エミリアが意識を取り戻した時には既に事態は収拾していた。
アメリカの開発したIS『銀の福音』は無力化され、その装着者であるナターシャ・ファイルスも身柄を拘束された。
最初に作戦の成功を聞いた時、エミリアは最終ラインでナターシャを止め切ることができたと考えていた。事実そうであった。ただ、エミリアの想像とは少しだけ違う部分があった。彼女はてっきり真耶が死力を尽くしてナターシャと相討ちになって止めて見せたのだと思っていたのだ。
だけど、そうではなかった。エミリアや他の教師や専用機持ち達が時間を稼いでいる内に、回収され旅館に戻った織斑一夏と篠ノ之箒の両名が復活して、最終ラインまで迫っていたナターシャを見事に討ち取ったのだと周囲から教えられた。
そんな訳はないだろうとエミリアは鼻で笑ったが、千冬が真面目腐った顔で肯定したものだから彼女も認めざるを得なかった。何があるか分からない世の中であった。
エミリアはボロボロの体で砂浜まで行き、服が汚れるのも構わずに仰向けに寝転んだ。既に夜の帳が下りていて、辺りは暗かった。都会とは違い街灯のない此処では、夜空で自己主張を繰り返す月の光だけが頼りだ。
何があるか分からない。そう教師達が口にしていたのを思い出す。
回収された2人の内、箒は精神的にはともかくとして肉体的には特に外傷はなかった。代わりに一夏の方は酷い有様だったらしい。見るも絶えない痛々しい姿であったと。
それが、治療に専念していた教師が席を外した数分間の間に、一夏は全快までとはいかないが、ほとんど動きに支障がでないまでに回復してISを駆った。
それだけでなく、一夏のISの姿が少々変化していたとも聞く。
何があるか分からない。
天才と言われる束がやってきて、敵としてナターシャもやってきた。ボロボロになった一夏の傷が治り、ISも変化した。
ナターシャの件はともかくとして、他の全ては束が絡んでいるだろうと、エミリアは考えた。一夏の傷の治癒について心当たりがない訳でもないからだ。
かつてエミリアの眼を治した謎の治療薬。あれは束が持ってきたものだった。開発者が誰であるかはエミリアには分からなかったが、手に入れることが可能であることは確かだ。
「準備がいい。まるで――」
「一夏があのような目にあうことを知っていたかのようだな」
夜空が遮られ、目の前に千冬の顔が現れた。何故だ、と思ったエミリアは砂で汚れるにも関わらず、仰向けからうつ伏せに体勢を変えた。
「汚れるぞ」
冷静に普通なことを言われたので、エミリアはうつ伏せを止めて立ち上がった。体の節々が痛みを訴えたが気にしないことにした。
「何しに来た?」
夜の砂浜にはエミリアと千冬しかいなかった。
「今回のことで解せない点が幾つかあってな。知っていそうな奴に聞きに行くところだ」
「場所は分かっているのか? そもそも近くにいるのか?」
「おそらくあっちの方向にいることだろう」
千冬が少し離れたところにある森を指さす。
エミリアは勘に頼った言い方に少々の疑問を持ったが、束と同級生だった千冬が言うのだから大丈夫だろうと思った。間違っていたら盛大に笑ってやればいい話だ。
「せっかくだ。一緒に行くか?」
千冬が森の方向を顎で刺して誘ってきた。
エミリアは目を閉じて考える仕草を見せた。実際には一も二もなく了承するのだが、それでは面白くないと思ったのだ。
「行く」
考える仕草を止めたエミリアが短い言葉で返事をした。
木々の間から漏れる月明かりを頼りに森を突き進んでいくと、暫くして海が見える場所にたどり着いた。
岬と呼ぶべきこの場所に束がいた。転落防止用の柵の上に腰掛けて足をぶらぶらとさせていた。気分がよいのか、鼻歌を歌っていた。リズムは無茶苦茶でどのような歌かは知ることはできなかった。
忍び寄って背中を押せば、未来に起き得るであろう全ての事件が未然に防げる。束の姿を確認したエミリアがいの一番に思ったことだ。エミリアはその殺害計画を千冬に耳打ちしたが無視された。
「よう」
背中を向けている束に、千冬がいつも通りの声音で話しかけた。
「やー、ちーちゃんとえーちゃん」
エミリアは返事を返さずに沈黙を保った。千冬に無視された腹いせだった。
「わざわざ訪ねていてくれるなんて、ちーちゃん優しいね」
「そうでもない。お前のところに来たのは聞きたいことがあったからだ」
「聞きたいことって、スリーサイズは教えられないよ」
「自分の妹まで使って何を企んでいる」
千冬が無視して束に問いかける。
「何を企んでるって、特に何もないけど。今日の目的はあくまで『紅椿』を渡しに来ただけだから」
「私がそれを素直に信じることができないってことは理解しているだろ」
千冬の言葉に、そうだろうとエミリアは思った。あまり接点のないエミリアにしてみても束の言葉をそのまま受け入れることはできなかった。何も企んでいないはずがない。束を疑わずにして他に誰を疑うのだ。
「ちーちゃんが信じようと信じまいと、私は別に嘘を言っているつもりはないからなー」
子供のような無邪気な笑顔を浮かべる束。エミリアには邪気な笑顔としか認識できなかった。
「アメリカのISが暴走したのは知らないよ。発情期だったんじゃないかな?」
「……なら、一夏の怪我を直したのはお前か?」
「うふふ。そっちの方は確かに私の仕業だよ。ついでに『白式』も強化しておいてあげたんだよ。まぁ、強化と言ってもそこまでのことはしてないんだけどね」
「もう一度聞くが、お前の目的は何だ?」
「何度聞いても答えは変わらないんだよ、ちーちゃん。今日のここでの目的は『紅椿』を渡しに来ただけだって」
束の変わらない答えを聞いて、千冬は、そうか、と言って口を閉ざした。
エミリアは千冬が口を閉ざしたことに内心で驚いた。たった今、束が気になる言い方をしたことに気がつかなかったのだろうかと。わざわざ限定した言い方に千冬は疑問を抱かなかったのだろうかと。
千冬の視線を向けたが、彼女は沈黙したままこの空間に身を浸していた。この姿にエミリアは気がついていないこと理解した。
「篠ノ之束」
はじめて声をかけたと、エミリアはどうでもいいことを思いながら束を呼んだ。
「何かな、えーちゃん。もしかして、ちーちゃんと同じことを聞くのかな? だとしたら、止めてね」
「安心しろ。別に同じことは聞かない。今日の『ここ』での目的が『紅椿』を渡すことだと言っていたが、今日の『ここ』ではない場所での目的があったのか?」
エミリアの抱いた疑問は、束が『ここ』と場所を限定したことだった。もしかしたら、なんでもなく『ここ』という言葉を使っただけかもしれないが、疑問に思った以上聞くことにしたのだ。これを聞くことが当たりかもしれないし、全くの外れでしかないかもしれないが、聞かないよりはマシだろう。
エミリアの疑問に対する答えはすぐに出た。
「鋭いね、えーちゃん」
束が手を打ち鳴らしながらエミリアを褒めた。その場から突き落としたい気分になった。
「そう、えーちゃんの言う通りだよ。私は今日の『ここ』での目的は『紅椿』を渡すこと。そして今日の別の場所でも目的があって実行してきたんだよ」
束は隠すことなく話した。
「といっても私が出向いてどうのこうのっていうのはないよ。この場所から指示を飛ばしただけだから。で、少し前に目的を達成したって連絡が来たんだよ。いやー、束さんは鼻が高いよ」
自分のことを褒めている束を、エミリアは可哀想なものを見るような眼差しを向けた。何を勘違いしたのか、束は頭に手をやって照れた。
「そろそろお別れの時間だよ、ちーちゃんにえーちゃん」
束は空で淡い光を放つ月を見上げた。つられるようにエミリアと千冬も月を見上げた。
太陽の光を反射して輝く月の明かりを背にした黒い点のようなものが見えた。段々と大きくなっていく。エミリアの眼はそれが人の形をしていることを認識した。ISと思われるものを纏った人。どこかで似たような形をしたISは並以上のスピードを出している。
エミリアの知る中であのスピードを出せるISは1つしかなかった。
「……風撫!?」
エミリアの呟きは、最接近してきたISの生み出した暴風によってかき消された。風が体を浮かせて、エミリアを木へと叩きつけた。
背中に強い衝撃を受け、そこを中心に激痛が体中に走る。福音との戦いで生まれた傷が共鳴して、エミリアの肉体を痛めつけた。
「エミリア!?」
暴風を耐え抜いた千冬の声に、エミリアは肉体に鞭打って瞬時に立ち上がる。視線を束に向けるが、束は既にそこにはいなかった。さきほどのISが回収していったのだろう。
月村遊姫のIS『風撫』と類似したシルエットのISに、エミリアは言い知れぬ不安を感じた。遊姫の身に何かあったのではないかと思うと、すぐにでもIS学園に戻りたくなった。
こんな時にISが手元にあれば多少のルールを無視してでもIS学園に向かえる。エミリアにとって秩序など二の次三の次だった。
逸る気持ちを押さえつけたエミリアは旅館の方向へと歩き出した。無理矢理立ち上がったことで限界を迎えていた足が上手く動かず、エミリアは前のめりに倒れてしまった。
今が一番ISがほしいと思った。
臨海学校3日目の朝。
学園へと帰る為に機材の撤収を行っている教師や、各国の研究員、技術者を見ながら、エミリアは朝から忙しないと思った。缶コーヒーを口に含んでのんびりと一息ついていた。その手には缶コーヒーがもう一本握られていた。
エミリアは忙しない光景から目を離すと、少し離れたところで整列している生徒達を見た。眠そうな顔の生徒がちらほらといた。消灯時間を過ぎたのに起きていた不真面目組なのだろう。
今回の臨海学校は例年とまったくかけ離れたものになったと、エミリアは思った。今年の生徒達は実力的にも大きく下回る。彼女達がこの臨海学校でしたことは海で遊んだことぐらいだ。これで、実力が向上する訳がない。
その代わりと言ってはなんだが、専用機持ち達の実力・経験等は確実に上がっているとエミリアは感じた。そして教師達ものんびりとしていられなくなった。エミリアからしてみればいい迷惑である。自身が仕事を止めるまでは問題が起こってはしくないと心の中で願った。既に無駄な願いではあった。
無駄な願い。それは間違いなかった。
エミリアは忙しい作業員達を見つめ、その中で指示を飛ばす父親の姿に焦点を合わせた。エミリアと同じ金髪だった。
エミリアは動き回る作業員を軽やかに避けながら、父であるエルフォード・カルケイドへと近づいた。
一定の距離まで接近するとエルフォードはピタリと動きを止めて、次の瞬間には娘のいる方向へと勢いよく振り向いた。気持ち悪いとエミリアは思った。事実、彼の近くで作業をしていた者も気持ち悪いものを見るような眼差しをしていた。民主的な感想だった。
「どうした、愛娘よ!」
彫りの深い顔をだらしなく緩ませたエルフォードが両腕を大きく開いて、エミリアが抱き着いてくるのを待っていた。
「用があったから来た」
エミリアは表情を変えずに父親のアピールを無視した。両者の間は2メートルほど開いていた。
娘の素っ気ない態度にも気を悪くすることなく、エルフォードは苦笑しながら両腕を下ろした。名残惜しげにもう一度腕を広げたが、エミリアが冷たい視線を浴びせたので、泣く泣く断念した。
「愛しい愛しい愛娘よ。何の用だ。パパがちゃんと聞いてあげるぞ」
「昨日の話」
エミリアは少ない言葉で答えた。周りは何を言いたいのか理解できていなかったが、エルフォードには分かったようで表情が引き締まった。
「あれを受けようと思う」
またもや周囲は理解できなかった。
「そうか、受けてくれるのか。パパは愛娘の心変わりが嬉しいぞ」
がばりと両腕を広げて抱き着いてきたエルフォード。エミリアは抵抗することなく抱きしめられることにした。体中が痛かった。