原作のあの素晴らしく独特の雰囲気は出せないかもしれません。ご了承ください。
中二病。
厨二病とも言われるそれは、誰しも掛かる麻疹のようなものだと僕は思う。
端的に言えば、中二病とは隠された力が発現するだの、真なる自分だの、運命に導かれし選ばれた戦士だのという思春期にありがちな思想・行動・価値観が過剰に発現した病気のことである。
家の母がそんな感じなことを常日頃、365日休まずに言いながら過ごしていたために、僕にとってそれは、たしかに日常的に周りにあったことで、それはある程度当たり前のことなのだと思っていた。
小さな頃から、夢でもうひとりの自分のような存在に出会うことが出来て、その人はたしかに僕の知らない知識を持っていて、それらの知識を得て母と会話して父に苦笑されるのは、僕にとって当たり前の家族の団欒だったんだ。
それがおかしいことだと、もうひとりの自分(後で兄だと言われた)が言っていたために知っていたけど、母が嬉しそうにしているその笑顔を曇らせたくはないと思ったから、やめようとは思わなかった。
ただ、学校ではそういうことは言わないようにしていた。というのもやっぱり確認のできない脳内にいる兄の話を常日頃からする子供は、ちょっとおかしい目で見られるものだと知ったから。
幼馴染達はなんとなく知っているだろうけど、趣味嗜好についてとやかくいう人たちではないのでなんだかんだ仲良くしている。
というか幼馴染も大概な趣味してるし、おあいこということで。彼も趣味で人を見るようなことはしないし、好きなことを好きだと言えないのは違うと思っていると前に聞いたことがある。
ツインテール大好きな幼馴染は僕が中二病だと思ってるだろうけど、僕自身ははちょっと変な夢を見るだけで割と普通だと思う。
第一、僕はポニーテールが好きなわけだし。いや、髪をひとつに結わえた髪型が好きでその中で馬の尻尾のように揺れるポニーテールが特別好きなんだ。
物心ついた時にはもう好きだった気がする。きっかけは母も父もポニーテールにしていたのを真似て喜ばれたのが理由かもしれないけれど。でも歳を重ねてもその好きは変わらず、むしろ強くなっていった。
心のなかの何かが語りかけてくるんだ、ポニーテールが好きなんだと、ポニーテールに恋していて、愛していると。その気持ちが本当に自分のものなのかどうかはちょっとわからないけど、その好きだという気持ちはきっと嘘じゃない。
だから僕は自分の髪を伸ばしポニーテールにした、これが僕だ誰にもはばかることのない好きな髪型なんだと周りに言うように。僕はポニーテールが似合うようになるための努力は惜しまなかった、体を絞り、髪を手入れし、細身の体を手に入れ、艶のある髪を手に入れた。
何度か友達と喧嘩することもあったけど、友人のために好きな髪型に出来ないというのはきっとそれは寂しいことだ。
そのために友達は少ない生活だったけれど後悔はしていない。ポニーテールのため、それが僕の生き方と決めたから。
幼なじみのツインテール大好きな彼とは口論になったこともあったけれど、今は理解し合っていると思う。
口論になった時に彼はツインテールは太陽だと言っていた、だから僕はそれにポニーテールは月だと答え、僕らはそれらの恩恵を受ける地球であると。僕らはどちらが欠けても成り立てはしないと。
どちらがいいというわけではなく、どちらも良いものだと僕らは分かり合えた。
ただ彼は男だからツインテールにするのをあきらめているようでそれだけは残念でならない。似合わないツインテールは彼にとってツインテールではないのだろう。彼が女性であったらきっとツインテールにしていたことは想像に難くない、彼はツインテールが大好きなのだから。
中二病とは人によっては重大な人生の転換期となり、また人生の汚点となるのだろう。
僕にとっての中二病はその両方であり、また自分以外の人生を多少なりとも左右することになるとは思ってもみなかった。
趣味嗜好は人によっては大したものでなく話の種とするもので、人によっては他人にどう思われようと命をかけて好きだと言える大切なモノなのだろう。
僕にとってのポニーテールはどちらかと言えば後者だけれど、衆人環視の前で言うことを控えるぐらいはする。それでも、どこがいいかを臆面なくぶちまけられ、分かり合える友人がいたことを神に感謝する次第だ。
ただ、僕は誰がなんといっても自分の髪型をポニーテールから変えなかったし変えようとは思わなかった。
中二病に囲まれて育ち、ポニーテールとツインテールで分かり合った友との生活を送っていた僕は。生まれ落ちたその時から歩んできた道の先にあるこの現実は、きっと出会うべき必然だったのかもしれない……