IS 教師の一人が月村さん   作:ネコ削ぎ

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10話

 風を感じた。緩やかな撫でるような風は、森の中を駆け巡って草木を鳴らす。自然の脈動が耳に心地よい。

 私は一人で森の中にいた。仰向けに寝転んで、木々の合間から顔を覗かせる太陽を浴びていた。森に吹く風と、控えめな陽の光が心地よい。

 ああ。何故にこんなところにいるのだろうか。いつの間にこんなところに来たのだろうか。そもそも、私は先程までどこにいたのだろうか。

 私は寝転んだまま腕を伸ばす。ここは気持ちが良くていい。少し、散歩でもしようか。

 上半身を起こして、辺りを見渡してみる。視界いっぱいに緑色が広がっている。木々はどれも立派で、自然の偉大さというものを感じてしまう。

 ふと、視界の端に何かを見つけた。緑の中に似つかわしくない物だ。人の形をした何かだ。いや、よく見ると人そのものだ。

 深緑色の髪の少女がゆっくりと歩いていた。見覚えのあるような顔をしている。

 緩やかな歩調で歩く少女は、私を中心に円を書くようにして動いている。それが何を意味しているのかは分からない。

 私は少女を羨ましいと思った。どうして羨ましいと思ったのかなんて分からない。なんとなく羨ましいと感じた。

 周囲を見渡してみると木々に阻まれてか、周りが少し薄暗い。少女はその薄暗い中を黙々と歩いている。光が差し込むのは、私がいる場所だけのようだ。

 もしかしたら、少女は光に当たりたいのかもしれない。恥ずかしがり屋なのか、私に声をかけられないで、ぐるぐると周りを回っているのだろう。

 だとしたら、すぐに退いた方がいい。私は立ち上がろうと、足に力をいれる。足が痺れているのか、まったく感覚がない。両手で足を触ってみると触られているのを感じることができない。

 

「あ、あれ?」

 

 足がまったく動かない。前はちゃんと動かすことができていたのに。

 私は必死に足を動かそうとするが、いくらやってもウンともスンともいわない。少女は、私の行動に特別な反応を見せることなく歩き続ける。

 私は、彼女が当たり前のように歩いていることに、羨ましいと心の底から思っていたのだ。さっきまでは自分の状態を忘れていたから、なんとなくでしか感じていなかったが、今はどうしようもないほど渇望している。歩くことを求めている。

 私は木を支えにすれば立てるのではと、草の生い茂る地面を這って手近にある大きな大樹へと向かう。巨大な木に手をかけて立ち上がろうとするが、体を支える部分である両足に力を入れることができない以上、立つことなどできない。

 

「一人じゃ立てないよ」

 

 いつの間にか、近づいてきていた少女が私を見下ろして言う。

 

「立つよ!」

 

 断定されたことに、心臓が跳ね上がるのを感じながら私は宣言する。声を大きく張り上げることで、立てないという恐怖に蝕まれる自分を鼓舞する。

 少女に見下ろされながらも、私は何度も立ち上がろうと力をいれるが、成果はまったく現れない。

 立ち上がって見せつけなきゃいけない立ち上がって見せつけなきゃいけない立ち上がって見せつけなきゃいけない立ち上がって見せつけなきゃいけない立ち上がって見せつけなきゃいけない立ち上がって見せつけなきゃいけない立ち上がって見せつけなきゃいけないんだ。

 だけど、いくら頑張っても立つことはできない。

 私は自分よりも年下の少女に右手を伸ばす。

 ポロポロと涙が瞳から出て地面に吸われていく。自分の力ではどうやっても立つことはできない。それが恐怖となって、鼓舞した自分の心の壁を打ち砕いた。自尊心はボロボロになって欠けていくと、代わりに素直さが現れて、私に口を開かせる。

 

「お願いします。助けてください」

 

 恥も外聞も捨て去った。歩けないことが怖い。誰もが私の前から立ち去ってしまうのが怖い。

 泣き顔になっている私を見下ろす少女は、軽蔑も嘲笑も見せなかった。薄暗い中に立っているというのに、表情がよく分かる屈託のない笑顔を浮かべてくれる。

 

「うん! いいよ!」

 

 私の右手を、少女の小さな手が包み込む。暖かさが伝わってくる。

 少女は、私の背後に回り込んで腰に手を回す。

 

「じゃあ、行くよ!」

 

 少女がそう言って、腰に回した腕に力を込めるのを感じた。どこにそんな力があるのか、少女は私を立たせた。いまだに、足に感覚はないが、見える景色は私が立った時と同じであった。

 

「手を離すよ」

 

 少女の言葉に私はひやりとした。足に力が入らないのに、支えなしでどうやってこの状況を維持できようか。「待って」と声をかけようとするよりも一息早く、少女が口を開いた。

 

「大丈夫だよ。足はちゃんとある。動かそうと思えば簡単に動くよ。後は、私が素直になるだけでいいんだよ」

 

 安心させるような言葉は、私だけに向けられたものではないのだろう。でも、その言葉は私を勇気付けるのには十分過ぎるものだ。

 私の心の動きを感じたのだろうか。少女は腰を支えていた手を離した。

 私は足に力を入れて、自分の体重を支えようとした。ぐらりと一瞬だけ体がよろめいたが、急に熱を帯び始めた足が、倒れることを阻止した。

 

「た、立てた!」

 

 ゆっくりと片足を前に出す。次は逆の足を出して前に進む。足に生まれた熱は感覚となって全身に行き渡る。

 歩いて歩いて歩き続ける。歩けることが素晴らしくてしょうがない。幸せを感じている。

 私は後ろを振り返って、少女にお礼を言おうとする。勇気を与えてくれて、喜びを取り戻してくれて。

 だけど、振り返った先には少女はいない。そんなに離れた訳ではないのに見つけることができない。

 何処へ行ったのか分からない。だから、私はあらん限りの大声でお礼の言葉を言うことにした。どうか少女に聞こえますようにと願って。

 

「ありがとう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと保健室にいた。体調不良の生徒達の為に存在する四台のベッド、その一つで私は眠っていたようだ。周りはカーテンで仕切られている。

 よく分からない夢を見ていた。まともに内容も思い出せない。ただ、そこには恐怖と歓喜があった気がする。

 私はベッドから上半身を起こすと膝を力強く抱える。何故だかホッとする。

 暫く、膝を抱えてベッドの上に留まって、思い出せない夢の余韻に浸っていた。

 すると、カーテンを開けて千冬先輩が現れた。その顔には安堵の表情が、淡白な表情の上からチラリと見ることができた。

 

「気分はどうだ?」

「寝起きがよろしいもので」

 

 いつもの私を演じる。正直の自分は起きると同時に終了だ。

 千冬先輩は「そこじゃない」と、やれやれと言わんばかりの表情を見せる。私の態度に異常がないと悟ったのか、安堵がなりをを潜めていった。

 

「今回の襲撃事件。お前のおかげで被害はゼロだ」

「私の時間が被害を受けましたが」

「侵入してきたISには人がいなかった。自立起動型か遠隔操作のどちらかで動いていたと思われるが、現時点での各国家の技術レベルが、その領域まで達したという情報はない」

「……隠しているだけじゃないですか?」

「可能性は否定できない。ともかく、確証はないというのが現状だ」

「結論は保留」

 

 無人機そのものに関する話題は幕を下ろした。

 代わりに千冬先輩は一枚の資料を取り出して、私の眼前に突き出してきた。資料には織斑一夏の個人データが書かれていた。

 

「何ですか、これ?」

「見ての通りだ」

「そうですか。じゃあ、これが何か?」

 

 純粋な疑問を投げる。面倒事の予感しかしない。

 

「襲撃事件で感じたことがあるのだが」

「はい」

「今回のように教師陣が助けに入れないような事態が今後も起こりうるかもしれない」

「はい」

「そこで、専用機持ちの生徒達が事態を鎮静化、もしくは教師陣の介入までの生存率を上げる為にだ」

「はい」

「お前に一夏の指導を任せたい」

「嫌です」

 

 考える間もなく、私は拒絶の意志を見せる。千冬先輩の眉間に皺が寄るのだが、私の知ったことではない。

 

「理由を聞こう」

「理由は簡単。私に指導する意志がないからです」

「そのようなり――」

「それだけではありませんよ」

 

 千冬先輩が言い切るより早く、私は更に言葉を紡ぐ。

 

「一夏くんの戦闘スタイルがどんなものかは知りませんが、私のとでは相性が悪いことでしょう。こっちはスピードだけが要ですが、一夏くんの方はそれだけで成立しないですよね?」

「だが、経験にはなる」

「だけど、私の気が乗りません」

 

 数秒間の睨み合い。お互いの主張が相手に受け入れられないからだ。

 やがて、千冬先輩は顔を背け、そのままベッドから離れていった。

 

「分かった。気が向いたら来い」

 

 最後にそれだけを言って、千冬先輩は保健室を出て行った。

 私は保健室の扉が閉まるのを確認してから、ベッドに寝転んだ。

 

「その気はないよ」

 

 今の私にその気はないのだ。


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