魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~   作:柳沢紀雪

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ようやく彼女の登場です。(2/19)


第二話 Doom

 

 病院とは人生のゆりかごのようなものだ、と病室より差し込む茜色の陽光を見上げ八神はやては次第に光を失っていく町並みの様子に感情のこもらない視線を投げかけた。

 

 多くの人はここで生まれ、そして、多くの人はここを最後に旅立っていく。

 

 生と死が入り交じる場所。そんな場所に、今までの多くを過ごしてきた自分は、いったいどちらのサイドに立つ存在なのだろうかと、はやては思い浮かべた。

 

 

 

 死後の世界を考えることは彼女にとってとても馴染み深い。なぜなら、今の家族を得るまではただ一人でぼんやりととりとめのないことを考える時間しか無かったのだから。

 

 自分が死ねば誰が悲しんでくれるのだろうかと考えたことなど両手で数えることも億劫なほどだった。死ねばどこへ行くのか、私というこの意識はどうなってしまうのか。古今東西、死にまつわるテーマをあつかった書物は数多くあるというのに、彼女の読んだ書籍のどれにもそれに確たる答えを与えてくれはしなかった。

 

 それは当然のことともいえる。

 生きている人間が死を表現しきることは出来ない。なぜなら、生きている人間はまだ死を経験することが出来ないからだ。

 死ななければ死を経験することは出来ない。そして、死んだ人間はもう生きていないのだから、それを誰かに伝えることなど出来ない。だから、生きている人間が死を理解することなど出来ない。

 

 だからはやては考え続けた。

 

「死んだ経験のある人か……そんな人から話が聞けたら、なんぼか救われるんやろか」

 

 はやてはそうつぶやき、そっと自身の胸に手を置いた。

 目覚めに聞く最初の心音の一声だけが生への実感だった。

 はやては作曲家の書く音楽よりも、風に揺られる梢の音色よりも、この世のすべての音の中で、自身の中心で脈打つ心臓の音に最も心を落ち着かされる。

 

「…………」

 

 はやては無言でベッド脇に置かれた書物に手をそっと置いた。

 思えば、自分にとって本は家族のようなものだったとはやてはふと思う。

 退屈なときには愉快な物語を、寂しいときには暖かな物語を、泣きたい夜には感動の物語を。今の家族を得るまでは、そうして本はことあるごとに自分を励ましてくれていた。

 

「私は、いつまで生きてられるんやろ?」

 

 長いのだろうか、短いのだろうか。長ければこの苦しみが多く続く。短ければ今の安らぎが瞬きをする間もなく終わってしまう。

 

 自分の死を前提として生きてきた彼女にとって、この半年間の日常はあまりにも暖かすぎて、直視できないほどの輝きに満ちていた。

 

「死んだら、どこへ行ってしまうんやろ。やっぱり、ひとりぼっちなんやろうか……これからやったのになぁ……せっかく、せっかく家族になってくれる人が出来たのに……」

 

 なぜ神は希望を与えるのか。なぜ神は希望を与えておいてそれを奪うのか。最初から何も与えてくれなければ、何も感じないままに終わることが出来た。

 感情が空っぽになっていく感覚をはやては感じた。ついこの間まで慣れ親しんだ感覚に、今となっては違和感しか感じない。最初から感情をからにしておけばいい、そうすればいかなることがあっても自分は平静を保っていることが出来る。せめて気が狂わないように、いや、こうなっている時点で自分は気が狂ってしまっているのか。

 

 彼女には何も分からなかった。

 

 ただ、彼女には考える時間はあった。人はなぜ生きるのか。そしてその生にどうして意味を求めるのか。

 最後には誰もが死んでいき、そして死ねばすべてが終わる。それは、最初から定められている絶対真理。人は産まれて生きて死ぬ。人だけではなく、生命と名付けられたものすべてが絶対的に決められたそのサイクルから逃れることは出来ない。

 なぜ人は生きるのか。生きると言うことは死への道をただひたすらに歩き続けるだけだというのに、人もその他の生物もただ生き続ける。

 彼女は考え続ける。この命がつきるまでに何かしらの答えが得られることを望んで。

 

 

 

 

 

 ガチャリと扉が開かれる音が病室に響き、はやてはふとドアの方へと目を向けた。ノックの音がしただろうかとはやては思い、それすらも確認できなかった自分を恥じながら口元に笑みを浮かべた。

 

「起きておられましたか、主はやて。ノックをしても返事がなかったもので、失礼いたしました」

 

 扉の向こうから姿を示した背の高い女性は笑顔でこちらを向くはやてに軽くお辞儀をしながら病室に入った。

 

「ごめんな、シグナム。ちょっとボーッとしてて」

 

 いたずらが見つかった子供のような仕草ではやては後頭部をポリポリとかき、身体にかけられたシーツを横に倒しながらベッドの脇に何とか腰を移動させた。

 

「無理しないでね、はやて」

 

 シグナムの陰に隠れるように後から病室に入った赤髪の少女ヴィータは、移動しようとするはやての手を取って補助しながら、心配そうな表情ではやての顔をのぞき込んだ。

 

 考える必要はないとはやては思う。

 少しだけ瞳をしめらすヴィータを抱きしめ、はやては「うん、うん」と頷き、ズキリと痛む心臓からの刺激を笑顔の内に隠し込んだ。

 

「ありがとうな。心配してくれてありがとうな。私は大丈夫やから。何も心配せんでええんよ?」

 

 そう、自分は大丈夫だ。最後まで家族がいてくれれば、自分は何もいらない。はやてはこの刹那の幸福に身をゆだね、考えることをやめた。

 

「いきなり倒れられては心配するのは当たり前です!」

 

 シグナムとヴィータ、そして自分のコートをハンガーに掛けながらシャマルは指をピンと立てながら口やかましい姉のようにはやてを叱る。

 

「そんなこと言うたかて、ちょっと手と胸がしびれただけやん。みんな大げさやで」

 

 シャマルは、そういって穏やかな笑みを浮かべるはやてを見て「もう、仕方がないですね」と言いながら笑顔を浮かべる。

 そして、彼女はその笑顔の奥に涙を押し隠した。

 

 どうしてここまで強くあれるのかとシグナムは思う。

 どうして笑顔を浮かべられるのかとヴィータは思う。

 どうして死を恐れないのだろうかとシャマルは思った。

 

 そして、今は別世界で戦っているはずのザフィーラもまた自身の主の強さと歪みを嘆いている。

 

『だからこそだ』

 

 はやてと他愛のない会話の華を咲かせながらシグナムはそっとヴィータとシャマルの二人に念話を送った。

 

『ああ、後ちょっとなんだ』

 

 ヴィータはベッドの上ではやての隣に座りながら彼女の膝をさすりながらそれに答える。

 

『ええ、もう、戻れない。やるしかないのよ』

 

 たとえそれが、自らの誇りを犬に食わせることになろうとも。最後までやり遂げる。最後まで、最愛の主には何も知らされずに、やり遂げなければならない。

 

『覚悟はすでに完了している』

 

 シグナムはブラシを取り、若干寝癖の付いたはやての髪を梳る。

 

『うん、はやてが倒れたあの日から』

 

 はやてに頭を撫でてもらいながら、ヴィータは翡翠の盾が地に伏した時の光景を頭に浮かべた。そして、シャマルの胸の中で置き去りにしてきた感情が戻らないように、もう一度はやての表情を見上げる。

 

『はやてちゃんのために』

 

 シャマルは遠い昔に忘れ去った祈りの言葉をつぶやき、そっと眼を伏せた。

 

 そして、病室のドアがノックされる軽い音に四人は振り向いた。

 

 


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