魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~   作:柳沢紀雪

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第四話 水泡の目覚め

 感覚が徐々に研ぎ澄まされていく。ここは何処だと始めに思った。

 まるで白昼夢のように再生される記憶と記録。そして、その最後に彩られた凄惨な風景をまるで他人事のように俯瞰し、そして緩慢な目覚めを感じた。

 

「聞いていて? 貴方の事よ、フェイト」

 

 どこか思い詰めた、狂気じみた女の声が耳朶に響き渡る。それが多少くぐもって聞こえるのは、耳に何かが侵入しているからなのだろうか、とベルディナは感じた。

 まぶたを開くことは出来ない。あれから自分はどうなってしまったのか。確かにあのとき彼は感じた、自らの身体がはじけ飛び臓物が紫電の渦に引き込まれ、沸騰する血流と共に分子へと分解される事を。

 

(絶対に助からない、死んだはずだ。例え、ベルカの技法であっても完膚無きまでに破壊された身体を修復することは出来ない)

 

 そして、徐々に開いていくまぶたが次第に眼前で繰り広げられている情景を映し出した。

 

「せっかくアリシアの記憶をあげたのに、そっくりなのは見た目だけ。役立たずでちっともつかえない、私のお人形」

 

 その女はベルディナが、眠るカプセルをなでつけ、まるで愛おしい娘を抱くかのようにゆっくりと硝子をなでつける。

 

「だけど、ダメね。所詮作り物は作り物。失ったものの代わりにはならない」

 

 身体に神経が通り始めた。手の先、足の先、髪の一房までにも感覚が蘇っていく。

 

「いいことを教えてあげるわ、フェイト。貴方を作り出してからずっと、私は貴方のことが……」

 

 そして、ベルディナは感じ取った。魔術神経は正常に機能する。ならば、このような牢獄からすぐにでも脱出しよう。

 

「大嫌いだったのよ!!」

 

 まるで、その言葉が合図だったかのように、ベルディナの放った魔力は純粋な力のベクトルとなり目の前を覆い尽くしていた硝子を内部より打ち砕いた。

 

「アリシア!!」

 

 身体に力が入らない。ベルディナはそのまま地面へと落下していったが、寸前のところで目の前の女性に抱き留められた。

 

(血の臭い、そして、死の匂い。薬の匂い。間違いない、これは……こいつは……)

 

「ああ、アリシア。アリシア、大丈夫? すぐに、すぐに助けてあげるからね」

 

 僅か先に開かれているのは、通信用のモニターなのだろうか。

 像を上手く結べない視界の向こうには印象的な黄金の長い髪を持った少女が、まるで生きる人形のような佇まいでただこちらを見ている。

 そして、その周囲にあるのはおそらくは驚愕。

 ベルディナは身体を揺する振動に、薄いうめき声を上げた。

 

「アリシア!? まさか? まだ、ジュエルシードを使っていないのに!!」

 

 ジュエルシード、ベルディナはその言葉に反応し、その女性を見上げた。

 

「分かる? 分かるの!? 母さんよ、さあ私をかあさまって呼んで、アリシア」

 

 その女性を見上げた瞬間、ベルディナの脳裏には自分のものではない何者かの記憶が情報のように流れ込み、そしてすぐに定着した。

 プレシア・テスタロッサ。

 自分の母親。

 しかし、ベルディナは彼女の身体から漂う血と死の異臭に眉をひそめ、そして強引に腕を打ち振るった。

 

「俺に触れるな、外道!!」

 

 擦れがちな幼い高音が耳朶を揺さぶり、まるで自分の腕ではないような細く短い腕がその女、プレシアの腕を払いのけ、ベルディナは彼女の転倒と共に床に身を横たえた。

 

「な、何をするの、アリシア。私が、私が分からないの?」

 

 プレシアは必死に起き上がり、ベルディナの側に歩み寄ろうとする。視線の端に移るその動きはまるで病を患っているものが命を削ってまで身体を動かしている様子に見える。

 薬の匂いと死の匂いはこれだったのかとベルディナは納得するが、彼女の身体に染みついた血の臭いは明らかに他者の生き血をすすって来た証拠だった。

 

「俺に近寄るな!!」

 

 言葉がまるで破城槌の用に猛威を振るい、プレシアはそのままよろよろと後ずさり、そして壁に背を預けるように崩れ去った。

 

「アリシア、アリシア。お願い、私を……」

 

 まるで追い縋るように両手を広げ、懇願するプレシアを捨て置き、ベルディナは神経に魔力を流し込んだ。

 身体はまったく役に立たない。筋力が低下しているというより、既に身体というものが崩壊しかかっている。ならば、せめて身体に魔力を流し込み、身体を強化しなくてはならない。

 ズキッとした痛覚(ノイズ)を必死になって無視し、ベルディナはようやく立ち上がり、自分が何も着ていない事に気がついた。

 

 違和感がある。

 

 自分はどうしてここまで縮んでしまったのか、自分はどうして幼き少女姿をしているのか。

 ベルディナは、割れた硝子の破片に移り込む自分自身の容貌を垣間見た。

 

(これが、俺か。これが俺なのか!!)

 

 ルビーのような深い紅眼、千の黄金を思わせる金色の髪は背中を覆い隠し下手をすれば足にも届く程だ。そして、何よりも成熟とはほど遠い、あまりにも幼くあどけない表情はまさしく驚愕に染め上げられている。

 これが、ベルディナの意識を持つ器。これがアリシア。

 

(とにかく、ここから脱出しないと)

 

 腕を動かす度に激痛が走る。身体を支え、体重を載せる度にちぎれそうになる脚を何とか奮い立たせ、ベルディナはボロボロになったカーテンを引きちぎり身体に巻き付け、儚い声で制止を呼びかける母にも身向きせず、いまだに回線が開かれているそのモニターに向かって声を張り上げた。

 

「時空管理局と推察するが、間違いは?」

 

 モニター越しに見えるのは、時空航行艦の艦橋なのだろうか。クルーを示す制服の中には、非正規の服装をした人間もちらほら見える。そして、ベルディナは倒れ込んだ金の髪の少女を支える白い服装の少女の側に立つ少年を見て、一瞬安堵の笑みを浮かべた。

 

「ユーノ。生きていて何よりだ……」

 

 そのつぶやきはかき消されたのか、ユーノは聞き直そうと口を開けかけたところに、穏やかな女性の声が先に耳に届いた。

 

「こちらは時空管理局次元航行部隊所属、L級次元航行艦アースラ艦長、リンディ・ハラオウンです」

 

 別窓のモニターが現れ、そこにはキリッとした表情の中にもどこか母性を感じさせる女性が現れた。

 

「保護を要請したい。受け入れれは可能か?」

 

 ベルディナは正直なところ立っていることさえも苦痛な状態だった。しかし、ともすれば交渉に発展しかねないこの状況で弱みを見せるわけにはいかない。

 身体に巻き付けられた布地の中でじっとりと浮かび上がってくる脂汗を必死に隠しながら、リンディと名乗った女性に鋭い視線を向けていた。

 

「要請を承認。すぐに転送を開始します。そこから動かないでください」

 

 モニターは消滅し、艦橋を移していた大きなモニターもすぐにシャットダウンされた。

 そして、ベルディナの足下からしだいに漏れ出す光が円陣となって周囲を照らし始め、光が粒子の束となって身体を覆い始めた。

 

「まって、アリシア。行ってはだめ」

 

 それでもなお追い縋ろうとするのか。プレシアは最後の気力を振り絞るかのようにベルディナの下へと歩み寄ろうとする。

 

「また会おう、母さま」

 

 ベルディナはそういい残し、光に包まれた。

 

****

 

 アースラの艦内はまるでクーデターのような動乱の渦中にあった。

 

「すぐに回収作業を。武装隊を転送ポートに配備、直ちに客人を保護して」

 

 リンディはひっきりなしに舞い込む戦場の情報をマルチ思考を駆使して処理しつつ、これから訪れる稀人の受け入れ準備を進めていた。

 

「艦長! 客人の相手は僕が」

 

 小柄で黒い髪の少年がそう言って艦橋を出ようとする。

 

「クロノ。ええ、そうねお願い。丁重に、すぐに医務室へ」

 

「了解」

 

 クロノと呼ばれた少年は、駆け足で艦橋を後にした。

 

「フェイトちゃん」

 

 その側、糸が切れた人形のように倒れ込む少女、フェイトを背中から支えながら声を掛ける白い少女は、その動乱の最中にいても動け無くいた。

 

「なのは。医務室に運ぼう。ここは邪魔になる」

 

 ユーノは白い少女、なのはに対してそういうと、フェイトの腕を肩に回し運びだそうとした。

 

「ねえ、ユーノ君」

 

 なのははその反対側の腕を支えながら、細い声でユーノに声を掛けた。

 

「あの子。アリシアちゃんって言ってた子。どうして動けるのかな?」

 

「それは、分からない。ジュエルシードの影響だと考えるしか」

 

「だけど怒ってた、それに」

 

 なのはは視線をユーノに向け、彼の目と合わせた。

 

「あの子、ユーノ君の名前を呼んでた」

 

「そうか、空耳じゃなかったんだね」

 

「どうしてだか、分かる?」

 

「分からないよ、アリシアはずいぶん前に死んだはずだから、僕とは面識がないはずだし……」

 

「他人のそら似かな?」

 

「だとおもう。けど、アリシアは僕を見て、生きていて何よりだって言った」

 

「つまり、ユーノ君が事故に遭ったことも知ってるって事?」

 

「たぶん、だとしたら、彼のことも知ってるかもしれない」

 

「ベルディナさん、だよね」

 

「うん。確かめてみよう」

 

************

 

「時空管理局、クロノ・ハラオウン執務官だ、保護といっておいて悪いが君を一時拘束させて貰う」

 

 ベルディナがアースラの転送室に姿を現してすぐ、クロノは彼女に対してそう告げた。

 

(まあ、妥当か)

 

 とベルディナは溜息をつくと、大人しく両手を差し出し、

 

「あまり乱暴にはしないでくれよ。これでも経験は薄いんでね」

 

 はっきり言ってジョークを言っていられる精神状態でも無ければ身体の状態でもなかった。しかし、こういった態度は交渉を有利に進める材料となる事は彼の経験から明らかだった。

 案の定、クロノと名乗った若い執務官は眉をひそめると、ベルディナに腕を下ろすように告げ、武装隊の一人、それも年若い女性の武装隊員にベルディナの運搬を命じた。

 

「ちょっと大人しくしててね」

 

 どうやら、彼らはベルディナを捕縛するつもりはないようだ。ならば、わざわざ拘束などという言葉を使わなければ良かったのではないかとベルディナは心の中で毒づく。

 

「医務室に運ぶ前に一つだけ確認しておきたいことがある。君は、アリシア・テスタロッサなのか?」

 

 ベルディナは少しだけ考え込み、そしてはっきりとした口調で答えた。

 

「たぶん、その通りなんだろう。目が覚めたばかりで整理がつかないがね。アリシアと呼んでくれてもかまわない」

 

 抱え上げられた分身体を強化する必要が無くなり、ベルディナ、いやアリシアはは若干余裕を持って態度でクロノを見つめた。

 

「了解だ、アリシア・テスタロッサ。時間を取らせた、すぐに医務室に案内する」

 

「感謝する、クロノ執務官」

 

 アリシアは自分が少しばかりハイになっている事を自覚していた。おそらく、あまりもの状況に脳が無意識のうちに脳内麻薬を分泌し、様々な苦痛を感じないようにしているのだろう。

 実際の所、最悪な状況だったが動けるだけましと考え、アリシアはとにかく意識だけを保てるよう腕を握りしめた。

 

「アリシアちゃん、ごめんね。子供用のお洋服がないから、暫くその格好で我慢してね」

 

 アリシアを抱える女性隊員はまことに申し訳なさそうにそういうが、アリシアは一言、気にしないでくれと告げ医務室の前にたたずむ二人の少年少女を確認した。

 

「クロノ君! えっと、その子」

 

 なのはは心配そうな表情でアリシアを覗き込む、

 

「問題ない、衰弱しているだけだ」

 

 クロノの答えになのははホッとするが、その隣に立つユーノはそれだけでは安堵できなかったのか、視線はアリシアに向けつつクロノに問いかけた。

 

「この子は、本当にアリシアなのか?」

 

「信じられないことだが、状況と本人の確認からアリシア・テスタロッサと仮定した。後々調査は行っていくが、間違いはないはずだ」

 

 クロノはそのまま問答を切り、アリシアを医務室に誘いベッドに、抜け殻のように眠るフェイトの隣のベッドに静かに横たえた。

 

「すまないがここにおける人員は居ない。出来るかぎり大人しくしていてくれ。では」

 

 臨戦状態にある艦の執務官と武装員は極めて多忙だ。クロノを筆頭に武装員全員、アリシア達に軽い挨拶を交わしすぐさま廊下を駆け抜けていく。

 

「あんた、本当にアリシアなのかい?」

 

 フェイトの側でたたずんでいた紅髪の少女が、アリシアをにらみつけながら問いかける。

 

「どうやら、そうらしいね。実感はわかないが」

 

「あんたが、あんたが居たから……。プレシアがあんたを蘇らそうとしなけりゃ、フェイトもこんなにはならなかったのに!!」

 

 アリシアは改めて隣に横たわる少女、フェイトを見つめた。

 先程の一瞬、僅かな時に刻み込まれた自分自身の容貌とその少女の容貌はまさしく姉妹と言っても何の疑問も浮かばないほど似通っていた。

 

「その仮定に意味はないな。確かに原因は俺かも知れないが、その過程はプレシアのもので、そして結果はそこの君だ。責任とれってもどうやって責任を取ったものか。取る必要もないと思うが、困ったもんだ」

 

 アリシアのまるで他人事のような口調に、アルフは更に激昂し、今にも飛びかからんとする勢いで彼女のベッドを叩いた。

 

「フェイトは、フェイトはただプレシアに喜んで欲しかっただけなんだ。それなのにあの鬼婆は、それは全部踏みにじった。フェイトの思いをたたき壊したんだ! その原因になったんなら、せめて責任取れ! プレシアを何とかしてこい!!」

 

 アリシアは、呆れ混じりにただ一つ溜息をつき、再び全身に魔力を通した。

 

「言われなくても、そのつもりだよ」

 

 苦痛の表情を浮かべながら立ち上がるアリシアに、アルフは茫然と立ちつくした。そして、アリシアは着崩れたカーテンの切れ端をもう一と身体に巻き付けると、横たわるフェイトに目を向けた。

 

「君の事情は私には分からないし、分かろうとも思わないよ。状況も今知ったばかりで、正直あやふやなところも多い。だがね、フェイトとやら。君は、いつまで人形をやってるつもりだ? 今でもあれが母だと思ってるんなら、自分でケリをつけな。私は先に行く」

 

 何も持たない自分に何かが出来るとは思えない。しかし、アリシアはそれでもこの事件の当事者として、自分を娘と呼ぶプレシアと何らかの決着をつけなければならないと感じていた。

 

「私は……人形?」

 

 儚い、儚い声だった。しかし、その声は静かな病室に響き渡り、アルフはようやく声を発した自らの主人の手をつかみ取った。

 

「フェイト、フェイトは人形なんかじゃないよ。フェイトはフェイトさ、あたしの大切なご主人様だよ」

 

「アルフ……」

 

「ふん、そんななりでは確かに人形と言えないな、肉塊。今の君はモノだ、自ら価値を否定し、ただそこに居座るだけの塊に過ぎない。せいぜい、あがいて人形程度にはなれるよう精進するといい」

 

 アリシアはアルフの殺気の込められた視線の槍を軽く受け流すと病室を後にした。

 

「では、後ほど」

 

 まるでパーティーに行くほどの気軽さで後ろ手に手を振るアリシアの背中を最後に、その姿は閉じたスライドドアの向こう側へと消えていった。

 

(存在理由を傷つけられた病人に言う言葉じゃないか。だけど、どうにも感情のコントロールが出来ないねまったく。後で土下座でもしよう)

 

 ベルディナはその飄々とした口調を蓑として常に平静に冷静に物事を観察する術を身に付けていた、これはアリシアとなった事の反動なのか、しかし、確実に言える事は今のアリシアはハラワタどころか五臓六腑肉の隅々から神経の端々、そして脳天の全てにたるまで沸騰しそうなほど怒っていた。

 そう、彼女は気に入らなかった。今の状況の全てが、これなら死んでおいた方がましだと言わんばかりに気に入らなかった。そして、プレシアの狂気に対して殺意すら抱いていた。

 

(あの阿婆擦れだけは我慢ならんな。こんな糞巫山戯た状況を作り出した報いは絶対に受けて貰う。アークの魔術士の名にかけて)

 

 そして、彼女は戦場へと向かっていった。その鬼気たる眼から発せられる暴風に立ちふさがる人間は誰もいなかった。

 

 そして、アースラと呼ばれた巡洋艦から姿を消す直後、アリシアはふと思った。

 

(いつの間にか一人称が俺から私に変わっている。これは、精神は身体に依存するっていう説も馬鹿にできないか)

 

 ベルディナは戦場に向かうにもかかわらず、その口元には冷徹で邪悪な笑みを浮かび上がっていた。

 

 


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