一年戦争異録   作:半次郎

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第5話 火線

 見渡す遥か彼方、星々が幽かに瞬く虚無の空間に、太陽光を浴びた蒼い惑星が静かに輝いている。

 

 巡洋艦の艦橋(ブリッジ)のウィンドウ越しに見やるその惑星は、漆黒の闇に昂然と佇む瑠璃(ラピスラズリ)の一欠片のように美しい。

 

 人類を産み育んだ母なる星。

 

 その慈愛を独占せんと始まった不肖の息子たちの戦争(ケンカ)は、コロニー落としーー母に仇なす暴挙にまで至った。

 連邦とジオン。

 地球の支配権を賭けて醜く相争う双生児。

 最後にどちらが立っているにせよ、地母神はその勝者に、依然変わらぬ慈悲と恵みを与え給うのであろうか……。

 

 

 サイド5〈ルウム〉宙域への侵攻作戦を間近に控え、同方面の哨戒にあたるムサイ級軽巡洋艦〈アードラー〉の艦橋では、索敵担当オペレーターが、真剣な面持ちでレーダー上の光点を追う。

 おそらく連邦軍のパトロール艦であろう。アードラーの進行方向正面に捉えた大型の反応は、ゆっくりとアードラーに向かって来ている。

 

「敵艦と思われる反応、速度変わらず。依然本艦に向けて進行中です」

 

 一週間と少し前にアードラーに着任したばかりのカイ・ハイメンダール艦長は、長い脚を組んで艦長席に座っている。

 先程から握った右手を顎に軽く当て、何事かを考え込んでおり、レーダー手からの報告にも、「うん」とごく短く返事をしただけで、何の動きも見せない。

 

「タスク1からブリッジ。モビルスーツ小隊はいつでも出撃可能だが」

 

 艦内のモビルスーツハンガーに格納された、三機のザクⅡ、その小隊長機から無線通信が入る。

 

「了解。現状で待機願います」

「了解した」

 

 通信担当オペレーターを務める女性兵(ウェーブ)と、アードラー所属モビルスーツ小隊長の通信を傍受したカイは、心中一つの決断を下した。

 組んでいた脚を下ろすと、傍らに立つ副長に声を掛ける。

 

「この距離に敵を見て退くというのは、どの教本にも無い選択だな?」

「敵も一艦、こちらも一艦。先手を打つべきですな」

 

 副長の言葉に頷いた青年艦長は、席から立ち上がった。

 

「よし、こちらから仕掛ける。進路このまま、最大戦速!」

 

 艦長の意を受け、艦橋内の空気が改めて引き締まる。

 レーダーを睨んでいたレーダー手が声を張り上げた。

「敵との距離、凡そ2万5千。主砲射程まで約8分!」

 頷いたカイは、通信担当オペレーターに声をかけた。

「セト少尉と繋げるかな」

「は、はい。少々お待ちください」

 その端整な風貌と柔らかな物腰で、着任早々艦内のウェーブのうち、大多数の心を掴んだ艦長から不意に声を掛けられ、オペレーターの声が幾分上ずる。

「繋がりました。艦長、どうぞ」

 カイは艦長席に備えられた、受話器に似た形の通信機を手に取り、耳に当てた。

 

「艦長直々とは珍しいな」

 取りようによっては皮肉に聞こえるが、若い艦長は気にも留めない。

 

「君たちに一つ頼みたくてね」

「頼み?」

「ああ。今目の前にいる敵艦、あれを滷獲してもらいたい」

 数秒の間があってヤクモが答える。

「何か考えがあるんだな? わかった。やってみよう」

「宜しく頼むよ。無傷でとは言わないが、やり過ぎないようにしてもらえるとありがたいな」

「無茶を言うな」

 苦笑混じりの返答の直後、通信が切れる。

 

 通信機を置いたカイは、よく通る声で艦橋内に告げた。

「ミノフスキー粒子を戦闘濃度で散布。モビルスーツ隊発艦後に主砲一斉射、然る後、回避行動を取りつつ敵艦に接近する」

 一通り指示し終えると、カイは席に腰を下ろした。

 親友でもあるモビルスーツ小隊長の技倆は承知している。

 後は彼らに任せておけば良かった。

 

 

           *

 

 

 二機の僚機とともにハンガーから宇宙に躍り出たヤクモは、ゆっくりと〈ザクⅡ〉のフットペダルを踏み込んだ。徐々に動力源である核融合炉の出力が上がり、バックパックのメインスラスターから吹き出る火が大きくなる。

 

 アードラーの主装備である三基の連装メガ粒子砲から放たれた、黄金色に輝く光の束が、彼らの頭上を暗黒の宇宙空間を切り裂きながら飛んでいく。

「来るぞ。当たるなよ!」

 ヤクモが僚機に注意を促した直後、前方から淡い赤色の光が飛来し、先ほどまでアードラーがいた空間を薙いでいく。

 

 ヤクモは左右の手でそれぞれ掴んだスロットルレバーを倒した。

 ザクⅡが、ゆっくりと上体を前傾させる。

 

 やや減速した途端、機体がガクンと大きく揺れ、四肢の動きが鈍くなる。

 操縦補助用コンピュータのディスプレイを確認すると、ジェネレーター出力がやや低下している。

 

 フットペダルを数回に分けて細かく踏み込み、出力を上げると、それにつれてコクピットに伝わる振動が小さくなる。

 

 出力を上げるにつれて、機体の挙動が安定していく。試しに速度を上げると、先刻までよりも更に動きが滑らかになる。

 

 マークとウィル、二人の部下が付いてきているのを確認しつつ、徐々に加速する。

 身体をパイロットシートに押し付ける重力が強くなり、モニターが映し出す宇宙空間の映像がぶれる。

 

 機体の前から後ろへ、赤色の光が闇を切り裂いて消えていく。

 未だ射程外だというのに、先のアードラーからの射撃に対し、過剰なまでに反応しているのだろう。もしくは、ミノフスキー粒子の影響下で突如レーダーから消失した敵艦の姿に怯えているのか。

 

 連邦艦の射撃は、接近するヤクモらに自分たちの位置を教えようとしているようなものだ。さほど練度の高くない艦と考えてよい。

 

 ヤクモは、メガ粒子砲が視界に現れた方角から、敵艦の位置についておおよその見当をつけた。

 

 さらに数条の粒子が敵艦の方から飛来し、凄まじい速さで後方へ消えていく。直撃はおろか、機体をかすめただけでもモビルスーツを破壊しかねない、凄まじいエネルギーを秘めたメガ粒子砲であるが、自分たちを狙って放たれたものではない以上、怖れる必要はなかった。

 

 既に目星をつけた敵艦の位置に向かい、加速する。

 ザクⅡの上体を起こす。慣性によって前方へ流れた両足が体躯の下に来た瞬間、左足のスラスターを点火した。

 前方への慣性はそのままに、スラスターの推力で右方向へ。

 ヤクモ機は右へ緩やかに弧を描きながら、当てずっぽうの射撃を続ける敵艦に接近した。

 二機のザクⅡが、その後を追って空間にスラスターから迸る炎の軌跡を描いた。

 

 やがて、やや青色がかった灰色の艦影がモニター内に浮かび上がる。

 縦に長い艦首。

 サラミス級巡洋艦だ。

 ヤクモ率いるザクⅡの編隊が、その左舷側から襲い掛かる。

 

 こちらの接近に気付いたか、対空機銃が動き出す。

 

 機銃が火を吹き、弾丸が高速で吐き出されるが、ミノフスキー粒子の影響下でレーダー照準が無力化されているのだろう、斉射はヤクモ機の影を捉えることもない。

 

 機体を更に加速させ、一気にサラミス級の懐に飛び込む。

 艦の左舷にある対空機銃に向け、120ミリマシンガンを斉射する。

 至近距離から打ち出された弾丸が、忽ち一基の対空機銃を無力化する。

 次いで機体の位置を艦尾側に移し、別の対空機銃を破壊した。

 

 既にマークとウィルの機体もサラミス級の艦隊に取り付いている。

 

 マーク機が腰からヒートホークを抜き放つ。モビルスーツ用の手斧(トマホーク)の刃体が、加熱によって赤く輝く。

 マークはヒートホークを振り上げると、サラミス級の主砲に向けて降り下ろした。

 赤熱したヒートホークの刃が、単装メガ粒子砲の砲塔を容易く引き裂く。右足で艦の側面を蹴ったマーク機が離脱すると同時に、切り裂かれた砲が爆発し、その周囲の装甲鈑が無惨に捲れあがった。

 

 ウィル機はサラミス級の艦底を潜り抜けて右舷側に出ると、無傷の対空機銃に次々と120ミリマシンガンの斉射を浴びせていった。

 

 ヤクモのザクⅡが連邦艦の左舷に取り付いてから、僅か3分足らずで、サラミス級の装備する砲は、殆ど破壊された。

 ヤクモは、敵艦の上部甲板にザクⅡの両足を乗り上げた。

 艦橋に向き直ると、上部甲板を軽く蹴って浮揚する。

 マシンガンを持たない左手を甲板に押し当てて機体を固定し、威圧するように艦橋内をモノアイで覗き込む。

 

「抵抗は無益だ。投降しろ。乗員の命は保障する」

 

 返答はない。

 艦長と思われる人物が、憎悪のこもった目でモノアイを睨み返してくる。

 

「もう一度勧告する。艦の機関を停止して投降しろ」

 

 マークとウィルのザクⅡが、艦橋の左右を取り囲むように姿を見せた。両機ともに、マシンガンを艦橋に向けている。

 

 とどめは、艦橋に左手を当てたまま半身になったヤクモ機が、サラミスの上部甲板に向けて放ったマシンガンの銃声だった。

 銃弾に穿たれた装甲材が飛散し、その破片の幾つかが艦橋に当たる。

 

 抵抗の無益を悟った敵艦長が、艦長席に座ったまま、ぐったりと項垂れて肩を落とすのを、ヤクモは見た。

 

 サラミスの熱核ロケットエンジンが停止し、推進力を失った巡洋艦が、宇宙空間を慣性で漂いはじめた。

 

 

           *

 

 

 アードラーが投降した敵艦をア・バオ・ア・クー要塞まで曳航する間、ヤクモ達はサラミスを取り囲み警戒を続けた。

 変な動きをした場合、容赦なく撃墜するつもりであったが、その構えは杞憂に終わった。拿捕されたサラミス級は、既に抵抗する気をなくしていた。

 

 要塞の手前で、事前の連絡によって「出迎え」に出た要塞警備艦隊に敵艦の身柄を引き継ぎ、アードラーに帰艦したヤクモ達は、格納庫に固定された各々の愛機から降り、顔を合わせた。

 

「ウィル、動きが良くなってきたじゃないか」

 

 パイロットスーツのヘルメットを脇に抱えたヤクモが、3人の中で一番最後にコクピットから降りた、小柄なパイロットに声をかける。

「本当ですか。ありがとうございます」

 ウィルは声を弾ませながら、ヘルメットを脱いだ。

 柔らかそうな金髪が微かに揺れ、ヘーゼルの大きな瞳が、ヤクモの琥珀色の瞳を真っ直ぐに見る。

 

 上官から褒められたことが嬉しいのだろう、声が弾んでいる。

 

「でも、隊長の動きはやっぱり違いますね。すごく速くて……同じモビルスーツを動かしているとは思えませんでした」

 少年の素直な感想に、少し戸惑う。だいたい、馴れていないのだ。目下の者から素直に称賛されるということに。

 照れ隠しのように、愛機を見上げる。

「実は昨日、チューニングしてもらったんだ」

「チューニング?」

「動力系統を少し、な」

 

 先般、ヤクモが技術大尉に注文したこと。

 スラスターを増設したり、新しい固定武装を取り付けたりといった改造(カスタマイズ)ではなく、ジェネレーターから駆動系へのエネルギー伝達系統回路の調整(チューニング)とそれに見あった動作プログラムの修正である。

 

 その結果、ヤクモの機体は、ジェネレーターが高出力時には高い機動性を有する反面、低出力時にはノッキングを起こし易く、操縦に対しての反応が鈍くなる傾向にある。

 

 現に先程の戦闘でも、サラミス級に接近する際、一度ノッキングを起こしている。

 

「そうかぁ。僕の機体もチューニングすれば、隊長の動きに近づけますかね」

 

 ヤクモより早く少年の素直な感想に答えたのは、マークである。

 

「隊長のと同じ仕様にするのはやめておいた方がいい。ピーキー過ぎて、私たちの技倆(うで)じゃあ、とてもまともに動かせないからな」

「そうなんですか? 残念だなあ」

 

 肩を落とすウィルを励ますように、ヤクモは笑いかけた。

「モビルスーツのどんな挙動が自分に一番あっているのか。感覚は人それぞれさ。経験を積みながらモビルスーツの動きを感じ取っていけばいいんだ。焦ることはない」

 ヤクモの言葉に、マークが続く。

「まずは技術を身に付けるのが先決だ。基本が出来ていないうちに応用しようとしても、変な癖がつくだけだ」

「そっか……。そうですよね」

 顔を上げた少年の肩を軽く叩き、ヤクモは格納庫から艦内の通路に向かって歩き出した。

 

 

           *

 

 

 アードラーが繋留された直後、カイは、マ・クベ大佐からの呼び出しを受けた。

 相手方の目的が奈辺にあるか知る由もないが、呼び出しそのものは、現在に限ってはカイにとっても忌避すべきものではなかった。早晩、此方から上申すべき目的があったからだ。

 

 些かタイミングが良すぎる気もするが、上申書を作る手間が省けたというものだ。

 

 向かった先は佐官以上の士官に貸与された執務室である。

 カイが訪問すると、マ・クベの副官を務める大柄な大尉がカイに応対する。

 

 来意を告げると、武骨な顔付きの大男は頷き、暫し待たれよ、と言い残してマ・クベの執務室に入っていく。

 

 三分と待たずに執務室から出てきた大尉に促され、カイは部屋に入った。

 

 カイがマ・クベの前で立ち止まると、キシリアの筆頭参謀を自認する大佐は、手に持った骨董品の壺を机の上に置き、椅子から立ち上がった。

 

「ハイメンダール大尉、参上いたしました」

「うむ。楽にしたまえ、大尉」

 

 形どおりの挨拶を交わすと、互いに表情を探るような視線が交錯する。

 部屋の主人は、肉の薄い頬に冷やかな微笑を貼り付けている。

 一方の客の方も、平面上悠然として見える。

 相手が策士をもって自認する男であっても、カイには探られて痛い肚もない。要は相手に乗ぜられなければいいことだ。対処法はただひとつ、堂々としているしかなかった。

 

 勧められて応接用の椅子に腰掛けたカイに、向かいに腰掛けたマ・クベが話しかける。

 

「先刻、連邦の哨戒艦を拿捕したそうだな。まずは労うとしよう」

「恐縮です」

 言葉に誠意がないのはお互い様だ、とカイは考えた。

 

「貴官はつい先日まで参謀本部にいたそうだな」

「は……」

 カイは慎重に、最小限の答え方をした。どうやら此度の呼び出しは、戦略、戦術よりも政略の範疇に属する用件らしい。

 或いは、マ・クベの裏でキシリア少将が糸を引いているか。考えすぎかも知れないが、かといって考えられないことでもない。

 正規の命令によって転属となったのだ。そのこと自体に何らやましいことはない。しかし、余計なことまで喋るほど、カイも正直ではない。

 虚々実々、魑魅魍魎が跳梁すると言って過言ではない参謀本部に何年もいれば、その辺の要領は嫌でも身に付くことになる。

 

「参謀本部内もなかなか意見がまとまらぬと聞き及ぶが?」

 抑揚に乏しい声が、探るように問いかける。

「さて……小官ごときではそこまでは」

「貴官は本大戦の作戦立案にも携わったと聞いているが……」

「小官は兵站の一部に従事したのみです。とても大局までは……」

 

 マ・クベは軽く鼻を鳴らした。

 

 さらに切り口を変えて問う。

 

「この戦い……貴官は趨勢をどう見る? 思うところを率直に述べてみよ」

 それまでとは違う鋭い眼だ。

 のらりくらりとした言い分を赦さぬ気配に、カイは軽く息を吐いた。

 

 

 圧倒的かつ決定的な戦果により連邦の戦意を挫き、早期講和に持ち込む。

 単純な国力比で30対1という致命的な差を覆し、ジオンが勝利するためにはそれしかない。

 さもなくば、戦争は泥沼の様相を呈し、やがてジオン公国自体の継戦能力がなくなるだろう。そうなれば、軍のみならずジオン公国という政体自身が、濁流に呑まれるがごとく瓦解することになる。

 独創的な考えでもなく、冷静に戦略を考える頭があれば誰にでもわかることだ。そして、大多数が公言を憚る事実でもある。

 緒戦の勝利に国中が沸き立つ今の情勢では尚更だ。

 

「……常に先手を取ることで戦局を主導し、極力短期間で決定的勝利を得るべきかと存じます」

 あえて結論を出さず、慎重に言葉を選んだ。親友相手ならともかく、目の前の食えない男を相手に、容易に本音を明かす気はしない。

 

「なるほど。なかなかの識見だな」

 

 マ・クベは立ち上がり、机にーー正確には机上に置かれた青磁の壺のもとへ向かった。

 大事そうに両手で壺を持ち上げる。

 

「ところで大尉……貴官はこの壺をどう思う?」

 

 ……は?

 

 流石に虚を突かれたカイが目を二、三度しばたたかせる。

 

「良いものだとは、思わんかね?」

 

 重ねて問われ、改めて大佐が愛しげに抱える青磁を眺めた。

 

 注ぎ口が鶏頭の形である。 三つの鋲が打たれた取手は、竜が壺の中を上から覗き込み、口縁を噛む意匠である。

 

「……青磁龍柄天鶏壺、ですか? いつの時代かまでは浅学ゆえ存じかねますが……」

 ある意味、先ほどまでの質問に対する以上に慎重に答える。

 ほう、という声がマ・クベの口から漏れ、目が愉しそうに大きく開かれる。

 マ・クベが指先で軽く弾くと、壺は耳に心地好い澄んだ音色を奏でた。

 

「見る目があるな、大尉。隋の越州窯だ」

 

 何を言おうとしているのか。カイは慎重に次の言葉を待つ。

 

 青磁を目の高さに掲げながら、マ・クベが言う。

 

「 芸術も良いだろう? だが、贋作も多くてな。目利きにもなかなかの苦労があるのだよ。……労を惜しんでは佳いものは見つからぬ、かといって無駄を積み重ねるのも馬鹿馬鹿しいことだ」

 

 壺を愛でていたマ・クベの視線が、カイの顔に注がれる。

 

「戦略戦術もそういうものではないか? 貴官らが拿捕した連邦艦……どうやら乗員は大した情報を与えられてはおらぬようだ」

 

 詰まらん捕虜を取ったものだ。

 そう言いたげなマ・クベの口調に、カイが食い付いた。マ・クベの思惑はどうあれ、その話題こそカイが望んでいたものだ。

 

「恐れながら申し上げますと、小官の目的は捕虜ではありません」

 ()自体が欲しかったのです。

「ふむ……」

 マ・クベが興味深げな顔付きになった。

「僭越ながら、発言のご許可を頂きたく」

「構わん。言ってみよ」

 

 …………………………

 

 カイの「策」を聞いたマ・クベが、口角を上げた。

「……面白い。どう転んでも損にはならぬようだ、やってみたまえ。手続きは間に合わせておこう」

 

 望む言質を引き出し、表面上はこの上なく恭しく一礼したカイが、マ・クベの前を辞す。

 

 

 客と入れ替わりに入室した副官が、上官に話しかける。

「大佐、あの男、たしか……」

「そう、ハイメンダールだ」

「宜しいので?」

 カイの父親は軍人ではないが、政界に一廉の発言力を持っている。そして、表面化してはいないものの、水面下で総統府に接近を試みているとの噂もある。

 政治的にいえば、今後キシリアの「敵」となる可能性もある。

 

「構わんよ。頭の切れる小僧のようだ。自分の足元に自分で穴を掘るような真似はせんだろう。利用すればよいのだ」

「は……」

 佇立する副官に、マ・クベが続ける。

「審美眼もある。真面目一辺のバロムなどより、よほど面白い男だとは思わんか、ウラガン」

 慎ましく沈黙を保つ副官を尻目に、マ・クベは再び指先で壺の縁を弾いた。

 

 

           *

 

 

 ジオン公国、地球連邦の両軍の作戦行動が始まっている。

 

 1月13日、宇宙攻撃軍が要塞を建造中のソロモン宙域から、ドズル・ザビ中将が率いる宇宙艦隊が出動し、ルウム宙域に向かった。

 

 これに呼応するように、軍事拠点〈ルナツー〉を発った連邦艦隊が、同じくルウムを目指している。

 連邦艦隊は、それだけでジオン全軍の艦艇に匹敵するだけの艦を結集した前衛艦隊を、勇将として名高いマクファティ・ティアンム中将が率い、それにやや遅れて、連邦軍随一の名称と謳われるヨハン・イブラヒム・レビル将軍が連邦本隊を直率する。

 単純な艦艇数で言えば、戦力比は3対1。ジオン軍が圧倒的不利な状況にある。

 

 1月15日午後9時過ぎ。ジオン公国宇宙攻撃軍がティアンム艦隊に先立ちルウム宙域に先着。11バンチコロニー〈アイランド・ワトホート〉に核パルスエンジンの敷設を開始した。

 

 やや遅れてルウム宙域に踏み入った連邦軍ティアンム艦隊は、ジオン公国による第二の〈コロニー落とし〉を阻止せんと、ドズル艦隊に猛然と砲撃を開始した。

 コロニーに対する工作部隊を守護しつつ応戦したドズル艦隊は、同一戦域における二つの戦闘目的を遂行することは不可能と判断し、全力を挙げてティアンム艦隊に反撃を開始した……。

 

 

 ジオン公国突撃機動軍は、現時点ではいわば遊軍の立場にある。

 本来、ただでさえ圧倒的に水を開けられている戦力をさらに分散するのは愚策と呼べるものだが、この際ジオンの勝機は、奇策とモビルスーツの優位性に頼るしかなかった。

 ジオン公国の中枢を担うザビ家は、決して一枚岩ではない。だが、この戦いに敗れれば、緒戦の勝利など日に当てられた淡雪のごとく消え去ってしまうことは、誰の目にも自明であった。

 個々の内心はともかく、ジオンの存亡のため、ザビ家の率いるジオン全軍が一つの作戦目的のため、有機的に連動していた。

 

 突撃機動軍所属の軽巡洋艦アードラーは臨時にマ・クベ艦隊の先鋒部隊に編入され、現在ア・バオ・ア・クー要塞を発ち、月方面に迂回しつつルウム宙域に向かっている。

 

「ア・バオ・ア・クーの総司令部より入電! ……宇宙攻撃軍がルウムで会敵! 始まりました!!」

 

 そう告げるオペレーターの声は強張っていたが、報告を受けた艦橋の空気が、その声以上に張り詰める。

 

 有史以来、最大規模の宇宙での艦隊戦である。

 緒戦以来、幾つかの戦闘をほぼ無傷でくぐり抜けてきたアードラーとて、いつまで無傷でいられるかわからない。艦橋の何人かは死ぬかも知れず……或いは艦自体が宇宙に無数に漂うデブリの一つと化すかも知れないのだ。

 

「こちらの会敵予想は?」

 艦長席に座ったカイが航海担当士に問う。

「艦隊の速度から……約3時間後と予想されます」

 上手く行けば、の話だな。

 声には出さず、心の中で呟く。

「全クルーに通達。第二種戦闘配置のまま、半数ごと一時間ずつ待機だ。水分と栄養も補給しておくように伝えてくれ。……二時間後に第一種戦闘配置に移行する」

 一度戦闘状態に入れば、いつ休めるかわからない。また、人間の緊張は何時までも持続するものではない。

 本格的な戦闘状態に突入するまで時間があるうちに、クルーの緊張を解しておくのも、艦長の務めであった。

「艦長、お先にお休みください」

 そう告げる副長の言葉に、カイは首肯する。

「そうさせてもらおう。十分だけ時間をくれ」

 そう言いながら、心中で呟いた。

 さて……願わくばクルー全員で勝利を分かち合いたいものだが……。

 

 

 艦橋の直下にあるモビルスーツ格納庫(ハンガー)では、パイロットたちが集合していた。制式の緑色をしたパイロットスーツに身を包んでいるが、ヘルメットはまだ被っていない。

「始まったか……」

 普段冷静なマークの声まで、幾分固い。

 既に実戦を経ているとはいえ、今までの戦闘とは規模が違うのだ。

 ウィルなど、緊張のせいか、普段血色の良い頬がこころもち青白くなっている。

 ヤクモは、そんな部下たちを見て、努めて明るい声を出した。

「二人とも、今のうちに思う存分緊張しておけ。生きている証だ。多分、戦いが始まったら緊張する余裕なんてなくなるからな」

 無理をしているのを自覚していながら、ふっと笑い、少年に優しく話しかけた。

「無理をして敵を落とそうなんて考えなくていいんだ。まずは自分が生き残ることを考えよう」

「……」

「判断に迷ったら、俺を見ろ。俺についてこい」

「隊長……」

 少年の目に熱が宿る。

 

 ヤクモは、部下に告げた。

「いいか。……俺は死なない。二人とも俺が死なせない。生きて帰ってこよう」

 静かな声であったが、マークとウィルの耳には、それは今までに聞いたどんな台詞よりも力強く響いた。彼らの小隊長の琥珀色の瞳には、強い光がある。

 

 ヤクモが差し出した握り拳に、二人は拳を合わせた。

 

 

 一時的な休憩に入る二人の部下を見送ったヤクモの耳に、乾いた拍手が聞こえた。

 

「名演説だな、小隊長どの」

 

 いつからいたのか、壁際の一段高いタラップ上に、カイの姿がある。

 

 ヤクモは床を蹴り、軽やかに友の元へ跳躍した。

 空中でカイが差し伸べた右手を掴み、その手を軸に軽やかに体を回転させて手摺を乗り越えた。

 カイの右横に立つ。

「いつから見ていたんだ?」

 我ながら臭い台詞を吐いたようで、聞かれていたと思うと気恥ずかしさが先に立つ。

 

「『誰も死なせない、俺についてこい』か。私もそう言えば良かったかな」

 わざわざ声色を変えてまで軽口を叩く友の口調に、しかし、いつもと違うものを感じた。

 

「ひょっとして……緊張しているのか?」

「まあね」

 

 飾らない言葉に、ヤクモが破顔する。

 

「お前でも緊張することがあるのか。初めて知ったよ」

「……私のことをなんだと思っている? 私だって緊張くらいするさ」

 

 他愛のない軽口は緊張の裏返し。お互いにその事は自覚している。

 士官学校卒業以来数年。既に実戦の経験もある。とは言っても、二人ともまだ若い。一大会戦を前に強ばらない方が無理であろう。

 

「なあ、ヤクモ」

 暫しの沈黙の後、榛色の瞳が琥珀色の瞳を見る。

「うん?」

「いや、何でもない。……死ぬなよ」

「……お互いに、な」

 そこで熱く手を握り会う趣味は、残念ながら二人ともなかった。

 二人の青年はにやりと不敵に笑うと、その場で別れた。

 

 

           *

 

 

 1月15日午後10時過ぎに始まった〈ルウムの会戦〉は、日付が変わり、いよいよ激しさを増している。

 

 ジオンの艦列から放たれたメガ粒子の束が連邦軍艦艇に突き刺さる。

 その爆発を貫き、連邦軍の艦列からそれに倍する量の砲撃がジオン艦隊に襲いかかる。

 艦艇の戦力差に押されたように、ドズル艦隊がじりじりとア・バオ・ア・クー方面に押されていくと、ティアンムがその分前進する。

 隊列から先行した艦が集中砲火に晒されて巨大な光球と化すが、その光が完全に消える前に、次の艦が最前線に立つ。

 互いに不退転の意思をもって、激しい憎悪の焔に身を焦がし、いつ果てるともない熱線の応酬を繰り広げた。

 

 

 そして、1月16日午前2時。

 ティアンム艦隊の圧力に抗いかねたかのように、ドズル艦隊が、後退する速度が早くなる。

 

 レビル将軍率いる連邦軍主力艦隊がルウム宙域に到達したのと時を同じくして、宇宙攻撃軍に所属する、赤色のザクⅡに統率されたモビルスーツ小隊が、サイド5内の各コロニーのドッキング・ベイを急襲し始めた。

 

 コロニー軍からの救援要請を受けたレビル将軍は、やむを得ず艦隊の三分の一に当たる数のマゼラン級戦艦とサラミス級巡洋艦を、ヴォルフガング・ワッケイン少将指揮下に編入し、コロニーの救援に向かわせる。

 

 〈ルウムの会戦〉は、更なる流血と混乱の局面に差し掛かろうとしていた。


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