一年戦争異録   作:半次郎

11 / 28
第10話 鬼と鴉 後段

 中天にある、錆びた銀貨のような色合いの太陽が、薄い雲を貫いて鈍い光を地上に投げ掛けている。

 ヨーロッパ地域とアジア地域の境界にある内海に突き出した形のクリミア半島。

 その南西部、茶褐色の土の上に丈の短い草が疎らに生えた、緩やかな丘陵上に駐められた一台の車がある。

 地の白色が見えないほどに砂塵にまみれ、薄汚れた中古のバン。運転席と助手席、そして後部座席に、それぞれ一つずつの人影。

 

 その車の正面に位置する都市の方角から走ってきた一台のオートバイが、バンの横で止まった。エンジンを切った運転手が、ハンドルに提げた袋を持って車に近付くと、後部座席のスライドドアが内側から開けられた。

 

「お疲れさん」

 ヤクモが、オートバイの運転手を招き入れながら声を掛けた。

「遅くなってすみません、大尉。何しろ、店にロクなものが置いてなくてですね」

 スライドドアを締め、手にした袋を差し出しながら、バイクの運転手が、短く刈り上げたブラウンの髪を掻いた。

「買い出しなんてお願いしてすみませんでしたね、カペラ少尉」

 運転席に座る男が、回ってきた袋の中からパンを取り出しながら、皮肉っぽい口調で言った。

「少しは口を慎め、ガルシア。シュタイナー隊長に恥をかかせるような真似はするな」

 助手席に座った巨漢が、大きな目で運転席の男をジロリと見る。

 パンの端をかじりながら首を縮めたガルシアの様子を見たヤクモが苦笑した。

「まあまあ、カミンスキー中尉、そう堅苦しくしなくてもいいさ」

 後部座席に乗り込んだアンディも、苦笑いをしているものの、さほど気分を害した風もない。

 しばらくの間、車内に飲食の音だけが響く。

 

 宇宙世紀0079年2月27日のことである。

 〈地球降下作戦〉に先立ち、先遣部隊として彼らが地球の大地を踏んでから、既に二週間あまりが経過している。第一次降下作戦に向けた諜報は大詰めを迎えていた。

 

 ジオン公国突撃機動軍に属する二つの特殊部隊、〈サイクロプス隊〉と〈大鴉(レイヴン)隊〉。

 地球で活動する彼らは、再三にわたり予想外の情景を目にしてきた。

 まず、戦時下にあるとは思えないほどに日常的な地球市民の生活である。サイド3を中心としたジオン公国の勢力圏内にあるスペースコロニーが挙国一致体制を打ち出し、連日プロパガンダ放送が国威発揚を謳い上げるのと裏腹に、地球ではーー少なくともヤクモらが目にしてきた東欧から中央アジアの各都市では、戦争の話など、一日数回のニュースでごく短時間触れられるだけなのである。

 「一週間戦争」から「ルウム戦役」まで、宇宙の戦場を生き延びてきたヤクモ達からすれば、いっそ理解に苦しむほどの「他人事(ひとごと)」の風潮。

 地球とて無傷ではないのだ。かの〈コロニー落とし〉によって、人的被害は勿論、地球の地形、一部の気象すら変わるほどの痛手を蒙りながら、比較的影響の少ない地域では、既にこの戦争自体が対岸の火事のような捉え方をされているのだ。

 それは、かつてスペースコロニーに大規模()民をしたとして、宇宙市民(スペースノイド)からの反感と憎悪を浴びる地球市民(エリート)の在り方なのか。

 アースノイドに対する敵視と偏見が比較的少ないことを自覚していたヤクモですら、その他人のふりにも似た無関心に、幾度となく侮蔑というに近い感情を抱いている。

 

 次に、実際に地球に降りてみなければわからない、都市部と僻地の格差がある。

 宇宙世紀初頭に実行された移民計画の、おそらくは名残であろう。地球に住んでいた人間の大半を宇宙に上げた結果、地球上では大都市の人口過密と、都市開発の進まなかった地域の空白化が顕著である。極端に言えば、旧世紀からの大都市は人口と産業が集中してより肥大化し、大都市やスペースコロニーに人が移った地方都市では、もはや都市とは呼べないほどに過疎化している地域が少なくないのだ。

 数年前に発行された地図に載っている街が()()か、或いはただの集落と化しているという事態が、決して珍しくないということを、ヤクモらは地球に降りて初めて知った。

 つまり、人口が過疎化した地域であれば、モビルスーツを降下させる地点が()()()()()()ということだ。

 

 そして最後に、今回の任務で得た情報の中で、最も重要と思われる事項である。

 あと数時間で地球に降下すべく準備を進めている宇宙のジオン部隊に対して、地上にある連邦軍の迎撃準備が余りにも緩慢であるということ。

 

 地球連邦軍にとって、レビル将軍による「ジオンに兵なし」の演説の「功」が戦争の継続と、コロニー落としなどを封じた〈南極条約〉の締結にあるとすれば、連邦軍の防備が遅々として進んでいないことこそ、その最大の「罪」と言えるであろう。

 レビルの思惑とは裏腹に、その演説の内容を拡大解釈した連邦軍上層部は、ジオンの地球侵攻を早くても数ヵ月先と見ている。

 バイコヌールやらオデッサの周辺をとってみても、未だ防衛用の掩体壕(トーチカ)が半数程度しか稼働に耐えない状況であることからも、その「油断」のしようがわかるというものだ。

 

 現にヤクモも、作戦目標の一つであるセヴァストポリ基地に対して、潜入すら果たしている。しかも真正面から。

 

 セヴァストポリ基地司令である連邦軍大佐の人柄を調査したところ、付近住民との軋轢を嫌い、しきりに土地の名士を招いたパーティーすら催しているらしい、と聞き、駄目で元々とジャーナリストに偽装して取材を申し込んだところ、快く許可されたのだ。

 

 シュタイナー大尉との協議では、あくまでも工作の主目標はバイコヌール宇宙基地とオデッサの諜報が第一義であり、セヴァストポリ基地は両拠点制圧後に備えた工作を行うことと決められていた。が、ヤクモはやり方次第ではセヴァストポリも、降下部隊さえ迅速に展開できれば容易に陥とせると踏んでいた。

 諜報で得た情報の全てを、幾つかのルートを経て宇宙で待つ友、カイ・ハイメンダール少佐に報告した上で、今回、さらにその腹案を実行に移すべく、シュタイナーの腹心とも言えるミハイル・カミンスキー中尉と接触し、シュタイナーとの()()を頼んでいるのである。

 

「……と、いう訳なんだがどうだろう、中尉?」

 乾燥して固いパンを飲み込んだヤクモが、ミハイル・カミンスキーに問い掛ける。

「個人的には面白いと思いますよ。ただね……」

 ウォッカの入ったスキットルではなく、水の入ったボトルから口を離した巨漢が、物足りなそうな顔付きと、珍しく歯切れの悪い物言いで応えた。

「シュタイナー大尉は納得しないかな」

「さあて、ね。非常事態以外での想定外の行動を余り好まん人ですからなあ。まあ、問い合わせては見ますよ」

 サイクロプス隊内で親しみを込めてミーシャと呼ばれるベテランは、トレードマークとも言えるニット帽を被り直した。

 

 

           *

 

 

 3月1日午前1時。

 かつてカザフスタンという国家があった地域、広大な草原(ステップ)を照らす微かな月明かりを掻き消す様に、地上と空の双方からサーチライトが忙しなく動く。

 遥か上空から放たれた砲弾が草原に落ち、轟音とともに背の低い草と土砂を噴き上げた。

 

 地球連邦軍バイコヌール宇宙基地。

 旧世紀に存在した大国の時代からの歴史を有する、地球と宇宙を繋ぐ軍隊輸送の要衝である。

 付近に人気の無い基地の周辺が、異常な喧騒に包まれている。

 

 サーチライトの一つが、上空高くに異形を捉えた。

 空を吹き抜ける、未だ冬の影響を強く残す北風に、巨大なパラシュートの傘をたなびかせて地上に降下する巨人、MSー06〈ザクⅡ〉。

 地球を取り巻く広大無限の宇宙空間において連邦艦隊を駆逐した、連邦軍にとって悪夢の象徴ともいえる、ジオン公国の誇る汎用有人機動兵器である。

 暗闇の中、脚部のスラスターから高熱の光を迸らせつつ、次々と地上を目指して降下する巨人の大群。

 バイコヌール基地から放たれる高射砲と、上空のザクが放つマズルフラッシュが、禍々しい花火となって夜空を彩る。

 未だ空中にあるザクⅡに高射砲弾が炸裂すると、降下体勢を崩した巨人が地表に叩き付けられ、動かなくなる。反面、上空から放たれたバズーカの弾頭が基地内に落ち、砲台と兵士を物言わぬ瓦礫の中に埋没させた。

 高射砲の迎撃を潜り抜けたザクⅡが、大地を踏み締める。パラシュートをパージした機体が、手に持った120ミリマシンガンを乱射しながら基地に肉薄する。

 次に降下したザクⅡの一機が手榴弾(クラッカー)を投擲すると、基地直近で爆散した破片が大地と基地施設を穿った。

 

 地上に降下したザクⅡの迎撃に気を取られた連邦軍の対空迎撃が弱まると、未だ上空にあるザクからの砲撃が一層激しくなった。

 

 基地を取り巻く閃光と爆風、轟音を遠く見やる、小高く隆起した丘の上に、数人の兵士がいる。

 火の点いていない煙草をくわえ、暗視双眼鏡で基地を観測していた壮年の男が、傍らに蹲って作業している部下に目を移した。

「まだか、アンディ」

 やや長めの、栗色の巻き毛の上に軍用ベレーを乗せたアンディ・ストロース少尉が、機器を操る手を止めないまま、上官に答える。

「もうちょっと待って下さい。ここを……もう少し……よし。隊長、どうぞ」

 粗削りな顔立ちに笑みを浮かべた部下が差し出したスイッチを受け取ったシュタイナーが、そのスイッチを押す。

 次の瞬間、バイコヌール基地の周囲を取り巻くトーチカ群から、一斉に巨大な火柱が立ち上がった。

 このときのため、慎重に仕込んできた爆薬に仕掛けた起爆装置が、一斉に火を吹いたのである。

 その成果を見届けたシュタイナーが、口許に微かな笑みを浮かべた。

「よし、上々だ。……ジェームズ、司令殿に通じるか?」

「今のミノフスキー濃度なら大丈夫です。……少し雑音が混じるかも知れませんがね」

 手元にある機器のモニターと睨み合っていた部下が差し出した無線機を、シュタイナーは受け取った。

「撤収準備だ。迎えのコムサイが来たら〈オデッサ〉に転進する」

 全ては予定どおりに推移している。

 部下の返答を待たず、シュタイナーは、遥か上空にいる筈の指揮官に向け、通信を開いた。

 

 

           *

 

 

 バイコヌール上空を周回する〈コムサイ〉内部で、青年は戦局を見守っていた。端正な顔立ち。着用する軍服の胸元には、大佐の徽章。両肩にある肩章が僅かに揺れる。

 総じて自軍優位に推移する戦況を確認しながらも、どこか落ち着かない体で、目にかかる青色の髪を右手の指で巻いては透いている。

 デギン・ソド・ザビ公王の末子、ガルマ・ザビである。長兄はジオン公国軍総帥ギレン。夭逝の次男を除く他の兄姉は、宇宙攻撃軍司令ドズルに、突撃機動軍司令にして地球侵攻の総指揮官キシリア。押しも押されぬジオン公国の御曹司である。

 開戦よりこの方初陣の機会に恵まれず、華々しい戦果と実績を誇る兄と姉に対し、「ザビ家の軍人として」何か相応しい功績を、と煩悶する彼に与えられた初の任務こそ、地球方面軍司令の地位であった。

 父デギンは、ガルマが軍に進むことに当初から反対していたし、今回の人事についても消極的であった。長兄ギレンの思惑は計り知れないが、ドズルはガルマが戦場の経験を積むことを積極的に支持してくれていた。そして何より、ガルマが方面軍司令という立場で地球に降下するため、最も骨を折ってくれたのが、キシリアであった。

 いざ一軍を指揮する立場となった際、軍の編成から補給体制の確立まで、ガルマの責任で判断、決定すべきことは山のようにあった。勤勉ではあるが経験に乏しいガルマが危うく悲鳴を上げかけたとき、彼を補助するため、事務に長けた副官を差し向けてくれたのもキシリアであるし、今回の降下作戦につけても、姉の麾下にある特殊部隊が既に地球に降下し、各種の工作に当たっていた。

 

 姉の援助には感謝しているが、何時までもそれに甘んじてはいられない。

 

 ザビ家の一員として、ジオン公国の軍人として、せめて地位に相応しい功績を。

 ルウムで華々しい成果を上げ、「赤い彗星」の異名で知られることになった親友には負けていられない。

 士官学校首席卒業という経歴の陰で、常に聞こえてきた声に、正面から堂々と打ち勝つためにも。

 ーー私を、親の七光りとは言わせない。

 

 軍司令として臨む初の任務を前に、心中に期するものがある。

 

 人知れず意気込むガルマが睨むモニターの中で、バイコヌール基地を呑み込むかのような、巨大な爆発が生じた。

 その直後、彼の乗るコムサイに通信が入る。通信を受けたパイロットと幾つかのやり取りをした副官のダロタ中尉が、ガルマに近付いた。

「大佐、突撃機動軍の〈サイクロプス隊〉から入電です。『バイコヌール基地トーチカ破壊に成功せり』です」

 副官の声に、髪から手を離したガルマが頷く。

「わかった。連邦も大分混乱しているだろうな」

「はい。対空砲火の数も目に見えて減少しています」

「よし、私もモビルスーツで出る。コムサイを地上に近付けてくれないか」

 その一言で慌てたダロタが制止しようとするが、ガルマは首を縦に振らない。

「私とて『お飾り』ではない。戦線に出るためにここにいるのだ。その為にザクも持ってきている」

 なおも不安を隠しきれない副官に、ガルマは微笑んだ。

「そんなに心配しなくても、前には出ないさ。ここに来て『部下の武勲を横取りした』などと陰口を叩かれたくもないからね。ただ、皆と同じ戦場に立っていたいと思う」

 前線を率いる部隊長なら兎も角、全軍の指揮官としては稚気と呼ぶべきであろうが、そこまで言われてはダロタとしてもそれ以上の反論は出来なかった。

 

 ガルマを乗せたコムサイは、バイコヌール基地からやや離れた低地に向けて、慎重に高度を下げていった。

 

 

           *

 

 

 一方、同時刻ころ、黒海に突き出したクリミア半島の南西部、セヴァストポリ。

 連邦軍基地に程近い市街地の中に立つ空き家に、電気も点けず蠢く数人の影がある。

 その中の一人、額にバンダナを巻いたガブリエル・ラミレス・ガルシア軍曹が、耳に当てた通信機を掴む手に力を込める。

「……始まった。バイコヌールに仕掛けた……!」

 低く鋭い声に、室内の空気が帯電する。

「よし、俺たちも準備にかかろう」

 ヤクモが室内の面子に告げ、伊達眼鏡をかけた。

「しかし、本当にやるんですね、大尉」

 傍らで、愛用の拳銃にマガジンを差し込みつつ、アンディ・カペラが問い掛ける。

「まあね。警戒されるようならやめたけどな。多分巧くいくだろう。ここの警備も意外と()()みたいだから」

 ヤクモの声に、複数の押し殺した笑い声が答える。

サイクロプス(うち)の隊長がOKしたときには少し驚きましたけどね、確かに上手く行きそうだ」

 実際にその目で連邦軍の緊張感があるとは言えない警備体制を見てきたガルシアが、低く笑いながら賛意を示した。

「他にも方法が有りそうなものを、わざわざこんな手段を選ぶんだから、大尉も物好きですねえ」

 マガジンを入れた拳銃を弄りながら、アンディが言う。

「ん……そうかな」

「まあ、面白そうではありますけどね」

 不敵に笑うアンディを、リカルド・ヴェガがたしなめる。

「そう楽しんでばかりも居られんぞ、アンディ。仕掛けのタイミングを間違えたら、全員アウトだからな」

 アンディが口を開こうとしたとき、建物が微かに揺れた。半分割れた窓から屋外を覗いたマーク・ビショップがヤクモの方に向き直る。

「こっちも始まりました。ザクが見えます。……連邦の対空砲火も、ね」

 その直後、轟音が轟き、半ば朽ちたような建物を揺さぶる。

「マーク、ザクは何機見える?」

 マークが、再び窓の割れ目から外を覗く。こちらに向かってくる機体の他、上空にもモビルスーツのものと思われるスラスターの光点がある。

「ここから見えるだけで……2、3……5機。その後に続々と続いていますね。うちの連中が遅刻してなければ良いんですが」

 動き出す機が近づいている。緊張からか、息を呑む隊員たちに、ヤクモは努めて明るく言った。

「よし、今から5分後に作戦を開始する。各自、一服とトイレはそれまでに済ませておくように」

 

 

           *

 

 

 軍用ジープに乗った連邦軍兵士が二人、基地から前線へ向かう。その進路上に、路上に倒れこんでいる民間人を見つけて急ブレーキを掛けた。

 助手席から降りた兵士が、苛立ちの混ざった声を荒げる。

「おい、そんなところで何をしている。邪魔だよ、どいたどいた!」

 声を掛けられた民間人は、怪我をしているのか、ゆっくりと上半身だけを両腕で持ち上げた。額と口元には、血だろうか、赤いものがつき、本来端正に整えられていただろう口髭も、血のようなものでぬれているように見える。

「あんたら、軍人さんか? ……助けてくれ! 急に何か飛んできて、家が……!! なあ、助けてくれ、家にはまだ家族がいるんだよ!!」

 懸命の呼びかけである。男が震える手で指差した先には、炎に包まれた民家がある。彼らの上官である基地司令は、地域住民との融和を重視している。緊急時とはいえ、民間人を助けなかったとなれば後々面倒になりそうだ。

 顔を見合わせて。お互いの顔にその思いが反映していることを確認した連邦兵たちは、溜め息を吐いた。

「わかったよ、親父さん。ほら、立てるか?」

 一人の兵士が手を貸して民間人を立たせ、肩を貸して燃えている民家に近付いた。

 手空きの兵士が、壊れたドアを引き剥がして中を覗き込んだ。

 直後。

 ヘルメットの及ばない首筋に強い衝撃を受け、低い呻き声とともに昏倒する。

「なっ……!!」

 民間人を担いだ兵士が声を発した途端、腹部に激痛がはしる。肩を貸していた男の右手が鳩尾に食い込んでいた。

「き、貴様は……」

 呻きながら銃を構えようとしたとき、それまで抱えていた男が不敵な笑みを浮かべた。

「悪いな、こう見えてもまだ若いんだよ!」

 声と同時に顎に拳が叩き込まれ、兵士の視界は暗闇に包まれた。

 

 気絶した兵士が、複数の男に引きずられて物陰に消えた。

 その直後、「ジャーナリスト」に返送したヤクモが姿を見せる。

「名演技じゃないか、リカルド」

「そうですかね」

 演技の巧拙はともかく、「親父さん」呼ばわりされたリカルドが不満げに答える。

 しばらくして、連邦軍兵士の軍服に身を包み、ヘルメットを目深に被ったガルシアとアンディが路地に二人の前に姿を現した。

「いやいや、大尉のご意見、ごもっとも。名演技だったぜ、『親父さん』」

 笑いを噛み殺しながら茶化すアンディに、リカルドが言い返そうとしたとき、彼らの頭上を、けたたましい風切音とともに砲弾が通り抜けていった。

「よし、俺たちもそろそろ始めるか」

 ヤクモの声で、各自それぞれ動き出す。

 リカルドとマークは、砲火を縫ってザク……味方の方へ駆け出した。その場に残ったガルシアとアンディは、ヤクモの背面へ。

「ちょっと我慢して下さいね、大尉」

 アンディは、そう言いながら、自ら後ろ手になったヤクモの両手の親指を結束した。

 

 

           *

 

 

 突然の敵襲に戸惑いながらも必死の応戦を見せる連邦軍セヴァストポリ基地に、一台のジープが戻ってくる。

 つい数分前に前線の様子を見に出て行ったばかりにしては、あまりに早すぎる帰還。訝しむ兵士たちの前に止まったジープから降りた二人の兵士が、後部座席から何者かを乱暴に引きずり出した。

「おい、何してるんだ? 偵察に行ったんじゃなかったのか?」

 声を掛けてきた兵士に、運転席から降りた兵士が怒鳴った。

「馬鹿、それどころじゃない! ジオンのスパイを捕まえたんだよ! あちこちに火を点けていやがったんだ!!」

 そういって目の前に突き出された男の顔は、何人かの兵士に見覚えのあるものだった。

 数日前から、「戦時下のリアルな基地の光景を報道したい」等と言って、取材を名目に基地に出入りしていた、自称「フリージャーナリスト」の男だ。

 ダークブラウンの髪は乱れ、掛けた眼鏡のレンズには皹が入っている。

 

「大急ぎで司令の前に連れて行かなきゃならん。知っていることを全部吐かせるんだ。司令はどこにいる?」

「あ、ああ。大佐なら5階のオペレーションルームだ」

 そう答えた兵士に片手を上げると、ジープから降りた二人の兵士は、捕らえた「スパイ」の体を押すようにして、基地の中に入っていった。

 

 何人かの兵士の誰何を同じ論法で切り抜け、エレベーターに乗ったところで、ガルシアが笑う。

「ここまでは上出来。上手く行きそうですね」

「そうだな。しかし、拘束されるっていうのは、演技とはいえ気分の良いものじゃないな」

「もう少しの辛抱ですよ」

 エレベーターが最上階で停止する。

 三人の不敵な特殊部隊員は、しかつめらしい表情を作って、開かれたドアから出て行った。

 

 

「スパイだと?」

 オペレーションルームで迎撃の指揮を取っていた連邦軍大佐は、二人の兵士に連行されてきた男の顔を見て激昂した。

 見覚えのある顔。「連邦軍のシンパ」だと仄めかして自分に取り入ってきた男。まんまと騙されていた自分にも腹が立ったが、この男は許しがたい。

 

 手ずから尋問しようと男に近付いた大佐の目の前で、事態が一変した。

 後ろ手に拘束されていたはずの男が大佐に躍り掛かったのである。

 

 大佐や、居並ぶ幕僚から巧みに死角を作りながら、ガルシアがヤクモの両手を拘束する結束を解いたのである。

 

 基地司令に躍り掛かったヤクモは、動揺する大佐の左手首を左手で掴み、姿勢を入れ替えながら背中側に捻り上げた。

 激痛に呻きそうになった大佐の顎の下に、冷たい金属の塊が押し付けられる。

 いつの間に抜き放ったのか、ヤクモの右手には黒々とした拳銃が握られていた。

「動くな!!」

 ガルシアとアンディの口から、異口同音の叫びが飛び出す。

 ガルシアの両手と、アンディの右手にそれぞれ拳銃がある。それぞれの銃口は部屋の中にいる幕僚や兵士に向けられていた。

 凍りついた空気の中、基地司令を人質にしたヤクモが、窓際に音もなく移動する。

 ガルシアとアンディも、その後に続いて後退りしていく。

 

 一発の銃声が室内に乾いた音を響かせると、銃を構えた連邦の兵士が一人、胸から血を流して崩れ落ちる。

 

「動くなって警告しただろ? こっちも殺さないでおく余裕はないんでね」

 残酷な笑みを浮かべるガルシアの頬を、一筋の汗が流れる。

 その右手に持った拳銃の銃口から、幽かな煙が立ち昇り、直ぐに消えた。

 

「さて、善良な基地司令部の諸兄。このような仕儀、真に残念だが、貴方方には捕虜になっていただく」

 司令の顎の下に突きつけた拳銃はそのままに、ヤクモが告げた。

 手首を捻り上げた左手に力を込めつつ、司令に言う。

「取り敢えず、全軍に抵抗を止めるよう通告してもらおうか。顎の下にもう一つ口が欲しいのなら別だが」

 

 静まり返った室内に、ぼそぼそとした男の声が聞こえる。

 アンディが、目は室内を油断なく睨みながら、無線で味方と通話している。

「そうだ、こっちは上手く行った。頭は抑えた」

 そう告げる声が、密集しているヤクモとガルシア、そして人質となっている基地司令にだけ、聞こえた。

 

「さて司令殿。まだ返事を聞かせてもらっていないが、どうだろうか」

 ヤクモが再度司令に勧告する。

「……舐めるなよ、卑劣なスペースノイドめ。我ら連邦軍人、このような姑息な奸計にかかっておめおめと降伏など……」

 部屋に居た幕僚の一人が言いかけたとき。戦闘機の発するジェットエンジンの音にも似た轟音が頭上を通過した。その直後、彼らのいる部屋の窓から見える視界に、上空から飛び込んできた物があった。超重量の物質が近くに着陸した衝撃で、防弾ガラスが震える。

 そこには、大胆にも基地内に降下してきた二機のザクⅡの姿。超低空からとは言え、落下傘なしで降下した代償か、片足を引き摺るようにしながらも、着実に「彼ら」の方に近付いてくる。

 

 そのうち、一機のモノアイが、室内を見て禍々しく光った。

 機体の左肩に、黒々とした鴉が羽ばたいている。

 ザクⅡが、部屋の隅、ヤクモらと最も離れた窓をマシンガンで突く。厚みのある防弾ガラスは割れこそしないものの、二度、三度と打突を受けた衝撃で、壁を道連れにサッシごと剥落した。

 

『まったく、無茶するんだから。って言うか、こっちにまで無茶させないでよね!!』

 

 室内にマシンガンの銃口を差し入れたザクⅡのマイクから、女の声が外部に向けたマイクに乗って響く。

 声の主の表情を想像して、半瞬だけ苦笑したヤクモが、不敵な表情を作り直した。

 

「さて、これでも意地を張り通せるかな、誇り高い連邦の諸兄」

 十分すぎるほどに皮肉を効かせた最後通告。

 

 基地司令の体から力が抜けるのを、ヤクモは感じ取った。

 

 

           *

 

 

 連邦軍セヴァストポリ基地の陥落にやや遅れて、オデッサ及びその周辺地域にたなびく旗が、ジオンの国旗に変わった。

 

 制圧した基地の後始末を陸上部隊に委ねてオデッサに転進したヤクモたちは、数日振りにシュタイナー大尉以下、サイクロプス隊の面々と合流した。

 

 「オデッサの階段」と呼ばれる、市内に作られた長大な階段の上である。

 既に上りきった朝日が、階段の下方に見える黒海に刺さり、黄金の輝きを乱反射させている。

 

「なかなか面白い仕事をさせてもらったよ、大尉」

 口にくわえた煙草の火を燻らせながら、シュタイナーが渋く笑いかける。

「どんな奴らが来るかと、最初は危ぶんだものだがな」

「恐縮です。こちらこそ、いい経験をさせてもらいました」

 本心からヤクモが答えた。

「カミンスキー中尉にも、世話になった」

「おっと、他人行儀はよしてください。『ミーシャ』でいいですよ、あんた方なら」

 強面に似合わず、意外と気のいい巨漢が、ニッと笑ってウォッカの入ったスキットルをあおる。

「セト大尉、ヴェガ少尉。あんたたちの名演技は、暫く話の種にさせてもらいますよ」

 額のバンダナを外しながら、ガルシアが笑う。

 渋い顔をしたのはリカルドである。

「軍曹、それは勘弁してくれ。もう忘れてくれよ」

 それを横で聞いたアンディ・カペラが、堪えかねて噴き出した。

 リカルドが同僚を睨み、マークがやれやれといった表情で肩を竦める。

 

 それぞれに片手を上げて立ち去るサイクロプス隊を見送った後、部下たちを眺めながら、ヤクモは心中に思った。

 

 まあ、面白い部隊ではあるな。

 個性的な面々をまとめる苦労は、統括指揮をとる少佐殿にやって頂こうか。

 

 意地の悪いことを考えながら、ヤクモは友人ーーカイ・ハイメンダールの待つ駐屯地に足を向けた。

 




 なんと言うか、「潜入工作」というか、「スパイ物」的なのを書いてみたかったんです。

 描写の甘いところは寛大にスルーしていただけると幸いです。

 さて、これから原作でも筋書きがアバウトなんだよなあ、なんて思う今日この頃。
 これからどうしようかな…

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。