織斑一夏とセシリア・オルコットが、来週の月曜日の放課後に試合をする。
それを、昨日の放課後に聞いた私は、特にどうこう言うことはなかった。あえて言うことがあるとすれば、勝ち目のない闘いだとだけ思った。
そういえば、昔、千冬先輩が愚痴をこぼしていたな。イジメっ子三人を相手に真っ向から立ち向かって、忙しいのに呼び出されてしまったと。その愚痴も最後は遠まわしの弟自慢にすり替わっていたけど。
保健室の壁にかけられた丸型の時計を見る。短い針が五の数字を指している。このまま、部活動やIS訓練での怪我人がでなければ、今日も終わりだ。
慌ただしくないことはいいことだ。ほうじ茶片手にしみじみ思う。同時に、多少の物足りなさを感じた。
私は暇な時間を、暇なままで終わらせるのもどうかと思ったので、外出することにした。分かりやすい職務放棄だ。
私の立場を、分かりやすい形で示す白衣を脱ぎ捨て、保健室から出る。
白衣を脱ぎ捨てたからといって、職務を完全に放棄した訳ではない。保健室から出る際に救急箱を持っていく。向かった先に、怪我人がいないとは限らないので、最低限は整えておくのだ。
私は軽やかな足取りで廊下を進んでいく。目的地は特に定めておらず、風の向くまま気の向くままと言わんばかりに、フラフラ進路を変更していく。
数分間歩き続けてたどり着いた場所は、敷居の高そうな剣道・柔道兼用の道場だ。レベルの高い学校だからなのか、外観からでも中が広いと分かる。
道場の中は人で溢れかえっていた。ほとんどがギャラリーなのだろう。制服姿で道場の一画を取り囲んでいる。もちろん全員、靴しっかり脱いでいる。何故なら、土足厳禁なのだから。
集まっているギャラリーを見て、それほどの試合をやっているのかと思い、その集団へと溶け込んだ。所々に空いた隙間に体をねじ込んでいけば、あっという間に試合状況を見ることができるようになる。
試合は切迫した真剣勝負を展開中。そう期待しての見学だったが、目の前の試合は経験者が素人イジメをしているようにしか見えない内容だ。これに集まったギャラリーの意図が理解できないほど、つまらない試合だ。
「面!」
力強い声と同時に振り下ろされる竹刀が、対戦者の頭に命中して、試合は終了した。声から勝者は女性のようだ。
「どういうことだ」
面具を外して、現れた顔は篠ノ之箒だった。
ということは。そう思って敗者に視線を移す。面具を外した敗者は額からびっしりと汗を流す一夏だった。あの素人をぎりぎり脱したような剣術使いが一夏だったのか。
「どういうことって言われてもな」
「どうしてここまで弱くなっている」
何が原因で、剣道でぶつかりあったのかは定かではないが、身を以て感じた結果に箒は不満があるらしい。
「中学では何部に所属していた」
「帰宅部。三年連続皆勤賞」
帰宅し続けたことを誇って、一夏には他に誇れるところがないんだね。そういえば、千冬先輩が「学生の本業は勉学だというのに、家計のためだと言ってアルバイトするなんて。私がきちんと収入を得ていると何度も言っているのに。まぁ、そこが一夏良いところだがな」なんて言ってたな。何処にどんな良いところが隠されているか、まったく分からない。
「情けない! 情けなさすぎる! 鍛え直す。私が直々に鍛え直してやる。ISがどうこう以前の問題だ。毎日三時間、私が稽古をつけてやる」
大衆の面前で、一夏に怒鳴り散らす箒。
「ちょっと長くないか? それに俺が教えてほしいのはISのことで」
「それは自分でなんとかものにしろ。私ではどうにもすることはできない」
「いやいや、お前が教えてくれるって言ったんだろ」
何やら問題が発生している模様。最初からだけど興が削がれた。
私はゆっくりと、その場を後にした。
道場を後にして、次にたどり着いたのは射撃訓練場。ISの装備には剣と銃があり、此処では銃を使った射撃訓練を行っている。練習風景は刑事ドラマで、たまに見かけることができる射撃訓練と変わらない。
私が射撃訓練場へと入ると、中は重苦しい雰囲気が充満していた。その雰囲気の発生元は緊張した面持ちで、一点を見つめている生徒達からだった。リボンの色から、生徒は二年と三年が入り乱れている。
彼女達が見つめる先には、体を斜にしたエミリアがいた。前方へと突き出した手の先には、黒光りする拳銃が握られていた。
私は、射撃場の入口で立ち止まって、状況が進むことを静かに見守ることにした。久しぶりに見るエミリアの射撃に、期待している自分がいる。
エミリアの、拳銃の引き金にかかった指が動いたのはすぐだった。この空気へと入り込んだ私には、指が動くまで、数十秒要したように感じられた。生徒達はもっと長く感じているかもしれない。
乾いた破裂音が、防音加工を施された室内に響き渡る。日常の中で聞くことのない銃声に、生徒達が動じることはない。私も同じだ。
破裂音が連続して続く。第一射から、等間隔に五発の発射音が聞こえる。続いて、生徒達の吐息が溢れる音がする。
私は、エミリアが狙い撃った、人の上半身を模した的に視線を向ける。入口からでは的が遠くて、結果を見ることができない。
仕方なしにと近づけば、的に一箇所だけ穴が空いてるのが見える。本来、心臓があるところにぽっかりと空いた穴。エミリアの腕前を知らない者は、六発撃って五発も外したと思うだろう。的に命中させるのなら、間違いではない。彼女は一発目で空けた穴に、残りの弾丸をくぐり抜けさせたのだから。
「相変わらず、真似することができない腕前で」
私は思ったことをそのまま口にする。声に気がついたエミリアが、私の方へと振り向く。クールな笑みを浮かべて、私へと近づいてきた。
「落第ぎりぎりの腕前では難しい話だ」
痛いところをついてくる。
「それにしても、珍しいじゃないか。遊姫が此処に来るなんて」
「ふらりふらりと歩いていたら、いつの間にかたどり着いたんだよ」
「運命なのかもしれないな」
どこか嬉しそうに、拳銃を指で回転させるエミリア。
「休憩でもするかな」
エミリアがそんなことを言うので、私は彼女の手から拳銃を奪った。
「危険な物で遊ばないように。そして、これどーぞ」
代わりに救急箱を押し付けた。エミリアの休憩場所は保健室なのだから構わないだろう。