魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~   作:柳沢紀雪

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第十二話 RaisingMoon

 

 

 闇のゆりかご。それはまさにそう表現するに相応(ふさわ)しいとはやてはゆっくりと思い浮かべた。

 

 何もない空間に空っぽになった自分がただ一人。ただ、足下でゆっくりと円を描く魔法陣からわき上がる光のみが世界を照らす。

 照らされた世界はやはり空虚でしかなく、生命の存在しない深海もまたこのような光景が広がっているのではないかと緩やかに思い浮かべた。

 

 静かだった。世界の終わりとはこういうものではないかと思うほど静かだった。

 人は死に際したとき、それまでの一生分の記憶を走馬灯のように見ると言うが、あいにくはやての脳裏には何も浮かんでこない。ただ空虚なままだった。

 

(一生ゆうても、たったの9年分やったらほんの一瞬やろなぁ)

 

 酷く眠い。このまま眠ってしまえばもう目が覚めないのではないかと思うほど眠い。

 夢さえも見ないほど深い、深い眠り。

 恐怖は、不思議とわいてこなかった。

 

 希望などなく、ただ静かに死んでいこうと考えたあのとき。そのときを境に悲しみを感じることがなくなった。最初から望まなければ絶望することもなく、悲しみに涙を流すこともないと気がついた。

 

(せやけど、それは違ったんや)

 

 半年前、突然出来た家族にそれは覆された。

 最初は、いきなり地震と共に書物から出現した彼らを幾分かは怪しいと思った。しかし、彼らは非常に誠実だった。

 自分に傅く騎士達。

 この人達なら信頼できる。自分を同情することなく、腫れ物を扱うこともなく、ただ家族として側にいてくれるのではないかと、はやては久しく感じた希望に胸を躍らせた。

 

 与えられた喜び、他人と共にあることの幸福。たった半年ではやての世界は大きく変えられてしまった。

 

(そう長くは続かへんとも思ってたんよ。そしたら、案の定や)

 

 ハハ、とはやてはため息のような笑みをこぼした。

 

 与えられないことは覚悟していた。人並みの幸せも、無類の愛情も自分には無縁だと理解していた。

 

 しかし、与えられたものを奪われる痛みをはやては今まで感じたことがなかった。

 

「闇の書は世界を滅ぼす、かぁ……」

 

 病室で自分よりも遙かに年下の少女から告げられたこと。あまりにもスケールが大きすぎて理解することができなかった。それは、幼い少女特有の虚言なのかとも考えることもできた。

 

「やけど、アリシアちゃんは嘘は吐いてなかった」

 

 彼女の真摯な瞳。彼女の口から出された言葉には静かな力があった。そう感じることができたから、はやては彼女の言葉を信頼し、その手を取ることができた。

 

「それでこの体たらくや。結局、私はみんなを押さえられんかった。ほんまに主失格やなぁ」

 

 信頼を裏切られたとは思わない。ただ、どうしようもなく間に合わなかった、ただそれだけのことだ。もう少し早く自分にたどり着いていてくれていればと、ともすればこの悲劇は回避できたかもしれない。そう思いながら、はやてはふと口に笑みを浮かべた。

 

「歴史にIFは無いなんて、ありきたりで使い古されたことを言うようになるなんてなぁ。まあ、ええわ。もう、疲れた。このままゆっくりと眠ってしまえばええんや……」

 

 目を閉じれば、そこに浮かぶのは幸せな日々。求めても手に入らずに諦めていた日常の風景。この幸せを抱いて寝れば、おそらく苦しむことはないとはやては願い、意識を閉ざす。閉じた目蓋の向こうに広がっていたものも、やはり闇に過ぎなかった

 

 

「主は、それで良いのですか?」

 

 しかし、それは聞き覚えのない女性の声に遮られた。こんな闇の中で自分以外の人間がいるとは、祖像もしていなかった。はやてはゆっくりと目蓋をあげる。閉ざされる前に、自分を目覚めさせようとする声の主を確かめておきたいと思った。

 

「なんや? もう寝ようと思ったのに、私の安眠を妨害せんといてや」

 

 最後ぐらい自分の好きにさせて欲しいとはやては切に願っていた。何せここは酷く居心地が良い。自身の安眠を妨害しようとするその声の主をはやてはボンヤリとして定かにならない視界の中に捕らえた。

 

「主は、本当にそれで宜しいのですか。それで満足なされるのですか?」

 

 いつの間にか膝をついて、車椅子に座るはやてと同じ高さにある紅の双眸。それは、病室で出会った二人の少女の瞳の色にとてもよく似ていた。その両の眼で見つめられればはやての心は落ち着かなくなる。どうしても安眠を得たいのなら、この少女は邪魔になるとはやては感じ、その視線から目をそらせた。

 

「私は、もう奪われるのはいやなんや。悲しいことも苦しいことも、もうたくさんや。このまま眠ってしまえば、誰にも邪魔されない安息が待っているような気がする。もう、私につきまとわんといて」

 

 その声に灼眼の少女は、まるで仮面のように凍り付かせていた表情を僅かに歪めた。これは、自分が招いた、いや、招き続けてきた結果なのだと深く理解する。今も、今までも、こうして直接顔を合わせた主はこの数百年の間でさえも数えるほどもいなかったが、それらもことごとく得られた結果は同じだった。

 

 

  悲しみの輪廻は断ち切ることができない。故にこれが運命であると諦めてきた

 

 

 しかし、此度の主はそれまでの主とは大きく異なっていた。ただ、家族と共に穏やかで幸せな日々を過ごしたい。闇の書が存在して以降、自分にそのような願いをかけたものがいただろうかと思う。いや、そもそもこの主は力を必要ともしなかった。

 

「しかし、私は主の言葉――死にたくない、生きていたいという言葉を、その願いを忘れておりません。そして、彼等もまた希望を持ち続けています」

 

 彼等という言葉にはやては面を上げた。目に飛び込んでくる紅の双眸に身体を覆い尽くすほどに長い銀の髪。黒く染められた衣服はまるで彼女を縛り付ける拘束衣のように見えて、はやてもまた彼女も自分と同じように呪われた運命に縛られているのだと感じた。

 

『ご覧ください』

 

 と彼女は無言で告げながら跪いていた上体を起こして立ち上がり、振り向いて手を虚空に掲げた。

 はやての見つめる闇の中、そこに光が灯り、その光は闇を方形に区切り、動きのある情景を生み出した。

 ノイズ混じりの窓が次第に鮮明になっていき、はやては息を飲み込んだ。

 

「ヴィータ、なのはちゃんにユーノくん?」

 

 朱い光に翠の軌跡が螺旋に絡まり、その二つの光を包み込むような桃色の光が入り乱れる。

 

『こんなの、はやてが望むわけねぇ! いい加減目を覚ましやがれ!』

 

 遠方で円を描いていた朱い光がとつぜん近づき、それは大槌を振りかぶる少女となって襲いかかってくる。

 撒き散らされる真朱の光と、その光を打ち払う黒い闇。

 幾重も放たれた黒い刃が赤い光を散らすように交差するが、それは黒と朱の間に割り込んだ翠の盾に防がれ離散する。

 そして、視界の端に映る桃色の幾重もの光弾が恐ろしい速度で襲いかかる。

 それはまるで今まさに自分自身に襲いかかってきているようで、はやては思わず目を閉じる。

 先ほどまで目蓋の裏側に広がっていた闇は、弾ける桃色の光の残滓に染められている。

 

 はやては目蓋に力を込め、すべてを拒絶するように耳に手を当て、蹲るように自身の胸を抱きかかえた。

 

「それでも……それでも、私は辛いのはもういやや。下手な希望を持って絶望するのもいやや。もう、嫌なんや……もう失いたくない」

 

 人は何故苦しむのか。それは、期待するからだと気がつき、すべてに対して彼女は期待することをやめた。望みを持つこともやめた。何も望まず、何にも期待することがなければ、いかなる事が起こっても「そういうものだ」と言って諦めることができる。諦めることができれば心穏やかにいられると彼女は信じていた。

 

 

  すべてをありのままに受け入れようと誓ったはずだった

 

 

 それはまるで、すべてを運命の定めたる仕業(しわざ)として滅びを受け入れてきた闇の少女と重なる。そうか、と闇の少女は思い至った。どうして、プログラムに過ぎない自分がこうも此度の主に対してここまで心砕くのか。まるで同じなのだ、自分と今代の主とは。

 

「私は管制人格です。本来、プログラムに過ぎない私はただプログラムに従うのみ。主がここで眠りたいとお思いであれば、私はそれに従い、すべてを時の流れにゆだねます」

 

 しかし、それもここまでだと闇の少女は考える。たとえ、いかに自分が此の主の救いを求めても、自分自身はただ闇の書を管制するプログラム体に過ぎない。たとえ今、自身の母体となるものが管制体である自分自身の意志を受け入れなくても、自身ができることは主が望むことのみ。

 

「……私は……」

 

 そうしてしまえば、この世界は亡びるという言葉がはやての脳裏に蘇る。しかし、それに肯けば自分はようやく安らかに眠ることができる。

 もう、眠くて仕方がない。いっそのこと、すべてを保留にして放り出して眠りにつきたいともはやては思った。

 

「最後にお聞きいたします、主……いえ、八神はやて。貴方は何をお望みか? 本当の願いを、私にお聞かせください」

 

 その答えは既に出しているとはやては思い浮かべた。自分はもう、傷つきたくない。期待を裏切られたくない。絶望に沈むのはこりごりだと述べた。だから、自分はもう眠りたいのだとことごとく言葉にした。

 それが最後の言葉で、それをもって願いが成就されるのなら、迷うことはないとはやては思った。ずいぶんとボンヤリとして曖昧な意識の中で思い浮かべた。何故か口には出せなかった。何故かとはやては思った。そして、眼前の虚空に浮かぶ外界を映し出す窓にふと目を向けた。そこには桃色の光があった。強い光だった。広げられた三対の大翼。そしてその白い小躯を繊細に揺れ動かす二対の小翼が目に映りこむ。

 桃色の盾を掲げ、黒い衝撃を正面から受け止めてその小躯が吹き飛ばされ、相殺しきれなかった衝撃によってその煌びやかなドレスの裾を焦がす。

 頭側に揺れる小さな可愛らしいお下げは熱風に晒され尖端が千切れ千切れに乱れる。

 

「……なのはちゃん……」

 

 正にその姿は満身創痍。それでもなお、その瞳からは光が失われてない。強い意志が込められた光だった。どうして、彼女は此の絶望的な状況においてもその意志を失わずにいられるのだろうか。はやてはそれが不思議で不思議でならなかった。

 

『なぜ戦う?』

 

 はやてはそんな言葉を聴いた。誰の言葉だったのかは分からない。酷く硬質で平たく。それでいて悲しみを内包させる声に思える。

 

『それは、負けたくないから!! みんな一緒だから!! ユーノ君が一緒に戦ってくれてる。ヴィータちゃんも一緒だから。はやてちゃんも、アリシアちゃんもフェイトちゃんもきっと一緒に戦ってくれていると思う。きっとこんなはずにならないように頑張ってると思うから。だから……負けられないのぉ!!!』

 

 あまりにも強い声だった。まるで太陽のようだとはやては胡乱(うろん)な意識の中で思い浮かべた。

 

『僕はもう、誰も……誰も失いたくないんだ! 二度と……絶対にだ! 僕はもう、ベルディナみたいに、誰かがいなくなるのは嫌なんだ!!』

 

 翠の少年の声が白い少女の声に重なった。それは、失うことを知っている者の叫びだった。

 

「なんで、みんな私のためにそこまでやってくれるんや?」

 

 確かにこのままでは彼らの住まう世界も滅びてしまう。家族も友人も何もかも消え去ってしまうだろう。しかし、彼らがただそれだけのために戦っているとはとうてい思えなかった。はやてはその光景を眺めるまま、ただどうしてと呟くばかりだった。

 

「それはただあなたを助けたいからでしょう。彼らはあらゆる悲劇を容認しない。愚直なまでの理想をただ持てる力のすべてを使って実現させようとする。主はやて、あなたの目指すもの、夢見るものは何ですか?」

 

 闇の書の少女はもう一度跪き、はやての滑らかな頬を両手で包み込んだ。遠い昔、はやてにとって記憶も定かではない頃、まだ彼女の両親が存命だった頃、自分もまたこのような暖かな掌に包まれていた記憶が蘇る。

 あの頃はもう戻ってこない。しかし、彼女は確かにそれに匹敵する、それを凌駕するような暖かさを確かに得ることができていた。

 

『私は、君を死なせたくない。私はもう、繰り返したくない』

 

 夕日の差し込む静寂な病室で金髪灼眼の幼子が口にした言葉が蘇る。耳の底に残る声はどこか悲壮な願いが込められていて、ただ無条件に信じてもいいと思わせるような確かな意志が込められていた。

 

「私は死にたくない、生きていたい。そのことは……今も変わらへん。……忘れるところやった」

 

 自分には多くの願いがかけられている。消えてしまったシグナムははやての無事と幸運を、ヴィータもシャマルもザフィーラも同様にそれを願う故に道を違えた。そして、なのは、ユーノ、フェイト、そしてアリシア。彼らの願いが確かに届けられたとはやては覚えることが出来た。

 

「私はここからでたい。ここはどうもあかんわ。居心地が良すぎて、眠とうなって、あかんくなる。私に協力してくれんかな?」

 

 そう、この闇の空気はあまりにも穏やかで包み込まれているような安心感がある。それはまるで、地獄ほど居心地がよく見えるという恐ろしさがあり、ここにいてはダメだとはやては判断した。

 

「主がそう望まれるのであれば」

 

 主に従うデバイスとして、彼女は無上の喜びを得た。それは単なるプログラムの導き出す擬似的な感情であることは理解している。しかし、人としての情に目覚めた騎士達と同様、その影響下にある自分にもそのような感情がもたらされたと思えば、それは喜び外の何者でもない。

 

「ところで、あんたはいったいなんて言うんや?」

 

 御前(みまえ)に傅(かしづ)く闇の書の少女の髪に手を置きながら、はやては彼女の名を問うた。しかし、少女はそれに答える術を持たない。

 

「私は闇の書の管制人格です。それ以外の名前など持ち合わせておりません」

 

 自分を表す名前など、自分自身の要素と機能から名付けられた機構名に過ぎない。たとえ、構成要素の全体に名前をつけるものがいたとしても、歯車にまでわざわざ名前をつける者はいない。それと同じく、彼女には愛称といったものは存在してこなかった。

 

「せやったら、私が名前をあげる。あんたの名前はリインフォース。闇の書の呪いとかそんなの関係ない。呪いを打ち払う希望、強く支えるもの、幸運の追い風、祝福のエール、リインフォース」

 

 少女は身が震えるような思いだった。よもやこのような日が来ようとはと思う。そして、主に名前を与えられること。それがいかに歓喜をもたらすものかと知った。

 

「リインフォース。それが私の名前……」

 

 リインフォースと彼女は何度も何度も呟き反芻した。希望の風。祝福のエール。

 彼女はアル意味、その名前を恐ろしく感じた。呪われた魔導書として何百年もの時を在り、幾多の人の命を奪い去ってきた。そのような自分に、希望と祝福の願いを与えられて、それを享受することができるのかと彼女は思った。

 

「リインフォースはな、私にとって希望の象徴なんや。闇の書のおかげで私は家族と一緒に過ごせた。そして、これからもみんな一緒にいられる希望。そんな私たちを祝福してくれる一陣の風」

 

「私は……」

 

 少女は恐れ多いと感じた。

 

「これからも、ずっと一緒にいてくれる? 私はリインフォースとも本当の家族になりたい」

 

「主の御意のままに。主が私を必要としなくなるその日まで。私は貴方と共にあることを誓います」

 

 そして、少女は祝福の風リインフォースの名前を受け入れた。

 

 


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