一年戦争異録   作:半次郎

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第11話 将の迷い、統治者の苦悩

「第一次降下部隊は当初の目的を達成致しました。公王陛下、続けて作戦の御認可を」

 ジオン公国元首、デギン・ソド・ザビの前に、一枚の紙が差し出された。

 否、デギンからすれば「突き出された」若しくは「突き付けられた」という印象の方が適切かも知れない。

 デギンは苦々しく感じながら、老眼鏡を兼ねた紅茶色のサングラス越しに、目の前に傲然と立つ銀髪の男を見た。

 

 デギンの眼前に立つ男。ドズル中将には及ばないまでも均整の取れた堂々たる長身に、満腔の自身を漲らせつつ、少なくとも表面的には慇懃に畏まっている男。

 デギンの長子にしてジオン公国総帥、公国軍大将を兼ねるギレン・ザビである。

 ジオン公国は、国家の頂点に公王を戴くとはいえ、政治的には内閣を有する立憲君主国家である。だが、昨年の国家総動員令発令以来、ギレンの権勢は内閣を束ねるダルシア・バハロ首相を遥かに凌いでいる。そればかりか、国家運営における実務的な権限では、国家元首であるデギンすらもギレンには及ばない。

 地球連邦政府とともに、現在の人類を二分するジオン公国を事実上壟断(ろうだん)しているのがギレンであった。

 

 デギンも、その現状ーージオン公国がギレンの独裁下に陥りつつあるーーを苦々しく思わないではない。

 だが、ギレンの主導する戦争目的が「宇宙移民(スペースノイド)の、地球連邦からの真の独立と自由を勝ち取ること」である以上ーー多分に表面的なものであっても、建国の祖ジオン・ダイクンの思想を旗頭として台頭したデギンには、異の唱えようもない。

 結果としてデギンは、その公王としての権能を最大限に利用するギレンにとって、(まこと)に都合の良い傀儡となりつつあった。不愉快ながら、そのことをデギン自身自覚せざるを得ない。

 

 嘆息とも呻きともとれる重い息を吐きながら、デギンはギレンから手渡された紙に目線を落とす。

 

『第二次地球降下作戦』

 

 冒頭に大書された文字が彼の意識を、えもいわれぬ不安の沼に引きずり込もうとする。

 A4サイズの紙にワード・プロセッサで打ち込まれ、印字された無個性な文字を素早く眺め、その要点を頭に入れる。

 ややあって、再び息を吐きながらギレンの眼光に向き合う。

 

「第二次降下作戦……。未だ停戦の糸口は掴めぬか」

「父上。地球侵攻は始まったばかりです。既に降下した将兵を見殺しにしないためにも、作戦の継続は不可欠なのですよ」

 わざとらしく目を見開きながら、ギレンが言う。

 その態度を決して快く思わないまま、作戦計画書をデスク上に放り出したデギンが、両手を組む。

「彼の広大な大地は……我々の手に余るのではないか?」

 ギレンが、父公王に向ける顔の角度を微妙に変えた。

「これは……。かつてジオン・ダイクンから王位を簒奪なさった方のお言葉とは」

 どこまでが演技か、ギレンは、心底意外そうな表情を作った。

「……到底思えませぬな」

 デギンを嘲るように、或いは弱気を責めるように言う。

「言葉が過ぎるぞ、ギレン」

 流石にデギンとしても、その言だけは咎めざるを得ない。

「今さらの停戦など……世論は到底納得しますまい?」

 ギレンの声に微かな嘲哢の響きが混じる。

「お前が煽った世論ではないか」

 言った後で、諦めにも似た深い息を吐いた。

 この期に及んで次の作戦を認可しない訳にはいかない。そのことを理解しつつも、自分を納得させるために少しの時間が、デギンには必要だったのである。

「今さら引き返せぬ、か」

 デギンが署名して突き返した計画書を、恭しく受け取りながらギレンが笑った。

「要は勝てば良いのです。何も心配には及びませぬ、父上」

 ギレンが慇懃無礼に敬礼して部屋を出て行った後も、ギレンが立っていた空間を暫し睨んでいたデギンが、椅子に凭れながら天井を仰いだ。

 

 深い想いが、つい独白となって外に零れる。

 

「儂は……この国は……これでよかったのか? ダイクンよ……」

 

 無論、その問いかけに応える者は誰もいない。

 急に疲れたように、デギンは椅子に背を預けたまま、目を閉じた。

 

 

           *

 

 

 地球降下部隊の第一陣として地球に降下したジオン公国の将兵は、破竹の進撃を続けていた。

 バイコヌール、オデッサを戦力集中の軸として陸続出と降下してくる部隊を編成しつつ、その周辺に部隊を展開した。

 第一次降下作戦開始から一週間を待たずして、黒海沿岸からカスピ海を隔てて中央アジアまでの地域の大半が、ジオンの勢力下に置かれたのである。

 

 その間、突撃機動軍所属大鴉(レイヴン)隊は、カイ・ハイメンダール少佐指揮の下、数度の戦闘に参加している。

 何れの場合においても、正規の攻略部隊というよりも遊軍としての意味合いが強いが、出撃の都度、一廉の戦功を立て、その上で部隊に大きな損害を受けずに帰還する特殊部隊は、地球に展開するジオン軍の中でその存在を知られつつあった。

 

 その彼らは、現在クリミア半島、セヴァストポリ近郊の草原地帯にいた。

 骨組みのしっかりした、四角い軍用テントの前に立つカイの眼前で、六機の〈ザクⅡ〉が動いている。

 地上でのモビルスーツ運用データ収集を兼ねた演習中である。

 

 現在レイヴン隊に配備されているザクⅡは、いずれも南極条約以降急ピッチで配備が進められている、〈C型〉から対核装甲を排除した〈F型〉。それぞれ、機体にジオンの国章と「突撃機動軍の徽章を背景に翼を広げる鴉」の部隊章(エンブレム)がペイントされている。

 因みに、モビルスーツ部隊長であるヤクモの機体には、頭部にブレードアンテナが取り付けられているが、宇宙攻撃軍のシャア・アズナブル少佐が搭乗しているような、元々指揮官用にカスタムされた〈S型〉ではない。単にブレードアンテナを取り付けて、他の機体より若干通信機能を強化しただけのF型である。

 彼の機体は、ブレードアンテナ以外にも左のショルダーアーマーが黒く塗装されているため、他の機体との区別が容易である。

 

 もっともこの塗装も、ブレードアンテナすらも別段ヤクモ自身が望んだものではない。現に、第一次降下作戦終了後のつい先日、オデッサ近郊でカイ等と合流した後、宇宙から搬送されてきた愛機を確認しようとした際、整備士から説明を受けるまで、この機体が自分の機体だと気付かなかったくらいである。

 自分の機体を探して右往左往するヤクモの姿を見た整備士が気を利かせて説明しなければ、機体を忘れられたと勘違いしたヤクモが整備士乃至部隊責任者のカイに食って掛かったかも知れないが、以上は余談として。

 

 現在のヤクモは、多少様変わりした愛機の外見もそれなりに受け入れ、僚機とともに地上でのモビルスーツの機動を逐一確認していた。

 宇宙から地上へ。単に活動の場が変わっただけではない。それまで宇宙空間での動きに馴れた彼らにとって、地球の重力というのは、何とも厄介なものであった。

 例えば、宇宙ではスラスターを点火して推進力を得れば、そのまま慣性航行を続けることも可能であったが、重力下ではそのようにはいかない。当然だが、一度中空に浮上した物は、推進力を失えば地面に叩きつけられるだけである。

 また、当たり前のようにその恩恵を受けている空気。地域、天候、さらには一日の間でも昼夜で変化する気温に常に気を配らなければ、機体がオーバーヒートして自滅しかねない。

 その他、常に大地を踏み締めて戦わなければならないため、足下の地形を常に意識する必要がある、などなど。

 既にモビルスーツを用いた数度の戦いに参加しているものの、重力がモビルスーツ操縦に及ぼす影響を完全に把握するまでは、もう少し訓練が必要というところであった。

 

 歩き、走り、跳躍する。基本的な動作を逐次確認した後、幾つかの想定(シミュレーション)に従った模擬戦闘訓練に入ろうとした矢先、頭上を一機の航空機が通過した。

 

 機体の左右に各一基、大型のローターを備えた輸送機である。

 ヤクモらの頭上を周回した後、やや離れた窪地に向けて高度を下げていく。

『何ですかね?』

 機体が把持する120ミリマシンガンの銃口を双発の輸送機に向けながら、アンディ・カペラ少尉がヤクモに問う。

「さあな。来客の予定なんか聞いていないが……アンディ、リカルド、取りあえず銃を向けるのはやめておけ。ジオンの輸送機(おなかま)のようだ」

 ザクⅡの特徴的な単眼式メインカメラ(モノアイ)が、高度を下げる輸送機の胴体部にペイントされたジオンの国章をはっきりと捉えていた。

 

 テントから一台の軍用ジープがその輸送機に向かって走る。事前連絡もなく現れた輸送機は、どこの部隊の物か。一応の許可を得て演習中のため、この場に部隊を展開していることについては何ら問題はない。が、その場所に何者がわざわざ訪れてきたか、部隊を率いるカイとしては確認しておく必要があるだろう。

 

「まあ、俺たちが気に病む必要もないんじゃないかな。訓練を続けよう。……あまりいい予感はしないがね」

 部下のパイロットたちにそう告げたヤクモの意図は、他ならぬカイからの通信によってあっさりと挫かれた。

「総員、訓練を一時中止。地球方面軍司令ガルマ・ザビ大佐の督励である。速やかに幕舎前に整列せよ」

「げ……マジか……」

 幸いにも通信が切れていたため、ヤクモの呟きはコクピット内に留まり、誰の耳にも届かなかった。

 宜しくない予感に限ってよく当たるもの。

 直接顔を合わせたことこそないものの、数年前に他ならぬ自分の責任に因って()()を作ってしまった相手である。

 まして相手は、直接の指揮権こそないものの、系統とすれば自分の上官に当たる。

 出来れば会いたくない。いや、ガルマの前に整列する程度なら構わない。先方がヤクモの存在に気付きさえしなければ……。

 機体を降りて整列しながら、憮然とした表情を隠しきれずにいるヤクモの隣に並んだジニーが声をかけた。

「自業自得よ」

 過去の経緯を知っているからこその辛辣な台詞。

 横顔に刺さる、逆恨みがましい視線を、ジニーは平然と受け止めた。

 

 

           *

 

 

 南米アマゾン川流域の地下に存在する連邦軍本部、ジャブロー。

 元来自然が形成した、アマゾンの地下水脈を懐に抱える地下鍾乳洞に手を加えた巨大な地下基地である。

 開戦に至っても、当初の予定から言えば未だ100パーセントの完成に至らず、掘削、建設作業が続けられている。

 〈ジャブロー〉と称される、密林の地下にある巨大な基地施設。

 機能ごとにエリア分けされた広大な空間は、それぞれ高架として敷設された舗装路によって繋がっている。

 その舗装路の中で、車輌の往来が最も頻繁なエリアが司令部である。ジャブローという基地のみならず、宇宙を含めた連邦総軍の中枢と言って良い。

 その区画の中でも、警備が最も厳重なのが、レビル将軍以下、軍首脳が所在するオフィスビルであった。

 連邦軍関係者の中でも、限られた者にしか出入りを許可されていない広大な地下建造物の最奥部にある、統合作戦本部。そこにある執務室で、レビルは苦々しげに腕を組みながら椅子に座っていた。

 

 つい先ほどまで、連邦政府高官からの、会談という名目の糾弾と叱責の矢面に立たされていたのである。

 宇宙にまで生活圏を広げた人類を統制する、唯一の統一政権。ジオン公国に先立ち、〈ジオン共和国〉成立が宣言されるまで、確かに地球連邦は地球のみならず、スペースコロニー居住者をも含めた全人類の盟主であった。いや、ジオンとの間に戦端が開かれた今でも、地球連邦は全人類を民主的に統治する唯一の政権であるはずである。

 少なくとも地球連邦政府高官の間では、ジオン公国を名乗るスペースノイドなど、遍く宇宙を照らす民主共和制に対し、旧世紀に途絶えた筈の独裁を振りかざす反動の徒であり、もっと言えば、悪逆な行為によって多数の無辜の民衆を虐殺したテロリストの一群であるに過ぎない。

 スペースノイドの自由と独立を高らかに謳い上げる、この「ジオン独立戦争」も、連邦政府の間では旧時代的で反社会的な「叛乱」に過ぎないのである。

 

 地球連邦という政体の中にあり、軍人としての頂点--連邦宇宙軍のみならず、地上の全軍を含めた全軍を統括する総司令官となったレビルにとっても、その思いが皆無であるとはいえない。

 現在、地球市民から「スペースノイド」と、幾分の蔑視すらこめて呼ばれる人々の中には、宇宙という新たな生活の場に夢と希望を抱いて飛び出した開拓精神(フロンティアスピリッツ)に溢れた冒険者たちも含まれているが、その大半は、増えすぎた人口をその生産力で賄いきれなくなった地球から半強制的に宇宙に追いやられたというのが偽りない実情である。

 彼らが地球からの自治を求めるのは良い。人類の生活の場が地球にとどまらなくなった以上、その中に新しい政治体制を求める声が上がるのは歴史の必然とも言える。

 だが……。

 レビルは考える。それはあくまでも政治活動として、武力を伴わずに行うべきではないか。

 現在、ザビ家の独裁に拠って立つジオンが、罪のない民衆の夥しい血の上に立って「自由と独立」を謳い上げるのは、レビルによって我慢のならないことなのであった。

 

 連邦政府がスペースノイドに対して、その要求するところの自治を与えず、地球にあってスペースコロニーを統治する政府高官たちが、その地球至上の統治によって自分たちの権益を守ってきたのは事実である。だが、それでも、〈コロニー落とし〉に代表されるジオン公国の暴虐と殺戮を、軍人として看過する訳にはいかない。

 

 前代未聞の大量殺戮の上、自らの拠り所である母なる惑星(ほし)すら傷付けられるという、見様によっては痛烈この上ない批判を浴びてなお、その頑迷な利権主義を改めようとしない政府高官には、身内でありながらうんざりさせられることもあるが、それでも、まがりなりにも人類の圧倒的多数を民主的に統治する政権が、独裁政権を認めることは、決してあってはならない。

 

 この新時代に、人類の進歩そのものを後退させるような軍事独裁政権など認めてはならない。

 

 その思いひとつで戦争継続を徹底して主張したレビルであったが、予想外に早いジオン軍の地球降下によって、地球に住む武器を持たない民衆までが戦火に巻き込まれることとなったこの事態を憂慮しないわけにはいかなかった。

 

 ジオンという政体に対する徹底抗戦と、戦火の拡大という彼の決断が招いた結果。そして、軍をコントロールする政府高官の保守を通り越して頑迷な態度への苛立ち。

 

 レビル自身の思考が、巨大な矛盾の中で揺れていたといえるかも知れない。

 

 ともあれ、「地球連邦軍総司令官」という立場にあっては、レビルはジオンに対する勝利の方策を樹立しなければならない。それも、早急にである。

 

 執務室の壁に取り付けられた巨大なディスプレイには、地球を平面化した地図が表示されている。そして、その中の東欧から中央アジアにかけての地域には、ジオンのエンブレム。それが表示される地域が、日を経るにつれて範囲を広げている。

 現在の地球の勢力図を可視化していた。

 

 憂慮すべき幾つかの事態の中、レビルは椅子に凭れて天井を仰いだ。

 昼なお暗い地下のジャブローにあっては、太陽の恵みは届かない。無機質な蛍光灯の灯りをしばし睨んだ後、レビルは大きな溜息を一つ吐き、去来する様々な邪念を振り払った。

 今の自分にとって最大の仕事は、政治的なことではない。

 純軍事的に。

 今次大戦を早期終戦に導くことだけが、彼に残された途であった。

 

 〈ルウム戦役〉以降、日増しに深くなる一方の眉間の皺を消す努力もせず、レビルは卓上電話に手を伸ばした。

「技術開発本部のレイ大尉に繋いでくれ」

 電話に出た秘書に告げる。

 反対派を押し切り、軍内部に少なからぬ軋轢を生んでまで彼が主導してきた計画が、つい先日、ようやく動き出したのである。

 ルウムにおいて圧倒的な猛威と破壊力を誇り、現在も地球上において地球連邦軍を蹂躙し続けるジオンの兵器、モビルスーツに対抗するための計画。未だ始動したばかりで成果と呼べるものもないが、レビルが、ジオンに対抗し、劣勢を打開するための唯一無二の手段と堅く信じる方策。

 連邦軍内におけるモビルスーツ開発計画。

 

 その名を〈V作戦〉……。

 

 

           *

 

 

「このようなところにわざわざご足労頂かずとも、必要であれば応召致しましたものを……」

 突如演習地を訪れた地球方面軍司令ガルマ・ザビに対して、コーヒーを淹れながらカイが笑いかけた。

 彼自身は、自分で紅茶を淹れるのを愉しみにするほどの紅茶愛好家だが、流石に演習地にまでティーセットを持ち込むような真似はしていない。芳醇な紅茶の味わいは、現在彼ら部隊が根城にしているセヴェストポリに帰還した際の楽しみとしてとっておきながら、部隊員とともにコーヒーを嗜んでいる。

「いや、気にしないでくれ、少佐。移動中にたまたま貴官の部隊を見つけたので、立ち寄っただけなのだ」

 自らの前にコーヒーが恭しく差し出されたことに対して、律儀に礼を言った後で、ガルマが笑う。

「と、申されますと?」

 テントの中に広げられた簡素なテーブル。ガルマの正面に座りながら、カイが聞く。

「オデッサに向かう途中でね。貴官らがこの半島にいるという話は聞いていたが、実際に上空から見えたので、少し寄らせてもらったのだ」

「オデッサ……。マ・クベ大佐ですか」

 キシリア・ザビの懐刀と称される、血色の悪い策士の顔を思い浮かべた。

 音も出さずにコーヒーカップを手に取ったガルマが頷く。

「姉上……キシリア少将からのご命令でね。この度、私は第二次降下作戦の指揮も執ることとなった。マ・クベ大佐まで話は通っているので、一旦宇宙へ戻るためのHLVを融通してもらいに行くところなんだよ」

「それはそれは。キシリア閣下も中々に人使いが荒うございますな」

「実は、私もそう思っている。だから、今の少佐の発言は聞かなかったことにしておこう」

 そう言って闊達に笑いながら、ガルマがテントの外へと足を運ぶ。

 

 その目の前で、地上での慣熟を兼ねたモビルスーツ同士の模擬戦闘が繰り広げられている。

 無論、使用しているのは実弾ではなくペイント弾。それも徒に射撃はせず、あくまでも相手の機体を照準に捉え、また、ロックオンされた場合の回避といった動きを重力下で確認する意味合いと、一対一での動きから、三対三の小隊編成でのコンビネーション、若しくは一対ニでの想定など、戦術的な確認が主眼である。

「少佐の部隊は手練れが多いと噂には聞いていたが……こうして見ると凄いな」

 圧倒されたようにガルマが称賛する。

 ガルマの面前で、ザクⅡが走り、跳躍し、時にスラスターを点火して飛翔する。着地して直ぐに振り返り、「敵」に銃口を構える。その動きを察知した機体が鋭く横に跳びながらマシンガンの照準に相手を捉えようとする。

 お互いに機体を壊さないよう、無理な動作を避けてはいるものの、そのモビルスーツの操縦は実戦に近い緊張感に充ちている。

「訓練で出来ないことを実戦では活かせません。隊員達もそのことは理解してくれているようで」

 ガルマの後に続くカイが言う。モビルスーツの動きを追うその目には、真剣な光がある。

 お互いに、しばらく無言でモビルスーツ同士の模擬戦闘の様子を見つめていたが、ガルマはふと違和感を感じた。

 微かな違和感。既視感と言うべきか。

 左肩を黒く塗装された機体。

 何れも鋭い動きを見せる六機のザクⅡの中で、その動きの俊敏さと反応の鋭さは、傍目に見ても抜きん出ている。

 どこかで見たような動きだと、ガルマは感じた。

 強いて言えば、シャア・アズナブルーー「赤い彗星」の異名を持つエースの動きに近いかも知れないが、シャアの操縦ほど洗練されていないような気もする。

 無意識のうちに顎に手を当てて考え込む。

 その目の前で、左肩が黒いザクⅡがスラスターを吹かして一気に加速し、一機のザクⅡに急接近した。仮想敵機の左側からの肉薄。咄嗟に反応した仮想敵機がマシンガンを持った左腕をそちらに向けようとする。

 寸前、機体の上体を沈み混ませてその腕を掻い潜ると、右手を左腰に伸ばす。右足を踏み込みながら、左腰のヒートホークを抜き払い、仮想敵機の右脇を切り払おうとして、刃が機体に触れる直前での寸止め。

 二機のザクⅡの動きが止まる。

 

 一連の演習を見ていたガルマの脳裡に光が閃いた。

 胸元にヒートホークを突き付けられた形のザクⅡと、士官学校当時の自分の姿が重なる。

 黒い左肩のザクⅡのパイロットこそ、当時教導機動大隊に所属していたパイロットに違いない。自分の中で決して比重の軽くない記憶。

 訓練とはいえ、為す術もなく打ちのめされただけの苦い経験であった。

「少佐……、あの左肩が黒いザクⅡのパイロットは?」

 カイが珍しく即答しかねた。ヤクモとガルマの間で行われた模擬戦闘の結果を知っているからである。

 もっとも、この場合、ガルマとヤクモ、どちらの為に気を配ろうとしたのか、カイにも判断しがたい。数秒の躊躇いの後、答えを促すようなガルマの目を見て、カイは答えた。

「ヤクモ・セト大尉。我が隊のエースパイロットです」

「そうか……済まないが、後で彼と話す機会をもらえないか?」

「あと10分ほどお待ちいただければ、本日の予定は全て終わるでしょう。それからでも宜しければ……」

「わかった、待たせてもらおう。……迷惑をかけて済まないな、少佐」

 そのまま踵を返したガルマが、軍用テントの中に入っていく。

 その後ろ姿を、カイは複雑な表情で見守った。

 

 ……約15分後、ヤクモはガルマとカイの待つテントの出入口に立った。

 訓練を終え、モビルスーツから降りた直後に、カイの伝令役を務めた女性兵(ウェーブ)からガルマの意を告げられたのである。

 

 正直に言って気まずい。面倒でもあるが、階級が遥かに上の者から呼びつけられて無視をするわけにもいかない。

 当時の自分が、何故ガルマ・ザビを容赦なく打ちのめしたのか。今になって思い返しても、「良く解らない」としか言えない。

 キシリアへの当て付け、ザビ家への反発。恵まれた環境で何不自由なく育ったであろうガルマへの妬み。

 強いて理由をつけようとすれば、そのどれもが当てはまりそうな気もするし、単に士官学校の英才を相手にして、自分の技倆を誇示するための若気の至り。若しくは「自分は教導大隊の一員として、士官候補生らにモビルスーツの操縦の範を示した。任務を忠実に遂行したに過ぎない」という言い訳も成り立つであろう。

 だが、他人からそのどれかの理由を指摘されれば「そうだろうな」と返答をする程度の、自分でも不確かな理由。

 結局は、「任務に名を借りて、恩讐入り交じったキシリア・ザビに意趣返しをした」ということになるのかもしれない。

 何れにしても、ザビ家の御曹司、やがてほぼ間違いなく自分の上に立つであろう相手に対して恨みを買うような行為をしたことは、結局は「若さゆえの過ち」であったと、今、苦々しく認めざるを得ない。

 

 ガルマに向かって敬礼をするヤクモの表情は、平静を保っているが、これは内心の開き直りの裏返しである。

 返礼をしたガルマが、ヤクモを睨む。

「セト大尉。貴官はかつて教導機動大隊にいたことがあるな?」

「はっ」

「もう何年も前のことだが、覚えているか? 私は貴官に随分としてやられたものだ」

 ああ、やっぱり怨まれていたか。この場を何と答えれば無難に乗りきれるものか。

 ヤクモは即答しかねて身を強張らせた。

 ガルマは、ヤクモの目を真っ直ぐに睨めつけながら、秀麗な眉間に皺を寄せる。狭いテントの中の空気が重いものになる。

 ヤクモが口を開こうとした瞬間、ガルマは、急に表情を和らげ、笑みを浮かべた。

「ふっ。冗談だよ、大尉。何年も前のこと、恨みなど抱いていよう筈もない」

 一気に毒を抜かれた体のヤクモは、それまでとは違う意味で即答できなかった。

「実を言うと、私は貴官に手酷くやられたことで成長できた気がするよ。貴官のお陰で慢心せずにいられたような気がしている」

 些か気恥ずかしそうに、前髪を弄りながらガルマが言う。おそらく、本心からそう思っているのだろう。

「……ご無礼の次第、お詫び申し上げます」

 詰問が続いた場合、ヤクモは違う態度で反応したかもしれない。それは、おそらく両者の間に修復不可能な確執を生むことになったであろう。

 だが、ガルマが態度を軟化させたことで、ヤクモとしては逆に謝罪する以外になくなったのである。

 その場に同席していたカイは、ヤクモの性格を良く知っているだけに、そう思った。

 ガルマがそこまで計算して、ヤクモから謝罪を引き出したとすれば見事なものだ。が、おそらくガルマはそこまでは考えず、正直に行動しただけだろう。

 それはそれで見事な資質だが、反面、危うさも内包していると言える。

「なに、先ほども言ったが、過ぎたことだ。気にしないでもらいたい。……それより、訓練を見せてもらったが、貴官の技倆は見事なものだな」

 今度は手放しに称賛する。

 これも素直な感想を述べているだけだろうが、ヤクモには、違う意味で居心地が悪い。

(この人、多分本心で言ってるよな。……人が善すぎるよなあ)

 という内心を面に出さず、かしこまって答えた。

「恐れ入ります」

「大佐も中々お人が悪い。大尉も大分肝を冷やしたように見えます」

 苦笑したカイが、珍しく押され気味のヤクモに助け船を出す。

「ささやかな反撃さ。大尉にも多少は気にしてもらわなくては、私が立つ瀬がないじゃないか」

 ガルマは、声を上げて笑った。

 カイも笑う。見事にやり込められた形のヤクモも苦笑した。

「さて、貴官らに会えて良かったと思う。私も任務があるので、これで失礼するよ」

 笑いが収まったところでガルマが言う。

「かしこまりました。……ソラノ兵長、大佐にお車を」

 ガルマに先だってテントを出たカイが、近くにいる女性兵に声をかけた。

 

 数分と待たずにテントの前につけられた軍用ジープにガルマを案内したカイが、自分も同乗するため、車に向かう。

 そこに身を寄せたヤクモが、カイに低く耳打ちした。

 一瞬、鋭い目になったカイがヤクモに頷き返した。

 

 横に座ったカイに、ガルマが問い掛けた。

「大尉と何を話していたのだ?」

「いえ、特には。……彼も大佐の御武運を祈っていました」

 和やかな顔でカイが言う。

「そうか……感謝しよう」

 

 輸送機に向かうジープに揺られながら、ガルマが口を開いた。

「演習の邪魔をして済まなかった。次の任務に就く前に、旧知の君にはあっておきたくてね」

 ジオンを統治するザビ家の子息、ガルマ。ジオンの名家出身のカイ。未だ少年と呼ぶ年代のころ、誼を通じた仲である。

「お心遣い、恐縮です」

 柔らかな笑顔でカイが応じる。

「私はこれで一度宇宙に戻り、次は北米だ。……出来れば、君たちのように信頼の出来る部隊に付いてきてもらいたいものだが……」

 空を見上げるガルマの目に、冗談を超えた気色がある。

「弱気なことを仰いますな。キシリア少将に笑われます」

「そうだな。…詮ないことを言った、忘れてくれ」

 ジープが、ガルマの乗ってきた輸送機まで十数メートルに近付く。

「ここまででよい。後は歩く」

 

 降車して歩くガルマに追随したカイが、付近に人影がないことを確認する。

「大佐……いえ、ガルマ様。お話ししておきたいことが」

 何時になく低い声。立ち止まったガルマが怪訝そうに振り返る。

「恐れながら、ガルマ様に申し上げます。ガルマ様は、随分と正直でいらっしゃいます」

 自分にも、人に対しても素直であること。育ちの良さからくるものか、天性の性格によるものかはわからないが、おそらくガルマの最大の美点であり、魅力でもあるのだろう。

 しかし、そこに危険を孕んでいるとも言えるのである。

 ジオン公国で最大の権力を持つザビ家。その権勢を利用しようとする者の数は、決して少なくない。

 ガルマは、ザビ家の人間である。その権力に連なるものが、人を疑うことを知らない人間だとしたら……。

 正直は個人としては最大の美徳であろう。しかし、軍事的、政治的には、むしろ正直であることは弱点である。

 はっきり言って、隙を晒しながら歩いているようなものだ。忽ち都合良く利用され、最悪の場合、身の破滅に繋がりかねない。

 カイはそれを危惧していた。つい先ほどガルマと言葉を交わしたばかりのヤクモですら、ガルマの正直さに好 意を抱くと同時に、危険性も感じ取ったらしい。

 ガルマに注意を促すよう、わざわざ耳打ちまでしたのがその証左である。

「うん? いけないことなのか?」

 ガルマが首を傾げる。

「いえ、決して悪いことではございません。ですが……お耳汚しかと思いますが、敢えて申します。ガルマ様は今後人の上に立つ身、時として正直であることが御身に危険を及ぼすやも知れません。今後軍の中枢に近付くほどに、ガルマ様を利用しようとする思惑も増えましょう。どうか、それに乗じられないよう、お気をつけください」

 ガルマは、友と信じる者からの言を噛み締めるように、暫し立ち尽くした後、ゆっくりと頷いた。

「わかった。忠告として受け取っておこう」

 右手を上げ、輸送機に向かって歩き出す。

 迎えに出た部下と共に、ガルマが乗り込んだ輸送機がオデッサの方向に姿を消すまで、カイはその場で見送っていた。




『次回予告』

 ジオン公国の第二次地球降下作戦は発動した。
 地球上に戦火が確実に拡がる中、大鴉(レイヴン)隊に新たな任務が下される。
 そこでの出会いは、ヤクモと仲間たちに何を告げるのか。
 一年戦争異録、次回「追うモノ、逃げる者」

 君は、生き延びることが出来るか?







 ↑やって見たかったんです、ゴメンナサイ。

 内容はネタバレではないーーと信じたい。

 看破されてたらお手上げです。


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