満天の青空がまだ陰りを見せていない。
地に足を付けずして、セシリアは空を見上げてる。
憎々しいほどの青色。セシリアの心の中に広がる、闇色の青をあざ笑うかのような清々しさ。自分がとても小さく感じてしまう。
IS学園に七箇所あるIS専用競技アリーナ。その一つ、第二アリーナのフィールドにセシリアは浮いていた。周囲にはISにも装備されているバリアーがフィールドを包み込むように展開されている。それは不可視の障壁となって、内側からの攻撃を防ぎ、外側の観客席を守っている。
どんなに飛び上がっても、障壁のせいでそれ以上先へと向かうことはできない。同じように、エミリア・カルケイドに近づくことができない。
いつかの失態を思い出して、セシリアは苦々しい表情を浮かべる。
あの時は自分の高揚した想いだけを、無遠慮にぶつけてしまったが故のミスだった。憧れているエミリアからの鋭く冷たい視線。氷でできた杭を心臓に打ち込まれ、そこから一瞬にして全身の熱を奪い去ってしまったかのような感覚を、セシリアは感じた。自室に戻って、足の筋肉がズタズタにされたように崩れ落ちた。憧れている人物から拒絶されてしまったことが、セシリアにとって耐え難い事態だったのだ。
あの壁を壊すほどの力を、わたくしは持ち合わせていない。
忌々しいと、セシリアは空を、正確にはフィールドを覆う不可視の障壁を睨みつける。
暫く空を見上げていたセシリアは、不意に脳内で警告音が響くのを聞いた。ISの眼と呼んでいいハイパー・センサーが索敵範囲内に何かを捉えたのだ。
遅い。そう思いながら、セシリアはフィールドの端に向かい合って存在するゲートを一瞥する。
ISがフィールドに入る為のゲートは障壁の恩恵を受けられない分、強固な造りとなっている。四重層の鈍重な扉が上下左右に分かれていき、道を作り上げる。
ゲートを潜り抜けて現れたのは、純白の装甲に包まれたセシリアの敵だ。取るに足らない敵であり、狙いのつけやすい的だ。
白い装甲を纏って現れたのは、織斑一夏だった。顔に余裕はなく、危なげな動作でセシリアのいる位置まで飛び上がる。しかし、操作ミスで、セシリアよりも頭一つ分高い位置に止まってしまった。
「あまりに遅いので、逃げ出したのかと思っていましたわ」
一夏と平行になるよう調整して、セシリアは嘲笑を浮かべた。
セシリアの言葉に一夏が反応することはできなかった。何故なら、彼は初めてISを装着して、また初めて飛行を行っているからだ。ISには操縦補助プログラムが内蔵されているので、大まかな動きは素人でも行うことができる。だが、ISの訓練をしていない者は、人の形をしたまま、空を飛ぶことなど、当然行ったことのない。味わったことのない浮遊感と、浮いているという事実が、彼から余裕を奪い去り、言葉を発することを許さなかった。
「せっかくです。チャンスを差し上げましょう」
この試合が試合として見られることはないだろう。セシリアは一夏の悪戦苦闘する姿から、そう結論づけ、彼の心に後悔と反省が芽生えているのならと、一つの提案を持ちかける。
「わたくしの勝利が揺らぐことはないでしょう。その姿から、敗北は決定しているというのは過言ではないと、貴方も理解しているでしょうから。ですので、貴方が今ここで、これまでのことを謝って頂ければ、許してあげないこともなくってよ」
「そういうのはチャンスとは言わないな。それに、謝るべきはそっちだろ?」
何かも分からないような淡い期待にかけているのか、彼我の実力差を理解できていないのか。一夏は真っ直ぐセシリアを見る。後悔など見せない瞳が、セシリアを呆れさせる。
「残念ですわ。救いの手を跳ね除けるなんて」
セシリアがそう言い終わると同時に、一夏の右腕が弾かれたように後ろに曲がった。
月曜日の放課後。
私はエミリアと共に、試合の観戦に来ていた。
一夏の勝率はゼロ。正しく奇跡が起こらなければ勝てない、不平等な試合だ。
「さて、どっちが勝つかを賭けてみる?」
「賭ける必要もないだろう」
私はケラケラと笑う。一年一組のみならず、多くの生徒がごった返す観客席。その中で、一体どれほどの人間が一夏の勝利に賭けているのだろうか。織斑千冬の弟、それだけで評価をしてガッカリする者がどれほどいるだろうか。
私はアリーナの中央へと視線を向ける。
観客席とバトル・フィールドの間には不可視のバリアーが張られていて、その向こう側では、ワンサイド・ゲームが行われていた。
セシリア・オルコットと織斑一夏の試合が始まって、5分が経ったが、未だに決着はついていない。その理由は、セシリアに決着をつける意志がないからだ。一夏は弄ばれている状態だ。
ISの試合は、シールド・エネルギーと呼ばれるエネルギーをゼロにした方が勝ちの、シンプルなゲームだ。
「つまらない試合だな」
一方的な試合に、エミリアがあくびをする。波の立たない平坦な試合なので仕方がない。周囲の中でも、エミリアと似たような興味の失せた顔をしていた。
「じゃあ、帰る?」
それではと、提案してみる。私としては試合終了まで、眺めていても構わないんだけど、飽き飽きしているエミリアに、この試合を強要するのも酷だ。
「そうだな、保健室に帰ってのんびりとするか」
「君の帰る場所は、保健室じゃないでしょうが」
席から立ち上がって、私達はアリーナから出て行く。面白いことに私達が立ち上がって出入り口に向かうと、それに釣られるように周囲の、主に二・三年生も立ち上がって出入り口に向かう。噂の男子を見に来たのに、時間の無駄だったと。今まで、席を立たなかったのは、退席していいのか分からなかったからだろう。
「やはり見る価値のない試合だ」
ため息を吐き出して言うエミリアに私は苦笑しながらも、彼女を保健室に招き入れることにしようと決めた。
ティアーズの練習にすら成りえませんわね。
戦闘が始まって5分を過ぎた。セシリアが放った一撃を皮切りに始まった試合は、流れを絶えずセシリアを優先として進んでいた。
純白の装甲を持つ一夏のIS『白式』は、両手にIS専用の近接戦ブレードを構えたまま、振るうことができなかった。相手をブレードの届く範囲に捉えることができないのだ。
IS初心者の一夏は、ISでの戦闘を何処か甘く見ている節があった。姉である織斑千冬の闘いを見たことのある彼は、ISの戦闘を地に足つけての格闘技の延長戦としか思っていなかった。
だが、実際は高度の調整や加減速、ハイパー・センサーによる索敵が必要だ。同じ高さで闘っている訳でも、目で追いつけるような移動速度で闘っている訳ではない。
「少しは動いたらいかが?」
セシリアが身の丈を超えるレーザー・ライフルのトリガーを引く。銃口から圧縮された熱線が迸り、一夏の左肩を撃ち抜く。
「うおっ!?」
左肩に命中した熱線によって、一夏の姿勢が大きく崩れる。大振りな動作で仰け反り、回転しながらフィールドを覆うバリアーへと、体が投げ出される。
少しでも腕に覚えがあるものならば、吹き飛ばされた勢いを利用して、その場から離脱するだろう。だけど、一夏にはその技量も発想もない。急いで姿勢制御を行っている。
姿勢を整えている最中の一夏に、四本のレーザーが突き刺さる。セシリアのいる方向とはまったく別の方向から放たれたレーザーに、一夏は無様な被弾のダンスを踊らされ続けた。
セシリアは、更なる姿勢制御に悪戦苦闘をする一夏を見下す。
これが、貴方の無知が引き起こした結果だと知りなさい。
レーザー・ライフルで一夏の眉間に狙いをつけたセシリアは、躊躇することなくトリガーを引いた。
レーザーの線が一夏に刺さった瞬間に、先ほどと同様にして、異なる方位から四本のレーザーが順当に襲いかかる。
そろそろ、充電が必要ですわね。
セシリアは心の中で呟くと、一夏の周囲に配置していた『ティアーズ』を、自分の元へ戻すイメージを行う。頭の中で螺旋を描くと、『ティアーズ』がその通りに動く。
セシリアのIS『ブルー・ティアーズ』はイギリスで開発された第三世代型ISである。鮮やかな青色の装甲と、背部に魚のヒレを思わせるフレキシブル・スラスターを四基持つ。手には圧縮した熱線を撃ちだす試作型レーザー・ライフルを装備し、機体の戦闘スタイルが遠距離タイプだと知らせている。単純な性能は、高い性能で乗り手を選ぶ第一世代には及ばず、第一世代をデチューンして汎用性を重視した第二世代に近い。
だが、第三世代と呼ばれるブルー・ティアーズには第一・第二世代にはない特殊装備があった。『ティアーズ』と呼ばれる自動攻撃端末で、細長い板状の物に、小型のスラスターとレーザーを撃ちだす銃口がついている。先程まで一夏を襲っていたレーザーはコレによって撃ちだされていた。相手の死角から攻撃できるので、やり方によっては戦闘の流れを自在操ることが可能である、理論上は。
セシリアの元へと戻ってきた四機の『ティアーズ』は背中にある四基のスラスターにそれぞれ収まる。エネルギー補給の為にだ。
『ティアーズ』は遠隔攻撃を可能とする特殊兵器であるが、問題点が幾つか存在する。
内蔵できるエネルギーの量だ。レーザー・ライフルの半分ほどの大きさしかない『ティアーズ』のエネルギー量は、レーザー五発撃つだけで底をついてしまう。『ティアーズ』を任意の方向に飛ばして、戻す関係上、実際は多くて三発撃ちだすだけで精一杯なのだ。威力もレーザー・ライフルと比べて、見劣りしてしまう。
次は展開スピードだ。操縦者の思考で動くのだが、『ティアーズ』の動きは思考に対して、一瞬の遅れが生じてしまう。
それ意外にも問題があるのだが、セシリアには足枷とならない。まだ、ブルーティアーズで自分と同等の存在と闘ったことがないからだ。
「いい加減終わらせましょう」
抵抗ままならぬ一夏に、セシリアはレーザー・ライフルとエネルギー補給を終えた『ティアーズ』四機の銃口を向ける。