魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~   作:柳沢紀雪

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第十三話 Storm

 

 月はまだ沈まない。鈍色の空の下、街を染め上げているのは湧き上がる炎の色であり、冬の冷たくあるはずの夜風には焦げた熱の感触がこびりついている。

 

「まだ、終わらないのかしら」

 

 風に靡く髪を押さえながら、少女――アリサ・バニングは時折水平線の向こう側から姿を見せる朱や桃色、そして翠の光に思いをはせた。

 

「みんな、戦ってるんだよね? フェイトちゃんにユーノ君。あそこにいるんだよね?」

 

 彼女の親友のすずかはアリサにしがみつく腕の力を強めながらそっと呟いた。

 

「なのはもよ」

 

 すずかの言葉にアリサは呟きを返した。そして、自分で言った言葉を聞いて、やはり信じられないと面を振った。

 

「なのはちゃんも?」

 

 自分たちは彼女の姿を見ていない。ならば、何故アリサは確信してそういえるのかとすずかは思った。

 

「フェイトとユーノは、なのはが基になってるのよ。あの二人が関わってることを、なのはが関わってないはず……ないじゃない……。結局、あたしらは何処まで行っても部外者のなのよ……あの時と同じじゃない! 誰も、何も話してくれない……」

 

 アリサはそう呟いて歯を食いしばり、すずかに捕まれていない方の手を握りしめた。

 

 思えばユーノと初めてあったはずのあの時、なのはと彼は既に親友以上の関係にあった。親友の自分の目から見ても、二人の繋がりはただごとではなく、それは絆と言えるほどのものだとも感じられた。

 

「あたしは、最初ユーノのことが嫌いだったわ」

 

 あの時、ユーノが転校生として教壇の前で挨拶して、そしてすぐになのはと親しく話し始めた時。アリサは確かに心の中で薄暗い感情を自覚していた。

 

「アリサちゃん……」

 

 すずかはそっと面を下げた。驚いたのはアリサだけではない。親友のなのはが自分たちのあずかり知らないところで男の子と仲良くなっていた。しかも、見た目も名前もどう考えても海外人としか思えない少年と。ひょっとしたら、なのはの両親や兄弟筋の間柄だったのかもしれないとも思ったが、それとなく聞いてみたところではそれもなさそうだった。なのはとユーノの関係の始まりが見えてこない。それに関して、すずかも僅かながらとまどいを覚えたものだった。

 

「今思えば、莫迦みたいな嫉妬だったけどね」

 

 それは、敵意の混じった嫉妬だったとアリサは記憶している。それを感じて以来、彼女はユーノのすべてが気に入らなくなっていた。彼の優しい言動、柔らかな笑顔に落ち着いた物腰。それらのすべてに何か裏があると邪推して、疑心暗鬼になっていた。今となっては馬鹿げているとしか思えない。

 

「気持ちは、分かるよ。いきなりだったもんね」

 

「なのはを取られると思った。だから意地悪とかしてた。なのはに気付かれないように。あのユーノの性格なら、なのはに告げ口しないだろうって思って」

 

 彼がなのはとおそろいの携帯電話を持っていたことをからかったのもその一端だった。そういう噂を立てることで彼がクラスで孤立してしまえばいい、と悪戯っ子の笑みの奥で彼女はそんなことを確かに考えていた。そして、自己嫌悪もした。彼の優しさを前にしてしまえば、誰も彼を敵視することなど出来なかったのだ。

 

「私の時みたいに?」

 

 すずかがクスリと笑う表情にアリサはやはりばつの悪そうに口元を歪めた。アリサにとってすずかとの一件は、ユーノとの一件以上に思い出したくない過去だ。そうであると同時に、ユーノとの一件はあの頃の自分と今の自分が本質的に何も変わっていないことの証明のようにも感じられて、とにかくアリサは恥じることしかできない。

 

「すずかの時とはちょっと意味が違うけどね。気に入らなかったのは同じだけど……ごめん……」

 

 アリサの嘘のつけない不器用な気質にすずかはクスリと笑みを浮かべた。アリサは嘘をつくのが苦手だ。他人に嘘をつく以上に自分に対して全く嘘がつけない。故に他者とぶつかり合うことが必然的に多くなってしまう。しかし、結局のところ誰もアリサを嫌いになれないということは、やはりアリサには生まれもった人の上に立つという気質があるということの証明だろうかとすずかは思う。

 

 すずかは、そんな我を貫き通すことの出来るアリサを憧れに思う。

 

「だけど、それって本当に最初だけだったよね?」

 

 しかし、すずかはアリサとユーノの関係が微妙だったのは、出会って間もないほんの僅かな間だけだったと確信が持てる。半月か、一月ほどか。それぐらいの時間がたった頃には二人はまるでじゃれ合う猫の姉弟のような関係になっていたはずだった。

 

「……そうね……」

 

 アリサはふと遠い目をしながら呟いた。

 

「何があったの?」

 

 何もないはずがないとすずかは確信した。何よりも、そっぽを向くアリサの表情がそれを如実に宣言しているようなものだ。

 

「…………言いたくない…………」

 

 アリサのその物言い、その憮然としつつも真っ赤になった頬を見れば、アリサほど人の感情の機微に聡いわけではないすずかでも、アリサとユーノの間にただごとではない何かがあったと確信することができた。

 

「え~~、教えてよ。そこまで言われたら気になるよ」

 

「言いたくないのよ!!」

 

「教えてよ。教えてくれないと、なのはちゃんに無いこと無いこと言うよ?」

 

「せめて有ることを最初につけなさい!」

 

 別になんと言うことはなかった。すずかが予想しているだろうような、色のよいロマンスにはほど遠い。どちらかといえば泥臭い、醜いくいと思えるものだった。

 アリサにとってはとても屈辱的なこと。自分の中になる独善と支配欲がはっきりとさらけ出されて、そして、その汚れを一身に受けてすべてを飲み込み受け入れた少年とのつまらない衝突があった。ただ、それだけのことだった。

 

「まあ、だけど。あんただったらなのはの隣を譲ってあげてもいいわ、ユーノ。パートナーなんだもんね、あんたとなのはは……」

 

 色めき立つすずかを尻目に空を見上げ、アリサはそう呟き、そっと瞑目した。

 

『頑張って、負けるんじゃないわよ!!』

 

 アリサは心に念じる。その思いは彼に伝わると、なぜかよく分からない確信を持って、彼女は強く思いを込めた。

 

 彼女は目を開き、仰ぎ見た月から目をそらした。錆色の空にあってもなお、煌々とした月の輝きが、アリサには妙に目にしみる光に感じられ、彼女はそっと目元を拭った。

 

 

 

************

 

 

 

 月下の夜海には嵐があった。見る者が見ればそこには四つの光がつむじとなって風を纏って巻き上がっているようで、それによって舞い上がる海の雫は光を内包して静かに輝く。そのつむじの一つを彩るユーノは、不謹慎ながらも、その嵐が形作るものどもを美しいと感じた。吹き付ける風は、自身が飛び続ける故に起こり、たとえ結界によって静止した世界であっても、人の動きは世界を動へと導く。

 そして、ユーノはふと陸へと目を向けた。誰かに名前を呼ばれ、激励を貰ったようにユーノは感じた。それは、強風の向こう側から響く鳥の羽音のようにも思え、ただの空耳とも感じられるものだった。

 

「今の声って……まさか……」

 

 しかし、その声は確かに知っている声に思えた。耳に届くのではなく心に届く。まるでそれは、意識に直接語りかける思念通話のような感触に似ていた。

 

「余所見してんじゃねぇ、バカヤロウ!」

 

 その声は一体どこから来たのだろうと意識を傾けるユーノの耳朶に、直接少女の粗い叫び声が届いた。

 ユーノはその声に身構える。見上げれば、自分に襲いかかろうとしている闇の少女を、自分よりも幾分か幼く小さな少女が、真っ赤なドレスを振り乱しながらその手に持つ大槌をふるうさまが眼の中に飛び込んできた。

 

「テートリヒ・シュラーク!」

 

 ヴィータはそう叫び声を上げ、手に持つ長柄のハンマーを闇の書に打ち付けた。

 

 闇の書は瞬時にシールドを展開させるが、ヴィータ自身の十分な運動エネルギーによって高められた威力にたいして真っ向から立ち向かうつもりはない様子だった。

 姿勢を安定させたままわざと吹き飛ばされ距離の開いた闇の書に対してヴィータは憎々しげに舌打ちをする。闇の書は無傷だった。そして、その闇の書を追撃するように放たれたなのはのアクセル・シューターもまた、彼女の展開していた破損のないシールドによって防がれ、あるいは避けられ、撃ち出されたブラッディー・ダガーの弾頭によって打ち落とされていく。

 

「ごめん、ヴィータ」

 

 ユーノは詫びながら闇の書の少女にチェーン・バインドを投げ付ける。どれもこれも決定打にならないとユーノは感じた。それは、ヴィータも同じようで、若干いらついた手つきで使用済みのカートリッジを排出する様子から彼女にも決定的な一撃を放つ機会が模索し切れていないことが見て取れる。

 

「ああ、お前のせいでカートリッジを一発無駄にした!」

 

 はき出すようなヴィータの言葉は、幾分か理不尽な八つ当たりが込められていたが、事実であるためユーノは反論できない。

 

「二人とも! 喧嘩してる場合じゃないってば!」

 

 そんな二人を視界の隅に捕らえながら、なのはも声を荒げる。先ほどからEPMの警告サインが消えない。驚異度最大と指示される闇の書の少女に対して彼女のTISSは即時撤退を申告し続けているが、なのはにはその選択は有り得ないことだった。

 しかし、自慢の射撃魔法もことごとく防がれ、避けられ、打ち落とされている。イルミネーター3基すべてを彼女に費やしているにも関わらず、戦闘開始から向こう、レイジングハートの制御システムが常に彼女をロックオンし続けているにも関わらず、弾頭が闇の書を捕らえた試しがない。

 苛立ちと焦りがつのる。なのはにしてもヴィータと同様、このストレスを八つ当たりという形で発散したくなってしまう。

 

「うるせぇ! あたしとユーノの問題に口を出すな、なのは」

 

 ヴィータもなのはに習って、銀の球状弾頭を数発発射するが、もとよりなのはの弾頭より遙かに誘導性能の劣るそれが闇の書を捕らえられるはずもない。

 闇の書は速くて堅い。それに加えて火力も目を見張るものがある。近接戦闘を挑んでも多くは無駄に終わってしまうのだという事実をヴィータは認めたくなかった。

 一対一の戦いでベルカの騎士が負けることは許されない。それが三対一であればなおさらのことだ。闇の書の存在は、その騎士としての誇りに傷をつける。

 ヴィータは歯を食いしばり、屈辱に耐えた。

 

「逆ギレかっこわるい!!」

 

 身も蓋もない言い方だと、それを聴いたユーノは思った。そんな言い方をすれば火に油を注ぐようなものだ、とユーノは国語の授業で習ったばかりの言葉で評する。

 

「んだと、このガキャア!」

 

 怒髪天を衝くとはこういう事と言わんばかりにヴィータは無駄な魔力を発散させて、三つ編みの髪やスカートの裾を巻き上がらせながらなのはに向かって罵声をぶち当てた。

 

《ヤレヤレ、ガキですね》

 

 この余裕のない状況で喧嘩をしている主達をモニターしてレイジングハートは、主達に聞こえないように音声を放った。

 

《真実、幼くはあります》

 

 その音声を正確に捉えることのできたグラーフ・アイゼンは珍しくライバル機であるレイジングハートに同意する。

 騎士が感情に翻弄されて有限な魔力の無駄遣いをするとことは非常に情けない、とグラーフ・アイゼンのAIはそう判断したようだった。

 しかし、数百年を存在する彼の主はともかく、ライバル機の主である白い魔導師は彼の主に比べると一瞬ほどしか活動していない。感情的になるのも仕方がないのではないかとグラーフ・アイゼンは思う。

 

《(私の主であれば、感情に流されて行動を見誤る事はありません。情けないことと思っておきます)》

 

 レイジングハートはそう短く思い、自身もAIから感情プログラムを切り離した。

 故に、レイジングハートは口喧嘩をしている故に誰からの援護も受けられずに四苦八苦しているユーノをモニターしても特に何も感じなかった。

 

「ちょ、ちょっと二人とも。フォローしてよ!」

 

 どういうわけか闇の書が放つ弾丸の波状攻撃を受けながら、それでも何とかラウンドシールドを多数展開しつつ凌ぐユーノは、二機のデバイスから見ても良くやるといった感想だった。

 

 四方八方から飛来する高速弾頭を両手背後の三面のシールドを振り回すことでユーノはそれらを止め、あるいは弾いて防ぐ。

 ユーノによって弾かれて襲ってくる魔力弾頭をヴィータはデバイスを持たない方の手で振り落とし、「ちっ!」と乱暴に舌を打った。ユーノのシールドによって運動エネルギーを随分と減衰させられた魔力弾頭だったが、それでも薄手のグローブの上から殴りつけては痛みを感じないわけにいかなかった。

 

「元凶が泣き言を言うな! アイゼン、カートリッジロード!!」

 

《了解。これが最後です、ご注意を。お嬢様》

 

 グラーフ・アイゼンからお嬢様と皮肉を言われたヴィータは、さらに感情を苛立たせるが、思えば自分も騎士あるまじきことをしていたと若干反省し何も反論しなかった。

 

「分かってる! ラケーテンフォーム、急げ!」

 

《Ja》

 

 それよりも重要なことは、グラーフ・アイゼンに装填されているカートリッジが残り僅か一発であるということだ。カートリッジの消費が激しすぎる。流石のヴィータであっても、この状態が続くようであれば勝利を諦めなければならないと思えてしまう。

 

「……っち! 推進器点火」

 

 ヴィータは弱音をはね除けるように、ラケーテンフォームに形状変化した愛機のブースターに火をつけ、それをなのはのAWSのごとく、それを総て加速度へと向かわせる。

 三軸加速制御を行うなのはのAWSと違い、ヴィータのラケーテンが制御できるのは僅か一軸。その加速性能こそAWSよりも優れると確信できるが、外れれば総てのバランスを取り戻すには圧倒的な時間がかかってしまう。

 

 霧雨のように空に満ちる海の水の中、ヴィータは真っ赤な彗星のごとく魔力光を後ろに纏い靡かせながら、今にもユーノのシールドに取り付いてそれを破壊しようとする闇の書の少女に向かい、一直線で激走する。

 

「離脱しろ、ユーノ」

 

「ありがとう」

 

 ユーノはそれに応じて、バインドを投げながら一時的に離脱を敢行する。

 

「ラケーテン・ハンマー――――」

 

 何度も述べなくてはならないほど闇の書の少女は速くて堅い。単身で音の壁を突き抜けることのできないヴィータでは、その攻撃がインパクトする前の僅かコンマ数秒の間で闇の書の少女に迎撃の機会を与えてしまう。

 

 

  ならば、その防御など問題にならないほどの一撃を与えてしまえばいい

 

 

 その念は鋼をも貫き通す。シンプルであるが故に強く、剛健であることこそがヴィータの誇りであるべきである。

 ハンマーのインパクト部分に設えられた角錐形の尖頭がラケーテンのエネルギーに後押しされて闇の書の少女が掲げるシールドにたたきつけられた。インパクト部分から撒き散らされる火花のような魔力の飛沫が空を染め上げる。

 しかし、ヴィータの眼前には揺るぎない闇の盾が立ちふさがっていた。

 

「――――ブレッヒェン・エギーデ!」

 

 故にヴィータは、破壊するべき壁と認識していた少年を叩き潰し破壊し、勝利するために組み上げた切り札を、勝利の笑みを浮かべながらテーブルへと叩きつけた。それは勝利のテーブルであり、かけるチップは自らの誇り。「我に貫けぬもの無し」という純粋な誓いだった。

 

 ラケーテンの角錐はねじれ、それはまるで無骨なドリルのような形状へとその姿を変じ、次の瞬間には耳を刺す甲高い音を立てながら高速回転を始めた。

 

 ブレッヒェン・エギーデ、すなわち、ブレイク・イージスは正にイージスを壊す、破盾槌。

 

「僕は、そんなにヴィータに恨まれてたんだ……」

 

 ユーノはその攻撃に込められたヴィータの感情を自解し、誤解を含んだ言葉を漏らした。

 それはつまり、彼女がイージスと呼ぶ少年、自分の盾を破壊するために作られたものだとユーノは気がつき、少しだけ悲しくなった。

 

「だけど、当たり前だよね……」

 

 ユーノは改めて思う。自分たちは間違ってはいなかった。しかし、同時に彼女たちの思いもまた間違っていない感情と判断によって起こされたものだ。故にぶつかり合い、互いに互いの意志を削りあった。怨まれることは覚悟上のはずだった。それでも悲しみを感じている自分をユーノは蔑む。何を今更と自嘲する。

 

(これから……だね……)

 

 ユーノは僅かに下がった面を上げて、頭上で行われている闇と朱、二人の少女のせめぎ合いを真正面から見つめ直した。

 先のとがったエンドミルが鋼を切削するかのように、闇の書の少女のシールドを火花を撒き散らせながら削り抜けようとするグラーフ・アイゼンの姿がユーノの瞳にまばゆく映り込む。

 ユーノは両手を掲げた。

 

「流石だな、紅の鉄騎!」

 

 闇の書の少女は僅かにヒビが生じ始めた己のシールドを見おろし、声を漏らした。引けば翡翠の鎖が鎌首をもたげ、捕まれば桃色の砲撃が無防備となった身を貫く。バリアバーストを敢行したとしても、その次の瞬間には無防備になることは変わりなく、進退は窮まった。

 

「当たり前だ。ベルカの騎士に負けはねぇ。ましてやあたし達なら……」

 

『不可能はない』

 

 とヴィータの呟きが聞こえたようにユーノとなのはは思った。たとえそれが幻聴だったとしても、ユーノは何故か救われたと感じた。

 

 闇のシールドが波打ち、大気を震わせて崩壊していく。シールドが崩壊する音は、たとえそれが倒すべき敵のものであっても愉快な音には聞こえない。ヴィータはユーノを横目で一瞥して片目を閉じた。

 

『あたしのことは気にするな、やれ!』

 

 彼女はそう言っているとユーノは何故か確信することができた。

 

「今だ。なのは、撃って!」

 

 千載一遇の機会。これを逃せば後はないとなのはは理解する。分かっていてもなのははほんの刹那の時間、自分には聞こえなかったヴィータの声をまるで息をするかのように理解したユーノをみて、少しココロがざわめく。

 

 あの瞬間、ごく僅かな視線の交差だけで二人は分かち合うことが出来た。口の上では仲が悪そうに見えても、彼と彼女はそれほどの信頼を傾けあっている。

 

「……行くよ、レイジングハート!」

 

 静かにそう言葉を紡ぐことで、なのはは一時わき上がるその感情を封じた。ユーノが掲げた両手から翡翠の鎖が高速で打ち出され、ヴィータの攻撃によって停止した闇の書の少女の師資にまとわりついた。

 たとえ、ユーノが放つ鎖が強固であっても、闇の書の少女の機能を用いれば数秒もかからずにそれらは解除されるだろう。しかし、僅かだと思われるその時間であっても、既にそのために準備をしていたなのはにとっては十分すぎる時間だった。

 

《ファイアリング・ロック解除。ディヴァイン・バスター、スタンバイ・レディ》

 

 蒐集されて一度は枯渇してしまった魔力はまだ殆ど回復していない。なのはは魔導炉からもたらされる高レベルの魔力にリンカーコアを圧迫される気分に襲われながらも、何とかその魔力をまとめ上げ砲弾を形成する。

 

「ディヴァイーーーン」

 

 レイジングハートの尖端に桃色の光が脈を打つように集まり拡大していく。たとえ自分の魔力と適合された魔導炉の魔力であっても、本来自分のものでない魔力を扱うのは非常にストレスがかかるとなのはは覚えながら、その砲弾をさらに拡大させていく。

 

 なのはは刹那に闇の書の少女と視線を交差させる。いつの間にか彼女はユーノが投げ付けた翡翠の鎖に四肢を絡め取られていたが、その眼はしっかりとなのはの方へと向けられている。

 しかし、ヴィータの尽力によって破壊されたシールドを直ちには修復できない様子がうかがえて、ヴィータもまた崩壊させたシールドを突き破って闇の書の少女に攻撃を加え彼女の動きを停止させている。

 

 二人は死力を尽くしてこの時をなのはに与えた。自分はそれに応えなければならない。

 

「バスタァーーーー!!」

 

 レイジングハートの先端部分、グリップ、石突きの各部分に展開する魔力加速の魔法陣が一際光を放ち、尖端に集められた魔力は前方へとまっすぐ突き進んだ。

 

「相変わらず、スゲェ魔力だな……」

 

 莫大な魔力の奔流が背後から迫り来る。ヴィータは背中にそれを感じ、闇の書と鍔迫る力を緩め、間に合わないかもしれないと自覚しながらも離脱を敢行した。

 

 直ぐ側を抜けていく桃色の砲撃はまるで、飛来する大柱のように太く、闇の書を拘束する翠の鎖をその余波で引きちぎりながら闇の書へと殺到した。

 

 極めて眩い爆発が巻き起こった。その爆圧は莫大な海水を巻き上げ、水煙がまるで大瀑布のように降り注ぎ、その場にいる総ての者の視界を覆い尽くした。

 

 手応えはあった、と砲撃によって千切れ飛んだバインドを消しながらユーノは思う。

 砲撃が拡散し、霧散したため大気に撒き散らされた魔力がユーノの魔力探査を一時的にホワイトアウトさせる。それは、レイジングハートのアクティブレーダーも例外ではなく、全員が全員一瞬世界を見失っていた。

 

(これでダメなら……もう……)

 

 打つ手がないとユーノは思った。この状況に置いてなのはの攻撃はできうる限りの精一杯だったのだ。

 ヴィータにはもうカートリッジは無く、そして自分は先ほどから胸の奥から湧き上がってきている痛みに集中力を保つことが難しい。

 たとえ、なのはがAWSによって機動力という弱点を克服していても、化け物のような戦力を持つ闇の書と一人で相対することはあまりにも無謀すぎる。

 

 すべてが満身創痍だとユーノは横目でなのはの様子を確かめる。なのははレイジングハートのフレームを解放し、冷却ガスを噴出させ、息粗く肩を震わせている。

 

「気をつけろ、ユーノ」

 

 海水の煙幕の向こう、薄ボンヤリと映る人の姿をした影が声を放ったようにユーノには思えた。

 

「ヴィータ?」

 

 耳に届く声が籠もって聞こえる。煙幕の向こう側から徐々に近づいてくる人影の姿が大きくなっていく。

 それがいったい何なのか、ユーノは一瞬判断が遅れた。

 

「すばらしい攻撃だった……」

 

 鋭利に研ぎ澄まされた少女の呟きがはっきりとユーノの耳に届けられる。

 

「まさか、そんな!」

 

 はっきりと姿を示した影にユーノは言葉を失った。

 

「しかし、私を破壊するには足りない。総てを破壊するにはさらに足りない……」

 

 全くの無傷とは言えない、しかし彼女は透き通る銀色の髪を月の光によって輝かせ、その拳を握りしめた。

 

「くっ!」

 

 闇の書の少女を閉じこめる結界は、その構成や維持こそ既にシャマル、ザフィーラ、アルフの一名と二匹に委託しているが、その基点となる部分は未だにユーノが受け持っていた。そうすることで、闇の書の攻撃が結界を維持する三者に向かわないように考慮されている。故に、闇の書が真っ先にユーノへと攻撃を加えようとするのは必然であり、それをにわかに忘れていたユーノは自分の不注意を呪った。

 

「……私を破壊したいのなら……総てを破壊し尽くせるだけの力を用いよ!」

 

 振りかぶられる闇を纏った拳。ユーノは腕を前方へと掲げた。

 闇の書は速く、強い。その攻撃をまともに受け止めれば、いかに防御の優れた自分であっても崩されてしまう。

 しかし、自分は一人ではないとユーノは確信する。僅か数秒、それだけの時をシールドを用いて稼ぐことができれば、仲間が必ず助けに来てくれる。

 ユーノはそう確信し、自らの盾を呼び起こす。

 

「ラウンド――――」

 

 ユーノはシールドを呼び起こそうとした。リンカーコアへと魔力を流し込み、意識の上で練り上げた構成の術式を共に流し込む。

 そして練り上げられた理路整然とした魔力の法則をただ、外に発散させればいい。何百回、何千回と繰り返してきた唯この一連の作業。

 しかし、ユーノは胸の奥底から湧き上がってくる激痛に息を飲み込んだ。

 それはまるで、身体を二つに裂かれるような衝撃。

 

「ぅ――ぁ――――」

 

 ユーノは確かに胸の奥にあるリンカーコアがミシリと音を立てたと感じた。

 

(傷が……広がって……)

 

 ヒビが広がったとユーノは直感し、ラウンドシールドは闇の少女の拳が当たるよりも早く粒子となって霧散してしまう。

 

 まるで世界が凍り付くように、その眼に映る総ての情景が酷く散漫になっていくように彼は感じた。

 

「ユーノ君! いやぁ!!」

 

 なのはの悲鳴が耳朶を打った。

 

「ユーノ! 間に合え、チクショウ!!!」

 

 ヴィータの乱暴な声が、それなりに距離が離れているにも関わらず、まるで耳元で聴いているように大きく聞こえた。

 視界の端に、歯を食いしばりながら懸命に急行してくる二人の姿が映る。しかし、間に合いそうにないとユーノは理解した。

 

(ごめん……フェイト、はやて、アリシア。助けられなかった。……ごめん……なのは……)

 

 ユーノは目を閉じた。暗闇が視界を覆い尽くした。

 

 自分の最後を見たくはない。湧き上がってくるものは、恐怖、後悔、未練。死ぬかもしれないという恐ろしさ、助けられなかったという後悔、成し遂げたいと思うことがまだまだ残されているという未練。

 しかし、それでも、ユーノは最後の感情にこの痛みを持つことの誇りを感じていた。これは、かつて自分がなのはを、大切なパートナーを守ることができた証だとユーノは確信している。

 

(そうか、ベルディナはこう思いながら逝ったんだ)

 

 守りながら死ねること。守りきって死ねること。それは、守護者であると、盾であると誓いを立てた者にとってどれほど誇り高いことか。しかし、ユーノは理解している。そうして残された者の感情、かつての自分が壊れかけたほどの絶望と自責。ともすれば、かつての自分のようにそれをパートナーに強いることになるかもしれない。

 

(僕は、同じ事を繰り返したんだ)

 

 ごめんとユーノは心に念じて、最後を待った。

 

 随分と長い最後だと思った。

 

 冗長的に切り取られた最後の瞬間は、その総てを自分に見せたいのだろうかとユーノは思った。

 

 そうして、絶望をさせたいのか、それとも自ら納得できる言い訳を用意する時間を与えさせてくれているのか。

 

 ゆるゆると動く目蓋を無理矢理開き、ユーノは眼前に広がる今を認識しようとする。

 見上げれば、そこには闇の書の少女がいた。振りかぶった帯に包まれた細腕と、今にも自分自身に打ち付けんとする拳。

 それらはすべてが静止していた。まるで糸に縛られている人形のようだと、まるで空に磔にされているかのようだとユーノは思った。

 そして、闇の書の少女はその拘束に抗うように細かく揺れ動き痙攣するだけだった。

 

 奇跡が起こったのかもしれない、とユーノは思い浮かべて、面を振った。

 緊張が抜け、飛行魔法さえも維持できなくなったユーノは総ての力が抜けるように、空から落ちていった。

 頭上が反転し、海面が空と入れ替わった。海は空を映す鏡。空の鈍色が映り込む鏡面には自分の姿は映らない。空に溶け込むように消えていくのも、悪くはないのかもしれないとユーノは思った。海面に映る月が最後に昇るべき場所だと誘っているようだった。

 

「ユーノ君!」

 

 月と海と空に溶けていこうと眼を閉ざしたユーノは何かに引き上げられる感触を覚えた。

 

「なのは? どうして? 僕は、空と一緒になって……」

 

 空に落ちていくはずだったとユーノは呟いた。それが最上の幸いだと間違いなくユーノは自覚していた。

 

「しっかりして、ユーノ君!」

「ユーノ! 大丈夫か!?」

 

 赤い光に横たえられるように感じた。自分を覗き込む二対の視線に、ユーノは助けられたんだと実感した。

 ユーノは、ヴィータが展開したフローターフィールドに片手を付き、なのはの膝からゆっくりと身体を起こして、何とか微笑みを返した。

 

「うん……僕は大丈夫……、それより……」

 

 ユーノの笑みは、それはそれは痛ましく思えて、なのははズキッと痛む胸を押さえながら、疲労を隠す彼の上体を支え、ユーノの視線が指し示す空へと目を向けた。

 

「止まったのかな?」

 

 なのはの眼に、拳を振りかざす形で制しを続ける闇の書の少女の姿が映る。一体何が起こったのか、なのはには推察することができない。

 

「なのはの砲撃でシステムがいかれたか?」

 

 ヴィータはそう言いながらデバイスのチャンバーをオープンさせた。円柱の側面に規則正しく配置された四つのくぼみからは、使用済みのカートリッジ一発が排莢され、総てのカートリッジが消費されたことを示す。予備のカートリッジを装填しようと、スカートのポッケに手を伸ばすが、その中にはアイスのあたり棒やキャンディーの包み紙などのゴミしか出てこなかった。

 

 ヴィータの言うことは的を射ているように思えたが、彼女が停止する寸前の瞬間を知るユーノは、ただそれだけが原因ではないとも思えた。

 私を破壊したければ世界を破壊できるだけの力を用いよという彼女の言葉はの裏には絶対的な自信というものを伺うことができた。

 

「気を、つけて、二人とも……」

 

 ともあれ、闇の書は行動を停止しているだけで健在だ。しかし、そう言って立ち上がろうとするユーノをなのはが無理矢理止めて、彼の背中を自分の胸に寄りかからせた。

 

「あんまり喋っちゃダメだよ。まだ痛いんでしょう?」

 

 ユーノが胸を押さえて墜落しかけた理由をなのはは正確に理解していた。そして、その原因の一翼になったのが……いや、その原因の最たる理由となったのが自分自身であることをなのはは自覚する。ユーノは、自分のせいで傷ついた。口に出すことはないが、なのはにとってそれが絶対真理として深く根付いていることは間違いない。

 

「ごめん……」

 

 ユーノの短い謝罪は、果たして何に対するものなのだろかとなのはは思う。不甲斐ない自分に関する謝罪なのだろうか。なのはに迷惑をかけている事への謝罪なのだろうか。それとも、なのはに薄暗い自責の念を抱かせていることに対する謝罪なのだろうか。いくら考えてもなのはにはその正確な答えを出すことはできなかった。

 

 弱みを見せないユーノに対する憤り、そしてそんな彼を完全に理解できないことの悲しみになのはは胸の中の彼をギュッと抱きしめた。

 

 ヴィータはそんな二人を横目で眺めながら、実に面白くない感情に揺さぶられながら「フン!」と鼻を鳴らした。

 そして見上げた闇の書の少女は今だ停止状態にあり、ヴィータとしては一体何が起こっているのか、正確な情報をつかめない限り下手に手出しができないと感じた。茂みに石を投げて虎を出すわけにはいかないとヴィータは古いベルカの諺を思い浮かべながらも手に持つ大槌は今だ油断なく構えられ、その先端部分は闇の書の少女へとまっすぐ向けられていた。

 

『…………えてますか……』

 

 ふと、ヴィータは耳を澄ませた。風の鳴る音、夜の暗がりと嵐の中に訪れた一瞬の静寂の中に聞こえるさざ波の音に混じって、かすかに人の声が聞こえたような気がした。

 こんな所に自分たち以外の人間がいるはずはない。そう思って背後で身を寄せ合うなのはとユーノにそっと目を配らせても二人は相変わらずで、何かの声を聞き入れた様子はない。

 空耳かとヴィータは思った。しかし、その声はヴィータの感情をいたく揺すぶり、彼女から落ちつきをなくしてしまう。

 

『…………聞こえてますか?』

 

 また聞こえた。空耳にしては声がはっきりとしてきている。なのはとユーノもふと面を上げて周りを見回した。

 

「誰?」

 

 なのははそう呟きながらユーノを赤いフローターフィールドの上に座らせて、レイジングハートを構え立ち上がった。

 

「ヴィータちゃん……」

 

 姿の見えないことは恐れをもたらす。不安げにレイジングハートを腕に抱き、なのははヴィータの背中に寄り添った。

 

「静かにしろ、声が聞こえない」

 

 ヴィータはそんななのはに静かに、それでいて強く言葉を投げ付け、なのはは必然的に口を閉じた。

 風が緩やかになってきた。先ほどまで聞こえていた波のざわめく音も次第に遠くなっていく。

 

『ヴィータ、なのはちゃんにユーノ君。聞こえてますか?』

 

 聞こえた、とヴィータは確信し、面を上げた。その声が発せられた方向へ視線を投げ付ければ、そこには行動を停止した闇の書の少女がいた。

 そして、その声は確かに彼女の内から漂うように聞こえてきていた。

 彼女はそこにいるとヴィータは確信することができた。

 

「はやて! はやてなの!?」

 

 間違いない、ヴィータは確かに主の声を静止する闇の書の内側から聞いた。張り上げる声は、先ほどまでの冷徹な騎士のなりを潜め、それは純粋に家族を心配する少女のものとなっている。

 過激にして冷徹。そんな彼女の在り様がたった一人の朗らかな少女のたった一言だけで溶けてなくなってしまっている。言葉とは不思議だとユーノは思った。たとえ自分が彼女に同じような言葉を、同じような声色で語りかけても、彼女は冷涼な気風を変えることはないだろうと思う。いずれ、彼女とも和解できる日が来ればとユーノは思いをはせた。

 

『ああ、やっと届いた。ごめんな、遅くなってしまって』

 

 やっと届いたとはやては口にした。ということは、ずっとはやてはこちらの行動や声を見て聞いていたのかもしれないとヴィータは考えた。そうなれば、自分は八神はやての騎士として恥ずかしくない戦いができていたか、少しの不安が訪れる。

 

「大丈夫……?」

 

 曖昧な質問だとヴィータは思った。しかし、おずおずと表情を伺うように出された声に主、はやてはクスリと微笑んだようにも彼女は感じた。励起される人としての感情が恥ずかしいという感覚をヴィータに告げた。身体はぼろぼろで、はやてより賜った甲冑である真っ赤なドレスもすすだらけで所々穴が空いてしまっている。

 

 闇の書の少女から僅かながら漏れ聞こえる「クスクス」という音がやはり、はやてに笑われていることを告げ、ヴィータは頬を真っ赤に染め上げた。

 

『やっぱり、ヴィータは可愛いなぁ……諦めんで正解やった……。ごめんな、色々と話したいこともあるんやけど、今は私のお願いを聞いてくれんかな?』

 

 はやての言葉には希望が込められている。まだ、誰も諦めていないとなのはは感じ、「はぁ」と息を吐き出した。溜息は幸せを逃すとはよく言われる言葉だ。しかし今の自分の溜息は諦観や虚無感等というものを外にはき出す効果があるような気がしてならなかった。普段であれば、溜息は心に暗雲が漂う時にはき出されるものであるのに、今の自分は何故かとてもすっきりとしている、なのはにはそう思えた。

 だから、なのはは不安に抱きしめていたレイジングハートをゆっくりと下ろし、飛行魔法により緩やかに上昇して胸を張り、眼をしっかりと見開き闇の書を正面に取られた。

 

「何でもいってよはやてちゃん。私たちは何をすればいい?」

 

 トクン、トクンと熱を伴って登ってくる血潮とそれに反比例するように冷静になっていく感覚に酔いしれるような快感をなのはは感じる。これは、危うい感覚だとなのはは思うが、止められそうもなかった。思えば、自分の父と兄妹達は皆武術を嗜んでいる事をなのははふと思い出す。ひょっとすれば、自分にもそんな彼等の血が確かに受け継がれているのかもしれないとなのはは思い浮かべた。今まで家族の中にとけ込めず、どこか浮いていると感じていた自分に、家族との繋がりができたように思えて、なのはは思わず歓声を上げそうになってしまった。

 

 

 そして同時になのははこの身の矛盾を思い知った。戦いが嫌いだと言っておきながら、自分は戦うことがこんなにも充実している、歓喜の哮りを上げそうになるほど高まってしまっている。

 

 

 

  いったい自分とは何者なのか

 

 

 

 自分の存在とはなんなのか。私はどうしてこうなってしまっているのか。それがどうしようもなく恐ろしい考えに思えて、なのはの肩が一瞬湧き上がってきた悪寒に震えた。

 

『ありがとな、なのはちゃん。お願いしたいのは他でもない。みんなの前にいる子のことなんや。今、闇の書の中で管制人格って子と一緒なんやけど、防衛体っていう、闇の書の暴走した部分が表に出てて二進(にっち)も三進(さっち)もいかへん』

 

 なのはは面を振って、肩を震わせる寒さを打ち払った。

 

「つまり、何とかして今表に出てる暴走してる部分を一時的に停止させればいいってこと?」

 

 声の主、足下より届く少年の声になのははふと目を向けた。ユーノは、はやての声に対応しながら、ヴィータの手を借りてゆっくりと立ち上がっていた。その様子になのははホッと胸をなで下ろした。異常な自分が見られていない事への安堵。それ以上に、手を取り合う二人の様子を見れば、この二人は問題ない、上手くやっていけると考えられて…………なのはの胸がズキリと痛んだ。

 

『その通りや、話が早いと助かるわ。お願いできへんかな?』

 

「何とかしてみせるよ」

 

『お任せします』

 

 ユーノははやてとの会話を終え、上空を見上げる。月を背負うようにして空に浮かぶパートナーの姿がその目に映り込んだ。隣に立つヴィータは少しだけ不安げな表情をしながらも何も言わず、その様子はまるで自分を信頼して総てを託してくれているようにユーノは思った。

 

(大丈夫。僕達ならやれる。僕となのはの二人なら月の向こう側にだって行けるさ)

 

 なのはだけではない、ここにはヴィータという心強い味方がいて、陸ではアルフにザフィーラ、シャマルが影ながらサポートを続けていてくれる。そして上空遙か向こう、地球の静止衛星軌道上にはアースラがいて、リンディをはじめとしたクルーもまた自分達を見守りつつ全力で支援をしてくれているのだ。

 これで何とかならなければ嘘だ。

 ユーノは目を閉じて、静かに細く息を吸い込みはき出した。

 

『なのは、良く聞いて。これから僕が言うことをなのはができれば、はやてちゃんは助かる』

 

 ユーノは頭上のなのはに向けて思念を送り込む。ユーノのリンカーコアはたかだか念話を行っただけであるにも関わらず、細い針で突かれるようにチクチクと痛んだ。余り時間は残されていないとユーノは否応なく気がつかされるが、今は些末なことだと断じた。

 

『うん、私は何をすればいい? どうすれば、みんなの助けられるの?』

 

 なのはの思話には一切の陰りがなかった。

 

『することは簡単だよ。なのはなら絶対にできる。いや、なのはしかできないことなんだ』

 

『うん』

 

『闇の書に魔力攻撃を叩き込んで。全力全開、手加減無しで!』

 

 その答えは非常にシンプルなものだった。余りにもシンプルすぎて、なのはの口元に笑みが浮かぶ。

 

「さすがユーノ君。とっても、とっても分かりやすいよ」

 

《ユーノはマスターの扱い方を良く心得ている。将来尻に敷きたいのであれば、精進するべきかと思いますよ》

 

「レイジングハートはいつも一言多いの! 少しは自重してよ……。行くよ、エクストリーム・バースト。ぶっつけ本番だけど、いけるよね」

 

 レイジングハートとの会話がとても心地がいいとなのはは感じた。ユーノがいて、レイジングハートがいて、そしてヴィータがいる。まるで、あつらえたかのように巡り会った仲間達をなのははこの上ない宝物だと思った。

 

《マスターの口より”本番”と言われると、別のことを想像してしまいます。むろん、マスターができるというのであれば私にできない道理はありません。魔導炉、全リミッター解除、全力運転開始》

 

 レイジングハートは最後に少女に言うにはあまりにも不適切な発言をしながらも自分自身に与えられた役割をしっかりと実行に移した。

 レイジングハートの中央に設えられた赤色の宝玉が数度明滅し、そのフレームの内部からは低く深い音が響いてくる。

 魔導炉の全力運転、それまで抑制されていた出力の総てを解放したレイジングハートはまるで総ての枷を解き放つかのように、誇らしげに全身を静かに輝かせた。

 

 把持するグリップからもレイジングハートの熱が伝わってくる。冷却ガスを排出するノズルが総て解放され、そこからは断続的に薄い白煙が吐き出される。

 

「魔力集束開始……」

 

 レイジングハートから届く魔力が次第に自分の限界を超えていく。なのははそれよりもましてなおも供給される魔力の制御を手放し、純粋な魔力エネルギーとしてそれらを外へと排出する。

 

 なのはが制御できる魔力など、魔導炉の全出力の三割にも満たない。全力運転をすればその残された七割は外部へと放出するしか他がない。

 まったく無駄になるエネルギーだ。ならば、その無駄なエネルギーをどうすれば有効活用できるか。

 なのはの呟きがその答えを提示する。

 

「すごい」

 

 レイジングハートから排出された莫大な魔力を、なのはは己の集束技能によってかき集め、一つにまとめ収束させていく。それは、他人の魔力を扱わないスターライト・ブレイカー。彼女の魔力とレイジングハートの動力のみで自己完結された最大単独魔力砲撃。正にそれは極限(エクストリーム)というなに恥じぬものであるに違いない。

 

「化け物だな、あいつもあのデバイスも」

 

 呟くヴィータにユーノは思い浮かべる。おそらくレイジングハートであればこういうだろう。「私のマスターであるのなら、これくらいできていただかなければ困ります」と。

 

 しかし、ユーノとしては可愛いなのはが化け物呼ばわりされるのはどうしても承伏できないことだった。

 

「なのははなのはだよ。化け物とかそういうことは言ったらダメだ」

 

「……そうだな、化け物でもまだぬるいか……」

 

 ヴィータはそういって空で拡大しつつある桃色の光を見上げた。レイジングハートの先端に収束しつつも肥大化していくその桃色スフィアは、月の輝きにもまして明るく光を放つ。まるで、夜の太陽だとヴィータは思う。

 

《集束魔力、安定限界に到達。いつでもどうぞ》

 

「うん。ありがとう、レイジングハート!」

 

 レイジングハートの言葉になのはは強く肯く。集束された魔力が安定と不安定の間を遷移するように不規則な震動を奏でている。これ以上魔力を注入すれば、おそらくこの魔力は無秩序な方向性をもって発散してしまうだろう。

 これが、自分の限界だとなのはは額に汗を浮かべながら、もう一度闇の書へと目を向けた。行動を停止する闇の書の四肢には緑色の枷がはめ込まれている。万が一のことを考えてのさりげない彼の配慮になのはは静かに頬を緩め、改めて杖を構えた。

 

「ディヴァイン・バスター=エクストリーム・バースト!!」

 

 なのはの言葉に桃色の球体が脈打つ。

 

《Divin Buster》

 

 レイジングハートの紅珠も月光を跳ね返し煌びやかに輝き、魔力を加速させる円環状の魔法陣の回転をさらに高速に変化させる。

 先端より先に四つの円環状魔法陣を展開させ、それはまるで桃色の魔力によって織り込まれた巨大な砲身を連想させた。

 

「シューーーート!!」

 

 なのはの声が世界を震わせた。その瞬間に解放された総ての魔力は、円環状加速魔法陣に誘われ、その魔法陣の回転は総ての魔力に等しい方向を与えて加速させる。

 それはまるで莫大な魔力を持つ津波のように、極めて高密度の魔力奔流は唯一直線に空中に磔にされた闇の書の少女へと殺到した。

 いかなる災害も力で押し戻す。たとえ月が落ちようとも地上より放たれた流星はそれすらも凌駕して空を貫き通す。それは正に神聖なる鉄槌の名を恣に示す一撃だとユーノをはじめ、その光景を眺める全員が思い浮かべた。

 

 闇が光に包み込まれ、その瞬間に爆発するような鋭い閃光が夜空を白く染め上げた。

 

 

 

 


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