女番長、八十稲羽を往く   作:女番長

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女番長、八十稲羽に立つ

 ――貴方は、これから向かう地にて災いを被り、大きな〝謎〟を解く事を課せられるようだ――

 

 

 

 鳴上悠が〝田舎〟と聞いて最初に思い浮かべたのは、〝都会〟よりも自然が溢れているといった漠然とした印象だった。

 今まで自分が住んでいた一般的な〝都会〟がコンクリートジャングルと表現されるなら、〝田舎〟はジャングルとまではいかないが、おそらく〝都会〟よりも自然が多いのだろう、といった偏見に近いような感想だ。

 そして、これから一年間お世話になる八十稲羽の地に降り立った彼女は、目の前に展開されているリアルな〝田舎〟の光景に目を奪われながらも、頭ではぼんやりとある事を考えていた。

 

(……何分ぐらい歩いたら、コンビニがあるんだろう)

 

 まさか、いくら〝田舎〟らしい田舎であろうとも、天下のコンビニ様が無いという訳ではないだろうが……いや、この思考すら〝都会〟に染まりきった人間が持つ驕りなのかもしれない。

 だとしたら、八十稲羽における自分の生活圏内にはコンビニが無い、といった可能性も考えておくべきだろう。

 両親が転勤族である影響で、悠自身も今までの人生で何度も引っ越しを繰り返しているが、その経験から悠は〝順応〟することに関しては一日の長があると自負している。

 いかに早く新しいモノに〝順応〟出来るか――その為に、悠はあらゆる事態を前もって想定しておき、それを思考の片隅にでもいいから置いておくようにしていた。

 今回のケースで言えば、〝コンビニが無い可能性〟を前もって考慮しておき、実際にそういう状況になった際に落胆しないように心得ておこう、といった感じである。

 

「……本当に、何も無いって感じなのかな」

 

 改めて、悠は小さく感想を零す。

 事前に八十稲羽という土地については簡単に調べておいたが、やはり実際にこうして目で見て肌で感じると、八十稲羽が〝田舎〟らしい田舎である事が分かった。

 それが分かっただけでも、今後の生活の指針にはなるだろう。

 高校二年の短いようで長いかもしれない一年間を過ごすのだから、出来得る限り早く〝順応〟して、不自由の無い学校生活を送っていきたい。

 そんな風に、悠が八十稲羽での決意表明を胸の内で掲げていると、男性の渋い声が投げかけられた。

 

「ほう、写真で見るよりも美人だな」

 

 悠が声の投げかけられた方向に身体を向けると、中年と思しき男性がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

 歳は三十代後半から四十代前半くらいだろうか。中年男性によく見られるような〝だらしないお腹〟が出ているわけでも無く、むしろ筋肉質な身体である事が服の上からでも見て取れ、その立ち居振る舞いからは隠しきれない渋さが滲み出ている。

 悠にとっては非常に好感のもてる、一言で言えばダンディーな叔父様といった感じの男性だった。

 とはいえ、見知らぬ土地で出会った見知らぬ人間であるため、悠はある程度の警戒心を持ちながら返事をする。

 

「鳴上悠です。母の弟の堂島遼太郎さんでしょうか?」

「ああ。お前にとっては母方の叔父にあたる堂島遼太郎だ。――それで、こっちが娘の菜々子だ」

 

 遼太郎はそう言うと、後ろに隠れていた小さな女の子を紹介した。

 年齢はまだ一桁だろうか、とても可愛らしい少女だ。人見知りなのだろうか、遼太郎のズボンを握りながらもじもじとしている。

 

「ほら、奈々子。ちゃんとお姉ちゃんに挨拶しろ」

「……こ、こん……にちは……」

 

 遼太郎に促されて菜々子が口を開くが、初めて会う人に照れているのか、その声は非常にか細いものだった。

 

「ははっ。何だ、照れてんのか?」

 

 そんな娘の姿に苦笑した遼太郎は、奈々子をからかうように茶々を入れるが、愛娘によるお尻ビンタの刑に処されてしまう。

 

「いてて……はは、すまないな。どうやら、こいつなりに悠に対して照れてるらしい」

「いえ、可愛らしい娘さんだと思います」

 

 その微笑ましい家族の光景に、普段は表情に乏しい悠も自然と笑みを浮かべていた。

 そんな悠に対して、遼太郎は菜々子には見せないように神妙な表情を浮かべながら言う。

 

「……お前がよければ、高校生活の合間にでも菜々子に構ってやってくれ。俺の刑事って仕事柄、なかなか家に居る時間が取れなくてな」

「……はい。私で良ければ、喜んでお引き受けします」

 

 悠は少しだけ迷ったが、居候という立場から遼太郎の頼みを引き受けることにした。

 

「ああ。ウチは俺と菜々子の二人だけだから、お前みたいな奴がいてくれると助かる」

 

 そう言って、遼太郎は右手をすっと差し出す。

 悠も釣られるように右手を差し出し、二人は握手を交わした。

 

 

 

 遼太郎が運転する車の後部座席に座りながら、悠は過ぎ去っていく八十稲羽の風景をぼんやりと眺めていた。

 車内は極めて静かで、エンジン音と震動だけが身体に伝わってくる。

 悠自身は覚えていないが、自分がまだオムツをしていた頃に会った事のあるらしい遼太郎と、その娘の小学一年生である菜々子との出会い。

 最初の二人との出会いは悠にとって幸先の良いものだったが、そうとんとん拍子に友好的な関係を築けるかと言えば、悠のコミュニケーション能力的にもちろんそんなことは無い。

 遼太郎の運転の邪魔をするわけにはいかないし、人見知りである菜々子に積極的に話しかけて、初日から逆に距離を置かれるわけにもいかない。

 そうした思考がぐるぐると頭の中を駆け巡っている内に、悠は度重なる引っ越し経験で培われた従来の保守的な思考の末に、この場はとりあえず静観することに徹していた。

 そして、車内を沈黙が支配してから数分が経った後、まるで痺れを切らしたように遼太郎が会話の口火を切った。

 

「……それにしても、あの姉さんの娘が都会から来るって言うから、どんなはねっかえりでお転婆な姪が来るかと警戒していたが――」

「ご期待に添えずにすみません」

「いや、そういうわけじゃないんだ。ただ、都会からやってくるって点に注目してたもんで、どうにも先入観からのギャップが強くてな」

 

 遼太郎が苦笑して言った言葉に、悠もなるほどと納得して頷く。

 確かに、悠からは都会らしさというものはあまり感じられない。

 悠は着飾る事にあまり興味が無いのか、化粧はほとんどすっぴんに近く、服装も上はTシャツにパーカーを羽織り、下はジーパンといった極めてラフな格好だ。髪型も気を遣っているというより、理由も無くただ伸ばしているだけ、といった感じのロングヘアーをヘアゴムで簡単に結わえて垂らしている。アクセサリーのような装飾品も身に付けておらず、少しでも女性らしさを向上させようとする気概すら感じられない。

 自分で言うのも何だが、これでは都会育ちというだけのモブ系女子といった方がしっくりくる、と悠は自分の姿恰好を振り返りながら思った。

 それでも、悠の外見が持つポテンシャルは他人から見れば十分な物で、ただ悠の性格が無頓着な事も相まって自覚していないだけなのだが。

 

「……お父さん、トイレ行きたい」

 

 すると、助手席に座っていた奈々子が口を開いた。

 車に乗っている子供にありがちの唐突な発言に、遼太郎も焦ったような口ぶりで言う。

 

「ああ? もう少し我慢できないか?」

「無理。漏れそう」

「あー、分かった。近くのガソリンスタンドで給油するつもりだから、そこまでは我慢してくれ」

「うん、早くしてね」

「刑事に制限速度を破らせるなよ」

 

 菜々子は尿意を必死に堪えているのか、子供らしい華奢な足をもじもじとさせている。

 もしかしたら、菜々子の限界は近いのかもしれない

 そんな菜々子に対し、悠は後部座席から応援の念を送りつつ、自分も密かに足をもじもとさせていた。

 いくら悠にとって遼太郎が叔父であったとしても、男性の前で堂々とトイレ宣言はし辛いのである。

 

 

 

「らっしゃーせー」

 

 遼太郎がガソリンスタンドの敷地内に車を停車させると、若い店員が軽快な足取りで出迎えてくれる。

 店員の歳は二十代ぐらいだろうか、爽やかな笑顔が印象的な男性だった。

 遼太郎が店員とやりとりをしていると、いち早くシートベルトを外した菜々子が車から降りる。

 

「トイレ、一人で行けるか?」

「うん」

 

 遼太郎の言葉に肯いた菜々子は、一人でトイレに向かおうとする。

 それを呼び止めるように、悠は菜々子に問いかけた。

 

「菜々子ちゃん、一緒に行こうか?」

「大丈夫。一人で出来るもん」

「そ、そっか……」

 

 それとなく同行を申し出た悠だったが、菜々子にはにべも無く断られてしまう。

 今すぐにでもトイレに駆け込みたい気持ちで悠の胸はいっぱいなのだが、菜々子の〝一人で出来る〟という意思は無性に邪魔し辛かった上に、ここで無理に付いて行ってしまえば遼太郎に乙女の秘密を勘づかれる可能性がある。

 ここはぐっと我慢して、菜々子と入れ違いで自然な形でトイレに行くことにしよう――悠は急き立ててくる焦りから意味不明な結論に至ると、いかにも自然な素振りでシートベルトを外して車から降りた。シートベルトをしたままでは急な対応は難しいし、すぐにでも駆け出せるように外で待機しておいた方が良いと考えたからである。

 

「今日は、ご家族でどこかにお出かけで?」

「いや、こいつを迎えに来ただけだ。都会から、今日越してきたんでな」

「へえ、都会からですか……」

 

 店員が探るように意味深な視線を悠に向けてくるが、悠は自分の危機管理に集中していて気付いていない。

 悠は小さくステップを刻むように、身体を揺らしながらソワソワとしている。

 

「ついでに、レギュラー満タンで頼む」

「はい、ありがとうございまーす」

 

 店員は遼太郎の言葉に笑みを浮かべながら、明るく返事をしていた。

 

「さて、一服してくるか……」

 

 そう呟いて、遼太郎は少し離れた場所にある喫煙所へと移動する。

 遼太郎が離れた今が逆転の好機――そう判断した悠は、少しでもトイレに近づいておこうと歩みを進めようとしたが、店員にその歩みを寸でのところで止められてしまった。

 

「キミ、高校生? 都会からここに来ると、周りに何も無いのに驚いたでしょ?」

「そ、そうですね」

 

 店員はにこやかに話しかけてくるが、悠は言葉には出せない恨みを抱いてしまう。

 とにかく、今はそっとしておいてほしい。

 ここで集中を途切れさせたら、それこそ一生の恥が待っている気がする。八十稲羽初日で都会にとんぼ返りするわけにはいかない。

 

「キミみたいな都会っ子には、ここは退屈するかもね。高校生ぐらいだと、友達と遊ぶか、バイトするぐらいしか無いからさ」

 

 悠から逆恨みに近い感情を向けられているのにも気付かず、店員はそのまま話を続けている。

 

「それで、キミが良ければなんだけど、ウチでバイトしてみるとかどうかな? 女の子でも大丈夫だからさ、候補の一つにでも入れておいてよ」

 

 そう言って、店員は右手を差し出してくる。

 

「え、ええ、前向きに検討させてもらいます」

 

 悠は心にも無い事を言って、とりあえずこの場を早急に片づけようと右手を差し出し、店員と握手を交わす。

 

「……っ!?」

 

 ――その瞬間、悠の全身を得体の知れない嫌悪感が襲った。

 

(あ、危なかった……)

 

 悠は悪寒に近い感覚に全てを台無しにされなかったことに、ほっと胸を撫で下ろした。

 ほんの一瞬の出来事だったが、その余韻は確かに自分の全身を静かに駆け巡っている。

 店員は何事も無く仕事へと戻っていったが、悠がこの嫌悪感の説明を求めるように店員の背中を視線で追っていると、いつの間にかトイレから戻ってきていた菜々子が、悠の顔を心配そうに見つめていた。

 

「……大丈夫? 車酔い? 具合、悪いみたい」

「う……ん……。――ここまで長旅してきたから、少し疲れちゃったのかな……」

 

 そう言われてみれば、先ほどの嫌悪感の他にも頭痛と眩暈を併発しているようだ。

 だがしかし、ピンチの後にはチャンスありとはよく言ったもので、悠はこの自身を襲った状況を利用することで、元々の目的を果たすことにした。

 

「……ちょっと、トイレの洗面台で顔洗ってくるね。お父さんに伝えておいて、〝トイレで顔洗って来る〟って」

「うん、いってらっしゃい」

 

 菜々子に見送られながら、悠は足取り重くトイレへと歩いていく。

 謎の現象には驚いたものの、それ以上に悠にとっての限界が近かった。

 

 

 

 遼太郎が運転する車が堂島家に到着したのは、日が落ちてからの事だった。

 菜々子は洗濯物を入れるからと一足先に家の中に入り、その後に遼太郎が続き、最後に悠が堂島家の敷居を跨いだ。

 

「ここが、今日からお前が一年間暮らすことになる家だ。まあ、自分の家だと思って気楽にやってくれ」

「お世話になります」

 

 遼太郎の言葉に、悠は頭を下げて感謝の言葉を述べる。

 

「おいおい、随分と仰々しいな」

 

 遼太郎のからかうような口調にも、悠は苦笑を浮かべるしかない。

 

「……まあ、出会って数時間じゃそんなもんか」

「なるべく、早く慣れるように頑張ります」

「ああ、これからよろしく頼む」

 

 お互いに言葉を交わしてから、遼太郎に案内されるように悠も後に続いていく。

 

「お前の部屋は二階に用意しておいた。といっても形だけ整えておいただけだ、お前の好みに調整してくれて構わない」

「分かりました」

「それから、ここが居間だな。俺と菜々子は普段はここで食事をする。……まあ、俺はよく家を留守にすることが多い。お前の時間が許す限りで構わないから、菜々子の食事に付き合ってやってくれると助かる」

「はい、任せてください」

 

 悠が案内された居間は簡素な造りだが、菜々子一人が食事をするには些か寂しさがある広さにも受け取れる。

 両親が仕事で家を留守にしがちな悠にとって、一人で食事をとるのはすっかり慣れてしまった事だが、だからこそまだ幼い菜々子を自分と同じ境遇に陥らせるのは忍びない。

 自分に急な予定が無いとき以外は、防犯も兼ねてなるべく菜々子と一緒に食事をとろう、と悠は遼太郎の言葉を受けて決意した。

 すると、洗濯物を入れ終えた菜々子が、行儀正しく居間に置かれたテーブルの前に座りながら、子供らしい可愛げな不満を口にする

 

「お父さん、お腹空いたー」

「ん、ああ。それじゃあ飯にでもするか。悠も座って楽にしていてくれ」

「手伝いましょうか?」

 

 遼太郎が食事の準備をするのなら、自分にも何か手伝うことが無いか悠が問いかける。

 すると、遼太郎は申し訳なさそうに頭を掻きながら言う。

 

「いや、俺は料理に関してはてんで駄目でな。お前の歓迎会なのにすまないが、今日は総菜の寿司で勘弁してくれ」

「そうなんですか」

 

 遼太郎の口振りからすると、堂島家は普段から総菜料理に頼っているのかもしれない。

 料理が苦手だという遼太郎は元より、小学一年生の菜々子にはまだ簡単な料理以外は難しいだろうし、逆に簡単な料理だけではすぐにレパートリー自体もそこが尽きてしまうだろう。三食パンに目玉焼き、なんて事態になったら目も当てられない。

 だとしたら、レトルト食品かカップ麺、出来合いの総菜が食卓の主流になるのも頷ける。

 

「……よかったら、明日から私が料理しましょうか?」

 

 だから、悠は自然とそんな提案を口にしていた。

 悠の提案に一番に反応したのは、嬉しそうに笑みを浮かべた菜々子だった。

 

「料理できるの!?」

「う、うん。そこまで徹底した物は作れないけど、暇潰し代わりの自炊に目覚めていた時期もあったんだ。もちろん、手を抜きたい時にはカップ麺とかも食べるけどね?」

「すごーい! ねえねえ、ハンバーグとか作れる!?」

「もちろん。じゃあ今度、菜々子ちゃんも一緒に作ってみようか?」

「うん! 菜々子もハンバーグ作りたい!」

 

 初めて見る菜々子のはしゃぎっぷりを見て、悠は微笑ましい気持ちになった。

 それとは一転して、遼太郎はどこか心配そうに悠に問いかける。

 

「菜々子はすっかりはしゃいでるが、本当に料理を任せて大丈夫か?」

「タダで居座るのもなんですし、私もやることが出来て嬉しいですから」

「……そうか。それじゃあ、金は俺が出すから、食事はお前に一任しよう」

「たまにカップ麺が出るかもしれませんが、そこは勘弁してくださいね?」

「ああ。俺にとっては一週間がカップ麺で埋め尽くされないだけでも、十分に感激モノだよ」

 

 悠の茶化すような言葉に、遼太郎は静かに頷きながら言葉を返す。

 こうして、悠は堂島家での料理担当を任されることになった。

 

 

 

「……ったく、誰だこんな時に」

 

 いざ三人で食卓を囲もうとした矢先、それを邪魔するかのように遼太郎の携帯が鳴り始めた。

 遼太郎が席を外して電話をしているのを、菜々子がどこか寂しそうに見つめている。

 ほんの数十秒の電話だったが、戻ってきた遼太郎は申し訳なさそうな表情を浮かべながら言う。

 

「……悪い。これから急な仕事が入った」

 

 遼太郎が刑事の仕事をしていることは承知していたが、今まで身近に刑事の知り合いがいなかった悠にとっては、こんな時間に呼び出される刑事の忙しさに他人事ながら大変そうだなと思っていた。

 しかし、そんな遼太郎の姿を普段から見慣れている菜々子は、怒りとも寂しさとも取れる口調で言う。

 

「また、お仕事……?」

「ああ……何時に帰れるか分からん。戸締りはしっかりしておいてくれ。――悠、とりあえずお前に食費を渡しておく、明日からよろしく頼むぞ」

 

 そう言って、遼太郎は財布から一万円札を二枚取り出し、悠に手渡した。

 

「はい。堂島さんも、お仕事気をつけてください」

 

 悠の言葉に遼太郎は一度頷くと、足早に外出の準備を整えて玄関に向かう。

 すると、玄関の方から遼太郎の声が聞こえてくる。

 

「菜々子、雨だー! 洗濯物入れたかー!?」

「入れたー!」

「そうかー! じゃあ、行ってくるー!」

 

 遼太郎がそう言って、玄関の閉まる音がした。

 悠にとっては随分と慌ただしい光景だったが、堂島家ではありふれた日常のワンシーンなのかもしれない。

 そうして、堂島家に残されたのは悠と菜々子の二人だけだ。

 

(……なんだか、割と気まずいかもしれない)

 

 そう、悠は内心で溜息を零す。

 悠は家に一人でいる事に関しては経験豊富だが、今日会ったばかりの人と生活を共にするのは初めてだ。

 もちろん、菜々子のように歳の離れた子供と一緒に暮らした経験も無い。

 さっきまではとんとん拍子に話を展開する事が出来ていたが、こうしていざ菜々子と二人きりの状況になると、悠はどうしたらいいのか上手く思考を纏める事が出来ず、つい思いついた内容を口走ってしまう。

 

「お父さん、いつもあんな風に忙しいの?」

「うん……ジケンのソウサとかで」

「そう……」

 

 悠は寂しいという感覚に慣れてしまっているが、菜々子はまだそうもいかないのだろう。

 菜々子が寂しそうに視線を伏せているのを見て、悠はどんな言葉を投げかけてあげるべきなのか、それともそっとしておくべきなのか思案していると、

 

『――稲羽市議員秘書、生田目太郎氏の不倫騒動の続報です』

 

 そんな空気を読まないように、テレビではニュースが報道されていた。

 菜々子はテレビを一瞥すると、

 

「ニュース、つまんないね」

 

 と言ってから、リモコンでチャンネルを変更する。

 

「あっ、ジュネスだ!」

 

 菜々子の弾むような声を聞いて、悠もテレビに視線を移すと、テレビからは軽快な音楽に合わせて口上が流れてきた。

 テレビで流れているのは、全国チェーンの大型小売店ジュネスのCMだった。

 全国チェーンの大型小売店が田舎に続々と出店している事は、悠も都会にいた頃にニュースで聞いたことはあるが、こうして田舎側に立ってみるとやけに感慨深いものがある。

 それに、ジュネスがあるなら料理の食材を買うのにも有り難い。

 

「へえ、八十稲羽にもジュネスあるんだ」

 

 悠がどこか感心したように呟くと、

 

「エヴリデイ、ヤングライフ、ジュネス!」

 

 先程までの寂しそうな様子とは打って変わって、菜々子は楽しそうにジュネスのCMのサビ部分を復唱していた。

 やはり、子供は寂しそうにしているよりも、こんな風に楽しげに笑っている方がいいな、と思いながら悠が菜々子を眺めていると、

 

「……食べないの?」

「えっ、あっ、うん。いただきます……」

 

 菜々子が不思議そうに尋ねてきたので、ふと我に返った悠は言葉に詰まりながら食事の挨拶をする事になってしまった。

 悠は気恥ずかしい気持ちに駆られながら、焦るように惣菜寿司を食べ始める。

 その間にも、菜々子の様子を不自然に思われないように観察していると、やはりジュネスのCMが流れてから菜々子は上機嫌になっているようだった。

 ジュネスのような大型小売店の売り場構成の規模は、子供にとって非常に好奇心がくすぐられる代物なのだろう。時たまに、鬼ごっこをしているのか、親の目を盗んで走り回っている子供もいるぐらいだし、ある種の遊び場のように捉えてしまうのかもしれない。

 菜々子は走り回ったりはしないだろうが、やはり〝楽しい場所〟として認識しているのだろう。

 先ほどの菜々子とは、明らかに目の輝きと声の弾み具合が違っていた。

 悠はふと思った事を口に出した。

 

「菜々子ちゃん、ジュネス好きなんだね」

「うん! 菜々子、ジュネス大好き!」

 

 菜々子は眩いばかりの笑みを浮かべて応える。

 悠は想像していた以上の好感触を受けて、これ幸いと言わんばかりに話題を展開させた。

 

「私が前に住んでた所にも、ジュネスがあったんだよ」

「そうなの!?」

「うん。しかも二つも」

 

 悠が得意げに指を二本立てながら言うと、

 

「ジュネスが二つもあったの!? ここのジュネスより大きかった!?」

 

 このままテーブルに乗り出してしまうのではないか、そんな怒涛の勢いで悠のジュネストークに食いついてくる菜々子。

 都会と田舎のジュネスの違いを詳しく説明してあげたいのは山々なのだが、悠はまだ八十稲羽のジュネスを直に見たことが無いので説明のしようが無い。

 このままでは、菜々子の笑みを失ってしまう事になりかねない。

 そうなってしまえば、また気まずい食卓に元通りだ。

 

(どうしたものか……あっ!)

 

 悠は逡巡すると、この絶望的な状況を逆手にとる事にした。

 自分の話題を中心に据えるのではなく、どうせなら相手も巻き込んでしまえ理論である。

 

「うーん、私はまだ八十稲羽店には行ったことないからなぁ」

「あっ、そっか……」

「それなら、今度一緒にジュネスに行ってみようか?」

「えっ!? いいの!?」

「うん。菜々子ちゃんが良ければだけどね」

 

 悠の会心の提案を受けた菜々子は、

 

「うん! 菜々子もジュネスに行きたい!」

 

 今日一番に相応しい、会心の笑顔を悠に向けてくれた。

 

 

 

 菜々子との約束を無事に取り付けた悠は、菜々子と一緒に後片付けを済ませ、一緒にお風呂に入るなどの親睦を深めてから、今日が楽しかったのか睡魔に抗おうとする菜々子をなんとか寝かしつけた後、用意された自室のソファーで一息ついていた。

 

「……子供の勢いって、凄い」

 

 あの大人しい菜々子でさえ、あれだけお風呂場ではしゃいでしまうのだから、子供の好奇心は時として侮れないという事なのだろう。

 湯上り後の丁度いい気怠い感じが身体を支配しており、このままソファーの上で眠りに付けそうなぐらいに心地良い。

 そんな誘惑に負けてしまいそうになるのを必死に堪え、悠は足取り重い様子で布団を床に敷き終わると、そのまま毛布を被って寝てしまう事にした。

 

「……おやすみなさい」

 

 今日は楽しかった、明日はどうなるだろうか。

 そんな期待と不安が入り混じった気持ちを抱えながら、悠は静かに目を閉じて八十稲羽で過ごす初日を終えた。




女なのにイザナギとか言わないで。

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