一年戦争異録   作:半次郎

22 / 28
第20話 グラナダへ

 未だ人類がその果てを知覚し得ない広大な虚無。

 光さえも呑み込みそうな闇の中で、それでも蒼く輝く水の惑星(ほし)

 常闇を貫く太陽の恵みを受けて煌めく人類の揺り籠、地球。

 その地表を遥か離れた衛星軌道上に浮かぶ、三つの円柱形。

 東ヨーロッパは黒海沿岸部、今やジオン公国の一大拠点と変貌したオデッサ基地から打ち上げられた垂直離昇機(HLV)だ。

 重力の軛から解き放たれ宇宙空間を漂う三機のHLVから、それぞれ二機ずつ、人の型を模した巨大な影が姿を見せる。

 地球連邦に対しての国力は、単純な比較でも三十分の一。

 圧倒的な差をつけられながらも、ジオン公国が開戦から三月を経て未だ地球連邦軍に対して優位な戦局を保ちうる最大の要因として、この単眼の鉄巨人達を挙げたとしても、そのこと自体があながち誤りと言い切ることは出来ないであろう。

 古来より戦いの趨勢を決するのは個々の戦場であれば戦術、戦場を離れた大局を見るのであれば戦略の優劣であり、そこに個々の兵士の練度と質、さらには軍指揮官の能力の優劣であるなど、様々な要素を加味して評価することが求められる。

 単純に一種の兵器を有する一方が、持たないもう一方をこれ程までに圧し得た例というものは、太古からの戦史を紐解いてみてもそれほど多いものではない。

 

 モビルスーツ。

 

 地球連邦に先立ちジオン公国が開発し、戦場に送り出したこの兵器の存在は、明らかにそれの生まれ出でる以前と以後で戦いそのものの在り方を一変させるほどの影響力を備えていた。その意味でモビルスーツという存在は、単に軍事用の兵器であるという存在意義を越えて、一つの時代を作るに足る存在になりつつある。

 無重力の空間に漂い出たジオン公国の主力兵器、モビルスーツザクⅡが、それぞれHLVを護るようにその周囲に展開した。

 単眼で周囲を睥睨する巨人達の一機、濃緑の機体の左肩を黒く染め抜き、頭部に(ブレードアンテナ)を付けた機体に向けて、HLVから通信が入る。

 

「手間を掛けるな、ヤクモ」

「いいさ、宇宙攻撃軍も地球上空を全てカバーできる訳じゃないからな」

 

 突撃機動軍に所属する特殊部隊〈大鴉(レイヴン)〉を率いるカイ・ハイメンダール少佐の声に、ヤクモ・セト大尉が応える。

 地球侵攻を担う地球方面軍、その中核である突撃機動軍とは別に宇宙の連邦軍を抑え続ける軍の名を挙げたヤクモだが、別にドズル・ザビ中将麾下の勇猛で鳴る宇宙攻撃軍を非難する意図はない。

 ルウムで大敗を喫した連邦軍宇宙艦隊の残存戦力をルナツー要塞に押し込め、地球上空の制宙権を確保しているとはいえ、広大な宇宙にあってその全てを包囲する訳にもいかず、南米ジャブローをはじめ未だ連邦の勢力圏にある地上からの戦力打ち上げの凡てを封殺することもまた不可能である、その事実を口にしているだけである。

 また、その事実があるからこその、念には念を入れた現状の警戒態勢であった。

 

「予定では、あと十分ほどで()()が来る筈だったな」

「グラナダ方面に発光信号を確認。……友軍です!」

 

 コクピット内の時計をちらりと見て呟くヤクモの声に、部隊最年少のパイロットであるウィリアムの声が重なった。

 地上からの打ち上げ直後という、無防備なタイミングを連邦部隊に衝かれるよりも早く味方に合流できるという安堵からだろう、その声がやや弾んだ。

 ヤクモが、その少年らしい素直な反応に軽く口許を綻ばせながらも、

 

「まだ合流した訳じゃない。連邦軍に遭遇しないとも限らないんだ、気を抜くなよ、ウィル」

 

やんわりと弟のような歳の部下を嗜める。

 

 僅かな気の弛みを指摘されたウィルが反射的に「了解」と返事をした直後、新たな通信が入った。

 

「五時方向から高エネルギー反応! 戦艦のメガ粒子砲と推定されます!」

「各自散開しろ! 総員戦闘配備!!」

 

 HLVから飛んだオペレーターの声に重なった指揮官の声が、部隊員の間に緊張を走らせる。

 HLVの周囲を取り囲んでいたザクⅡがそれぞれ、ある程度の距離を開けた刹那、空白となった空間を眩い光の束が切り裂いていく。

 

「あっぶねぇ……!」

 

 砲撃に一番近い位置にいたアンディが、機体の頭上を通過していった高密度粒子の束を見て呟いた。

 無音の宇宙空間では地球と異なり、メガ粒子砲の砲撃による轟音もなければ、引き裂かれた大気の震動を感じることもない。が、一歩間違えば即、死に繋がる至近への砲撃がもたらす恐怖と緊張感は、場所を問わず変わることはない。

 部隊の天頂方向に位置していたヤクモが、慌ただしくコクピット内のディスプレイを見て部隊員の位置を再確認する。

 

「リカルドとウィルはHLVを守れ。他は連邦の艦艇を叩きに行くぞ!」

 

 彼方に過ぎ去った高密度ミノフスキー粒子の残渣が通信にノイズを混じらせるが、いち早く砲撃の方角に飛ぶヤクモ機を見れば、仮に通信が途絶していたとしても、その意図は明らかであった。推定される連邦部隊の方角から最も遠い位置にいたリカルドとウィリアムの機体を後備に残し、他の四機のザクⅡが迎撃のため、HLVの近くから離れる。

 各機、第一撃の射線上に入らないように緩やかな弧を描きながら、また、殊更に指示を受けずともそれぞれ僚機の動きを妨げないようにある程度の距離を開けつつも互いに連繋し易い位置取りで索敵に向かう様は、まさに相次ぐ戦いに鍛えられた歴戦の部隊ならではのもの。

 はたして、時間を空けて第二、第三と続く虚空からの砲撃は、急迫するザクⅡの足を止めることも出来ず、その影を捉えることも出来ないまま、虚しく虚空に消えていくのみであった。

 

「緩慢だな。二隻か三隻程度……パトロール艦隊程度だろうな」

 

 スラスター噴射による小刻みな機体制動を繰り返しながら高速で、かつ危なげなく砲撃を避けて進むヤクモが、暗闇の彼方から繰り出される攻撃の間隔と密度から、敵の戦力を分析する。

 

「油断しないようにね、ヤクモ」

 

 やや遅れてヤクモの左後ろに追随するレジーナ・ハイメンダールが、揶揄するように語りかけた。

 

「それは俺の台詞だよ。気を抜くなよ、ジニー!」

「心外。私は気を抜いたことなんてないし、調子にも乗らないわよ。……だれかさんと違って」

 

 軽口の応酬を交わしつつも、互いに油断なく進路を定めて猛進する。

 

「しっかしまぁ、大尉が『気を抜くな』なんて言った途端にこれだからねえ……。変な予知能力でもあるんじゃないですか、大尉?」

 

 呆れているとも慨嘆しているとも判断のつかない口調でアンディがぼやく。

 

「そんなモンないよ。偶々だろ?」

 

 憮然として言うヤクモ。

 

「……少尉の意見に賛成。隊長が余計なことを言うと、良くないことが起こる」

「激しく同意するわ」

 

 それまで沈黙を保っていたマークが呟き、レジーナがそれに応じる。

 前方の連邦艦隊からの砲撃に加え、仲間からの口撃によってたちまち四面楚歌となったヤクモが天を仰ぐ。……そこには無機質なコクピットの計器類しか見えなかったが。

 

「俺か? 俺のせいなのか?」

 

 部下からの理不尽な突き上げに疑問を呈しつつ、直近に迫るメガ粒子砲をバレルロールで回避する。

 

「別にヤクモのせいだとは言ってないよ。ただ事実を話しているだけ」

 

 笑いを堪えるようにレジーナが言う。

 

「ああ、そうかい。俺には詰られているようにしか聞こえなかったがな!!」

 

 吐き捨てながらも先陣を切るヤクモ機のセンサーが複数の反応を捉え、ディスプレイ上に反映させる。荒々しくコンソールを叩くと、ほどなくモノアイが撮影した敵艦艇の拡大像がモニターに映し出された。

 

「いたぞ、サラミス級が三隻!」

 

 僚機に告げるが早いかフットペダルを勢い良く踏み締めた。

 バックパックと脚部のスラスターが火を噴き、ザクⅡが〈赤い彗星〉もかくやと言わんばかりの加速を見せる。

 

「俺は何も悪くねえだろ!! SHIT(ちくしょう)!」

 

 追随するレジーナ以下を置き去りにする勢いをもってサラミス級に躍りかかるヤクモ。

 遅まきながら、サラミス級がミノフスキー粒子を散布したか、急速にノイズに侵食される通信の中、その叫びがレジーナ達にははっきりと聴こえた。

 

「まったく、煩いなあ」

 

 感情を剥き出しにしてサラミス級に襲いかかるヤクモに、レジーナは苦笑を浮かべた。

 

 

           *

 

 

 連邦軍パトロール艦隊を一蹴した――比喩ではなく、現にヤクモは一隻の艦橋を文字どおり蹴り飛ばしてきた――モビルスーツ隊は、カイ以下の待つHLVに合流した。

 パトロール艦隊を蹂躙したことで溜飲を下げたか、ヤクモの駆るザクⅡが、戦闘時の荒々しさとはうって変わった繊細さで指揮官の座乗するHLVにマニピュレータを触れる。

 

「戻った。流れ弾には当たらなかったようだな」

「まあ、おかげさまでな。ご苦労だったな」

 

 ()()()表現で帰還報告を入れるヤクモに、カイが労いの言葉をかけた。

 

「皆も無事だな」

「まあ、あの程度ならな」

「少佐……そろそろ合流予定時間です。友軍の艦から先行して接近する反応、一。ザクのようです」

 

 戦いが終わり和みかけた雰囲気の中、オペレーターのチカが、カイに遠慮がちに声をかけた。

 気を改めたカイ以下がモニターを注視するなか、虚空を切り裂いて一機の赤いザクⅡが姿を見せる。

 〈赤い彗星〉とはまた趣の異なる赤色。

 真紅の塗装が施された〈F型〉のザクⅡだ。

 HLVの前で機体制動をかけて停止する。

 

「そちらは大鴉(レイヴン)隊で宜しいか?」

 

 カイの座乗するHLVに、ザクⅡから通信が入る。

 モニターに表示された人物は、ノーマルスーツのバイザー越しなので詳細な顔立ちまでは判らないが、その声から若い男であると推測できた。

 自信に充ちた、些か不躾にも感じられるその口調に、カイが心持ち目を細める。

 

「その通りだが、相手に訪ねる前にまず所属と名を名乗るのが筋ではないかな?」

 

 相手の男が乗るザクⅡのパーソナルカラーから凡その推定はついているが、軽く頭を後ろに引きながら敢えてそう言い放つ。

 

「これは失礼。突撃機動軍のジョニー・ライデン大尉であります。キシリア閣下の命で参りました」

 

 取りようによっては挑発的にも取れるカイの口調に、寧ろ傍らで聞いていたヤクモがヒヤリとした。

 温厚な貴公子然とした風貌に、事実温厚で融通無碍なところもあるのだが、意外と気難しいところもカイにあることを、付き合いの長いヤクモは良くわかっている。

 礼儀作法全般に、とまでいかなくとも通すべき筋、最低限守るべき手続きや作法等については意外なほどやかましかったりするし、気に食わない相手に対しては敢えて軋轢を辞さないところもある。

 そんなカイに対して相手が素直に非を認めて態度を改めたことに、ヤクモは軽く安堵の息を吐いた。

 どうやらカイも完全につむじを曲げた訳ではないらしい。

 はたして、

 

「勇名を馳せる貴官にご足労頂き恐縮ですな。小官は大鴉のハイメンダール少佐であります。お見知り置きを、〈真紅の稲妻〉殿」

 

 相好を崩して応じたものである。

 

「ところで……」

 

 ジョニーが会話の矛先を変え、ヤクモに語りかける。

 

「サラミス級だけのパトロール艦隊とはいえ、ものの数分で無力化するとはね。噂どおり、いい技倆(うで)だな」

 

 その声には嫌味や警戒の成分は感じられない。恐らく、文字どおり素直な称賛であろう。

 

「はあ……恐縮です」

 

 しかし、それに対するヤクモの反応はいまいち鈍い。

 正直なところ、対応を測りかねていた。

 目の前のジョニー・ライデンという男に対してではない。〈真紅の稲妻〉の異名を持つエースパイロットが功績に驕らない人柄であることは風評として聞いていたし、ここまでのジョニーの言動は、その風聞を裏切るものでは、決して無かった。

 にも関わらずヤクモが鈍い反応をしている理由は、ジョニーの言葉を瞬間的に反芻していたからだ。

 噂――。

 ジョニー・ライデンはそう言った。

 確かに地球上での彼らの戦績は著しいもの。戦場を共にした部隊の間での評価は決して低いものではない。と言うより、アジア方面軍のノリス・パッカード大佐など、彼らの実力を高く評価する者も少なくない。

 が、限られた僅かな戦場を除いて大鴉隊の活動は表に出ることはなく、必ずしも喧伝される類のものではない筈だった。

 それにも関わらず、大鴉隊の存在が宇宙においても話題に上ることがあるというのだろうか。

 尤も、人の口に完全に蓋をすることなど出来ない。どれ程厳重な箝口令を敷こうとも完全に秘匿され得る秘密など古来無いものだ。地球から宇宙に戻った者が話をしたのかも知れず、或いは彼らの預かり知らぬところで彼らは意外と有名になっているのかも知れない。

 下手に名が知られることによってもたらされる数々の煩わしさ。それを思ってヤクモは面倒臭く感じたが、次にジョニー・ライデンが発した言葉によってその考えも中断された。

 

「それはさておき、待たせて申し訳ない。迎えの船が到着したようだ」

 

 真紅のザクⅡが振り向いた先に、ゆっくりと艦影が近づいてくる。

 一隻はザンジバル級機動巡洋艦。

 そしてもう一隻……。

 そのムサイ級の姿が視界に入ったとき、カイが僅かに表情を動かし、彼と同じHLVに乗ったケネス・バークレー中尉が巨体を動かしながら嘆息を漏らした。

 その他のクルーの大半もまた、それぞれに感慨深げな表情を作る。

 

 ジョニー・ライデンに率いられてきたムサイ級。

 〈アードラー〉であった。

 

 開戦を迎えたそのとき所属していた巡洋艦の懐かしい姿を見たヤクモもまた、口元を微かに緩めたのであった。

 

 

           *

 

 

「これほど気の利いた出迎えもありませんなあ」

 

 HLVからアードラーに席を移し、その艦橋を懐かしげに眺めながら、バークレーが漏らす。

 「アードラーの生き字引き」と揶揄される程に、就航以来この艦に乗り続けてきた彼にとっては、我が家に帰ってきたかのような感慨であろう。

 いや、バークレーだけではない。

 現在の大鴉隊を構成する人員の大半は、アードラーに乗って開戦を迎え、宇宙の戦場を潜り抜けてきたのだ。

 カイもまた、開戦のそのときには参謀本部にいたとはいえ、かの惨烈を極めた〈ルウム戦役〉にはこの艦の長として参加していた。

 大小の差こそあれ、感慨があるのは彼もバークレーと同じである。

 

「確かに、グラナダの考えにしては気が利いているな」

 

 格納庫から艦橋に上がったヤクモが皮肉っぽく言う。

 つい先刻、ジョニーが口にした言葉は、既に何ほども気にならない。

 彼らスペースノイドにとっては、どれ程苦い記憶があったとしても、如何に地球の環境に心打たれたといっても、やはりこの荒涼たる宇宙こそが慣れ親しんだ「故郷」であるのだ。

 バークレーほどではないが、アードラーに再び乗ったことで「帰郷」の想いが強くなる。

 その実感に比べれば、他人にどう思われていようとも、そんなことは些事であり、気にするべきことではないと思えるのだった。

 

 艦長の席に腰を下ろしたカイが、ヤクモの言葉を受けて口を開く。

 

「いや……おそらくキシリア少将の考えではあるまい。バロム大佐あたりではないかな?」

 

 言葉の後半は、通信を繋いであるザンジバル級のジョニー・ライデンに対しての問いかけである。

 

「ご名答。キシリア閣下から下命された後で、バロム大佐からたっての頼みということで、ね」

 

 軽く肩を竦めながら、ジョニーが答える。

 ――まあそんなところだ。

 彼らが直接の旗頭として掲げるキシリアは、飽くまでも合理的な考え方が強い。人の心の機微、将兵の士気に疎いという訳ではないが、凡そこのような必要のない発想はしない。

 自分の予想が当たったことに、微塵も歓びを感じることもなく、形式的に頷いたカイが、続けてジョニーに問う。

 

「本国の様子はどうです、大尉?」

「どうといって、特に変わったこともないが。サイド3でもグラナダでも市民は相次ぐ戦勝に沸き立っているし、軍の特需で景気も良い、というところですが……何か腑に落ちないことでも?」

 

 軍属として政治的な面からは一線を画しているからだろう、表面上の一般的な現象を考えながら口にしたジョニーが反問したのは、カイの思案顔が晴れなかったからだ。

 

「いや……」

 

 そう言うわけでもありませんが、と、苦笑しながら頭を振ったカイが、ジョニーに向き直る。

 

「実際のところ、現在の戦況はどうなのかと思いましてね」

「それは……最前線で戦ってきたあなた達の方が良くわかっているのでは?」

「我々は確かに転戦続きでしたが、局地戦に徹していたもので。宇宙(そら)から見た方がより観えることもあるかと」

 

 そういうものかな。

 低く呟いたジョニーが、何やら考え込む。

 僅か1、2分程度であったが艦橋を包んだ沈黙を、再び〈真紅の稲妻〉の声が破った。

 

「……北米、欧州、アジア、アフリカ。各戦線ともに選局は膠着。特に北米はこの半月ほど、パナマ運河を挟んで連邦との小競り合いを繰り返している程度で、お互いに決め手を欠いている状況。強いて言えば大きく戦線を押し込んだのはオセアニアくらいだ。……まあ、俺が知っている範囲ですがね」

 

 真面目な口調で言ったあと、軽く口許を緩める。

 

「なるほど」

「サイド3やグラナダでは新型の開発も盛んだな。これから配備も進んでいくだろう」

「新型……グフみたいな?」

 

 ふと思い立ったヤクモが、何やら黙考しているカイに変わって口を開くと、ジョニーがごく僅かに目を瞠った。

 

「へえ、情報が早いんだな、大尉。よく知っているじゃないか」

「アジア方面軍に配備されているのを見せてもらったものですから」

 

 左頬を人差し指で掻きながら、ヤクモが応える。

 

「グフ……いや、ジオニックだけじゃない。ツィマッドも次期主力の座を狙ってモビルスーツを開発しているらしいし、MIPも新型を開発しているらしい」

「随分詳しいんですね、ライデン大尉」

「まぁ、グラナダにいるとな。色々な噂も聞こえてきてね」

 

 そう言って、ジョニーは微妙な表情を浮かべた。

 

「……っと、随分と長話をしてしまったな、申し訳ない。後の警戒はこちらで担当する。貴隊はゆっくり休んで下さい」

 

 軽やかに敬礼をした青年の姿がモニターから消えた。

 そのモニターを暫し無言で見つめていたカイが、ややあって立ち上がる。

 

「バークレー中尉、少し頼む」

 

 傍らに立つ巨漢に声をかけると、軽やかな仕草で身を翻して艦橋の出口に向かう。

 

 一瞬だけ視線が交差した、その榛色の瞳が「少し付き合え」と促しているように感じて、ヤクモは親友の後を追った。

 

 

           *

 

 

 アードラーの艦長私室。

 ヤクモがカイと二人きりでこの部屋に入ったのは、カイのアードラー艦長就任直後だけだ。開戦と同時に行われたグラナダ制圧直後のことだから、四ヶ月近く前のことになる。

 その月日を振り替えると、宇宙での一大会戦を経て地球進攻作戦に参加、以後東欧から東アジアにかけての転戦に継ぐ転戦と、思い出すだけでも疲れるほど濃密な時間であった。

 日々があっという間に過ぎ去っていったという実感の反面、ふと気付くとカイとここで再開したのが随分と昔のことのようにも思えてくる。

 

「随分と久し振りに戻ってきた気がするな」

 

 応接用のソファに向かい合った友に向かって、ヤクモが偽らざる感情を口にする。

 カイもまたヤクモと同様の感傷を抱いていたのだろう、素直に頷く。

 

「さらば過ぎ去り日々よ、というところか」

「なんだか年寄りくさい言い方だな?」

「そうか?」

 

 微笑しながら軽口を叩くと、ヤクモは改めて部屋を見回した。

 デスク、来客用の応接セット、壁に据付けの書棚等、調度の配置は変わりようもないが、そこには書類も事務用品も、私物も何もない。カイが艦長として乗っていたときの秘蔵のブランデーも、愛用の紅茶セットもない。

 士官学校を卒業して以来、親友と再会したあの日と変わらないのは、部屋に所在する人間と、その二人を包む、清浄器を介して循環する味気無い空気だけだ。

 

「どう思った?」

 

 ソファの肘掛けに頬杖をつき、足を組んだカイが、短く問う。

 

「ライデン大尉が言った内容か、それとも〈真紅の稲妻〉その人についてか?」

「どちらでも。なんなら、どちらとも」

「そうだな……」

 

 考えながら、ヤクモは両肘を背凭れの上に乗せて足を組んだ。

 

「真っ直ぐな人だな。性格的に嘘は苦手なタイプだろうな」

「やはりそう思ったか」

 

 答えながら、何処か腑に落ちない態のカイ。その様子に、今度はヤクモが疑問を投げ掛ける。

 

「何が納得出来ないんだ?」

 

 平素あまり曖昧な態度をとらない友人が、先程からどこか様子がおかしい。

 

「悩みごとがあるなら言ってみたまえ。聞いてしんぜよう」

 

 敢えて冗談めかして言うのも、カイに話し易くさせようというヤクモなりの気遣いである。

 

「なに、それほど大層なことでもないがね」

 

 一瞬だけ苦笑を浮かべたカイが、不意に真剣な眼になる。

 

「この戦争に終わりが見えないと思ってね」

「それは……」

 

 真面目な表情と向き合って、ヤクモが何と返していいのか返答に詰まる。

 

「……国家の存亡にかかわることを些事と言ってのける。頼もしいことですな、少佐」

「いくら考えたところで、私の一存でどうできるものでもない。そういう意味だよ」

 

 咄嗟に言葉を探して、空気が重くなるのを避けようとしたが、上手くはいかなかったようだ。

 カイが口許に浮かべた笑みは、先程と同じく一瞬で消えた。

 

「戦線は膠着しつつある。現状ではジオンが有利だが、お互いに疲れている。ジオン有利にを結ぶにはいい頃合いなのだがな」

「そういう動きはないようだな」

 

 開戦以来、ジオンが勝利を積み重ねてきたのは揺るぎない事実である。

 が、愈々戦火が地球全域に広がりを見せる昨今、ジオン地上部隊の勢いに翳りが見え始めたこともまた一つの真実である。

 何しろ、地球連邦軍に比してその兵員の絶対数が圧倒的に少ないのだ。

 モビルスーツという兵器の力で既存の戦力差を覆す善戦をしているものの、兵士達の疲労は蓄積していくのだ。

 彼ら自身、重力の井戸の底から飛び立ったこと、アードラーの懐かしい姿に郷愁を掻き立てられたことが現に、当人たちが気付かないながらも心労が蓄積していた証であろう。

 かつて南極条約にすり替えられた、ジオン公国の地球連邦政府に対する講和条約。当時の条件そのままではなく、ジオンの側から譲るところは譲り、フォン・ブラウンやサイド6といった中立を貫く第三勢力に仲介させれば、或いは連邦とて妥協点を見出だそうとするかもしれない。

 以前、キシリア・ザビその人に直接進言したことがあるように、カイはもともと早期講和派である。

 だが、国内の情勢はカイの期待を裏切る形で戦争継続に傾いているらしい。

 

 新しい規格のモビルスーツが開発されると言うことは、適応する戦地を求めてのこと。

 軍の特需で潤う経済の恩恵を受ける国民は、表面上最も解り易いその利益を容易に手放すことを是とはすまい。仮にその繁栄が、いつかは消える泡沫の上に成り立ったものであるにしても。

 

 ジオンの軍人としての地歩を固めながら、その実、戦争の早期終結をカイが望んでいることを、ヤクモは承知しているが、つい先程そのカイ自身が口にしたように、こればかりは彼らだけではどうしようもない。

 

「本国はどこまでやる気なのかな」

 

 カイの小さな呟きを打ち消すように、

 

「俺たちが頭を抱えてもどうしようもないって。なるようになるさ」

 

 殊更に明るく、諭すようにヤクモが言う。

 

「……そうだな」

 

 何かを吹っ切ったように、カイの表情が明るいものになる。

 

「不吉なことだけでなく、良いことも君の言うとおりになって欲しいものだよ、ヤクモ」

「お前までそう言うことを言うか!?」

 

 反射的に声を尖らせるヤクモに、カイが笑う。

 その笑みにつられるように、ヤクモもまた笑った。

 

「指揮官の陰気は部下の士気を下げるぞ」

 

 わざとらしく忠告するヤクモにカイが頷き返したとき、執務用デスクの上の内線電話が鳴る。

 受話器を持ち上げたカイの耳を、バークレーの声が打つ。

 

『少佐、間もなく周回軌道に入ります。艦橋にお戻り下さい』

 

 わかった、すぐ戻る。

 

 短く答えて歩き出したカイに、ヤクモが続く。

 その際チラリと見た窓から、白く淡く光る月面が見て取れる。

 

 地上で見上げたときにはくすんだ銀貨程度の大きさだった地球の衛星が、視界を覆い尽くさんばかりの質量を訴えてくる。

 

 かつて、サイド3から月へ。

 地球から最も遠く離れたコロニーから地球に近付くように進路を取ったその天体に、此度は地球から離れるように進路をとる。

 

 ――ひとまず帰って来た。

 

 だがそれは、本当に一時のことであろう。

 翼を休める暇もなく、次の戦地へと飛び立つことになる。

 それだけは、誰もヤクモを揶揄することの出来ない、いわば外れようのない予言であった。

 




 久し振りの更新です。
 生きてましたが何か?

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。