どうしてあんな話をしてしまったのか。
エミリアは自問する。答えなんてでないことなど自分自身が一番分かっている。頭が良い訳などない。ISの装着者はインテリばかりではあるが、エミリアは勉強面はともかくとして知力は弱い方であると自分を評価していた。
なにせ、今の自分の不可解な言動を上手く解き明かすことができていないのだから。これで頭が良いなどと誇ることはできない。彼女の場合そもそも誇ることなどしないが、とにもかくにも、エミリアは先ほどの自分がよく分からなかった。
異世界の自分とあのひと時だけ入れ替わったのではないか。そんな突拍子もないことを思いついてしまうほどに自分が理解できない。
知り合いと出会うのはマズいな。何か訳の分からないことを口走ってしまうかもしれない。
エミリアは暫く考え込むと、くーちゃんのいる場所へと向かった。
「また来ましたか。暇なんですね」
出会い頭の嫌味を受けて、エミリアは何も感情を乱されることもなく冷えた鋼鉄の床へと座り込んだ。
くーちゃんが拘束された部屋には誰もこない。情報を持たないその存在を持て余してここに放り込んだのだから、わざわざ何かする為に人が来ることはない。あるとすれば食事を運びに来る時くらいである。朝昼晩の一定の時間を避けてしまえば誰もこない。だから選んだのだ。
「母様から聞きましたよ。貴女は真面目ではないと。ここに来るのも納得ができます」
耳を傾けることはない。エミリアはそのまま地べたに身体を放った。背中がひんやりする。この冷たさが冷静さを取り戻してくれるというのなら、いつまでもこうしていよう。
エミリアの行動を訝しむくーちゃんはそれでもと言葉を発する。この場所は食事係がやってくる以外に来客は存在しない。それは喋る相手がいないということに繋がる。孤独は精神を病むのだ。
「いつもの無礼な態度も見せない。気色悪いですね」
底なしだ。心の奥底には何があるのか。最大の目的は何か。人生において私が果たすべきことは何なのか。
馬鹿馬鹿しい思考をしている。人生の意味なんて考える必要なんてあるのか。果たさなきゃいけないことなんて考える必要なんてないだろう。
人生なんて自由気まま。己が欲望に従い、誰かの横槍に嘆いていればそれでいい。思い通りになることとならないことを見て聞いて体験していればいい。
後世に残すなんてことは使命を抱きかかえなきゃ行動の出来ない奴らだけが叫んでいればいい。
「……無視も無礼には違いありませんが、いつもの貴方とは大違いですね」
溜息が出てくる。そのままこの肥大していく想いも出ていってくれれば楽になれるのかもしれないが、その程度で出ていくほど簡単なモノではないだろう。
エミリアは目を閉じて何とか無心になろうとする。無理だった。無心なんてロボットの所業だ。人間味溢れる彼女には到底不可能な領域である。
遊姫は好きだ。愛していると言ってもいい。
そして好敵手だ。エミリアにとっては最高最強の敵であり、何度も地面に叩き落とし、何度も地面に叩き落とされた仲だ。そして、モンド・グロッソで決勝を楽しむはずだった。最高の舞台で全ての力を以て勝ちを掴みにいくはずだった。
互いに大きな物を失って大会への切符を手放す羽目になり、エミリアが失った物を奇跡的に取り戻し日本に戻って来たが、そこに居たのは腑抜けた遊姫だ。悪いとは思わなかったが、戦えなくなった事実は痛かった。それは彼女が精神的に立ち直っても同じであり、再び彼女が足を駄目にしたせいでその機会は永遠に失われた。
「どうにかなんないものか」
どうにでもできる。あの姫麗を人質にして試合を強要すればいい。そうすれば戦うことはできる。
できるのだが、それをすれば最後だ。エミリアは嫌われに嫌われて信頼は地に落ちてしまうことだろう。それは彼女の望むことではない。戦いたいけど嫌われたくない。それが彼女の頭の中にある絶対的な想いだ。
きっかけがあればいい。たとえば何かの事情でエミリアが敵に回らなきゃいけない状況だったり、先ほどの人質話をエミリア以外が行って、遊姫を止めるためにエミリアが出張るとか。
世の中はそんなに都合よくいかない。
「何か困っているみたいですね」
掻き毟られる。心臓が止まればこんな思いもしなくて済むか。
「貴女らしくもない」
「知らないだろ」
「ようやく返ってきました。寝ているのかと思いました」
「五月蠅い」
「そうです。それが貴女らしさですよ。こんな幼気な少女の腕を折ってしまうくらいですから」
それがどうしたというのか。ムカつくから腕を折って何が悪い、とエミリアは仰向けのまま腕を組んでそっぽを向く。
「ですが、私はそれを水に流します。それだけでなく貴女にいい情報を伝えてあげましょう」
くーちゃんが喜色を含んだ言葉を吐きだすと、エミリアは億劫そうに少女の幼顔を視界に捉える。
「近々母様がこちらにやってきます」
保健室の店仕舞いはけっこう遅い。部活動の生徒たちのためにギリギリまでは営業している。
しかし、最初からそうであったわけではない。少なくとも私が保健医として控え始めてから暫くの間は九時五時の素晴らしい勤務態度を維持していた。
部活動に精を出す熱心な生徒たちの為に遅くまでやるようになったのは本当に最近の話だ。私がよくやく自分らしさというモノを取り戻してからのことであって、それまではずっと短い時間でしか保健室は稼働していなかった。
それはそれは私の黒歴史の一部で、生徒たちには悪いことをしてしまったと思う。やさぐれていたとしていても、やっぱり保健の先生としての職務を全うするべきだったはずなのに。
「はてはてさてさて。今からでも取り戻していこうかな」
ノートパソコンでカチカチと仕事をしながら怪我人を待つ。来ないなら来ないで今日は珍しく怪我人ゼロという素晴らしい日になりそうだ。保健室を利用しなくていいならばそれに越したことはない。怪我しないのが一番いいのだ。
それにしても、と室内を見渡すと姫麗の姿はどこにも見ることができない。あの子はたまに学園内を散歩しにいなくなることがある。短く帰ってくることもが長い時は長い。もしかして、ばったり出くわした生徒たちと仲良く話をしていたりするのかな。
カチカチとキーボードをリズミカルに叩いていく。叩いていけば文字が表示されていきいずれは意味のある文章になっていく。小さなものがやがては大きく意味のあるものになっていく。きっと、今ここで頑張っている生徒たちも大きなものになっていくに違いない。本当に大成する人もいれば、自分が幸せだと思える生き方をする人もいる。
私の人生はどうだろうか。大きく意味のあるものになったのかな。
ふむ、と顎に手を当てて考えてみる。生徒がやってくるまでの間、少しだけ休憩がてら顧みてみよう。私自身のことを。
私という人間は大成しているだろうか。幸せと呼べる生き方をしているだろうか。
大成はしていない。歴史に名前を遺す偉人でもなければ、多くの人の名前に残るようなこともしていない。チャンスはあったけど結果はそうじゃないから大成はしていないのだ。残念とは思うけど特にそれを悔やむことはない。
じゃあ幸せだろうか。
うん、私は確かに幸せだ。右足は使えなくなって不便にはなったけど娘ができて生活は華やかになったし、過去を乗り越えて幸せになったと自覚している。
そうだ、私はこれでもかと幸せなんだ。
ほうじ茶を飲んでホッと一息ついていると、ちょうどいいタイミングで姫麗が散歩から帰ってきた。なんだか楽しかったという雰囲気ではなさそうな顔をしている。
「お帰り、姫麗。お茶飲む?」
まずは手招きして膝の上に乗っけてあげる。とりあえず気持ちが乱れているのなら落ち着かせるのが最初だ。
ほうじ茶を手渡してみるが、一向に口を付ける様子がない。不安なことでもあったのだろうか。
「どうかしたの?」
優しく抱きしめながら静かに問いかける。
そうすれば姫麗ははふぅ、と安心したように吐息を漏らす。それで手渡したお茶に口をつけてくれた。
「母様……怒らないで聞いてくれますか」
姫麗はおずおずと私を見上げてポツリと言う。怒られることに怯えていたみたいだ。そんなに怒ったことはないんだけどな。
もしかして知らない間に恐怖政治でも敷いちゃったのかな、と頭の片隅で考えながら続きを促してみると、姫麗が意を決して口を開く。
「実は……母様に内緒で篠ノ之束と通信していました」