一年戦争異録   作:半次郎

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第4話 展望

 宇宙世紀0056年は、ジオン・ズム・ダイクンがサイド3首相に選出されてから3年後、ジオン公国の前身〈ジオン共和国〉が成立する2年前の年であった。

 

 宇宙移民者による国家建設と、地球から宇宙への移民による、地球環境の保全。

 ジオン・ダイクンが提唱し、後々まで世界に影響を与えることになり、後に〈ジオニズム〉と呼ばれる思想が世に現れてから4年。

 地球からの政治的、経済的弾圧の下にあったスペースノイド達の間に、ダイクンの思想が熱狂的に受け入れられ、地球からの独立の気運が高まりつつある時である。

 

 ジオン・ズム・ダイクンの台頭により、スペースノイドの社会が政治的高揚期にある中、ヤクモ・セトはサイド3の14バンチコロニー〈アイシス〉で生を受けた。宇宙移民の第三世代に当たる。

 

 ヤクモの父タクミ・セトは、ダイクンの思想の熱烈な信奉者であった。コロニー内の大学で研究に勤しむ傍ら、休日には家族の時間を大切にする温厚な人物で、家族にとっては「良き父」であった。

 母は明るく、料理と様々な花の栽培を楽しみとする平凡な主婦であった。

 父がジオンの思想に傾倒するあまり、時折政治活動に加わる以外には、どこにでもある平凡でささやかな家庭であった。

 

 幼いヤクモにとって、父の「新たなる生態系に関わる研究」は少しも理解できなかった。しかし、彼は温厚な父と明るい母が好きであり、「これからの人類の役に立つ、立派な研究」に携わる父は、少年の誇りでもあった。

 

 しかし、その平和な生活は、ある時を境に歯車が狂い出す。

 

宇宙世紀0068年にジオン・ダイクンが急死し、政治的同志であったデギン・ソド・ザビがダイクンの後継者、ジオン共和国首相となる。

 ジオンの突然の死は様々な憶測を生み、政治的指導者を喪ったコロニー独立主義者達は、ある者は悲嘆に暮れ、又ある一派は、ジオンの急逝をザビ家による暗殺と信じて憤慨し、時にそのエネルギーは暴動にまで発展した。

 

 ジオン・ダイクンの後継者となったデギン・ザビは、政治手腕に秀でた子らとともに相次ぐ暴動を鎮圧、反対派を粛正し、急速にその地歩を固めて行った。

 結果として、デギン・ザビはダイクンの死によってサイド3の最大権力者の地位に押し上げられたことになる。

 その台頭が余りにも急速であったことが、「デギンがダイクンの死を最大限に利用して権力を握った」という風評を産み出すことになった。

 そして、その声はさらに過激になり、ザビ家によるジオン・ダイクン暗殺説として、まことしやかに巷間に流布するのである。

 

 真相は、後世に至っても定かではないが、ダイクンの死が、デギン・ザビの権力確立にとって、余りにも好都合であったことは事実であり、時勢はデギン・ザビ乃至ザビ家による軍事独裁体勢へと流れて行くのである……。

 

 

 ヤクモの父、タクミ・セト博士は、反ザビ家運動に積極的に参加することは無かったが、サイド3の中で、ダイクンの死に最も落胆した人々のうちの一人であったろう。ダイクンの死後、彼は明らかに沈み込むことが多くなり、その鬱屈は、家庭内に波及した。

 それまで笑顔の絶えなかった家庭は、暗鬱な空気に包まれることが多くなっていった。

 

 

 そして、セト家にとって決定的な事態が訪れる。

 

 ジオン・ズム・ダイクンの死から一ヶ月後、〈アイシス〉コロニーの中央広場において、ダイクン派による追悼集会が開かれた。

 集会は、当初は穏便に推移していた。しかし、圧倒的多数の穏健派の中に、反ザビ家を標榜する過激派が紛れ込んでいたのである。

 集会の半ばにおいて、彼らは突如声を挙げ、反ザビ家のアジテート演説を始めた。集まった穏健派のうち、半数はその扇動に眉をひそめ、残りの半数はその声に和した。

 騒ぎが大きくなり、やがて予定外のデモ行進に移行すると、事態の悪化を恐れた治安当局は警備部隊をその周囲に展開した。

 家族を伴い、集会に参加していたタクミは、生来、騒動を嫌う温厚な人物であった。

 次第に大きくなるデモの波に眉をしかめ、家族をエスコートしつつその場を立ち去ろうとしたとき、彼と、愛する家族にとっての悲劇が起こった。

 

 誰が最初の一石を投じたのかは、闇の中に包まれているが、デモ隊から警備部隊に向け、銃声が響いた。広場を囲っていた緊張という堤は、その一発の銃弾によって決壊した。

 広場は、忽ちのうちに、暴徒と化したデモ隊と、これを鎮圧しようとする治安部隊の戦場となった。

 セト家が必死の思いで荒れ狂う人の渦から抜け出したとき、その直近で爆発が起こった。

 デモ隊か、治安部隊か、どちらが放ったのか今となってはわからない。

 擲弾筒である。

 閃光と熱風が自分たちに向かってきたと思った瞬間、ヤクモの意識は暗い闇の中に落ちた。

 

 

           *

 

 

 次のヤクモの記憶は、無個性な白い天井の映像から始まる。

 頭が割れるように痛んだ。

 体中に包帯が巻かれ、左腕からは点滴のカテーテルが伸びている。

 意識を取り戻した数分後に、ようやく自分がベッドに寝かされていることを理解した。顔を傾けて横を向くと、それまでに1、2回しか会ったことのない、父方の伯母と目が合った。伯母は、天井に負けず劣らずの無機質な目でヤクモを見ていたが、ヤクモと目が合うと、驚愕して医師を呼びながら、部屋を飛び出して行った。

 

 しばらくして、白衣を来た医者らしき中年の男と、数人の看護師が現れ、検査を始めた。

 自分の置かれた境遇が理解できず、ヤクモはただなされるままになっていた。

 

 ーーもう大丈夫。ゆっくりお休みなさいーー

 

 看護師の優しい声を聞き、ヤクモは再び目を閉じた。

 次にヤクモが目を覚ましたとき、病室には、二組の男女がおり、何やら話し合いをしていた。

 一組は、ヤクモの伯母夫妻である。二人とも困惑したような、安堵したような、複雑な表情を浮かべている。 もう一組は、それまでのヤクモの記憶にはない男女であった。

 男は、ずんぐりした体つきの中年男である。顔の下半分は青色の髭に覆われており、髭と同じ色の髪は頭頂部まで後退している。

 陰気な目付きをしていた。

 女の方は、年齢は十代後半から二十代前半といったところだろう。陰気な目付きの男より背が高く、姿勢良く立っている。朱色の髪。顔色は端正といっても良かったが、鋭く、冷たい目をしていた。

 彼らが何を話していたのか、小声であったのでヤクモにはわからなかったし、仮にわかったとしても、彼自信にはその後の運命を決めることはできなかったであろう……。

 

 意識を取り戻してから一ヶ月後。ヤクモは、親戚ではなく、陰気な目付きの中年男に連れられて退院した。

「私はフラナガン・ロムという。君のお父さんの友人だよ、ヤクモ君」

 ヤクモには、全く事態が理解できていなかったし、フラナガンと名乗った男も、必要以上に事情を説明しようとはしなかった。

 ただ、本能的に、大好きな両親と二度と会うことができないことを悟り……涙が流れて止まらなかった。

 

 

           *

 

 

 それから5年の間、ヤクモには灰色の記憶しかない。 ヤクモはフラナガンの研究所で、〈検体〉として扱われた。

 来る日も来る日も、身体にコードを接続され、実験を施された。時として、心身ともに苦痛に苛まれたが、フラナガンも、フラナガンの助手たちも、一貫してヤクモを丁重に扱った……ただし、それは研究者が、自分の必要とする研究機材を大切にするという意味においてであった。

 

 大切な実験動物を殺さないように、傷付けないように。

 

 腫れ物に触るような丁重さで、彼らはヤクモに人体実験を繰り返した。

 一日数時間は勉強の時間もあり、生きていく上で必要な知識も、平凡な人生を送るだけなら不必要な知識も、少年は等しく吸収していった。

 

 稀に研究施設を訪れる、朱色の髪と冷たい目を持つ女……キシリア・ザビは、時折ヤクモを「外界」に連れていってくれた。また、自分の知らないことを教えてくれたこともあった。ヤクモはそれを楽しみにしながらも、キシリアの行動を素直に受け止めることが出来なかった。

 言葉や仕草では隠せない、冷たい目。

 一見すれば親切にも見えるキシリアの行動の裏側に、フラナガン同様の冷たさを感じていたからである。

 

 ヤクモは、施設での生活の中で幾つかの事柄を理解した。

 

 ……幼かったヤクモには理解できなかった、父の研究。それは、ジオン・ズム・ダイクンの提唱した、宇宙の環境に適応した、「お互いに判りあい、理解しあい、戦争や争いから開放される新しい人類の姿」すなわち〈ニュータイプ〉の研究であった。

 ヤクモの父は、科学研究者でありながら、その本質はむしろ文化人類学者か、思想家であったかも知れない。

 彼はジオン・ズム・ダイクンの唱えたニュータイプ論に傾倒した。

 

 地球から離れた人類は、広大な宇宙空間を生活の場とすることで認識力、直感力が飛躍的に拡大する。お互いに認識しあうことで判りあい、理解しあい、人類全体はやがて争いから解放された、次のステージへと進化する……。

 

 フラナガン・ロムも、ニュータイプ理論に心を惹かれたうちの一人である。しかし、その方向性はヤクモの父、タクミとは真逆のベクトルを持っていた。

 定義が曖昧で、多分に思想的であったニュータイプについて、系統化された新しい概念として確立し、然る後、人類の自発的な覚醒を促す為の方法論を研究したタクミに対して、フラナガンの志向はより急進的であった。

 人をニュータイプとして覚醒させる方法論に特化し、その手段を模索したのである。

 あるいは、実践を至高のものとして特化したフラナガンの方が、「研究者」としてはより純粋だったのかもしれない。

 両者は互いに自説を曲げることはなく、互いの研究成果を披露し合うこともなかったが、すべてはタクミの死によって一変する。

 タクミの死後、その研究室にあった資料は、総てフラナガンの手に落ちた。そして、タクミの研究データを得たフラナガンは、人を強制的にニュータイプ化するための仮説を打ち立てたのである。

 すべては、父、兄を政治的に凌ぐ為の手段としてニュータイプの存在を証明し、人民に対しての影響力、指導力を掴もうと欲したキシリアの後ろ楯あってのことである。

 

 そして、その被験者として選ばれたのが、両親との死別によって孤児となったヤクモーーフラナガンにとってのライバルの子であったことは、皮肉と言う他はない。

 

 しかし、なにしろ〈ニュータイプ〉という存在は現状では仮説に過ぎない。前例がないのである。

 従って、ヤクモに対しては、ニュータイプ理論についての仮説を順次立証するため、推察できる実験方法が様々に試された。

 

 その挙げ句。

 実験開始から5年の歳月を経て、フラナガンがヤクモに下したのは、「現時点までの検査の結果、ニュータイプとして覚醒する可能性は10パーセントに満たず、適正に欠けるものと判断せざるを得ない」というものであった。

 

 実験の打ち切り。

 

 これによって、ヤクモは研究所を放逐されることになったのだが、より失望を感じたのはキシリアの方であった。

 なにしろ、研究には少なからぬ費用を投資している。百かゼロか(オール・オア・ナッシング)、ある意味での冷徹さを持つフラナガンと違い、キシリアにとっては、実験の成否に賭けていた部分がある。

 何とか今までの投資を多少でも取り返す手段はないものか。そう考えながら実験結果のレポートを捲っていたキシリアは、二つの特筆すべき項目に目を留めた。

 

「……ある種の事柄につき、本質を捉える直感力に優れる。殊に、モビルワーカーなど機械の操縦については、類稀な才能を持つ可能性あり……」

「同世代と比較して、身体能力は高い。殊に、動体視力と反射神経に秀でる」

 

 パイロットとしての適正があるのではないか?

 

 当時、実用段階には今一歩至っていないものの、有人作業用機械、モビルワーカーを軍事転用する為の研究ーーモビルスーツ開発計画が始まっていた。

 

 この坊や、訓練を積ませれば今後軍事的に活用する機会があるかもしれない。

 

 キシリアは、研究所を追い出される寸前のヤクモの元を訪れ、一つの選択を突き付けた。

 

 軍人としての道を選ぶか。そうであれば、特別に士官学校入校の便宜を計ってやる。さもなくば、何処へでも去り、好きにするがよい。

 

 ヤクモは即答した。

 士官学校に入る道を選んだ。

 内心では、どうなろうとどうでもよかった。自分の人生、生死ですら。

 今思えば、この時は考えことすら億劫で、キシリアが指差さした方向に、ただ歩いていったに過ぎない。

 

 

           *

 

 

 自分に対して行われる過酷な実験の中で、次第に自分の心が疲弊し、削られていくのを感じていたヤクモにとって、士官学校での生活は、今までにない体験だった。両親を喪って以来初めてとなる同年代の友人達との触れ合いは、ヤクモにとって、精神的な救いとなった。

 特に、ジオンの名家に生まれながら、さまざまな事情により、家出同然に士官学校に入校した双子の兄妹、カイ・ハイメンダールとレジーナ・ハイメンダール。

 彼らとの出会い、そして士官学校の生活がなければ、ヤクモは社会に適応できず、何処かで野垂れ死にしていたか、あるいは、救いがたい犯罪者となっていたかも知れない。その意味では、ヤクモはキシリア・ザビが士官学校への道筋を示してくれたことに関しては、それが例え先方の打算の産物であったとしても、感謝していた。

 

 

           *

 

 

 士官学校卒業後、ヤクモは教導機動大隊に配属された。士官学校の卒業成績は、親友となったカイが首席であったのに対し、辛うじて優等生と呼べるかどうかというところであった。だが、課程の途中から訓練が開始されたモビルスーツの操縦に関して非凡な才能を示したことが、彼の進路に影響した。

 

 そして、教導機動大隊で、ある意味での「快挙」をなす。

 

 教導機動大隊での上官に、黒色とダークブルーで塗装された、専用のザクを駈り、連携を活かした戦法を得意とする、叩き上げの下士官がいた。

 

 パイロットとして一流だが、士官学校出身の下士官を「小僧」扱いして見下していたこの髭面の男は、ある日行われたモビルスーツによる教導演習に参加するよう、ヤクモに命じた。

 

 演習の相手は当時の士官学校の学生、つまりヤクモにとっては後輩にあたる。文字どおり胸を貸す立場であった。

 ヤクモが指名された演習の相手は、当時士官学校の学生であった、ザビ家の御曹子ガルマ・ザビ。

 そこまでは何の問題もなかった。問題は、ヤクモの行為がガルマに対して花を持たせるどころか、凡そガルマの訓練には成り得なかったことである。

 演習開始と同時に全速力でガルマ機に肉薄したヤクモは、ガルマが驚愕から覚めやらぬうちに、何の遠慮も容赦もなく、圧倒的に。

 こてんぱんのケチョンケチョンの、完膚なきまでに叩きのめしたのである。

 

 ふつう、演習でそこまでやるかというほどに、国の最高権力者の御曹子を打ち負かしたのである。

 ガルマが、何が起きているのか理解する前に演習は終わり、ガルマの搭乗した機体は、それ以降モビルスーツ整備の実習にでも使うしかない有り様となった。

 ガルマ・ザビの兄、当時士官学校長であったドズル・ザビは、色々な意味で「やり過ぎだ」と怒り、「やり過ぎた」男をガルマの相手に指名した下士官は爆笑したという。

 そして、その演習を見学していた士官候補生の大半(女のほぼ全員を含む)は、ガルマへの同情と義憤に心を痛め、一部の候補生は「モビルスーツとはかくも鮮やかな動きができるものか」と感心し、候補生の分際で一人だけサングラスをかけていた金髪の若者は、サングラスの奥で人知れず愉快そうに目を細めたのであった。

 

 この一件を耳にしたザビ家の人間たちの反応もまた様々であった。

 ドズルは先のとおり激怒し、キシリアは微かに笑い、デギン公王は苦虫を噛み潰した。

 ギレンは、表面上は何の反応も示さなかったものの、後に密かにヤクモに関する情報を集めさせた。

 そして、当事者というよりむしろ「被害者」のガルマは、演習終了直後には呆然とし、次いで歯噛みをして悔しがり、最後に、それまで僅かにあった慢心を棄て、モビルスーツ訓練のみならず、士官学校の全ての授業、訓練に死に物狂いで打ち込むようになったのである……。

 

 一方、「加害者」となったヤクモは、軍の一部で、ある意味での有名人となった。

 

 その代償として、上司であった下士官には認められたものの、ザビ家にーーというより、ザビ家に追従しようとする官僚的な上層部に睨まれたのか、演習直後に転属命令を受けた。

 

 それ以降のヤクモは、後方での輸送や小惑星での鉱物採取隊の護衛などの任務を転々とした。

 連邦に対する開戦が避けられぬ情勢となってからキシリアの采配によって前線に遣られるまで、いわば裏方として過ごしていたのであった……。

 

 

           *

 

 

 宇宙世紀0079年1月11日現在のヤクモ・セト少尉は、ムサイ級巡洋艦アードラー艦内のモビルスーツ格納庫にいた。

 月面のグラナダから、L2宙域のア・バオ・ア・クー要塞まで、機体の「慣らし」を兼ねた哨戒と艦隊護衛を繰り返していたのである。

 つい数日前に受領した新たな機体、MSー06F〈ザクⅡ〉のコクピットで、コンピュータのモニターを見詰めつつコンソールを叩いている。

 かつての乗機〈ザクⅠ〉のコンピュータにメモリされていた戦闘データは、グラナダを発つ前に新しい機体にコピーしてあった。

 ザクⅡがザクⅠの後継機であり、戦闘補助コンピュータの仕様にほとんど変更がないことが幸いし、データの移植は比較的容易であった。

 現在は、実際に動かしたことで新たに得られたデータと、ザクⅠとザクⅡの基本性能の違いからくる、操縦性の微妙な誤差の修正、哨戒任務に就いた際のデータ解析を行っていた。

 この数日、任務の暇を見つけてはせっせと取り組んでいる。機体の修理やメンテナンスは整備班に任せるしかないとしても、ソフトウェア面での調整は、他人任せにはできないと考えていた。

 

 ディスプレイに映し出されるデータ。文字と数字の羅列を睨みつつコンソールのキーボードを叩く。キーボード操作に反応して表示されたデータを確認した後、膝上に置いたバインダーの紙に数式と試算結果をメモする。

 メモを取り終わると、再度キーボードを操作して、新たな数値を打ち込んでいく。

 煩雑な作業だが、仕方がない。

 

 モビルスーツの操縦にも人それぞれの考え方があるだろうが、ヤクモの考えとしては、モビルスーツの動きを少しでも自分の理想に近付けたい気持ちがある。

 モビルスーツの操縦は、単なる機械の操縦ではない。それぞれの機体の稼動データはそれぞれの機体の内部コンピュータに蓄積される。また、データに反映されない些末なことーー例えば歩くときに、右足を先に出すか、左足を先に出すかーーによっても、積み重なれば機体の動きは微妙に変わってくる。

 

 機体の「クセ」というものである。パイロットの「個性」と言い換えることもできる。

 

 パイロットの大多数が機体の使い回しを嫌がるのは、それぞれの機体に染み込んだ「クセ」があるからだ。自分の機体の動かし方が、感覚として染み付いているのである。

 

 ヤクモにも当然自分なりの感覚があり、操縦にも癖がある。

 ついこの間まで乗っていたザクⅠには、ヤクモの立場では専用のカスタマイズなどを施すべくもなかったが、

彼なりきの、「操縦の呼吸」のようなものがあった。

 それが、急遽新機体をあてがわれたために、今の機体を「自分好み」にする必要が生じたのである。

 次はいつ実戦に配備されるかわからない。せめて機体の動きを理想に近付けておきたかった。使ったこともない新しい機体で出撃し、戦果を挙げるエースもいるだろう。

 だが、多分に感覚的なものであるにしても、何の手入れもせず、機体に違和感を感じたまま戦場に赴き、何事もなく帰ってこれると思うほど、ヤクモは自分の技量に自惚れていなかった。

 

 それに加えて、上位スペックの機体を与えられたことによって、今までにしたくても出来なかった機動ができないかと、試行錯誤をしていたのである。全ては生き残るためであると、自分に理由をつけていた。 

 

 暫くの間、黙々と作業を繰り返してから、ヤクモはディスプレイから目を離した。

 軽く息を吐いて、コクピットのシートにもたれかかった。ずっとディスプレイを睨んでいたせいか、やや疲労が溜まった目を労るように、瞼を閉じると、過去のことが断片的に脳裏に浮かぶ。

 極力思い出したくない過去だし、今まで積極的に追憶したこともなかった。それなのに、今更になって思い出すのは何故だろう。

 初の実戦で人を殺めたことによる心の葛藤のせいだろうか。それとも、懐かしい人物と立て続けに再会したせいだろうか。

 ふと、自分の行動に矛盾に近いものを感じた。

 

(生き残る……?)

 

 かつて、少なくとも士官学校に入るまでは考えもしなかった。

 生き残る、等と人並みに考えるようになったのはいつからだろう?

 

 埒もない思考を程々で打ち切ると、ヤクモは目を開き、再びディスプレイに表示されたデータと向き合った。ある程度の試算を済ませたところで、一応納得できたデータを保存し、OSに反映させた。

 

 ヤクモはコクピットから出ると、機体から飛び降りた。

 全高17.5メートルの機体の腹部である。10メートル近い高さだが、低重力の格納庫(ハンガー)の中では怪我をする心配はない。

 床面に向かって緩やかに降下しながら、ヤクモは部下である金髪碧眼のパイロットの姿を見つけた。その傍らに軽やかに着地する。

 マークが手に持った、水入りのボトルを差し出す。軽く礼を言って受け取ると、ヤクモは信頼する部下と話し始めた。

 

「新しい機体、どう思う?」

「どうと言っても……ザクⅠに比べれば出力も向上していますし、操縦に対する機体追従性も素直な、良い機体だと思いますが……何か不具合でも?」

 

 首を傾げながらの問い掛けに、ヤクモは首を振った。

 

「いや、そういう訳じゃない。たしかに良い機体だ。ただ、高出力域でのバランスがなぁ。試算してたんだけど、中々しっくり来ないんだよなぁ」

「もともと、ノーマルスペックでは高速機動からの戦闘が想定外なんじゃないですか」

「うーん、そうなのかなあ」

 

 ヤクモは、腑に落ちない顔で腕を組んだ。

 

 目の前にいる部下、マーク・ビショップ曹長は、ヤクモよりも5歳年長で、今年28歳になる。

 もともとは宇宙用戦闘爆撃機〈ガトル〉のパイロットを務めていたが、モビルスーツ配備に伴い、適性を認められてザクのパイロットになった経歴を持つ。

 

 戦時編成としてアードラーに配属されてから、未だ半年足らずの付き合いだが、「年下の上司」であるヤクモを彼なりに認めているし、ヤクモもまた、どんなときでも冷静で堅実なマークを信頼していた。ただ、ヤクモなどから見れば、若干堅物であり、

(もう少し柔軟な考え方ができればなあ) 

というところが、強いて言えば欠点に思える。

 

 マークは、モビルスーツの操縦も基本に忠実である。癖やけれん味が無い分、機体が変わっても適応が早いが、どちらかと言えば感覚的なところを重視するヤクモとは、相容れないところも多い。

 

 とりとめのないことについて二人でああだこうだと議論していると、そこにアードラーのモビルスーツ整備班を束ねるテオ技術大尉が通りかかる。

 

 ヤクモは、これ幸いと大尉を議論に巻き込んだ。

 

「……と、いう訳で……」

「ほう、ほう……」

「いや、そこは……」

「……ここをもっと、……こう……」

「……ああ、それはだな……」

 

 時に身振り手振りを交えて熱く議論する3人の男を、周りの整備士は奇異の目で見やり、時に遠巻きにする。

 

 やがて、

「よし、わかった! そこまでいうなら俺っちが手を入れてやる!」

テオ大尉が大きな握り拳を突き出す。

「え、本当に?」

 ヤクモの顔に喜色が浮かんだ。

「おお、男に二言はねえ! その代わり、操縦がかなり厄介になるぜ。落とされても文句は聞かねえからな」

「落とされたら文句も言えないけど、是非お願いしますよ」

「まあ任せときな。兄ちゃんのも改造する(イジる)かい?」

 テオが問い掛けると、

「止めておきます。そんな奇特な仕様、私には向いていなさそうです」

マークは、肩をすくめた。

 

 

 

           *

 

 

 ヤクモが、自機に対しての、マーク・ビショップ曹長曰く「奇特な」チューニングを依頼した翌日。

 

 ジオン公国全軍に次なる作戦が通達された。

 

 サイド5〈ルウム〉への侵攻。

 

 一方、地球連邦軍は、その誇る最大の名将レビル将軍を総指揮官として、艦艇数でジオン公国の3倍にのぼる宇宙艦隊を、同じくルウム宙域に展開。

 

 開戦から「ブリティッシュ作戦」まで、ジオン軍の一連の軍事行動が終結してからの数日間は、ジオン、連邦両国の間に、ささやかな小競り合いが局所的に行われただけであった。

 

 ルウム宙域に、激発寸前まで高騰した両軍のエネルギーが収束しつつある。

 戦局が新たに展開しようとしていた。

 

 新たな作戦を前に、機体を整備しつつ、ヤクモは思う。

 

 ーー佳くも悪くも、過去は覆せない。流される以外に術のなかった過去は、いまさらどうしようもない。ならばせめて未来へは、せいぜい抗って見よう。戦い抜き、生き残って見せよう、と。


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