「男子! 2人目の男子!」
「それも美形! ああもう、守ってあげたくなるような可愛い系の!」
「馬鹿、くだらない。男子、男子?」
シャルル・デュノアという転校生は落とされた小石のように、教室という泉に波紋を作り出した。歓声のそのほとんどが好意を持ったものだ。隣通しで嬉しそうに話し合う女子達は、教室の中に鬼がいることも忘れていた。留学生組や比較的冷静な日本人学生組はその存在を意識していたので、千冬がいつ怒るのかと緊張していた。
セシリアもまた、千冬に視線を向けていた。今の彼女には転校生など眼中になかった。現在、最も恐る必要があるのは、千冬の存在なのだから。いつだったか、小休憩の時間に留学生組と日本人学生の数人が揉め事を起こしたことがあった。セシリア自身は、席を外していて現場を見ていなかったのだが、帰ってきてみれば、千冬によって数人が鉄拳制裁を受けていた。そこまでならば別に構わないのだが、千冬の矛先はクラス全体に向いたのだ。放課後にグラウンド10週するという罰が、連帯責任の名の下に降りかかってきた。
今日は勘弁していただきたいものですわ。疲労の抜けきらない体に更なる鞭など打てば、保健室行きに決まっています。セシリアは、あの慣れ親しんだ保健室を思い浮かべた。やる気のない巫山戯きった態度を見せつつも、しっかりと処置をしてくれる遊姫の根城。あそこなら悪くないかもしれない。
そこまで考え、セシリアはかぶりを振ってソレを振り払う。国家代表候補生たるものが、嬉々として保健室にお世話になるなどあってはならないのだ。
だけど、保健室そのものではなくて、遊姫とエミリアの2人に用があれば構わないだろう。保健室を訪れる言い訳をする。
「あー、騒ぐな、うるさいぞ」
こうなることを想像していたのだろう。千冬は面倒そうな表情を隠すことなくクラスを鎮めた。
セシリア達も安心した。今回は罰がないようだ。
「では、HRを終わるぞ。各人はISスーツに着替えて第四アリーナに集合しろ。今日は二組との合同授業だ」
千冬が終了を告げて、真耶と一緒に教室を去る。10秒ほどの沈黙の後に、生徒達がシャルルへと殺到する。情報収集と物珍しさ、他にも多くのモノを持って包囲網を形成する女子生徒達に、シャルルの笑顔が苦笑いに変化する。
「デュノア君!」
誰だったかが声をかけた。包囲の外から様子を見ているセシリアには、それが誰か分かるものではなかった。
セシリアは立ち上がって、第四アリーナへと向かおうとする。転校生を取り囲んで、興味の視線をぶつけていられるほどの時間はないのだ。
1人で行くのもなんだと、セシリアは仲間のいる方向を見た。いるべき人物がそこにはいない。
どこにいったものかと、セシリアは周囲をぐるりと見渡した。視界に探すべき友人が映りこんだのは、彼女が転校生の周りに作られた人の壁を見た時だった。勝気な顔つきの友人が力任せに壁をこじ開けて、転校生に接近する。
何をするつもりですの、ミシャさん。
一度、日本人学生と揉め事を起こしたミシャ・ラケイムが、また何か問題を起こしてしまうのでは。不安に駆られたセシリアはその場で足を止めて、事態を見守ることにした。他の仲間達も教室に留まって、ミシャの行動に注目する。
ミシャによって押しのけられた女子生徒達は文句を言うが、彼女は気にもとめずにシャルルの前に陣取る。周囲からも文句の声があがるが、ミシャは「うるさいから」と一蹴して、シャルルの細い腕を掴む。
「え?」
「え!?」
腕を掴まれたシャルルは素っ頓狂な声をあげ、周囲は驚愕の声をあげる。だが、ミシャにはどちらも関係なく、掴んだ腕を離さずに、集団からシャルルを引っ張って抜け出してきた。
「よし、馬鹿騒ぎから抜けるわよ」
胸を張って教室から出て行くミシャとシャルル。その後ろを、セシリア達は疑問を浮かべながらもついていった。
「どうして、連れてく? 理由、知る」
「そうよねぇ、ルベリーちゃん。いきなりあんな危険な真似をしておいてぇ、理由を言わないなんてことはないわよねぇ」
「そうだよぅ、知る権利があるよぉ」
「知る権利なんて大層なもの持ってないでしょう? まぁ、教えるけど」
「相変わらずの物言いは仕方ないけど、結局教えてくれるからいいや」
「ふふふ、ミシャさんは優しいですからね」
「確かですけれど、合間合間の暴言が気になりますわよ」
「要求されるのさ、スルースキルってやつが」
「それはおかしい。ミシャの暴言がなければ、ミシャじゃなくなってしまいます。聴く側にとってそれがミシャなので、スルースキルは要求されてはいないはずです」
「め、珍しい光景ですわね。マリさんがキキラさんの言葉に反応しないなんて」
「ふふん。すごいでしょ、セシリア。あの不毛な争いは私の勝利で終わったのさ」
「不毛と認めてしまっていますよ」
「理由を教えてもいいけどさ、今、私金欠なんだよね」
「金、亡者、浪費家」
「キキラ。貴女の言うべき言葉は、スルースキルってやつが要求されるのさ、ですよ。異論は絶対認めません」
「不毛な争いは終わってなくてよ」
「チクショー!」
「ルベリー、お前絶対に日本語得意でしょ!」
「それに、キキラさんも強固な意志を以てして戦うようですよ。頑張ってください、マリさん」
「フィラカルイアの馬鹿!」
「フィラさん、笑顔で見捨てるのですね」
「どうでもいいわよぉ。それよりもシャルルちゃんが困っちゃっているわぁ」
男性だけでなく女性すらも魅せてしまいそうな声音が、セシリア達のぐちゃぐちゃな会話を止める。セシリアが声の主に視線を向けると、留学生組の調停者的存在であるリセル・シェスタが大人びた笑みを浮かべていた。魅惑的な声質にそぐわない童顔と低い身長の少女が見せる笑みは、大人っぽくあろうと背伸びしているようにしか見えない。
リセルの隣では、ルベリー・アルジゼートがぼんやりとシャルルを眺めていた。セシリアよりも頭一つ分高いルベリーの視線に、シャルルはどうすればいいか分からない様子だ。
「えーっと、みんな仲がいいんだね」
「まぁ、そうなりますわね」
シャルルの無難な感想に、セシリアが応えた。仲が良いと言われたことが嬉しいのか、薄くではあるが微笑みを浮かべている。
「では、いきましょうか。シャルルさん」
セシリアの言葉に、シャルルは頷いて歩きだそうとした。
「ちょっと待ってくれ」
シャルルの肩に手を置いて、動きを阻む者が現れたのだった。