ヤクモ・セト少尉は狭いコクピットの中で、加速によってかかる重力が自分の体をパイロット・シートに押し付けるのを感じていた。
無重力、無音の空間を、三体の人型兵器が疾駆していく。
ジオン公国が、地球連邦に先駆けて実戦投入したモビルスーツ、MSー05ザクⅠだ。
丸みを帯びた顔の中央で、特徴的な
バックパックのメインスラスターから、動力である核融合エネルギーの炎が噴出している。
その前方には、太陽光を浴びてくすんだ銀貨のように光る月。更にその先には、月の数倍、強く輝く蒼い惑星ーー人類の揺りかごが見える。
三体の先頭を進むのは左肩のショルダーアーマーに「01」のペイントがある機体だ。右手に280ミリバズーカを持ち、腰背部には120ミリマシンガンをラックしている。
他の2機も装備は同様である。
ただ、左肩に「03」のペイントがある機体ーー3番機だけは右肩の上に小型の発光器が取り付けてある。
レーダーや電子通信機器の伝達を阻害するミノフスキー粒子散布下で、発光信号による母艦との連絡役を兼ねることになる。
3機編成の先頭を行くザクⅠのコクピット内では、ジオン公国突撃機動軍第7モビルスーツ師団第5特務艦隊ムサイ級巡洋艦〈アードラー〉所属のモビルスーツ小隊長ヤクモ・セト少尉が、モニターに映る宇宙空間に集中していた。
比較的障碍となる浮遊物の少ない宙域ではあるが、高速移動中である。
万が一デブリ等に衝突でもし、戦闘前に機体を損壊でもしたら、笑い話にもならない。また、第一目標である地球連邦軍のパトロール艦隊との会敵予想時間も近づいている。
ザクⅠのセンサーの有効範囲は約2900メートル。そこまで接近した場合には、既に敵にも捕捉されていると思わなければならない。
未だ開戦していないとはいえ、既にジオン公国では開戦は避け得ぬものとして戦略が立てられている。
ジオン、連邦両陣営の緊張は既に臨界点に達しているのだ。「敵」の姿を見て突発的な行動に出る短絡的な輩が連邦軍に居ないとは限らないのだ。
ヤクモ達モビルスーツ小隊の後方にはアードラー以下ムサイ級三隻からなる特務艦隊、更に後方には突撃機動軍本隊が臨戦態勢になっているが、いずれにしてもこの宙域で真っ先に会敵するのはヤクモ率いる小隊の3人なのだ。用心に越したことはない。
ヤクモは僚機との間に通信回線を開いた。
「タスク1からタスク2、タスク3。今更だが、我々は敵パトロール艦隊を無力化するとともにグラナダ制圧の橋頭堡を確保するのが任務だ。具体的には連邦の宇宙軍港の制圧だ。宇宙港の位置は既に諜報部から報告のあったとおり」
一拍の間を置く。
「迅速な行動が作戦の要だ。敵パトロール艦は一撃で無力化できれば、後のとどめは後続部隊に任せればいい。無駄な時間をかけるなよ」
「タスク2、了解」
「タスク3、了解しました」
ヤクモの指揮下にいるマーク・ビショップ曹長とウィリアム・ウォルフォード伍長がそれぞれ応える。
マークはいつもながら冷静に。
ウィリアムの声にはやや緊張が混じっている。
「よし。以後は作戦終了まで無線通信はできない。俺はマゼラン級をやる。二人はサラミス級に向かえ。……各機、落とされるなよ」
ヤクモはそれだけいうと返答を待たずに通信を切った。
その直後。
ヤクモのインカムにアードラーのオペレーターからの通信が入る。
「アードラーからセト少尉。アードラーのセンサーに艦艇らしき反応を捕捉。11時の方向、距離約一万。仰角25度。反応は2つ。先偵察報告の連邦軍パトロール艦と思われます」
オペレーターからの歯切れのよい通信が耳を打つ。
「了解した。このままの速度だと接触まで何秒かかるか」
「120秒程度です」
「了解。このまま進む」
通信を切ると、ヤクモは右手で掴んだレバーを軽く倒した。
ザクⅠの体が僅かに沈み込むと、その頭上をデブリが通り過ぎる。
そのまま速度を落とさず進む。
それよりやや遅れて右側にマーク機、左側にウィリアム機が追従する。
*
次第に月のクレーターの形が鮮明になってくる。
地球から見れば月の裏側にあたる面、ヤクモ達の側から見た月の地表正面にある、一際大きなクレーターないに、人工の光点を無数に持つ機械的な巨大建築物がある。
作戦目標、月面第二の都市、グラナダである。
そして、グラナダの「上空」に二隻の艦影。
データと照合するまでもない。地球連邦軍の宇宙戦艦、マゼラン級とサラミス級だ。
ヤクモは戦艦の艦底に潜り込むように機体の進行角度を変えた。後続の二機がそれに続く。
前方のマゼラン級から目障りな赤い光が連続して発せられている。
停止を求める警戒信号である。
ヤクモはそれを黙殺し、更に連邦軍艦艇との距離を縮めて行った。
マゼランとの距離が見る間に縮まっていく。
コクピット内にアードラーからの通信が入る。
「公国軍総統府から全軍に通達。
その通信が終わるか終わらないかというところで、オペレーターの声にノイズが混じる。後方のアードラーがミノフスキー粒子を散布したのだ。
連邦軍艦艇に向けて宇宙空間を猪突する三機のザクⅠ。その先頭をゆくヤクモ機が左肩越しに後方の僚機を振り返る。
正面を向き直すと同時に左手を上げ、前に降り下ろした。
戦闘開始の合図である。
ヤクモはメインスラスターの出力を挙げ、マゼラン級に肉薄した。既に指股の間にある敵艦が眼前に迫る。
信号を無視されたマゼラン級の砲が、警告のつもりだろうか。緩慢にこちらに向きを変えようとしている。
モニターの中に映し出される敵艦の艦橋が大きくなって行く。
艦橋内に見える連邦兵の顔が恐怖と驚愕に歪むのが見えた気がした。
刹那。
ヤクモはスロットルを倒した。
ザクⅠの体躯が急激に沈みこみ、マゼラン級の下に潜り込んだ。
右手に持つ280ミリバズーカを肩に背負うように構えた。
コクピットのモニター中央に、バズーカと連動した照準がある。
円と十字形を組み合わせたような照準が、戦艦下部を捉えて赤く変わる。
文字どおり戦争の引き金を引くことになる。
殺さなければ殺される、地獄のような日々が始まることが、容易に想像できた。
無意識に脚が震えている。
口が異常に渇いている。
だが……。
(今やらなければ、いずれこっちがやられる……!)
既に決めていた筈の覚悟だ。
逡巡は恐らく一瞬のことだったであろう。
ヤクモはモニター上にロックオンされた敵艦を見据え、トリガーを引いた。
*
地球連邦軍グラナダ基地パトロール艦隊のマゼラン級戦艦〈エディンバラ〉の艦橋はざわめいていた。
サイド3から月に向かって進行中のジオン艦隊の姿は、大分前からレーダーに捕捉していた。
艦隊に先だって迫ってくる3つの反応は、ジオンが配備を進めているという噂のモビルスーツとかいうものだろうか。
連邦軍内では、依然としてモビルスーツに対する懐疑的な意見が主流である。
電子機器の誘導による戦艦の大口径砲による砲撃、そして航空戦力による
旧態依然とした、だが過去に確かな実績を持つ、既に「定石」と化した戦術。
だが、連邦軍中でもその優位性を疑うものは殆ど居ない。 マゼラン級エディンバラの艦長もその一人である。
軍に身を置く者として、ジオンにおいて急ピッチで開発、配備が進められている新兵器の情報は当然耳にしているが……。
ーー人型のロボットなど、所詮趣味の域を出ない無用の長物ではないか。いざ本当の戦いとなった場合、ジオンの技術者どもは自分たちの発明が無駄に終わったと知ってどんな顔をするのか、見物である。
そう言って笑い種にしていた圧倒的多数の一人であった艦長は、しかし、言い知れぬ不安が胸に迫り来るのを不快感とともに自覚し、周囲のクルーに聴こえないほど低く舌打ちした。
程なく艦橋正面のスクリーンに映し出された物は、光を背負って接近して来る、3体の緑色の巨人の姿であった。その先頭を進んでくる機体の〈顔〉の中央部にあるスリットの中で、赤い単眼がこちらを真っを睨め付けている。
(オモチャが生意気にガンつけてやがる)
不快感を露にした艦長は、苛立ちを隠そうともせずオペレーターに怒鳴った。
「停止信号を出せ!! ジオンの奴ら、何のつもりだ!」
言葉の後半は明らかに苛立ちをぶつけただけである。
ジオン公国等と自称しているが、実態は地球連邦政府の支配下にあるコロニー群であるに過ぎない。軍事演習には当然連邦に対する通知が必要である。
無論、グラナダ基地にそのような報告は入って居ない。サイド3の駐在士官からもジオン軍の行動に関する報告はなかった。
ジオンの作戦開始に先立ち、〈ズム・シティ〉の連邦軍駐屯地が秘密裡に占拠されていたことなど、エディンバラの艦長には知る由もないことであったが……。
「随分挑発的じゃないか。奴らは喧嘩を吹っ掛ける気か?」
後日このジオンの動きをネタにしてスペースコロニーを糾弾する。宇宙移民ども、一層締め付けてやるぞ。
苦々しくそう思う艦長には、依然としてジオンのこの行動が戦闘行為に直結するものとは思えなかった。
スペースコロニーに対する地球の絶対的な優位性を信じる艦長は、ジオンに連邦と戦争をする力など無いと信じていたのだ。
「艦長! ジオン部隊、停止信号に従いません! 依然本艦に向かってきます!」
オペレーターの声は恐慌寸前まで緊張している。
艦長は今度は高い音を立てて舌打ちした。
「主砲を向けつつ信号を出せ!! 『停止せよ、さもなくば攻撃す』だ!」
エディンバラの主砲が接近する敵機に向き始める。
が、機械人形はそのまま艦橋に向かって直進してくる。
肉薄する単眼が異様に禍々しく見える。
艦橋のクルー達が口々に声を出す。ある者は驚愕の、またある者は恐怖の声を。
ーーぶつかる……特攻か!?
艦長が瞠目した次の瞬間、艦橋に迫る単眼が視界から消え……足元から吹き上がった爆風が艦橋を蹂躙した……。
*
280ミリバズーカから飛び出した弾頭は、艦底部に突き刺さって炸裂した。
無音の閃光が宇宙の漆黒を朱く染める。
艦橋が焔に包まれるのをモニター越しに確認したヤクモは、それでもなお主砲を振り回すマゼラン級を無視し、サラミス級の姿を探した。
艦橋を破壊され、レーダーと通信設備……目と耳を喪った戦艦など、今のヤクモにとっては艦船模型程の価値もなかった。
マゼラン級の下から上方へ躍り出たヤクモ機のモノアイが、サラミス級の周りを翔ぶ僚機の姿を認めた。
サラミス級が焔に包まれるのを見届けることなく、ヤクモは機体を月に向けた。
地球から見た月の裏側。
巨大なクレーターの中にグラナダ市がある。
クレーター内を埋め尽くす巨大建造物を左に見ながら、ヤクモは月面に向かった。
サラミス級を仕留めたマーク機とウィリアム機がそれに追従する。
ヤクモは月面に達すると、一度ザクの両足を地に付けたが、すぐに月面を蹴った。
機体を前傾させてスラスターの出力を上げる。
月には、地球には及ばないまでも重力がある。
モビルスーツの機動自体に影響は無いが、月の重力圏にいる以上慣性飛行を続けることはできないのだ。
グラナダを左に見ながら、月面すれすれを滑空する。
ヤクモは、コンピュータを操作してモニターの隅にグラナダ周辺の地図を表示した。
諜報部から事前に送られた地図上、連邦軍宇宙港の位置が赤く表示されている。
ザクの現在位置をリンクさせると、機体の座標が光点となって地図上に現れた。
宇宙港に座標を合わせると、ヤクモは月面に視線を移した。
一分ほど猛進したところで、ザクⅠのレーダーが熱源を捉えた。
程なくしてヤクモは目を細めた。
正面の地表が長方形に口を開け、其処からマゼラン級の艦橋がゆっくりと上昇してきている。
パトロール艦隊が攻撃を受けたことを基地から確認したのだろう。艦隊が迎撃のために出動するのだ。
「遅い!」
ヤクモは低く叫んだ。
敵を目前にして発艦するなど愚の骨頂だ。
モビルスーツの機動力からすれば、未だ発進していない戦艦など寝惚けた家鴨に過ぎない。
艦橋の間近で急上昇すると、艦橋の真上からバズーカを放つ。
忽ち爆発に包まれたマゼラン級は、三分の一程月面に出したその巨体を、港内に沈み込ませていく。
ヤクモはバズーカを撃った反動を、機体の左腕を降った反動を利用して制御すると、港口間近に着地した。
港口から吹き上がった爆炎がザクⅠの表面を赤く染め上げる。
ヤクモ機の両脇にマーク機、ウィリアム機がそれぞれ着地した。
ヤクモはザクⅠの左腕をマーク機、右腕をウィリアム機に接触させると、〈お肌の触れ合い〉通信を行った。
「ウィルはここに残ってアードラーに突入口確保の信号を送れ。マークは俺と一緒に港内に突入するぞ」
「二機でですか? 後続を待った方が良いのでは?」
ウィリアムが不安げに応じると、
「隊長も二機で基地を制圧しようとは思っていない。後続部隊の突入を楽にしてやるだけだ」
マークが応える。
「そういうことだ。行くぞ」
ヤクモはウィリアム機に向けて左腕でサムズアップをすると、港口に向かってザクⅠを滑り込ませた。
*
……混乱する軍港内に突入した二機のザクⅠは、後続のモビルスーツ小隊と連繋して連邦軍の散発的な反撃を一蹴、軍港からグラナダ市街地、連邦軍基地へと続く連結通路を確保。
先発した特務小隊の誘導により苦もなく基地内への侵入を果たした突撃機動軍本隊の陸戦隊は、月面地下に展開する連邦軍のグラナダ基地を急襲、難なく制圧した。
ジオン系企業が多数存在し、ジオン公国へのシンパの多いグラナダ市民は、ジオン軍の進駐に当初は困惑をもって応じたが、やがてジオン公国の独立宣言と地球連邦政府への宣戦布告が知れわたるや、寧ろジオン軍を好意的に迎えるに至った。
1月3日午前8時50分に地球連邦軍本部が全軍に戦闘開始命令を発した直後。
ジオン公国軍は宣戦布告から半日を経ずしてグラナダでの戦闘行為を終結。
制圧部隊に次いで月面都市に降り立った突撃機動軍司令キシリア・ザビ少将はグラナダ市長に接見してジオン公国による制圧を宣言、連邦軍基地施設を接収し、突撃機動軍指令部を設立した。
ようやく1話・・・文章書くのってムヅカシヒ。
そして、気付いたら読んでくれてる方がいるのですね!Σ( ̄□ ̄;)
ありがとうございます!( ̄- ̄)ゞ