全ては専用機持ちだけが参加できるタッグマッチで起きる。一番近くに控えているイベントらしいイベントはそのタッグマッチだけだ。
千冬先輩は来るべき時に備えて何かしているようだけど、その何かというものは教えてもらえていない。
もしかして、姫麗のことをまだ信じていないのだろうかと危惧してみたけど、千冬先輩が言うにはそういうことではないらしい。
私にはよく分からない。
千冬先輩は元を正せば専用機持ちの一人だった。モンド・グロッソで優勝するだけでなく、もう一度モンド・グロッソに出場するだけの力と技術を持ち合わせているほどだ。
千冬先輩の専用機と言えば世間でも有名な『暮桜』と呼ばれるIS。私と同じ第二世代のISであり、他のどのISよりもシンプルな存在だ。
武器は確かブレードが一本くらいだ。シンプルにもほどがあるけれど、言い換えればブレード一本あれば事足りるほどに千冬先輩が強いということだ。
エミリアが言うには、千冬先輩の腕の動きを捉えるのは大変難しいらしい。
その千冬先輩が何を考えているのか。
まぁ、私の知る千冬先輩のことだからそこまで策士みたいなことは考えていないと思う。あの人には絡め手なんて似合わないしね。
エミリアはエミリアで、なるようになると何も考えてないように日々を過ごしている。実際に何も考えてないような気がする。たぶん、束先輩の思惑に無関心だから。
私は私で千冬先輩からは関わるなと指示を受けている。
私の現状を考えれば確かに関わるべきではないだろう。なにせ万全の状態じゃないんだ。二度と万全には戻らないし、戻れるとしても戻る気はないものだから、私はこれから荒事に関してはいつまでも蚊帳の外に居る人間ということになる。
というわけで、私は当日ももうして保健室で怪我人の為に待機するだけの存在だ。
少しばかり惜しいとは思っている。
手元にISがあるというのに、それを活用することもできずに他に人達に全てを任せきりになってしまっているのだから。
かと言って無理するのは違う。周りに迷惑をかけるだけだ。
周囲に期待されていないことは気にならないが、自分が役に立つことができないのは辛い。それも怪我人が出るかもしれない中で、怪我人がやって来るのを待つだけなのは胸が苦しくなる。
エミリアは誰か怪我人が出れば遠慮なく呼びつける、と私の気持ちを慮って言ってくれたけど、私は私でもっとできることがあるんじゃないか、と脅迫観念みたいなのが頭の中でガンガンと鳴る。
不安なのか、それとも不満なのか。
「母様? どうしました?」
日常の一部と化している膝に乗った姫麗が心配そうに私を見上げてくる。顔色に出ていてしまったことで姫麗を不安に陥れてしまい、親として失格かな。
「どうもしてないよ」
誤魔化すために姫麗をギュッと抱きしめて可愛がる。きっとこの誤魔化しは通じないだろうな。姫麗と過ごして分かったけど、親が子供をよく見ているように、子供も親をよく見ているのだ。親によく似るというのは、まさしく子供が親をよく見ている証拠なのだ。
「そうですか。安心します」
バレているな。姫麗は納得していない時はこんなふうに「安心します」と言っちゃうからな。
不安なり不満なり分からないけど、姫麗を心配させないように私は自分に圧し掛かっている理解できていない感情を飲み込んで仕舞い込んでおかなければいけない。
「でも、もっと安心したいです」
腕に収まる姫麗が胸に顔を埋めてくる。吐き出される息は暖かく、この子がクローンなどという括りでは収まらない存在であることを再認識させてくれる。
グリグリと顔を擦りつけてくる姫麗は、まるで私を安心させてくれるようだ。ホッと息が漏れ出してくる。
安心させてくれる。本当に安心できる。
考えてみると、エミリアが事あるごとに私に引っ付いてくるのも似たような感じなのかな。安心するために抱き着いてきたりする。人間は人肌に安心感を抱くらしいから、その理由が通じる気がする。
ふと、エミリアの事が妙に気になってくる。
エミリアと言えば、私がIS学園に入学して暫くしてから親しくなって、今の今まで仲良くしている友人だ。
と言っても向こうは昔から化け物じみた射撃の腕前、こっちは射撃も格闘もからっきしな劣等生。それはもう普通に考えてみれば接点なんてない。
だけど、私は自分のスタイルを見つけた。正確には見つけてもらったというべきだろう。風撫を得て、高速戦闘に目覚めてからは勝てない相手にだってバンバンと勝利をもぎ取ることができるようになり、気づけば私の速度を捉えることできるエミリアとライバル関係になって、私生活ではかなり仲良くなっていった。
最終的にはモンド・グロッソで決着をつける、という約束をして別れたけれど、その約束は私が反故にしてしまったが故に叶わずだ。
「何となく……何となくモヤモヤかな」
暗闇の中で一ヶ所だけ光の当たる場所がある。真っ暗に染まる世界で一筋の光を受けるその場所は穢されることのない聖域のような神聖さが漂っている。
光の下にあるのは一つの鎧。三十年前に現れた世界に激震をもたらした機械仕掛けの鎧だ。それは神や精霊によって作り出される御伽話の鎧と違い現実と重量を感じさせる人間だけの手によって創造された鎧である。
空を飛び、姿を隠し、身を守り、何もないところから武器を取り出す。御伽話の鎧とは比べ物にならないほどに強力で現実味のない鎧の性能は、確かに一人の人間の手によって生み出された物だ。
そして、その鎧は見る者が見ればまさしく最強の鎧であった。
暮桜。
かつて織斑千冬が現役時代だった時に身に纏っていたISの名前であり、装着者共々最強の名前を与えられた古き鎧。
単純なスペックだけを言えば開発が進む第三世代型に劣る旧式のIS。
もはや新世代を前にしてその輝きも鈍り出している身でありながら、織斑千冬はかつても相棒の表面装甲を指でなぞり、再び身に纏おうとしていた。
もはや、束を野放しにすることはできない。
世界を舞台に遊び呆ける知り合いをこの機に捕える。
エミリアと遊姫がもたらした情報から、束は専用機持ち限定のタッグトーナメントで姿を現すという。
そう、姿を現すのだ。何が目的なのか暫く友人をしていた千冬には察することはできないが、彼女にはそんなこと関係のない話であった。
暗闇に照らされる装甲に反射する自身の顔を見て、手のかかる二人の後輩はどう思うだろうか。
頬に手を当てると、自分でも分かるほどに頬の筋肉が強張っている。笑顔すら作ることもできない。
「しかし、勝てるか」
振るき鎧を前に独り言ちる。
千冬を世界最強まで引き上げたISも時代の波にはいずれ置いていかれてしまうものである。
遊姫のIS『風撫』のように常人に扱えるものではない一極集中の機体ではなく、ただブレード一本携えただけの量産機よりは性能の高いISでしかない暮桜は今となれば老木でしかない。
勝ち目の薄い戦いを強いられているのかもな。
頼みの綱は最強の攻撃力を持った零落白夜になる。斬りつけることさえできれば勝ち戦を演じることができるが、それは篠ノ之束も知っていることである。
天才を自称する束のことであるから万全の対策を練っているのかもしれない。千冬にとって相手が相応の手段を講じるようであれば、勝ちを取りに行くことは彼女自身の実力を以ても不可能になってしまう。
願うしかないかな。天才を相手にして神頼みもおかしいが。
鼻で笑いたくなる弱気だ。自分自身とは信じたくないな、と千冬は溜息を吐きだす。来たる日に備えて鍛練に勤しむほかないだろう。
暮桜に背を向ける。
そこで千冬はやっと気がつく。
「はじめまして」
この暗闇の中に自分以外の人間が介在していることに。
「織斑千冬様と暮桜様ですね」
四肢に力が巡る。この空間を知るのは学園でもほんの一握りの人物だ。さらに暮桜の置いてあるこの場所はさらに少ない人間しか知らない。
侵入者か。
はじめまして、という挨拶を受けて千冬は判断を下した。ここに入れる人間は彼女の顔を知ってるし、彼女もその許可された人物たちの声は記憶している。
闇に紛れる人物は記憶する誰とも一致していない女の声であることから、侵入者だと決めつけるのは自然の話だ。
「誰だ?」
どうせ答えないか、と割り切っているが、相手が馬鹿かもしれないことを考えて千冬は警告を踏まえて問いかける。
相手は間を置く。沈黙が答えになる。
判断して、千冬がスーツのポケットから投擲のためにボールペンを取り出そうすると、相手の女は遅れて答えを告げる。
「私は篠ノ之の使いの者です」
淡々とこともなく言い切る女に、千冬は警戒を最大まで引き上げる。安心できる要素など一片も存在しないものだから当然である。
「この度はそちらの暮桜様のアップデートをしにまいりました。ああ、お代はけっこうですよ」
暗闇の中から浮かび上がった女はニコリともせずに手を差し出してきた。