魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~   作:柳沢紀雪

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新章開始です。この物語はこの章を持って完結と相成ります。(1/19)


本章
第一話 Grave


 ミッドチルダの首都。クラナガンの町並みは行き交う人の数も少なく、濁った星空のもと、静寂に近い空気を保つ。

 年の終わり、聖王崩御の日とされた鎮魂祭。地球で言う聖者の聖誕祭であるクリスマスより数日さかのぼるこの日は、ミッドチルダにおいてもっとも静かな夜とされた日だった。

 

 今頃フェイト達は高町の家で晩餐を堪能しているだろうか。なのはの実家高町家は、数日後に控えたクリスマスの夜は一年のうちで最大の忙しさを誇る日だという。故に彼らは毎年クリスマスの数日前にあらかじめパーティーをしてしまうのだとなのはは楽しそうに話していた。

 

 クリスマスには身内にプレゼントを贈るのが習慣であると聞き、アリシアは事前にクロノに頼んでフェイト、ユーノ、なのはにプレゼントが渡るようにしていたのだった。

 

(あの子達は喜んでくれたかな?)

 

 いや、喜ぶと言うよりは驚く方が大きいかもしれないとアリシアはそんなことを思いながら、荘厳な雰囲気の漂う礼拝堂にただ一人腰を下ろし、分厚いコートを抱きかかえるようにたたずむ。

 

 クラナガンと管理局本局をつなげる長距離用トランスポーター。その施設のもっとも近隣に位置する礼拝堂においても、今日この日にここを訪れるものは少ない。多くの本局局員は鎮魂祭の日にも次元世界の平和を守るために奔走していることだろう。アリシアの保護者であるリンディもその息子のクロノも、それ以下アースラの全乗組員も同じこと。誰もが闇の書の無事な回収と事態の収束を願っている。

 

 ならば自分はどうしてこんなところにいるのかとアリシアは自問する。

 

(結局、逃げたかっただけなんだろうね)

 

 どうしようもないこと。ただの個人では動かせない世界。たとえ巨大な武力と組織を持っても逃れられない運命を見通し、ただそれを見たくないと思っただけなのだろうとアリシアは自己分析を終えた。

 

 今頃ベルカ教区自治領では一年でもっとも大きく、そして厳粛な儀式が静かに執り行われている頃だろう。

 聖王崩御の鎮魂祭は聖王教会にとって最も重要な行事であり、他方では古代戦争終結の記念日ともされている。

 日没とともに鎮魂歌が鳴り響く礼拝堂においてもその厳粛さの一片を感じることが出来、アリシアは目を閉じ、心の内に聖王とともにかつて散っていった者達への祈りを捧げた。

 

 礼拝堂の中央にそびえる大聖剣十字の背後を彩るステンドグラス。そのきらびやかな象徴画の上方に備えられる小さな小窓には双子の月が寄り添うように浮かんでいる。

 

 アリシアはその双月を痛む胸を抱きながらただ見上げる。言葉にならないため息が白霧となって天井へと浮かんで消えた。

 

 今の人々は、あの月を見上げるとき、果たして自分ほどの感傷を持って見上げるのだろうか。アリシアは今となっては忘れ去られた二つの月の輝く夜の意味を思い抱く。

 

 かつて、ミッドチルダと古代ベルカが戦争をしていた頃。かつての旧ベルカ領首都ゼファード・フェイリアにおいてもここと同じ、双子の月が夜空を彩っていたものだった。

 しかし、かつての人々、ミッドチルダにせよベルカにせよ、その両方の月が満ちる夜には誰も出歩かず、ただ家にこもり月を見上げて祈りを捧げていた。

 

 月は巨大な墓石なのだ。そこにはかつての戦争によって死んでいった者達が今でもなお埋葬されている。いつまでも風化することなく、月の最後の時まで彼らはそこにいる。

 

 故に、アリシアは今となっても月の満ちる夜にはあまり外を出歩かないようにしている。なぜなら彼女の前世、ベルディナはその戦争において多くのミッドチルダの民を殺し、多くの仲間同胞達をミッドチルダの民によって殺されているのだから。

 

 今、彼女が見上げる月にも彼がかつて殺してきた者達の魂が宿っている。月は死後の世界への扉であり、人は死ねば月へと導かれる。

 

「私は、いつまでも地べたをはいずり回るゴーストだね」

 

 何度そういって彼女/彼は自身を嘲(わら)っただろうか。

 

「何度もこうして繰り返さないと誓って……だけど、繰り返し続けた」

 

 死なせないと誓い、その誓いを果たせず大切な人たち失い、そして次こそはと誓い、同じ事を繰り返す。それでも彼はその最後の最後にその誓いを果たすことが出来たはずだった。

 その身をもって彼は守られるべき少年を守り、そして時空間の海へと散っていった。それで良かったはずだ。それで終わることが出来たはずなのだ。

 その結果、助けられた少年に一生残る傷を与えることになろうとも、彼は満足して終えることが出来たはずだったのだ。

 

「どうして、私は続いているのか……運命の神は私に何をさせたいのか。その答えがずっと分からなかった。だから、これはただの余生だと思っていた。このまま緩やかに死んでいくまでのたった数十年間の余生。だから、せめて最後は楽しくやっていこうと思った。それ以外に、今の自分の有り様を定義する事なんて出来なかったから」

 

 彼女は語りかける。月に眠るかつての同胞達、敵でありながら互いに認め合い求め合って戦った多くの人々へと彼女は語りかける。

 

「ベルディナとしての一生は終わった。アリシアとしての一生はすでに終わったものだった。だから、私はその燃え滓としてやっていければ良いはずだったんだ」

 

 しかし、気がついてしまった。

 無限書の膨大な情報に触れるうちに彼女はそれに至った。

 そして、そこから導き出された答えは、自分と同じ仲間を失って生きる意味を見失いかけた人物の像だった。

 彼は、何を持ってそうすることを決意したのか。

 

「だけど私は、ベルディナの一生がまだ終わっていない事に気がついたんだ。闇の書……夜天の魔導書のことがまだ残っていた。全く300年も何をしていたんだか。まだまだこの世界にはやり残したことがあるみたいだ」

 

 闇の書が夜天の魔導書の暴走体であること。古代ベルカに編纂され、名前のない旅する魔導書に夜天の名前が与えられ、そしてその最後の使用者もろともこの世から消え去って以来それは滅びることなく世界に災いをまき散らし続けている。

 

「だけど、私は結局は無力だったよ。あれだけの情報を抱えながら、結局は繰り返させない手段を得ることはかなわなかった。今度ばかりは、し損じるわけにはいかないというのに……」

 

 しかし、アリシアは結局のところその災いを沈静化させる確固たる方法を得ることはかなわなかった。

 もう少し時間があれば、自分自身の魔力や体力に余裕があれば。せめて、身体年齢が後5年はあればと思ってもそれは詮無いことだ。

 

「私を導いてくれ、メルティア」

 

 そして、アリシアはかつての――ベルディナの戦友であり、彼が唯一愛した女性の名前を呟きながら、目を閉じ右手を握り胸の前に当て、「ルーヴィス」と祈りの言葉を空へと贈った。

 

「まさか君がここにいるとは、意外だったよアリシア君」

 

 瞑目し思案にふけるアリシアは突然頭上より降ってきた言葉にそのときまで気がつけなかった。

 アリシアははじかれるように面を上げ、最近になってさらに視力が落ちた目をこらし、そこに立って自分を見下ろしている人物を認識した。

 

「……グレアム提督……」

 

 管理局提督の制服の上からグレーのコートを羽織り、白い手織りのマフラーで襟を包みながら、グレアムは紳士らしい手つきでコートと同じデザインのシャッポを手に持ってアリシアに微笑みを向けていた。

 

「ああ、座ったままでいいよ。隣、よいかね?」

 

 いきなりのことで多少気を動転させたアリシアは驚いて立ち上がり提督へ儀礼を送ろうとするが、グレアムはそれを手で制し、その代わりにアリシアの隣に座る許可を求めた。

 

「ここは私の家ではありませんから。提督の自由にしてもよろしいと思います」

 

「いや、教会、礼拝堂とは等しく迷える人々の家だと故郷の牧師は言っていたよ。だから、君や私にとってもここは自分の家だと思っても構わないのではないかね? 隣、失礼するよ」

 

 グレアムは「よいこらせ」と年寄り臭い言葉を吐息とともにつき、ベンチを揺らさないようにゆっくりと席に着いた。

 

「では、この場では私と提督は家族のようなものと言うことですか……」

 

 先ほどグレアムが言った言葉を反芻し、アリシアは苦笑するように頬をゆるめるが、彼女自身それも悪くはないと思っていた。

 

「なるほど、おもしろい考えだね。では、どうかね、アリシア君? 家族である私に君の悩みを聞かせてみるというのは」

 

 グレアムはアリシアの表情を伺わず、自身も彼女に習うように礼拝堂の中心にそびえる大聖剣十字の象徴を見上げ問いかける。

 

「……提督は、どうして今日ここに?」

 

 アリシアはあえてグレアムの問いに答えず、彼がどうしてこの日ここに訪れたのかを問いかけた。

 

「今日この日に礼拝堂を訪ねる理由など、一つしかないと思うがね」

 

「祈る故人がいるということですか?」

 

「この仕事を長く経験していると、それこそ両手に余るほどだよ。特に11年前。私はこの手で友人を一人失った。後悔と懺悔、そして許しを請うために私はここにいる。しかし、君は幼いにもかかわらずたったの一人でここの門を開いたらしい」

 

 アリシアは少し乾いた吐息をついた。口元から立ち上る白い煙が天井へと舞い上がり、アリシアはそれが消える様を見つめ、口を開く。

 

「半年前、母を亡くしました」

 

 その知らせはグレアムの下にも届いているはずだった。それでいてあえて彼がそれを聞いたのは、いったい何の思惑があるのだろうか。

 アリシアはどこか自分がこの人物に対して疑心暗鬼になっているような心持ちを味わう。しかし、それは意味のないことだと思いその感情を打ち払った。

 

「そうか、君の母は君に何を語りかけるのかね?」

 

「それは、分かりません。私は聖王陛下を信頼していますが、信仰心というものに恵まれていないようで、死者の言葉を聞くことは出来ないようです」

 

「なるほど、私も残念ながらその信仰心が足りていないようだ。あの日以来、私はクライド君の声を聞いたことがない」

 

 信仰心があれば死者の言葉を聞くことが出来るのか。それが出来れば、プレシアももう少しはまともな最後に出会うことが出来ただろうとアリシアは思う。

 

「クライド……クライド・ハラオウン元提督ですか。クロノの父親の」

 

 アリシアもその名前を知っていた。リンディやクロノ本人から聞いたことではない、単に無限書庫で闇の書に関する過去の調書を調べていたところ最初に発見したものだ。

 

「私は彼を殺した。二人は何もかも変わってしまったよ。だからこそ、それに報いるために今度こそ闇の書を何とかしなければならない」

 

「提督は……リンディ提督はその手段を知っているかもしれません」

 

「どういうことかね?」

 

 グレアムは見上げていた表を下げ、初めてアリシアの横顔に目を向けた。

 彼女は、何とも形容しがたい表情をしていると彼には思えた。

 何か口にはしたくないことを腹にため込んでいるとグレアムは感じた。

 

「無限書庫を探索中に奇妙なことがありました。オカルトやホラーのたぐいではなく、闇の書のことに関して調べていく内に何者かに誘導されているような感覚がしたんです」

 

 アリシアはそのことに気がついたときのことを詳細に思い出すことが出来た。

 

「ふむ」

 

 グレアムはアリシアの言葉を待った。

 

「私が得たい情報、必要とする書物が妙に近い場所にあった。後々よく調べてみれば、それはまるですでに何者かが同じことを調べて整理していたような配置に並べられていた。間違いなく、私よりも以前に誰かが闇の書に関して長い時間をかけて調べていた。まるで自分はその人物がたどった道筋をトレースしているように感じられ、酷く違和感をもったんです。それだけのことをしているのなら何らかの形で闇の書に対する対策計画なり対策案が発表されているか、現在研究中か。しかし、そのような情報はどこにもなかった。多少違法な手段を用いて深く調べてみても、それは存在しなかった」

 

「つまり、極秘裏に何者かが独自に闇の書に対して何らかの方策を練っていたということかな」

 

 グレアムは目を細めた。

 

「サーバーの使用履歴を復元してみた結果、それはだいたい10年前から地道に行われていました。利用者の履歴を復元することは出来ませんでしたが、誰が調べていたのかはおよそ見当がつきました。10年前、闇の書、無限書庫を秘密裏に私的使用が出来る権限者というキーワードを用いれば、浮かび上がる人物はほとんど特定できてしまいます」

 

「それが……リンディ君ということかね」

 

「その確立が最も高いのがリンディ提督だったというだけのことです」

 

 グレアムは言葉にならない息を付き、沈み込むようにベンチの背もたれに寄りかかった。

 リンディが何をしようとしているのか、アリシアには高い確率で推測することが出来る。もしも、それが真実であり、もしもそれを成し遂げるために裏で仮面の男を操っているのであれば。

 身内を疑うことは精神的に負担がかかるとアリシアは思う。

 

「それで、君はその計画のどこまで知っている?」

 

 グレアムの問いかけにアリシアは少し逡巡した。

 言うべきか言わざるべきか。実質的にこの件に関するグレアムの権限は低い。本来的に部外者であるグレアムに話しても良いことかとアリシアは思うが、グレアムが現在の無限書庫の管理者であること、彼の使い魔の姉妹が何かと自分に気を遣ってくれたこと、そして何より彼もまた闇の書に関しては部外者ではないということを鑑みれば迷うことはないと彼女は判断した。

 

「闇の書の永久凍結……いえ、むしろ長期間行動不能にするだけの計画と言うべきでしょうか。闇の書は真の持ち主以外によるシステムへのアクセスを認めない。それでも無理に外部から操作をしようとすると、持ち主を呑み込んで転生してしまうという馬鹿みたいな念の入れようです。だから、完成前ではプログラムの停止や改変ができませんから、完全な封印も不可能になります」

 

「やはり、そうなのか。では、11年前の事故は何者かが無理矢理それにアクセスしようとして発生したものという説明が付く」

 

「ええ。ですからこれを調べた人物は封印ではなく凍結を選んだんでしょうね。闇の書をその主ごと大規模凍結魔法で無理矢理行動不能にしてしまう。確かに理にかなってはいます。しかし、それですべてが解決するわけではない。それで封印が出来たとしても良くて100年、短く見積もれば50年間の凍結でしかない。それではまた同じことが繰り返されてしまう」

 

 それでも、最低50年間の安息が得られるのなら悪くない方法である。アリシアはその思いを捨て去ることも出来なかった。

 完璧な方法など無い。常に多数にとって正しい判断を下さなければならない。たとえ、その計画が結果的に一人の命を確実に犠牲にするものであっても、おそらくその判断は正しいのだろう。

 

(たぶん、私が同じ立場に立たされれば同じ判断をした。だから、私は……ベルディナは――暴走した夜天の書の主だったメルティアを殺した)

 

 暴走した夜天の魔導書を闇の書と呼ぶのであれば、あるいは、メルティアこそが、闇の書の最初の主だったといえた。

 

(歴史は――300年間繰り返し続けてきたんだ。私……ベルディナの知らないところで……)

 

「君はそれに納得できるのかね?」

 

「正しい判断だと理解は出来ても納得は出来ません」

 

「では、君は納得できる手段をもっているのかね? 無限書庫で何か見つけたと?」

 

「確実は手段は何一つとしてありません。ただ一つ、不確実な希望のみです。そんなものを選ぶわけにはいかない」

 

 グレアムは奇妙な感覚にとらわれていた。自分の隣に座るこの場限りの娘は自分よりも圧倒的に幼い少女のはずだ。それこそ、自分に比べれば10分の1も人生を経験していない。それどこか、人生さえもまだまともに始まっていないような少女のはずだ。

 しかし、言葉を交わすにつれこの少女がまるで自分と同じ程の、いや、自分よりも長い人生を経験してきた人物に思えてしまう。

 それは錯覚だと思いながらもグレアムは言葉を続けた。

 

「その……方法とは?」

 

 この娘なら至れるかもしれない。グレアムはそう感じていた。

 

「ゼファード・フェイリア。かつて世界を旅する名もない魔導書に夜天の名前が与えられたところ。そして、夜天の魔導書が闇の書へと変貌を遂げた場所。滅び去った古代ベルカ王国の首都。ゼファード・フェイリア(忘れられた都)であれば、何かしらの方法が残されているはずです」

 

 そして、そこはベルディナが生を受け、すべてを失った場所でもある。戦争のため……祖国を守るためにメルティアが夜天の魔導書を兵器に変え、それによって闇の書が生まれた。

 それはまさに、この悲劇の原点とも言える場所だった。

 

「しかしそこはすでに人が立ち入れる場所ではないと聞くが」

 

 古代ベルカ王国の首都。古代大戦の最後の主戦場があったとされるその世界は、今では全土に汚染が広がっており、一呼吸するまもなく命を落とすと言われている場所でもあった。

 しかし、アリシアはグレアムの言葉に首を振る。

 

「それは、聖王教会が神聖性と不可侵性を保つためのプロパガンタに過ぎません。確かに全土凍結によって生命が住める場所ではありませんが、生きて帰ってくることは出来ます」

 

「それを証明する証拠は?」

 

「古代ベルカの生き残りのベルディナ・アーク・ブルーネスがついこの間まで生きていたのがその証拠です」

 

 ベルディナ・アーク・ブルーネス。グレアムもその名前は知っていた。しかし、彼が古代ベルカの生き残りであることは初めて聞かされることだった。

 

「つまり、一つとして確かなことはないということかね?」

 

 アリシアは何も言わず、沈黙をもってYESと応じる。

 

 確証など提示できるはずがない。それらはすべてアリシアが持つベルディナの記憶から導き出されたことなのだから。

 ベルディナ・アーク・ブルーネスが古代ベルカの生き残りであること自体が眉唾物の噂程度に過ぎず、300年生きた魔術師という言葉でさえ疑うものは数限りない。

 

「確かに、それでは報告書として提出するわけにはいかないね」

 

 アリシアは法執行機関の有り様をよく理解しているとグレアムは感じた。

 たとえ99パーセントの確信があっても人命に関わる重大な危険が存在するのなら決定的な手段を講じてはならない。

 優先するべきはロストロギアの回収や封印ではなく、そこに住まう人命なのだ。ロストロギアの回収や封印は人命救助のための手段であって目的にしてはならない。古い時代の局員であるグレアムにとってそれは本来至上理念であり、自ら犠牲を強いる決定を下すことはたとえそれが正しい判断だったとしても悪行と認識することだったはずだ。

 

(私は、どこで間違ってしまったのか)

 

 グレアムの沈鬱な表情に、しかし、アリシアは気付くことが出来なかった。

 

 礼拝堂の鐘が鳴り響く。その鐘は日付の更新を告げ、先ほどまで周囲を奏でていた鎮魂歌(レクイエム)がその響きを止めた。

 鎮魂祭の終わり。慰霊の時は終わりを迎え、礼拝堂の照明も徐々に落とされていく。

 天窓より見上げる空の双月もすでに姿を隠し、アリシアは祈るべき対象を失った。

 

「では、私は戻ります」

 

 アリシアはそういって立ち上がり、席に着いていながらも見上げなければ表情を伺うことの出来ないこの一時だけの家族へ別れを告げる。

 

「ああ、子供は寝ていなければならない時間だ。では、さようなら娘。風を引かないようにな」

 

「ええ、父上もご自愛ください。聖王陛下の慈悲を」

 

 ルーヴィスと重なり合う二人の声が礼拝堂に残響し、アリシアはそれを背負いながら凍てついた冬の夜空の元へと戻っていく。

 

 クラナガンでは珍しい雪のちらつきそうな寒空を見上げ、アリシアは気付けば自分たちはずいぶんと恥ずかしいやりとりをしていたと思うが、不思議と彼を父と称したことに何の不快感も抱かなかった。

 

(だけどこれで私が出来ることは全部終わった)

 

 悔しく寂しい話だとアリシアは感じる。しかし、戦う力を持たない自分の戦いはこれで終わったのだと思い立ち、堅い靴底のローファーを踏みしめ石畳の通路をゆっくりと歩く。

 

(あとは、天命を待つしかないか)

 

 薄い雲の切れ目からのぞく星々の光が静かに彼女を見下ろしていた。

 

 

 

 

 


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