IS 教師の一人が月村さん   作:ネコ削ぎ

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16話

 更衣室のベンチに座るシャルロット。

 手には甘めの炭酸飲料がある。中身は全く減ってはいないし、そもそもプルタブが開けられてはない。冷蔵庫から出して時間が経ってしまったので冷たさは感じない。

 シャルロットは眼を閉じた。

 眼を閉じれば暗闇が待っている。嫌な現実を見ないで済む平穏な暗闇。だけど、所詮は視覚だけでの話でしかないのが現実だ。視覚を除いただけで、触覚や嗅覚など他の感覚はきちんと働いている。現実との繋がりが断たれるなどという甘い甘い幻想はない。

 眼を閉じたところであの日の自分がいなくなる訳ではない。むしろ視覚を閉じてしまうことで、より鮮明に浮かび上がってくる。

 本当はIS学園になど来たくなかった。

 叫ぶことができたら楽だったろうに。いや、そんなことをしても楽にはなれなかったかもしれない。そう、逆に辛い日々に足を突っ込んでズブズブと沈んでいくだけではないだろうか。

 シャルロットは眼を開ける。視界に映るのは甘めの炭酸飲料。

 隣に視線をやれば一夏が見える。

 一夏もきっとIS学園には来たくなかったのではないかと、シャルロットは今更になって思うようになった。正直な話、シャルロットも他の大勢と同じように一夏のことを珍しいモノとしてしか見ていなかった。

 ただ珍しいモノ。その評価が崩れたのはつい最近のことだった。無論、何の理由もなく評価を一変させたのではない。

 

 

 

 

 怪我をしたセシリアに謝りに行った時だった。

 セシリアの服の上から見える治療の跡にシャルロットは眼を背けて逃げ出したくなった。傷つけたのは自分ではない。それは分かっている。だけど、救っておいて投げ出した。その罪悪感はシャルロットにセシリアと麺と向かおうとする意志を削いでいく。

 逃げ出したいけど、逃げ出す訳にはいかない。

 

「自分の行動を恥じて反省するように」

 

 遊姫に言われた言葉だ。特別な言葉でも言い回しでもない普通の教師の言葉だ。でも、シャルロットにとっては一番頼ることのできる教師の言葉であり、心の底まで落ちていった体全体を通じて脳まで波紋を広げていくほどの力を持っていた。

 セシリアから背けようとした顔を正面に固定して相手と視線を合わせる。必要なのは勇気であり、それを与えてくれたのも遊姫。

 

「ごめんね、セシリア」

 

 しっかりと相手が聞き取れるほどの音量で謝罪をする。手が震えそうになるのを必死に我慢して深々と頭を下げたシャルロットは、ベッドの上で上体だけ起こしているセシリアの言葉なり行動なりを待った。

 頭を下げて数秒後、シャルロットは旋毛に違和感を感じた。何か細いものが押し当てられている。視線が床に固定されている彼女にはそれが何であるかは分からないが、ただ鋭利なものであることだけは分かった。

 確かベッドの近くにボールペンが置いてあった。もしかしてそれではないだろうか。しかし、筆記用具を他人の頭頂部に押し当てる意味が分からない。

 仮にセシリアが謝罪を受け入れることをせず、シャルロットに危害を加えようとしているとしたら、ボールペンを向けてくることにも説明がつく。

 手近にあった凶器がボールペンだった。簡単な話である。

 この予想が合っていたとしたら、シャルロットは命の危機に瀕している状態である。

 だが、此処は仮にもIS学園であり、セシリアは国家代表候補生の1人だ。シャルロットの頓狂な想像通りのことをするなど有り得ない。

 

「ばーん!」

 

 静かな保健室に銃声が響き渡る。硝煙はなく弾痕もなく、そもそも弾丸すら存在しない口で真似ただけの銃声。

 シャルロットが訳も分からず面を上げると、眉間に銃が突きつけられていた。セシリアが手で作ったピストルだ。

 

「ふふふ、間の抜けた顔をしていますよ、シャルルさん」

 

 見せかけのピストルの向こう側でイタズラが成功して愉快に笑うセシリア。嫌悪の欠片も篭っていない純粋な笑みにシャルロットの緊張はなくなり、セシリアの笑みに釣られるようにして笑顔を浮かべた。

 

「頭を下げられたとしてもわたくしには何も言えませんよ」

「そ、そうだよね」

 

 それだけのことをしてしまった。シャルロットは次にどんな言葉が飛んでくるのかをジッと待った。

 

「ええ、謝罪される理由がありませんから」

「あれ?」

 

 どういうこと?

 

「だってそうじゃありませんか? 今回のことはわたくしと鈴さん、そしてあの三組のボーデヴィッヒさんとでの問題ですから、シャルルさんが謝る必要はどこにもありませんわ」

「でも、エミリア先生から全部聞いたんじゃ……」

「聞きましたがそれが何か?」

「何か、て? 僕はセシリアを見捨てようとしたんだよ!」

 

 シャルロットが声を張り上げる。責められて当然のことをした。だから、セシリアには自分を罵る権利がある。

 しかし、セシリアはシャルロットの想いを拾うようなことはしない。

 

「そうですね。でもいいじゃありませんか、終わりよければ全て良しという言葉もあることですしね」

「でも一歩間違えれば」

「それは既にイフの話であって過ぎ去った過去。今のわたくし達には不要ですわ。ただ事実を認めて次の糧にすればよろしいじゃありませんか。それが上へと目指す者の特権ですわ」

 

 胸を逸らして誇らしげに言ってみせるセシリア。

 

「そういうものなのかな?」

「そうですよ。それに一夏さんも少しは切り替えたようですから、シャルルさんも頑張ることですわ」

「一夏が切り替えた? 何を?」

 

 一夏が何を切り替えたのだろう。シャルロットから見て一夏に変化があったようには見えなかった。

 

「意識ですよ。専用機を与えられた者としての意識、向上心が芽生えたと言い換えてもいいかもしれませんわ。と言ってもリセルさんからの情報ですからわたくしにはよく分かりませんわ」

 

 そう言って苦笑を浮かべるセシリア。シャルロットがIS学園に来るよりも前から、一夏を知っていたであろうセシリアが何を思って口元を歪めたのか。

 

 

 百聞は一見に如かずという言葉がある。誰かから百回も聞くよりも自分で一回見ればよく理解できるということだ。ざっくりと言えば聞くより見ろだ。

 シャルロットが一夏の所へと行くと、彼は『白式』を纏って飛び回っていた。止まることはなく、あちこちに飛んでいって、時折『雪片』を振るう。とにかく止まらずに動き回っては剣を振るう。

 ラウラ・ボーデヴィッヒの『停止結界』を意識して動いている。シャルロットにはそう感じられた。

 一夏はラウラと戦うつもりだ。

 空中でちぐはぐな舞を演じている一夏を目で追いながら、シャルロットは頭を振って否定した。

 勝てる訳が無い。相手は代表候補生2人を相手取り、無傷とはいかないもの大差をつけて勝利した化物だ。今更頑張ったところでその実力には追いつけはしない。

 ひょっとしたら一夏も理解しているのかもしれない。理解していて、それでもと訓練しているのだろうか。だとしたら諦めが悪い。

 シャルロットは一夏に気づかれないようにソっと背を向けてこの場を去ろうとする。

 

「自分の行動を恥じて反省するように」

 

 何気なく呟いた言葉。それがなんであったかを理解した瞬間にはシャルロットの足は止まった。

 僕は一体何をしているんだろう? この場から立ち去ろうとしている。一夏の努力している姿を見て逃げようとしている。

 自分の行動を恥じて反省する、今がその状況ではないか。

 シャルロットは動き出さなかった足を誇らしく思った。

 逃げようとしたシャルロットを思い止まらせたのは遊姫の言葉。

 シャルロットは再び一夏の姿を追う。

 勝てる訳が無い。まだそう決まった訳じゃない。

 相手は代表候補生2人を相手取り、無傷とはいかないもの大差をつけて勝利した化物だ。こう言ってはなんだがセシリアと鈴は即席コンビ。条件が悪かっただけで決してラウラとの実力に大差はなかったかもしれない。

 今更頑張ったところでその実力には追いつけはしない。追いつけなかったとしても足掻くことは誰にでもできる。

 意識の切り替え。セシリアの言葉がシャルロットの足を動かした。

 

「一夏!」

 

 

 

 

 

 

 自分よりも強い相手に背中を見せず立ち向かうことのできる男子。

 他の多くが否定しても、シャルロットは自分が持った一夏の評価を変えない。自分がそう感じたのだ。そこに多方向からの雑音はいらない。

 シャルロットは隣に座っている一夏の横顔から視線を外して、更衣室に備え付けられたモニターを見る。タイミングよくモニターの画面がトーナメント表に切り替わる。

 トーナメント表に書かれている自分と一夏の名前を見つけたシャルロットは、その隣に書かれている対戦者の名前を確認して意識を切り替える。隣の一夏も意識を切り替えたのが分かる。

 

「シャルル。俺達、ここぞという時に運を掴むじゃないか」

「そうだね。一夏には悪いけど、僕はこの幸運に全てを注ぎ込むから優勝はできそうにないね」

「ああ、構わないぜ。俺だって端から優勝する気はないんだ」

 

 対戦者はラウラ・ボーデヴィッヒと篠ノ之箒のペア。

 シャルロットと一夏は同時に立ち上がった。一度だけ視線を合わせて互いに勝とうと言う。

 シャルロットは甘めの炭酸飲料のプルタブを開ける。遊姫から貰ったものだ。

 

「絶対に勝つ!」

 

 甘めの炭酸飲料を口元に運んだシャルロットは缶を傾けて中身を勢いよく飲み、想像以上の甘さと喉を刺激する炭酸の強さに勢いよく吹き出した。


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