学園祭が始まっても私はいつも通りに保健室で過ごしている。理由は簡単、誰かを待っているからだ。
待ち人達がやってくるまでの間、私は外の騒がしさを壁一枚挟んで聞きながらほうじ茶を飲んでいた。十代女子は元気が良くてなによりだ。その元気さで暴走し過ぎて怪我してくれたらお互いに最悪だから、怪我しないように保健室で静かに祈っておこう。怪我するなら、せめて学園祭が終わってから怪我するようにと。
私としては極力避けてほしいが、怪我してしまうようなら仕方ないのでできるだけ小さな怪我で済ませてほしいと思う。私の労力はともかくとして生徒が、それもうら若き十代女子が取り返しもつかないような大きな怪我するのは避けなければならない。
まぁ、改めて私が言いたいことは「怪我しないようにね」くらいだ。人間って大概は無力だから仕方ないよね。
そんな訳で私は怪我人が現れませんようにと祈る。時折ほうじ茶を口に含みながら半分の集中力で祈り続けた。
暫くすると保健室の扉がノックされた。力強いノックなのできっと女子生徒ではない。間違いでなければ待ち人が来た。
「どうぞ」
「よっしゃあー!」
扉越しに明らかに女性ではない重低音が聞こえてくる。気のせいか扉が震えてる。
どうぞと言ってから十数秒。いまだに扉が開くことはない。
「空いてますけど」
入室を促してみても扉が動かない。一体扉一枚挟んだ向こうでどんな葛藤があるというのかちょっと気になる。
「おーい。鍵閉めちゃいますよ」
脅してみると扉が少しだけ動いて、ギリギリ覗き見れるほどの隙間ができた。そこからそろりとゆっくり扉がスライドしていった。
私と待ち人の間にあった扉が消え去り、ようやくお互いが顔を合わせることができた。
目に入るのは私なんかよりもずっと大きい男だ。大人と子供ほどの身長の差がある。
私を見下ろしてくる顔は子供が見たら十中八九泣いて逃げ出してしまうくらい恐い。幸いなことに私は見慣れているので恐怖は感じていなかった。
髪色は根本は黒色だけど、先端部分は左右で赤と青色に染められていて、一見すると常識人には見えない。
そんな保健室にも……いや、IS学園に……教育機関にはまったく似合わない男の名前は白季守名。私のIS『風撫』を開発した西島重工の技術者、それも『風撫』を担当してくれていた人だ。
年齢は30くらいだったかな?
年齢について考えていると、守名さんがゆっくりした動作で保健室へと入ってきた。緊張しているのかどことなくぎこちない。
本来は無口な人ではないはずなのに、守名さんは無言のままでいた。
「や、久しぶりですね」
声と共に保健室にひょっこりと顔を出してきたのは同じく西島重工の
相変わらず社長みたいな恰幅の良い見た目で柔和な笑みを浮かべている。前会った時に比べると、顔に疲れが見えなくなっている。良きかな良きかな。
「お久しぶりです、西島さん」
手を振って出迎えたら、西島さんも手を振って出迎えられてくれた。
「白湯で良いですね」
「や、ありがたい。普段から運動不足だからちょっと歩くだけで疲れてしまってね」
「散歩でもいいから始めた方がいいですよ。気持ちいいですからね」
「そうですか。では、いつか始めますね」
「永遠に始めないのがよく分かる返事ですよ」
2人してけらけらと笑い合う。年齢の垣根を越えた仲の良さだ。礼節を怠っていいという訳じゃないけどね。
ちなみに、IS学園の学園祭は不特定多数の人間の為には解放されていない。IS関連の企業、軍事関係者と生徒や教師に配られる入場チケットをもらった者だけが学園祭に参加することができる。
西島さんと守名さんはIS関連企業に所属しているから、企業に所属している証拠さえ見せれば苦も無く学園祭を楽しめるのだ。
彼等2人の為の入場チケットは必要ない。だから、私は今一番この学園祭に来てほしい人に入場チケットを送っておいた。午後には来るらしいからその時はちゃんと出迎えなければね。
西島さんと一緒にのんびりとしていると、保健室の扉が開いてエミリアが現れた。何か期待に満ちたキラキラした目をしている。
「一緒に出掛けるぞ」
断られることなどない、そんな自信を感じられる。
だが、そんなキラキラした目のエミリアは守名さんを発見。一気に不機嫌になって教師とは思えない言葉と、逆にその見た目に似合いすぎな言葉を吐き出す守名さん。保健室に入ってから初めて発した言葉だった。
口喧嘩を始めたエミリアと守名さん。
私と西島さんは子供の喧嘩を微笑ましく見守る保護者の気分だった。喧嘩を微笑ましく見守る親なんているのかな?
とにかく、延々と喧嘩されていては困るので西島さんに目配せをする。
「そろそろ止めましょうか」
私の言いたいことを理解してくれたようで、西島さんが手を叩いて2人を止めてくれた。
エミリアも守名さんも学園祭めぐりをしたいのに何で喧嘩して時間を浪費しようとするのか。まぁ、昔から仲が悪いから仕方ないのだろう。
最初にどこに向かうか。
そういう話になったので、一年一組の教室に向かうことにした。
西島さんも守名さんも学園祭の内容など知らないので反対はない。
エミリアも最初から一組に行く気があったようでこちらも反対はない。それどころか「やっぱり私と遊姫は分かりあっているな」と嬉しそうな、ついでに守名さんを見下すような表情を見せてくれた。
ちなみに守名さんは先頭なのでエミリアの表情は見えていない。だけど、言葉は聞こえているので段々と歩調が荒くなっていく。怒っているみたいだ。
そのおかげか何なのか分からないが、生徒や来客の方々が引き攣った笑顔で道を開けてくれる。誰だって強面の男の道を邪魔したいとは思わないだろう。因縁つけられそうだしね。知り合いにおっかない顔の人がいると得するよね、守名さんには悪いけれども。
遮るものがないので一年一組までの道のりは簡単だった。
一年一組の前の廊下は人で溢れかえっていった。何やらご奉仕喫茶なるものは魔性の魅力を持っているようだ。いかがわしいものでないことを祈ろう。
「一年一組ってここか。何だか混み合ってるけど、そんなにすごいものがあるのか?」
守名が入口へと向かうと、そこに溜まっていた生徒達が一目散に離れて道を開けた。こんな危険物みたいな反応をされたら、私なら家に帰って泣いてしまうかもしれない。
「や、一年一組と言えば件の男の子がいる教室だね」
入口に立って中を覗き込んでいる守名さんの背中を見ながら西島さんが言う。さすがIS関連の企業の社長さんだ。同じところにいるのに全くピンと来ていない守名さんは情報収集能力に難ありだ。興味がないのなら仕方のない話だけど。
「ふん。珍しいだけだろ」
辛口なエミリア。一組の生徒の中でセシリアしか見えていないから、一夏に対する評価はこんなものなのかもしれない。
「いらっしゃいませ、お嬢……」
教室の中から弾むような声が聞こえてきた。途中で途切れてしまったが、あの声はシャルロットのものだった。入口の方には相変わらず守名さんがいた。変に言葉が途切れた原因はおそらく……いや、絶対に守名さんだ。
わたしか西島さんかエミリア、つまり守名さん以外の誰かが先頭に立てば良かったのに、ものの見事に失敗してしまった。
街のヤクザが学園祭を台無しにしようとしていると勘違いした誰かが警察に通報したら色々とまずいので、私は守名さんの脇から顔を出して、この強面さんが危険人物でないことをアピールした。
「やあ、繁盛しているかな?」
挨拶がてら手をあげてみれば、明らかに教室の雰囲気が和らいだ。
張り詰めていたものが緩んだのだろう。目の前にいた執事の男装をしているシャルロットが盛大に泣き出してしまった。
あーあ、泣かせちゃったね。