魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~   作:柳沢紀雪

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第四話 The Winner

 

 人生を物語と例えるのなら、その主幹ともなるものはいったい何なのだろうか。多くの人はそれは自分自身だと答えるだろう。人生という物語において唯一自分の思い通りにな者は自分自身のみ。人は自分という者にどこまでも束縛されている。自分は他人には成れない。

 

 故に人生の主幹を他人に譲ることなど出来ない。

 例え、やむを得ず他人となってしまった者であっても、そこから始まる新たな自分自身を手放すわけにはいかない。

 

 しかし、と、アリシアは思う。

 

 おろされたブラインドの隙間から強いオレンジ光が差し込む、閑散とした病室に広がる光景。見慣れた敵。そして、その中心で横になる少女を見てアリシアは息を詰めた。

 

 この少女こそが、この物語の主幹だとアリシアは確信した。

 

「すずかちゃんにアリサちゃん。それに、みんな来てくれたんや」

 

 朗らかな笑みを浮かべ、病室の主八神はやては予期せぬ来客に歓迎の声を上げる。

 無限書庫を出て海鳴へと帰還したアリシアを待っていたのは、友人のお見舞いに行くという妹たちの一団だった。ほとんどなし崩し的に一緒することとなったアリシアだが、病室にたたずむ者達の姿を見れば、運命とはまさに自分以上のいたずら好きなのだろうと思うしかなかった。

 

『――――――』

 

 はやての側に膝をつくヴィータはシャープに切り結ばれたまなざしをなおも厳しくすぼめ、視線で射殺す勢いでなのはとユーノをにらみつける。

 

 クリスマス・イブに入院しているはやてへサプライズ・プレゼントを渡すこと。それがこの来訪の目的だとすれば、確かにこれは両者にとって予期せぬ邂逅となるだろう。

 そうでなければ、わざわざ彼らが敵対している自分たちとここでまみえようとは思わないはずだ。

 

 強い太陽の光を避けるために、フェイトの影に隠れていたアリシアの姿はどうやら彼らの目には写されていない様子だ。

 ならば、ここでいったん自分だけ退避するかと思うアリシアだったが、背後で扉が閉められる音に振り向きかけた足を止めさせられた。

 

 退路は閉ざされたようだとアリシアは音を漏らさないように下を打ち鳴らし、フェイトの背後から全員に見られるように姿を示す。

 

「ん? なんや、ちっこい子がおる。こんにちは、フェイトちゃんの妹さん? お姉さんがいるって聞いてたけど」

 

 はやてはそういってフェイトとアリシアの顔を交互に見比べる。恐ろしいほどよく似ている。

 

「あら、フェイトちゃんには妹さんがいたのね。こんにちは」

 

 凍り付いた場の雰囲気を少しでも解きほぐすために、シャマルは穏やかな笑みを浮かべてアリシアへ近づこうとする。

 

「!!!」

 

 フェイトはアリシアの前に立ちふさがり、シャマルの歩みを止めさせた。

 

『主の前で争うつもりはない。お前の妹のためにもここはおとなしくしておいてくれ。テスタロッサ』

 

 フェイトに向けられたシグナムからの念話がアリシアの脳裏にも響いた。

 それでもとフェイトはなおも周囲の視線からアリシアを隠そうとするが、アリシアはそっとフェイトのスカートの裾をつかみ、フェイトにどくように示唆した。

 

「だけど……」

 

 アリシアが念話を使わずわざわざスカートの裾をつかむことで意思表明した真意を知ってか知らずか、フェイトは小さな声でそっとアリシアに声をかけた。

 

「今は向こうの話に会わせておこう。私はフェイトの妹。いい?」

 

 反論しようとするフェイトだけに聞こえるようにと声を落とし、アリシアは視線でフェイトを納得させ続いてユーノへと視線を向けた。

 

 彼には何も打ち合わせをする必要はない。

 ユーノはすぐに軽く頷いて、未だ目を剥いてヴィータへと視線を固めるなのはを伴いアリサとすずかにそっと耳打ちをした。おそらく、アリシアとフェイトの関係を説明するのは難しいから、今は妹と言うことにしておくように言ったのだろう。

 

 ユーノなら上手くやってくれる。アリシアはそう信じて、フェイトの影から身体を出し、フェイト達に向ける視線に比べれば幾分か柔らかなそれに対してペコリと頭を下げた。

 

「アリシア・テスタロッサです。初めまして」

 

 幼い子供が精一杯背伸びをして礼儀正しいあいさつをしていると彼らには映っただろうか。アリシアは胸中でそう思い、お辞儀をしながら少し上目遣いに視線を彼らに向けた。

 

「礼儀正しい子やね、アリシアちゃんは。おいで、うちの子も紹介するわ」

 

 はやてはそういってアリシアを側に呼び、アリシアはゆっくりと、少し人見知りをするように視線をうろうろとさせながらベッドの側へと足を進める。

 

 シグナムとシャマルの正面を通り過ぎ、未だなのはとユーノを睨むヴィータの側へとアリシアは移動することが出来た。

 

 ヴィータはアリシアに対して意識を向けていない。そして、アリシアは身体の力を抜きながらリクライニングしたベッドに身を預けるはやてに目を向けた。

 

 柔和な笑みを浮かべながらも、その奥には悲しみの光が見え隠れする瞳。

 今ここで身体を動かせない少女を人質に取れば後手に回ったこの状況を打破できるかもしれないとアリシアは一瞬思うが、隣のヴィータも、少し離れて控えるシグナムとシャマルの二騎もリラックスしているように見えて隙がない。さすがだとアリシアは思いながら、気弱な風を装い周囲をきょろきょろと見回した。

 

「なのはちゃん達も会うのは初めてやんな? 紹介するな、この子はヴィータ、それに、シグナムとシャマルや」

 

 はやては少しふるえる手を掲げながら、一人ずつ皆に紹介していく。

 

「八神シグナムだ。今日は主はやての見舞いに感謝する」

 

 背筋を伸ばし、浅く頭を垂れるシグナムに続いてシャマルも膝の前に手を重ね深々とお辞儀をした。

 

「八神シャマルです。はやてちゃんのためにありがとうね」

 

「……ヴィータ……」

 

「こら! ヴィータ。わざわざお見舞いに来てくれはった人になんて口の利き方なんや!」

 

「ご、ごめん、はやてぇー」

 

「それやったらちゃんとあいさつしい」

 

「うん。八神ヴィータです。今日はわざわざありがとうございましたです」

 

 ヴィータの表情はまだまだ鋭い。

 

「ごめんな、うちの子が」

 

 はやてはヴィータの様子に苦笑を浮かべる客人に対してペコペコと謝りながら、今日の来客の目的を問いかけた。

 

「大丈夫? ヴィータちゃん」

 

 アリシアは鼻を摘まれて涙目のヴィータを気遣うように、優しくその鼻の頭を撫でた。

 

「あ、うん。大丈夫」

 

 その側でサプライズプレゼントとしてクリスマスプレゼントを受け取ったはやてが目を輝かせて喜んでいる。

 ヴィータはなのは達を気にしながらもはやてが喜ぶ姿を見られて嬉しい様子で、その相好は幾分か緩んでいる様子だった。

 

「そう、良かった」

 

「アリシアちゃんは優しいなぁ。さすがフェイトちゃんの妹さんや」

 

 優しく撫でつけられる感触に頬を染めながら、アリシアは自分への警戒心が薄れただろうかと周囲を、特にシグナムとシャマルの様子をそっとうかがった。

 

 シグナムとクローゼットにコートを預けながら念話で何かを話している様子だった。

 

 そこから僅かに漏れ聞こえることから判断すれば、現在この周囲の空間はシャマルの手によって通信妨害がされており、なのは達はアースラへと連絡することが出来ない。

 

 やはり、こうしておいて正解だったとうち解けた感じのヴィータ、はやての二人と会話を交わしながらアリシアは今後のことを検討し始める。

 残念ながら、今ここでそのことをなのは達と相談することは出来ない。自分は魔力を持たない無関係な人間を装ってこの場から問題なく立ち去り、通信妨害網の無くなった場所で改めてアースラに連絡をしなければならないのだ。

『闇の書の主を発見した』とアリシアは伝えなければならない。

 

 しかし、とアリシアは朗らかに笑うはやての表情をのぞき込みながら、どこか胸が痛むことを自覚した。

 

 自分が、ここから無事に向け出すことが出来、そして、アースラへとそのことを告げれば、おそらくこの少女は死ぬ。

 

 リンディがとらえた少女を問答無用に凍結するほど冷血ではないと信じたいが、彼女は常に正しい選択をすることが出来る人物だ。

 地球、海鳴にすむ多くの人々と一人の少女の命のどちらを取るか。その天秤の目盛りを読み違えるような人物ではない。

 

 アリシアは表情を落とし、はやての目をのぞき込む。

 

「ん? なんや」

 

 会話の中にアリサやすずかを交えながらほほえむはやてはアリシアの視線に気がつく。

 

「んーん、何でもないよはやて」

 

 アリシアは笑顔の奥に感情を隠した。

 

「そうか? なんや、言いたいことがあったみたいに思えたけど」

 

「はやてが楽しそうだったから。病気なのに、何でそんなに楽しそうにしてられるのかなって、ちょっとだけ思って……」

 

 子供らしい無遠慮さに少しだけ気後れの感情を交えてアリシアは言葉を吐いた。

 

「私には、家族がいるからやね。みんな、ここにいてくれる。友達もいっぱい出来た。やから嬉しいんよ。ただ、それだけや」

 

 そして、終わりが近いからこそ悲しい顔をしていたくない。アリシアはそんな言葉を幻聴を聞いた。

 

 親がいない。親戚もいない。知り合いといえば直接会ったことのない遙かブリテンの後見人と病院にいる医師のみ。

 その中で彼女は笑みを浮かべ続けてきたのだろう。そんな彼女が、後少ない時間後にはこの世界から姿を消す。何も救われることなく命を潰える。

 

(そんなことが許されるはずがない)

 

 そして、彼女が苦しむ原因の一翼に自分/ベルディナが関わっているという事実もアリシアを悩ませる。

 

 救いたいとアリシアは思った。

 

******

 

 静まる病院のロビー。診察時間も終わり、先程までにぎわっていた広間にも今は入院患者と看護師が僅かに行き交うだけのものとなった。

 

 はやての見舞いはそれほど長くは行われず、アリサとすずかはプレゼントを渡し、その後少し会話を交わしただけでおいとまする旨を伝えた。

 

 そして、アリシアは今ただロビーのソファに腰を下ろし、待ち続けている。

 

 アリシアは病室での一連の行動によってヴォルケンリッター達からの警戒心を解除した。

 アリシアはただ姉であるフェイトについて来ただけで、闇の書事件に関しては一切関わりがない。今までの戦闘でフェイトは何度か姉についてのことを話し、ヴォルケンリッター達はフェイトの姉を警戒していたが、見た目妹にしか見えないアリシアへの警戒はほとんど皆無と言っても良かった。

 

 しかし、フェイト達をこの場からみすみす帰すほど彼らは楽観的ではなかった。

 確かにアリシアに対する警戒は皆無に近かったが、それでも彼らは話が終わるまでアリシアにはこの病院から出ないようにと要請を下したのだった。

 

 アリシアは天井を見上げた。この状態ではその向こう側で何が起こっているのか知ることは出来ないが、時折空間を伝わってくる念話の残滓がフェイト達がどのような状況にあるのかを知らせる。

 

 まだ戦闘は始まっていない。それどころか、屋上ではすべてが凍り付いたように何の動きも見受けられなかった。

 

「覚悟したみたいだね。本当に、悪魔みたいな子達だよ」

 

 アリシアはそういうと、ソファーの敷座に背中を預け、ごろりと寝転がった。

 こうしておけば、小さなアリシアの身体を長くて背が高いソファーが隠し、側を歩く病院関係者からとがめられることが無くなるのだ。

 

 今、子供達が屋上で戦っている。孤立無援で、自分たちが願う理想を貫くために幼い身体を懸命にふるいながら戦っている。

 

 アリシアは思う。すでに自分が出来ることはない。出来ることと言えばせいぜい自分が彼らのハンデにならないようにこうして身を潜めていることだけだ。

 

(だけど、私はそれで良いの? あの子達が戦っているというのに、私はこうして何もせずに、ただ無駄な時間を過ごしているだけでいいの?)

 

 おそらく、ここで待っていればいずれはすべてが終わるだろう。それが幸せな最後であろうと不幸な終わりであろうとも、いずれは終わりが来る。

 闇の書の永久凍結が成功するのか、海鳴の周囲百数十キロがもろとも消滅するのか、それともそれらを超える完璧な最後が描かれるのか。

 

 自分に出来ることはもう、何もない。無限書庫を後にするとき実感したことが今では揺らいでしまっている。

 

(私はここにいる。闇の書の主も騎士達も、フェイト達もここにいる。すべてがそろっているここなら……)

 

 アリシアは面を上げ、もう一度周囲を見渡した。

 エントランスの向こう側。広いガラスの壁面の向こう側には、僅かな夕日の残滓が漂い、世界は急速に闇に沈もうとしている。

 太陽のない世界。闇へと向かう世界。

 むしろ、自分にとって過ごしやすい世界が始まるとアリシアは感じた。

 

(まだ、私にも出来ることはある)

 

 アリシアはソファーから飛び降り、堅いリノリウムの床を踏みしめた。

 

**********

 

 クリスマス・イブに相応しい酷く冷たい風が屋上に吹き付ける。海からの風は湿り気と潮の香りを含むが、周囲の木々を通り抜けたそれらには清涼な香りが込められており、潮風特有のジメッとした感触はない。

 

 そこにたたずむ5人は先程からほとんど言葉を発していない。

 

「それじゃあ、はやてが闇の書の主と言うことですか?」

 

 その沈黙をフェイトが破る。探しても見つからなかった闇の書の主がまさかこんなに近くにいて、しかもそれが自分たちと同い年の少女だと聞かされ、運命とはいかに皮肉なものかと思う。

 

 魔法の世界に巻き込まれたなのは。犯罪を犯してまでジュエルシードを集めなければならなかったフェイト。輸送船の事故に巻き込まれ、育ての親を亡くし、単身この世界に放り出されたユーノ。

 そして、両親を幼くになくし、闇の書の主として破滅の運命を背負わされたはやて。

 

 この世界は、いかに幼い子供達に過酷な運命を背負わせるのか。思えば、ここにはいない彼らの兄貴分、クロノ・ハラオウンも幼い頃に父を亡くしていた。

 

 悲しみは鎖のように繋がっている。

 

 ユーノはなのはとフェイトの前に出て、面を上げた。

 

「聞いてください、闇の書は危険なんです。今すぐ、蒐集をやめないと取り返しの付かないことになる」

 

 ユーノの言葉に、相対するシグナムとシャマルは眉をひそめた。

 

「それが、受け入れられるとでも思うのか」

 

 シグナムの声はとてつもない重量を持って三人にのしかかる。

 

「やめられるんだったら、とっくにやめてるよ……」

 

 響いた声はユーノの背後。

 なのはとフェイトは驚いて振り向き、そしてそこに立つ赤い少女を初めて確認した。

 

「ヴィータちゃん……」

 

 すでに騎士甲冑を身にまとい、その手に巨槌【グラーフ・アイゼン】を握りしめながら、ヴィータは面を低くしてたたずんでいた。

 前髪が作り出す影が瞳を覆い隠し、彼女が今どのような表情をしているのかを知ることは出来ない。

 しかし、なのはは彼女が泣いているのだと直感的に分かった。

 

「だけどな。やめれば、はやては死ぬんだ……。だからやめられない。最後まで背負って、はやての笑顔を取り戻すんだ……」

 

 ブンと振り回される巨槌がそこに込められた魔力を僅かに放出し、なのはは少し目を閉ざした。

 そして、弱音を吐く心臓を左手で打ち付け、一歩ヴィータに向かって足を進めた。

 

「戦う前に話をしようよ。私達、まだ何も話し合ってない。お互いに何も知らないままで戦うのは嫌だ。話をして、納得するまで話し合って、それでお互い納得してから戦おうよヴィータちゃん」

 

 それが、あの病室でアリシアとユーノに誓った言葉だった。戦うことは嫌い、戦わないと何も解決できないなんて悲しすぎる。だったら、話をすればいい。言葉を交わして、話し合って、そしれそれでもなお戦わなければならないのなら、自分はそれを納得した上で戦う。

 そして、最後まで戦わずにすむ方法を探し続ける。

 

 アリシアはそれを傲慢だと言った。それは、戦う人間を馬鹿にしていると。しかし、なのははそれでもいいと答えた。

 

『それでも私は言葉をかけ続ける。だって私は、戦うことが大嫌いだから』

 

 矛盾していることは重々承知だった。しかし、なのははその道を選んだのだ。

 

「何いってんのかわかんないよ。馬鹿か、お前」

 

「馬鹿でもいいよ。私は、私らしいやり方で話を聞いてもらうから」

 

 ヴィータは微笑むなのはを前にして一歩後ろへ下がった。

 こちらはすでに甲冑を身にまとい、必殺の武器を掲げている。しかし、相対する少女は武器を構えようともせず、それどころか自らの身を守るジャケットさえもまとっていない。

 全く無防備な姿。今の状態で一撃を浴びれば、例え非殺傷の手加減した一撃であってもその身体は枯れ木のように無惨に散っていくだろう。

 

「なのはの言うとおりです。私達は逃げず、あなたたちと向き合います」

「そう、これが僕たちの意志だ」

 

 見れば、それはなのはだけではない。その隣で二人を見つめるフェイトも、彼女たちの背後でシグナムとにらみ合うユーノも、まるでなのはと心は同じと押し黙り、何ら行動を起こそうとしない。

 

「………くっ……!」

 

 うなり声がシグナムの口より漏れた。

 烈火の将。ヴォルケンリッターのリーダーであるシグナムでさえ、攻撃することも守ることもしない彼らを前にして手を出せずにいる。

 すでに彼女も騎士の剣【レヴァンティン】を顕現させ、その身にヴィータと同じく甲冑をまとっているにもかかわらず、フェイト達は一歩も動こうとしない。

 

『シャマル。テスタロッサ達の様子はどうだ?』

 

 苦し紛れにシグナムはそうシャマルへと念話を送る。

 

『変わりなし。リンカーコアの活動も休止させてるみたい。本当にあの子達、吹けば飛ぶような状態よ』

 

 恐ろしい子供達だとシグナム同様シャマルも思い知らされる。

 

 今の状態であれば勝負は一瞬で付く。例え、どれほど訓練された魔導師であっても、休止状態のリンカーコアを活性させ、ジャケットをまとい、武器を構えるまで1秒以上の時間が必要になるはずだ。

 

 この瞬間でも、シグナムとヴィータがタイミングを合わせ一直線に彼らに襲いかかったとすれば、彼らは何の抵抗も出来ずに身を地に伏すだろう。

 

 しかし、シグナムの胸中にはそれで良いのかという感情が渦巻いている。おそらくそれはヴィータも同じことだろうと予測が付く。ヴォルケンリッターの中では最も冷静でいながら一度感情に火が付けば誰よりも激しく行動する、そんなヴィータでさえ今の状況には武器をふるえないでいるのだ。

 

 仮に武器を振るったとすれば、それによって受ける傷はおそらく彼らに目覚めの来ない眠りを約束する。

 それは、例え道を踏み外そうとも主のために絶対に行わないと決めた絶対の誓いに反することだ。

 

『これが、命を懸けて戦うということか……』

 

 シグナムが漏らした念話を聞き、ヴィータとシャマルは驚き彼女に目を向ける。

 

(あるいは未練がましく騎士を名乗り続けていた時点で我々の負けだったのかもしれん)

 

 自分たちは外道に徹することが出来なかった。ヴォルケンリッターという騎士団を名乗り、それぞれが誇りある騎士を名乗っていた時点で彼らは騎士であることを捨て切れられなかったのだ。

 

 シグナムはゆっくりと構えを解き、腕の力を抜き剣を地へと向けた。

 

「シグナム!」

 

 ヴィータとシャマルの声が重なった。しかし、シグナムははっきりと面を上げ高らかに宣言した。

 

「武器をおろせヴィータ! そして、シャマル。我々は負けたのだ!」

 

 ヴォルケンリッターの将が自らの敗北を宣言した。そして、それはヴィータとシャマルの心に揺さぶるほど激しく届き、そして二人はそれを理解した。

 騎士である自分たちでは今の彼らには勝てないと理解したのだ。

 

「どうした? 幼き勇者達。私達は敗北を宣言したぞ。お前達の話とやらを聞かせてもらおうではないか!」

 

 シグナムの声に状況をつかみかねていた三人は、ハッと気がつき、緊張していた心をゆるめた。

 

「ありがとう、シグナム」

 

 今にも糸が切れて床に崩れ落ちそうになる足を懸命に奮い立たせ、どこかふるえる調子でフェイトはシグナムの側へと歩み寄った。

 

「礼はいらない。敗者に情けをかけるなテスタロッサ」

 

 シグナムはそういって剣を床に突き刺し、武器から手を離した。

 

「それでも、ありがとうございます、シグナムさん。絶対にシグナムさんやヴィータちゃん、はやてちゃんに不利益が行かないように頑張りますから」

 

 なのははまぶたに涙を浮かべながら、そっとシグナムの方へと歩み寄った。

 

「ヴィータも、武器を放してくれる?」

 

 向こうではユーノが未だ憮然として武器を手放さないヴィータに声をかけている様子だった。

 

「うるせぇぞイージス。そんなのあたしの勝手だ」

 

「だから、僕はユーノだって。いい加減名前で呼んでよね。なのはのことは名前で呼ぶくせに、僕のことは呼んでくれないの?」

 

「あたしは、イージスってのが気に入ったんだ!」

 

「だけどねぇ……」

 

 まるで、気の合う親友のようにじゃれ合う二人を見て、シグナムはフと笑みを浮かべた。

 

「もう、ヴィータちゃんは相変わらずだなぁ」

 

 なのはもそれを見て、呆れたような、どこか肩の荷が下りたような声を奏でる。

 

「ああ、得難い者達だ。このような出会い方をしていなければ、どれほどの友と成れただろうか。残念でならない」

 

 シャマルもフェイトの指示に従い、指輪をおろし甲冑を元に戻した。

 

「まだ、間に合いますよ。これから、です。ヴィータちゃんもシグナムさんもシャマルさんもこれから友達になっていきましょう」

 

「お前は勇敢だった。お前の言葉が世界を変え、戦うことなく我らを負かした。私が知る騎士よりもなお誇り高く。まさにお前は勇者と言うべきものだろう」

 

「そんなことありません。みんながいてくれたから。私に考える機会を与えてくれた人がいたから。私はこうなれたんです。その人達がいなかったら、きっと私はここまで覚悟して言葉をかけようとは思わなかったと思います。きっと、話を聞いてもらうために同じこと――戦うことを選んでいたと思いますから」

 

 なのはは恥ずかしそうに頬を染め、うつむいた。

 圧倒的に身の丈が勝るシグナムからは彼女の頭蓋の頂点が伺える。

 そして、シグナムはそっとつぶやいた。

 

「だから――許せ――高町なのは」

 

「えっ―――――」

 

 ドスっという音が響いた。

 

「なのは?」

 

 妙に重く響き渡る音。ユーノは振り向いた。

 

「シグナム?」

 

 それは、まるですべての破滅を呼び込むような響き。フェイトも振り向いた。

 

「―――あ――――」

 

 なぜだろうとなのはは思った。

 なぜ、こんなにも胸が痛いのだろうと思った。

 そして、どうして見上げたシグナムは、身を切るほどの悔やみに彩られているのだろうと思った。

 

「なのはぁ!!!」

 

 ユーノの叫び声が遠い。自分はどこにいるのだろう。

 

「シグナム!!!」

 

 フェイトの悲鳴が遠い。自分は何をされているのだろうか。

 

「シグナム! いったい何を?」

 

 シャマルの声が遠い。どうして? 自分たちはわかり合えたのではなかったのか。

 

「何でだよ!? 何でだぁ、シグナム!!」

 

 ヴィータの声が遠い。どうして、自分はシグナムの腕に胸を貫かれているのだろうか。

 

 そして、なのはは気がついた。

 自分の身体から何か大切なものが奪われている。胸を貫く腕が背中から外へ出ているはずなのに、全く鮮血があふれ出ない。

 そして、感じるものはその掌に捕まれた力の脈動。

 

 そうか、となのはは気がつく。これがリンカーコアを蒐集される痛みなんだと。

 

 どさりと地に伏す音が夜の闇に響き渡った。

 

 


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