IS 教師の一人が月村さん   作:ネコ削ぎ

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9話

「ということで簪ちゃんが心配な訳ですよ」

 

 全ての始まりは唐突に保健室にやってきた楯無によってもたらされた。

 

「分からないなー」

 

 私は特に興味がないので棒読みな返事をするだけ。前置きもなく、ということで、と言われてもこっちが困る。なにせ話が分からない状態でのスタートだ。分かる訳もない。

 私は私で膝に座った姫麗の頭を撫でるのに精一杯になっているからそもそも聞く気はない。うん、ダメな教師だとは思うよ。生徒の人生相談を無視するなんて。

 

「ワカラナイナー」

 

 何故か私の真似をする姫麗。可愛いから頬ずりしてみる。ぷにぷにふわふわ。

 

「先生は良いですよねぇ。良いですよねぇ」

「二度言われても困るかな。だってこれは分けられない幸せだからね」

 

 もう親ばかと言われても構わない。私の中に眠る母と同じ血が目覚めてしまった以上もはや止めることは不可能だ。諦めて血の衝動に任せるべきだ。

 母に頭を撫でてもらう心地よさを思い出すと、つい姫麗にもこの心地よさを知ってほしくなって必要以上に頭を撫でてしまうから、もしかしたら姫麗が嫌がったりして。

 嫌な想像が頭を過った。背筋が凍りつきそうな冷たい妄想に耐えられず、撫でる手を止めてしまう。

 

「母様。もっと頭撫でてください」

 

 すると姫麗が子猫みたいに頭を私の胸に刷り寄せて催促してくる。

 

「甘えん坊だね」

 

 嫌われてない。むしろ好かれている。こんなに幸せなことはない。嬉しくなって気持ちが高揚してしまい、いっぱい撫でてあげた。

 

「くっ! 人がこんなに辛い思いをしているというのに見せつけて」

「いやいやいやいや。全く状況が分かってないから。情報もないのにどう察すればいいのかな?」

「そこは生徒たちをしっかりと見ている教員パワーを使うべきじゃないですか」

「悪いけど、最近になってちゃんとするようになっただけの私に何を言っているの。人たらしで有名な生徒会長様のお心なんて分かりませんよ」

「突然の距離感!? これが虐めが起こっている時の教師の不干渉かしら」

 

 

 わざとらしく膝から崩れ落ちる楯無。膝が地面にぶつかる瞬間に足に力を入れて減速したのは指摘しないでおこう。明らかわざとだと分かることだしね。

 しかし、まさか楯無が身内のことを口走るなんて。普段は不敵な笑みで余裕を崩さない姿からは想像がいなかい。切羽詰まってのことで私みたいないち教師に口を滑らせたのか。それとも私を評価してのことだろうか。

 前者なら、完璧を生きる楯無が口を滑らせる程度には気を許してくれていると取れる。

 後者なら、単純に評価を買ってもらっていることと取れる。

 どちらにしろ嬉しいことだ。保健養護教諭冥利に尽きる。

 

「おふざけはいいから、話すことがあればどうぞ。ないなら健康そのものな君はお引き取りかな。ほら、ここって保健室だから怪我人や病人が来るところだしね」

「おふざけはいいから~」

 

 最近、姫麗の甘えっぷりが上昇した気がしてならない。起きれば抱き着いてきて、食事の時は「あ~ん」をしたりしてあげたり、保健室でも私の休憩タイミングを見計らって膝上占拠したり。マズい私がいずれ子離れできなくなる恐怖と、この子がいずれ親離れできなくなる恐怖が一辺に当てのない未来予想図に割り込んでくる。まぁ……所詮は当てのない未来予想だから大丈夫なはずだ。

 それよりも楯無の件だ。簪ちゃん……というと確か楯無の妹だった記憶がある。

 具体的な人物像については一つも情報を持ち合わせてはいないが、確か臨海学校を欠席して食堂で昼飯を取っていたのを目撃したことがある。それくらいだ。

 

「はてはてさてさて、それで君の妹さんがどうかしたの? 何を心配することになったというのかな?」

「いえね。姉とは言えど過干渉は良くないと思って、今まで静観決め込んでいたんですけど。最近それではマズいことになりかかっているようで。それとなく本音ちゃんに話を聞いてみたんだけど、どうやらあの子友達いないみたいで」

 

 楯無が表情を曇らせる。うん、きっと姉としては深刻な悩みなのだろう。どうしようもない兄しかいなかった私には分からない話だと思った。

 

「それでちょっと状況打破の為に布石を打ってみたんですよ。織斑一夏くん。彼を簪ちゃんと組んで専用機限定タッグマッチに出るようにお願いしてみたんだけど。どうやら私の陰謀だって気がついちゃったみたいで、せっかく顔出してくれたのに再び殻に閉じ籠っちゃって」

「なるほど。それは大変だね」

「そうなんですよ。だからあの黒歴史を乗り越えて真面目に仕事をこなせるようになった遊姫先生にアドバイスを貰おうかと思いました」

「黒歴史云々は余計だね」

 

 わざわざ要らないこと言わない、と注意をすると楯無は素直に返事を返してくれた。人たらしと言いながらもやはり生徒会長なだけあって素直に注意を受ける心はある。それは強さだと思えるものだ。

 そう思うと私という人間は大層に軟弱な人だった。足を失うことで絶望して、一度足を取り戻しては失うことへの恐怖で自分自身を必死に欺いていた。それは嗤いたくなるほどの弱さと愚かさだったと、昔の私に言い聞かせたくなる。

 でもだからこそ色々とアドバイスができるのかもしれない。経験をすることは誰かに伝えることができるから。それが良いことだろうと悪いことだろうと。

 

「放っておけばいいと思うよ」

 

 私は自分のベストな答えを口にする。

 そうすればさすがに楯無は目を丸くして見つめてくる。予想外とでも言いたげだ。

 

「今は君がどう動いても良い方向へと向かうことはないよ。簪ちゃんがより一層疑心暗鬼に駆られて殻を固めてしまうだけだよ」

「で、でもそれじゃあ駄目じゃないですか。このまま放っておいても事態は進展しない。私はあの子を救ってあげたいんです!!」

 

 うん。楯無は強いし、優しいね。だから生徒会長なんだろう。ただ学園最強だからなんて陳腐な理由ではない。人間的な力強さを認められたに違いない。

 だからこそ、と思い至る。楯無の強さは羨望と嫉妬を生むのかもしれない。憧れと劣等感のどちらかを感じ、もしくはどちらをも感じ取ってしまう。身内なら最も感じ心乱される。話を詳しく聞いたわけではない。だから結論を告げるには無責任過ぎるのでそれを伝えることはしないことにする。

 

「何でもかんでも甲斐甲斐しく世話することが良いことに繋がるのかは分からないよ。可愛い子には旅をさせる。ライオンは子供を崖から突き落とす。まぁ、色々な言葉で表現されると思うけどね」

 

 要は何でもしてあげるのが優しさではないと言うこと。姫麗をこれでもかと甘やかしている私の言うことではないけど、自分のことを棚に上げてでも相手に注意してあげるのも必要だ。権利だ、権限だと逃げ腰になって何もしないよりかはマシだ。

 

「つまり過保護にしても今は駄目だと?」

 

 分からない、と珍しく弱々しい視線を向ける楯無。

 私はひとまず笑顔で頷いておくことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 乾いた破裂音が一発。人の形をしたターゲットの頭頂部に穴が空く。音が鳴り響く度にターゲットに一点の穴が空いていく。綺麗に綺麗に縦に穴が空いていき、最後は股下を貫きターゲットを真っ二つに撃ち割いた。

 喝采が鳴り響く。それは凄腕という二文字の漢字で表現するには足りな過ぎるほどの技を前にして、セシリアは感激して鼻息荒く拍手をする。それは万雷の拍手の一部となって射撃場の中心で気だるげな顔をするエミリアに向けられていた。

 目指すべき場所に居る人物の驚異の射撃技術。セシリアの心臓は恋い焦がれるようにバクバクと早鐘を打つ。あそこへ行きたい。到達すべき場所の一端が見えたのだからこそ、より一層にあのステージへと立てるようになりたい。

 セシリアは一歩踏み出して近くのテーブルに置いていた飲み物とタオルを手にする。そして敬愛するエミリアへと差し出す。

 

「目を鍛えるのが一番だな。そこに射線を思い通りに持っていけるようにしろ」

 

 エミリア・カルケイドとセシリア・オルコットは師弟関係であった。少なくともセシリアにとってはそういう関係を感じ取っていた。エミリアは否定をするだろうが、度々の気まぐれによって出るアドバイスは周囲が彼女たちを師弟関係と認識させていた。

 外堀から埋まっていくこの関係を更に強固にしていかなければなりませんね。タオルと飲み物を手渡した時に僅かに触れた温もりに、セシリアは幸せの笑みが溢れ出てきそうになる。

 

「目を鍛える……ですか?」

「撃つ相手の撃つ場所も見えずに引き金なんて引かないだろ。人間が撃つんだ、照準は目で行うのだから、目を鍛えるのが普通だ」

「それがエミリア先生の強さなのでしょうか?」

「知らん。昔から目が良かっただけだ。撃ち落としたい奴ができてから磨きがかかった」

 

 遠くを見つめ懐かしむエミリア。

 ああ、きっと遊姫先生のことですわ。好敵手の出現が切磋琢磨に繋がって高みを目指すことになる。そういう意味ではエミリア先生と遊姫先生は共に強くなっていったということでしょう。

 わたくしにも好敵手が現れるのでしょうか。切磋琢磨するような好敵手。現れないでしょうか。どこかに置いてありはしないでしょうか。ありませんよね。

 一夏さんはちょっとわたくしの感覚に引っかかりませんし、鈴さんは知りませんし、シャルロットさんはどちらかというと友達ですし、ボーデヴィッヒはよく分かりませんし、最近一夏さんが気にかけている更識簪という人は興味ありませんし。

 さて、わたくしには好敵手なんて現れるのでしょうか。

 

「だけど……約束は反故になった。互いが原因でな」

 

 本当に遠く過去を見つめ始めるエミリア。その瞳に映るのは一体何であるのかなどセシリアに分かるはずもなかった。

 エミリアはそんなセシリアを一瞥すると、ゆったりと射撃場から立ち去る。

 セシリアは向けられた視線に、何かいつもと違うものを感じ取ってその背中を急いで追った。

 

「決着をつけることもできずに今を生きている。二人して五体満足だったはずなのにな」

 

 セシリアが追いつくと、エミリアは誰に語るわけでもなく先ほどの話を続ける。いつになく饒舌なのはどうしてか。セシリアは状況が腑に落ちずも耳を傾ける。話の行き着く先がどこなのか、何を以てこんな話をするのか。

 普段のエミリアらしくない。混乱しそうになりつつも冷静さをなんとか保持してセシリアは彼女を見つめる。

 

「五体満足ではあったんだが、所詮肉体だけを見ての話だ。心が参っていた。遊姫は逃げて不真面目を演じていた。だから決着はつけられなかった。あんな遊姫と戦って勝っても納得はできない。暫く無理だと思っていたら、ようやく遊姫がかつての感じを取り戻してくれたのだが、それも結局は足が駄目になって五体満足じゃなくなった。全力での戦いは二度とできずだ。それで私はもやもやだよ。遊姫のことが好きさ。心の底から欲している。だがな、それでも決着をつけたいという気持ちは萎えない。むしろ肥大していく。それに対して遊姫は思ってくれているのか。私と同じような感覚に苛まれているのか」

 

 べらべらと話すエミリアは段々とおかしくなっている。少なくともセシリアはそう感じていた。彼女の話す内容はなんだ。あのエミリア・カルケイドらしくない気がする。何事にもいい加減で迷惑顧みず自分勝手に動いているはずの人間と同一なのか。

 らしくありませんわ。喉からせり上がってきた言葉をセシリアは寸でのところで飲み込む。ゾッとするような悪寒が徐々に雰囲気を変えていく。

 狂気ではない。確かだ。エミリアは狂っているが狂気に魅入られてはいない。

 

「……セシリア。片付けておけ」

 

 飲み終えたペットボトル容器を手渡し、エミリアは独り廊下の曲がり角に消えていく。

 これ以上話すことはない、だからついてくるな。

 セシリアは受け取ったペットボトルの意味を察して、消えゆくエミリアをいつまでも見送った。


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