一年戦争異録   作:半次郎

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 「宇宙」と書いて「そら」と読む。鉄則ですね。


第19話 宇宙に向かって

 厚く垂れ込める雲から降り注ぐ雨の中、行軍が続いていく。

 否、辛うじて隊列を為してはいるものの、それを構成する兵たちの表情は暗く、野戦用ヘルメットの下の目は何れも憔悴しきっている。

 塒であった基地を奪われ、屈辱にまみれて疲弊した、陰鬱な行進。

 それは傍目にも哀れな敗者の群れであった。

 緩慢な足取りで進む行軍の中ほど、唯一と言っても良いであろう、ほぼ無傷の巨体を進めるのは、ビッグトレー級陸戦艇〈クラッシュナ〉である。

 

 そのクラッシュナの格納庫内に収容されているのは、地球連邦軍初のモビルスーツ、〈ザニー〉が三機。

 元来アイボリーを基調とし、胴体と足の一部をオレンジ色に塗装された機体だが、何れも傷つき、泥と硝煙に汚れている。その中で一際痛々しい姿を晒しているのが、右腕の肘から先を失った機体である。否、仮に機体の損壊を痛々しいと言うのであれば、その傷付いた三機のモビルスーツが置かれている状況こそを憐れと呼ぶべきであろう。

 

 ザニーの周りは忙しく動き回る技術者たちがいるが、応急的にすら修理を行おうとする者はいない。

 それぞれのコクピットから延びたケーブルを外部コンピュータに接続し、戦闘データの抽出と解析にのみ心血を注いでいるのだ。

 連邦軍で初めて製造されたモビルスーツ。それは各種データの収集にのみ使われ、用済みとなったら廃棄される運命にあるかのように見える。

 

 いや、モビルスーツであれば。

 

 機械であれば、それも良いであろう。

 

 心を持たぬ兵器であれば、使い捨ても出来る。

 

 しかし――それが人間にも、戦場で自軍の勝利の為に作戦に従い、名も知らぬ敵と殺し合う、それでも歴とした心を持つ兵士にも当て嵌まるような気がして――クリスチーナ・マッケンジーは、背筋に薄寒さを覚えた。

 

 自分たちも……テストパイロットもまた、いずれ来るであろう、高い技倆を有する「エース」と呼ぶに相応しいパイロットに、より高性能な機体を与える、その時の為の犠牲の羊ではないのか。

 

(……考えすぎよね)

 

 コンソールを叩く手を止め、つい数時間前まで命を預けていた機体を、同意を求めるように見上げる。

 無論、ザニーは何も応えない。

 その代わりにクリスチーナの耳に飛び込んできたのは、同僚の声。

 

「クリス! 頼む、アルバート(この馬鹿)を止めるのを手伝ってくれ!」

 

 オリヴィエ・ルヴィエの半ば悲鳴に似た声に、長い赤毛を揺らしつつ振り返る。

 

 その視線の先には、肩を怒らせて格納庫から出ていこうとする灰色の髪の青年と、それを止めようと後ろからしがみつく褐色の肌の青年がいた。

 

 オリヴィエとアルバートの揉み合いを目にしたクリスチーナは、溜息を吐いて立ち上がった。

 

「どうしたの?」

「アルバートが直訴しに行くって聞かないんだよ!」

「直訴?」

 クリスチーナが小首を傾げる間にも、二人のパイロットはその目の前を通り過ぎて行こうとする。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。どういうこと? まさか……」

 慌てて追い縋るクリスチーナをアルバートが一瞥する。

 

「俺はここに残る……ジオンの連中に一矢酬いるまでは」

 その口から発せられたのは、クリスチーナの予想を大きくは外さない一言だった。

 

 クリスチーナらに与えられていた任務は、そもそもがザニーの運用試験。ジオン軍の攻勢に遭遇したのは想定外であったが、本来の任務期間は終了しているのである。試験部隊が最優先すべきは、奇しくも貴重な実戦を経験したザニーとそのデータを〈ジャブロー〉に持ち帰ることだ。

 目先の敵に目を奪われてその任務を放棄するなど、それこそ本末転倒も良いところだろう。

 クリスチーナは唖然とした思いで、オリヴィエとアルバートの顔を交互に見た。

 一人は、眉間に皺を寄せた険しい表情。

 もう一人は、困惑しきった顔。

 

 クリスチーナは胸郭全体を使って大きな溜め息を吐いた。

 

 次の瞬間。

 

 クリスチーナの右手が鋭く翻り、パァン、という小気味の良い音が格納庫に響いた。

 

 オリヴィエは瞬間的に身を竦め、左の頬に鋭い痛みを感じたアルバートは、毒気を抜かれたような表情で目をしばたたかせる。

 周囲のクルーたちは何が起こったかと興味深い視線を送り、とりわけ野次馬根性の旺盛な者たちは、既に彼らの周りを取り囲みつつある。

 ただでさえジオンの前に敗戦続きの中、此度も手痛い敗けを喫して撤退中である。士気は下がり、誰の心中にも鬱屈したものが溜まっている。少しでも鬱さ晴らしになればと、無責任に修羅場を望む人間も一人二人ではない。

 大半が興味本位の視線に射抜かれながら、クリスチーナが叫んだ。

 

「自分勝手なことはいい加減にして! あなただけここに残って、何が出来るっていうの!?」

 

 一旦息を継いで、さらに続ける。

 

「今日のあなたはどうかしてるわ。まるで自分のことしか考えてない。命令に従わないで迷惑するのは、周りのみんななのよ。負けて悔しいのがあなただけだと思ってるの? 今までザニーの整備をしてくれた整備士(みんな)だって……オリヴィエだって私だって、悔しいのは一緒なのよ!」

 

 自分より背が高いアルバートに対して背筋を伸ばし、まるで掴みかからんばかりの勢いで捲し立てる。

 

「それでも私たちが……みんなが収集したデータが次に生きると思うから、みんなこらえて……耐えているのよ? あなただけここに残っても何にもならない。無駄に死ぬだけなのよ? お願いだから、勝手なことはしないで。……ジャブローに戻りましょう?」

 

 感情を吐き出すうちに落ち着いてきたのか、最後は聞き分けの無い子どもを諭すような口調になった。

 

 数秒の間、無言で見つめあった後、男が肩を落とした。

 

「……すまない。クリスの言うとおりだ」

 

 幾分不貞腐れた様子を残しながらも、アルバートが謝罪の言葉を口にする。

 

「オリヴィエにも迷惑をかけたな」

「お、おう」

 

 それまでの言動からは予想も出来ないくらい素直なアルバートの謝罪に、というよりむしろ、クリスチーナの迫力に気圧されていた感のあるオリヴィエが、戸惑いがちに頷いた。

 アルバートはそのまま踵を返した。

 

「アルバート……?」

「心配するな。少し頭を冷やしてくるだけだから」

 

 感情を抑えた口調で言うと、そのまま振り返ることもない。

 

 クリスチーナに反論も反撃もせずその場を後にしたアルバートの態度に、その場の空気自体が毒気を抜かれた態になると、彼らを取り囲んだ野次馬たちから、

「何だ、つまらねえ」

「あれだけ息巻いてたのにやり返しもしねえのかよ」

「所詮、士官学校出のお坊っちゃんかよ」

「ジオンの一つ目にやられて、女にもへこまされて、情けねえったらねえな」

無責任な野次が飛んだ。

 

「あなたたち……!」

 

 アルバート以上にその声に反応したクリスチーナが、柳眉を吊り上げて周囲の男たちを睨みかけたとき、大きな影が彼女の視界から下卑た声の主たちを隠した。

 それが作業用のつなぎを来た背中だと理解した瞬間、頭上から声が上がった。

 

「あんたら、いい加減にしな! この件はもう終わりさ。下らないことしている暇があったら自分の作業を少しでも進めたらどうだい!?」

 

 威勢の良い一喝に当てられた野次馬たちが、ばつが悪そうに退散すると、つなぎを着た人物が振り向いた。

 

「まったく……。負けが続いてナーバスになるのも判らなくもないんだけどね」

 

 苦笑い混じりの女の声。

 

「クリス。あんたたちはよくやってる。いちいち気にしない方がいいよ」

 

 並の男よりも背が高いため、クリスチーナを見おろす格好になるが、語りかける声は先程までと打って変わり、仲の良い妹に話し掛ける姉のように優しげだ。

 

「ありがとう、モーラ」

 

 浅黒い肌の大柄な女性に礼をしつつも、アルバートの立ち去った方を気にするクリスチーナの肩に、僅かな間に手持ち無沙汰となったオリヴィエが手を置いた。

 

「……もう大丈夫でしょ。しばらく放っといても」

 

「何だ、まだ居たのかい?」

「……そりゃないでしょ?」

 

 クリスチーナの代わりに辛辣な言葉を口にするモーラに、オリヴィエが驚いて見せる。

 

「それより、俺たちも少し休ませてもらおうぜ? 流石に疲れちまったよ」

「そうだね。後はあたしたちでやっとくから、クリスも少し休みなよ」

 

 口々に言われ、クリスチーナは口の端に柔らかい笑みを浮かべた。

 

「それじゃあ、お言葉に甘えて」

 

 モーラと軽く手を振りあう。

 先に立つオリヴィエに続こうと振り向く刹那、視界の隅に物言わぬザニーが映る。

 

 格納庫から居住ブロックへと続く通路を歩きながら、クリスチーナは体の奥から、疲労が静かに浮き上がって来るのを感じた。

 

 

           *

 

 

 一方その頃。

 

 撤退する地球連邦軍への追撃を打ち切ったジオン公国アジア方面軍は、所有権を奪い取ったばかりのインパール基地とその周辺に駐屯していた。

 無傷とはいかないまでも、敗者である連邦軍と比べるとその被害は圧倒的に少なく、将兵の心もまた戦勝に踊っている。基地攻略軍の司令であるノリス・パッカード大佐とその幕僚たち、基地内部の設備を調査する技術士官たちと哨戒の部隊を除いた大多数は、敵の気配の絶えた基地の内外で勝利の味を堪能していた。

 

 基地の周囲には夜営用のテントが林立し、テントの一つ二つ、或いはそれ以上の小集団ごとに焚き火の火があり、その周りで部隊若しくは気心の知れた者同士、野戦用の食糧を頬張り、談笑する輪が出来る。中には上官の目を盗んで酒を飲む兵もおり、疲れきってテントの中で既に寝息を立てる兵も少なくない。

 反面、基地からやや離れた処では戦死者を弔う者たちがおり、負傷者とその治療に追われる者たちもいる。

 一見華々しい勝利の裏にも光と影があり、この地がつい数時間前までは人の生死を無慈悲な鎌で選り分ける戦場であった事実を、否が応にも生者に突きつけているようだ。

 この場、この時に限ったことではないが、勝者の狂騒は、或いは自分が死地より生還した喜びの中にあるこの事実を覆い隠すための行為なのかも知れなかった。

 

 甘美な戦勝の果実を味わう幸運に浴する者たちの中に、突撃機動軍特殊部隊の面々がいた。

 キシリア・ザビ少将から直々に東南アジア方面における連邦軍製モビルスーツに関する調査を命ぜられており、奇縁を得てアジア方面軍と行動をともにしているが、インパール攻略軍の中にあっては些か微妙な立場にある。

 部隊を率いるカイ・ハイメンダールは基地の外での駐屯を望んだが、攻防戦終了後には、彼らを客として遇するノリスに半ば押しきられる形で、基地内の一室を与えられていた。

 

「レイズだ」

「ここで引けるかよ。コールするぜ」

「……同じく。コール」

 

 運よく破壊を免れた空調設備の恩恵で快適な温度に保たれた室内で、中央に置かれたテーブルセットの周囲だけが微妙に温度が高い。

 

「クイーンのスリーカード。どうだ!?」

「まだまだ甘いな、アンディ。ストレートだ」

「残念ですね、ヴェガ少尉……フルハウス」

「なっ……!」

「マジか!? またマークかよ!」

 

 アンディとリカルドが同時にカードをテーブル上に放り出した。

 

「まだ続けますか?」

 

 淡々と言いつつカードを切るマークの前には、他二人を圧倒する量のチップが積まれている。

 

「このまま引き下がる訳にはいかねえな」

「おう。勝ち逃げは許さねえぜ……!」

 

 無言で目配せを交わしたアンディとリカルドが、マークに向き直る。

 

 何度も同じ光景を繰り返す3人を尻目に、やや離れた窓際に座ってぼんやりと外を眺めていたレジーナの傍らに、未だ少年といえる顔立ちの若者が立ち止まった。

 

「中尉、良かったらどうぞ」

 不意に掛けられた声に振り向くと、ウィリアムが紙コップに淹れたコーヒーを両手に持っている。

 

「あら、ありがとう」

 

 微かな笑みを浮かべて、レジーナはウィリアムが右手で差し出したコーヒーを、両手で包むように受け取った。インスタントではあるが、それなりに快い香気が漂う。

 

 レジーナが匂いを楽しむように一口飲むと、ウィリアムも紙コップを口に運ぶ。

 

「遅いですね、二人とも」

 

 ウィリアムが言ったのは、この場にいない、部隊のナンバーワンとナンバーツーのことだ。彼らは、基地に残されたデータ類の存在を確認するため、ノリスや幕僚たちとともに基地内の調査に随行している。

 

「そろそろ戻ってくるんじゃない? オデッサみたいに大きな基地じゃないし」

 レジーナが軽く首を傾げると、柔らかそうなオレンジ色の髪が揺れた。

 アクアマリンに似た色調の瞳と目線が合ったウィリアムの鼓動が一瞬弾みかけた時、背後に奇声が響いた。

 振り返ると、この部屋に入って以来何度めのことか、アンディとリカルドが頭を抱えて悶えている。

 

「まだ…続けますか?」

「くそぅ……」

「まだだ、もう一回!」

 

 完全に頭に血が上ったアンディが、懲りずにマークに挑みかかる。

 

「懲りないね、あの二人も」

「ハハ……」

 

 苦笑いするウィリアムに、アンディが顔を向ける。

 

「くそっ、流れが悪いや。ウィル! コーヒー淹れてくれ!」

「え~、何で僕が」

「ウィル、悪いな、俺にも頼む」

 リカルドからも声を掛けられたウィリアムが、

「もう、それくらい自分でやってくださいよ」

ぼやきながら、渋々サイドテーブルのティーセットに向かう。

 

 緊張感から解き放たれ、それぞれの隊員たちの纏う空気は戦いの場にある時とは打って変わった、弛緩したものになっている。

 のんびりとした日常の、悪く言えば弛みきった空気。つい数時間前までは命を懸けた戦いの渦中にあった者たちとは思えない雰囲気を些か不思議に想いながらも、レジーナは仲間と過ごすこの時間を好ましく、貴重なものに感じていた。

 

「まだ…………続けますか?」

「何でお前ばっかり勝ってるんだぁ!」

「畜生! ウィル、お前もやれ!!」

「えぇっ! 何で僕まで!?」

 

 ノーマルスーツに包まれた脚を組みながら、レジーナは仲間たちを見て、目を細めた。

 

 

           *

 

 

「どうだ?」

「……駄目です」

 カイの問い掛けに、コンピュータに向き合ってキーボードを叩いていたチカが頭を振って応じる。

「結局、基地の中に手掛かりはないか」

 カイに並んで立つヤクモが呟く。

 インパール基地内に設立された格納庫内のコンピュータ・ルーム内である。

「ああ。ここで運用していたわりに、不自然なまでにデータがないな。ひょっとしたら、元々基地の設備とはリンクしていなかったのかも知れないな」

「ここの設備はあくまでも補給にだけ使っていたってことか? そこまで慎重に秘匿するほどの性能とも思えなかったがな」

 ヤクモの視線を受けたカイが、口許に微かな苦笑を浮かべた。

「まあ、腕利きのパイロットにとってはそうかも知れないがな」

 不意に表情を改め、真剣な目になる。

「モビルスーツ戦術は戦局を左右しかねない問題だ。ましてや連邦はただでさえ我々より遅れているからな、慎重になっても無理はないさ。それが未だ試作の域を出ていないとしても」

「そういうものかね」

 腑に落ちない感のあるヤクモから、未だにコンピュータと向き合うチカの後ろ姿に目線を移す。

「現にザクにも被害が出ていることだしな」

「近接戦闘には全く適応できてなかったけどな」

 つい数時間前の記憶を反芻するようにヤクモが言うが、

「それなら、滷獲とまではいかずとも、せめて大破させるくらいの結果は欲しかったが?」

辛辣なカイの反論に、口をつぐむ。

「足が()()()なければ、それくらいやっていたさ」

 数秒の間をおいて絞り出した反論は、明らかな負け惜しみに類するものであったろう。

 肝心な詰めの段階で機体が故障したというのは、連戦による部品の消耗が直接の原因かもしれないが、その遠因はモビルスーツの動作、有り体に言ってモビルスーツの操縦者にある。

 そのまま撃破されなかっただけ幸運というものだろう。

「……まあ、相手に厄介な保護者が付いていたこともあるし、今回はサンプルを回収出来たことで佳しとするか」

「そう言えば、()()はどこに行ったんだ」

 言葉尻を捉えて不器用に話を逸らした対象は、ヒートホークで切断した連邦製モビルスーツの右腕。些か不恰好ながら、今回唯一の戦利品となりそうなものだ。

「今は、アジア方面軍の技術者が解析している筈だが」

「大丈夫なのか?」

 ヤクモが首を傾げた理由は、無論ノリス麾下の技術者たちの能力を疑うものではない。グラナダへの報告の前に、現地部隊に優先して情報を与えること、ひいてはその判断を下したカイが、キシリアから不興を蒙ることがあるのではないかという懸念である。

 琥珀色の瞳に若干の不安を籠める友人をちらりと見て、カイは頷いた。

「遅かれ早かれ知られることだ。今隠しておく意味もない。それに……」

「それに……何だよ?」

「我々は調査が目的だが、仮に今後あれが戦場に出てきた場合、相手をするのは現地部隊だ。情報を共有しておいた方が全体のためさ」

 その返答に、ヤクモがやや口角を吊り上げた。

「素直じゃないね、お前さんも」

「何が言いたい?」

 カイが、形の良い眉を心持ちしかめた。

「感謝してるんだろ? パッカード大佐の援助に」

 彼らがここにいて、ベストでは無いなりに一応の成果を修められたのは、アジア方面軍との共同戦線を張ったことに起因するのは否定できない。

 カイとすれば、結果として短期間に任務の結果を出したことに対して、その切っ掛けを作ったノリスに感謝こそすれ非難する理由は微塵もない。

 部品だけとはいえ、彼ら部隊の戦利品である連邦のモビルスーツの解析を優先的にアジア方面軍に行わせているのは、ささやかながらその返礼というものだろう。

 そう感じたヤクモの勘は、果たしてそれほど的を外したものでもなかったようだ。

 カイが、「フン」と短く鼻を鳴らしただけで、それ以上否定も肯定もしなかったのがその証左でもある。

 ヤクモとカイが然程実の無い会話をしている間も懸命の解析作業をしていたチカが、躊躇いがちに声をあげた。

「やはり駄目です。ここに残っているのは、既存の陸戦兵器の運用記録、補給予定、消耗品の在庫管理……取るに足らないデータばかりです」

「……消去されたデータの復元は?」

 ヤクモの問い掛けに、少女と言って良い女性兵士(ウェーブ)の赤毛が、三度揺れる。

「完全に復元するにはもっと専門の設備が必要ですが……断片的には痕跡も見つかりません」

「なるほど。ご苦労だったな」

 疲労の色を滲ませるチカに、カイが労いの声をかける。

「駄目で元々だ。このコンピュータも接収してグラナダに届けるか……ああ、ソラノ兵長。手間をかけさせてすまないが、連邦軍内部のことで参考になりそうなデータだけはプリントアウトしてくれ。ついでにバックアップも。大佐にお渡ししておこう」

 

 作業の終わりを待ち、コンピュータ・ルームを後にした3人をノリスが待っていた。

「そちらの用件はお済みかな?」

 ノーマルスーツから、カスタムメイドであろう紺色の軍服に着替えた壮年の大佐が声をかける。

「はっ。お心遣い感謝します。参考までにここの端末に残っていたデータをお渡ししておきます」

 姿勢の良い敬礼とともにカイが言う。

「うむ。ありがたく受け取っておこう」

 鷹揚に頷いたノリスの視線を受けて進み出た傍らの士官に、プリントアウトした書類とフラッシュメモリを手渡す。

 格納庫の出口に向かって歩きだしたノリスにやや遅れて歩き出す。

 

「貴官らが押さえたモビルスーツの()だがな……」

「何か?」

 歩きながら語りかけるノリスに、カイが応じた。

 

「暫定的な検証しかできていないが、なかなか興味深い結果だよ」

 歩みを止めないまま、首だけカイの方を向ける。

「あれは、殆どザクだな」

「はぁ……」

 眉間に軽く皺を寄せつつ沈黙を保つカイではなく、腑に落ちない様子のヤクモが声を漏らす。

「無論、細かい部品が全て同一という訳ではない。が……材質、内部構造ともに酷似している。ほぼ()()()()と言っても差し支えないほどにな」

 ノリスが口を閉じると、奇妙な沈黙が彼らの周囲を包んだ。四種の足音だけが響く。

「そう言えば……」

 ふと思い付いたという風に、ヤクモが口にする。

「あのモビルスーツのセンサー反応、ザクⅡに良く似ていたな。最初は、俺たちの目の前に友軍が展開しているかと思ったんだ」

「ふむ……」

 大佐と少佐が、異口同音の声を洩らした。二人とも、歩きながら何かを考え込んでいる。

 微妙になった空気に堪えきれなくなったのか、最年少のチカが、そっとヤクモの右腕を引っ張った。

 器用にも背伸びをしながら歩くチカが、考え込む佐官の邪魔をしないためだろう、歩調を緩めたヤクモに囁きかける。

「どういうことですか?」

 ちらりとチカを見たヤクモが肩を竦めた後で、傍らの親友に語りかける。

「滷獲したザクⅡの外装だけ代えて……ってことか?」

「……かも知れないし、そうではないかもしれない」

「どういうことだ?」

 普段、曖昧な言い方をすることの少ないカイが珍しく言葉を濁したことに、ヤクモも不信感を強める。

 

 歩き続ける四人は、無言のまま格納庫を出た。

 基地攻防戦の最終局面において振りだした雨は既に上がっているが、立ち込める湿気と足元に点在する水溜まりが、その名残を残している。

 折から吹き抜けた風が空気をかき混ぜ、熱帯特有の雨の匂いを際立たせる。

 司令棟に向かって歩きながら、ノリスが重々しく口を開いた。

「内通者……か」

「内通!? まさか」

「……それを否定する根拠もあるまい?」

 信じられないというように目を見張ったヤクモだが、カイからの問い掛けに口を閉じた。

 話の展開についていけないのか、チカは目を白黒させているだけだ。

「考えたくないことだが……ジオンも一枚岩ではない。それは君たちも知っていることだろう」

 カイの言うことを否定することは、ヤクモには出来ない。

 軍においても政界においても、ザビの一族を中心にした派閥の波は、確かに混沌と渦巻いているのだ。ある意味ではキシリアの手繰る糸に繋がっているヤクモも、それは漠然と感じていた。

 また、もっと小さいところで言っても、ザクⅡを持ち出した脱走兵を追跡したことも記憶に新しいことである。同じ組織に属するすべての人間が同じ方向を向いているとも限らない。

 現にヤクモもまた、「スペースノイドの真の自由と独立」を心の底から望んでいるのかと問われれば、即答出来ないのだから。

「まあ、ここで話したところで結論の出る話ではないな。この話はやめておこう」

 建物の入口近くで立ち止まったノリスが、若者たちの方に振り返り、立ち止まる。

「そうですね。何れにしろここで結論を出すことは出来ませんから。ああ、ヤクモにソラノ兵長。この話は呉々も他言無用で頼むぞ。余計な紛議の種は蒔きたくないからね」

 何かを吹っ切ったのか、或いは開き直ったのか。カイの口調が明るくなる。

 

 キシリアへの報告に通信室(オペレーティング・ルーム)を借りるため、ノリスとともに司令部に向かうカイと別れ、ヤクモとチカは仲間の待つ部屋に向かった。

 

 

           *

 

 

 ……部屋に入ったヤクモとチカが見たもの。

 それは、表情を変えることなくコーヒーを啜るマークと、その前で魂を抜かれたように天井を仰いでいるアンディ、燃え尽きているリカルド。二人とも、心なしか白くなっているように見える。

 そして、

「だから僕は嫌だって言ったのに、無理矢理……。うう、みんな非道いや……」

両手で顔を覆い、さめざめと嘆くウィリアム。

 一人離れた場所で、何故かその光景をにこにこと微笑ましく見守るレジーナ。

 

「何があった……?」

 

 一見してカオスな状況を全く把握できないヤクモが、半ば呆然と呟いた。

 

 

           *

 

 

 翌日。

 昨日までの雨雲が文字通り雲散霧消したインパール周辺は、目の奥まで染まるような青空が広がっている。

 基地郊外に終結した大鴉隊は、指揮官の号令一下、即座に行動できるようになっている。

「では、行こうか」

 部隊員よりやや遅れて合流したカイがホバートラックに乗り込みながら告げる。

 辛うじて自力歩行に支障がない程度に応急処置がされた愛機のコクピットから、ヤクモが通信を開く。

「これからどうするんだ?」

「当面はラサを経由してセヴァストポリ(我が家)へ。その後は……」

 やや言葉に溜めを作るカイ。続く言葉を、ヤクモのみならず全員が待つ。

「……オデッサを経てグラナダへ」

 目的地を告げられると、アンディが軽い調子で口笛を吹き、レジーナとチカが短い歓声を上げた。

「ふーん」

 感心したとも意表を突かれたとも言えない声を出したヤクモの目の前、モニターにカイの顔が浮かぶ。

「キシリア少将からの命令だ。今作戦の()()を持って一時帰還せよ、とね」

「なるほどね。次は何を仰せつかるやら」

「無理難題の類かな?」

 肩を竦めるヤクモに、カイが笑いかける。

「お、本人が聞いてないと思って言うようになったなあ」

「誰かの悪影響だろう。友人は選ぶべきだな」

「良く言うぜ」

 親友との他愛の無い会話を楽しみながら、カイは考える。

 

 僅か二ヶ月足らずとはいえ、それまでの環境と全く違う地上での戦いは、精鋭揃いともいえる部隊員の心の奥にも、確実に宇宙への郷愁を培っていたのだった。

 

 故郷を遠く離れて戦いを続ける大多数の友軍に対し、幾分申し訳なく思いつつも。

 

 任務と言う大義名分を得て、コロニー生まれの彼らにとって故郷である宇宙へ還る。

 

 終戦の糸口は未だ見えず、戦火は愈々地球全域に広がろうとしている。

 おそらく宇宙への帰還は、一時的なものであろう。

 それであっても。ささやかなものであっても。

 

 ――たまには役得があっても良いさ。

 

 当面、インパール基地に僅かな部隊を残してラサに帰還するアジア方面軍に帯同する。

 

 幾分浮かれながらも周囲への警戒を怠らずに進む、ヤクモ以下モビルスーツ隊の動きに満足しつつ、カイは穏やかな表情で腕を組んだ。




 今までに比べて、少し軽めになるようにしてみました。上手くいってるかわかりませんが。

 次はあの人やあの人がメインの番外編的な話を挟んでから新展開になる予定です。

 まだ原作に辿り着いてない……。嗚呼、時間だけが過ぎて行く……。

 ご意見、ご感想など常時お待ちしています。

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