月曜日の朝。セシリアは自分の机でぐったりとしていた。前日の運動が尾を引いているのだ。周囲には、そんな死に体を取り囲むように友人達が集まっている。頭を小突いたりする者がいるのだが、今のセシリアにはそれを止める気力もない。
「馬鹿みたいに死に体を晒して、大丈夫なの?」
「ははぁ、いつもの気高さがないねぇ」
「もともと、ない」
「あらぁん、ルベリーちゃん。酷い言い様よぉ」
「ルベリーさんの言い方に悪気はないと思われますよ」
「悪気がないってことはないでしょう、そんな言い方をして」
「それはおかしいですよ。そんな言い方をして、悪気がないってことはないでしょうと言うべきですよ」
「仕方ないよ。キキラもマリも学習しないから」
がやがやと騒がしくするが、セシリアは参加もせずに机に突っ伏したままだった。時折、か細い鳴き声のようなものが漏れ出すから、話を聞いていることは確かである。
セシリア達の周りでは、ISスーツの話で盛り上がっているのだが、彼女達は関係ないと言わんばかりに、セシリアを小突いたりし、髪の毛で遊んでいた。セシリアも段々と調子を取り戻してきたのか、抵抗を始めだした。
「やめなさい。人の頭を遠慮なく叩いたりして」
セシリアが机から体を起こすと、同時に千冬が教室へと入ってきた。
「諸君、おはよう」
教室内に漂っていた統一感のない空気は霧散していき、恐怖と敬意の空気が入り込んできた。その見えない力の前に、セシリア達も従わざるを得ない。仲間達はセシリアの席から去って、自分達の席へと向かっていった。
セシリアも怠い体に鞭打って、背筋を伸ばしてシャッキリとする。授業とそうでない時の線引きはしっかりとしておくのだ。
教壇に上がった千冬が色々と連絡事項を述べているのを耳にしながら、セシリアは昨日のことを反省していた。
日曜日の午後から、部活に顔を出して腕を磨いていたセシリアは、エミリアからのアドバイスを聞いて内心で舞い上がってしまった。淡々とした言い方ではあったが構わなかった。少しでも気にかけてもらえている。その事実だけで十分であった。
部活が終わり、いざ帰ろうとした時だった。エミリアに呼び止められ、体操着に着替えてグラウンドに集合と告げられた。何事だろうと思いつつも、言葉に従ってグラウンドに行った。
グラウンドにたどり着くと、ジャージ姿の遊姫が走っているのが見えた。その顔には真剣さはなく、代わりに笑顔があった。
それから、ジャージ姿のエミリアがやってきて無制限のマラソンが始まった。一般女子よりも体力はあると考えていたセシリアは、前を走り時には後ろから追い抜いてくる遊姫とエミリアの姿を見て、国家代表の実力というものを実感した。圧倒的な体力差が、自分と彼女達の違いであると。
だからと言って、諦めるものかと無理をした結果は、寝ても消え去らないクタクタの肉体だけだった。
はぁ、わたくしよりも2人の方が多く走っていたはずだというのに、どうしてそれを感じさせないのでしょうか。
さきほど、廊下で見た遊姫は元気そのものだった。くるくると相手の迷惑をこれっぽっちも考えずに両手を広げての回転をしていた。セシリアは呆れてため息を吐き出してその場を後にした。すぐ後に、遊姫は千冬に引っ張られてどこかに連れて行かれたのをセシリアは知らない。
はぁ、体力をつける必要がありますわね。
千冬が連絡事項を全て言い終わったのを確認すると、セシリアは教室の入口に目を向けた。
遊姫からの情報が確かならば転校生が来るはずである。一体どこの国のどんな人物であろうか。そう考えていると、セシリアは一つ重要なことに気がついた。
どこの組に転校生が来るとは聞いてませんでしたね。
だが、セシリアには大体の予想はついていた。当たり外れはともかくとして、一組に転校生が来る確率は低い。一組には専用機持ちが2人もいる。それに比べて、二組と四組は1人だけ、三組に至っては1人もいない。噂では四組の専用機持ちは、未だに専用機が完成していないとか。おそらく、転校生は三組に1人は入るだろう。もう1人は二組か四組のどちらかである。
「ええっとですね、今日は転校生を1人紹介します」
セシリアの予想は外れた。
周囲がざわざわと落ち着きをなくす中で、セシリアは少しがっかりした。自分の予想が外れてしまったからだ。これが、狙撃なら大失敗だろう。
真耶は教室内に生まれた興味津々の空気が嬉しいのか、とびっきりの笑顔を見せていた。あの笑顔が原因で、年寄りも幼く見られてしまうのだろう。
セシリアは失礼なことだと分かっていながらも、真耶の笑顔を幼いと判断した。だけど、心からの笑顔であるとも評価した。人の心を和ませる笑顔だ。
エミリアの笑顔はクールだ。人を見下すようにも感じられる笑みだが、慣れてしまえば悪い意味を持たないと分かる。
遊姫の笑顔はよく分からない。笑っているけど、何かがおかしい。何がおかしいのかは分からないのだが。セシリアが遊姫の笑顔を認識できたのは1回だけだ。その1回の笑顔は優しいものだったと記憶している。
わたくしはどのような笑顔を見せているのでしょうか? みんなはどのような判断をするのでしょうか?
セシリアが思考していると、教室の扉が開く。廊下から入り込んできたのはセシリアと同じ金髪だった。
金髪の転校生が教壇へと上がる間に、聞こえてきた音は彼の人物の足音だけだった。
先程まで騒がしさが最初からなかったかのように、沈黙を見せつけるクラス。セシリアもその一部となって転校生を見つめていた。体の怠さは既に感じなくなっていた。
片方の事情がもっと面倒なんだよね、などと遊姫は言っていた。もしかして、目の前の人物のことだろうか。セシリアは止まりかかった思考で結論を出そうとする。
セシリアの状態など知らない転校生はニコリと笑みを浮かべて、クラス全体にその声を聞かせはじめた。
「シャルル・デュノアです。フランスから来ました。この国に来たばかりで何かと迷惑をかけてしまうと思いますが、よろしくお願いします」
綺麗に礼をするシャルルに、クラスの1人が声を漏らした。
「お、男?」
それはクラス全員の思いを代弁していた。セシリアも例外ではなかった。
柔らかな人懐っこそうな顔は中性的で、男子にしては低い身長と華奢な体付きから、スカートをはけば女子生徒に早変わりしてしまうだろう。
セシリアの脳の回転スピードが正常値まで上がった時、彼女は空気が流れるのを感じた。錯覚だろうと、一瞬思った。
だが、次の瞬間に、大音声が教室に響き渡った。それは、合唱を思わせるような狂いなく揃った歓声だった。言葉になっていない黄色い叫びは、耳にウザったくてセシリアは両手で耳を覆った。声をあげているのは、いずれも日本人組の生徒達だった。留学生組はセシリアのように耳を塞いでいるものがほとんどだった。平然と手イタズラをしている例外が1名いたが。