一年戦争異録   作:半次郎

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第15話 権謀の宇宙

 時間軸はやや前後し、大鴉(レイヴン)の名を冠するジオン公国軍特殊部隊が、中国方面での任に当たっている頃。

 彼らから絶対的な距離において遠く離れた月、地球から見た「裏側」に位置する、月面第二の巨大都市、グラナダ。

 遠くない過去には、月の盟主〈フォン・ブラウン市〉の経済的、文化的な盟友(パートナー)であり、また、好敵手(ライバル)として隆盛した都市である。その経済的な地位に変わりはないが、現在では、この都市はそれ以上に重要な意味合いを持つ。

 開戦とほぼ時を同じくして、ジオン公国軍突撃機動軍の司令部が置かれた為である。

 その長は、公国元首デギン・ザビ公王の長女にしてジオン軍総帥ギレン・ザビの妹、ジオン軍突撃機動軍司令、更には地球方面軍総軍への指揮監督権を持つキシリア・ザビ少将。

 必然的に、キシリア少将の統率する軍、部隊、或いは研究施設まで、多岐にわたる機関の本部施設、又は分室が設置され、純軍事的にも重要な拠点と化している。

 地球と異なり大気の滞留しない月の特性ゆえ、月面都市の構造物は地表に立つ部分はごく一部。地下に向かって伸びるグラナダ市街の中心部に位置するオフィス群の一角に、それはある。

 

 ジオン公国突撃機動軍司令本部。

 キシリアの統べる軍組織の中枢であり、政治的にもギレン・ザビ総帥、宇宙攻撃軍司令ドズル・ザビ中将とともに国内に鼎立する〈キシリア派〉一統の拠点と目されている。

 現在、対地球連邦の最前線に立ち、馴れない地球環境下において苦戦しつつも着実にジオン公国の版図を拡げる地球方面軍を実質的な統率下に置いている現在、キシリアの政治的、軍事的な発言力はギレンに次ぐ。国家元首である公王デギン・ザビ、その公王に近しい〈デギン派〉の重要人物であり、公国の内閣を取り仕切るダルシア・バハロ首相であっても、最近ではその主管である国内政策についてすらギレンのみならずキシリアの顔色をも窺って立案しているーーというのも、知る人ぞ知る公然の秘密。

 直ぐ上の兄ドズルを凌ぎ、公国の事実上のナンバー2としての権限を振るい得る現状は、当面キシリアにとって満足すべきものと言えた。

 

 今後は、戦局を見据えつつ、国内の反ギレン派、中立派等の取り込みも必要になってくる 。

 

 司令本部内の執務室で決裁書類の束を繰りながら、キシリアはふと思い立ち、一人首を振った。

 

 そこまで実行に写すのは、未だ時期尚早というものだろう。

 概ねジオン優勢のまま推移しているとは云え未だ戦局は安定を見ず、連邦の拠って立つ地球の大半を占拠したとは云え、ジオンの勝利が確定した訳でもない。

 大規模の作戦に悉く勝利を収めてきたものの、両陣営の国力差は未だ縮まらず、その勝利とて裏を返せば紙一重のものばかりである。

 開戦までの周到な準備の差と、モビルスーツの有無。

 大雑把な見方をすれば、ジオンが連邦に勝っているのはそこしかなかった。

 今後、ギレンがこの大戦をどのように主導していくか、その腹積もりはキシリアをもってしても計り知れないが、何らかの要因――例えば、連邦のモビルスーツ開発のような、ちょっとした切っ掛けでいつ戦局が引っくり返るやも知れないのだ。

 仮に連邦に逆転を許しジオンが敗者となった場合、ジオンの中枢にあり戦争を主導してきたザビ家一党を待ち受けるものは、戦争犯罪者として、そして反連邦思想を持つ者への見せしめとしての断頭台以外にあり得ない。

 一個人の保身は兎も角、ジオンの軍司令としてまず考えるべきはこの戦争の勝利であり、「戦後」に思い至らせるあまり国内に不協和音の種を撒き散らすような工作は、未だ慎むべきであった。

 一身の利権と地位に恋々とし、派閥争いに汲々とするあまりに敵国への対応を誤り、遂には自国の廃滅を招いた愚者が有史以来どれ程の数いたことか。

 まず対応すべきは表面上の敵である連邦。

 その敵を前に内輪揉めの醜態を晒すことは避けたいところであった。

 みすみす、旧世紀の敗者の轍を踏むことはないのである。

 

 自分を改めて納得させ、書類の束に意識を集中させたキシリアの書類を捲る指が止まった。

 とある報告書の表題を見、次いで内容を読み進めるにつれ、意識せず険のある目付きに変わって行く。

 報告書を読み終えたキシリアは卓上の電話に手を伸ばした。

 ワンコールで応答した秘書官に、簡潔に用件を伝えると受話器を置き、書類の束に視線を戻す。

 先程の報告書を脇に除け、次の報告書を読み進めた。

 キシリアの元には日々膨大な量の報告書が上げられてくる。

 重要性、緊急性のない事後決裁の書類も決して少なくない。

 その玉石混淆の書類の全てに一通り目を通し、真に必要な情報だけを要領よく抽出する。

 そして、対応の必要があれば措置を下す。

 毎日繰り返すとなると根気のいることだが、一軍の長として、麾下数十万の将兵の身命を預かる身として、決して避けては通れないことだ。そして、それにももう慣れた。

 全ての書類に目を通し終え、一息入れることもなく、書類束から抜き出した報告書を、再度手元に取り寄せ、読み返した。

 そこに記載されていたのは、遠くオデッサにいる腹心マ・クベからの、放置すべからざる報告。

 

 ――連邦軍のモビルスーツ開発について。

 

 無論詳細が記されている訳ではなく、「アジア方面において連邦軍部隊の中に〈人型〉と思しき兵器を見た」程度。だが、時にそれはキシリアの顔色を変えさせるに充分な報告であった。

 驚きよりも(いよいよ来るべき時が来たか)という思いが強い。

 事細かな経緯を知りたいと思う反面、至急の報告を要する事柄について、断片的な情報であっても手元に置くことなく、早急に報せてきたマ・クベの判断に軽い満足も覚える。

 ジオン公国とて、元来が地球連邦政府の支配下にある宇宙生活者(スペースノイド)が、自治独立を求めてその支配の軛に抗い、離反したもの。

 ジオン陣営においてモビルスーツ開発に傾注し、連邦軍内部でそれが軽視され、大艦巨砲主義が常態化してきただけの方向性の違いこそあれ、科学技術分野において大きな差が在るわけではないのだ。

 何れ連邦においてもモビルスーツ開発が始まるであろうことは、キシリアに限らず、最低限冷静な分析力を持つ人間であれば、自明とも言える理論であった。

 寧ろそこから先、連邦において今後開発されるであろうモビルスーツの性能、それへの対応こそが軍を統べるものとしての進化を問われるものであろう。

 

 右手の人指し指でリズミカルに机を叩きながら、キシリアは考える。

 

 ――さて、この情報、如何にすべきか。

 

 現時点で総帥府(ペーネミュンデ)や宇宙攻撃軍の筋から何の情報も無いということは、可能性は二つ。

 一つは無論、ドズルのみならず、ギレンですらこの類いの情報を掴んでいないということ。

 もう一つの考えられるケースは、ギレン乃至ドズルが情報を入手していながら、敢えて情報の共有化を避けている場合。

 後者の場合、更に考える必要があるのは、情報を持っているのがギレンだけか、ドズルだけなのか。或いは両者ともに知っていながら、キシリアにのみ情報を伝えていない可能性は無いのか……。

 否、ドズルが敢えて情報を秘すことは、可能性としてあっても現実としては考え難い。

 国内にあって共に一軍を率いる兄、ドズル・ザビ。キシリアの知るその性格は、良く言えば裏表がなく、剛腹。

悪く言えば直情径行な面が強い。良くも悪くも感情が豊富で、恩讐ともに深い。

 ザビ家中にあっては珍しく政治に関心を抱かず、寧ろ政争の場から自身を遠ざけ、一軍の将に徹しているが、決して無能でも単純でもない。

 自分の感情を押し殺して事に対応する柔軟さもないわけではない。

 そして、父公王と同様、末弟のガルマを溺愛し、その器量と将才の開花を心待ちにしている。

 その性格から察するに、ドズルが連邦の新兵器開発の噂などを耳にすれば、自軍への影響と、さらには遠く地球に在るガルマの身を案じるあまり、大騒ぎをするに決まっている。

 もう一方、ギレンの考えは、キシリアをもってしても読みきれるものではない。

 この戦争の大義名分である「宇宙移民(スペースノイド)の真の独立と自由」という謳い文句を、己の野心の為の単なる口実として利用していることは明らかであろう。政治を主導する者にとって、自分以外の第三者の幸福を純粋に希求した果ての戦争など有り得ないからだ。戦争という非常の、或いは非情の手段を選ぶからには自陣営と、自分自身にも相応の見返り(リターン)を見越してのことであろう。

 ギレンに劣らず野心的なキシリアにとって、それを即非難する気にもならない。

 見え透いた野心などどうでもよい。

 問題は、ギレンがこの戦争の()()()()をどう考えているか、である。

 未だ人類が、地球という惑星が広大無辺の宇宙の辺土であるという認識に辿り着かず、自分たちの頭上にある天を、神々のおわす神聖な世界だと誤解していた時代から、圧倒的に国力の劣る勢力が優勢な陣営を完全に駆逐し得た事など無い。

 戦況が優勢に推移し、両軍が疲弊の極みに至る直前……欲を言えば敵に対して味方が些かなりとも余力があると思わせた時点で、少しでも此方に有利な条件で講和に持ち込むのが常套手段と言うものだ。

 その機を逃し、ずるずると戦争を継続したばかりに停戦の機を逸し、最終的に破れ去った例は、歴史上に事欠かない。

 良くも悪くも、かつて地球の「極東」と呼ばれた地域に傲然と聳え立っていた島国の帝国は、範とするに価する。

 圧倒的に国力の勝るロシア帝国に対して死力を振り絞り、紙一重の優勢を維持しつつ、最終的に外交努力によって有利な条件での講和に持ち込んだのが、当時の日本という国家にとって奇跡的に成し得た成功であり、反面、その純軍事的な紙一重の勝利を過信した挙げ句、その約40年後の大戦において、引き際を誤ってあわや民族滅亡の瀬戸際にまで立たされたのが、外交を正しく成し得なかった故の失敗であろう。

 省みて現在のジオンが置かれた立場は、強大な地球連邦に対してスペースノイドの自由と独立を求めて兵を挙げたという点において、当時の欧米列強に対してアジア地域と自国の自由独立を謳い上げて開戦に踏み切った日本帝国と、似ていなくもない。

 ならば、その戦争の終え方をこそ、真似てはならないのだ。

 キシリアにとって読みきれぬギレンの思考の最たるものが、その停戦の機である。よもやこのまま地球圏の全てを支配するまで徹底的に戦争を継続する腹積もりとは思えないが……。

 

 つい埒もないところまで深読みしたキシリアが、連邦軍のモビルスーツに関することに思考を戻した。

 ギレンが、連邦のモビルスーツ開発に関わる情報を掴んでいながら、前線を束ねる将帥に報せずに握り潰している可能性について。

 ギレンの思惑は計り知れないが、その件については否定的に考えた方が話が通りやすい。

 連邦軍で開発中のモビルスーツとやらが、今後どう戦争に影響していくか。戦争の行方そのものを左右するほどのものなのか否か、と考えた場合、大戦を壟断するギレンにとっても、隠しておく理由がないのである。

 連邦が極秘利に開発し、満を持して戦地に送り出す新兵器。

 それが現在のジオンの戦線を支えるザクⅡ系モビルスーツの性能を大きく凌駕していた場合、戦局が一挙に裏返るかも知れないのだ。ならば、情報を掴んだ時点で軍首脳部において共有化し、早急に対応策を検討する必要がある。

 裏表すら定かならぬ、油断のおけないギレンであっても、戦争そのものを喪いかねない情報の扱いを誤る筈がない。

 それは、水面下での政治的敵手である長兄に対する、一種倒錯した形でのキシリアの信頼と言っても良かった。

 結局はーーマ・クベがいかなる手段に依ったかは不明なままだがーーギレン自慢のペーネミュンデをも上回る手際の良さを見せたということであろう。

 そうと決まれば、キシリアの打つ手も必然的に決まってくる。

 折から執務室に姿を見せた秘書官に対し、キシリアは秘匿通信用の回線を用意するよう命を下し、立ち上がったのであった。

 

 

           *

 

 

「久しいな、キシリア。お前からの連絡とは珍しいが、一体何事だ?」

 モニター越しに、久方ぶりの姿を見せた妹に対するドズル・ザビの第一声は、それであった。

 訝しい事とまではいかないが、珍しい事には違いない。キシリアから直接連絡が来た事など、いつ以来であったろうか。

 ともに軍司令として重責を担う身、公私の別を弁える必要はあるものの、互いに率いる軍同士の連携と意思統一を図る意味では、もう少し連絡を取り合った方がベターであろう。

 尤も、この件に関してはドズルにも非がないわけではない。

 若いときから政治の表舞台に身を置き、今や公国の最高権力者となり得たデギン公王の子でありながら、父と同じく早くから政治活動に投じたギレン、さらにその長兄を政治的に凌ごうと欲する妹と違い、ドズルは敢えて政略から身を置き、武人たろうと望んできた。

 かつて宇宙移民の独立を希求し、未だ「建国の祖」として位置付けられ、一部で敬われ続けるジオン・ダイクン。その頓死に端を発する、サイド3を中心とした政変の余波ともいえるテロ事件によって次兄の死を目の当たりにした陰惨な記憶が、ドズルに政治の陰の部分を際立たせて見せているのかも知れない。

 

 ドズルとて、戦争がそれそのものとして独立して存在する事象である等という、軍人にとって都合の良い幻想を抱いている訳ではない。寧ろ戦争とは政治手段の一つであり、外交上の一種の忌み子であるという点については、一族中誰よりも長く、深く軍事に接してきたドズルが一番理解しているかも知れなかった。

 自らも公王の系譜に連なる身。部下の中には、政治的な思惑を孕んでドズルを仰ぐものが居ることは、当然気付いている。

 それでもドズルは、敢えて自らは政治の舞台から一歩身を引き、軍司令の立場にあって前線に臨むを佳しとしてきたのである。

「ご無沙汰しております、ドズル兄さん。兄さんにはご健勝の様子……安心しました。ゼナ義姉(ねえ)さまにもお変わりはありませんか?」

「うむ、特段何もない。ゼナも母子ともに健康だ」

 一見どうということもない世間話をしながら、ドズルは内心苦々しく思う。

 何時から始まったことかも思い出せないが、キシリアが当たり障りの無い話を始めるときは、大抵相手に探りを入れている時。その後に続くのは無理難題か、そうでなくとも厄介事……控え目に言っても厄介事の種になりそうな話に決まっている。

「それで? 態々(わざわざ)俺やゼナの体調を気遣って連絡を寄越した訳ではあるまい? お互いそれほど暇でもないと思うがな」

「これは……妹が兄夫婦にお変わりないか聞くのがそれほど不自然でしょうか? 義姉さまの御身には、次代のジオンを担う御子が宿っておられるというのに?」

 ごく僅かな沈黙を破った、嫌味の成分の強いドズルの問い掛けに答えたのは、揶揄するような妹の声。

 

 ーー兄妹ならばこそ、回りくどい真似はよせ。

 あわや喉元まで出かかったその声を抑えて口を真一文字に食いしばると、低い唸り声が漏れた。

 そのドズルにモニター越しの冷やかな視線を送っていたキシリアの口が開く。

「まあ……兄さんの仰有るとおり、世間話に興じる暇がないのも事実。本題に入りましょう」

「うむ。何ぞ異変でもあったか? まさか、地球のガルマの身に何かあったのではあるまいな?」

 父と同じく末弟を溺愛するドズルが、唸り声に似た口調で問い掛ける。

 

 過保護も程々にせよ。

 その想いを目に込めたキシリアだが、口にしたのは別のこと。

「近ごろ把握した連邦の動きに不穏なものがあるようで……兄さん。連邦のモビルスーツ開発についてはご承知ですか」

「〈V作戦〉とやらいうやつか? 聞いたことはある。実態の知れぬ噂程度だがな」

「どうも連邦の動きも早まっている様子。地球の連邦陣地で〈人型〉を見たと……地球の部下が報せを寄越しました」

「……何だと?」

 ドズルの目の色が変わる。

 それまでの、一般の兄妹の常に当てはまらない肚の探り合いに辟易するような表情が為りを潜め、一瞬にして戦地にある武人の表情になる。

 2メートルを越す巨躯、額と顎に生々しく残る傷痕。その風貌と豪放な性格は、時として接するものに粗野な印象を与えるが、決して単純でも無能でもない。

 緒戦の〈ブリティッシュ作戦〉や、〈ルウム戦役〉での部隊指揮で判るように戦術眼は非凡であり、戦略を見通す識見も有している。

「連邦のモビルスーツ……既に実戦に出せる段階と言うことか?」

 ドズルの問い掛けに、キシリアは頭を振った。プライドが高い割に無駄な見栄を張らないのは、ドズルも認めるキシリアの美点である。

「そこまでは判りません。ですが、前線に姿があるということは、その可能性は否定できないかと」

 三度唸り声を上げたドズルが、さらに問い掛ける。

「キシリア。この話……兄貴には?」

「まだです。総帥へのご報告は、兄さんと対応策を検討してからの方が良いかと」

「うむ、そうだな。……早急に真偽を確認する必要があるか」

 その言葉に、キシリアは心持ち目を細めた。

 話が早い。

 兄に対する幾分の警戒と賞賛の微妙なブレンド。

 だが、無論、口にしたのは内心の感想ではない。

「はい。可及的速やかに調査すべきかと。ただし、こちらも些か手一杯な状態でして……」

 端的な言葉であったが、理解の色を示したドズルは即断した。

「判っている。地球に現れた以上、宇宙も警戒を要する。宇宙の調査は此方で受け持とう。シャアにやらせる」

 ドズルの発した固有名詞に、キシリアが反応を示した。

「ほう……あの〈赤い彗星〉に」

「まだ若いが、モビルスーツの操縦に長けているだけではない。目も鼻も利く奴だ。……能力に不足はない筈だが、何か不満でもあるか?」

 最後の問い掛けは、シャアの名を聞いたキシリアの意外そうな顔に対してである。

「いえ、何も。……適任かと」

 そう答えながら、内心でドズルの措置に舌を打ちたい気持ちになる。

 〈赤い彗星〉の異名を持ち、一部では〈ニュータイプ〉とも囁かれる宇宙攻撃軍のエース、シャア・アズナブル。

 そのカスタムされた赤い軍服と、人前で決して外さないアイマスクという目立つ出で立ちに違わぬ実力で、かねてから話題に上っており、ルウムでの華々しい戦果によってその名声を不動のものとした、押しも押されぬジオンのトップエースである。

 この地球侵攻を機にマ・クベがドズルの元から引き抜こうとしており、優秀な手駒を欲するキシリアもまた、ヘッドハンティングの機会を虎視眈々と狙っていた一人だ。

 〈赤い彗星〉を敢えて裏方の任務につけてなお、ドズルの陣営には余裕がある。

 幕僚には、切れ者として名高いラコック。艦隊指揮官のダニガンとコンスコン。自らもパイロットとして高名な上、部隊指揮も出来るカスペンに、〈青い巨星〉ランバ・ラル。パイロットにも、〈白狼〉シン・マツナガという〈異名持ち〉のエースに加え、最近頭角を現してきたアナベル・ガトー、ケリィ・レズナー等。

 キシリアの突撃機動軍に優るとも劣らない層の厚さを誇っている。

 その中で即断でシャアの名を挙げたのは、シャアならば、不測の事態に遭遇しても臨機応変に対応できる筈という信頼は勿論、シャアを華やかな最前線から外しても、些かも陣容に影響がないという、キシリアに対しての誇示もある。

「シャアには、〈ルナ2〉周辺の哨戒と〈V作戦〉に関する諜報に当たらせよう」

「……では、此方は地上での諜報に部下を当てます。兄さんのが宇宙、私が地球……当面この体制で調査を進める、ということで総帥には伝えておきます」

「わかった。ガルマには、俺の方から油断しないようにと伝えておこう」

 厳密に言えば、ガルマ・ザビの所属する地球方面軍はキシリアの指揮下にある。そこへ「宇宙攻撃軍のドズル・ザビ中将」から軍務に関する連絡を行うことは筋が違う。

 しかし、ドズルの個人として、兄としてのガルマへの溺愛の度合いは、キシリアが呆れるほどのもの。折を見てガルマに()()を垂れたいのであろう。

 形式に拘った正論でドズルが臍を曲げても詰まらぬ。

 内心呆れつつ、キシリアは沈黙を保って通信を終えたのであった。

 

 

           *

 

 

 座乗艦であるチベ級重巡洋艦〈パープル・ウィドウ〉に、随伴するのはザンジバル級機動巡洋艦〈ラグナレク〉一隻という、国家の重要人物としてはごく僅かな警固で〈ズム・シティ〉に現れたキシリアの姿は、無論万人の目に留まったわけではないが、軍務に就く一部の人間を混乱させたことは確かであった。

 ジオン公国を事実上統べる総帥ギレン、その父である公王デギンは、不意打ちともいえるキシリアの帰還に当たり、少なくとも表面上は何の気色も見せることは無かったが、内心に意外な思いを抱いたことは否定できない。

 

 キシリアがズム・シティに到着した翌日、予定外の会談の場となったのは、ジオン政庁の一角にあるデギンのプライベートエリアの中の一室である。厳重に警備された政庁の中でも、最もセキュリティの強固なエリアである。

 室内にいるのは、デギンとギレン、そしてキシリアの3名。

 それ以外には、内閣を統べるダルシア・バハロ首相の姿も無ければ、ギレンの懐刀、親衛隊のエギーユ・デラーズ大佐の姿も無い。

 見ようによっては、ザビ家の内々の面談だが、室内に居る者たちも、この会談の存在を知るごく少数の人々も、そのような解釈をする者は一人もいなかった。

 政治と軍の中枢に在る支配者の一族、その中でも特に中央の政治に影響力を持つ三人が顔を合わせているのだ。

 何かしらのきな臭さを感じない人間がいたとしたら、余程の能天気と言うしかない。

 剣呑な態度を取っている者は一人もいないが、室内には、気の弱い人物であれば即座に胃の痛みを訴えるほどの緊迫感が満ちている。

 豪奢な椅子に座り、静かに目を閉じているデギンの顔をちらりと見た後、ギレンが口を開いた。

「こうして直接顔を会わせるのも久方ぶりだが……用件を聞かせてもらおうか、キシリア?」

 ギレンの眼光が、マスクを外しているキシリアの素顔に突き付けられた。

「はい。至急に公王の裁を仰がねばならぬ案件があります」

 微塵の気後れも見せずギレンの眼光を受け止めたキシリアが言う。

「かねてから噂にあった連邦のモビルスーツ開発。こちらの予想よりも動きが早いようです」

 それまで、眠っているのかと疑いを持たれるほどに身動きしなかったデギンが、ゆっくりと目を開く。

「詳しく話せ、キシリア。どれ程のものかは判っておるのか?」

 デギンの問い掛けに、キシリアは報告書の内容を細大漏らさず説明した。

「未だ如何程のものかは判りません。ですが、早急に調査を進める必要は有ります」

 深い息を吐いて再び沈黙し、思案顔となったデギンに変わり、ギレンが口を開いた。

「尤もな話だな。で、どのようにするつもりだ?」

 デギンと違い、ギレンの口調には緊張や焦燥の要素は認められない。寧ろキシリアの識見を吟味するような余裕すら漂わせている。

「当面は当方で目撃のあった周辺を調査させます。加えて〈ルナツー〉周辺宙域でドズル中将の部下が諜報に当たるよう、手筈を調えています。……ガルマには充分な警戒と、くれぐれも軽率な振る舞いを自重するよう、中将から連絡済みかと。ご安心を、公王陛下」

「陛下はよせ。ここには他に誰もおらぬ」

 慇懃無礼ともとれるキシリアの言動に、デギンが苦言を呈した。

 失礼しました、父上、と短く答えたキシリアに向かって、ギレンが頷く。

「成程、捨て置けん話だ。宜しい、この件に関してはお前とドズルに任せよう。成果を期待する」

「お任せを。……それと、他にもご裁可を頂きたい件がございます。今後地球進攻を推し進め、その統治を盤石にするためには、連邦の海洋通商を抑圧し、点在する陸地をそれぞれ分断するのが効果的かと。……その為の海洋諜報部隊の設立と、海洋拠点の確保を提案します」

「うむ、宜しい。検討しよう」

 余裕な態度を崩さず、鷹揚に頷いたギレンに対し、キシリアはごく短い礼を述べつつ、心中では寧ろ疑念を抱かざるを得なかった。

 最終的には認めさせる腹積もりであったとはいえ、キシリアの案を安易に採決しすぎるように感じたのである。

 キシリアがギレンを政治的な敵と認めているのと同様、或いはそれ以上に、ギレンがキシリアの行動を警戒して然るべきなのである。

 キシリアも、当然のように長兄から警戒されていることは承知している。事実、現在キシリアの下で特殊部隊を率いて地球にある、カイ・ハイメンダールも、転属前の所属はギレンの統括する参謀本部。ギレンから何かしら言い含められていることは容易に推測できる。

 キシリアの発言力が強まることは、ギレンにとって、決して好ましいことではない筈だ。

 キシリアの思惑など歯牙にも掛けぬという余裕なのか、それとも何らかの秘策を秘めているのか……。

 互いに黙り込んだ兄妹を、均しく冷やかに見つめていたデギンが、重々しく口を開いた。

「話はこれで終わりだな。二人とも、もう下がれ」

 

 

           *

 

 

 ギレンの態度に解せぬものを感じつつ公王の前を辞し、政庁内の執務室に戻ったキシリアを待っていたのは、随行してきたバロム大佐である。

 立ち上がって主君を出迎えたバロムに、キシリアが告げる。

「裁可は下りた。予定どおりに進める」

「はっ。では、取り急ぎ〈鴉〉に連絡を取ります」

 優雅な仕草で椅子に腰掛けたキシリアが、悠然と頷いた。

「ところで……」

 言いかけたキシリアだが、珍しく言い淀んで口をつぐんだ。

 続く言葉を待つバロムに、

「良い。手筈を進めよ」

 素っ気なく手を振って目の前から下がらせた。

 ーーところで、〈大鴉〉の坊やたちをどう思うか。

 バロムに問い質そうとしたてやめた言葉を、脳裏で反芻する。

 バロムは部下に対して良く言えば寛大、悪意をもって捉えれば疑うことを知らず、甘すぎる節がある。士心をとらえることに長け、その統率する部隊は常に高い士気と規律を保つ。

 得難い男ではあるのだが、部下に対しての処遇を相談するには、さほど適した男ではない。

 敬礼をして退出するバロムを見やりながら、頭の中では〈大鴉〉隊を率いる男のことを考えていた。

 能力は申し分無し。現在に至るまで、キシリアに取って不利益となる言動もない。寧ろキシリアの抜擢に応えるように、着実に成果を上げ続けている。

 だが、なまじ頭が切れるだけに一筋縄ではいかぬのも事実。在る意味ではバロムなどよりも余程狡猾に振る舞えるであろう。

 何かしらのギレンの思惑を孕んだ人事によって自分の下に派遣されたという事実に対しての懸念も、どうしても拭いきれない。

 その下にいる「坊や」のこともあり、何かと使ってきたが、次の任務が終わった辺りで一旦游がせてみるのも良いか……。

 

 

 一方、そのキシリアの政敵とも言えるギレンもまた、期せずして総帥府において、妹と同じ相手のことを考えていた。

 ギレンの場合は、目の前に控える秘書官、セシリア・アイリーンに対し、声に出してではあったが。

「キシリアは、ハイメンダールの小僧を使うのだろうな」

 冷笑混じりの声に、セシリアは慎ましやかに答えた。

「今までの例では、おそらくご推察のとおりかと。キシリア様は、かの者たちを大分評価されているご様子ですから」

 その返答に、ギレンがーー珍しいことに、短く笑い声を上げた。

「フフ……お前にはそう見えるか。まあ良い、お手並み拝見と行くか」

 

 〈サイド3〉を遠く離れた地球。

 奇しくも同じタイミングでギレン・ザビとキシリア・ザビの二人から思考の槍玉に上げられた、明るい茶色の髪と榛色の瞳を持つ青年は、丁度その時活動を終えた部隊員とともに軽食を取っているところであった。

 水を口に含んだ途端にわき起こった鼻のむず痒さに堪えかね、嚔をした。

 辛うじて顔を背けたため、部隊員に害を及ぼす事態は避けたものの、口から飛沫が飛び散る醜態は避けられなかった。

 彼には珍しい醜態を、妹と親友から異口同音に「汚ない」と詰られた青年は、何故か突然わき起こった生理現象に首を傾げつつ、もう一度大きな嚔をしたのであった。




 いやはや、ようやく書けまして、個人的にはちょっとホッとしているところです。

 今回はちょっと舞台裏的な……書いたからには表舞台になるのか?……まあ、そんな感じの話でした。

 あんまり有名どころの固有名詞を出すと、後々自分が大変だというのはわかってるんですけどね、ついやってしまいました。

 次はなるべく早めに更新したいとは考えていますが。

 

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