気がつけば全てが終わっていた。意識を失っていたことにも気がついていなかった。最後の一撃を放ったと思ったら、全て終わっていたのだ。
後頭部には柔らかな感触。目の前には疲労を滲ませつつだらけきった笑みを見せるエミリアが私の顔を覗き込んでいた。膝枕されているらしい。
仰向けに倒れている。地面に背中をぴったりと付けているのか。それが何を意味するのかなどすぐに頭の中に浮かんでくる。身体の熱はもうない。芯から冷め切ってしまっていた。
「負けちゃったか」
口に出してみると思っていたよりもショックが少ないことが分かった。スラリと敗北を認められる。体温を失った肉体は敗北に熱意が途絶えたわけではなく、想いを果たせて満足してしまったから熱が冷めたのだろう。もう過去から続いていたくすぶり続けた火は消えたということだ。
「ああ、私の勝ちだ」
勝ち誇っている。想い遂げて幸せそうな顔をしている。だらしない笑顔の中にもギリギリ凛々しい部分が残っているために奇妙な表情になってしまっている。
涎が垂れてきたらどうしようか。避けようにも地味に頭部が固定されてしまって動かせない。右足はともかくとして四肢全体に力が入らない。芯が抜けてしまったみたいに脳からの指示を受け付けてくれないのだ。
「右足のハンデありきでも、いま出せる全力を出して負けたから悔いなしだね」
「だな。お前の顔見れば分かる。何年も見続けたからな。清々しい顔だ……キスしていいか?」
「雰囲気ぶち壊してくれるね。駄目に決まっているでしょ」
「子供を気にするのは分かるけどな」
「どうしてそういう方向に持っていくのかな?」
頬を撫でられる。くすぐったいけど下心の見え隠れが凄すぎて安心できない。
溜息を吐く。シリアスになれない私達はきっと重要な場面では遠ざけられる存在だろう。こちらとしてもシリアス過ぎる場面は御免被るので願ったり叶ったりではある。疎外感は仕方がないとして。
しかし、今日は頑張る必要がある。シリアスに首を突っ込んでいかなければならない。望む望まないは関係ない。余計な横槍で生徒たちの学園生活が著しく乱されてしまっているのだ。野放しにはできるわけもない。
「エミリア。さっき聞いたよね?」
「聞いたな。決着の最中で鬱陶しいと思ったがな。苦戦しているか、確実な手段を選んだのか分からないが千冬が援護を求めていた」
「エミリアは動けるはずだよね」
「動けはする。だが長くは持たない。エネルギーの補充をしているが時間が足りなすぎる」
「でも動けるんだね」
「遊姫が心無い暴漢に襲われたらどうする?」
「暴漢の時点で十分心無いから。大丈夫だよ。なんとかしてみせるさ」
「動けないのにか?」
「ばれてた?」
「されるがままだからな。気がつく」
梃子でも動かないようだ。エミリアは事態に対して無関心過ぎるからこそ、非常事態でも基本的に平静で居られるタイプだ。対岸の火事を気にする必要はないからその通りに動いている。
「お願いだよ。千冬先輩を助けに行って」
「じゃあ約束しろ」
「できない約束はしない主義なんだ」
「聞いてからの判断を求める」
「駄目だね」
「……じゃあ、せめて帰ったら抱きしめてくれ」
「……最大限の譲歩をありがとうね。約束するよ。だから怪我しないように気をつけてね」
後頭部にあった暖かさがなくなる。エミリアの顔が遠ざかり、すぐさま視界から消え去ってしまう。地面を踏みしめる音とわずかな振動だけが、彼女が遠ざかっていることをおしえてくれる。
私は私で、何もすることができずに地面に仰向けに倒れたままだ。見えるのは晴天の空だ。やけに遠く見える空が何とも物悲しい。
「どうにもならないかな。全然力が入らないんだけど」
一応、千冬先輩からの援護要請が届いたけれど行けそうにはない。そもそも千冬先輩には今回の試合のことを伝えてないから、その間はずっと先輩一人で持ちこたえていることになるな。終わったら怒られそうだ。
「手元にISがないから手詰まり」
誰かに伝えるわけではないけれど、言葉にしなければやってられない気分だった。
エミリアと千冬先輩が勝利することを祈るしかない自分に恥ずかしさを感じた。
戦いは徐々に終息へと向かっていた。各エリアで猛威を振るっていたゴーレムⅢは専用機持ち達に撃破されて数を減らしていき、つい先ほどオープン・チャンネルを通して全滅が確認された。
残るのは全ての元凶である篠ノ之束ただ一人だ。どこの国もが確保を望んでいる存在は、各国の代表候補達が等しく消耗し切っているために、確保に向かうこともできずにいた。
千冬と束がぶつかり合うアリーナから二つほど離れたアリーナでは、ゴーレムⅢの全滅の報告と被害報告を一辺に受信した楯無が地面にへたり込んで肩で息をしていた。
楯無だけではない。
一夏も箒も簪も疲労に立ち上がることすらできなくなっていた。ISの方もダメージが無視できるレベルではなくすぐさま現場復帰できる状況ではなかった。
楯無が呼び寄せた整備班が汗水垂らしながら迅速な修復作業を行ってはいるが、それでも最短で三十分は時間を要する。
誰一人身動きの取れない中で、たった一人だけ必死になって口の中に食べ物を詰め込んでいる少女がいた。
小さな口に次々と食べ物を押し込んでいき、喉で引っかかったものを水で無理矢理流し込んでいく。
「んぐ……んぐ……はふぅ。回復です!!」
ようやく口が自由になった姫麗が満足の声を上げる。試合の疲労を休憩である程度癒し、身体をこれでもかと動かして消費したカロリーを食事で補給し、ISのエネルギーを設備で供給を終えた。
これでまた戦える。姫麗が立ち上がって深く息を吸い込んで吐きだす。
母様を困らせる原因がまだ一人残っている。それも親玉のような奴が。
ならば、娘である自分が倒さなければならないだろう。姫麗はISを纏ってアリーナの出入口へと突っ走る。背中に制止の声がかけられた気がしないでもないが、関係がなかった。
姫麗は既に決めているのだから。生みの親である篠ノ之束に牙を剥くことを。
篠ノ之束に作られた姫麗が同じく篠ノ之束によって造り出されたISを伴って反旗を翻す。なんという恩知らずな行為だろう。相手が少しでも情の湧く相手ならば、幼心の姫麗も戸惑ったものだが、相手は欠片も情が湧かないので問題はなかった。
「母様のためなら、たとえ火の中水の中です。月を砕いて太陽を消し飛ばして見せます!!」
事態は動き出した。
最初の乱入者は正確無比な狙撃と共に姿を現した。装甲のあちこちに罅が入り、何ヶ所かは修復が間に合わずに壊れたままの姿で、エミリア・カルケイドはレーザー・ライフルの引き金を引く。
狙いは束の後頭部。背後からの狙撃は卑怯とも取れるが相手は人間のルールを無視するような自由人であるから、狙われ方も自由であるべきであろう。よって一般的に卑怯と呼ばれる手段は、束に対してのみ卑怯とは扱われない。
だから、エミリアは躊躇なく狙い撃つ。たとえ、相手が束以外の存在であっても平気で背後から狙い撃つ所存ではあるのだが、それは今関係のない話だ。
狙撃は見事に命中する。後頭部を焼かれて前のめりになる束を千冬が刀を振るって地面へと叩き落とす。
「いったいな~。今のはえーちゃんかな?」
地面すれすれでピタリと制止してみせた束が狙撃の方向を確認して舌をぺろりと見せる。
「ざんねーん!! 私ですから」
高速接近。何もない空から現れた姫麗が今度こそ束を地面へと叩きつける。生みの親より育ての親。姫麗にとっては束など遠慮する相手ではないのだ。
「死ねぇ!!」
言葉汚くなってしまうのも仕方がない。容赦のない蹴りで束を空へと蹴り上げる。
「うーん。少しピンチかな? さすがの束さんも面倒なの三人を相手にするのは御免こうむると言わざるを得ないよ」
空中で体勢を立て直し、空へ空へと駆けて行く。自らを天才だと称して憚らない童心の女性は笑顔を崩さずに逃げの姿勢を見せる。
「ゆーちゃんがやってくるかと思ったんだけど、ゆーちゃんの紛い物が来たか。それもどこで手に入れたんだろうね?」
まぁ、どうせ取るに足らない事態だろうけどね。束の笑顔が外れない理由はそれでも負けないという自負があるからだ。
「ぶつぶつ喋る余裕があるとはいい身分だ」
逃走経路に回り込む千冬。束のISと千冬のISの速度は若干束に軍配が上がるため、普通なら回り込むことは不可能である。とくに逃げる束と真逆の位置にいた千冬では本人がどう動こうと立ち塞がることはできない。
だから千冬はすぐさま指示を飛ばしたのだ。この場にで一番速いISを使う姫麗に、自分を束の前に運べ、と。
雪片が空を滑る。音もなく滑らかに首を刎ね飛ばさんとする刃を束は仰け反って回避する。
そこへレーザーが照射される。心臓部を狙うという維持の悪さと、的確な位置への射撃を行うのはエミリアである。
しかし、束は身体を大きく捻って避けきってみせる。オーバースペックと豪語するだけの反射神経と身体能力を備えているだけある。
だが、それは千冬やエミリアも同じであり、ISで底上げされているとは言え姫麗も備えているのだから、束は徐々に追い詰められていっている。本人にはその気はないが、客観的に見れば確実に追い込まれている状況なのだ。
「接近です!!」
「斬る!!」
逃げる束の前に回り込む姫麗に、背後から斬りかかる千冬。二人の行動の途切れる時を補うようにエミリアが狙撃で介入する。
三人の猛攻を受ければいかに天才と言えども平気ではいられない。世界を震撼させる天才たちは常に衆愚の波に屈して流されていく。そういう意味ではまさしく束は天才の一人だった。凡庸な集団によって道を砕かれる天才。
「……何かおかしい」
零落白夜の光が視界を覆い尽くした時、束は我知らず呟いた。頭の中で回転を続ける思考があり得ないと訴えている。ここで負けることなどあってはならないと。
「何もおかしくはないだろう。報いを受ける時が来ただけだ」
千冬の声が耳を通して脳髄を侵食していく。
報いとは何なのか。何故自分が報いを受けなければならないのか。報いを受けるべき人間など他にいるではないか。
光が束を飲み込む。彼女の思考の渦さえも構わずに。