ての生徒がチーム分けされと、気の早い者たちが早速林に入っていこうとする。しかし、それを慌てた様子の鍋島が呼び止める。
「おい待て。こいつを持って行け」
投げ渡したのは、人数分の大きな鈴。ガランガランと音を立てるそれは、優雅さの欠片もなく生徒たちは嫌そうにするが、鍋島が無理矢理持たせていく。
「今配ったのは、熊よけだ。ソイツがあれば早々近づいてこないだろうが、もしも熊が出たら俺を呼べ。飛んでいくからよ」
なんと本当に熊が出るらしい。こうなると、先ほどの有馬の言葉が現実味を帯びてくる。
冷や汗を流しながらも、しっかりと熊よけの鈴を結びつけて、虎之助たちも林に入っていく。
緊張しながら進むが、暫く経っても何も起こらない。
「何も起こらぬな。館長のことだからてっきり、罠だらけでまともに歩けないものと思っていたぞ」
「まったくだ。一歩目から落とし穴とか警戒してたのに」
「フ、このおれがいるのだ。巧みに罠を潜り抜けているだけよ」
「油断なされるな。こうやって気を抜いた瞬間を狙っているのやも知れませぬ」
気を緩め始めた三人に注意を促す島。しかし、すでに三人はピクニック気分になってしまっていて、まともに聞いていない。
自分がしっかりせねばと、島が気を引き締めたその瞬間、ついに始まった。
「みぎゃあぁぁぁ!?」
先頭を歩いていた虎之助が、叫びだけを残して姿を消す。
慌てて駆け寄ると、そこにはぽっかりと穴が開いていて、虎之助はそこに落ちていた。
「トラ大丈夫か!」
「なんとか生きてるよ。引き上げてくれー」
「一筋縄ではいかないか。早く引き上げろ、貴重な罠避けだ」
「罠避けって言ったか今!? もしかしてオレが先頭だったのってそのためか!」
「何を今更言っている。貴様ごときがおれとチームを組めるのだ、その程度の役に立て」
「そのようなことを勝手に決めていたのか!」
「怒りはもっとも。しかし、二人とも今は引き上げるのが先決」
険悪になり始める三人の間に、島が割って入って虎之助を引き上げる。
落とし穴から出てきても、当然のように虎之助たちの後ろに石田が立つ。
その扱いに、ジト目で睨むがまるで気にしやがらない。
「何をしている。早く進め」
「だったらテメェが先にいけばいいだろ」
「うむ。斥候ならばまだしも、捨て駒にされる言われはない」
険悪な雰囲気で睨み合う三人。このままでは取っ組み合いの喧嘩になりそうな勢いだが、やはり島がフォローを入れる。
「まあまあ。拙者が先頭を行きますゆえ、二人は周囲の警戒を頼む」
欠片も悪くない島の顔に免じて、ここは虎之助たちが引くこととなった。
これは、入学当初から続いていること。島がいなかったら今頃石田はクラス中から何をされているか分かったものではない。
普段はその迷惑がクラス全員に行き渡っているので、怒りも適度に冷めるが、今は四人しかいない。
「島はお人好しだな。お前らも感謝していいぞ」
鎮火したそばから、石田が新たな火を起こすので一向に虎之助たちの気が治まらない。
ギスギスしたまま進むと、落とし穴のほかに、トリモチ、網、蝿取り草のように両サイドから挟み込んでくる地面。などなど罠がてんこ盛り。
それを島が発見したり、虎之助が掛かったりしながら何とか山を登っていく。
さすがにコレだけの量があっては、体力に自信のある天神館生徒でも息が上がる。なのだが、三人に罠避けをさせている石田だけが涼しい顔をしている。
それに余計にイライラする虎之助たちなのだが、彼はそんなことも気にしない。
「ペースが落ちている。このままでは山頂につく頃には昼飯が終わってしまうぞ」
「だったら一人で行けよ! こっちはお前の分まで罠に掛かってんだぞ!」
「同じチームならば少しは協力したらどうなのだ! 先ほどから大友たちに指図するばかりで、何もしていないではないか!」
「コレだから凡俗は……。いいか、おれが指揮をしているからこそお前達は罠から生還できているのだ。そこのところをよく考えろ」
ついにブリ切れた虎之助たちが食って掛かるが、石田は本気で自分が悪いと思っていない様子。
いよいよ虎之助が手を出そうとするが、島が羽交い絞めにするので届かない。
「三郎様は少々黙っていてくだされ。お前達の気持ちはよく分かる。よく分かるが、一度落ち着いて」
いよいよ島もフォローの限界なのだろう。石田をないがしろにしながら、虎之助たちへの説得に専念する。
しかし、石田にとってはそれさえ不愉快だった。
忠臣である島が、石田の非を認めたうえで謝罪しているのが嫌だという、酷く子供染みた考え。こんな思考に至るとなると、島が甘やかし過ぎなのかもしれない。
「三郎様、ここらで一度休憩にいたしませぬか? 二人も歩き通しで、本調子ではない様子」
「好きにしろ。おれは便所にいってくる」
最終的に、石田のよりも二人を気遣った島の提案が気に入らず、背を向ける。
「お待ちくだされ。それならば熊よけの鈴を」
「そのようなものいらん。熊が出たなら返り討ちにしてくれる」
八つ当たりするように、島を怒鳴って藪へと消えていく石田。
その姿に、機嫌がかなり悪いと狼狽する島。そこまで自分を捧げていると言うことに、虎之助たちは胸の中で同情するしかない。
石田は石田で、理不尽な怒りを撒き散らしながら歩くと、適当な木の前でズボンに手を掛ける。
「島にも困ったものだ。凡俗に優しいのは結構だが、そのためにおれに歯向かうとはな。今一度主従関係を確認してやったほうがいいのかもしれん」
その島がいなければ学校生活すらままならないと言うのに、大層な言い様だ。
だから、これは天罰なのかもしれない。彼の足元に人間よりも大きな、獣の足跡があることは。
「さて、戻ったら早速説教をしてやらねばな」
「グルル」
振り返った石田は黒い毛皮に包まれた巨獣、ヒグマと目が合う。
あまりに唐突なことに、思わず言葉が出てこない石田だが、ヒグマは相当ご立腹な様子。熊がここにいるということは、縄張りなのだろう。そして、熊もそうするのか分からないが、小便での匂い付けは犬のマーキング。
もしかすると、石田のことを縄張りを侵す敵と判断したのかもしれない。
「ガアァァアァァァ!」
石田が行動を始める前に、熊が動く。四足歩行から直立に代わった背丈は二メートルを超え、常に自信に溢れる彼でさえも思わず足がすくむ。
「三郎様お逃げください!」
鋭い爪が並ぶ前足が振るわれるまさにその瞬間、熊の咆哮を聞きつけたのだろう島の忠言に石田の体が自然と動く。
汚れるのも構わずに、地面を転げることで熊の前足を辛うじて避けた石田。すぐさま彼の腕を引っ張るのは、熊のすぐ横を駆け抜けてきた虎之助。お陰で二撃目の爪からも逃れる。
「熊の弱点は、鼻だからな。あわせろよ」
石田の返事も待たずに立ち上がった虎之助は、あろうことか熊に立ち向かう。
ずんぐりとした体型とは裏腹に時速五十キロと熊の走りは早い。だから、逃げ出してもすぐに捕まってしまう。
だからと言って、向かっていくのは無謀としか言えない。
なのに、虎之助は怯えながらも向かっていく。その瞳には信頼が灯っている。
その信頼を受けた大友は、足元に転がっていた石を振りかぶる。
狙うのは虎之助へと牙をむくヒグマの頭。分厚い毛皮と太い首の骨を持つ熊に、それはあまりダメージはないが、それでも気をそらすには十分。
「でいりゃああぁぁぁああぁぁぁ!!」
全力で投げつけた石は見事に熊の注意を引く。ヒグマが僅かに大友へと視線を向けた瞬間に、虎之助が動く。
そこで、先ほどの言葉の意味を理解した石田も後に続く。
「トラトラトラーー!」
「イナズマシュート!」
弱点への二人分の攻撃。それに加えて石田の拳には、気を電撃に変換して纏わせている。
さすがの熊も、電撃には敵わなかったらしく体を痙攣させながら倒れる。
巨獣との戦いは、戦闘時間に比例せずに体力と精神力を削っていたのだろう、熊と共に虎之助と石田もへたり込む。
駆け寄る島の肩を借りながら立ち上がると、隣では虎之助と大友がいつも通りに痴話喧嘩を始めている。
「このたわけが! いくら弱点とはいえあのような無茶をしおって、死ぬ気かお前は!」
「悪かったって。でも焔だって合わせてくれただろ」
「そうせねばトラが食われていたからだろうが! お前に何かあったら、大友は皆になんと言えばいいのだ」
「それは、本当にすまなかった。この通り、許してくれ」
怒鳴りながら、最悪の事態を想像してしまった大友。その声は徐々に勢いをなくして行き、最後には鼻声になってしまう。
それに慌てた虎之助は、場所も構わずに土下座で平謝り。
かなり手馴れているのか、土下座までの動きに淀みがなく、学生とは思えない見事さ。
その虎之助をポカポカと殴りながら、まだ文句を言う大友。
この様子を見るに、彼らの先ほどの行動に事前の打ち合わせなどなかったと分かる。ならばあの動きは、連携は指示やカリスマとは無関係に生まれたもの。
それが今だ石田の手に入れていない物、信頼や絆と呼ばれるものだと感じ、神妙な顔で考え込む。
「凡俗と交わることもまた、出世街道を歩むのに必要か」
「おっしゃる通りかと。三郎様は少々お急ぎ過ぎなのです、たまにはのんびりと行きましょう」
石田の殊勝な言葉を聞いて、島は満足そうに微笑む。
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