魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~ 作:柳沢紀雪
何となく見上げた夜空は何処かどんよりと曇っていて、身を切るような寒さが地上を覆い尽くしている。
フェイトは僅かに吹き抜けた冷風に首をすくめオーバーコートの襟に頬をこすりつけた。
フェイとの着ているコートは聖祥学園指定のコートだが、その機能性とデザインが気に入ったのか、彼女はプライベートでもよく着るようになっていた。
フェイトは何となく隣りを歩く親友に目をやる。せっかくのお呼ばれにこんな天気になってしまって少し残念そうにしているように思えたが、となりを歩く少年は何処か期待したような眼差しで空を見上げていた。
「曇ってるね」
いつもなら晴れ渡った空を愛する少女、なのはなら今頃どんな表情を浮かべながらこの空を見上げているのかフェイトは気になった。
「うん、そうだね。雪が降りそうだ」
雪と聞いてフェイトは小首をかしげた。フェイトはミッドチルダ南部、アルトセイムに住んでいた記憶がある。
これは、ミッドチルダ全般で言えることだが、ミッドチルダ自体温暖な気候をもつ世界であるため、冬でもそれほど気温が下がらない。特に、南部のアルトセイムになればその気候は常に温暖で雪と言われてもフェイトにはぴんと来ないだろう。
「ホワイト・クリスマスっていってね。クリスマスに雪が降るのは良いことだって言われているんだ」
いつまで経っても小首をかしげたままのフェイトにユーノはクスッと笑いながらその意味するところを告げた。
「クリスマスに雪が降ったらホワイト・クリスマスか……なんだか素敵だね」
育ちの殆どを時空間で過ごしたフェイトにしても、四季の移り変わりや空から氷のかけらが降ってくると言われても何となく想像が出来ない。
「なのはの家でもツリーに飾り付けるの?」
ミッドチルダのこの時期とはまったく異なる賑わいを見せる人通りを眺めながらフェイトはユーノから離れないように彼のコートの裾をちょこんとつまんだ。
ユーノはフェイトが指し示した街頭の木に飾られたイルミネーションを眺める。
「本物の木に飾るわけじゃないらしいけど、ツリーにガラスの宝石とか星とかを飾って枝にいろんな色の電球を巻き付けるらしいよ」
アリサとすずかの豪邸の広い庭には作り物でも鉢植えでもないモミの木が植林されているとユーノはなのはから聞いている。毎年彼女たちの家はそれらをデコレーションをして聖者の聖誕祭を祝うらしい。
一度は見てみたいなぁとフェイトは思いながら、何処か気恥ずかしさを覚えながらユーノのコートをつまみながらゆっくりと道を進んでいった。
何となく不思議な感触がする。
クリスマスとはどういうものか、その源流は何かと照れ隠しに様々に説明するユーノはフェイトと何処か同質の感情を抱いていた。
自分とユーノの関係とはいったい何なのだろうかとフェイトは考える。
かつてのフェイトであれば、それは敵対する少女の単なる従者でしかなかった。そんな彼が人間だと知ってその少女なのはと親友になったときには彼は親友の友人という関係になった。
なのはとユーノがまだアースラに滞在していた頃、フェイトはまともにユーノと言葉を交わしたことはなく、彼と顔を合わせるのも姉のアリシアを介してのみだったような記憶がある。
その頃は、自分よりアリシアと親しく話をするユーノをうらやましく思ったものだ。
そして、それからしばらく経って、ユーノはフェイトの裁判の証言者として半月の間だけ本局を訪れた。
本当なら学校もあり、なのはやその友人達と離れてしまうにも関わらず、ユーノは嫌な顔を一つもせず証言をやり遂げた。
その頃からだろうか、ユーノが親友の友達ではなく、本当の意味で親友だと思えるようになったのは。
フェイトは寒さに頬を若干染めるユーノの横顔を伺いながらそんなことをつらつらと思い浮かべた。
「そもそも子供達にプレゼントを配るサンタクロースって言うのはね、元々聖(セント)ニコラスっていう聖人が貧しい家に金貨を投げ入れたっていう……」
ユーノは大仰に指を掲げながらふとフェイトの方へと視線を向けた。
交差する彼女との視線にユーノは言葉を飲み込んだ。
ユーノがミッドチルダから地球に移住する時、管理局提督であり地球イングランド在住のギル・グレアムが後見人となり、そして彼の保護責任者はリンディ・ハラオウンということになっている。
つまり、法的な事を考えれば現在のユーノの親はリンディだと言うことになる。
そして、フェイトはいずれはハラオウン家の養子となる少女だ。
先日、それを指摘したエイミィが漏らした『それだったら、ユーノ君もフェイトちゃんのお兄ちゃんって事になるね』という言葉にユーノは少なからず動揺した。
しかし、フェイトにとってそれはサプライズである以上にとんでもないプライズに思えたのだ。
家族が増える、絆が増える、ただそれだけのことではない。
ユーノときょうだいのようなものとなることでアリシアとユーノの輪の中に入ることが出来るかもしれない。
ユーノのように言葉を必要としない信頼感をアリシアと共有できるようになるかもしれない。
(そうなったら……嬉しいなぁ……)
フェイトはニッコリと笑い、今度は躊躇せずユーノの手を取ってかけだした。
「さっ、早く行こ? 遅れたら失礼だから」
「ちょっと、フェイト。いきなり走ったら危ないよ!」
腕を引っ張られて、ユーノは照れくささを感じる暇もなくつんのめりそうになる足を整えて彼女に追従した。
今日は二人は高町家の晩餐会に呼ばれている。それは、ユーノとフェイトの快気祝いという意味合いが強いが、高町家ではクリスマスより数日先んじてクリスマスパーティーを行うのだという。
高町家は家業の関係上、クリスマスとイヴには家族にかまっていられないほど店が忙しくなる。そのため、毎年クリスマスより数日先んじてその日を祝うのだと聞かされている。
「お姉ちゃんは後から来るのかなぁ。早く会いたいな……」
その家族の団らんに自分たちも呼ばれた。
そして、今日の日はアリシアも呼ばれているだろうから、久しぶりにゆっくりと話が出来るかもしれない。
無限書庫は既に追い込みに入っており、最近では夕食を一緒にするどころかアリシアはハラオウン邸にまともに帰ってきてさえいないのだ。
姉、アリシアの名前を出して微笑むフェイトにユーノは少しだけ表情を沈めた。
ユーノは腕の力を少し強め、フェイトの歩調を抑制するように歩みをゆるめる。
「どうしたの?」
フェイトは繋いだ手をそのままに振り向きユーノの表情をのぞき込んだ。
「うん、その。言いにくいんだけど……アリシアはたぶん来ないよ」
ユーノとフェイト、二人の間に酷く乾いた冷風が吹き抜けた。
*****
ベランダの向こうの空には夜空を彩る星々の代わりに街の光に彩られた輝く粉雪が降り注ぐ。
海鳴に降る今年初めての雪は朝になれば消えてしまうだろう。この空の向こう。遙か時空間の海の彼方にいるアリシアは、今頃何を思っているのか。
フェイトは何となく空いてしまった感覚の間にそれを思い、少しだけため息をついた。
「大丈夫? フェイトちゃん」
ベッドの脇に腰を下ろし、窓辺に寄り添って空を見上げるフェイトになのははそっと声をかける。
「うん、大丈夫。いきなり泣いてごめん」
フェイトは空から視線をおろし、床に座って心配そうに見上げるなのはに笑みを送った。
「フェイトって、意外と涙もろいよね」
なのはの正面で胡座をかいてお茶を飲むユーノが少し意地悪な笑みを浮かべながら少し今までのことを思い出していた。
「そ、そうかな?」
フェイトはそういわれて、ここ半年間で自分は思いの外涙を流す機会が多かったと思い、少し赤面してうつむいた。
なのはと分かち合った早朝の海辺。悪夢に悩まされる夜に感じた姉のぬくもり。裁判で自由になり再び親友と会えると分かったとき。ハラオウン家での最初の団らん。
そして、そのどこにも悲しい涙が無かったこと。
「そ、そうだ、プレゼント開けてみない?」
何となく漂った沈黙。それが嫌な沈黙ではなく、どことなく落ち着きのあるものだったが、なのははそれを払拭するように声を上げた。
「そうだね。アリシアが何をくれたのかちょっと気になるな」
ユーノはそういってなのはの思惑に乗り、三人のちょうど真ん中あたりに集められた三箱のプレゼントを引き寄せた。
アリシアは晩餐会に出席できない代わりに早いクリスマスプレゼントを三人に届けていた。
それが夕食の終わりに高町夫妻から手渡されたとき、アリシアなりの気の使い方を三人は感じた。
桜色、明るい黄色、新緑色の包装に包まれた小さな箱。それぞれがそれぞれの魔力光に対応し、その表紙に名前が記されていなくても誰に向けて送られたものかを類推することができる。
なのははその中の黄色の小箱をフェイトに手渡し、フェイトは「ありがとう」と言ってそれを受け取った。
中には何が入っているだろうかとユーノは考える。箱の大きさは両手で包み込めるほど。握り拳二つ分ほどの小箱。
「本とか人形じゃないよね。アクセサリーかな」
ユーノは中身を透かすように持ち上げて蛍光灯の光に掲げるが、さすがにそれで中身が分かるものではない。
「ユーノ、別に危険なものじゃないんだから」
フェイトはまるで爆弾小包を調べるような手つきのユーノを笑いながら包装を解き、中から現れた軽金属製の化粧箱を軽く振り音を聞いた。
「それは甘いよフェイト。アリシアの贈り物には細心の注意を払わないと。マタタビとか唐辛子とか。開けた瞬間に噴出したら怖いでしょう?」
「ユーノ君。さすがにそれはアリシアちゃんに失礼だよ」
なのはは三人分の包み紙を丁寧に折りたたみながら苦笑いする。
ユーノはアリシアの性質をよく理解していたが、さすがに妹への初めてのプレゼントにそこまで酷いブラックセンスを発揮しないだろうと判断できる。
「そうだね。じゃあ、開けようか」
軽金属製の化粧箱。シルバーの表面に刻まれた『I wish that your Fate is not Doom and is Fortune』の文字はアリシアから自分達へと向けられた願いなのだろう。
ユーノとフェイトにとっては慣れ親しんだ文字、そしてなのはにとっては最近最低限読み書きができるようになった文字。
アリシアにしては実直な。それでいて切実な願いを確かに三人は受け止め、それぞれに目配せをした。
『いっせいのーで』
三人は呼吸を合わせ、シルバーケースの箱を開いた。
ユーノは怪訝な表情をし、なのはは目を見開き、フェイトは驚愕に唇を掌で覆い隠した。
フェイトが取り落としたシルバーの蓋が床に転がる音が部屋に響く。
《なるほど、アリシア嬢も粋な計らいをするものですね》
その箱の中身を確認し、レイジングハートは机の上で興味深そうに紅い光をちかちかと明滅させた。