面倒事というのはこっちが望んでいなくても、勝手に向こうからやってくるから手に負えない。せっかく私がそういう類のモノから意図的に遠ざかっているというのに、何かしらの要因によって引き寄せられてしまう。運命に虐められている気がしないでもない。
面倒事を持ってきてくれたのはシャルロットだった。
早朝、たまたま廊下でシャルロットに出くわした。何やら顔色が優れない。醸し出す雰囲気もいつもと違う。
きっと何か嫌なことがあったんだな。そう浅く結論づけて、挨拶一つしてその場を去ろうとしたけど、相手がそれを許してはくれなかった。
「遊姫先生」
気がついたら名前で呼ばれていた。そこはどうでもよい。それよりも、私の腕を両手で掴んでくるシャルロット。腕を掴まれて気がついたが、シャルロットは震えていた。顔色はみるみる悪くなっていき、このまま放っておけば廊下で倒れてしまいそうだ。
「おいで」
無駄な言葉は一切合切捨て去る。向かうは唯一自分の支配下にある保健室だ。そこなら、少しは安心できるはずだ。
私はシャルロットの手を引いて保健室へと向かおうとしたが、彼女は根が生えたかのように動く気配を見せない。
「どうしたの?」
そう問いかけると、シャルロットが視線を私へと向けてくる。怯えを見せる顔が、何かを言いたそうにするが、一線が踏み出せず空気が漏れ出すだけで、言葉はまったく出てこない。
仕方ない。シャルロットの好きな魔法の言葉を使うしかない。私としては使いたくはないのだが、今はそうも言ってられない。
「何があったのか言ってみなよ、できるだけ力になるから。もちろん、言葉に責任は持つよ」
責任。何故だか、シャルロットはこの言葉を聞くと安心する。この言葉を彼女がどれほどのものと思っているのか知らないが、とにかく『責任』という言葉が有効なのだ。
責任という言葉をあまり口にしたくない私からしてみれば、これほど困ったことはない。
「その……」
しかし、私が少し我慢するだけで、シャルロットは口を開いてくれる。事態を進展させるためならと思って、泣く泣くその言葉を口にするしかない。
「お昼休みに保健室に来ていいですか?」
意味が分からなかった。保健室に来ることの許可を求める。いまさらそんなことかと思っってしまった。でも、いまさらそんなことを言うってことは、何か重要な話があるのではないか。もしそうなら、シャルロットが言いたいのはいまさらの許可ではなく、人払いを求めてのことだろう。
私の考えがあっているのかどうかは分からないが、私はシャルロットの眼を見て「分かった。整えておくよ」と答えた。
安心した様子で教室へ向かうシャルロットの背中を眺め、私はため息を吐きだした。そして職員室に向かって歩き出した。
エミリアに会って、昼休みは保健室に来ないよう言い聞かせなければならない。
昼休みになった。保健室にはまだ私しかいなかった。いつもなら、エミリアがいて、セシリアもいる。最近になってそこにシャルロットが加わって、昼は四人で過ごすことが多くなっていた。授業中はともかくとして、昼の時間に誰もいないのはなんとなく面白くない。
今日はしょうがないことだ。用件は分からないが、シャルロットが望んだことだ。責任という言葉を使った以上、違えることはあってはならない。
午前の授業が終了してまだ5分も経っていない。すぐに来るものと思って待っているから、何も食べていなし、それらのモノを買ってきている訳でもない。
ようやく5分を過ぎたが、それでもシャルロットは現れない。踏ん切りがつかず、教室で立ち往生しているのかな。
そんなことを思っていれば、コンコンっと控えめなノックが聞こえてくる。噂をすればなんとやら。
私はひと呼吸置いてから「どうぞ」と声をかけると、扉が開かれシャルロットが入ってくる。その後ろから、さも当然のように一夏が入り込んできた。
なんとなくではあるが、これからシャルロットがどんな話をするか察することができる。おそらく、シャルロットの隠し事に関することだろう。シャルロットと一夏が同室であることは当人から聞いているので、それ以外の話がまったく思いつかない。
「やあ。久しぶりだね、一夏くん」
無人機のISによる襲撃以来、一度として顔を合わせることはなかったと記憶している。記憶が正しければの話だが。
「本当だよ、遊姫さん」
「……敬語で喋ろうか」
「う、分かりました」
「よろしいよ」
昔とは違い、私と君は教師と生徒。礼儀は必要だと思うよ。親しき仲にも礼儀ありだ。あまり親しい仲ではなかったと思ったけど。
とりあえず、一夏のことなどどうでもいい。私はシャルロットに視線を向ける。すると、シャルロットは私の居るデスクへと近づいてくる。一夏も釣られるようにして近づく。
さて、本日はどのようなお話でしょうか。そう言いたかったけど、部屋に漂い始めた雰囲気がそれを許さない。代わりに、視線を一夏に向け、すぐにシャルロットに戻す。どうして一夏が此処にいるのか。そう眼で問いかける。
視線に促されてシャルロットは口を開いたが、それよりも先に一夏が口を開いた。
「ゆ……月村先生は知っていたんですか」
問い詰めるような声音の一夏。そのことから、私の推測は的を射ていたようだ。
「知っていたって、それは一体何のことを言ってるのかな?」
問われていることが分かっていないかのように振舞う。
「シャルルが本当は女子だってことだよ」
一夏の敬語が早々に崩れてしまった。
一夏から少し距離を置いたシャルロットは、眼で私に助けを求めてくる。
「知ってたよ。知ってるに決まっているじゃないか」
何をそんなに驚く必要がある、と当たり前のことのように言う。
「それで、それがどうしたの?」
「どうしたって、何でシャルルが男のフリなんかしているんだよ」
「知らないよ」
一夏の問いかけをバッサリと切り捨てる。そもそも私もその理由は知らないので、問いかけられても答えようがない。
「シャルちゃんに聞いてみればいい話でしょう」
「聞いてみたけど、話してくれないんだ」
「ふうん。つまりは話したくないという訳だ。じゃあそれで話はおしまい」
「おしまいって。遊姫さんはシャルルが男のフリをしていたことをおかしいと思わないのかよ」
「思わないと言えば嘘にはなるよ」
「じゃあ――」
「でもね、本人が話したくないっていうのなら無理には聞かないよ。無理矢理言わせて何になる? ただ傷つけるだけだよ」
覚えの悪い子供に言い聞かせるように話す。
力になると言った以上、シャルロットのことを守ってあげよう。だから、その為にシャルロットにも協力してもらおう。
「シャルちゃん。どうして君が男装をしているのか、話す気があるのなら話してくれないかな?」
ニッコリと笑みを浮かべて問いかける。ここで、シャルロットが首を横に振ればいい。
「すみません。理由を話すことはできません」
本当に申し訳なさそうな表情で、私へと頭を下げるシャルロット。
私は苦笑を浮かべて「こう言ってるから駄目だよ」と言って、一夏がシャルロットに迫ることを禁じた。
「シャルル、それでいいのか?」
駄目だと言っているのに食い下がる一夏。しつこい男は嫌われる、という名言を彼は知らないようだ。
苛立ったような一夏の問いかけに対して、シャルロットも苛立ちを含んだ視線を向ける。私も呆れの視線を一夏へと投げる。どうして素直に頷いてくれないのか。相手のことを思ってか、それとも自分の持った疑問を解消する為か。どちらにしても、今のシャルロットには迷惑以外の何者でもないだろう。
「一夏。心配してくれるのは嬉しいよ」
力なく微笑むシャルロット。
「だったら――」
「でもね、こっちのことを考えないで、ズカズカと踏み込もうとするのは止めてよ!」
一夏の言葉を、拒絶を含んだ言葉で遮ったシャルロット。話し合いは終了。一夏の説得は拒絶されて幕を閉じた。
さてと、次は私が行動を起こす番だ。
私は椅子から立ち上がって、その勢いを利用して飛ぶ。デスクを軽々と飛び越して、シャルロットと一夏の間に着地する。
2人して驚いたような顔をしているが関係ない。私は手近に放置してあったパイプ椅子を見つけたので、ソレ目掛けて足を振り上げ、力いっぱい振り下ろす。
鈍い音が部屋の中に響く。振り下ろした足の下には、パイプ椅子があった。フレームは歪みに歪み、足の着地点を起点に折れ曲がり、椅子の足はぐちゃぐちゃになって、砕けた箇所があちこちに飛び散っていた。見るも無残とはこういうことだろう。
あまりの惨状に息を飲んだシャルロットと一夏。
私は再び足を振り上げ、踵を一夏の左肩に押し付けた。
「もしも、もしもの話だけど。シャルちゃんの男装を誰かに喋るようなことがあれば、左肩を骨ごと削ぎ落とすことになるから」
笑顔を消し去り、代わりに真剣な表情を貼り付けて一夏を見る。顔面蒼白になっている一夏を見て、大丈夫だろうと思って、彼の左肩から足を退けてあげる。
「じゃあ、よろしくね」
一夏の返事を待たずに背中を押して、保健室から追い出す。しっかりと両足で歩いて遠のく一夏を確認してから、保健室に戻った。
部屋には、壊れたパイプ椅子を見つめて動かないシャルロットだけが残った。手加減すればよかったと、いまさらながら思う。だけど、インパクトがある方がよかった。そう結論づけて、シャルロットの肩を叩いて呼び戻すことにする。