魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~   作:柳沢紀雪

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第九話 Empty

 

 空には月だけがあって星がない。夜の空と呼ぶにはあまりにも濁った夜の闇に染まっている。

 何故か月だけが明るく輝き、喧噪の消えた町並みの光を覆い尽くすように輝いていた。

 

 太陽に比べればあまりにも暗い光。親友達を真昼の太陽だとすれば、自分はあの深夜の月だと思うことがよくある。

 

 フェイトはバリアジャケットに守られているにも関わらず、吹きすさぶ夜の冷たい風に剥き出しの肩を細かく震わせた。

 

「大丈夫? フェイト」

 

 となりからユーノの声が届く。肩を震わせるフェイトを見て、怖くてたまらないと思われているのかもしれないとフェイトは思った。

 実際、この寒さは頭上にたたずむ破壊の根源、暴走を始めようとしている闇の書への恐れなのかもしれないとも思う。

 

 しかし、フェイトは震える肩をそのままに、出来る限りの強がりでニッコリとわざとらしいほどの笑みを浮かべた。

 

「大丈夫だよ、ユーノ。プレシア母さんに比べたら。全然怖くない」

 

 あのときの孤独はその恐怖を倍増させるものだったが、今は違う。今は一人ではないと心の底から信じることが出来る。

 だから、たとえ恐怖を感じていても皆がいれば何とかなると確信できるのだ。

 

「怖くない、全然怖くないから」

 

 アリシアのような笑みを浮かべることは出来ない、しかし、フェイトはそう繰り返すことで自身の戦意を鼓舞させる。

 

 つい、さきほどクロノから連絡があった。彼はまだ別件の任務が終了していないらしく、今はまだ本局にいるらしい。

 ユーノは職務怠慢だとクロノをなじったが、そこからはいつも通りの口論にまでは発展せず、『闇の書への停戦勧告、停戦に応じなければ現状維持』というクロノの指示に二人とも素直に了承の意を返した。

 

 フェイトの表情にはちょっと前まであった危うさというものが見受けられない。

 おそらく、怖くないというのも強がりの一つなのだろうが、その強がりも彼女の心の余裕が生み出している事なのかもしれないとユーノは考える。

 そして、その隣りに立つ自分が、彼女の余裕を生み出す原因の一端を担っていると考えれば、ユーノはとても嬉しく、そして誇らしく思った。

 

「まだ、存命だったか……存外、しぶといものだ」

 

 空から降ってきた声に二人は面を上げた。

 ゆったりと夜空に翼を広げる闇に染まった少女、闇の書は二人の頭上に羽を休めるように停止した。

 

 その瞳に涙はない。全くの無機質に、機械的と呼ぶにふさわしい表情が浮かべられてはいたが、フェイトにはその声に何かしらの感情が込められているように思えてならない。

 

「あなたを止めるまで、お姉ちゃんを返して貰うまで、私たちは倒れません」

 

 そして、なのはの思いと願いを届けるためにも、フェイトは屈するわけにはいかなかった。

 

「攻撃をやめてください。これ以上の攻撃は重大犯罪となります。投降すればせめて罪を和らげることが出来ます。それに、あなたも、本当はこんな事をしたくはないのでしょう? 闇の書!」

 

 あのとき、闇の書は月を仰いで涙を流していた。

 その涙の意味はいったい何なのか、フェイトは知りたかった。

 

「私はただ、主の意志に従い、主の願いを実現させるために存在するのみ。故に私はお前達の言葉に従うことはない」

 

 闇の書の目的は世界の破壊であって人を殺すことではない。それは副次的な効果であって、それ本来の目的には含まれていないのだ。

 

「お前達だけなら逃げられたものを、何故こうして私の前に立ちふさがる? 私はお前達がいようといまいとこの世界を破壊するだけだ。しょせん、お前達が行っていることは時間稼ぎにもならない。暴走が始まれば、このような結界などものともせず世界は崩壊していく。何故だ、何故、お前達はこのような無駄な抵抗を続けるのだ?」

 

 無駄になるかもしれない。それは、闇の書が目覚めたその時に決められた運命なのかもしれない。

 

 闇の書の言葉は、確かに正しいとユーノは思った。

 

 しかし、正しさが人を動かすものではない。

 

「それは、無駄じゃないって信じているから」

 

 フェイトは叫んだ。

 

 時には愚かと思われるようなことでも貫き通す事こそが奇跡を起こし、人を、世界を動かす力となるはずだと彼女は信じていたかった。

 

「そう、貴方は決してこんな事をしたい訳じゃないと信じられるからだよ」

 

 ユーノの静かな声は夜天を震わせる。

 どうにも出来ないことがあっても、最後まで目を閉じず、向かい合っていくこと。それが、彼が友である彼女から得た一つの答えだった。

 

「愚かな……私など、所詮はプログラムに過ぎない。それ故、私は、命令されたことを過不足無く実現することしかできない。何があっても……それだけは絶対に変わりようがないのだ」

 

「だったらどうして……どうして貴方は泣いているの?」

 

 フェイトの叫び声に闇の書もようやく気がつく。闇の書の頬には一筋の涙がこぼれ落ちていた。

 

「これは、主の悲しみが生み出すものであって私の感情によるものではない。この私に感情などというものなど存在しない」

 

「だけど、貴方は悲しんでいた。悲劇を繰り返す自分自身を嘆いていたはずだ。話し合おう。一緒に考えようよ、悲しみを繰り返さない方法はきっとあるから」

 

 フェイトは両手を掲げて、闇の書を受け入れるように天を仰ぐ。

 

 それは正に少し前にヴィータが口にした言葉、『和平の使者は槍を持たない』という言葉を忠実に再現したものだった。

 平和を願うものの手は武器を取るためのものではなく、慈悲を持ってすべてを受け入れるための腕のはずだ。

 

 舞い落ちた粉塵の残滓がにわかに吹き付ける夜の涼風に晒され、僅かに宙に舞う。

 ゆったりと空に舞い上がった握塵は薄雲となって月の光を僅かに覆い、闇の書の少女の表情を隠した。

 

 静寂が世界を支配する。

 

「それでも私は、止まることが出来ない。たとえそれがいかなる悲劇であっても、私はただ私の使命を執行するのみ」

 

 まるでそれが変えようのない運命のように闇の書の少女は高らかと宣言した。

 

 聞き入れて貰えない言葉。自分の使命と志す事を曲げないそのあり方は何処か儚い美しさをフェイトは感じる。

 そして、その様子は半年前の自分と同じだとフェイトは理解した。

 

 ただ一人、母のために、悪いことをしていると自覚していながらも、何度も危険に足を踏み入れ、手をさしのべる敵や従者の声にも耳を傾けることはなかった。

 

 優しさが信じられなかった。そして、あのときの自分がなのはやユーノ、自分を何とか救いたいと願っていたすべての人々にこのような憤りと理不尽を感じさせていたのかとフェイトはようやく悟ることが出来た。

 

(私は、なのはみたいに出来るかな)

 

 頑なな人間にいくら言葉をかけても無駄だとはフェイトは思いたくない。しかし、それでも時には力を持ってそれを成し遂げる覚悟も必要なのだとフェイトは思い至る。

 

 それが正しいことなのか間違っているのか、フェイトにはまだ分からないことだ。しかし、たとえ間違っていても、それによって自分は救われたのだ。

 

 

  けっして無駄にはならない

 

 

「どうあっても、君は僕達の言うことを聞き入れてくれないのか」

 

 ユーノは果たしてどう思っているのだろうかとフェイトは思った。

 ユーノの投げかけた言葉は、とても冷静で、そこから彼の感情をくみ取ることは出来ない。

 横目で見る彼の翡翠の双眸もまた、奥に熱い光を蓄えている様子ながらも、その表面に現れるものはただ星のない夜空を映し出した闇だった。

 

 ユーノは感情を隠すのが得意だ。しかし、短いとはいえ、それなりに側にいて見守ってきた彼が、今は悲しみの感情に支配されているということをフェイトは感じ取ることが出来た。

 

「プログラムである私には、主の意志に反する行動を選択する事は出来ない!」

 

 ユーノの悲しみは何を映し出しているのだろうかとフェイトは思う。

 自分はかつての自分を見つめる悲しさを、彼は何を思って悲しみを瞳に宿しているのか。

 

 それが理解できないのは寂しいとフェイトは思い、横目で眺めていた視線を元に戻し、再びまっすぐと闇の書に目を向ける。

 

 

 

  理解したいと思った

 

 

  ユーノの悲しみも、なのはの情熱も、アリシアの心の内も

 

 

  すべてを理解したいとフェイトは切に願った

 

 

 

 そして、自身の決意を宣言しながらも、再び双眸より涙を流し始めた闇の書の少女をその破滅の運命から開放する方法を、フェイトは知りたいと願った。

 

「フェイト!」

 

 感情が入り乱れ、フェイトは一瞬世界を見失った。

 隣から耳朶を突き刺すユーノの声にフェイトは何とか己を取り戻し、そして、その瞳が映し出したのは闇の書の少女から放たれた幾重もの闇の閃光だった。

 

「あっ!」

 

 致命的だとフェイトは感じた。

 それは、闇の書より放たれた飛翔する刃――ブラッディー・ダガーと呼ばれる攻撃魔法の一種だ。

 

《Auto Defencer Select》

 

 フェイトの危機感と周囲の状況を読み取り、フェイトの左腕を守るプレシードは瞬時に自動防御を選択し、金色の薄膜の盾を一瞬で主の眼前に展開する。

 

(ダメだ!)

 

 しかし、フェイトは瞬時に理解した。自分の防衛力では、あれを防ぎきることは出来ない。

 

 ユーノのラウンド・シールドであればいざ知らず、いくらプレシードによって強化された防御機構であっても、自分ではあれを正面から受けきることなど出来ない。

 

 接近する魔力の刃はその数を増やし、既にフェイトを波状攻撃する状況が整えられていた。

 もう、ここまで接近されては、回避することが出来ない。

 フェイトの素早い判断が、そう結論をたたき出し、プレシードは初期防御であるディフェンサーの内側から主防御であるラウンド・シールドを発現させようとしている。

 

 間に合わないことは自明だった。

 

(ごめん、はやて……お姉ちゃん……)

 

 フェイトは目を閉じて身体を硬くした。

 目蓋の裏に広がる闇は外界を閉ざし、二度と開くことはないかもしれないと彼女は思い至る。

 たとえ、それが、魔導を志して戦うことを決意したものが背負わなければならない事であっても、恐怖に膝がカタカタと震え出す。

 真実を知り、自分を失っていたあの時にはいっそのこと閉じた目が開かなければいいと思ったこともあった。

 

 しかし、今はそれが怖い。ようやく見つかったと思った未来(さき)が消えてしまうのがとても怖いとフェイトは思えるようになった。

 

 喜ばしくはある。自分はまだ死を恐れることが出来るのだと思えるのは嬉しいことなのだろう。

 

《ならば、抗(あらが)いなさい、娘よ》

 

 脳裏に響いた声が耳朶を叩く。

 はじかれるようにフェイトは目を見開き、そして、襲い来る魔刃をはっきりと目蓋に焼き付けた。

 

 そして、同時に眼前に広がる暖かな翠の光の障壁が自分自身を包み込もうとしていることも、フェイトは感ずることが出来た。

 

『ユーノ!』

 

 まさか、彼はあのタイミングで盾を呼び起こすことに成功したのだろうか。

 フェイトは素早く眼球を動かし肩口の向こう側へと視線を移す。

 視界の端に僅かに移るユーノの姿が映る。

 

『油断大敵。今のは危なかったよ』

 

 ユーノの声は少し厳しくフェイトに伝えられた。

 

 ブラッディーダガーが着弾し、ユーノが展開したラウンドシールドに火花のような魔力の剥離痕を周囲へとまき散らせる。

 

 彼のシールドはびくともしない。

 闇の書の少女の弾頭がノーウェイトで放たれたため、その構成に荒があったのかもしれないとフェイトは思い、もしもそれならば自分だけでも何とか対処できたかもしれないと思い至った。

 

『ごめん、ありがとう、ユーノ』

 

 フェイトは短くユーノへ詫びと礼を告げ、翠のシールドによってすべての赤黒い弾頭がはじかれるよりも前に武器を手に構えた。

 

《Sonic Sail Open. Sonic Move Stand by》

 

 バルディッシュの宣言と共に、フェイトのバリアジャケットが四散し、まるでインナースーツのような薄い装甲のバリアジャケットが出現した。

 

 防御力を犠牲にしたソニック・フォーム。

 そして、その防御力を補うためにアリシアが贈ったプレシード。

 フェイトでは解決できなかった防御力の問題が解決され、ソニックフォームは既に自滅を覚悟した最後の切り札では無くなっていた。

 

 ブラッディーダガーの最後の一撃がシールドへと着弾し、細かいひび割れをこしらえていたシールドはその一撃と運命を共にし四散した。

 

 翠と黒の魔力光が粒子となって四方に飛び散る。

 大気へと還っていく魔力は吸い込む空気を僅かに濃密にさせ、それにふくまれた魔力は肺を通じてリンカーコアに僅かに魔力を送り届ける。

 

 

  自分のものではない魔力が、内臓器官を通して自分の色となり胸の中に解けていく。

 

 

 その中には闇の書の少女の魔力と、自分自身、そして自分を守ってくれたユーノのものが含まれていると気がついたフェイトは、少しこそばゆいような感触を味わう。

 

『抜き打ちであの威力なんて、やっぱり闇の書は強いよ』

 

 攻撃態勢を整えたフェイトをサポートするため、ユーノは自ら前に歩を進め、フェイトを背中で庇うように、もう一度闇の書と向き合った。

 

 闇の書はもはや何も言葉を紡がない。

 噤まれた形の良い唇に切れ目の良い優美な美貌はその感情を閉ざして表に出さない。

 

 まるでそれは人形を目の前にしているようだ。

 そして、その姿さえもかつては母の人形であった自分自身に重なって見える。

 

 フェイトは何度も思い至る。

 

『私は、あの子を助けたいんだ……』

 

 心の内で念ずるはずだったその言葉は、フェイトの意図しない思念の声となりユーノの脳裏に届けられる。

 

 その言葉はあまりにも真摯すぎて、ユーノは僅かに表情を曇らせた。

 

『間違えないで、フェイト』

 

 自分の願いはユーノと同じだと確信するフェイトに、ユーノの乾きを持つ言葉が届く。

 

『……何を? 私、何か間違っていた?』

 

 ギリっと踏みしめた左足を軸にフェイトは前身を低く落としつつ、鈎状に展開した魔力刃を携えるバルディッシュもそれと同じように低く構える。

 ユーノの言葉にフェイトは僅かな動揺を覚えるが、それを表情にも体繰にも表さず、ただ一点に闇の書の少女へと視線を打ち付ける。

 

『間違っていないよ、フェイトは正しい。とても正しいよ。僕も、フェイトの考えには大賛成だ。たぶんなのはもそうだと思う』

 

 フェイトの姿を体で隠すように、ユーノは背筋を伸ばし、腕を垂らし、その姿から何処か余裕の念さえも示しながらただ、少女の眼下に立ちふさがる。

 

『だったら!』

 

 迷うことなど無いではないかとフェイトは思う。

 しかし、フェイトの目から見えるユーノの背中は彼女の言葉を肯定しているようにはとても見えない。

 

『目的を間違えちゃだめだよ、フェイト。僕達は、クロノから、リンディさんからなんて言われたか忘れたの?』

 

 ユーノの静かな声はフェイトの動揺を助長する。

 クロノが自分たちへ指示した事の内容は、単純であり明快だった。

 

”闇の書への停戦勧告と、それが受け入れられない場合は現状維持を最優先とする”

 

 闇の書の砲撃―― なのは最強の切り札をコピーした、スターライト・ブレイカー ――に晒されていたときに入念された通信では、リンディもまた二人に”闇の書の被害を拡大させないことを最優先”という命令を下していたのだった。

 

『もちろん、僕だって闇の書を助けたい。アリシアは、絶対に死なせたくないし、はやてちゃんも無事でいて欲しいんだ。だけどね、フェイト……』

 

『今、僕達の双肩には地球の人たちの命がかかってるんだよ』

 

『それは……』

 

『だから、優先することを間違えちゃダメだよ、フェイト』

 

『ユーノは……正しすぎるよ……そんな風に言われたら、反論なんて出来ないじゃない』

 

『ごめん、フェイト。だけど信じて、僕だって今すぐアリシアを助け出したいんだ。出来ることなら、はやてちゃんも、シグナムさんも、みんな。僕もフェイトと同じだよ』

 

『謝るのはこっちだよ、ユーノ。ごめんなさい。一緒に頑張ろう。きっと、何とかなるから。みんなで力を合わせれば、きっと』

 

『フェイトは……』

 

 ユーノはそう言って言葉を切った。

 フェイトは闇の書を睨み付けていた視線を僅かに彼の背中へスライドさせ、飲み込まれた言葉を待つ。

 

『私が……なに?』

 

 隠された言葉にユーノはどのような感情を乗せていたのか、フェイトは気になった。

 

『うん、とても強くなったね。僕よりもよっぽど』

 

 ユーノの声は、朗らかだった。何か胸の内に秘められた暗い感情を隠すような朗らかさに思える。そんな声だった。

 

『なのはのおかげ……かな』

 

 誰でも隠しておきたいことはある。自分もまた、この言葉を言いながら心の中ではまた別のことを思い浮かべているのだから、自分よりも複雑な事情を持ってここに立ってるユーノなら、おそらくは自分では類推しきれないほどの複雑さを内に秘めているのだろうとフェイトは思う。

 

 ユーノに対する複雑な感情が確かにフェイトにはある。

 

 例えば、いつもなのはの隣にいるユーノに対する嫉妬。

 例えば、アリシアと自分以上に家族の間柄でいられる事への嫉妬。

 

 それ故、本局とアースラに拘束されていた初期には、彼のことが嫌いだった事もあった。しかし、今は違うとフェイトは確信できる。

 

『……うん、そうだね』

 

 聡明なユーノなら、ひょっとすればこの感情を察しているかもしれない。

 月を仰いで夜の風を吸い込むユーノの背中がフェイトには少しだけ寂しそうに見えた。

 

『でもね、それはユーノのおかげでもあるんだよ』

 

 だから、蛇足かとも思える言葉をフェイトははっきりと彼に届けた。

 

『僕は……助けを請うことしかできなかったよ』

 

 普段は淑やかで明るく、なのはやアリシアに対しては若干意地悪な側面を持つ彼であっても、半年前の事件に関してはネガティブになる。

 

 あの事件は、自分のせいで引き起こったと彼はことごとく口にするのだ。

 何度も何度も周りの人間はそれを否定する。なのはにおいては涙を流して彼を怒鳴りつけるほどに否定しても、彼がその立ち位置を変えることはなかった。

 

 フェイトにはどうして彼が、そこまでして自分を責めるのか理解することが出来ない。あの事件は、母プレシアと自分こそが巻き起こした事件だという自覚があるために、ユーノの言葉の裏にあるものを知ることが出来ない。

 

 ただ、なのはがふと漏らしたことから類推すると、彼は事件の発端に親しい人……親代わりでもあった人と死に別れているというのだ。

 

 人の死は、それがいかに自業自得な事であっても心に重くのしかかる。フェイトに理解できることはただそれだけだった。

 

 理解できない、故にフェイトに残されたことは自分自身の考えを述べることのみ。

 それを言うのはとても恥ずかしいことだ。しかし、フェイトは何とか勇気を振り絞って想いを念に込めて彼の背中へとそっと投げかけた。

 

『ユーノはなのはと出会ってくれた。そして、私はなのはに助けられた。ユーノがなのはと出会ってくれなかったら、きっと私はここにはいない。だから、私は……なのはと同じぐらいユーノに感謝しているんだ』

 

 ユーノが後ろを向いてくれている事をフェイトはとてもありがたく思った。とてもではないが、今の自分の表情を彼に見せるわけには行かない。

 幼いながらも自分の言葉が、ともすればとても誤解を受けるものだと言うことをフェイトは理解している。

 

 赤面しそうになる表情をフェイトは必死になって押さえ込み、歯を食いしばった。

 

『意外だね、てっきりなのはよりも下だと思ってた』

 

『こういうときは心外って言えばいいのかな。私は二人を区別する事なんて出来ないよ。どっちが上かじゃなくて。二人とも大好きなんだ』

 

 フェイトはシリアスに固めた表情を僅かに緩め、声が漏れない程度の笑みを口からこぼした。

 

 マルチタスクの一つを使用して行われた会話は終息し、なし崩し的に睨み合いとなってしまった闇の書へと再びすべての意識を傾けた。

 

 闇の書は動かない。

 

 先ほど放たれた、フェイトでもギリギリの反応しかできなかった射撃魔法をかろうじて防がれたことから戦術の組み直しを行っているのかもしれないとユーノは考察する。

 

 それとも、こちらが密かに念話で会話をしていることを知っていて、あえて、見逃してくれているのかもしれないとユーノはこっそりと考えた。

 もしもそうであれば、この闇の書の少女もなんと奥ゆかしい騎士の気風を持っているのだなとユーノはふんわりと思う。

 

(だけど、どうしようか。闇の書は強い。正面からやり合っても競り負けするのは自明だし、小細工の通用するような相手じゃない)

 

 彼女はまだまだすべての出力を発揮していない。それでいて闇の書が放つ自然放出魔力は、それだけでユーノの通常戦闘出力の魔力を上回っているのだ。

 

 おそらく、彼女に内包する魔力の総量は、なのはを含めた自分たち全員の魔力量を遙かに凌駕しているだろう。

 

 ユーノは背後のフェイトに意識をおろした。

 

 まだまだ自分たちは十全だ。フェイトもまだ殆ど魔力を消費していないし、負傷も無い。

 

 しかし、どれほどコンディションが整っていようと、圧倒的に強大なものが相手であれば、結局何をしても無駄なのではないかとユーノの脳裏に不安がよぎる。

 

『難しく考えるのはやめようよ、ユーノ』

 

 打開できない現状に焦りを感じ始めたユーノに、フェイトはしっかりとした口調で念話を送った。

 

『何か、策があるの?』

 

『無いよ。だって、私たち程度が策を練ったって、きっと正面からつぶされると思う。お姉ちゃんなら、それでも上手くやれるだろうけど、たぶん私たちじゃ無理』

 

 フェイトの言葉に、ユーノは悔しながらも同意するしかなかった。

 フェイトもユーノも、基本的にこの二人で戦うことを目的に訓練をしてきたわけではない。それぞれのパートナーと位置づけられているアルフになのはは今はここにはいないのだ。

 

 実質的に共闘した経験は、フェイトにとっては半年ぶり、ユーノにとっては一月ほどぶりに地球を訪れた夜のみ。それも、殆ど個別に戦っていた程度で、その指示もアリシアがしていた。

 

 

  ユーノとフェイトはパートナーになり得ない

 

 

『だから、小細工が出来ないんだったら、真正面から。全力全開の一発勝負を仕掛けよう。私とユーノでこれ以上にないってぐらいの一撃をあの子に見せてあげようって思うんだ』

 

 正に最初に切り札を切る。それが通れば勝ちで、通らなければ結局自分たちには切り札など有り得なかったと言うことだとユーノは解釈した。

 

 あまりにもリスクが高すぎるとユーノは思った。

 管理局の作戦としては到底認められない作戦だろう。いや、作戦とも言えないほどの愚行だと、クロノやアリシアは口を揃えそうだ。

 しかし、ユーノの脳裏にふと、死んでしまった義父の不敵な笑みが思い浮かべられた。

 

『”正気の沙汰とは思えない。だけど、面白い。面白いと言うことは重要なことだ”ね』

 

 ユーノらしくない、何処か冷静で愉快さを持った言葉にフェイトは少し驚いた。

 絶対反対すると思っていた。もしも反対されても、自分は押し通すつもりだったが、フェイトは少なくともユーノはリスクの高いギャンブルを行う人間では無いと思っていたのだ。

 

『ユーノらしくないね、誰かの言葉?』

 

『うん。僕のお父さんだった人の言葉だよ。Cool & Pleasure(冷静にかつ楽しく)があの人の口癖だったんだ』

 

 お父さんだった人という言葉にフェイトは言葉を飲み込んだ。過去形で話すと言うことは、その人物が今どうなっているのか。孤児であるユーノ。両親の顔を知らず、今は一人だと、彼は以前漏らしていた。

 

『強い人だったんだね』

 

 フェイトは彼の言う父の予想と自分の姉の姿とを重ね合わせた。

 

 Cool & Pleasure

 

 常に冷静に楽しくあれ。

 

 なるほど、これは正にあの姉が言いそうな言葉ではないかとフェイトは少し肩の力を抜いた。

 

『僕は、あの人とは8年ぐらいしか一緒にいられなかったから、あの人が強いかどうかは分からなかったよ』

 

 父は自分のことを話さなかった。常に、自分の話を聞いて、冗談交じりに助言を与えてくれるだけだった。

 ユーノは終ぞ彼の本心が何処にあるのか、知ることは出来なかった。

 彼が生きてきた300年間、そして、彼が経験してきた幸運と絶望を思いやることも出来ない。

 

『だけど、まあ。いい人だった。それだけは言える……じゃあ、タイミングを計ろう』

 

 ユーノは話を打ち切り、左右に垂らしていた腕を持ち上げ、その両手の平に翡翠の小さな魔法陣を展開させた。

 

『分かった。合図はユーノが』

 

 フェイトはそう言ってバルディッシュのヘッド部分を回転させ、開いた斧刃の間から半月状の魔力刃を展開させる。

 

《Harken Form》

 

 バルディッシュのジョイント部分のスライドが稼働し、内部に備えられたシリンダーが回転し、カートリッジを二発激発された。

 

 ソニックフォームの薄い装甲と、ジャケットの各部に展開された小さな翼にフェイトは提供された魔力をすべて分け与える。

 

(あの子が反応出来ない速度で接近して……切る)

 

 フェイトはただそれだけを念じ、ユーノの合図を待った。

 

 カートリッジより送られる魔力は、レイジングハートの魔導炉には及ぶはずもないが、それでもフェイトのリンカーコアに小さくない負担をかけるほど莫大なものだ。

 

 その魔力を一瞬で爆発させるのではなく、ため込み制御する。

 いくら、彼女が魔法に対して多大な才を持っていると言っても、それが彼女に取って大きな負担になるのは間違いない。

 

 闇の書はその二つの驚異に対する優先順位付けを一瞬迷う。

 

 自身の目的を果たすには結界の基点となっているユーノを優先するべきである。しかし、その背後で魔力を高めさせるフェイトを無視することは出来いない。

 闇の書にとって、フェイトもまた間違いなく驚異となっていた。

 

 その迷いをユーノは見逃さなかった。

 

「フェイト!」

 

 ユーノはそう短く言葉を投げかけ、掲げていた手のひらの魔法陣を一気に加速させる。

 

 ユーノの魔法に対する特性から、彼の選択肢は広くはない。

 かつて蒐集した彼のリンカーコアから与えられた彼の魔法のバリエーションを闇の書は思い浮かべた。

 彼には戦闘レベルの攻撃魔法は使用することが出来ず、出来ることと言えば少しは得意と謙遜する結界を初めとした束縛、防御などの支援魔法。

 

 防御は相手の攻撃がなければ展開したところで意味はない。

 

 闇の書はそれを瞬時に判断した。

 

「チェーン・バインド」

 

 ユーノの両掌から放たれる三対、計六条の翠の鎖。

 まるでそれは夜空を流れる星空のように天を駆け抜け、轟々とした勢いを持って闇の書へと殺到する。

 

 それだけでは終わらず、掌から放たれたものとは少し遅れ、彼が足下にも展開した魔法陣の円周部よりさらに5本の鎖が姿を見せ始めている。

 

 それは、まるで鎖によって作られた樹海。その一つ一つは闇の書にとっては避ける必要もないものにすぎないが、それでもひとたび拘束を受ければ解除するには一秒近くの時間がかかるものだ。

 しかし、今彼女へと向かうバインドは11本。同時に拘束されてしまえば、それから抜け出すのにおよそ10秒の時間がかかってしまう。

 

 闇の書には回避する以外の選択肢は存在しないだろうとフェイトは判断した。

 

 閉所における近接戦闘はフェイトが最も得意とする戦法の一つだ。

 仮にここにいるのがフェイトではなくなのはだったとしたら、ユーノはバインドを周囲に張り巡らせるのではなく、極力なのはが自由になれるように積極的に闇の書と絡み合っただろう。

 ユーノはフェイトのためにあえて限定的な空間を作り出した。

 

(ありがとう、ユーノ)

 

 後衛が自分にとって戦いやすい状況を提供してくれた。ならば、自分はその期待に応えるだけだとフェイトは身を引き締めた。

 

「行くよ、バルディッシュ、プレシード!」

 

《Yes sir. Sonic Move》

《Yes Sister. Active Defensive Mode Select》

 

 力強いフェイトの声に応え、彼女が担う二機のデバイスはそれぞれに与えられた役割を忠実にこなす。

 

 既に激発されいるカートリッジ二本分の魔力が畜魔器(キャパシター)より開放され、その魔力の大部分はフェイトに莫大な加速力を与える力となる。

 

「はっ!」

 

 フェイトの短い息づかいと共に彼女は一気にその速力を開放させ、体に密着した黒いボディスーツを身に纏う小躯が夜の空中へと投げ出された。

 

 プレシードが展開した薄い風防壁の表面をかき分けられた空気がこすりつけられる。

 表面より剥離した流体が後方へと抜けていき、それらはカルマン渦となってフェイトの体を左右に僅かに揺さぶりをかけるようだった。

 

(最短距離で!)

 

 闇の書をにわかに覆い尽くそうとする鎖の群れは、まるで渦を巻く強風にあおられる樹木の枝のようだとフェイトは捉えた。

 下手に突入すれば、その鎖が自分の進路を妨害する可能性もある。

 

(大丈夫、ユーノなら絶対に大丈夫)

 

 フェイトはただユーノを信じ、その速度をゆるめることなく闇の書へと進路を向ける。

 

《進言:デコイ発射》

 

 プレシードのTISS――戦術情報支援システムがはじき出した最適戦術がフェイトの視界に文字として投影された。

 なのはのレイジングハートが持つ視界投影式モニター(EPM:Eyes Projecting Monitor)は音声支援よりも素早く確実にフェイトに情報を供給する。

 

 フェイトは何も言わず高速の中でフォトンランサーの詠唱に入る。

 全力で加速魔法=ソニックムーヴを行使するバルディッシュの僅かに残されたリソースの余剰では発現できる発射体は僅かに2発。

 フェイトはその2発のフォトンランサーをプレシードのリソースさえも利用して高速詠唱を行った。

 

「フォトンランサー。ファイア!」

 

 フェイトの左掌から二発のフォトンランサーが放たれた。それは、フェイトの魔力の色に染まり黄金の飛翔痕を漂わせながら一直線に飛翔していく。

 

「……反応が三つ……」

 

 翠の鎖の間から風に紛れて声が漏れ聞こえた。

 闇の書の少女はフェイトを視認できていない。そして、フェイトが放ったフォトンランサーの反応を誤認ている様子をフェイトは知ることが出来た。

 

 こちらの油断を誘う罠かもしれない。フェイトは一瞬だけそう思うが、元々より真っ向から勝負することを決めている。

 罠があろうと無かろうと関係ない。

 

「貫いて、ブラッディーダガー」

 

 鎖が遮る彼女の表情をフェイトは伺い知ることは出来ない。その声はとても平坦で、何の感情も込められていない、まるで機械のようなものに感じられた。

 

(そんなの、悲しすぎる)

 

 闇の書によって鎖の樹海は徐々にその密度を減らしていくが、壊される鎖の数よりも多くユーノは新たに鎖を生み出し、蔓となって闇の書を飲み込もうとしている。

 

 フェイトは闇の書へと突入していき、ついに闇の書を射程に捕らえた。

 

「これで――」

 

 フェイトはバルディッシュを振りかぶり、バリアを展開する暇もなかった闇の書へとそれを全力で振り下ろそうとする。

 

《Harken Slash》

 

 バルディッシュの声が響き、フェイトの三日月状の魔力刃はにわかに輝きを増す。

 

「――ストップだ!!」

 

 振り下ろされたバルディッシュ。

 しかし、そんなフェイトに向かって闇の書はしっかりと視線を向け、口を開いた。

 

「そうか、ようやく理解した。お前は、私の中に眠る少女と同じなのだな」

 

 その呟きは極度の緊張状態にあるフェイトにはただの大気の揺らめきとしか捕らえられず、それよりも自分自身の全開全速がこうもあっさりと悟られてしまったことに焦りを感じる。

 

(すごい反応速度)

 

 それでもフェイトはそのまま速度をゆるめることなく、まだ防御障壁を展開していない闇の書に対してハーケンを振り下ろした。

 

「ならば、お前も私の中で眠れ。幸せな夢に溺れれば、すべての苦しみから解き放たれる」

 

 轟々という幻音を奏でるほどの速度で襲いかかるハーケンの輝く刃。闇の書は慌てる素振りもなく、赤黒い帯に包まれた腕を掲げた。

 

 守りに入られては突破できないかもしれない。フェイトはそれを考えるなとただひたすら胸中に念じて、一点の陰りもない、今の自分には最高の一撃を叩き込む。ただそれだけを感情の中に残した。

 

 まるで鉄と鉄がぶつかり合い、擦れ合わされて火花が飛び散るような音が耳朶を叩いた。

 

(硬い!)

 

 闇の書の障壁はユーノの盾のしなやかさに比べれば全くの硬質だった。

 

 フェイトは歯を食いしばり、視線を研ぎ澄ませて闇の書を見つめる。そして、闇の書の少女が掲げるものが盾ではないことにようやく気がついた。

 

「なんだか変だ。離脱して! フェイト!」

 

 ユーノの声が遠くから響く。彼が立つところはそれほど遠くは無いはずだったのに、彼の声がやけに遠いとフェイトは感じた。

 

「なに?」

 

 何かに引き寄せられる感覚にフェイトは声を漏らした。

 何もかもが遠くなっていく。ユーノの声も、夜のとばりも、僅かに浮かぶ街頭の光さえも遠くなる。

 頭上に輝く月の光も歪んで見える。

 それはまるで、闇の書の少女が掲げた掌に収まる一冊の開かれた書物の中に吸い込まれていくような、そんな不気味な感触だった。

 

「……お前も安息の闇に沈むと良い……」

 

 離脱を選択しようにも、既に身体に自由はなかった。

 まるで蛇に睨まれた蛙のように、すべての身体感覚が自分自身の制御を離れていくようで、フェイトは歯をガタガタと震わせた。

 

「いや……消えたくない……」

 

 身体から光の粒子が立ち上り、戻らない身体の感覚が徐々に消失していく。

 

「助けて」

 

 とフェイトは呟いた。

 フェイトの視界の端にたたずむ少年の姿が遠く見える。

 

「行かないで」

 

 とユーノは確かにその声を聞いた。

 

「助けて……助けて、ユーノ!」

 

 延ばされた手はゆっくりとまっすぐ伸ばされ、ユーノはその手に手をさしのべようとする。

 

 

  その手は虚空を掴んだ

 

 

 


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