魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~   作:柳沢紀雪

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第十五話 Radical Dreamers

 

 さようならという言葉を永遠の別離のための言葉とできるのは一度だけだと彼女は思う。記憶の中にある、僅か五年間にも満たない一生の内に、自分はどれだけの言葉を使うことができたのかと彼女は思う。

 

(私にあるのは、幸せな記憶だけだったんだなぁ)

 

 あるいは、幼すぎた故に幸不幸の概念も理解できていなかったのか。

 

(母さまがいて、リニスがいて、友達はいなかったけど、寂しくなかった)

 

 時に母に「弟か妹が欲しい」とだだをこねたこともあった。母は困った顔をしていたが、それでも優しく抱き留めてくれていた。

 

(ずるいって思ったけど、暖かかったなぁ……)

 

 母の抱擁の熱が、自分の妹となってくれるかもしれなかった少女の熱が、まだ身体の奥底に残っている。

 遺跡に眠っていた少年を抱き上げたときの熱もまた、自分のものではない彼の記憶に眠るそれもまた心を温めるようだった。

 

(だけど、私じゃダメだった)

 

 少女が求めたものは彼女ではなく、彼女ではない彼女だった。そんなことは、少女に初めてであったときに理解していたことだった。

 

(みんなが幸せになれればいいのになぁ)

 

  そして、少女は身体が浮かび上がっていくような感覚に身をゆだね、既に形を失っている目蓋を閉じた。

 目蓋を閉じても闇は広がらない。すべてが白く明滅する光の中にあって、身体もなければ形もない。

 自分という意識の境界が極めて曖昧で、自分という自覚を手放せば、すべては水面に垂らされたインクのごとく、広い一つへと拡散してしまうだろう。

 

(さようなら……)

 

 ”アリシア”は声にならない、音にならない呟きを最後として、自らの意識を閉じた。

 

 閉ざされた意識は広がり散ろうとする。しかし、その寸前で、彼女の意識は光の中に穿たれた針の先ほどの黒い孔へと墜ちていった。

 浮遊感が一転し、終わりのない墜下となり、”アリシア”は地獄への堕落を連想した

 

 そして、気がつけば”アリシア”は木々の中に立っていた。

 

「……どゆこと?」

 

 ”アリシア”はそう呟き、周囲を眺め回す。終わりのない落墜が終わる前に終わってしまった。

 

「すっごい矛盾……」

 

 ”アリシア”は片手で頭を押さえた。理解が追いつかないほどの矛盾だらけだった。そして、”アリシア”は眺める風景に対しても溜息を吐く。

 

「知ってるのに……知らない場所だ。これも矛盾だよね」

 

 既視感とは違う、経験を伴った既知感。

 

「誰か……いるのかな?」

 

 ”アリシア”は呟き、木々の間を通り抜ける風に肩を震わせた。

 風が通り抜けた木々の隙間から光が差し込む。

 

「どう考えても、誘われてるよね。……良いよ、会いに行くから」

 

 ”アリシア”は光に向かって歩いていく。木の根に足を取られつつ、その向こう側に広がっていたのは、だだっ広く開かれた草原だった。

 

「……すごい……」

 

 青い空には雲が浮かんで、そよ風が背の低い草花にダンスをさせる。まるで理想的な、この世の楽園とも言えるような風景に”アリシア”はただ呆然と歩くより他がなかった。

 

「まさか、本当に天国とか、アルハザードとか……そんなんじゃないよね?」

 

 この風景を見せられては、そう言われたとしても否定することができないとアリシアは思う。

 気がつけば、大樹の影にいて、”アリシア”は緑の枝葉の狭間に光の瞬きを眺め、そして足もとに目を下ろした。

 

「……なんで?」

 

 その足もと、木陰になって涼しい所、

 

「なんで、ここにいるの?」

 

 木漏れの日溜まりをまるで毛布の代わりにして、ただ穏やかに眠る少女がそこにいた。

 

「なんで、私がいるの?」

 

 金色の髪が草花と共に靡き、風と共にステップを踏む。

 薄い緑色のワンピースから伸びる白くて細い腕と脚は、横たわる身体に包み込まれるように折り曲げられ、その姿に”アリシア”は自分のものとまったく同じでありながらも一瞬見とれてしまいそうになった。

 

「……スゥ……スゥ……」

 

 とても穏やかな寝息は、彼女がよい夢を見ている、あるいはフェイトと同じように幸せな夢を見させられている証なのだろうかと”アリシア”は思いながら、自分も大樹の幹の側に腰を下ろして、隣のアリシアの寝顔をただジッと見つめた。

 

「あなたは……なんで、こんなところで寝てるの? 外でフェイトが待ってるんだよ?」

 

 ”アリシア”は広がってしまったアリシアの髪を撫でながら、そっと問いかけた。

 指の間を流れる髪の質は、少しざらついているだろうかと”アリシア”は思う。それは、彼女がここに至るまでに積み上げてきた労力を物語り、”アリシア”は少しだけ表情に影を作った。

 

「あなたは、……頑張ったんだよね……だけど、何も上手くいなかったんだ」

 

 こうして側にいると、朧気ながらも彼女の記憶が流れ込んでくるように”アリシア”は感じた。

 まるで幻想のように浮かび上がるその記憶の殆どは悲劇に彩られており、あるいは空虚な灰色の情景が占めている。

 

「貴方は、辛かったのかな。悲しかったのかな。もう、このまま眠ってしまいたいって、そう思っているのかな」

 

 だったら、もう良いではないかと”アリシア”は思う。

 既に死の終わりは足もとより漂ってきているように感じられる。闇の書ははやてという主を失い、そして同時に管制人格をも失い、残されたのは暴走した破壊心のみだった。ここにいれば、いずれその破壊がやってくる。終わりは既に用意されている。

 

「私は……もう終わっちゃっているから、あなたがそれで良いんだったら私もいいよ?」

 

 ”アリシア”はアリシアの頭をそっと撫でる。指の間から長い金の髪が僅かに引っかかりを感じさせながらもサラサラと流れる。投げ出された小さくて肉の薄い腕は握りしめれば儚く壊れてしまいそうなほど繊細で、とてもではないがこの少女がかつて一つの戦場を掌握していたとは考えられない。

 

「一人じゃ寂しいから一緒に……」

 

 終わってしまっても良いと”アリシア”は思い、そっと目を閉じた。どちらにせよ、自分には生きる術がないのならと思い、結局自分が寂しいから一緒にいて欲しいだけだと思い至る。

 

「莫迦も休み休みに言った方がいい」

 

「ふぇ?」

 

 とつぜん側から湧き上がってきた、そんな不躾な言葉に”アリシア”は驚いてアリシアの髪から手を放してしまった。

 素っ頓狂な声を上げてしまったと”アリシア”は理解している。しかし、聞こえてきた声を前にするとそれも仕方がなかった。

 

「まったく、誰が終わりたいっていった? 勝手なことを言うもんじゃない」

 

 ”アリシア”は口をぱくぱくさせながら、その声の主、今の今まで穏やかな寝息を上げていた自分の分身へと視線を下ろした。

 ぱっちりと開かれた二対の紅い瞳が重なり合い、交じり合う。不敵に細められ、つり上げられたその双眸は自分のものではないと”アリシア”は理解することが出来た。

 

「……ベルディナなの?」

 

 ”アリシア”はそう呟き、身体を解きほぐしながらゆっくりと上体を起こすアリシアをジッと見つめた。

 

「そうだな、アリシア。今の”俺”はそう呼ばれれた方がしっくり来る」

 

 アリシアはそう言って、久しく感じる感覚……自意識に何となく違和感を感じる。それも当然かとアリシアは思い直した。

 

(今の俺と、この身体があってないってことか)

 

 そう自答してアリシアは自分の身体を見おろした。

 

「どういうこと? そもそも、ここは、いったいなに?」

 

 小さな手、長い髪に低い地面をじっくりと味わう前に、”アリシア”の問いかけを受けてアリシアは面上げた。

 対面するこの身体の主は、どうやら今この状況を完璧には理解できていないようだとアリシアは気が付く。だったら自分はどうかとアリシアは周囲を見回してみるが、その風景はベルディナとしては随分と見慣れた場所だった。そして、自分自身の中で脈動するものからもたらされる情報をかみ砕き、アリシアは覚ることが出来た。

 

「おそらくここは、闇の書の最深部で、闇の書の暴走の根源だろうよ。まったく、難儀なところに連れてこられたもんだ」

 

 アリシアは肩をすくめて溜息を吐いた。その仕草にはネガティブな様子を感じることは出来ない。しかし、”アリシア”にはその様相の奥に何らかの寂寥感が秘められているいるように思えてならなかった。”アリシア”はここが闇の書の奥深く、いわば闇の書の闇が納められている場所であることよりも目の前に座るアリシアが今何を思っているのかが気になって仕方がなかった。

 

「ねえ、ベルディナ……貴方は、どんな夢を見てたの?」

 

 これは夢だと”アリシア”は感じていた。消える前にみさせられる走馬燈のような夢。しかし、夢の中で眠る彼女はいったいどのような夢を見ていたのか。今こうして自分が立っている場所は、果たして夢なのか現実なのか、区別がつきそうにもない。

 アリシアはそんな彼女の問いに少し困ったような表情を浮かべ、ポリポリと頬をかいた。

 

「そうだなぁ……色々あってまとまらないな」

 

 アリシアそう呟きながら立ち上がり、スカートをパンパンと払って草や土の片を払い落とした。”アリシア”もそれに習って立ち上るべく地面に手を突こうとするが、アリシアはそれに手をさしのべて立ち上がらせる。

 

「あ、ありがと……」

 

 礼を述べる”アリシア”にアリシアは特に何も言わず、

 

「少し歩こうか。ずっと眠っていて身体が凝った」

 

「いいけど、何で起きなかったの? 寝不足?」

 

「そうだな。まあ、おそらく君が来たからだろう」

 

「……分からない」

 

「だろうね。まあ、歩きながらまとめるよ」

 

「もー、待ってよ、ベルディナ!」

 

 立ち去ろうとするアリシアはを目で追い、”アリシア”は急いで立ち上がり彼女を追い掛けて、隣に立って歩き始める。

 

「何から話すべきかな……」

 

「いい夢だった? それとも、悪い夢だった?」

 

「そうだな。最良と最悪が入り交じった……中途半端な夢か。俺の、ベルディナの生き様を見てきた。初めて世界を認識したところから死ぬまでのすべてを見た」

 

「それは……どんな?」

 

「単純な話だよ。戦争に行ってたくさんの人を殺して、たくさんの仲間を殺された。そして、結局は自分で自分の仲間を殺して……息子みたいに思っていたやつの為に生命を投げ出した」

 

 アリシアは眠りの中で見続けた情景を思い浮かべる。自分が、ベルディナが歩いてきた道は決して平坦なものではなかった。戦争が孤児を生み、自分もその中の一人だった。そして、自分はのたれ死ぬことなく掬い上げられ、生きる希望を与えられた。やがて最愛となる女性――夜天の魔導師メルティアとの出会い。やがて自身の全てをかけて忠誠を誓うこととなるベルカ聖王女オリヴィエとの邂逅。ベルカの最後の国王、聖王オリヴィエに従い、翔天の剣士として駆けめぐった最後の戦場。その全てが鮮やかな記憶であり、誇りある日々だった。

 

 しかし、その全てが戦争という大波にさらわれていった。

 

 津波のさったあとには最愛だった人を殺した自分のみが残され、全ては無に帰した。

 

 足を進めながら空を見上げ、後悔しているのか、それともただ懐かしいと思っているだけなのか分からないアリシアの表情を見て、”アリシア”は言葉をかけることが出来なかった。たとえ、その記憶の一部を共有して、その経験の上澄みのみを知るとはいえ、”アリシア”が生きてきた時間はたかだか5年に過ぎない。300年間の孤独を生きてきたアリシア/ベルディナの想いを類推することは”アリシア”には不可能だった。

 

「思えば、それほど大した人生でもなかった。改めて客観的に見させられると、俺みたいな人間は、あの当時だとそれこそ数え切れないほどいた。俺だけが取り残されたみたいに勘違いして、結局何もしなかっただけだ。情けない話さ。これでは、メルティア達に顔向けが出来ない」

 

 それに早く気が付くことが出来てさえいれば、ベルディナももう少しましな人生が歩めていたかもしれないとアリシアは思う。それに、ベルディナはけっして不幸ではなく一人でもなかった。彼には家族がいた、最後に身を寄せられる場所を見つけ、そこで息子と言えるものを得ることが出来たのだ。それを、幸いと思わずして何を幸いと言うべきかとアリシアは思う。それを得ることが出来ずに消えていく者も数えきれぬほどに存在するのだから。

 

「母さまも……だね。私が死んだ事故で亡くなったのは私だけじゃなかった。母さまみたいな人は……いっぱいいた……」

 

 ”アリシア”は自分の最後の瞬間を僅かながら覚えている。ヒュードラと呼ばれる新型魔導炉によって酸素が奪われ、一瞬で意識が奪われていったこと。隣で先に息を引き取っていった友達の猫リニスや、周囲から聞こえるたくさんの悲鳴。ものが落ちる音やガラスが割れる音、大きなものが何かに衝突する音など、終わりを演出するひび割れたシンフォニーのように、何時までも耳の底に残っている。

 プレシアにも心の拠り所に出来るものはたくさんあったはずだった。だが、彼女は差し伸べられていた救いの手をすべて拒絶し、壊れて暴走した。妄執と狂気に駆られ、自身を滅ぼす手を取ってしまった。

 

「だが、そのお蔭で俺はユーノに出会って、フェイトが生まれた。何がどう転ぶかは分からんもんだ」

 

「そうだね……」

 

 禍福はあざなえる縄のごとしとはよく言ったものだと二人は思う。過去のすべてから逃げて放浪することでベルディナはスクライアに助けられ、ユーノを引き取ることが出来た。そのお蔭でユーノは生きることが出来、孤児である彼は親を知ることが出来た。そして、プレシアが壊れることでフェイトが生まれ、フェイトは本当の親友達を得ることが出来た。今ある現実は、過去の過ちによって成り立っている。過ちを全て無かったことにしてしまえば、今ある幸せもまた存在しない。

 

 しかし、”アリシア”はその幸せが、自分が死んだ上で成り立っているものだと言われ、目の前が歪むような思いに駆られた。この世界は自分が死ぬことが前提になっている。まるでそれは、自己の完全否定だ。”アリシア”は踏みしめる地面が心なしか揺らいでいるように思えた。サクサクと踏みつける芝の感触さえも、デジタルによって再現された幻想だと思えば、なるほど、この世界は自分にこそふさわしいと思ってしまう。

 

 いっそのこと消えてしまいたいと”アリシア”は思った。

 

「過去を忘れず、過ちを繰り返さないこと。当たり前すぎることだが、それが一番重要だと思う。結局、俺は繰り返し続けることしか出来なかったが……」

 

「うん……」

 

 繰り返したくないというアリシアと繰り返すことすら出来ない”アリシア”は共に歩みを止めた。アリシアは空を、”アリシア”は足もとをそれぞれ見上げて見おろし、それぞれ内観して感情を整理した。

 別れが近いと”アリシア”は漠然と感じた。こうしてここいられる今はそれほど長くは残されていないとアリシアも感じていた。湧き上がる終焉の気配は既に膝元にまで迫っている。

 

「今度こそ繰り返さない。今度こそ、この悲しみの輪廻を断ち切りたい。今は強くそう思う」

 

 アリシアは面を下ろし、”アリシア”へと目をやった。

 

「どうすればいい?」

 

 ”アリシア”は面を上げて、アリシアへと目をやる。

 

「闇の書の暴走した防衛体は今、俺のリンカーコアと一つになっている。よっぽど寂しかったんだろう。今は、少し落ち着いているらしいな」

 

 アリシアはそう言って、自分の胸に手を置く。心臓のすぐ近く、仮想的にリンカーコアがあると言われている身体の中心部分からは比較的穏やかな鼓動が聞こえる。自分自身の心臓の音と、自分のものではない穏やかな脈動が重なり体腔を響かせていた。

 

「寂しい……そう、だよね……」

 

 闇の書も、自ら好んで闇に落ちたわけではない。近づく物を滅ぼすしかない故に用意されているのは絶対的な孤独。たとえ、それを自覚していてもぬくもりを忘れることは出来ない。たとえそれが、ただのプログラムに過ぎないマシンであったとしても。僅かなりとも知性を持つ物であれば、なおさらだ。

 そこに人の肌を見つければ、まるで親を見つけた赤子のように縋り付き、その胸の中で眠るのだろう。

 

「つまり、この子を何とかしてしまえば、闇の書の暴走は沈静化して、全てが元通りになるはずだ」

 

 アリシアは子宮の赤子を撫でつける母のように自身の薄い胸に小さな手を置いた。

 

「うん。そうすれば、みんな助かるんだね」

 

「そう言うことだ。ある程度のプランは考えてある。分の悪い賭だが、成功すれば全てが上手くいくはずだ。」

 

「そう……じゃあ……」

 

(お別れだね)

 

「ああ、だから、手を貸してくれないか? 俺が自分を保ち続けられるように、捕まえておいて欲しい」

 

「私? どうして? だって、私は……」

 

 消えなければならない存在であるはずだと”アリシア”は思っていた。この世界そのものは自分の死を前提にしている。自分が生きていれば、この世界にどうしようもない矛盾を引き起こすことになると彼女は本気で考えていた。

 

「確かに君は実体を持っていないね。だが、君の身体は君の目の前にあるだろう?」

 

 しかし、アリシアはそれを僅かに異なって解釈し、”アリシア”は単に実体を持たない故に手を貸すことが出来ないと言っていると誤解した。しかし、その誤解は”アリシア”に取っては考えも着かない事をはらんでいた。

 

「私の目の前って……何を言ってるの?」

 

 それは、考えてはいけないことだと”アリシア”は思っていた。目の前に自分の身体がある。”アリシア”の眼前に立つアリシアは本来は”アリシア”が宿るべき器であり、そこにはベルディナの居場所は本来的には存在しないはずだった。しかし、そうなればその器を占有することとなり、異物である彼の意識は霧散して無くなってしまうだろうと”アリシア”は感じていた。それではダメだと彼女は思う。フェイトが求めたものは自分ではなく、目の前に立つアリシアなのだと自分に言い聞かせる。

 

「分からないか? フェイトが願ったアリシアは、俺だけでは成り立たない。そして、君だけでもダメだということだ。俺が俺(ベルディナ)である以上、フェイトの姉のアリシアにはなり得ない」

 

 思い出せば、ベルディナの意識が宿ったアリシアは自分自身がベルディナであるのかアリシアであるのか定義することが出来なかった。普段ならそれを感じることはない、この身はアリシアの器にベルディナの意識が宿った歪な存在であると自覚できる。

 しかし、あの時、時の庭園の最深部でプレシアと対面したとき、アリシアは確かに”アリシア”として母と向き合っていたのだ。それに向かう途中であっても、プレシアに近づくにつれて励起される愛しいと思う気持ち、甘えたいと思う気持ち、抱きしめて欲しいと思う気持ちが入り交じり、そして、最後の時にそれらは一つに融合した。

 

「……それは……本当?」

 

 縋るような眼で見つめる”アリシア”に、アリシアはしっかりと肯いた。実際的にはそれはまったく根拠のないことだった。いわば、そう考えなければ説明の付かないだけで真実はどこにあるのか分からない。しかし、今の自分にあるのは、久しく感じる生のベルディナの感情だけだとアリシアは理解していた。

 

「ああ、フェイトを悲しませないためには俺――ベルディナだけではだめなんだ。どうしても、君が必要になる。一つになろう、アリシア。俺は君と歩いていきたい。俺は、これからはベルディナとしてではなく、フェイトの姉として生きていきたいんだ」

 

「だけど、怖いよ。もしも一つになって、私がベルディナを飲み込んじゃったら、嫌だ」

 

 アリシアの器には”アリシア”が優先されるはずだ。もしもそれが正しいのなら、今し方”アリシア”が思い浮かべた事が現実となる。”アリシア”の意識がベルディナの意識を押しやり、消滅させてしまう可能性も確かにあるのだ。行わなければ結果が分からないこと、しかもそれはやり直しが聞かない。300年を生きて既に老成した達観を有するベルディナであればまだしも、幼い”アリシア”であれば、恐れ躊躇することは致し方がない。

 

 それでもなお、アリシアはニコリと不敵な笑みを口許に浮かべ手を差し伸べた。

 

「Cool&Pleasureだよ、アリシア。この言葉があれば、世界は自ずと道を開く」

 

 目の前に差し出された小さくて真っ白な手を”アリシア”は眺めた。振り払うことは出来るだろう。そして、これを振り払えば、自分はおそらく問題なく消えることが出来る。フェイトが差し伸べた手を振り解き、ただ一人で闇に沈んで消えていった母プレシアのように。

 それは、認めることが出来るのかと”アリシア”は自問した。誰かが認めるのではない、自分自身がそれに甘んずることが出来るのかと問いかけた。

 

  答えは出た。それは非常にシンプルで当たり前のことだった。

 

「冷静に、楽しく……か。本当にベルディナらしいや……。分かった、一緒になろう? ベルディナ」

 

 思えば単純なことだった。答えは既に自分で用意していたことだった。現実でもフェイトの姉でいたかった。それが自分の望みだったと”アリシア”は思い出した。

 

 未来があることはこんなにも嬉しいことかと”アリシア”は思い、アリシアの手を取った。。

 

「それにしても、これではまるでプロポーズだな。もう少し言葉を選ぶべきだったか」

 

 僅かに照れくさそうに頬をかくアリシア。繋いだ手と手の間から光が漏れだしていく。いよいよこの世界に別れを告げるときだと心の内に思いながら、アリシア/ベルディナはどこか悪くない達成感を感じた。

 

「ベルディナの情熱はしっかりと心に届いたよ。だから、一緒になるんでしょう? これって、結婚みたいだね」

 

 もしも全てが上手くいったら、はじめに世界にこんにちはを言いたいと思いながら、”アリシア”は口に手を当てて笑みを漏らした。

 

「文字通り、月夜も白夜も共にということだな」

 

 月に召されるわけではなく、地上にいながら終わりを経験する。それは、一帯どのような感覚なのだろうとベルディナは考える。ただ言えることは、月での再会約束しあった仲間達とは永劫の別れをしなければならないということだけだった。

 

 光が拡大していく。繋がれた手は灰色の光の中に溶け込んでいき、次第に身体の表面からは光が粒子となって立ち上り、それは二人のアリシアの中心へと集束していった。

 

 冗長的に引き延ばされていく感覚はまるで眠りに落ちる寸前のように思え、拡大して身体を包み込んでいく光はまるで幼子を安らげる揺り籠(かご)のようだった。

 

「おやすみなさい、ベルディナ」

「お休み、アリシア」

 

 二人は目を閉じ、輪郭を失う身体に身をゆだねて眠りについた。光は一つとなり動きを止めた。

 ゆっくりと表面を回転させる光は徐々にその姿を変じていき、縮小していく。終に光は割れ、光は細かい粒子となって拡散して、その残滓は空気に溶けるように消えていった。

 一人のアリシアは吹き始めた風に髪をなびかせるまま、ただ瞑目して空を見上げる。その目蓋からは一条の雫が滴り、頬を伝っていた。

 

「……さようなら……」

 

 それは悲しみの言葉なのか、それとも感謝の言葉なのか。あるいは再誕した喜びなのか。

 その呟きは風に晒され、草原を越えて丘を登り空へと消えていった。

 

 

 

 


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