魔法少女リリカルなのは~Nameless Ghost~   作:柳沢紀雪

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第二十話 Wind Climbing

 

 

 本局の購買にはろくな物がおいていない。

 アリシアは本物と見まがうほど精巧に作られた造花の束を抱えながらゆっくりと本局の廊下を歩く。

 

 いや、年の瀬であるためにただ品揃えが悪くなっているだけかも知れないとアリシアは時折鈍痛のする頭をトントンと叩きながら、医療施設の一角、先ほど受付で聞いた病室を探す。

 

 無限書庫での資料検索は正直なところ熾烈を極めている。最近になってようやくアリシアの依頼を叶えるデバイスシステム一式が技術部より届けられ、アリシアにかかる負担が軽減されたとはいえ、得られる膨大な資料の情報を吟味しまとめ上げるのはすべてアリシアの仕事なのだ。アリシアが今日までまとめ上げた情報を資料化してハードコピーすれば、クロノ執務室程度なら容易に紙の海に沈めることが出来るだろう。

 

 正味な話、ここ4,5日ほど彼女はまともな睡眠を取っておらず、口にする物も栄養液剤や高カロリーブロック食品だけである。成長期にも至っていないような幼児がするようなスケジュールではないが、それでもアリシアは特に文句を言うことなく業務を行っている。

 

 アリシアは気を抜けば惚けてしまう意識を奮い立たせるため、ポケットから気付け薬(脳内麻薬の分泌を制御し、アルファー波を抑制して強制的に脳を覚醒させる薬物)の入った無針注射器を取り出し、それを首に押し当てて注入した。

 

(……これで三時間は保つ……)

 

 浸透圧によって体内に流れ込んでくる薬液が脳に到達する感触にアリシアは口の端から嬌声に近い音を漏らしながら、時折身体をけいれんさせる。

 そして首筋を覆っていた熱っぽい感触が全身に広がる事を確認し、「ふぅ」と一息ついた。

 クロノやリンディがこれを見れば、すぐさま取り上げられ頬を叩かれるような物だが、最近のアリシアにとってこれは良いパートナーになっていることも確かだ。

 

 時刻は、すでに夕暮れ時。本局の照明もそれを表すようにオレンジの色彩の混じった物に先ほど切り替えられ、仕事締めに奔走する局員の波ににわかにあわただしくなる。そんな時間だった。

 

 アリシアがフェイトが戦闘で負傷したことをクロノから報告されたのはつい先ほどのことだ。

 

 アリシアは無限書庫で地球の仮設駐屯所のモニターをリークし戦闘の状況を伺っていたのだった。しかし、ユーノがなのはの元へと派遣されたあたりになってそれを映し出していたモニターが突然ダウンし、それ以降の状況の推移を彼女は知らない。

 

 クロノの報告がてらにそれを確認してみたところ、どうやら駐屯所のシステムが何者かの介入を受けて使用不能になってしまったというらしい。

 

 アリシアはすぐにでもフェイトの元へと行きたかったのだが、彼女にも無限書庫で行わなければならない仕事があったため、結局こんな時間になってしまったのだ。

 

「F病棟の453号室……ここか」

 

 アリシアは部屋の表札に掲げられた「フェイト・テスタロッサ」という文字を追いながらほっと溜息をつき、その下に連名のように示された名前にも目をやった。

 

 ユーノ・スクライア

 

 フェイトと同じ病室に運ばれた少年の名前がそこにあった。

 アリシアはその名前を前にして少しだけ躊躇するが、意を決したように面を上げて扉を軽く叩いた。

 

「…………」

 

 返事がない。

 アリシアはもう一度ノックを繰り返したが、それでも中からは何の反応も返ってこなかった。

 二人はまだ目覚めていない。それはすでに聞かされていることだ。しかし、中にはまだもう一人の少女が居るはずだともアリシアは聞かされている。

 

 一緒になって眠ってしまったのだろうか。

 アリシアはそっと横開きのドアをスライドさせ中をのぞいてみる。

 鍵はかけられていなかった。部屋の中央にかけられた大きなカーテンが部屋を二つに仕切り、その両方の壁際に設えられたベッドの白いシーツが見える。時折シーツが揺れるのは、空調のせいだろうかと思う。本局の施設には窓がない。医療施設であればリラクゼーションのために自然の風景を投影するモニターが設置されている事もあるが、人工の映像では風は流れてこない。

 

 部屋は静かだった。聞こえる物と言えばカーテンの片方の区画から聞こえる心音を測定する信号音と時折深く息をつくこもった音のみ。

 ユーノが重傷らしい。ならば、沈黙を保っている方の区画にはフェイトが眠っている事は容易に予想できる。

 

 なのははどこへ行ってしまったのだろうか。スライドドアの隙間から様子をうかがう限り、彼女はここには居ないように思えた。

 

 アリシアは返事がない事から部屋にはいるべきかどうかを少しだけ悩むが、こうしていても仕方ないと思い立ち、ゆっくりとなるべく音を立てないようにドアを開き、素早く部屋の中に足を踏み入れた。なにぶんこの後のスケジュールも詰まっている。ようやく作れたこの間隙を逃せば、もう二度と二人を見舞うことは出来ないだろう。

 

 アリシアはひとまずフェイトが眠っているだろうベッドへと足を運び、その脇に置かれた小さな丸椅子に腰をかけ、造花の花束を持ち上げた。

 見舞いの品に造花を送るのは礼儀としてはあまり良いことではない。造花は枯れないのだ。

 本物の花であればいくら長くても数日で葉を落としてしまうだろう。

 故に、その花が病人の代わりに厄を吸い取り枯れていくというイメージから、枯れない造花は控えるべきだという風習がミッドにはある。

 

「ごめん、これしか売ってなかったんだ」

 

 それよりも何も持たないよりは幾分はましということでアリシアは仕方がなく売れ残りのこれを購入したのだ。二束ある方の片方を近くのテーブルにおかれた小さな花瓶にをそれを生ける。

 

 フェイトはよく眠っている。リンカーコアを蒐集された反動で気を失ったと言うが、アリシアの受けたものに比べるとフェイトが受けたそれは幾分か重いと言うことだった。

 アリシアのリンカーコアは極小だ。故に被った被害も極小で済んだ。しかし、フェイトのリンカーコアはアリシアのそれに比べれば膨大といってもいい。故にその被害もアリシアとは比べものにならないほど大きな物となってしまった。

 

 アリシアはそっと眠るフェイトの頭をなで、若干寝乱れた髪に手櫛を通す。

 瑞々しい豊かな金髪は彼女が自分の姉妹である事を語る。今のアリシアの髪は連日のハードワークによって乱れ艶も幾分か喪失しているが、彼女の物は良好の質を保っていることが分かりアリシアはフッと笑みを浮かべた。

 

「ハラオウンは、君を大切にしているみたいだね。ごめん、フェイト。本当なら、私がその役目を負わないといけないのに、最近は君と顔を合わせるのも希だ。こんな事で久しぶりの再会なんて、本当に嫌になるよ」

 

 アリシアになでられる感触が気持ちいいのか、フェイトは時折短く息を付きながら、その寝顔も満ち足りたような穏やかさに包まれていく。

 もしも夢を見ているのならどんな夢を見ているのだろうか。

 

 フェイトにはアリシアとしての幸せな記憶がある。PT事件においても時折それを夢に見て自身を奮い立たせていたらしいが、今でもその夢を見るのだろうか。

 

 自分の出生を知ってもなお、フェイトにとってその夢は幸せなものに映るのだろうか。

 

 とりとめのない考えだった。それをフェイトに確認するのは怖いと感じる。ともすれば自分は恨まれても仕方のない位置にいる。にもかかわらず、フェイトはアリシアを姉と呼び、ともに歩いていこうと約束を持ちかけた。

 

 アースラに拘留されていたときも、怖い夢を見たときにはアリシアの布団に潜り込み、人寂しいときはアリシアについて回り、面白いかどうか分からないアリシアの話を頷きながら熱心に聞いていた。

 

「だけど、ごめん、フェイト。まだしばらくは君に会えないと思う。見つけたんだ、ひょっとすれば闇の書をどうにか出来るかも知れない方法が。だけど、それはとても怖い。やらない方がましだって思うぐらい勝算が低いんだ。ひょっとすれば、クロノやリンディ提督、君や君の親友達を裏切ることになるかも知れない」

 

 無限書庫で検索するにつれ、闇の書に関する情報とは別に確信できないある法則をアリシアは知った。

 それが果たして何を意味するのか。その答えは殆どでかかっている。

 そして、その結果がもたらす未来をアリシアは何となく想像することが出来る。

 

「だけど私は、もう繰り返したくないんだ。今度こそ、今度こそは繰り返さないって誓ったんだ。ごめん、フェイト。君には辛い思いをさせるかも知れない。今のうちにさよならを言っておくよ」

 

 アリシアはそう言って軽く息を付き立ち上がる。

 

 窓の外に映し出された擬似的な夕焼けの風景が二人に柔らかな陽光をさしのべ、その光の中でアリシアはフェイトの額に小さな唇をそっと重ねた。

 

「お休みフェイト。今は良い夢をね」

 

 アリシアはそう言い残し、生けられた造花の花瓶のそばに置いておいたもう片方の花束を手に取り、そっと静かにフェイトのベッドを後にした。

 

 この病室は元々一室を二つに仕切ることが前提にされた物であるらしく、仕切り壁の代わりに設えられたカーテンはきわめて高い遮光性を持つため、その向こう側のシルエットが映ることはない。

 また、その長さも床に届くほどの長さが確保されているため足下が見えることもない。

 アリシアはユーノが眠る区画に足を踏み入れたとき、その静けさを感じるとともにそこにいるのが一人ではなかったことに驚きを感じられなかった。

 

「居たんだ、なのは」

 

 フェイトが眠る壁際の反対側に設えられたユーノのベッドは両区画が鏡写しの間取りになっている事を示す。

 そのベッドのそば、先ほどアリシアが腰を下ろしていた物と同様の丸椅子に腰掛ける人物が居た。

 

 なのははアリシアの問いかけに答えず、ただじっと管によって酸素供給されているユーノの寝顔を見つめているだけだった。

 

「いつから?」

 

 アリシアはなのはのそばに歩み寄り、その近くのダッシュボードの上に見舞いの花束をのせた。

 ユーノもフェイトと同様、搬入されてから今まで目を覚ましていない。しかし、その表情に浮かんでいる物はフェイトのような安息ではなく、何の感情も乗せられていない空虚なものだとアリシアには感じられた。

 

 なのははただ黙っている。アリシアの声も聞こえていないように押し黙り、辛そうに唇を噛みしめ膝におかれた両の手は血の気が引くほどに硬く握りしめられている。

 

 さもありなん、とアリシアは思う。

 詳しい状況はアリシアには分からない。しかし、クロノ達の言葉によればユーノはなのはをかばって敵の蒐集にあったのだ。

 そして、ユーノはフェイトや自分と違いかなり重い損傷を受けた。本来なら自分が見に受けるはずだったそれを被ったユーノを見て、なのはが心穏やかに居られるはずはないのだ。

 

 だが、とアリシアは思う。

 

「不幸中の幸いだったね」

 

 その言葉を聞いてなのはが初めて反応を返した。

 きつく握りしめられた両の手がさらに力を増し、その口元からは歯と歯がこすりあわされる不快な音まで漂ってきそうに思えた。

 

 アリシアはその幻聴を隅に禁煙パイポの端を折り口にくわえた。

 

「何が……何が、幸いだって言うの……」

 

 呪詛のように漂う幼い少女の声にアリシアは煙のように白んだ水蒸気を口から吐き出した。

 アリシアは少しだけ目を閉じ心を落ち着かせた。

 今から自分は、まだ二桁の年にも到達していないような少女に自分自身の傲慢な思想をたたきつけなければならない。その上で彼女が何を思い、何を考え、何を判断するのか。アリシアはそれを知るために、きわめて冷徹な表情を顔に浮かべ、パイポを加えたまま振り向き壁に背を預けた。

 

「幸いだよ、少なくともあなたたちは生きて戻ってこれた。それ以上の幸運なんてない。生きていれば次がある、もう一度戦うことが出来るんだから、それを喜ばないで何をしようって言うの?」

 

 最悪の思想だと言うことはアリシアは理解している。しかし、ベルディナの感覚を用いればこそ、それはアリシアにとって揺らぐ事のない真実なのだ。

 

「っっ!!」

 

 頬をはじかれる感覚、椅子が床に倒れ込む甲高い音が響き、アリシアは横っ面に状態を崩し床に尻餅をついてしまう。

 

「……戦えるから嬉しいなんて……最悪だよ、アリシアちゃん」

 

 振り抜いた掌に痛みを感じるようになのはは自身の左手を押さえ、苦しそうな声を上げた。

 

「戦いを喜べない? なのは」

 

 先ほど投与した気付け薬は確かに意識をしっかりと保ってくれる物だが、それは身体的疲労を軽減するものではない。さらには無重力に適応し始めている筋力や骨格が明確な衰えを示すため、アリシアはしばらくそのまま立ち上がることが出来なかった。

 

「喜べるはずない! 戦うことは辛いし、怖いし、悲しいんだよ。ユーノ君は、私のせいで怪我しちゃった!」

 

 髪を振り乱し激高するなのは。まるで全身の痛みに耐えるように身体を抱きしめ、そのまま下身の力が抜けるように膝を折った。

 

「もう嫌! こんな辛いのはもう嫌なの! もう、誰にも傷ついてほしくないのに!」

 

(……ああ、なんて綺麗なんだ……)

 

 伏して身体を震わせる彼女を見て、アリシアはそれを美しいと感じた。

 なぜこの少女のシンボルである色彩が無垢なる白と幸福の色彩である桜色なのか。アリシアはその意味にようやくたどり着いた。

 

「誰にも傷ついてほしくないんだったら、なのははどうして戦うの?」

 

 自分は彼女を導く立場におらず、その資格もない。

 

「誰かを傷つけることをよしとしないのに、君はどうして戦ってきたの?」

 

 しかし、アリシアはどうしようもなくこの少女に関わりたいと思うようになっていた。

 

「私には貴方の気持ちが分からない。だから、教えてくれないかな?」

 

 本当なら放っておけばいい。自分は戦う立場にいないのだから、この少女が何を思い何を信じて戦おうとも自分には関係がないはずだった。

 

 だが、蓋を開けてみればどうだ。確かにそのきっかけはレイジングハートが現状ではアリシアぐらいでしか弄ることが出来ないということだった。そのよしみで、レイジングハートの調子を把握するためになのはの訓練に付き合うようになった。

 

 そして、今となってはこんなにも彼女が気になってしまう。

 

 今でも、本当ならただ労いの言葉をかけ、次は頑張れとか、今は身体を休めた方が良いとか、そんな杓子定規のような言葉を贈っておけば済む話だったはずだ。

 

「私は、なのはの話が聞きたい」

 

 アリシアは立ち上がり、未だ膝をついて惚けるなのはの肩をそっとなでた。

 

 

************

 

 

 バタンと扉の閉まる音が廊下に鳴り響き、硬質な靴のかかとが踏みならされる音が静寂な病棟の壁に反響する。

 

 アリシアは今は静かになっていく胸の振動を身体に感じながら、その病室でふるえる少女が口にした言葉を何度も何度も反芻していた。

 

 行き交う人の波が徐々に増えていき、病棟から出る頃にはこれより仕事仕上げのスパートをかけるべく肩に力を入れる者、すでに深夜までの残業が決まっており陰鬱に吐息を吐く者、それに入れ替わるように休憩に入る者など、様々な人々の往来が増え始めていく。

 

 その中でも異質であると自覚しているアリシアは時折向けられるいささか無粋な視線に愛嬌のある笑みを返しながらその脳裏には薄暗い歓喜を感じ取っていた。

 

(やっぱり、なのはは戦うことから逃れられないんだねなのは)

 

 行き交う人々の中、アリシアの視線からはとても広く感じられる回廊の中央において彼女は立ち止まり、薄い空色に染められた天井を仰ぎ見て目を細めた。

 

(そう、なのはには力がある)

 

 人の波は小さなアリシアを物ともせず、その流れを淀ませることなくすり抜けていく。

 まるで世界が自分を認識せず、停止する自分を無価値なものと定義するようだ。

 

(力があるからこそ迷わないのか。その力を持って何かを助けようとするのだろうか)

 

 時の流れより見放され、常に同じ所にとどまり続けるその感触は、今まさに感じている感覚と同質のものだとアリシアは認識していた。

 

(私は、なのはが羨ましい)

 

 アリシアは再び歩みを進めた。

 

(彼女には力がある)

 

 自身の歩みの速度は流れる人々の歩みに比べれば酷く散漫でたまらなく遅々としたものだ。

 

(私になのはほどの力があれば、あるいは私も悩むことなく戦うことを選択できたんだろうね)

 

 体感覚の整わないこの身はともすればわずかな外乱に翻弄され地に膝をつくだろう。

 

(だけど、私にはその力がない)

 

 しかし、見上げればそれを見守る瞳がある。

 

(だから、私は……私なりに戦ってみせる)

 

 自分を見ていてくれる視線がある。

 

(ありがとう。あなたのおかげで私も決心が付いた)

 

 時にはそれは手をさしのべ、柔らかな笑みとともに側を支えて歩いてくれるだろう。

 

 道は決して平坦ではない。それでも、共に歩むものがあれば、その道は決して険しいものではない。

 

 彼女の物語はここにおいてようやく産声を上げた。

 

 

 


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