IS 教師の一人が月村さん   作:ネコ削ぎ

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2話

「なんでなんだろう」

 

 きゃあきゃあと騒がしい中で、溜息と共に吐き出された言葉。それがすぐ隣に座っている隣人のものだと分かって、セシリアはこれで何度目になるだろうかと億劫そうに振り向いた。いい加減に諦めたらどうだ。そう顔に書いてある。

 

「目的地が目前まで迫ってまだそのような溜息を。本当に諦めたらどうですか?」

 

 そう言ったところで隣人の溜息の音は消えないことは既に理解している。もはや形骸化したやり取りでしかないのを自覚しながらも、かと言って他にかける言葉もなく、話題の転換をしても何かの拍子で戻ってきてしまう。もう昼前だというのにしつこいものだ。

 

「2時間。9時から出発して2時間もバスに揺られているというのに、よくもまあそんなにローテンションを維持し続けるものだよ」

「仕方ないよ。燃料があれば誰でも燃え続けることができるんだから」

「ローテンションになることはないよね、燃え続けるっていうのなら」

「それはおかしいです。燃え続けるっていうのならローテンションになることはないよね。こうなるべきです」

「最近思ったのですが、マリさんによってキキラさんの言論の自由が著しく侵害されているような気がしますね」

「そうかなぁ。そうは思わないよぉ」

「そうですか?」

「起死回生、夢現、変幻自在」

「もう、ルベリーちゃん。何が言いたいのかまぁーったく分からないわよ」

 

 車内のあちこちで騒いでいる中、留学生組の面々もあれこれ好き勝手に喋っている。その誰もが興奮を隠しきれないようであり、日常的なやり取りを見せながらも、言葉にはいつも以上に感情が乗っている。

 前と後ろの騒がしさをセシリアは慣れているので、長く会話には加わらず座席に深く背中を預けて休んでいた。

 セシリアの隣、窓側の座席には落ち込んだ様子のシャルロットが外の風景を見ている。誰がどう見ても、移り変わる風景を堪能しているようには思えない。

 

「あーあ、仮病でもいいから休めばよかったよ」

「そんなことをすれば、遊姫先生に嫌われてしまいますよ」

「それは嫌だな」

「さっきからうだうだと。そんなに海が嫌なの?」

「私たちってそんなに魅力ないかなぁ」

「え!? えーっと、そんなことはないよ、サロメ」

「男装趣味、そのため?」

「ルベリーちゃん。シャルロットちゃんが女の子大好きだからぁ、男装していたって言いたいわけぇ?」

 

 ルベリーとりセルのやり取りにシャルロットは一瞬だけ思考が止まった。次の瞬間には顔を真っ赤にして、両手を振り回し始めた。

 

「違うよ! 別に女の子が好きだとかじゃないんだよ! どちらかっていうと恋愛するなら男の子の方がいいに決まってるよ」

「シャルロットさん、腕を振り回さないでください! 当たっていますから!」

「乱心、暴力、照れ隠し、生の感情を剥き出しにして」

「吐いた、ルベリーが暴言を!」

「キキラ。それは本当に順番を逆にしなきゃいけない。大声で吐いたなんて、嘔吐したと勘違いしかねません」

「そうですね。今回はマリさんの言う通りですよ。これでは、シャルロットさんが公衆の面前でえろりと吐き出したみたい……ぷ、くく」

「キキラの言い方は仕方ないとして、何で急にツボに入ったの、フィラ?」

 

 何がどう面白かったのかはセシリアにも全く分からなかった。

 他愛もない話で盛り上がっていれば、ほどなく千冬が全員に着席を指示した。目的地にたどり着くようだった。

 冷房の効いたバスから外に出るとムワッと熱気が降りかかってくる。空は澄んだように青く、遮られることのない陽光が燦々と降り注ぐ。体全体に浴びせられる光に、日傘でも持ってくればよかったとセシリアは後悔した。

 

「セシリア。目の前に広大な海が広がっているのに、その表情どうなんだい」

「ミシャさん、引っ付かないでください。暑くて堪らないのですから」

「軟弱じゃない。私を見習ったらどうだ……実は暑くて死にそうなんです」

「尚更くっつかないでください」

「死なば諸共」

「はた迷惑ですわ!」

 

 背中に張り付くミシャを振りほどこうと暴れるセシリア。この暑い中で動き回ればより暑くなることに気が付いていない。

 そんなことをしていれば一年一組の担任教師の目に留まらぬはずがなく、セシリアとミシャは千冬から鉄拳制裁を受ける羽目になった。

 

「見てるこっちが暑苦しい。とっとと整列しろ」

 

 この喉がカラカラになりそうな湿気のある暑さにも関わらず、千冬の姿は黒いスーツでそれこそ見てるこちらが暑苦しい恰好だった。それを指摘すれば砂浜に埋められそうなので口に出すことはしない。セシリアもミシャも干物になるつもりは毛頭ないのだ。

 一組から四組までの生徒が暑いだ何だとグチグチ言いながらも整列する。セシリアは千冬の動きに注意しながら、周囲に佇む教員達の顔を確認していった。何処を見てもお目当ての人物が見当たらない。

 

「……いない」

 

 周囲に聞こえないようにぼそりと呟いた。

 おかしいですわ。出発する前にはちゃんといることを確認したというのに。

 もしかして見間違いだったのかと、セシリアはがっかりとした。一応その間も耳は周囲の言葉を聞き取っていたので、遅れることなく「よろしくお願いします」と頭を下げることができた。

 連絡事項が終わると生徒達は旅館に駆けていった。一刻も早く海で遊びたい。その気持ちが熱気を感じさせないというのだろう。

 セシリアは旅館に行く前に千冬の元へと向かった。念のために千冬に確認を取る為だった。

 

「織斑先生」

 

 千冬のところに行くと、そこには一夏も一緒にいた。

 

「オルコットか。何の用だ?」

 

 千冬はこの暑さだというのに表情も変えずにセシリアへと振り返った。熱を感じてないのかと思ったが、彼女の額にうっすらと汗が浮かび上がっているのを見てセシリアはホッとした。千冬にとってもこの気温はやっぱり暑いらしい。

 

「わたくしの気のせいでなければ……カルケイド先生が居たと思ったのですけど」

 

 セシリアの言葉に千冬が鋭い視線を周囲に走らせる。獲物を探している眼だった。この反応からエミリアもこの場にいることが分かる。

 暫く周囲を見渡してもエミリアの姿を見つけることはできなかった。もしかして、既に旅館の中へと入ったのだろうか。セシリアが千冬の方を見ると、彼女は呆れた表情で米神を指でもみほぐしていた。

 その様子から、もしかしてエミリアがバスに乗らずに学園に留まっているのではと疑ってしまう。臨海学校に保健の先生である遊姫が参加していない。それを理由に教師としての責任を放り出したのでは。

 仮にも教師であるエミリアがそんなことをするのだろうか。このような質問を投げかけられたら、セシリアは迷わず「する」と答えてしまうだろう。まだ半年も経たない付き合いだが、一も二もなく即答できる。

 

「もしかしてですが……来ていないということは」

「それはないだろう」

「でも見える範囲には居ませんわ」

「視界には映らなくて、更に快適な場所にいるのだろう」

「視界には映らなくて、更に快適なば――」

 

 千冬の言っている条件に当てはまる場所を探そうと眼を動かしたとき、ふとここまで乗ってきたバスが視界に入り込んだ。

 

「――しょがすぐそこにありますわね」

 

 引率の教員の一人としてエミリアが乗ることになったのは4号車であるらしい。千冬を先頭にセシリアと、千冬についてこいと言われた一夏の3人が4号車の中に乗り込むと、肌にかかる冷気が心地よかった。そして冷房の音に紛れて微かに呼吸音が聞こえる。

 

「居たな」

「居ましたね」

「居るんだな」

 

 3人の視線の先には座席に深々と背中を預けて眠っているエミリアがいる。誰も彼女を起こそうとはしなかったのだろうか。同僚の先生にすら起こされることなくふてぶてしく寝息を立てている。

 

「織斑、オルコット、今のうちに見ておけよ。元代表候補生として、そもそも教師として駄目な奴を。そして絶対に憧れて真似などするな。これは特に酷い例だからな。反面教師としてだけで見ろ」

 

 この体たらくを目の前で晒されては、如何にエミリアに憧れを持つセシリアにも庇いきれない。いや、庇う気すら起きない。

 

「……なあ、セシリア」

 

 セシリアの隣で一夏が小声で呟く。その視線はエミリアに近づいていく千冬に向けられたままだ。

 

「代表候補や候補生になれる人って何かしら欠点があるよな」

「それは、わたくしに喧嘩を売っていると捉えてもよろしくて?」

「いや……喧嘩を売っているつもりはないぜ。ただ、カルケイド先生も遊姫さんもどこかおかしいと思ってさ」

「その理論は間違っていますわ。何故ならわたくしの知る限りではありますが、織斑先生に欠点があるようには思えませんので」

「いや、そうでもないぞ。自宅だと案外だらし……ぐぇ!?」

 

 何か風を切る音が聞こえてきたかと思うと、一夏が踏まれたカエルのような鳴き声をあげた。

 

「何にもならないような意味のないことを喋るな」

 

 眼にもとまらぬ速さで振り返った千冬が、これまた眼にもとまらぬ速さで伸ばした腕が一夏の喉を掴んだのだ。

 相変わらず捉えることのできない速さですわ。

 隣にいる一夏を襲った事態に、セシリアは冷や汗をかきながらも関心した。

 織斑先生は自宅だとだらしないみたいなようですし、一夏さんの独自の理論もあまり馬鹿にできたものではありませんわね。

 喉を掴まれて顔を青くしている一夏を一瞥しながら、セシリアは1人うんうんと頷いた。

 

「ふん。やはり生徒に手をあげるのか。この駄目教師」

 

 ちょっとした騒ぎに目を覚ましたのか、エミリアが座席に座りながら眼を半眼にして千冬を睨んでいた。その姿はまるで寝ていなかったように見せているが、その半眼が彼女が目覚めきっていないことを如実に表していた。

 

「おはようございます、エミリア先生」

 

 セシリアが声をかけると、エミリアは不服そうに溜息を吐き出して「何がおはようございますだ」と言って座席から立ち上がった。ぐーっと背伸びをしながら眼を擦っていた。寝ていたことを隠す気があるのかないのかよく分からない中途半端な隠蔽に、セシリアは何で憧れているのか今更になって疑問を抱いてしまった。


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