魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~   作:柳沢紀雪

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第五話 Will

 

 

 祭りの後はどこか寂しい気分におそわれるものだ。そのよく言われることを、八神はやては経験したことがない。

 創作の世界で決まり文句のように表現されるフレーズにはやてはそれまでそれがどのような感覚なのかを理解することが出来ないでいた。

 

 祭りには行ったことがない。人の多い場所も、一人で行けないような場所もほとんどなじみがない。

 

 しかし、友人達が去り、家族もその出迎えのために病室を後にした時、この世界にいるのが自分だけだと感じたときに襲いかかった寂寞の念が、今まさに思い浮かべた祭りの後の静けさなのかと思い至ることが出来た。

 

「私は、何にも知らへんかったんやなぁ」

 

 本で読んだだけで理解した気になっていた。それは、半年前に家族が出来てからずいぶん思い当たったことだったはずだ。

 文字で知ったことよりも実際に経験したことの方が強い印象を得ることが出来る。

 

「百聞は一見にしかず……か……変なの」

 

 はやてはそうつぶやき、何気なしに窓の外、夜の闇に沈みつつある黄昏の街を見下ろした。

 光が山の端の向こう側へと姿を隠し、空にはようやく出番を得た月が冷たく凍えるような冬空で輝きを増しているようだ。

 

 終わりが近いとはやては根拠もなく思った。

 

 時折感じるゾワッとした感触は、普段感じる胸の痛みとは異なる。痛みを伴わない、悪寒のような感触。それが身体の表面だけではなく、体中を起点にして脈動する。

 

 何かが自分の中で生まれようとしている。それもおぞましい何かが、自分の中で蠢いていて、今にも自分自身を中から食らいつくして奪っていく。

 

 せめてもう少し、せめてもう少しと必死に胸を押さえて耐えても、身体の震えは止まらない。

 

 自分ではない者の悲しみが身体の中に染み渡っていくような感触だ。まるで、何百、何千もの怨嗟が波を持って襲いかかり、自身を飲み込んでいくような感触。

 

「嫌やなぁ。こんなの慣れっこやったのに。何で、こんなに辛いんやろ」

 

 誰もいないのは寂しくて辛い。どこまで行ってもぬくもりを求めてしまう。

 今でも、病室を後にしてしまった家族が戻ってくるのを心待ちにしている自分がいて、どうしてそんなことを感じるのか不思議でたまらない。

 

「きっとこれは、神様がくれた最後の贈り物やったんや。せめて最後くらいは願いを叶えてくれた、意地悪な神様の贈り物で……それだけで満足せなあかんのに……」

 

(それでも先を求めてしまう)

 

 短い人生も最後は暖かな色彩に彩られて、自分は満足してこの世を去ることが出来る。

 闇の書がそれを与えてくれたのなら、はやては闇の書こそ、神が与えてくれたご褒美だと考えられる。

 

 そうでも思わないと辛くて、生きることも死ぬことも出来ない。

 

 物思いにふけるはやては、ふと病室の扉が優しくたたかれる音に気がついた。

 

(ヴィータかな?)

 

 コンコンという音は、扉の思いの外下方から響いてきているようで、この病室を訪ねるその程度の背丈の人物をはやては彼女ぐらいしか知らない。

 

(や、もう一人おったな)

 

 はやては少しだけ口元に笑みを浮かべた。

 もしそうなら、彼女は自分が寂しがっていることを知って訪ねてきてくれたのか。そうであれば嬉しいとはやては思い、いつまでも鳴りやまないノック音に「どーぞ」と努めて明るい声で答えた。

 

「失礼します。もう寝ちゃったかと思ったよ」

 

 一生懸命背伸びをして頭上のドアノブに手を伸ばしながら、その人物、アリシア・テスタロッサはただ一人、はやての病室に足を踏み入れた。

 

「やっぱり、アリシアちゃんやったか。どうしたん? 何か忘れ物?」

 

 アリシアのその仕草がどうしようもなく微笑ましく思い、はやてはクスクス笑いながらアリシアを側に招き寄せた。

 

「忘れものというか、言い忘れたことがあったからかな……座ってもいい?」

 

 アリシアはそういってベッドの側に置かれたいすを指さしてはやてに聞いた。

 

「どうぞ、歓迎するでアリシアちゃん」

 

 はやての許しも得て、アリシアは少し背丈の高い椅子によじ登り腰を下ろした。

 

 地面に足が付かないとついついそれをぶらぶら揺らしてしまいたくなるのは人間の自然な感情だ、と何となく最近そういった仕草まで幼くなってしまいがちな自分に彼女は苦笑を浮かべた。

 

「それで、言い忘れてたことって、何?」

 

 はやては早速話を切り出した。彼女が一人でわざわざ訪ねてきて話したいこととは何か。はやてには少し想像の付かないことだった。

 ひょっとすれば、ヴィータとお話しがしたかったのではないかとも思うが、彼女の雰囲気からそれもなさそうだと思う。

 

 アリシアは「そうだね……」とつぶやきながら、椅子に座り少し高くなった視線を、窓の外に映し出された夜の街並みへと向ける。

 

 ぼんやりとした視線は何かを映し出している様子はなく、はやてはその風景の向こうに彼女が何を見ているのか気になって、自分も窓の外へと目を向けた。

 

「暗いなぁ」

 

 夜の闇に沈むもうとする人々の街。

 

「だけど、明るいよ」

 

 ぼんやりとした薄明は、まるで世界そのものが霧り渡っているように感じられ、何となく感情までもがぼんやりと薄くなっていくようだった。

 

 はやては振り向いてアリシアを見るが、黄昏/誰彼の気配の中では、彼女の表情もまたぼんやりとしてうかがい知ることが出来ない。

 

「私は、まだ迷っている。果たして、これは君に言うべきことなのか。そうでないのか。知らないことはある意味幸せなんだろうけど、何も知らないままただ終わりを迎えるのはあまりにも無慈悲だと思う」

 

 アリシアの言うことは、はやてには理解が出来ない。

 自分には知らないことが多すぎる。それはすでに確認したことだった。

 

「私に分かるように言ってくれへんかな」

 

 はやては不安を感じた。全く具体性のない言葉。誰に何を伝えるのか。それさえも伝わってこない、言葉にはやては何か背筋を摘まれるような感触を覚えた。

 

「そうだね、ごめん……ちょっと焦ってた」

 

 残された時間は僅かだ。ことはすでに後戻りできないところまで迫っており、おそらく今回のことで闇の書は完成を見るだろう。

 屋上での戦いは未だ膠着が続いているようだが、ひとたび戦闘が始まれば、フェイト達が勝てる確率はそれほど高くないとアリシアは見込んでいる。

 

 なのははまだ収集されていない。闇の書の残りのページがどれほどになるのかはアリシアには分からないが、相当に少ないだろうと言うことは予想できる。

 もしも、次元世界においても稀とされる彼女の魔力が闇の書の糧となれば、一つの終わりが訪れることとなる。

 

 これは最後のチャンスなのだ。ようやく至ることの出来た闇の書の主、本件の柱となる少女が目の前にいる。

 

 アリシアは柄にもなく緊張する表情を何とか笑顔でゆるめ、表情にクエッションマークを浮かべるはやてを真正面からしっかりと見つめ直した。

 

「話したいことは、他でもない、君のことなんだ。そして、闇の書。君の家族のこと。どうして君がベッドから起き上がれなくなってしまったのか。君の家族が何をしているのか。闇の書がどういうものなのか。全部伝えたいと思う」

 

「闇の書のことはシグナム達から聞いてる。むっちゃ古いもので、完成したらすごい力をくれるんやろ? それが、私の身体と何か関係があるん?」

 

(やっぱり、はやては何も知らなかったんだね。当たり前か……騎士達も知らないことをはやてが知ることが出来るわけないよね)

 

 それは、この病室を訪れたとき、すでに分かっていたことだった。シグナム達闇の書の騎士は、主であるはやてに何も伝えていない。

 

 だから、はやては何も警戒することなく自分たちを病室へと招き入れた。

 知らせないことが騎士達の優しさなら、それを知らせようとする自分はおそらく悪に違いないとアリシアは自覚する。

 

「遠回しに言う時間がないから、単刀直入に言うよ。闇の書は、すでに壊れてしまっているんだ。例え、闇の書が完成しても君の身体は元には戻らず、それどころか、君もろとも世界が破壊されてしまう。闇の書は危険なものなんだよ」

 

 アリシアの言葉にはやては一瞬反応が出来なかった。世界が破壊されるなど、一言で言われても把握できない。それどころか、闇の書は寂しがる自分を何度も慰めてくれた、家族の一人だ。

 それが危険なものだと言われても、理解が出来ない。納得など出来るはずもない。

 

「へ、変なこと言ってからかうのはあかんよ」

 

 しかし、はやてはこうも聞いていた。

 

『遙か古代に栄えた文明の遺産。ロストロギアには危険なものも多く、それによって滅びた世界も存在する』

 

 闇の書は関係ないと思いつつ聞き流していた言葉。世界には物騒なものもある。そんな迷惑なもの、最初から作ったりしなければいいのにと考えていた。

 

 闇の書が、いわゆるそういった危険なものと考えたことが、今まで自分にあっただろうか。どうしてこの書物が闇という名を付けられたのか、はやては考えたことがなかった。

 

「残念なことだけど、これは事実なんだ。証拠を見せられないけど。私はこういうことで嘘は言わない」

 

「もし、そうやったとしても、私らは蒐集はしてない。闇の書は完成せぇへんのやから、危険はないはずや。シグナム達かて……そういって納得してくれたんや……」

 

「やっぱり、君は何も知らされていなかったんだね」

 

「どういうことや」

 

 はやてはその整った表情をゆがめた。何となく、家族がけなされたような感触がした。

 アリシアの言葉、口調、たたずまい。それらがすべてはやてには不快に思えた。

 

 アリシアもまた、はやての声が低くとぎすまされたことを知り、彼女が自分に対して警戒心のようなものを抱いていることを理解する。

 

 無理もないとアリシアは思った。

 

「君の家族……闇の書の騎士達はね、蒐集をしているんだ。私も、ついこの間蒐集された」

 

「嘘や、そんなこと、あるはずない! そもそも理由がないやん。私は闇の書の力なんていらへん。みんなで一緒に、楽しく暮らせれば私は満足なんや!」

 

 彼女の悲しみは、家族に裏切られたという悲しみなのだろうかとアリシアは思う。

 

「私は言ったよね。私はこういうことでは嘘を言わないって。それに、理由はあるよ。君が今、死に瀕している。それが、彼らが蒐集を決意した理由だ」

 

 はやては目を見開き、言葉を失った。

 

「君の身体が上手く動かないのは、他でもない。闇の書が君を浸食しているからなんだ。そして、君の家族……闇の書の騎士達はその浸食から君を救うために、闇の書を完成さようとした」

 

 それは、アリシアの想像や推測が多分に含まれてはいたが、病室での彼らの様子や、彼女が無限書庫で得た情報から類推すればそれが最も妥当だろうという予測でもあった。

 

「―――知ってたよ―――」

 

 はやてのか細い声にアリシアは目を細く切り詰めた。

 黄昏時の光は柔らかで淡い。しかし、その光さえも、アリシアには辛く、先程から目の奥が鈍く痛む。

 

 それでもアリシアは目を開き、うつむくはやての表情を見ようと努めた。

 

「私の足が動かへんのも、最近胸まで痛くなってきたのも、何となくやけど、闇の書がそうさせてるんやなって、知ってたよ」

 

 知っていてもなお、彼女はそれを知らないふりを続けていた。それを言ってしまえば、今の家族というものが足下から崩れていってしまいそうで怖かったから。

 アリシアは「そうだったんだ」とつぶやき、目を閉じた。

 今にも眼球から涙があふれそうだ。鈍い痛みは次第にはっきりとした痛みに変わり、眼がそれを守るために涙腺を刺激する。

 そんな表情を、アリシアは誰にも見られたくなかった。

 

「――せやけど、私は、それでもええって思ってたんよ――」

 

 アリシアは目を開いた。瞳に涙が浮かび、雫が今にも流れ落ちそうになる。

 水滴によって薄ぼんやりと映る彼女の表情をうかがい知ることは無理に近い。

 それでも、アリシアは、今はやてはいかなる感情も排除した表情を浮かべていることを確信した。

 

「君は、もう諦めてしまっているの?」

 

 生きることを、彼女は諦めてしまっているのだろうかとアリシアは思った。

 

 はやては頷きもせず、否定もせずに言葉を続ける。

 

「どうせ、先の短い人生やから、せめて誰の迷惑にもならんように。誰も悲しませんようにって一人で死ぬつもりやったんや」

 

 アリシアは目蓋を両手でぬぐい、「ああ、聖王陛下よ」とつぶやいた。

 

(あなたは、この幼子に何という運命を背負わせたのか)

 

 アリシアの脳裏に、かつてベルカの街角に立てられた『死を待つ人々の家』に掲げられた慈愛の聖王女オリヴィエの肖像画が浮かび上がる。

 

「せやけど、シグナムが、ヴィータが、シャマルが、ザフィーラがうちにきてな。家族になってくれて。ものすごく幸せで……死にたくないって思ってしまったんや」

 

 はやては面を上げ、アリシアへとしっかりと向き合った。

 その表情、その目には力がこもっている。アリシアにはそれがまばゆく思えた。

 

「なあ、アリシアちゃん。私は……死ぬんかな?」

 

「私は、君を死なせたくない。私はもう、繰り返したくない」

 

 ああ、そうか。とアリシアは思った。これは、ギフトだったのだ。死ぬはずだった自分が生き延びた理由。それは、まさにこのときのためにあったとアリシアは思った。

 かつて、自分の生き方を根本的に決めてしまったあの罪悪を雪(すす)ぐためのチャンスが、今ここに与えられているのだとアリシアは理解した。

 

「それやったら、アリシアちゃん。私を生きさせて欲しい。私が死なないその方法を、どうか、私に与えて欲しいんや。アリシアちゃんは、その方法を知ってるんやろ?」

 

「そのためには、多くの障害がある。君を死なせようとする人々は多い。犠牲を君一人に抑える方法を考えて、それを実行する人もいる。君の騎士達は、君を死なせる最大の障害になるよ。そして、私は君を生きながらえさせる確たる方法を持っていない。むしろ私は、犠牲が君一人ですむのならそれが最良の方法だと思っていたんだ。そんな私を、君は信頼できる?」

 

「私は、死にたくない。生きていたい。やっと……やっと手に入れた幸せなんや。みんなが頑張ってくれてて、私に生きていて欲しいと願って、その結果が終わりやなんてあんまりや! 私は……生きていたいんや!」

 

 はっきりとした口調で、闇に沈む街の光を背後にたたずませ宣言するはやてを見て、アリシアは歯を食いしばり面を落とし、目蓋から溢れんばかりの涙をこらえた。

 

(私は、なんて傲慢でおろかだったんだ。何が最小の犠牲だ! そんなもの、犠牲を払わざるを得なかった者の言い訳に過ぎなかった。結局私は、失敗を恐れて足踏みしていただけだ)

 

 完璧な方法などない。いかに堅実な方法であっても、そこに完璧なことなどない。ならば、いかに確率が低いとはいえ、何者も犠牲にすることのない道を選ぶことこそ正しい選択だった。

 

――ならば、その道を選ぼう。例え、茨の道であっても――

 

 アリシアは、最後の覚悟を決めた。

 

 

 アリシアとはやてはお互いにのばした手をつかみ合い、決意の握手を交わし、ただ静かに、何の言葉を交わすこともなく病室を後にした。

 

 はやての座する車いすを押しながら、アリシアは様々なことを思い浮かべた。

 どうして、自分は死に際してもそれが受け入れられなかったのか。

 

 自分は、あのとき死に際して、ユーノの願いを受けたジュエルシードに魂を保存された。そして、プレシアの願いを受け、器であるアリシアの身体に宿らされた。

 

 完璧にかなえられなかった願い。ユーノの願いは、ベルディナの形を伴わない形で成就され、プレシアの願いはアリシアの心を伴わない形で成就された。

 

 

 

  ならば、この少女の願いはどのような形で成就されるのか

 

 

 

 キィィっという音と共に開かれる屋上の扉の音に感覚が乱され、アリシアはそのまま何も感じることなくはやての車いすをその先に押しやった。

 戦闘が行われていた気配はない。果たして、その行く末はどうなったのか。未だ膠着状態なのだろうかとアリシアは、車いすの影になって見えない屋上の様子に思いをはせる。

 

「…………これは……どういうことや……………」

 

 ドサリという音。突然軽くなる手の感触に惑わされ、アリシアは思わず歩みを止める。

 

「はやて……だいじょぅ……」

 

 はやてが車いすから転げ落ちた。アリシアはそれを助けるべく、椅子の影から姿を現し、それを見た。

 

 陽光が彼方に沈み、澄んだ大気に浮かぶ月。街の光に負けない一等星達。

 遙か頭上に輝くオリオンの三連星。

 

 そして、僅か数歩先にたたずむ、長髪の剣の騎士の持つ、桃色の地上の星。

 

「申し訳ありません、主はやて。我々は、貴方の命に背きました」

 

 止める余地も残さず、彼女は腕を掲げ、その手に姿を現せた書物の紐を解く。

 

 開かれる剣十字のエンブレムを掲げた書物は、次第に闇の魔力をまとい、彼女の意志に従い力を示す。

 

「此度のことは、すべて私に責があります。すべては私が行い、決めたこと」

 

 『蒐集』の声が書物より響いた。彼女の掌に浮かぶ桃色の光は霧散し、粒子となって書物へと取り込まれていく。

 そして同時に刻まれる白紙のページ。何が記載されているか理解の出来ない文字を持って、闇の書にページが刻まれていく。

 

「どうか、主。お幸せに……私がおずとも、主自身の幸せを得られますように……」

 

 闇の書に足らないページ。それを補うため、シグナムは自らを差し出した。

 

「嫌や……そんなの嫌や!! シグナムがおらんかったら、私はどうやって生きていけばええの? みんなが、みんながいて。全員そろって。そうやないとあかんのや! 主の命令を聞きい! シグナム。消えたらあかん! 死なんといてぇーーー!!!」

 

 けして動かない足を引きずり。はやては、地を這い間に合うはずのないそれをせめて言葉で引き留めながら、ただただ前へと進んでいく。

 

「ああ、主。主はやて。貴方と過ごした半年間は、私にとってこの上のない幸せでした。戦うことしかなかった私達を家族として迎えていただき。私達を人並みに扱っていただいた。私にはそれだけで十分でした。主のため、主が幸せで生きていけるのなら。私は何も悔いはありません」

 

 『蒐集』という声が再度響き渡った。シグナムの胸前に浮かび上がる紫じみた光の結晶。

 人にあらずプログラムであるはずのシグナムにとって、それを失うと言うことは、すなわちこの世界からの消滅を意味する。

 

 誰も止められなかった。

 

 なのはは今にも閉鎖しようとする意識を奮い立たせ、ユーノはそのなのはを支え、フェイトはあまりの状況に感情が追従せず、ヴィータは自らの将の行ったことが理解できず、シャマルは涙を流しながらもそれで望みが叶えられるならとどこにもいない神に祈りを捧げた。

 

 アリシアも、シグナムとはやて。その二者を前にしてただ瞑目してはやての肩を抱くことしかできなかった。

 

「あかんのや! それでは誰も救えへんのや!」

 

 引き留めようとするアリシアを必死に振り払おうとするはやては、それでも消えゆくシグナムに追いすがることも出来ず。

 

 シグナムは、闇に染まる書物と共に、その身をただの光の粒子へと変えて、消えていった。

 

「私達は……遅すぎたんだ……」

 

 アリシアははやてを抱きしめながらつぶやき、必死に抵抗して腕を振り回す彼女を押さえつけるように彼女のうなじに顔を埋めた。

 

「なんでや!? なんで……結局、私が……。あぁぁぁ……うわぁぁあぁぁぁ……」

 

 響き渡る少女の慟哭。そして、その足下に広がる鈍色の魔法陣。それらがすべてを飲み込み包み込み、広がり回転する。

 

 

――闇の書に最後のページが刻まれた――

 

 


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